【朝日】古事記の膨大な出雲系神話は、服従の歴史か、連携の記憶か 古墳から読み解く大和と出雲の関係 ★2 [みの★]
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『古事記』が語る神話は、3割から4割が出雲系とされる。中央政権が編み、自らの正統性を知らしめるはずの伝承なのに、である。そこに隠されたのは大和と出雲の征服と服従の歴史か、それとも連携の記憶か。近年の研究成果から読み解いてみよう。
大和王権の成り立ちを後世に伝えるにはそぐわない一地方の物語が、これほど挿入されたのはなぜか。この問題をめぐっては、覇権を伸ばす中央勢力に出雲が屈し、傘下に入っていく過程を暗に示唆していると理解されることが多い。
奈良時代から平安時代にかけ、出雲大社でオオクニヌシをまつる出雲国造が新任時に朝廷で執り行った、天皇の世をことほぐ神賀詞(かむよごと)の奏上儀礼を、服属の名残と見なす意見も根強い。
ただ、そこにはなにか奥歯に挟まったような違和感、もどかしさがある。実は、『古事記』とほぼ同時期に成立した『日本書紀』は出雲神話にほとんど触れない。だから、ここに出雲侵略への負い目にも似た大和側の感情をかぎ取る研究者もいる。そんな出雲の複雑さは、考古学的にも見て取ることができそうだ。
…続きはソースで(会員記事)。
https://digital.asahi.com/articles/ASP3V563TP3JPTFC02B.html
2021年9月15日 11時30分
前スレ:https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1631685109/
★1が立った日時:2021/09/15(水) 14:51:49.89 >>360
さすがにそれはない
時代考えろよ
平田篤胤はキリスト教の書籍を読んで古事記に名前だけある天之御中主神を後付でキリスト教における創造神に位置づけたりしてる
そういう流れの解釈だろ
つまり本来の古事記が意図した意味とは何の関係もない 日本古来の思想を理解せず、キリスト教的価値観に侵食されてしまうのは嘆かわしいことだな
日本人ってのは要するに、恋愛を世界のはじまりと考えてたんだよ
まあ当たり前のことだけどな
恋愛→セックス→妊娠→出産
全てのはじまりは恋愛
創造神なんかじゃない 秦氏登場からの日本の文化力アップは誰も否定できないところ
日本書紀の月弓君の大量渡来
秦氏の伏見稲荷、宇佐八幡の神主は秦氏の枝族
八坂のイヤサカはヘブライ語でヤファエ偉大なりだそうです
秦氏は自ら出自はペルシャ、メソポタミアと語ってるそうです。
そして麻生さんは秦氏の末裔なのです >>360
聖書も日本神話も古代オリエントの影響
コーカサスからユーラシアステップ地帯を通って満洲に至った遊牧民が
オリエントの要素を東アジアにもたらした >>363
古事記は日本に伝わる古い話を文書化したものだよ
口伝だから聖書よりも古い話はざらにあると思う >>368
それはあるね
もしかすると縄文期に阿蘇山の噴火で大陸に渡ったのが1万5千年前だから、その縄文人が古代オリエントと関係ある可能性もある
シュメール人は黒髪らしいし >>363
平田篤胤の解釈は平田篤胤の解釈で太安万侶の意図とは違うよ
例えば、淤能碁呂島は、おのれのこころの島でオノゴロ島
言語と精神の話を語呂遊びと他の史実や地名と掛け合わせて書いた古代の皇族が大ウケしてた物語だよ >>317
発掘されたやつでは考古学者がおもしろいことを言ってたな。
出雲ー丹後ー越の。
あるときは出雲と越が交流して、丹後が爪弾きの時があるんだそうな。
これが出雲が綱を引いたやつか?みたいなw
でもその後は、丹後も仲間になってるらしい。
なぜそういうかといえば、古墳(弥生古墳)に丹後の土器が出てくるんだそうな。
つまり、首長の葬式に参列してお供えをしていたw
弥生後期あたりになるのかな。
丹後はヤマト王権創生期に創立の有力グループの一つだったと思われる。
出雲の位置がようわからんのよなあ。
出雲神話やら言語やら独自の文化のようにみえんことはないが。
大量の銅鐸とか、どう見ても弥生文化だし。
在地色、縄文色が強い有力氏族がいたのか。
丹後は海部というかアマテラスの息子の天火明命が始祖だと言ってるし。
神武がいなけりゃ、わりとすっと話が通るんだよな。
巻向の土器に東海系や北近畿系近江が出てくる。
天理の丹波市町とか大和古墳群とか東大寺や古墳とか
和邇氏の祖の天足彦国押人命の父の孝昭天皇の后の世襲足媛とか、
そもそもが、神武がヤマトに入ったときにはすでに天孫がいたわけで。
「神話」はその人らのもので、アマテラスを始祖と仰ぐ一族が
各地に広がってたんじゃ。
それを無視できんから、「九州へ行ってた俺様」を
その彼らの伝承にくっつけた。
禅譲されて王になったという中国の神話にあわせて話を盛った。というか挿入した。 大体アマテラスだの果てはヤマトタケルなんていないだろ
古代の王や遠征軍を率いた王室関係者はいただろうが >>373
いないというのは完全な創作という話か?
神とは死者の魂を神式で祀って名前をつけたモノと鬼神論で語られてる
東照権現は家康を祀ったモノだが家康はいたが権現はいなかったって話をしてるのか? 失われた十枝族探してるイスラエルの機関もミャンマーで発見して8000人ほど移住させてるからな。
やっぱり青森あたりが怪しいね 八坂を明治から名乗った理由はわかった?
なんで明治まで千年以上偉大なヤハウェ(笑)を名乗らなかったの? >>373
関東のヤマトタケルの事蹟は多過ぎて
いないと言う方が無理がある 80年戦争と合わせて日本史も見れば
支倉が7年もユーロの金で暮らして
挙げ句帰国後に処罰されないの不可解過ぎるって思うよな?
しかも、支倉常長は処罰されないのに
その後、息子の家臣がキリシタンだから家が断絶してんだぞ?
学者って本当にインチキだよな 常長が一番怪しいのに息子の家臣がキリシタンで処罰とか
現代に至るまで節穴過ぎたよな。
しかもその40年後に伊達騒動起きて改易したら、一関藩がやたら縮小して
元々一関藩の地域も仙台藩になっちゃってるからな。
立て続けに可笑しいのに疑念湧かないってどうなの? >>371
違う
キリスト教の影響のもとに解釈する流れがあったんだろうってこと
独自にキリスト教と照らし合わせて解釈したなら、平田篤胤と違って当然 フェリペ3世の死に方も唖然とするけど
日本は日本で酷いと思うぞ >>18
天皇家が他の豪族の歴史を乗っ取っただけなのでは?
天智天皇以前は繋がってないような気がする >>380
たぶんキリスト教は関係ないよ
というか古代から神を追求する人たちは幽を追及する人たちで、その幽は何かというと、言語だったというのが共通的なところ
聖書の聖という字も耳と口の王と書き、つまり、言語のこと >>302
古代巨大な大墳墓を造成するのに
天皇一族はすでに特権階級として
大量の現地人を奴隷として労働に駆り出すだけの絶大な権力を
畿内で大墳墓を作ることで大和内外に権威を確立したことを示すことになった 基本、常識的に解釈できないキチガイは相手にしない
こじつければいくらでもこじつけて解釈できるからな
そんなやつ相手にしてたらきりない >>387
胡散臭くないやつはなんだろう?
平田篤胤じゃないだろうね? 平田篤胤とか過去の人物ほど歴史学とか自然科学とかの教養ないからな
そいつらの解釈なんかあてになるはずない >>389
あなたの考える古事記を聞かせてくれたまえ 箸墓古墳は主体部を発掘していないので
結論は出せないが
周囲から出る遺物はすべて4世紀後半以降である。
また、各地の箸墓古墳に類似する
完形前方後円墳はすべて4世紀後半と
比定されている。 >>393
ちょっと修正
箸墓古墳は主体部を発掘していないので
結論は出せないが
周囲から出る遺物はすべて4世紀後半以降である。
また、各地の箸墓古墳に類似する
完形前方後円墳はすべて4世紀後半以降と
比定されている。 ヤマト王権がなかなか服従させられず、西日本では最後に屈服したのが出雲だったというだけでしょ。
出雲大社は本来神社ではなく出雲王権の王宮的建物。
出雲大社の神主の家系は出雲国造の血統で、古代における出雲国造の特別な扱いは、ヤマトへの服属儀礼の要素を多量に含んでる。
まあまあ強い国だったわけだ。 出雲国造はどっちの王家でもなくベリヤやスネ夫のポジション。 本居宣長は、実証的な研究をしたあの時代ではすごい学者だよ。
読んでみると国粋的な思想は持ちながら(漢心の排斥)、基本的に勝手な自分のイデオロギーでなく、文献から論理的に実証しようとする。
弟子にも、自分(本居)の書いた説を絶対視してはならない、間違いとわかったら否定せよ、それが学問だ、とはっきり書いて教えている。
それに比べると平田篤胤は、ただの J アノンだよ。
神代文字を主張して偽書作りまくり、言ってることがムーの世界。 >>398
抑(そもそも)、意と事と言とは、皆相称へる物にして、上つ代は意も事も言も上つ代
本居宣長のこの記述。古事記の最初は言語の成り立ちと精神の書。 >>396
魏志倭人伝で登場する数ある倭国家群の中で
出雲はどの国に当たると想定してますか? >>324
古墳時代は初めての全国規模の動乱が起こって地方の豪族が纏まりを見せた時代だったと思う
戦国時代に近いか、それより激しい何かがあったかも知れない
最近になって古墳時代初期の空白の100年間に注目が集まりつつあるのもそういった背景を本格的に調べ始めたからかも
日本人の由来に縄文弥生の他に古墳も入れようなんて話もあるからね 大きい古墳作ってるところは
あんまり戦乱の痕跡がないのよ。
それだけ、ある意味無駄に人力を活用できたってことかねえ。 >>402
古墳時代は寒冷化したから大陸から大量に移民が渡ってきた
移民の中には縄文人の大陸進出組(東夷族)の里帰りも含まれる
その里帰り族の女王が卑弥呼 >>404
日本からの影響が大陸にも残っているけど、流動性を考えたら極東は常に人が行ったり来たりしてたんだろうね 稲作の神聖視
祭祀における鏡
前方後円墳
が大和王権の印
この三つが確立されて古墳時代となる
どれも戦いよりも祭祀の形態
ある程度祭祀(宗教)が統一されたと言うこと 倭国大乱 気候変動が原因 大雨長雨と判明
雨の被害が少ない安全な大和地方に人々が集まってくる
今の線状降水帯の大雨で九州中国地方が被害甚大で、奈良大和は被害が少ない
のが古代の再現 アラハバキに関してのYouTubeみてたら、気になった事があったから教えてもらいたい。
元々アラハバキは日本土着の神で出雲族が崇拝してた神らしいんだが、ヤマトにより北へ北へと追いやられるうちに、アラハバキを祀った神社は、ヤマトが崇める出雲の神が主祭神に変わっていった…て説明あったんだけど。
この出雲族と出雲の神の関係性なんだけど、ヤマト族が崇拝してたのが出雲の神なの?
出雲っていうくらいだから出雲族が崇めてた神=出雲の神じゃないの?
そのYouTubeが間違ってるだけなのかなんなのか気になってしまって分かる人いたら教えてもらいたい。 勝者にとって不都合な歴史は消される運命
権力者が変われば新たな歴史に塗り替えられる
歴史の真相なんて永遠に解明されることはない いまの時代も騙しは(魂)、自称能力者とかお笑い芸人程度で神対談とユーチューブで騒がれるぐらいだからねw🤔 >>409
崇拝とは少し違う
怨霊信仰だから、征服した土着の神が祟らないように祀る
たとえば伏見稲荷の本当の主祭神は龍頭太という秦氏がそこに来る前にいた神だという
龍頭太を殺し、その土地を乗っ取った上で龍頭太を神として祀ったのだそうだ
それを深秘として表向きの主祭神と本当の祭神とが違うということらしい
そこから千年以上たっているので様々な変遷がされて本来の形が簡単には見えなくなってる
出雲大社は参拝客が本殿の前にたっても神体と向き合わないようにできており、参拝客はその奥にある素我社と相対するように出来ていたりする
出雲は大国主だが素我に祀られるスサノオが本来の王ということを示してるということなのだそうだ
神社の本殿や祭神、配置や造り全てに意味があって何かを示している
祀ってある、崇めているという意味も神社ごとに違うということになる
ヤマトは出雲を侵略征服した上で国譲りという神話を作り、征服された豪族を大国主という神に祭り上げた
次は別の豪族に同じことをしてその豪族も大国主と習合させて祀っていった
同じ神を祀っているのは同じ様な目にあった人々がいたという話なのだろう >>412
なるほど!
そうかそれならヤマトが何故出雲の神を祀っていたのかしっくりくるね
モヤモヤが晴れましたありがとう! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています