訃報 漫画家 サトウサンペイさん死去 朝日新聞連載のフジ三太郎で親しまれる [雑用縞工作★]
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朝日新聞に26年以上にわたって連載した漫画「フジ三太郎」で広く親しまれた漫画家のサトウサンペイ(さとう・さんぺい、本名・佐藤幸一=さとう・ゆきかず)さんが、7月31日、誤嚥(ごえん)性肺炎で死去した。91歳だった。葬儀は近親者で営んだ。
朝日新聞デジタル 2121年8月6日 5:00
https://www.asahi.com/articles/ASP857JNSP85UCLV00N.html >>15
毎日ネタを考えるのはアイデア無いときもあるだろうし、それなりに大変なのでは?
あと、そんなに報酬は良くないだろ。 >>36
ウチの親父も誤嚥性肺炎であの世逝きでしたわ…。 まだ朝日新聞が良識ある新聞だった時代のお話
その後団塊パヨクが仕切りだしておかしくなっていく 地味に昭和を象徴する漫画だった。
一方、派手な昭和漫画と言えば気まぐれコンセプトだった。 >>109
>まだ朝日新聞が良識ある新聞だった時代のお話
そんな時期ないだろw 戦前は売国新聞、戦争を煽って戰時中には兵器製造
戦後は慰安婦とか南京大虐殺とか捏造して…… 運動会ネタで、幼稚園の運動会はお母さん方が若くてお父さんたちウハウハ。中学校は女子生徒にウハウハ。小学校はげんなりってのが忘れられん 運動会を楽しむ三太郎の4コマが良かったけど探しても出てこない
幼稚園では若いママを眺めて
中学校では娘のブルマ姿を堪能
最後が小学校のコマで見る物が無くて退屈してるやつ
今では絶対無理なやつ多かったな >>88
ジャネット・リンの大股開きの頃はまだ
生まれてなかったのか >>120
山梨の富士急行に行けば
フジさん太郎の絵がある
列車が走ってる 毎日4コマ漫画読んで、日曜版にもまた別の漫画載ってて楽しかった
あの日に帰りたい よく見たら顔から目玉がはみ出してるんだな
マンガだから深く考えなかったけど サトウサンペイ著パソコンパの字からでパソコン覚えた。名著 朝日は一時期、朝刊サザエさん、夕刊フジ三太郎だった
あの頃が朝日の漫画欄の全盛期だったな 4コマくだらん
1ページ漫画にすれば部数増えるよw 既に亡くなってた認識だった
園山俊二と混同してたかな…
新聞4コマでは一番好きだった
合掌 ずっと昔に知っていたから、正直ご存命だったことに驚いたが91歳でしたか
ご冥福をお祈りします >>56
ネタは置いとくとしてw
簡潔な線描で世代を表現してるのは面白い すこしエッチな作風がとてもよかったです。
スケベなこと、これからの時代も大切にして
いきたいですね。 >>56
関係ないけど、前にテレビで見た4世代同居の家は、ひ孫が「おじいちゃん!」って言って、
曽祖父と仲睦まじそうにしているのを、祖父が複雑な眼差しで見ているってのを思い出したw 満員電車で、海外旅行帰りでスーツケースが邪魔でうるさい家族連れに
「空港へ 車で行けぬ 小金持ち」などと俳句で皮肉言いまくる話だけ覚えてる ドタンバのマナーで学んだことが役立ってます
スカタンCCでWW2後の庶民の優しさ逞しさを知りました
ありがとうございました
合掌 ペエスケにくらべて
ほんと、フジ三太郎のつまらなかったこと・・・ >>111
1970年代のインテリ家庭は朝日新聞だった
受験対策として天声人語を読むよう指導
そこからの出題も多かった
あれが英知の結集と言われてたからね >>142
先日読んだコラムで、ほうれい線の描写に関する
漫画の考察が面白かったな
人物の年代に関わらず自画像にはほうれい線を描くと
違和感が生まれ、ある人物から見た上の世代、
つまり親などを示す記号として機能しているとかなんとかって フジ三太郎に比べて
ペエスケとか 植田まさしとか ダメだったわ。
いしいひさいちですら、新聞では あのクソつまんねえ漫画書いてた人か。
ホントにつまんねえけど毎日書けるのも才能のうちなんだね。 >>150
インテリが朝日新聞って、その時代の東大が学生運動真っ盛りのをお忘れなくw おお!
朝日のスレなのに悪口がほとんど無くて泣きそうw
俺も実家が朝日取ってたからこれは小学生当時の思い出の漫画
近所のS君ちも朝日でS君もこの漫画愛読してたから毎朝、登校班で歩きながら感想を言い合ったりしてた >>155
1970年代以降に
特筆すべき知識人は輩出されていない
とかいう話を聞いた >>150
結局教育界の権威(当時)もキチガイサヨばっかりだったってバレたのが今の時代 一番好きだったのは
三太郎の奥さんが外出しようとすると雪が降ってて外出をやめ、こたつでお菓子ばっかり食ってたら太ってドアを抜けられなるというストーリーで、ト書きが
1.出ようとすると雪だった
2.ついついおこたで丸くなる
3.ついつい手が出るデンプン質
4.春にはドアを広げましょ
当時大笑いした記憶がある >>155
>>160
だからその団塊世代が社内で幅を利かせるようになった1980年代以降
なんか朝日新聞がおかしいという声が聞こえ始め、朝日の価値がどんどん下がって行ったんだよ
結果インテリ層の朝日離れが起きる 子供の頃好きで切り抜き作ったりしたな
今の感覚で見るとセクハラや男女差別とかのネタが前時代的なんだよな
吉行淳之介とかのエッセイでも思うけど、昭和の時代のユーモアが
今では通用しなくなっている。時代が変わったんだな
昭和は遠くなりにけりだわ すまない 東海林さだおのさらりーまん専科とごっちゃになる ご冥福を ちょっとダメな感じのサラリーマンで、なんとなく親近感あったな >>168
別にストーリィ漫画の人がどうってわけじゃないけど、4コマ漫画の人って気さくな人多いよね
東海林さだおもかなり気さくだし、植田まさしに到ってはプリントゴッコに使うから、
コボちゃん書いてってファンから送られてきたものにちゃんと描いて返したりとかw 毎日描いてたわけじゃないだろ
たまに30本ストック作れば1ヶ月遊べる 東海林さだおみたいに同じネタばかり書いてれば
なんの苦労もないから長生きできるんだよね >>169
おまえそれやくみつるの前でも言えんの? >>172
やくは変態なのと思想がおかしいけど、人間的にはそこまでひどくないだろ >>174
変態で思想がおかしかったら人間的に十分おかしいだろ >>175
変態で、自分と思想が違うからってだけでおかしいって叩くほうが人間的にはどうかしてる
それとも、性癖も思想もないの? フジ三太郎
一発で変換できるのかよ、おそaquos
ぺエスケの作者も亡くなってたな
R.I.P. >>149
評価逆じゃないかなぁ。
んで三太郎の後継のののちゃんはまぁマシなんだけど、
ペエスケの後継のMr.ボオの方がひきつけ起こすくらいつまらなかった 遊園地
ジェットコースターで「キャー」とはしゃぐ三太郎の子供
⬇
手を出して金をねだる子供に笑顔で金を渡す三太郎
⬇
コーヒーカッブで「キャー」とはしゃぐ三太郎の子供
⬇
手を出して金をねだる子供に「キャー」と怯える三太郎
東京ディズニーランド開園
乗り物に乗るたびに金が飛んでいく絵
⬇
東京ディズニーランドに行きたいとねだる三太郎の子供
⬇
三太郎母「ああ、今度オープンした東京デゼニーランドかい」
その後にパソコンゲームで「デゼニランド」というアドベンチャーゲームがハドソンから発売された >>11
そそ、リーマンは気楽な家業ときたもんだとか適当に仕事やって万年窓際族で給料泥棒といわれた老害は憎まれっ子世に憚るで無駄生きして老害になってる >>72
異が悪いのにスルメばっかかじって胃がんになったんだよな >>68
今の時代だとアウトだろうなw
すげー笑えるけど ドタンバのマナーで、足を組む人はSEXが弱い、ってやつが当時思春期の俺に強烈な印象を残した。 >>1
あー〜、、、
お疲れ様でしたぁ(´・ω・`) >>122
女性は誤嚥性肺炎が少ない
喋り倒すから喉の筋肉が鍛えられている ここまで誰も書いてないが
「ベータマックスはなくなるの?」の広告に起用されたことも
思い出してあげて下さい >>95
さすが
よく覚えてるねw
そこまでは覚えてなかった >>114
そうそう
そんな感じの微エロなネタが多かった とっくにお亡くなりになっていたかと
今なら余裕でセクハラになるエッチで昭和テイスト満載な作品が好きでしたなぁ
合掌(-人-) 課長がやたらクズだった記憶
ってそれはあさって君か ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています