https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/img/article/000/294/416/67afb0dbc5f3941f800e2226188e4f5c20210907122751375.jpg
国際連盟で演説する松岡洋右(1933年)。この年の3月27日、日本は国際連盟を脱退した(C)共同通信社

「日本の文化は化石となり、麻痺する」とヒトラーは罵った
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/294416

今だけ無料

 現実にヒトラーの時代に入ると、日本人は有色人種として差別の対象になっていた。父親がドイツ人で、母親が日本人という官僚がいた。この官僚は辞めさせられている。特派員だった鈴木東民の書いているところでは、これはドイツの官吏法第3条が適用されたためだという。「アーリア種にあらざる官吏は解職さるる」との一節だという。ナチスは、ユダヤ人排斥といっているが、そこには日本人をはじめ有色人種を排撃するとの現実もあった。

 この頃にドイツ駐在の軍人、ジャーナリスト、商社員などは陰に陽に差別を受けている。私の聞いたところでは、日本人の肌は黄色と思っているドイツ人が多く、婦女子と関係を持った人物から「日本人は黄色い肌と聞いたけど、白いじゃないの」と言われたと漏らす駐在員もいた。

 ヒトラーが政権を取ってからは、日本の経済進出にも「日貨排斥」と警戒心を表す時があったが、そういう時も「黄貨排斥」と新聞などは書いたそうだ。日本人に対して露骨な侮蔑感を表していて、黄禍論に敏感に反応する日本人は、許し難いほどの怒りを持ったのであった。

 怒りがおさまらず反ナチスの感情を持つ日本人は決して少なくなかった。ドイツにいたくないと日本に戻ったり、アメリカにビジネスの拠点を移す会社もあったという。ベルリンに駐在する他国の外交団はナチスの民族差別に深入りせず、その差別や排撃が激しくなるのを静観、ないし黙殺していた。ただ、日本の駐在武官や書記官の中にはナチス政権の幹部との夕食会を開く者もいた。国際社会でドイツとの関係を深めておいた方が得策という考えであった。

 ドイツ社会を詳しく知る者は、ナチスの民族差別に怒り、反ナチスになっていく。一方、ドイツ社会を詳しく知らない者は、ヒトラーの政策が国際連盟脱退や第1次世界大戦の権益奪還など現状を変えようとしていることに引かれ、ドイツに親近感を持つようになっていった。日本は国際連盟を脱退しての孤立感を、ドイツに近づくことで解消しようとしていたのだ。

 ムソリーニも驚くほどの黄禍論者だが、ヒトラー自身はそれだけでなく、日本は西欧の文化によってつくられていて、日本の文化などいずれ化石となり、麻痺するに過ぎない、とあしざまに罵っている。鈴木東民は「(日本人は)敬して遠ざけられ、(ユダヤ人は)棍棒を持って追いまくられる」程度の違いであり、排斥される点は同じだったと指摘している。(つづく)