【訃報】フォークデュオ「風」の相棒・大久保一久さん死去、71歳 デビュー曲「22才の別れ」大ヒット [孤高の旅人★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
伊勢正三ショック…フォークデュオ「風」の相棒・大久保一久さん死去、71歳
9/16(木) 4:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/26754d483edb6a7a8f1d215fb0949ed1d067dac8
「22才の別れ」などのヒット曲で知られる伝説のフォークデュオ、風のメンバーでミュージシャン、大久保一久(おおくぼ・かずひさ)さんが13日に東京都内の病院で死去したことが15日、分かった。71歳だった。1979年の風の活動休止後はソロで歌っていたが、2008年に脳血管障害を発症。その後、脳梗塞を患い、闘病生活を続けていた。関係者によると、相棒の伊勢正三(69)もショックを受けているという。
■デビュー曲「22才の別れ」大ヒット
日本のフォークソングブームを支えたレジェンドが、人生のステージから降りていた。
関係者によると、13日に都内の病院で息を引き取り、この日に親しい関係者に訃報の連絡が入った。死因は明らかにされていないが、近年は脳梗塞を患い、入退院を繰り返す生活を送っていたという。葬儀はコロナ禍を鑑み、16日に都内の斎場で近親者のみが参加して行う。
広島・呉市出身。フォークグループ、猫を経て、75年、かぐや姫のメンバーだった伊勢と風を結成。伊勢が作詞作曲したかぐや姫の名曲「22才の別れ」をデビュー曲として発売し、大ヒット。その後も、「あの唄はもう唄わないのですか」「ささやかなこの人生」など名曲を世に放った。
79年に活動休止し、ソロ活動を展開。83年に再び活動休止後は薬剤師として勤務していたが、90年に行われた南こうせつ(72)のライブイベントで伊勢と共演。07年5月には伊勢のソロ公演に飛び入りで参加し、28年ぶりに風を復活させて往年のファンを喜ばせた。
■08年に脳血管障害で緊急手術受け
翌08年4月には伊勢のツアーにゲストとして帯同する予定だったが、同1日のリハーサル中に倒れ、病院へ搬送。脳血管障害と診断され、緊急手術を受けた。手術は無事成功し、同7月に退院。その後は広島の実家で療養を続けていた。
大久保さんの訃報は、ともにメロディーを紡いできた相棒にも届いており、2人を知る関係者は「伊勢さんは大変ショックを受けています」と話している。
伊勢は17年11月に風時代のライブ映像と音源を初めてCD&DVD化した際、夕刊フジの取材に「これは何より大久保君が一番喜んでくれるという確信がありました」と説明。療養中の大久保さんに発売することを電話で連絡したといい、「すごく喜んでくれました。まだまだ体調は優れない感じだけど、早く元気になってほしい」とエールを送っていた。
風のように静かに去ったパートナーに悲しみは尽きない。
大久保 一久(おおくぼ・かずひさ)
1950(昭和25)年7月22日生まれ、広島・呉市出身。昭和大薬学部卒。学生時代からシンガー・ソングライター、吉田拓郎(75)らによって結成されたアマチュアフォークサークル、広島フォーク村などで活動。73年、猫に加入し、脱退後の75年に風を結成。ソロ活動では「暁に帰る」「君よ」などを発売。2001年に活動を再開し、木下敬とユニット、Mを結成した。 伊勢・大久保「僕ら風です」
聞いた相手「お大事に」 「風」は確かフォーク・クルセイダースじゃなかったかな
北山修さんの >>9
すみません間違いでした
風 ・・・はしだのりひことシューベルツ だった 大久保さんにさよならって言えるのは今日だけ。ご冥福をお祈りします。 あの唄はもう歌わないのですか
私にとってはおもいでなのに♪
ご冥福、あーなんか無性に聞きたくなった 海風 いいアルバムだったな。 いまでもyoutubeでたまに聞く >>2
「猫」のヒット曲「雪」
「風」のヒット曲「海風」
曲名なのかアーチスト名なのかハッキリしろ! >>1
解散したら薬剤師として働いていたんだね
やっぱ手に職だな 正やんは達者か?
風は良い歌を出していたな。
22歳の別れをよく歌った。
イルカのなごり雪や海岸通り、太田ひろみの君と歩いた青春も風の歌だったよね。 「風」の相棒っておかしいだろ。
「風」の相棒ならにゃんこ先生か西一じゃないと こういうグループって殆ど解散するよね デビュー時のまま残ってるのっているんだろうか・・・・ チェリッシュやダ・カーポみたいに夫婦なら長く二人で歌っているけど、他人同士だと色々あるんだろね。
喧嘩だけじゃなく、ソロでもやりたいとか、プロデューサーで食いたいとかな。 グループ名の漢字の上に『山』を付けて『嵐』にしておけば
もっと売れたかもね 初めて聞いた時は酷い女、と思ったが、大人ひになってみるともっと酷い女山程居る事が分かった 5年も付き合ってたのに
別な人と結婚しちゃうなんて >>46
13歳で出会った翼の折れたエンジェルだって18歳でため息覚えだすからな >>46
順当にそのまま結婚していたらドラマチックな歌にはならねえじゃん んー、超上級なお嬢様と庶民の悲恋
涙、涙、ちんとんしゃん♪ 日本的
ぶっちぐって逃げるぜー♪ 大陸的
わりかしあるよな、そういう歌 今でも明るい声がして「おいで」と呼んでくれるなら 家も教科書も投げ捨て飛んでゆきます >>22
2発当てれば一生食っていけるんだからやっぱりエエ商売や >>43
たぶんジャニーさんが違うユニット名を選んでたと思うでw 15年位前にケーブルTVで古い歌手ばっか集めたCDを宣伝してたから存在は知ってたけどな あの歌はもう歌えないのですか。
ご冥福をお祈りします。
いざと言うと薬剤師で食っていけるから、余裕あったんだな。あんまりガツガツしてなかった。 >>63
つまりあの歌は「金色夜叉」の焼き直しだと >>46
セックルした次の日に金持ちの男に、取られちゃった奴に比べたら… >>50
まさかとんぼちゃんが出てくるとは思わんかった >>1
>薬剤師として勤務していた
手に職もあり生活には困ってなかったんだな この頃のグループ名ってなんで名詞一発なんだ
机でも鉛筆でもいいのか 北山修の名前を上げてる人が居たけど
あの時代は大学在学中にデビューして
さっさと見切りをつける人も多かったから
なあ
ザ・タイガースのピーとか アホでバカでエラ顔でツリ目でぱよぱよち〜んアナキズム過激派プロ市民でサイコパス厨房でチャラチャ
ラした在日・帰化韓国・朝鮮チンパンブタ僑胞マンでヤフーアメーバニコニコゲノムチェイルチョソンパンチ
ョッパリニュース速報+記者で創価学会員兼日本共産党員で張本勲・山本浩二・秋山幸二・駒田徳広・工
藤公康・佐々木主浩・金本知憲・新井貴浩・松井秀喜の熱心なファンで麻生太郎の後援者で力道山式プ
ロレスリング豚で金田式プロヤキウ豚でナマポ受給電通舎弟ネオコントロツキズム過激派DQNマフィア
構成員孤高の旅人が電通・博報堂からカネを貰ってヤフーニコニコアメーバゲノムチェイルチョソンパン
チョッパリスポーツエンターテインメントワイドショーのソースでスレ立てたこのスレッドは孫正義ソフトバ
ンクグループ会長兼社長・藤田晋サイバーエージェント代表取締役会長・松原眞樹カドカワ取締役社長
に認定されますた。孤高の旅人「電通・博報堂からカネを貰ったおかげでプロレス・プロ野球・高校野
球・競馬・競輪・競艇・パチンコ・アニメなどの幅広い話題ネタを掲載したデンツウイズムイーストコリア
スポーツエンターテインメントワイドショースレッドをここに立てておいたぞ!」
http://www.dentsu.co.jp/
http://jp.rizinff.com/ 猫の田口清も懐かしいな
子供かばって亡くなったんだっけ
みんな逝ってしまうな 一生懸命コピーしたけどあの音色は出せなかった。
後に特別なチューニングだと知った。ナッシュビルチューニング 来週正やんのCD発売なんだよ
久保やん最期までいい奴すぎね? 貴方の言う通り妹のままでいた方が良かったかもしれない
これは今の時代では通用しない? 17件目からは一緒に火を着けたのが昨日の事のように う〜〜〜み〜かぜ〜〜♪
う〜う〜う〜う〜う〜み〜かぜ〜〜♪ >>83
どーんてぃんどてぃんどてぃんどーんててぃんどーんてぃんどてぃんどてぃーん〜
きゃら〜ん >>1
地下鉄に乗ってだっけ?
丸ノ内線の御茶ノ水か後楽園を題材にした歌。 昔、週刊誌の姓名判断で運の悪い名前の見本と言われていた人だな うああああああ
懐かしくて鳥肌立った
深夜放送の青春歌
ながら勉強した参考書の匂いが甦るw >>86
ほんとだ
総格19、外格9、地格と人格が4
これでよく71歳まで生きられたな
歌手デビューできたのも奇跡 >>70
NSPwwwなつーwww
ガロも仲間に入れてください 頬杖をつく女
海岸通り
あの歌はもう歌わないのですか
ただただ懐かしい 出したシングル、A面でヒットしたのは全て伊勢作品
しかしシングルもアルバムいくつもバカ売れしたわけだから
印税は入り金には困らなかっただろう。ある意味ラッキーな人 >>94
正やんは山本潤子と同じでヘビースモーカーだったからね
逆にあの時代に若い頃から煙草を吸わなかった南こうせつは変り者、しかし今でも声は出る >>96
南こうせつ吸わない人なんだ
たしかにこの間新曲出たけど70過ぎとは思えないいい声だったな なんで70年代のアーティストは見た目が汚ならしいのが多いのだろう 22才の別れでギター弾いてる石川鷹彦も脳梗塞で活動止めてるからな 40年前に広島に住んでたとき、
RCCで「久保やんのミュージックタウン」
よく聴いてたなあ… 猫は名曲が多かったな
「雪」「地下鉄に乗って」「戻ってきた恋人」「いけない子供」
全部拓郎の曲だけど ソロになってからの「君のスカーフ」は名曲だった
知ってるやついないかな >>97
こうせつ、徹子の部屋で見たけど変わらないね
昔老け顔だった人は年行くと若く見える
って本当だな 「風」は確かだんだんAORっぽくなってくんだよね。
『KAGUYAHIME & MEMBERS ALL SONGS』を買って
「風」の5枚も初めて聴いたけど『風 ファーストアルバム』は良かった。
「星空」は時々聴くけどあのリリカルさは伊勢正三だよね。 >>101
ベースの石山さんも去年亡くなったんだよな シューベルトみたく亡くなってから再評価されることになろう。 歌曲の王、大久保一久
ここに眠る
と墓碑に刻むべき 風のコンプリートアルバム聴いてたら泣けてきた
またいつかもう一つの訃報をきいてまた泣く日が来ないように
自分のほうが先かもしれないのにな >>103
いやいや四畳半でビリボロの汚らしいのがフォークってイメージで売ったから。 トパーズ色の街
はトレンディードラマとか月9の主題歌にでも起用されてたら小田和正みたく新しい音楽路線が築けていただろう。 猫はさよなら僕の友達 とか 雲めぐり とか 佳作が多い しかしどういう縁があって正やんと知り合ってデュオ組むことになったのか。いまの多くのバンドみたいにプロデューサーがボーカルにスタジオミュージシャンを数人くっつけてデビューさせる流れもなかったと思う。 猫の戻ってきた恋人は
ザ・バンドみたいな感じ
拓郎のはセカンドラインだな 坂本龍馬みたく熱心な追っかけの手によって、
没後再評価されることになるだろう。 トリビュートアルバム
一久がゆく、一久伝
Wミリオン達成だ 大久保さん、あの唄はもう唄えないのですよね
安らかに 昔ロイ・ジェームズが不二家提供でラジオで歌謡ベストテンやってて、いつものように山口百恵が今週の第1位になると思ってたら先週まで番外だった風の22才の別れがあっさり1位をとって、どこの誰じゃい、と憤慨した記憶がある。 コロナ下でなかったら全国のカラオケスナックで風や猫が歌われて有線とかでリバイバルしていたであろう。 22才の別れとなごり雪は
かぐや姫時代はシングルにならなかったの? 絶対秋元あたりが昔のフォークに目をつけて、
アルバムを発掘してリメイクして坂道あたりに歌わせてリバイバルを狙うだろう。
とにかく名曲の宝庫だったからな。 >>134
無理だよ
あの頃の女と今の女は違うからな
あと唄が女々しすぎて現代に合わない >>22
「なごり雪」と「22才の別れ」は、話が繋がっているんだよね。
伊勢正三は、数日の内にこの二曲を書き上げて「オレって、天才!」と思ったそうだけど、それ以降が続かなかったという・・・・ 2008年のライブ行く予定だったんだよな
中止になってもチケット代は払い戻さなかった
大久保さんご冥福お祈り致します
今日は終日風のアルバムをかけて過ごします >>7
花びらが散ったあとの桜が冷たくされるように? 猫はやたらベースがビンビンくる
音がいい 当時のソニーの音 拓郎もソニーにいればよかったのにな 猫の僕のエビローグって曲
これが作詞吉田拓郎
作曲大久保一久と常富さん 自分は5年間一緒に暮らした子と22歳の時に別れたから
この歌聞きたくない >>132
こうせつは神田川のあとになごり雪や22歳の別れをシングルにしたかったらしい
しかし「赤ちょうちん」「妹」と四畳半フォーク路線でやらされ
自分の知らないところでどんどん話が進む事務所の方針にブチ切れかぐや姫を解散した クボやん!ずいぶん会ってなかったなぁ〜。
ほんわか優しい笑顔が思い出される…
心よりご冥福をお祈りします。
大久保一久くんへ
山田パンダ
https://twitter.com/ohagi0513/status/1438284617174290435?s=19
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>152
なごり雪が作られた当時太田裕美はソロデビューしてなくてスクールメイツにいただけで無名
歌の実力も当然未知数なのに作るかね 正やんの真骨頂はその詩にある。
17本目からは一緒に火をつけたのは・・
まだ二十歳前の君をこんなに苦しめるなんて・・
というのは当時ですら相当議論を呼んだ。 >>154
議論なんてなかったはず
テレビでおさな妻という高校生が結婚してるドラマやってたくらいだし >>156
「奥さまは18歳」ってドラマも有ったw 21歳と19歳ならまあセーフ
29歳と17歳なら逮捕案件だな
あまり変わってないんじゃないか 【訃報】フォークデュオ「風」の相棒・大久保一久さん死去、71
https://youtu.be/BX47DIa79hk 嵐って国民的アイドルなんだってね、全然知らんかったわ なごり雪はフォーク史上最高の名曲だと思う
普遍性がダンチ フォークルやシューベルツとかあの辺の日本の曲は、
パクリばかりのJ POPの中で、異彩を放ってるよな ちなみにこの人の「三丁目の夕焼け」はALWAYS 三丁目の夕日の原作漫画をイメージして作ったらしい
哀しくなるけどいい曲だよ 風のLP買ったな。大久保さんが作った「三丁目の夕焼け」聞いた時、正直誰でも作れそうな歌だなと思ったけど、今聞くとなかなかイイし、三丁目に住んでいたから懐かしいなあ。 >>24
それを言えば
スピッツのロビンソンなのか
ロビンソンのスピッツなのか
わからなかった >>134
シモンズみたいのはAKBですでにやってる >>170
スピッツなんて歌あるわけないだろ犬だぞ
と思ったらロビンソンもおかしいな やっぱ「昨日、悲別で」だな
追悼で全話放送してくれないかな
でもこれは風じゃなくかぐや姫版か
https://youtu.be/zx_zIXVs2gk >>141
もう少し上の人も、いそうなんだよなあ
浜省スレよりも上なのは確か 大久保さんのサウンドは、くぐもって聞こえるのが多いのは何?
デッキに佇む女とかトパーズ色の街とか、こもり捲ってると思うんだけど? 最近YouTubeで知って何曲か聞いてたわ
ジジイ達が死んでも曲は聞かれ続けるぜ お母さんが教えてくれなかった死因に闇を感じたのは私だけだろうか 風が解散してから一歩遅れて知った世代なんだけど
ソロになってからの大久保さんの大ファンでした。
初めて行ったライブもDo!と大久保さんのジョイントコンサートだった。
あのギターの響きは忘れられない。 60年〜70年代フォークを今の子はどう感じるんだろうな
リズムもメロディも平坦な小学校唱歌みたいに聞こえるんだろうか >>116
神田川沿いの4畳半のボロアパートで通い風呂な
そのイメージで売ってたあるフォークシンガーが
実は昼間からシャンパン飲んでフレンチ食ってましたーと
後年TVで暴露してたw 22歳になれば少しづつ臆病者になるわ
何故かわかる?あなた 世代じゃないけど先輩のカラオケで22才の別れを知り、俺のレパートリーにもなった。
ご冥福お祈りします。素敵な曲を有難うございました。 風 って曲もあったよね
シューベルツか
はしだのりひこも故人ね さっき松潤が「嵐でよかった、風じゃ売れてなかった」ってゴールデンタイムで堂々と言ってたなw >>184
時代背景が違うからね
ベトナム戦争、安保闘争が曲に影響していた面は確実にあったと思う >>194
そんな感じ
実は全然底辺じゃないしオイルにもまみれてないってやつ >>180
ベーシストのナルチョがフォークのことを音楽的にレベルが低いみたいな言い方してたけど(そりゃフュージョンと比べたらそうだろうが)、かと言ってサウンドに凝りすぎるとニューミュージックとかシティーポップとか、別なものになってしまう自己矛盾みたいなものをフォークは孕んでるよな >>196
フォークは時代の空気や青春心を読み込んだエモ世界だから
>音楽的にレベルが低い のは確かだと思う
だから10代にフォークばかり聴いて育ったオジサンたちは
90年代以降のリズムや旋律に絶望的についていけんのよ
俺なんか宇多田やaikoの旋律さえまともに終えんし
白日なんか聴いた日にゃ、何だこりゃ!
この世にこんな音運びがあるのかとビックリ仰天した
ラップなんかはもうもう言うまでもなくwww アルフィーとか、どフォークからうまく乗り換えて行ったよなあ。
中島みゆきもそうか? そんな中伊勢正三はセカンダリードミナント多用して他とは違ってた
キーCのE7 A7 D7ね 今もどフォーク歌ってる人がいたら
聴いてみたいけど、いる?
正やんやくぼやんも風サードアルバムあたりから
だいぶポップな感じだったよね。 >>193
翼をください、戦争を知らない子供たちとか?
岡林信康とか高田良は自分はあまり詳しくない
かぐや姫、吉田拓郎以降しか知らないけど、
60年代は反戦歌があったよね >>201
ミスチル桜井がフォークの後継者だと思ってるけどね
これの頭の曲聴いてみて
https://youtu.be/CxasK4veEu8 「22歳の別れ」って、12弦ギターの副弦張ってナッシュビルチューニングで弾く曲か >>207
コンサートで歌よりもMCの方がウケる漫談師だろ 昔5ch探しても風のスレとか音楽系の板に1つもなかった記憶
久保ヤン曲好きだけど リアルタイムで聞いてた人達が高齢だからか、Twitter YouTube ブログなどもあまり出てこなくてね
でもこのスレ見たら意外と久保ヤン支持熱いし みんな結構知ってるね
亡くしてから気付いたよ >>199
中島みゆきは吉田拓郎の系譜だから、最初からニューミュージック。
1975年のメジャーデビュー当初はアコースティック・ギターを背負って裸足で舞台に立つなど'60年代〜'70年代初頭のフォーク・スタイルを踏襲しつつ、一方ではアルバムにロック調の曲を載せたり、デビューの翌年には研ナオコなどに情感溢れるコテコテの歌謡曲を提供したりしている。
ニューミュージック自体は、吉田拓郎や加藤和彦など'60年代にフォーク系シンガーソングライターだった者達が
'70年代に入りロックや歌謡曲や演歌など様々なジャンルの曲を書くようになって旧来のジャンル分けが難しくなったので、
'70年代半ばに急遽作られた新ジャンル(当時)。 >>211
いやもうニューミュージックという語句は73年発祥とわかってる >>201
こだまたいちとかどうかな?
俳優としての活動の方が注目されてるけど
フォークシンガー目指して上京したという変わった若者
https://youtu.be/tAO75vATY2g >>203
見てきたわ、教えてくれてありがとう。
匂うようなどフォークだねぇ。
拓郎風かな。
ミスチルはほかのアーティストの
オマージュよくやるからこれもそうなのかな フォークねえ
縁遠かったけど懐かしい世界
商業主義から遠いようなイメージ合ったけど
バリバリの商業主義音楽だったんだよね
拓郎節とそれ以外、という感じもしてたなあ >>202
We shall overcomeから友よ、というのは
一つの様式美だったよ >>217
泉谷しげる全盛時はパンクなんてなかったよw >>214
拓郎風だね
これは映像はないけどちょっと大久保さん的な感じもするな。海援隊っぽい?w
桜井はフォーク曲多い
https://youtu.be/jKNgjAmyqQI >>200
ソロになってからのAORよく聴いた
今聴くと横丁の銭湯を脱して金満カルチャーへの憧れ全開というかオナニー臭がすごくて恥ずかしいんだけど
あの当時にしてはセンスが垢抜け過ぎてたように思う
ちなみに伊勢正三のギターはすごくいいんだよなあ
凝り性でギターそのものもかなり追求してたんだよね >>198
フォークソングは元々は民謡・民俗音楽だから、
「庶民が日常生活に於いて気軽に歌える曲」が本来の基準。
だから音楽技術的には単純かつ単調な曲が多い。
それを以て「レベルが低い」とするのは、何か違うと思うけど。 >>198
モロそういう10代やったけど、内向きな時代やったんやと思う
学生運動がおわってもうアカくないさと君に言い訳したねみたいな
ブームはそれほど長くなかったのかも、フォークは暗い!とか言われてね
アラ還になって聞き直すととなかなかよい >>219何言ってんの、家族は1976年、セックスピストルズも76年
ラモーンズはその前 >>218
ぐぐったら反政府運動で歌ってる方々がいるね
団塊ソングなんかな
自分はニューミュージック世代だなあ、
とつくづく こういう貴重なライブ音源がいろいろアップされてたんだね。大久保さんを偲んで今夜はいっぱい聴くわ
https://youtu.be/e7mqMSJ-zl4 音楽的にというよりむしろ「なんでもあり」が良かったんだよ
反戦歌も歌謡曲もコミックソングもあり
むしろコミックソングが一番面白かったんじゃないか
三億円事件犯人の歌とか >>224
春夏秋冬は1972年だw
ちなみにピストルズは1977年だ >>225
電子楽器が普及しだすとニューミュージックになるんだよ
フォーククルセイダーズで北山修はウッドベースを弾いていた >>212
それは>>211の内容と矛盾してないよね。
富澤一誠が名付け親は自分だと主張しているけど、実際の発生経緯はどうなの? >>198
表面的にはチープというかシンプルというかかもだけど
日本語を西洋の音階やリズムに乗っける技術が陽水や財津から飛躍的に格段に進歩したのよ
それにくらべるとコード進行を複雑にいじくりまわしてるだけのJPOPと呼ばれるようになってからは
その辺の技術が大幅に劣化したバカになったと思
今の人の作るものは歌になってないのよ、ただの言い訳にしか聞こえない
クチばっか達者な感動ポルノにしか聞こえない >>230
関係ない話は雑談スレでやれよ いくらでも相手してやるから >>221
スモークドガラス越しの景色というアルバムが好きだった
最近アマゾンミュージックで久々に聴いたけど
とても40年前の作品とは思えないな >>231
またそういう老害みたいなことを言うw
今の歌もすごいと思うよ
特にフジファブリックとかヒゲダンとか
明らかにプログレの影響受けてるバンドも多くて
よく考えられてるなって思う
フォークは「シンプル」というだけ
シンプルだから単純、というものではない >>228春夏秋冬はあんまり売れなかったからなw再アレンジリニューアルでヒットしたんだよ
して、パンクはニューヨーク発祥だから
ピストルズのゴッド・セイヴ・ザ・クイーンは76年な、シドヴィシャスが入ったのが77年 >>236
泉谷しげるの全盛期はその最初の方だよ
ガロでマンガも描いてた
バンドブームのころは単なる二番煎じ
後半については何をかいわんやw
パンクというのが市民権を得たのは「勝手にしやがれ」だ
だから77年でいいんだよ >>233
それ、それ
たしか歌の中で海岸リゾートかなんかのコテージでシャワーを浴びる描写があって
「同じ風呂でもこうも違うのかw」とうっすら思ってたけど
あれはほんと良く聴いたよw
あれ本人がコードを組んでたのかな、だとしたらすごいし
アレンジャーもめっちゃやり甲斐あったんだろうなあ そういやあ五輪真弓も
「和製キャロルキング」という売り出ししてたなあ 泉谷しげるは超弩級のハードロック映画爆裂都市に出演している >>213
なにこれすごくいいね!
こういう若い人がいるんだね。
応援したくなったよ。
たぶんだけどあがた森魚風??
教えてくれてありがとう! >>196
ちなみになるチョは海援隊のバックバンドをやったおかげであのキャラクターを手に入れた ビリージョエルが今72歳なんだな
1977はストレンジャーと原田真二のてぃーんずぶるーすとさだまさしの雨やどりと風の海風だった >>33
そんな貴方に火炎瓶の歌
https://www.google.com/url?q=https://m.youtube.com/watch%3Fv%3DIU8we_cSfxo&sa=U&ved=2ahUKEwjL78CvnobzAhXxhMYKHZzHAQ8QtwJ6BAgFEAE&usg=AOvVaw3fw5SY6WMgZ1fay_wwYiTT >>229
アリスの初期が好きだったし、
拓郎やこうせつも好きなんだけど、
恋の歌だね、歌詞は >>247
かぐや姫が出てた全日本歌謡選手権はリアルで見てました
5週目辞退したんだよな >>235
あいみょんはフォークなのかな
妙に懐かしく感じる >>248
まだプロレスを信じてた頃の日本人の歌だと思う・・・
シンプルというよりナイーブ >>251
あいみょんが曲提供してる高校生フォークデュオの映画観たけど良かったな。
「さよならくちびる」
あと「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」も女の子デュオの映画でこれもフォークで良かったな
若い子はフォークが新鮮なのかもね
どちらもアマプラで観られるのでぜひぜひ >>256
アマプラ入ってんのに知らなかった
ありがとう!観ます! なんかここ皆が久々に集まった同窓会みたいになってるね
昔の話が色々出てきて懐かしいな
葬式をきっかけに皆が集まるみたいな
久保やんも喜んでる事でしょう >>230
フォーク発祥のほうは軟派系ニューミュージックとタモリがちゃかしてたな
クロスオーバーがフュージョンの変わるのも同じ頃かな 皆に教えてもらった動画見てたら
YouTubeの高く評価した動画増えたわ。
ありがと〜 今ってつべがあるから子供とかにも伝え安くていい
ちょっと前レスリーウエストが死んだときに
マウンテンのライブを見せたら
「太ってるのにカッコいい」と言ってくれてうれしかった >>245
ピンクレディーが出て来て、アイドルも歌うまで
演歌もありーの洋楽もわんさか
この頃はすごかった >>264
歌とスタイルは絶対今の方が数段上だよ
山口百恵や岩崎宏美のはずしまくりは今聞いてられんぞ
ものすごい立派な足してるし >>264
そうだったね
キャンディーズ人気とピンクレディデビューと同時にベイシティローラーズにKISSにQueenと大忙しの1年だったっけ 風って本当にギターが
とにかくギターが今聴いても
かっこよすぎる 「猫」に居たこともあったのか
まあ「猫」はレコード(←)でしか聴いたことなかったから知らなかったが この当時のフォークデュオの、ボーカルと相方の世間の認知度の格差は異常
相方は顔も名前も覚えてないという人が多数 風は二人とも曲作れて
ボーカルもできるというハイブリッド >>251
俺は音楽は全然分からんが
あいみょんは歌詞に日本人のハートを歌い込んでいるから
メロディやリズムが今風でも懐かしく感じるんじゃないかな
中島みゆきが演歌と言われるのと同じ
俺的には清志郎にも演歌的要素があったと感じる NSPの「夕暮れ時はさびしそう」も流行ったなぁと思ってググったら
リーダーが16年前に52歳で亡くなってた
ガロも3人のうち2人が鬼籍
フォーク世代もそういう年になったんだな ケメっていうのもいたなぁとググったら
4年前に65歳で死んでた
フォーク歌手には短命が多いな
何だかそれも安保世代っぽい 猫はアルバム1枚持ってるが大久保さんは参加してなさそう お前だけが
ほんとに名曲
何度かカラオケで歌ってお泊まりまでいけた >>218
We shall overcomeなつかしー!
中学の英語の時間プリントの歌詞見て、テープに合わせて歌ってたわ
先生がその世代だったんだな レットイットビー弾きながらなごり雪を歌ったら分かること 『WindlessBlue』『海風』が風の真骨頂。あのサウンドでもう2〜3枚作ってほしかった。 レコードとかカセットとか保管してなくても簡単に昔の曲が聴ける時代が来るなんて想像もできなかった頃… いまラジオで旅の午後聴いたよ
ウエストコーストサウンド >>98
60年代アメリカ辺りのヒッピー文化フォーク文化の影響が強かったんじゃないかと。
何つーかバッチくて何ぼ的なノリ。 >>247
43。かぐや姫や風、海援隊等々自分の小さい頃親がレコードで聴いていたんで知ってる
世代じゃない人もそうやって知ってるケースはあると思う
さだまさしの若いファンも「親がファンで、小さい時から聴かされて自分も好きに」という人が結構いるらしい >>273
22歳の別れはかぐや姫の時に出した曲だしな
自分的にはかぐや姫
まぁシグナルも嫌いでは無いけどここでは関係ないだろう? あなたはーもうー忘れたかしらー
赤い 手ぬぐい マフラーにしてー >>11
この一行だけでフルコーラス思い出せる自分が怖い
たぶん三十年以上聴いたことないし考えたこともないのに
当時小学生だったけど「あなたの言うとおり妹のままでいた方がよかったかも知れない」って意味がなんとなくわかった記憶 >>300
かぐや姫、風の歌って、女の心情を男が歌う歌がえらく多かったんやな
っておもったな
男らしくしなさいと言われた時代
ゆうべスレで教えてもらったFMライブを聴いて寝ました あなたはもう忘れたかしら
荒井注がドリフにいたのを 昔は22歳でお嫁に行ったんだなあ
今の24歳以下の女性未婚率は94.1%だ >>307
10代も珍しく無かったろ?
二十歳で年増なんだし
数え年の頃何で年末に生まれたらすぐ二歳だし
実質の年齢は更に若い 男物のシャツってエロい歌詞だよな
当時は中学生だからシチュエーションとか想像してなかったけど >>308
いやそんな「赤とんぼ」の時代じゃなくて
1970年代の話だから
さすがに数え年なんて老人以外言ってなかった >>308
山口百恵が二十歳で引退したと最近知ってびっくりした >>307
当時の女子は高卒の18歳か短大卒の20歳で就職して、2〜3年で結婚して退職するのが普通。そして結婚後数年で子供を産んでそのまま専業主婦コース。
営業や開発をする総合職は男性で、女子は簡単な事務仕事をする一般職という鉄壁の住み分けがあった。
女子の就職・就労は結婚するまでの一時的なもので、女子がBtoBの第一線に出てキャリア形成とか、そんなのは男女雇用機会均等法が出来て20年後の平成中盤以降の話だよ。 80年頃までは一度付き合った女とセックスしたら責任取って結婚しなきゃならん風潮だったよなw 昔の普通の女性
女子大・短大・高卒→腰掛就職→お茶くみOL→社内恋愛またはお見合い→寿退職→専業主婦
今の普通の女性
適当大学私文卒→ブラック新卒就職→3年もたたずに心身壊して退職→非正規かニート >>309
桜田淳子に男のYシャツ着てくるりと回ってと言う歌詞があるが
なんか大元があるはず
パジャマの上だけ というのは
ローマの休日が出所だと思う >>315
男のシャツとかは大昔からプレイボーイ的なグレビアでよくある性癖だしね
濡れたTシャツとかも 夜明けの海が悲しいことを あなたから教えられた海岸通り >>289
あのころから伊勢と大久保は意見の相違が段々と大きくなってたのか
レコーディングも別々だったらしいからな
続けるのは無理だったんじゃね
で解散と同時期にOld Calendar 古暦という2枚組ベスト盤がでて買ったら
1枚が伊勢、もう一枚が大久保と完全別々になってて
えええっと思ったよ 昔はメンバーの自由な好き嫌いで動けたんだな
今はみんな事務所とお金の都合 >>320
そんな事ない
かぐや姫は神田川のヒット以降シングルは作詞喜多條忠、作曲南こうせつ
チューリップは心の旅のヒット以降シングルはしばらく姫野のボーカル >>149
この歌が流行ってた22歳のときに別れた >>175
この歌のとき22歳だった俺が68なんだから平均がそのくらいだよ トパーズ色の街はキリンジあたりにカバーして欲しい名曲 >>183
当時、20代前半の人間には腐るほど仕事があって、
二人で働けばボロアパートなんかに住む必要なかった
少なくとも一人が大学生という贅沢をしていたと思われる >>193
自分たちの青春の背景はベトナム戦争だよ
小学校のときに始まって大学卒業の頃終わった
同世代のアメリカ人がベトナムで死んだ >>202
あったなー
「愛する人に歌わせないで」とか
あれはアメリカ人をイメージした歌かな >>225
ベトナム戦争で同世代が徴兵されて行ったアメリカ人にとっては
反政府運動だろ
20くらいのときは反戦歌うたうくらいしかできない
「7月4日に生まれて」なんて作れるのはいいオッサンになってから >>294
バッチくて何ぼ、はあったな
中身が若いとそれでもそんなにバッチくないからね >>282
ケメは青井くんと佐藤くんや通りゃんせしか知らないと思ったら
それ以後はあまり活動してなかったようだね
お金持ちだったのかな
65歳で亡くなるのは早いね >>308
それは戦前だな
戦前に結婚した伯母は満18で結婚
その娘世代は24までに結婚するのが目標で
クリスマスケーキとか言われてた >>276
カラオケで歌いたくなる
リピが止まらない
抒情的でやはり広い年代にウケる要素があるね >>256
さよならくちびる観たよ
映画としては微妙だし、現代って気がしなかったけど、
こういう題材の日本映画は多くないので楽しめた
コーエン兄弟の名もなき男の歌が好きなんで特に
もう一つのお勧め映画も観てみるよ >>273
この曲聞いて、これはもうフォークじゃないよねってなって、ニューミュージックって言葉が生まれたと個人的には記憶。 >>307
25の女はクリスマスケーキ(=売れ残り)ってカツオくんのセリフであったのをはっきり覚えてる
今だと大問題になって放送打ち切りになるだろうけど >>202
わたしたちの望むものは
中津川で客と口論したりして。 >>291
ターゲットの客層に合わせていたのかな。
今のアイドルがオタの媚びて友達いないアピールしたりするのと同じで。
80年代アイドルはファン層がヤンキーだったのでヤンチャアピールしたり怖い人設定だったりしてたよな。 >>307
22歳になれば少しずつ臆病者になるわ
なぜかわかる?あなた
わたしの誕生日に22本のローソクを立て 17本目からはいっしょに火をつけた…
未成年者淫行防止条例でタイフォ! >>293
そうそう、覚えてるよ
かわいい名前なのと、
大久保さんの子供に生まれてラッキーだなあと
軽く嫉妬した思い出w フォークも全部金儲けだったからね
プロダクション主導 >>281
何を話してるの?
だからさ、聞き取れないよ うちの高校生にどれだけショックか聞かれたから
例えるならゆずが亡くなるくらいと言ったら
わかってもらえた 薬剤師やってたんか
風ぐらい売れたら音楽業界で食っていけそうに思うけど >>86
>>90
人画は4でなく10ね
たしかに10は凶数なんだけど、人画10、20、30、40画は
時として強烈な強運に転じることがある
この人の場合、それが一時期作用したのではないかな
晩年運の19画や外画の9画で打ち消してしまっているけれど >>350だけど調べてみたら
昭和25年で五黄星
最強の星の持ち主だからそれも作用しているね
ほとんどの方位に意図せず行っても成功する
ただ、五黄星の人が五黄殺・暗剣殺の方位に行く時は
本命殺・本命的殺も同時に冒すから厳重注意 >>328
茶水で死体洗いのバイトのちらしよく配ってたな こないだのチャーリー・ワッツのスレはめんどくさい奴が集まってる感があったけど、
このスレは妙に枯れてるのは、やっぱ住民の齢のせい? ちゃっかり二股かけて、
五年付き合った方の男を捨てて、
安全パイを選んだ女の歌でヒットしたグループの片割れだっけ? >>360
あれは親の命令で結婚させられたんだよ
その当時はそういう時代だった
「花嫁」という歌はそういう結婚から逃げていく歌だ >>361
親の命令か…
そこまでは読み取れないが、まあそういう解釈もアリかw
「花嫁」は名曲だな
時代を超えて、眞子さまの境遇と重ね合わせてしまうわ >>335
あおい君とさとう君、ながら勉強で聴いてたw
深夜放送が今のスマホ並みに中高生に欠かせなかった時代やね
当時はあおい輝彦もかなりの人気だったけど
この30年は時代劇ぐらいでしか見なくなった
ケメはよく日本情緒たっぷりの詞を書いてたね
青春=アンニュイで暗いイメージがあった時代
森田童子なんかが象徴的だけど、多くのフォーク歌手には
死ぬことさえ諦めちゃいました的な破滅感と退廃感があった >>362
当時のフォークが題材にする女性は
純真無垢というのが大前提なのw >>363
ケメは「あした天気になあれ」かな
フォークではアイドル的な人気を誇ってた >>365
やっぱ「通りゃんせ」じゃない?
日曜日も好きだった
せっかく彼女に会えたけれど
今日は日曜で人目があるから街には行けない、
というアイドルの哀愁歌だと勝手に解釈してたw >>367
ケメ好きな女性は「明日天気になあれ」とか「お昼寝」とか
罪のない意味のないかわいい歌が大好きだったよ >>363
全国放送だったからね
でも本人はアイドル的な売り方が嫌だったみたいだね
拓郎はそれに乗っかって売れたんだけど
反発する人もいた時代 >>232
「風」はニューミュージック初期に活躍しているから、関係無くは無かろうが。 >>335
79年に引退コンサートだったかな?
運良く父親が東京に出てきてビルを一つ建ててたそうで
体調不良で思ったような音楽活動が出来なくなってからは
その親のビルの管理人にしてもらえて、それで収入を得ていた >>371
そうだったんだね
羨ましいようだけど、何とも言えないな
芸能界に向いてなかったのかな
活動再開したのは、思う所もあったのだろうね >>323
>ちゃうわ和夫だw
間違える人多いよね 昔、北山修の講演会行って、北山さんも間違えてた(^^;; 地平線の見える町、を聞いて汽車にはのいらずバイクで中標津目指して走った学生時代 どうしてフォークのひとって左翼ばっかりなの?
フォークソングが好きな右翼はどうすればいいの?
(´・ω・`) >>381
団塊の世代はそれがファッションだったから >>381
アメリカで反戦運動とともに生まれてきたから
70年代は左翼がかっこいいという雰囲気があった >>383
それは60年代だよ
ボブディランは反戦フォークの教祖に祭り上げられるのが嫌で
66年にはすでにスタイル変えてたからな
反体制にこだわる残党も69年ごろから急速に勢いを失って
吉田拓郎の登場でほぼ表舞台から消えた >>381
もはや死語化したがヒッピーのようなカウンターカルチャー思想ってだけ
左翼によく政治利用されるが実際は違う
共産圏のやつはフォークなんて聴かないから流行った試しがない >>381
歌ってる人たちは団塊だけど、
70年代はシラケ世代にも支持されて
シラケ世代はノンポリの無党派だよ 「22才の別れ」は名曲
花びらが散ったあとの
桜がとても冷たくされるように
誰にも心の片隅に
見せたくはないものがあるよね
だけど人を愛したら
誰でも心のとびらを閉め忘れては
傷つき そして傷つけて
引き返すことの出来ない人生に気が付く
「ささやかなこの人生」も好きな曲 人はだれもただひとり旅に出て♪
ってやつ
暗いよね >>381
南こうせつが以前コンサートで
「僕は左翼でも右翼でもないよっ!ただ歌を歌いたいだけだからねっ!」
と言ってた
確かにこの人は昔から政治的イデオロギー感ゼロだったな
だがそれが良い 大久保一久
昭和大薬学部
伊勢正三
千葉工業大工学部工業化学科
それぞれちょっと意外な学歴 >>374
かぐや姫とか猫とか拓郎ならともかく
あんまり関係ないよね >>389
お寺の息子だからね
檀家の手前、息子がゲバ棒もって火炎瓶投げてたらしゃれにならんから
親が厳しく教育したんだと思う >>389
コンサートに安倍首相出したことあるからな。
安倍首相も「かぐや姫がコンテスト番組出たたの見てましたよ〜」って。
中川五郎が名前は出てないけど批判してたな。人柄は悪くないけど「首相を出しちゃいけない」って。 こうせつの話も要らん
せめて猫か風か大久保個人の話をしろよ 大久保さんが使ってたギター、
オベーションだっけ?
当時まだ日本に二本しかなくて
もう一本は拓郎かチャーが持ってたと記憶。
今でも持ってたんだろうなあ。
聴きたかったなあ
ご冥福をお祈りいたします。 >>396
それはこうせつじゃない?
久保ヤンは初期はギブソンハミングバードだったっけかな 22才の別れとか、猫の「地下鉄に乗って」とか、女に猫なで声ですり寄るような歌大好き
だよwwww
軽くて女に軽んじられる分、自分自身も解放されるみたいな。 正やんは大分だよね。小倉で「3号線を左に折れ」て大分方面だよねw >>397
そうだったんだ、記憶違いだったのね。
すみません。汗汗
かなり良いギターを使っていたと思ってたので。
もちろんギブソンもかなり良いけど。 >>394
この中川五郎ってやつ
よくいる反日左翼
ほとんどカルト宗教でどうにもならないバカ >>1も元記事の記者も「相棒」の意味を知らんのか。 団塊っていまだに朝日新聞みたいなやつが多くて情けない気持ちになる 風の名曲の中に「暦の上では」があると思うんだけどなぜ語られる事がないんだろう 久保やんの曲ではデッキに佇む女がダントツ好きだった >>397
正やんもかぐや姫時代はハミングバードを使っていたから、もしかしたらそれを使っていたのかな
風では正やんはマーチンのD45を使っていた 調べてみたら、団塊世代のフォーク歌手には
50〜60代で病死してる人が多い
70年代の退廃ムードのまま、不健康な暮らし方をする人が
結構いるんだろうか、何なんだろう? 「風」よりも、その前に大久保一久が在籍した「猫」のほうが好きだな。
『各駅停車』は今聴いてもカッコいいロックバラードの名曲。
RIP >>389
大半のプロのフォークシンガー、ミュージシャンは、政治的ではなかったろ。
当時の一般的な同世代の傾向が普通に反映されてただけで。
でも岡林は本物のプロテスト・ソングだなあ。嫌いじゃない。
というか、ジョン・バエズやPPMよりも、岡林のほうがずっしり響く。 >>182
このエピソードにヒントを得て出来上がった曲が
オフコース「きかせて」 おもえば昔はレコード売り場が釣り場やったんかも
みんなーいいやつばかりさー
俺とはちがうさ
そしてあおの頃とおなじように
5ちゃんへ釣りにでもいきなよ^^ Today is the only day I can say good by to you.
If I touch your warm hand tomorrow,
I won’t be able to say it, I feel. ウエストコーストサウンドなんだよ
それがわかんない奴がフォークって言っちゃうw 22才の別れ、この曲けっこうエグイな
イケメンだけど甲斐性の無い男を見切って
ハゲでぶ金持ち男と見合い結婚する打算的な女の話だろ
でも顔は気に入ってるから浮気相手としてキープしておきたい女心が
あなたは変わらずいつまでも今のままでいてね、という歌詞にあらわれている いや、高校のときにできた彼氏が22にもなって
まともに就職もせずパチンカス化したから見限った、的なイメージだが…… しかしYouTubeで昔の風の映像見ても
久保やん影が薄いよなあ
正やんの横にオマケみたいにいて、
歌ってるのかどうか分からないくらいw
これじゃグループとして長続きしないよね >>426
この写真で、当時それぞれ何歳くらいなんだろ? ガキの頃なにげに聴いていた「ささやかなこの人生」
おっさんになった今聴くとメッチャ滲みるわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています