「いやー、やっぱチョロいっスね、日本人は」 「メダルラッシュでガラッとムード変わりましたもんね」
「命を軽視するなとかヒステリックに怒ってたのはなんだったの?」

 …なんてナメきった会話が、IOC幹部たちの間で交わされているのではないか。ある「予言」が、見事に的中しているからだ。
 というのも、五輪の中止・延期を望む意見が国民の半数以上を占めていた今年4月、IOCのコーツ副会長は「日本の選手が活躍すれば国内の世論は変わる」と自信満々で言ってのけた。まさにその通りになった。

ご存じのように、連日のメダルラッシュで日本中が祝賀ムードに包まれている。もちろん、「俺は五輪など見ていない、まわりもシラけてるぞ!」という方もたくさんいらっしゃるだろうが、少なくとも1、2カ前まであった「アンチ五輪」の勢いは目に見えてトーンダウンしている。
むしろ、「アンチ五輪」を叩くムードが強まっている。五輪反対を掲げた人がメダリストにお祝いを述べると「ここまで反対していたくせに、メダルを喜ぶな!」と袋叩きにあう。開催前までは、「五輪強行派」に対し、「命を軽視しているのか」なんていうバッシングが寄せられていたのに、その構図が「メダルラッシュ」によって完全に「攻守逆転」した形である。

まさしく「コーツの予言」通りに世論がガラリと変わったのだ。
コーツ氏といえば5月に、緊急事態宣言下でも五輪は可能だと発言して「何様だ」「日本人をナメている」と叩かれたが、実は日本人の国民性をよく理解した「慧眼」の持ち主だったというわけである。

■筆者はマスコミの果たした役割が大きいと思っている。

忘れている人も多いだろうが、ちょっと前までマスコミの多くは五輪開催に反対していた。日本を代表する一流ジャーナリズム機関「朝日新聞」は社説で「夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」(5月26日)と表明し、ワイドショーでも、立派な専門家・評論家の皆さんが「こんな時期に五輪なんて国民の命を犠牲している」と唇を震わせて怒っていた。
しかし、今どうなったかというと、人が変わったように五輪をエンジョイしている。朝から晩まで、誰が何色のメダル獲得したと号外ニュースを連発し、ワイドショーでも「他にニュースはないの?」と思うほど「メダリスト歓喜の瞬間」をエンドレスリピート。コメンテーターも「感動をありがとう」「勇気をもらいました」と大ハシャギしている。

■「五輪には反対だが、アスリートは応援しています」的なことさえ言っておけば、すべてチャラになるということなのだろうが、ハタから見ていると、「もしかしてサイコパス?」と心配してしまうほどのキャラ変だ。

このようなマスコミの劇的な変化が、劇的な世論の変化につながったのではないか。というのも、実は、前回の東京五輪の「前科」があるからだ。
よくマスコミは「1964年の東京五輪も直前まで世論は盛り上がっていなかった」みたいなことを言っているが、これは正確ではない。「直前になってマスコミが手のひら返しで盛り上げた」のである。

1964年の東京五輪前、マスコミはかなり否定的な論調だった。それが本番が近づくにつれて徐々に五輪肯定ムードを醸し出し、開催したらしたでメダルラッシュで一気にお祭り騒ぎをしたのである。今回も程度は違えど、同じプロセスを踏襲している。

■では、なぜマスコミは五輪報道でこのような「手のひら返し」ばかりをするのかというと「メダルラッシュを盛り上げた方が新聞もよく売れるし、テレビの視聴者も増える」からだ。つまりは「商売」のためである。

マスコミは五輪開催を境に「コロナの恐怖を煽る」という従来のスタイルをあっさりと手放し、「メダルラッシュを煽る」という方向へ「手のひら返し」をした。こっちの方向がはるかにビジネス的に美味しいからだ。

もっともわかりやすいのは、「戦争報道」だ。実は満州事変の以前、日本の新聞の中には、軍備を縮小すべきとか、軍に権力が集中するのは如何なものか、などと割とまともなことを主張していた人々もそれなりにいた。しかし、戦争が始まるとその大半が「手のひら返し」をした。敵陣に爆弾を抱いて玉砕するような「愛国戦士」をヒーロー視して、「感動をありがとう!」と大ハシャギを始めたのだ。
この豹変ぶりを指摘すると、マスコミは「軍部に脅されて仕方なく」と被害者ヅラをするのがお約束だが、それはいわゆる「歴史の改ざん」ではないか。当時のマスコミが置かれている環境を客観的に分析すれば、彼らが戦争を煽ったのは、軍の強制などではなく、「商売」のためであることは明白だからだ。
一部引用
https://diamond.jp/articles/-/277978
https://diamond.jp/articles/-/277978?page=2
https://diamond.jp/articles/-/277978?page=3