【旅行】長距離、循環、かつての「国鉄旅」は魅力的だった日本中へ「乗り換えなし」で行けた往年の日々 [七波羅探題★]
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東洋経済8/03 4:30
https://toyokeizai.net/articles/-/441253
■圧倒的な長距離を走る在来線があった
最長距離列車として有名だったのが「富士」と「高千穂」で東京―西鹿児島間を日豊本線経由で結んだ。「富士」は所要時間24時間以上の寝台特急だ。さらに「高千穂」は所要時間31時間以上の座席急行だったので始発から終着まで乗るにはそれ相応の覚悟が必要だった。普通車は冷房がなく、座席は背もたれが直角の4人ボックス席である。
最長距離電車特急は大阪―青森間の「白鳥」で青函連絡船へ乗り継いでさらに札幌あたりまで列車に揺られる人も多かった。「白鳥」には実際に大阪から青森まで向かう乗客も少なくなかったが、始発から終着まで乗る人はまずいないだろうと思われる長距離列車もあった。名古屋―天王寺間の特急「くろしお」、急行「紀州」、大阪―博多間山陰本線経由「まつかぜ」などである。
ルートが事前に知らされないミステリー列車さながらに思いもよらぬルートで運転したのは急行「大社」である。大社とは出雲大社の大社。名古屋―大社間を走るが、名古屋から東海道本線、北陸本線、小浜線、舞鶴線、宮津線、山陰本線、大社線経由というルートだった。
駅を出るとぐるりと1週して同じ駅に戻る循環急行もあった。盛岡発釜石経由盛岡行きは時計回り「そとやま」と反時計回り「五葉」があった。札幌発胆振線経由札幌行きではどちら回りも「いぶり」だった。
普通列車にも上野発一ノ関行きの客車鈍行があり、途中機関車を2回交代して運転した。
長距離鈍行の宝庫といわれたのは山陰本線で、たとえば京都発で最も長い距離を走る列車は島根県の浜田行きであった。最長距離鈍行は門司を5時台に出発して福知山に23時台に到着する列車だった。いずれも手動ドアが開きっぱなしの客車を機関車が引いた。
これらの列車は多様な需要を1本にまとめた列車ではあるが、さまざまな区間で特急券などが1枚ですむほか、鉄道ファンにとっては乗ること自体が大いなる旅だったのである。
■稚内から西鹿児島まで走っていた夜行列車
新幹線が博多に達しても、夜行需要は残り、東京発九州行きの寝台列車は数多く運転された。食堂車も連結され、翌朝、食堂車営業開始のアナウンスで目覚める寝台車の旅は至福の時間であった。
その頃は空路がまだ一般的ではなく、出張客にも寝台特急は人気で、時間を節約したい人は新大阪、姫路、岡山あたりまで新幹線を利用し、そこから九州行きの寝台特急に乗り継ぐ需要も高かった。特急券が2枚必要だが乗り継ぎ割引があった。
主要な路線には夜行列車があるのが当たり前で、当時の流行歌の歌詞にも夜行列車は数多く登場する。道内、四国内、九州内の夜行列車もあり、札幌から稚内、網走、釧路、函館行き、四国でも高松から宇和島、中村行き、九州では門司港から西鹿児島行きが熊本経由と大分経由の2本、更に長崎・佐世保行きもあった。
現在は多くのルートが夜行高速バスにとって代わったが、四国内など夜行バスの運転がない区間にも夜行需要があったのだ。米子―広島間は木次線、芸備線経由の夜行急行「ちどり」があり、現在となっては廃止まで取り沙汰されているような閑散路線を深夜に急行列車が走っていたのである。現在はこの間を高速バスが行きかうが、かといって夜行バスは運転されておらず、移動時間帯の趣向が変わったことを感じる。
庶民的な急行列車はローカル線にもきめ細かく乗り入れていた。上野発には水戸線、水郡線、日光線、両毛線、磐越西線、新宿発には小海線、飯田線、東海道本線にも御殿場線へ直通する急行列車があった。現在は線区ごとの運転で、線路が繋がっているメリットが活かされていないのが残念である。
私鉄へ乗り入れる急行も多く、名古屋や大阪からは富山地方鉄道へ、博多からは島原鉄道へ、上野からは長野電鉄へ乗り入れる急行があり、上野発湯田中行き「志賀」には夜行もあった。現在は長野電鉄の屋代―須坂間は廃止になってしまったがこの区間を深夜に列車が往来していたのである。臨時列車ながら上野から鹿島臨海鉄道や茨城交通へ乗り入れる海水浴列車もあり、レジャーに鉄道がよく利用されていたと感じる。現在は乗り入れどころか、つながっていた線路を撤去している。
■さまざまな列車が連結
東北地方では、網の目のようなネットワークを駆使した急行列車が数多く運転された。その一例を紹介しよう。仙台発の秋田行き「たざわ」、宮古行き「陸中」、盛行き「むろね」は気動車急行で、連結して出発、一ノ関で「むろね」を切り離し花巻で「陸中」を切り離し「たざわ」は田沢湖線経由で秋田へ向かう。
(一部略) 日本は資本主義国家、赤字路線はどんどん廃線にすべきだろ。 北海道に住んでた頃は青森まで行って北海道ワイド周遊券買ってたなあ うわあ、51の俺でもついていけない話題
でも伸びるだろう ウクライナとか安価な長距離寝台の天国みたいな国だし
フランスの SNCF も今年の春から安価な寝台を大量復活させてるんだけど
狙いはどちらも車への対抗手段なんだよね、高速鉄道で飛行機に対抗して、安価寝台で車に対抗
ジャップランド・レールウェイも参考にしたらいいんじゃね? >>2
うろ覚えだけど大阪発は電車で運転してたと思うが またトワイライトエクスプレス乗りたいなあ
今ならYouTuberが買い占めるんだろうなあ >>10
「いい日旅立ち」のヒット時に大学生とかだな カネも時間もない貧民は飛行機で旅行するようになったんで
(´・ω・`) 乗り換えなしは考え物で
3時間から4時間の間に休憩を取るのが最もよろしい >>6
今は国民が捨てられつつある
アベスガ一味のせいで 上野公園で第2回内国勧業博覧会が催されたときは、上野公園の中に電車が走ってたんだよな
懐かしいな
あれから130年以上もたつのか であるから、東京博多の直通はよろしくないね
リニアが開通したら名古屋博多に短縮した方がよい
東京からの最長は福山まででいいかな 東京ー西鹿児島の高千穂は途中から路線が違う桜島も連結していたよな
学生のときに周遊券で乗ってみたかったけど、想像しただけでキツそうで結局乗らなかった >>11
当時は他に移動手段がなかったんだよ
目的地まで空路で1時間
だけど日に1往復だけです、運賃10万円です、予約が少ないと欠航します
四輪でも単車でも高速がないので下道をうろうろ走って数十時間かかります
当時は「自動車は贅沢品」だった
そりゃ列車移動選ぶだろうね >>21
何言ってんだ共産党員
日本はオリンピックやっていない欧米より、はるかに感染者が少ない 鉄道のことは知らんけど、旅情が掻き立てられる良い記事だな。
現代はせっかちすぎる。
昭和50年代くらいののんびり感覚が人間にベストなんじゃないかと懐古厨になるね。 このスレ伸びるんだろうけど、電車好きって頭イカれてるよな。 紀元前3000年頃のシュメールで車輪がうまれ紀元前2500年頃にロバ動力の機関車が生まれたんだよな
あの頃は平和だった 昔の北海道の鉄道路線を見ると至るところに走っており、賑やかだった。
(オホーツク横断鉄道や襟裳経由の路線は実現できなかったが)
今の路線図は寂しすぎるな。 >>28
ノンビリ?
かなり殺伐としてたが
今の世代にあんなのを押し付けるのは辞めたんだよ
懐古よりどうしたら今より良くなるか、よく出来るか、だよ だからさ〜
長距離割引つきの普通運賃だけで乗れる長距離快速を導入しろって。
車両は旧型や近郊車でじゅうぶん。
GoTo止めて、大阪〜東京3000円の昼間新快速に補助金出せばいい。 新宮へ行く釣り人列車は振り子システムな乗り心地からゲロ潮って呼ばれてたぞ。 >>26
アカに言うだけ無駄。脳味噌がバラ色だから(о´∀`о) 還暦だから乗れる機会はあったのだろう
だがあの旧国鉄のお粗末で横柄な態度の職員たち
古くて汚い車輌、垂直背もたれの途上国仕様の劣悪な座席
臭う汚いトイレ・・・
むろん早々に見切りを付けてクルマや飛行機に切り替えた
ほんとぞっとする世界で二度と見たくないな 上野―奥羽線経由青森行きの夜行座席急行「津軽」は
上野駅で乗車したときから
通路に新聞紙しいて酒盛りが始まってた 東京ー大阪間の急行銀河は凄い便利だったんだけどな。
酒飲んで寝る事出来たし、復活してほしい。 昔は日本海側の東北人は
乗り換え無しの夜行列車で関西に行けたんだよ。 >>28
高校生にカツアゲされたりドスで脅されたり電車は奴らの縄張りだったぞ >>36
「湘南新宿ライン 快速 下関行き」とか?
高崎を出て、小田原、熱海に止まって、次は岡山 鉄ちゃんの気持ちが理解できない。とにかく単調。汽車旅と言えばガタンゴトンゴトンのリズムに合わせてひたすら眠るイメージしかない。 ストライキがあったのは労働組合が強かったの?
ストライキにあたったら、他路線、バス、タクシーやら駆使して会社行ってたの? 国鉄じゃなくても少なくとも10年くらい前の鉄道旅行は楽しかったぞ。
今はもう最近は廃止路線多いし楽しめないだろうな。 東京へ行くのは夜行列車
夜が明けるのは埼玉
なつかしいな わし青函連絡船(18キップで)に乗った事有るで
一週間バイトしたら日本一周出来た時代や 非効率の極みで莫大な赤字抱えた国鉄しか出来ない編成よな 20年ほど前大学の鉄道研究会で
北海道とか九州まで
ブルートレイン乗りまくったのにな
もうなんにも残ってないのが寂しい >>48
景色に飽きたらガタンゴトンを子守唄にうたた寝するのも楽しいんだよねぇ >>48
普通の人はそうだよ
長時間窮屈な思いをするのが鉄道旅行
俺もそれが嫌で鉄道使う旅行は避けてる 教えてあげるね
タバコの吸い殻を空き缶に入れて、
水を入れる。すると、
毒薬化。
在日に忍ばせて飲ませてあげましょう!! 20年前京都から九州や北海道まで
ブルートレイン出いけた事が嘘みたい ガラガラだから、ボックスシートのシートを片側持ち上げ、空き缶(鉄製?)挟んで寝ると、首が痛く無く、良く寝れたな。
八甲田、十和田、妙高、越前良く乗った。ワクワク感が堪らなかった。
スマホも無いから、ゆっくり外の景色楽しむか、寝るか、駅弁食うか、の世界。確か台車の近くは良く跳ねた記憶が。 飛行機も長距離バスも安く乗れる時代なのに
JRだけ営業キロ比例でいくらとか役所みたいなシステムなんだから競争力だせるわけないやんと思ってしまう
詳しい人そこんとこどうなの? でも駅も車内も便所とかもメチャクチャ汚かったよなぁ
夏場なんか意識失いそうなニオイやったで、国鉄時代はw 道路は税金で敷設維持補修されるのに、線路は自前だもんな 懐かしいな。
日本海側生まれだから白鳥で大阪まで行ったよ。
大阪から寝台特急日本海で帰って来たり、東京からあけぼので来たりね。
もっとガキの頃は東京まで4ボックスの普通電車夜行で行った時もある。
座席には灰皿があってガンガン喫煙出来た良い時代だった。
駅員や乗務員の横柄な態度も好きだったよ。 30年前に18切符で東京から富山行ったな
東海道から飯田線だったっけかな。覚えていない
時刻表が読めるやつが一人しかいなくて尊敬されてた 友達の親が国鉄で、大阪駅で切符改札やってた
民営化と改札自動化に伴い、切符切りが大勢リストラ対象になった
職を失った友達の親は労働組合で大暴れして
ストレスでアル中になって死んでしもうた 鉄道の旅にロマンがあった時代だな。
谷村新司の浪漫鉄道を聴くかな。 >>49
ストの日程は分かってるからそれに合わせて始発に乗る
アホみたいでしょ
国鉄の実態は>>40さんの通り
首都圏国電暴動があったおかげで、国鉄解体の論調が一気に強まった
JRになって空気輸送と赤字路線はだいぶ切り捨ててくれたし、少なくとも接客や案内は比較にならない程度には良くなった >>1
今や、定期夜行寝台列車は「サンライズ出雲・瀬戸」だけだもんな・・・
たった4ヶ月で全世界から632万再生と称賛のコメント「サンライズ出雲・瀬戸」
Riding the Sleeper Train in Japan on a Heavy Snow Day (Tokyo→Izumo-shi)
https://youtu.be/KG53Pr3pFg4
.
夜行の客車(ブルートレイン)に乗ってハイケンスのチャイムはもう聞けないんだよなあれ最高なのによ
あと気動車特急のアルプスの牧場
あの止まりそうな感じがまた良い
北海道の183で聞けたが今はもう流れんな 根室から函館まで 急行ニセコ2号 乗り換えなしで根室から函館まで行ったことありますよ >>71
そうそう、国鉄時代は本当に汚かった。
それも悪くはなかったw >>70
飛行機や長距離バスは儲かるところだけに路線開設して
採算取れなかったら簡単に廃止・休止ができるけど
鉄道はそうはいかない 1000年以上の歴史がある日本の機関車
歴史が途絶えるのは悲しいなぁ はぁ?
国鉄時代の名古屋の東海道線なんて
一時間に快速一本、普通一本しかない
糞ダイヤ
今のJRの方が一万倍マシだわ(´・ω・`) なつかしい
大阪から秋田まで行ったことあるな
海沿いの景色が印象深かった
今思えば新潟あたりなんだろうか?
逆に秋田から寝台特急で大阪に戻った時、夜中に景色を眺めていたら5月下旬なのに雪が積もっている地域があって驚いた
あれは一体どこだったのだろう
幻想的な思い出だ 深夜寝台車が駅を通過する時に鳴らす警笛の音色が大好きだった 鉄道は、乗り換えが少ない、運賃は年間通じて安くあるべき
が、新幹線を作りすぎて、在来線が切れ切れになり、運賃も上がって
その割に航空機には勝てなくて、北海道新幹線も九州新幹線も高くて
乗るのはJRパス利用の外人ばかり ガッツリ路線調べて時刻表通りに移動するだけの鉄道系YouTuberには何のロマンも感じない >>14
地方では国鉄(私鉄に対する)のこと、東京では旅行に行く列車のことを汽車と呼んた。 わいも相当な乗り鉄やったが
こんなの老害のノスタルジーでしかないわ
駅なんて便所歯磨き煙草の匂いがミックスした糞現場や
まあかつてはそれも良かったんだがなw 夜上野駅行って どの列車に乗って 青森まで行こうという選択する楽しみがあった
八甲田十和田津軽あと何だったかな でも私は津軽が好みで 早く着く八甲田なんかは乗らない派だったな 整備新幹線で並行在来線は3セク化してブツ切り状態だもんな
それでも乗り換えがスムーズならまだいいけどさあ... >>49
そりゃ親方日の丸だからクビにはならんからな。
JRになるときにめでたく清算事業団送りになったけど。 全部読んだが、ただのジジイの「昔はよかった」話だった
国鉄が凄かったのは採算無視と顧客無視だったからなあ
その結果の列車たちが爺さんは懐かしいだけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています