文春オンライン7/13 11:12
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「大宮と同じさいたま市と認めたがらない浦和人」「長い県歌で仲直りする長野と松本…」地域プライドのし烈なぶつかり合いのリアル

全国で不動産関係の仕事をしていると、それぞれの地域の特性に触れることができる。県民性とか地域性と呼ばれるものである。風土は立地や気候、それまで起こってきた自然災害や、時には人災などによっても形成される。今回は、不動産関係の仕事を通じて感じた県民性、とりわけ限られた地域の中で、地域同士のプライドがぶつかり合うさまをご紹介しよう。

文教の「浦和」vs人気高まる街「大宮」
「大宮と同じさいたま市と認めたがらない浦和人」「長い県歌で仲直りする長野と松本…」 地域プライドのし烈な?ぶつかり合い”のリアル

埼玉県内で仕事をする際に気を付けなければならないのが「浦和人」の存在である。あえて「人(じん)」と呼ぶには訳がある。古くから浦和に住んでいる人ほど、実にプライドが高い傾向にあると感じる。まちがっても彼らの前で「ダさいたま」などといってはいけない。浦和は1923年の関東大震災後に、都心部から多くの文人がこの地に移住してきた。理由としては、地盤の良さに加え、東京へのアクセスの良さ、下水道整備率の高さ、そして教育環境の充実がある。

特に別所沼近辺はその風光のすばらしさから多くの画家が集結し、神奈川県の「鎌倉文士」と並び、「浦和画家」と称されるようになったという。

私の経験では、浦和人には、隣接する大宮と「同じさいたま市」にあることをひどく嫌っている人が多かった。大宮はJRを中心に鉄道各線が集結する交通の要衝である。商業施設が充実し、飲み屋街もある。そして、大宮駅のルミネは日本一の売上を誇る。さいたま市はそれまでの県庁所在地であった浦和市と大宮市、与野市の3市が一緒になって誕生した政令指定都市だが、商売の街大宮と一緒にされる浦和人のプライドは満たされていないようだ。

また、浦和は文教の街でもある。その代表格が県立浦和高校だ。現在でも東京大学に46名の合格者を出す東大合格の常連校だ。かたや大宮には以前はこれといった進学校はなかった。だが大宮周辺には超高層マンションも林立し、多くの新住民が集結。地元の大宮高校の進学成績が急伸。東京大学合格者数も令和に入って10名、13名、15名と順調に伸びている。浦和人からみれば、歯牙にもかけない状況かもしれないが、いやいやどうして大宮の人気は高まるばかりだ。SUUMOが毎年発表する「住みたい街ランキング」でも大宮は4位、対する浦和は8位。歯がみをする浦和人の姿が透けて見える。

「長野市」vs「松本市」は議論の末に、長い県歌で仲直り
県内競争でもっとも厄介なのがおなじみ長野県だ。あるとき県内の関係者の宴会に同席したことがあったが、長野県の人たちはとにかくよく酒を召し上がる。徳利を片手に持ったまま離さず、酌を続けるので、こちらはあっというまに酩酊だ。トイレで一息入れて席に戻ると、客人のいなくなった隙に、出席者同士で口論が始まっている。

聞くところによれば、長野県はもとの信濃国。長野市を中心とした北信、松本市の中信、上田市の東信、そして飯田市の南信に分かれるのだそうだ。そして宴会の場はどうやら長野市対松本市の議論になっている。たしかに長野市は県庁所在地で五輪も開催されたが、松本市は本来信濃国の中心地。国宝松本城があり、日本銀行の県内支店は松本市にある。だが、新幹線は長野にあり、松本市にはない。互いに自分の街の良いところ、相手の街のダメなところを酒の勢いに任せて言い合う。

ちょっとやばいなという雰囲気になったところで宴会はお開き。彼らは全員が立ち上がり喧嘩目前のように見えた相手と肩を組んで、県歌「信濃の国」を歌い始めた。これが長い長い。あたりまえである。この歌の歌詞なんと6番まである。驚くことに県内各地の景勝地を満遍なく巡るのである。善光寺はもちろん、御嶽乗鞍駒ヶ岳、犀川千曲川木曽川天竜川、諏訪湖など全部を紹介していく。そりゃ長くなるに決まっている。

そして歌い終わると全員が肩をたたき合いやんや、やんやでお開きだ。同席した東京人はただただ疲れ切るという構図になる。

東京圏の「静岡市」と名古屋圏の「浜松市」
同じ県内でのライバル同士の自治体は枚挙にいとまがない。群馬県の前橋市と高崎市は、浦和と大宮のような関係。やはり前橋高校と高崎高校は、「まえたか」「たかたか」と言って進学成績を競い合う。

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