【毎日】岐阜の名付け親は織田信長ではなかった?! 百年前の美濃守護・土岐成頼肖像画の画賛に「岐阜」 [みの★]
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「岐阜」は信長が付けた地名じゃなかった――。通説に疑問を投げかけるガイドブックを、岐阜市寺町のまちおこしグループ「岐阜てらまちガイド事務局」代表の東海幸(みゆき)さん(30)が発行した。臨済宗妙心寺派・瑞龍寺(ずいりょうじ)の歴史を紹介し、ガイド表紙には「『岐阜』の字、発祥の場所 瑞龍寺」と銘打ち、織田信長の「岐阜改名伝説」より約100年前に「岐阜」の地名が使われていた瑞龍寺の史実に光を当てている。【立松勝】
東海さんは名古屋市出身。2015年春に岐阜市へ移住した。現在、コンサルタントの仕事をしながら、今年2月に火事で焼けて再建中の塔頭(たっちゅう)・瑞雲院の事務局で、寺院と連携して活動している。
…続きはソースで。
https://mainichi.jp/articles/20210713/k00/00m/040/096000c
2021年7月13日 12時33分 >>107
長野県の中でも南信は要らない子扱い
さらに飯田より南の天竜川急流部は陸の秘境だ >>141
信じるなよ
地名と関連する名字は領有宣言として地名にちなんで取り入れられた
伝承で逆になっている場合もなくはないがその領主を顕彰するために後代子孫などが創作した可能性が高い >>147
土岐という地名は別にあるのだから、
岐阜と土岐氏の関係でそれは成り立たない。 最近、レッドよりよくテレビで見掛ける山田裕貴の役名ジョー・ギブケンは岐阜県から >>149
そうだねだから関係ないと言ってるんだけど
2文字ともズバリならともかく1文字だけなら中国起源とか諸説ある
最初の起源はともかく信長によって岐阜が表に出たのは間違いないんだから土岐との関連とか無いよ >>134
おっと失敬、今レスに気が付いた。
関東郡代はねえ、今も埼玉に伊奈町なんてありますけど、
江戸初期の知恵者にして内政家である伊奈氏の世襲で有名ですねえ。
利根川の付け替えなんて一大土木工事をあの時代にできたってのは
今考えても信じがたいミラクルであろうなあ。
で、まあその関東郡代が何故あったかといえば、関八州そこここが
江戸に近いんでね、大藩をおけずに群雄割拠させてたから、
それを糾合する意味もあったんだろうねえ。
それがね美濃飛騨という岐阜県にそれぞれ2つもあったのはどういうことか
これは関東同様、前にスレで言われたように大大名がいないことを意味し、
それは、美濃飛騨の岐阜がいかに幕府にとって重要な土地かってことを
象徴しているわけですな。岐阜のポテンシャルってやつですよ。
や、チミのカキコから様々な知見を得ることが出来た。ありがとう! >>153ワロタ
お前が社会でいかに役立たずのゴミクズだったのかがよくわかるw
>>133では
おっと、レスカムサ。今、貴見の玉稿に気が付いた。
(>>135で俺がツッコんだら↓w)
>>153では
おっと失敬、今レスに気が付いた。
、、、、、結局お前はリアルではゴミクズの自分のチンケなプライドが大事なのな。 >>153
>それは、美濃飛騨の岐阜がいかに幕府にとって重要な土地かってことを
>象徴しているわけですな。岐阜のポテンシャルってやつですよ
そうそう。岐阜県は幕府にとって重要なんですわ。
家康が晩年を過ごして、明治には徳川宗家領になった静岡県、
家康の出身地を含み、御三家筆頭の領地もあった愛知県も、もちろん徳川と縁が深いが、
岐阜県もジミーに徳川とゆかりが深いのです。(´・ω・`) >>23
残念ながら、
岐 = また(山と山の間のちょっと開けた谷間)
阜 = おか(山)
比較的低い山から徐々に山・谷間・山・谷間…と
山々が奥へ広がっていく様、
丁度瀬戸内海の島々の感じの陸バージョン
ちなみに、美濃は、三野
三つの大野からなっている地から 土岐氏の土岐は地名から
地名の土岐は、土岐川から
土岐川は、朱鷺(とき)の舞い降りる川だったから 昔の名の方がカッコいい県
・山梨 → 甲斐
・長野 → 信濃 >>119
三重は、伊勢・志摩・伊賀の三つの旧国が
重なったから…ではなく、
旧県庁所在地の四日市で庁舎付近に
国道1号線の三重橋の三重から 斉藤氏を倒した信長が土岐氏以来の美濃国衆の支持を取り付けるためにその名前をつけた、あるいは以前からあった名前を復活させた
そういうこったろうな >>160
おおっ、岐阜ってそういう意味だったんか。知らんかった。 >>1
東海地方の東海さん…はおいといて、それだけ歴史のある街の駅前にアレはないだろうと思う。 まちおこしグループ「おごるな信長!県名の由来は土岐が知っておるわ! それよりも明智はどこ出身なのさ
明智駅ある辺り化? 岐 = また(山と山の間のちょっと開けた谷間)
阜 = おか(山)
そんな所 日本中いたる所にあるぞ 岐阜だらけになるではないか >>160
後付臭い
土岐氏の府って説の方が説得力ある つまり無名であった岐阜の名を広めたのが信長ってことかな?
産みの親じゃなくて育ての親みたいな感じか。 土岐と中国の岐山をかけて、禅僧が気取った表現をすることがあったんだろうなあ。
社長をCEOというようなもの。
その気取った表現を信長が正式採用したわけか。 これまでは「岐阜というネーミングで信長は自らを周の文王にたとえ天下統一の野望を露にした」なんて説明されていたけど実は「土岐時代からの美称を正式採用し土岐の旧臣たちにアピールしようとした」という目先の人身慰撫策だったのかもしれない。
でも目先の政略と遠大な野望って併存可能だと思うんだよな。
「天下布武」も最近は「当時の天下は近畿地方の意味だった」なんて説が出てきたけど、漢文では天下は全世界の意味だから、当面の目標と遠大な野望と両方の意味を含んでいてもおかしくない。 >>179 まぁ、そのあたりが真相か。(´・ω・`) 岐が、土岐氏の岐からとったなら、
信長はぶちギレるんしゃない?
なんで、ワシの城の名前に土岐氏から一文字もってくるじゃ、って。
信長と土岐氏って、あまり関係なかったよね。
光秀は、まだ信長と関係してなかったし。 >>182
美濃を支配した頃の信長なんて、そんなすごい存在じゃない。
尾張に次ぐ支配国がようやくできたわけで、美濃国人の機嫌を取る必要から、
土岐氏に縁のある地名を採用したと考えてもおかしくはない。 >>182
信長の母親である土田御前は美濃国の可児郡土田(現在の岐阜県可児市土田)出身の土田氏
この土田氏は土豪ではあったが、当時の土岐郡と可児郡は隣接してて姻戚関係があったとされ土岐桔梗の家紋を使ってました 俺がなにかの伝記で読んだのは、お坊さんが岐阜ってどうスか?って提案して、
信長がそれイイじゃん!つって決めたという話だった。 まあスレでも言われているけど岐阜の岐は土岐氏の岐ではあるんだろうねえ。
岐山がどうこうというのはエクスキューズな感じはするね。
公式見解っていうかさあ。だって名前変える必要ないじゃん。稲葉山城ってさ。
信長の野望の、あれはなんだ? 嵐世記か。
ローカルの国人衆が滅茶苦茶強くて、「おまえらが天下取れよ」と
ねらー諸君に言わしめた傑作ゲームがあるけどさ、
戦国武将が他国を武力で侵攻して占領して、何が大切かって
占領した先のローカルの勢力、まあ被支配民だけど、
それを心服させる安定的な占領行政が不可欠なんだよね。
で、あればこそね、信長だって美濃侵略だって、
旧主マムシの道三の娘婿だってそれだけでは弱いんでね。
そういうかつての国主リスペクトみたいな配慮はこれ、必要だろうなあ。
特に「天下布武」なんつって岐阜の山から天下を睥睨しようと思うならさ。
美濃一国おさめられないで、どうして日ノ本一統を望めるかね。
(しかし信長公が岐阜城にのぼったとき、まさか自らの孫の三法師が
のちに「岐阜中納言」と呼ばれて臣下秀吉の家来となったり
格下同盟先の家康公と抗戦してパージされるとか
そんなの、ゆめゆめ思わなかったろうなあwww) >>190
嵐世記で最強なのは、国人衆ではなく、
一向宗の寺社衆を必ず味方にできる本願寺だろ。(´・ω・`) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています