【仏教】霊魂は存在する? 肯定派「真言宗」「天台宗」「日蓮宗」 言及しない/否定派「浄土宗」「浄土真宗」「臨済宗」「曹洞宗」 ★8 [樽悶★]
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■「霊魂の存在の認めているか?」7つの宗教法人の公式見解
【高野山真言宗】
霊魂の存在を認める。「阿字の子が 阿字の故郷立ち出でて 叉立ち帰る阿字の故郷」と言うご詠歌があるように、阿字は全ての生命の根源であります大日如来を表し、人間は大日如来から命を与えられてこの世に生まれ、肉体の滅びる後は再び大日如来の内に帰還すると教えられている。
【天台宗】
日本仏教は日本人の霊魂観の上に成立し、それを継承することで日本民族に受け入れられてきた。死者儀礼に関与できたことも霊魂の存在を信じることなしでは成り立たない。一部に釈尊が霊魂の実在に対して否定的であった説を持ち出して、「本来の仏教は生きた人間を対象とする考えや救い」とする方もいるが、日本仏教はインド仏教と多くの点で異なっていることは勿論のこと、霊魂の存在を否定すれば仏教は単なる哲学や道徳律となって、宗教ではなくなってしまう。
【日蓮宗】
認めている。一例として、宗祖日蓮聖人が女性の信徒に宛てた手紙(息子に先立たれ、四十九日の供養の品を送ってきた事への返礼)には、死出の旅路の息子、霊山(りょうぜん)浄土にいる夫(故人)と現世の婦人が離ればなれになっていることへの哀れを思いやり、婦人も命終(みょうじゅう)の後には同じ霊山浄土で会えるように唱題(南無妙法蓮華経のお題目を唱えること)を勧めている。
【浄土宗】
浄士宗の教えは「阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、『南無阿弥陀仏』とみ名を称えて、人格を高め社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、お浄土に生まれることを願う信仰」だ。この教旨からいえば、直接的に「霊魂」に関する話題に触れることはない。教義の上では「霊魂」を取り扱うことはないが、葬儀・中陰といった社会習俗と密接にかかわる事項の面においては、世の中で一般的に理解されているような霊魂観を許容しているということになる。
【真宗大谷派】
親鸞聖人は、龍樹菩薩に拠りつつ、「ことごとく能く有無の見を摧破せん」(『正信偈』)あるいは「有無をはなる」(『浄土和讃』)と、存在や死後が存在するか、しないかのどちらかにとらわれる見解を離れることを教えている。このことから考えると、自分や身近な人の死を怖れ、その死後を思うことは、とても自然なことだが、そのような私たちに向けて、「霊魂」や死後の存在の有無に対するとらわれから離れることを教えてくださっている。
【臨済宗妙心寺派】
臨済宗妙心寺派としては「断見(人の命はこの世限りのもので、死後は無になってしまうという考え方)」「常見(死後、肉体が滅びても霊魂は残り続けるという断見とは正反対の考え方)」のいずれも非仏説観点から、いわゆる「霊魂」の存在を積極的に認めていない。しかし、「人は死んだら終わり」と考えているわけではない。「霊魂」とは違う禅的な表現ですることはある。それが何かと問われればそれぞれに様々な表現があり、なかなか一つにまとめるのは難しい。「霊魂観」については今後も続く課題と受け止め、じっくりと教学的にも研究、議論を重ねていきたいと思っている。
【曹洞宗】
曹洞宗宗制において、積極的、直接的に「霊魂」の存在に言及はしない。ただし、葬送儀礼の中で戒を授ける対象を「霊位」、仏戒を受け諸仏の位に入った者を「覚霊」と位置付けたり、有縁無縁の先亡を「萬霊」とし、儀礼、供養において「霊魂」を対象にしている。曹洞宗が地方に展開する中で、僧侶は当時の民衆の要望に応える形で葬送をつとめていった。素朴な思い(亡くなった家族のみ霊を供養し、死後の安楽を願う思い)を、禅僧のもつ力でもって供養していった歴史の積み重ねが現代まで続いていることを強く受け止めねばならないだろう。教義には説かれない、民俗との複合の上に、葬送・供養が存在するのであり、「霊魂」もそうした民俗由来のものといえよう。
以上のように、同じ仏教でも宗派によって霊魂観は大きく異なることがお分かりだろう。
■霊魂を認める派認めない派の「言い分」(各宗派の霊魂観をチャート)
浄土宗の場合は宗門として霊魂の存在を明確には認めていない。臨済宗や曹洞宗などの禅宗系も、浄土宗のスタンスと似ている。それでも浄土宗の場合はまだ、霊魂の捉え方に関して寛容なほうだ。
浄土真宗に至っては、霊魂そのものの存在を否定している。
他方、真言宗や天台宗、日蓮宗は明確に霊魂の存在を認めている。それらの宗派に属する僧侶は躊躇なく、鎮魂、除霊、加持祈祷といった作法を行う。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210813-00048783-president-soci
2021/08/17(火) 21:52:04.12
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1629343195/ ブッダ 「呪文やめろや、俺の骨を拝むな、俺の教えで悟れや、宗教法人非課税やめや」 もし霊魂が存在してたら即座に祟りを受けるようなことばかりやってる俺が今でも生きてるんだから、やっぱ霊魂は存在してないんだろうな 昔から2ちゃんの不思議の1つがこういう霊魂だの死後の世界だの
オカルト的な話題にすごい食いつくとこだよな 霊魂は存在しないし、あの世もない
天国や地獄なんて テーマパークはありえないんだよ 仏教でいうところの阿頼耶識とは前意識的な中枢神経系による身体のモニタリングの事であり
阿頼耶識をとおして身体状況に変化をもたらした対象を感知する知覚処理こそが仏教でいうところの末那識にあたる。
末那識は阿頼耶識から感知される同一の身体を常に「私」であると感じており、
これは例えば眠って意識が失くなっても継続的に維持されている為、寝たら「私」ではなくなるなどということにはならない。
よく散見される誤謬として記憶を「私」の基盤と考える向きがあるが、
「私」とは記憶ではなく仏教でいうところの末那識において意識下無意識下に関わらず一貫して維持される。
いわゆる霊魂(だと思われているもの)とは「私」感を伴う意識であり、仏教でいうところの末那識なのだが
これは肉体に依存して発生しており、肉体が機能停止し成立しなくなれば途絶え失われる。
だが霊魂ではなく霊痕ならば遺るだろう。ヒトが世界に作用した痕跡というレコードこそが涅槃の到達点だろうか。
尚、現在の脳科学でいうならば、阿頼耶識は原自己、末那識は中核意識という言葉に置き替えられるが、
この仕組みを1700年前に詳らかにしていたという先進性にインド人にビックリである。 宗派の違いが言えるかどうかで
中学受験してるかどうかがわかる いたっていいわ
騒いだり殴ってきたり財布から金とったり勝手に冷蔵庫のもん食ったりするわけじゃなく
たまーに申し訳なさそうに写真の隅に写るくらいなら許す
ただし黙って俺の部屋にすむならコーヒー入れたり風呂わかしたりくらいはしてほしい
最低でも「電気つけて」くらいはやらせる と言うかあの世信じてる奴って人の言葉ばっかり借りてるよね
誰々がこう言いました
そういう人には誰々がこう言ってます
はっきりと自分の論理で人の言葉を借りず あの世があるって説明してみせろよ ちなみに仏教を産み出す母体となったヒンドゥー教では霊魂は死んだ次の瞬間には別の生き物に生まれ変わるから脱け殻である遺体にも遺骨にも価値は無いから墓も造らない 浄土系と禅宗系がまともかな。
まあ、おれは無宗派だけど。 霊魂を見たいとは思わない(気が弱いので怖い)があると信じています。
こんなところかなあw >>21
ヤッター5chではじめて「まともな人間」に分類されたよ 南無阿弥陀仏!!
これで今、死んでも極楽浄土行き決定!w 死んだら死体をゴミとして扱って欲しい
死体回収は水曜と土曜です、所定の死体袋に入れて朝8時までに出してください、みたいな感じで >>10
じゃあ何で肝試しなんかでビビってるの?
ちょっとウィンチェスターミステリーハウスに行ってきなよ ふと思ったがそういうのが存在するとしたらコロナで死んだ霊魂が感染源になって霊界クラスターになるはずなんだけど
どうなんだろうか? まぁあったとしてもSIMカード的なもんだろ
CPUもメモリも無いから何も考えられんし記録もできん >>19
日本の平安時代も死体は野ざらしが基本で貴族ですら墓を作らなかった >>29
行ってやるよ
でも今 コロナ禍なので これが済んだらね コロナの無い世界に行きたい、コロナ大嫌い、もっとも皆が真面目に社会や自然の研究や勉強をしてる世界に行きたい、周り中ゲームばかりやってる世界が嫌い 「わからない」が答えだろ
この手の問いに断定で答える奴はまず疑って距離をとったほうがいい >>35
坊さんとか 牧師さんとか そのあたりの人たちは本気で全部信じてんのかな
家が寺だから 商売上をみたいな形で やってるだけの人って結構いると思うんだけど 詠歌という言葉が出てくるのは極めて珍しい
詠歌のWikipediaすら無いし
ここらでは詠歌あげるのに 坊さんが「夜は墓場で運動会、なんて歌もありますが、妖怪はともかく幽霊は墓場には出ません。
お墓の中の仏さんは供養されて成仏してるんで。一番幽霊が出ない場所です」
だってさ >>5
祟りには執行猶予があるらしいぞ
何もないうちに悔い改めれば大丈夫だけど
積りに積もって大病になったりとかあるのかも知れない でも>>1にある 「阿字の子が 阿字の故郷立ち出でて 叉立ち帰る阿字の故郷」とかいうのは知らんわ
知ってるのは普通に西国三十何ヶ所詠歌だし
てか 「阿字の子が 阿字の故郷立ち出でて 叉立ち帰る阿字の故郷」でググったらFacebookに投稿された動画で坊さんがやたらエエ声で歌唱しててワロタわww 目撃(視覚で認知)した事はないんだが不思議と言うか不気味な怪異に遭遇したことある
とある田舎のお堂で雨宿りしてたんだが、そこで祀られてる(?)仏壇のリンと言うの?
あのお椀みたいな形しててチ〜ンと鳴らす奴
あれが俺以外誰もいないし風が吹いてるでもない、車の振動があるわけでもないのに
突然「ボワワワワ〜〜〜ン・・・・」とかなりデカい音で振動し始めた
あれはいったい何だったのだろう?
ちなみにそのお堂の裏手は土饅頭って言うの?
昔の人間をそのまま土葬した墓地が広がっていた
そのお堂はその墓地のお堂だろうね >>43
それ風で揺れた何かと共鳴した可能性はないのか >>10
霊魂が存在しないとする根拠はない
天国や地獄だって 死後の世界が存在するか、最大の謎だけどそのうち誰もが答えを知るってのは面白いな。 >>1
浄土宗は「浄土に生まれる」というが,具体的に何が生まれるんだ。
肉体ではない。肉体は死後もこの世に残るから。そうすると名前はともあれ霊魂に類するものの存在を考えないと,そもそも言っていることが支離滅裂になる。 情報はエネルギーと等価でエネルギーは物質と等価
意識は物質となり物質は量子もつれの状態で時空間を超えて作用する、これが幽霊の正体だよ〜ん 暗闇が怖いのはオバケ怖いじゃなくて本能的なものよね? 釈迦の捨身は生まれ変わり前提
生まれ変わるなにかがあることになる
しかも身を捨てることで悟りが加速される
ということで釈迦もそれを知っている
生命を犠牲にする、それは他者の生命であってもかまわないらしい
という教義もあるらしい この命はこの世限りって点で臨済(禅宗?)の方が理解できる 例え存在してたとしてもそれを理由づけできなければ存在してないのと一緒 >>45
そう
だからそういうの気にするな!と言ったのが仏教
そんなの気にしなくていいから取りあえずこの人生を幸せに生きなさい、と >>前スレ950
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1629343195/950
>双子の性格だってだいたい似たようなもんだと思うが
まあそこで前提を共有できないなら話は終わりだな
>身体的特徴に影響がない
とは俺は言ってないね
身体的特徴は性格ほど顕著には複雑系の影響とやらが反映されてなくね?って言ったんだわ あの世は有った方が良いなとは思う
皆、頑張って生きてるのに死んだら無になってお仕舞いと思うよりもあの世で楽しく暮らしているって信じた方が精神的に良いだろ 諸行無常ってんなら
不滅の魂なんてある訳ねえだろ
生じて滅んで次々と食べてはクソになる成り行きだよう 稲川淳二の話は全て創作ってことはないよな?
体験談も多くあるので創作なら嘘を言っていることになる。
あれだけ多勢の人が公演を聞きに行っているんだし嘘ではないだろう? >>8
盛り上がってるおw!まだまだ続くおwww! 7でもう失速したと思ったら8かよw
近年「人生稼いだモン勝ち」みたいなつまらん価値観が横行してるからこう言ったスレは何か、救いだわ >>37
そんな低レベルな話をしているの?
霊魂が存在するとかしないとか、わからない
だが、衆生の心の安寧を得られるなら、方便を用いてもよいとするのが仏教だよ
坊主もみなそれわかっているでしょう
しかし、方便をよい方向に導くために使うべきであるが
坊主は金稼ぎ、はてはカルト教祖は殺人に使うから、
結局よくないね 稲川淳二の為には居た方がいい
後は小さな子供が死んだ事に耐えられない親とか >>45
あるという根拠もない
でもないということは悪魔の証明になり証明できないが、あるということは 証明できるんじゃねーの >>27
持ち回りで阿弥陀がまわってきた時にやってた時はより厳しくしてたんだけどね >>63
公演に行く人はそんなこと微塵も気にしてないと思うよ。ワイがそうだからね
創作だからー→だから何?どうでもよくね?って感じ 死後の世界とか誰も見たことないのに
エラそうにこうだって言い切ってる時点で
皆インチキ >>51
生まれ変わりとか輪廻とかは霊的存在なしには成立し得ない考え方だよね
肉体と魂とを切り分けて魂を主体として空蝉の肉体を脱ぎ捨てるからこそ生まれ変わることができる 神道は過去の集積体だから過去に語られたことを纏める人が、神託を都合よく摘まめば色んな解釈できるな
因みに古事記は神道の聖典の一種ではあるが絶対的なものではなく
、
江戸時代はそれより重視された神託や宣命体の祝詞が重視された 最近ヘッドライン壊すな、って言わないのは何故なんだぜ? >>63
ビートたけしが以前、言っていたけど稲川淳二が寝ている時に奥さんがやった事を稲川淳二が霊現象と騒いでいたってことも有ったとか >>55
そうか…(´・ω・`)
公立でも仏教の授業とかあればいいのにね >>74
古事記とかも授業で出来たらいいのにね(´・ω・`)? >>78
特定の宗派に 誘導しようとする先生が現れるからじゃね 霊ってダークマターだろ。
受精した瞬間に体内にダークマターが入り意識を作り出す。 >>73
前世と来世が縁で繋がってるだけかもしれんぞ? >>71
公演行ったことあるの?
どんなカンジ?
面白い?(´・ω・`) 極楽浄土に転生したと思ったら獄卒として地獄に派遣された件 >>62
それ言ったら,生きてる間も諸行無常なんだがな。
諸行無常が人間の同一性を損なわないということは,仏教も当然のこととして認めてる。
たとえば不殺生戒に反すると僧団追放というペナルティがある。もし「諸行無常だから破戒した昨日の私と今ここに居る今日の私は別物だ」というなら,何で別物の罪咎を負わされる筋合いがあるのか。 >>30
コロナが霊だったらそうなるかも知れないけど
一応ウイルスとされてる >>79
文化として学ぶのであれば十分いけると思うんだけどね
古事記の神様のくだりを史実や宗教として考える奴はいないだろうから >>81
そうだね
まあ日本は戦争に負けたこともあって色々難しいんよね
宗教色薄いのがいいところといえばいいところなのかもだし
私立なら仏教系キリスト教系神道系あるしね >>84
興味があるなら1度観に行ってみたら?
面白いか面白くないかは個人のとりようなんでなんとも
ワイは毎年行くぐらい好きだけど
後半の写真使った客イジりもなかなかですよ >>34
それなら一生懸命祈るといい
この世には科学でわからない非科学に属するものがあって
それには科学的な働きかけは通じないけど
祈りなど非科学とされるものに感応する可能性がある >>95
写真…?(・ω・`)
今度行けたら行ってみるよ! >>91
文化的にと言うか知識的にそういうのを仕入れるのは大好きなんだけど、 教えようとする人が 宗教家だとどうしても勧誘になってくるのがウザくて
じゃあ宗教家じゃなければいいのかと言うと、 今度は薄っぺらくなるしね
宗教家が私利私欲を捨てて(?) 知識だけ与えてくれれば嬉しいんだけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています