あの新入りの女性看守はいつ、人を殴り始めるだろう?。囚人服の女性収容者たちが賭けをしていた。新人は折り目正しい20代。だが、長くても数カ月あれば十分だ。これまで新人の女性看守は皆、暴力をものともしない無慈悲な人間に変貌したのだから―。

 第2次大戦中、残虐行為が日常化したナチス・ドイツの強制収容所では、3千人以上の女性看守がいた。女性収容者を監視し、時には自らの手で死に追いやった。何が彼女たちを駆り立てたのか。それを知ろうと、ナチス最大の女性収容所だったドイツ東部のラーフェンスブリュック強制収容所跡を訪れた。(共同通信=森岡隆)

 ▽湖畔の壁

 木々に覆われた湖畔に穏やかな光が注ぐ。湖越しには人口約6千の町フュルステンベルクの教会の塔と家並みが迫ってくる。町は首都ベルリンの北約80キロ、ローカル線で約1時間の距離だ。
 
 湖を背にして陸地側に目をやると、高いれんがの壁が眼前にそびえ、壁の上には有刺鉄線が見える。そばには煙突を備えた遺体焼却施設が残り、その隣にはかつてガス室が置かれていた。

 1939年から45年に存在したラーフェンスブリュック強制収容所。軍需工場などで強制労働に就く12万人を超す女性や子供たちが欧州各国から送られ、約2万8千人が飢えや病気、あるいはガス室に送られ命を落とした。収容されたのはドイツへの抵抗運動メンバーや共産主義者、売春婦、ユダヤ人などさまざまな人々で、ドイツ人女性もいた。

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2021年7月5日 10時30分