■東京五輪をめぐる“一連の恥”

 NBC系列のCNBCは小林氏のスキャンダルについて「内外で怒りを引き起こしてきた東京組織委員会の一連の恥の中では直近の恥だ」とし、
USA Today紙も「東京組織委員会、そして特に開会式チームにとっては、一連の恥の中では直近の恥だ」と報じている。

 “一連の恥”とは、今回の小林氏の恥はもちろん、その直前に、障害のあるクラスメイトを虐めていたことを昔の記事で告白していたことが判明した、
開会式の作曲担当の小山田圭吾氏が辞任した恥や、3月に東京五輪の開閉会式の演出を統括するクリエイティブディレクターの佐々木宏氏が
人気タレントの渡辺直美さんにブタの仮装をさせるという演出案を出して辞任した恥、そして、2月に森前東京組織委員会会長が「女性は話が長すぎる」という女性蔑視発言をして辞任した恥を指している。

(中略)
■差別=恥を受け流してきた日本

 しかし、東京五輪をめぐるこれらの“一連の恥”が報じられたことで、これまでもしばしば問題視されていた差別問題や人権問題に対する日本の意識の低さが、
あらためて世界に露呈されたと言える。森元会長の発言は女性差別、佐々木氏の発言は容姿差別、小山田氏の行動は障害者差別、小林氏の発言は人種差別に相当する。

 そして、これらの差別は、旧態然とした日本ではこれまで、多かれ少なかれ、国内では目をつぶられてきたようなところがあると思う。
“一連の恥”を生み出した彼らが、東京五輪という世界が注目するイベントで問題が取り沙汰されるまで、その地位に君臨し続けてきたのがその証拠だろう。

 米紙ワシントン・ポスト電子版 (7月22日付)は「ホロコーストをジョークにするという最新スキャンダルをめぐる解任が日本のエリートの正体を暴く、
と批評家」というタイトルで、「男性リーダーたちの正体が暴かれたことは、世界の監視がなければ、あるいは、オリンピックが開かれなければ、
日本社会ではこれらの態度や行動が受け入れられることを露呈している」という人権団体の関係者の声を伝えている。

 また、同紙は、「ここ数年、日本では、彼らがしたようなコメントは受け流されていたかもしれない」と指摘、「副総理の麻生太郎氏は2017年にヒトラーを賞賛し、
その2年後には日本の低い出生率を女性のせいにした。
いずれのケースでも、麻生氏は発言を撤回して続投した」と麻生氏が問題発言をしても撤回して職に留まったことについて言及している。

 2017年8月、麻生氏は「(政治は)結果が大事だ。何百万人殺したヒトラーは、やっぱりいくら動機が正しくても駄目だ」と発言、
同氏は海外メディアから「ヒトラーを賞賛」と批判され、発言を撤回したものの、辞任に追い込まれることはなかった。

 2019年2月には、日本の少子高齢化問題について「子どもを産まなかったほうが問題」と発言して非難を浴びたが、発言を撤回して職に留まった。

 つまり、麻生氏は結局は許された形になったのだ。

■ゼロ・トレランスという意識

 東京五輪であらためて浮き彫りにされた差別という問題。

 アメリカでは、差別に対して“ゼロ・トレランス”が重視されている。トレランスとは容認、寛容といったことを意味する。
トレランス=容認がゼロという“ゼロ・トレランス”とは「絶対に容認しない」という断固とした態度のことだ。
差別はもちろん、暴力や暴言、ハラスメントなどの不公正に対して“ゼロ・トレランス”という意識を持ち、“ゼロ・トレランス”な態度をとることが求められている。

(中略)
■ なぜ、“ゼロ・トレランス”という意識が低いのか?

全文
https://news.yahoo.co.jp/byline/iizukamakiko/20210724-00249406