【奈良】「卑弥呼の後継・臺与の墓?」「築造は3世紀後半から末、邪馬台国畿内説に弾み」 卑弥呼の箸墓に迫った2メートル [樽悶★]
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箸墓古墳の墳丘(上)近くで見つかった葺石。宮内庁管理の区域の2メートル手前まで迫った=平成7年2月、奈良県桜井市
https://imgur.com/dWesxT5.jpg
「考古学者が一番掘りたい古墳」ともいわれるのが、奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳(3世紀後半、墳丘長約280メートル)。日本で最初に造られた巨大前方後円墳で、邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓との説が戦前から唱えられているからだ。卑弥呼が中国から贈られた「金印」が見つかれば、邪馬台国畿内説を決定づけるとの期待は大きい。しかし、宮内庁が第7代・孝霊天皇の娘の墓として立ち入りを禁じ、発掘もできない。この謎のベールに包まれた古墳に、果敢に挑んだ発掘調査があった。
■古墳研究が何十年も遅れる
「卑弥呼の後継・臺与(とよ)の墓?」「築造は3世紀後半から末、邪馬台国畿内説に弾み」
平成7年2月、新聞やテレビは箸墓古墳の発掘成果を大々的に報じた。これまで不明だった築造時期が絞り込まれ、邪馬台国論争に重要な手がかりが見つかったからだ。
さらに研究者を驚かせたのは、立ち入り厳禁のはずの古墳で、なぜ発掘ができたのかということ。
この調査を担当したのが、県立橿原考古学研究所研究員だった寺沢薫さん(70)。現在は、箸墓古墳や邪馬台国の首都ともいわれる纒向(まきむく)遺跡を研究する桜井市纒向学研究センターの所長を務める。
実際の発掘の範囲は、宮内庁が管理する古墳のすぐ外側だった。墳丘北側に接して広がる大池の護岸工事を近畿農政局が計画し、それに先立っての調査。大池の堤防は墳丘につながっていたため、「箸墓に最も近い」発掘となった。
「何か出たら古墳のギリギリまで掘り進めようという思いだった」。寺沢さんはこう振り返る。「箸墓にこれだけ近いところを掘る機会なんてこの先、何十年あるか分からない。今やらなかったら、箸墓や古墳時代の研究が数十年遅れることになる」
■「立ち会いってどういうことや」
※省略
最終的に、発掘範囲は宮内庁の管理区域の2メートル手前まで肉薄≠オた。「本当はあと1メートルぐらい掘り進めたかったが」と寺沢さん。
調査の結果、箸墓古墳の墳丘は、宮内庁の管理より外側に広がっていたことを証明。さらに、古墳には幅10メートルほどの小さい周濠があることも分かった。
築造時期を特定する決め手となったのが、周濠部分などで見つかった大量の土器。考古学では年代を決める最も重要な「物差し」で、木製品の鋤(すき)=スコップ=とともに出土。いずれも古墳築造にあたった作業員が捨てたものと推定され、土器の型式から箸墓古墳の築造は3世紀後半から末頃と分かった。
「もし立ち会い調査で済ませていたら、葺石も土器も見つからなかっただろう」
■宮内庁の監視の目
ちょうど葺石が見つかり出したころから、宮内庁関係者の巡回の回数が増えていった。当時、記者としてこの発掘現場を取材した際、同庁職員の姿をしばしば見かけた。「宮内庁が管理している墳丘部分まで掘っていないか監視しているんだろう」。発掘現場を訪れた大学の研究者らから、そんな声ももれた。「卑弥呼のロマン」とは裏腹に、現場にはピリピリした雰囲気が漂っていたのを覚えている。
今では、仁徳天皇陵古墳(堺市)などの陵墓で、宮内庁と地元自治体が共同で発掘を行う事例も増えてきたが、この頃は「互いに縄張り意識みたいなのがあった」(考古学研究者)時代だった。
ただし、葺石や土器が見つかったことを受け、研究所から宮内庁の考古担当者に連絡すると、同庁担当者がさっそく現場を訪れ、出土遺物や遺構に見入った。寺沢さんは「組織や立場は違っていても、お互いに考古学者同士。いろんな意見が交換できた」と振り返る。
寺沢さんは現在、出土土器を通じた箸墓古墳の築造年代を260年代後半から270年代とみている。
卑弥呼が亡くなったのは248年ごろ。それなら被葬者は? (小畑三秋)
2021/9/15 08:00
https://www.sankei.com/article/20210915-C22NUJAAMFP2FAFDVJTAFEIUXE/
2021年9月17日 23:01
https://note.com/xanqo_10post_jgo/n/nd1ba09826dcb >>1
>宮内庁
ほんとにコイツらいい加減にしてほしい…… マタイの福音書1章に注目
https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AE%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8%201&version=JLB
14代・14代・14代と「14代ごとに歴史の転換点や偉人の誕生、壊滅的な天変地異が現わされる運命」が神様により作られている
さらに富士山噴火の歴史に注目
一度目の噴火である貞観大噴火は、14+14+14+14=56代目天皇の時に起きた
二度目の噴火である宝永大噴火は、14+14+14+14+14+14+14+14=112代目天皇が上皇陛下として存命だった時期、113代目天皇の時に起きた
そして今の令和天皇陛下は、14+14+14+14+14+14+14+14+14=126代目
そして富士山が噴火する時はなぜか毎回「咳の出る熱病」が流行している
感染症と大規模災害が同時に発生する複合災害は、過去何度も起きている。
例えば平安初期の貞観富士山噴火(864年)のときは、咳逆病(しはぶきやみ・インフルエンザ)の流行が続いていた。
『日本三代実録』には「863年は前年から咳逆病が大流行し、大納言・源定、内蔵権頭・藤原興邦、平城天皇皇女・大原内親王、大納言・源弘などが相次いで死去した」と書かれている。
5年後の貞観地震(869年)のときもまだ咳逆病は収まっていなかった。
そこで朝廷は、京都の祇園社(現・八坂神社)に祭られていて疫病を打ち払う神と敬われていた牛頭天王(ごずてんのう)と素戔鳴尊(すさのをのみこと)の祭り「祇園御霊会」を挙行。
当時の国の数に合わせ66本の鉾を立て巡らし、諸国の悪霊が宿るように仕向け、そこへ祇園社の神を祭り、みこし3基を送り込んで諸国の穢れを祓い厄払いした。
以来、毎年7月30日が祇園祭として今日まで定着している。
江戸時代の南海トラフ地震ともいえる宝永地震(1707年10月28日)と、その49日後に発生した宝永富士山噴火(12月16日)のときもインフルエンザが蔓延していた。
100キロメートル離れた江戸でも、新井白石の自叙伝『折たく柴の記』に「夜に入りぬれば、灰また下る事甚し。『此日富士山に火出でて焼ぬるによれり』といふ事は聞えたりき。
黒灰下る事やまずして、十二月の初におよび、(中略)此ほど世の人咳嗽(しはぶき)をうれへずといふものあらず」と書かれており、降灰とインフルエンザ(咳嗽)で呼吸器疾患者が続出したといわれる。 畿内説推してる学者って誰なの?
もういい加減にあきらめなよ 邪馬台国は神奈川にあったよ
遺跡がたくさん出てるし 2千年近く昔の墓が今日まで荒らされずに完全な姿で残っていると思う方がファンタジー >>15
どこそれ?
とにかく神奈川県にはものすごく大きな国があった
邪馬台国はただの集落や
遺跡すらないんだからなw マトリョーシカじゃないかな
後の時代の明日香の古墳の惨状を見ると卑弥呼の墓が残っているとは思えん
箸墓古墳の下に何かがあるかもねえ >箸墓古墳の築造は3世紀後半から末頃と分かった
なら大和朝廷の古墳であるはずがない。
>宮内庁が第7代・孝霊天皇の娘の墓として立ち入りを禁じ、発掘もできない
これも嘘になるから禁止する理由がない。 倭国と日本国って別の国だろ?
日本列島には無いんじゃ? https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%BA%E7%9F%B3
葺石(ふきいし)、主として古墳時代の墳墓の遺骸埋葬施設や墳丘を覆う外部施設の1つで、古墳の墳丘斜面などに河原石や礫石(れきいし)を積んだり、貼りつけるように葺(ふ)いたもの イナカモンは遺跡すらない集落を必死に探す
なんも自分らに取り柄がないからだ 別スレで卑弥呼の話してたら丁度このスレが… タイミング良すぎでしょw
卑弥呼の魔術の鏡の裏の模様の中央にある球体の出っ張りは、地球儀である
あの時代にして鏡裏に地球を鉄で造った技術品
丸い地球の姿を知っていたことになる… 宮内庁は万系とか男系とか言う大嘘を隠す為に発掘させないからな つうか、旧唐書で珍しくベタ褒めしてるんだよなw
日本国の事。
当たり前か。大陸から沢山日本列島に逃げてきてるから。 日本列島ジーパン地方にある九州島とその支配地域が倭国で、邪馬台国はその中の一時代の一国 卑弥呼の前、倭国大乱の前に男王の治世が約80年あるんだよ
倭国建国は1世紀半ば〜後半
ちょうど祭祀場跡の滋賀の伊勢遺跡が作られた時期 朝臣真人の身分は中国の戸部尚書(租庸内務をつかさどる長官)のようなものだ。彼は進徳冠をかぶって、その頂は花のように分かれて四方に垂れている。(進徳冠…唐の制度の冠の一つで九つの球と金飾りがついている)紫の衣を身に付けて白絹を腰帯にしていた。
真人は経書や史書を読むのが好きで、文章を創る事ができ、ものごしは温雅だ。則天武后は真人を鱗徳殿の宴に招いて司膳卿(しぜんけい・食膳を司る官)を授けて、本国に帰還させた。 平成7年2月の頃の話かよ
まだゴッドハンド事件がバレる前だな
宮内庁が見張ってて良かったてことだな お前ら、中国人が名乗った卑弥呼は卑字だぞ、日本名を日本人は名乗るべきだろ いまだ畿内説を唱えてる奴らってなんなの?
飯塚幸三みたいにゴネてるだけ? 邪馬台国が、どこにあろうと、
有史として、政治と文化の
中心は畿内にあったんだし、いいんじゃねぇ。 邪馬台はヤマトで近畿、卑弥呼が天照大神で台与が豊受大神。 >>40
そのまえに北九州王朝があるし、その前には出雲があるし、
日本国は後発よ 出雲と大和って仲悪かったの?
この辺の古代史をわかりやすく理解できる本ってある? 九州説はとなえてる奴、願望の妄想吐いてるだけやからなw 魏志倭人伝を後漢書と比べて見れば、漢の時代、邪馬台は自ら朝貢
せずに、配下の奴国を倭国代表の体で朝貢に出してたと分かる。
奴国は、漢の臣下の礼を尽くし倭奴国王に任じて貰った訳で、その奴国
を支配する邪馬台の王は、漢の皇帝と並びの地位、ということになる。
列島内的ではw
つまり、邪馬台こそが、漢の時代の列島覇権国だったと分かる。
ところが、その邪馬台が漢衰退期の倭国大乱に負け(!)覇権放棄
の証として女王(=剣を持たぬ王)卑弥呼を即位させてる。
卑彌呼の死後、邪馬台の覇権復興を掛け男王が立つも、戦になり、
また負け女王に戻した(臺與)。邪馬台に覇権が戻ることは無かった。
邪馬台の博多港は、謎の勢力「大倭」(←これ奈良だよな?)に
完全に押さえられてる。この「大倭」こそが倭国大乱の勝者で、
かつて邪馬台がしたように、今度は「大倭」が軍門に下した邪馬台を
魏に倭国代表の体で朝貢させてる。
そんな覇権を失い名目だけの存在になった旧覇権国・邪馬台は九州。
4世紀に入り、華北崩壊で朝貢秩序が消失すると、大倭は邪馬台を
滅ぼし、その歴史的権威「やまと(邪馬台)」の名を奪う。
そして、この権威簒奪を正統なものに見せるために、神武東遷の神話
を作り上げたわけだ。九州やまと(邪馬台)の神が東の奈良に移動
してきて天皇に成ったと。 宮内庁が頑なに古墳調査させないのって、韓国が歴史改竄してるのとまったく同じ行為だよな 銅鐸圏を潰したのは銅鏡勢力
奈良でも鐘作りから鏡作りに変わった >>44
後でも前でも、政治文化の中心が
東京に移るまで、徳川幕府とみるか、
明治政府とみるかはは、別にして。
現代の日本文化の根本は畿内だ。
そこは変わらない。 >>52
今の日本の源流は大和で間違いない。国家意識は大宝律令で民を支配したことに始まる。 卑弥呼って美人だったんかな・・・
美人であって欲しいな 卑弥呼が美人なら、エキゾチックでステキだよね。
ブスなら全員白けるよね。
文献に絶世の美女って入れといてくれ。 そもそも無理やり260年に持ってきた感を否めない
史書にあるとおり百襲姫以外にはコレほどの墳墓に被葬されるべき人物は居らず崇神記にも特筆された偉大な築造であった
疫病で苦しんだ崇神治世の書紀では最大の事業だったとも言える
しかし歴史ファンなら知ってる通りこの時期というか以後もずっと同じだが
3世紀以降の大和朝廷の古墳の構造が魏志倭人伝には全く一致しない
中国では埋葬形態は大きな関心事だったから張政が間違えたとは考えられない
つまり奈良に卑弥呼が居た可能性はゼロである >>54
それって現代語訳されてるのかな…
調べてみるよありがと >>50
古墳調査=体の良い墓泥棒
認めちゃいかん。 箸墓古墳は巨大前方後円墳。卑弥呼(倭人伝に概要の記録あるのに)やモモソ姫の墓は絶対に違う。ヤマト王権の大王の古墳としか思えない。
そもそも朝廷はなんで歴代天皇陵が何処にあるか記録してないんだよ。江戸時代から明治にかけて比定することしかできてない。 倭国語とひのもと語のクレオール言語が現代日本語?! >>7
現在の日本史にとってヤバいものが出てくるからだろ 卑弥呼の魔性の鏡に日を当てて壁に反射させると魔神が浮かび上がる
その鏡で太陽光を照らすため、天照大御神と呼ばれていた
魔術予言者の巫女、天照大神 >>50
大和王権と邪馬台国が別だって言い張ってるの崩れる可能性あるからなw 高市早苗が古墳掘るって公言したら謎の勢力が沸いてきて即日総裁選辞退に追い込まれるだろうね >>60
だから壹与じゃん
壹は壱の旧字体
壹だけ旧字体で與が新字体なのは気持ち悪いけど 藤原カムイスレかと思ったら違った
藤原カムイと言えば雷火だったんだが、いつの間にかロト紋でしか通じなくなった
いや、ムーミンは有名か 邪馬台国は九州
近畿から漢まで朝貢に行くのに
中国地方か九州で追い剥ぎに会う 無関係で👑王様→😡💢嫌い
に変化しないだろwwwww BC770年 春秋戦国時代。
│
BC221年 秦(キングダム)
│
BC206年 漢(項羽と劉邦)
│
184年 三国時代(三国志)
│ ←────────────卑弥呼
265年 晋
│
439年 南北朝(蘭陵王)
│
589年 隋
│
618年 唐 卑弥呼の弟が崇神天皇で台与は姉弟の親戚の子説を何かで見た 箸墓の年代も諸説あるけど、本体が掘れないから確定できない。
もう少しなんとかならんのかねえ。 ・奈良、京都主導の古代日本は朝鮮より下っ端の後進国
日本と朝鮮半島の歴史と文化の交流というものを考えてみますと、長きにわたりまして、日本は朝鮮半島よりも明らかに後進的な国です。
『古代豪族と朝鮮』京都文化博物館編
河内飛鳥(大阪府)の文化は百済につながる人々によって創造された百済色の濃い文化であった。
(『河内飛鳥』山尾幸久・立命館大学教授)
秦氏というのは新羅を母国といたしまして、五世紀の後半に日本列島に渡来してまいります。そしてこの京都に住みつきます。
(「渡来人と平安京」井上満郎・京都産業大学教授) >>64
調べてないのに墓と断定できる事実はどこにあるんだ? >>12
大和説は全く支持できず九州確定ではあるが九州説は位置が様々だから押しが弱いんだよなあ。 >>2
墓をの守る側(宮内庁) vs 墓を暴く側(考古学) SUZAKUに出てきたイヨかと思ったらトヨって読むのか
漢字難しい >>91
位置もわからんのに確定ってどうやってするの?www 卑弥呼は日御子、日巫女ともいわれるから天照大神とつながる >>94
くだらない好奇心で墓を掘り起こすなんて止めろよな、クソ野郎。 伊勢志摩って事はない?出雲大社あるよね
サミットやったとこ…買春島があるとこ
あ、話それたごめんw 寝惚けてた…
伊勢志摩は伊勢神宮だったわ ワロチw 魏志倭人伝の原文は
壱与、邪馬壱国
壱という字と臺(台の旧字体)という字が似ている事から
邪馬壱国=邪馬臺国(ヤマタイコク、ヤマトコク)という連想がされた
原文通りなら壱与(いよ) >>88
それが正しいとしてもだ、
今のギリシャやローマ帝国、モンゴル、
等は現在大国か?
建国200年ちょいのアメリカがでかい顔してんだろ。 >>101
卑弥呼が実在してたことがわかったら
皇統がずれるから? なんでなんでも邪馬台国にすり合わせようとするのかな 天皇の骨を掘り起こすというのが憚られるんやろうね。 九州説って今でも学説だと勘違いしてる人がいるが
現実は単なる俗説あるいはフィクション話あるいはエンタメコンテンツに過ぎない 弥生時代末期、纏向遺跡が始まった頃、奈良に瀬戸内海のものによく似た円形周溝墓が登場するからねえ
瀬田遺跡だったかな
卑弥呼の墓は径100歩、円形か正方形だった可能性が高い
卑弥呼の墓は潰されたか後に前方後円墳に作り変えられたかしたんじゃないか 毎度毎度答えの出ない言い合いしてあほらし
奈良県桜井市を掘り返したらいい 何で奈良の奥に鮫よけtatooだらけのイカツい海洋部族がいるんだよw アイドリンクユアミルクシェイク方式でやっちゃえばいいのよ >>114
確かに。
瀬戸内の古墳で墓の地層になっている
ところがある。 >>99
諸悪の根源はかつての朝廷が天皇陵を管理してなかったことにより位置が分からなくなった所にある。マジで何やってたの? ヤマタイはヤマト
ヒミコはヒメミコ
なぜ邪馬台国では台を(タイ)と読むのに、
台与では台を(ト)と読むのか。
臺は台の旧字な。 >>44
日本書紀には伊都国王は高句麗が起源って買いてあるから平原遺跡に眠ってるのは九州人じゃないよ
九州は高句麗に支配されたあと畿内に支配された間抜け >>114
そもそも前方後円墳って円墳部分のみが墓で
方墳は祭祀スペースだよ。
なので前方後円墳は円墳だよ >>110
このでかい墓は誰の墓?中に宝物いっぱいあるんじゃね?とかゲスな好奇心を
真理を追求する学問と同列に並べるなるな、クソ野郎。 宮内庁はなんで発掘に協力しないの?
皇室の正当性が決定的に揺らぐリスクがあるってこと? アメリカで陰謀論を信じてるカルト信者を「Qアノン」と呼ぶ
日本で九州説という俗説を信じてるカルト信者を「九アノン」と呼ぶ >>124
あなたは発掘調査がそういう者だと理解してるのですね
タリバンのこと悪くいえませんね 大陸から来た侵略者が元だと思ってるから
つか神話を丸々信じてる人もいないだろうし
何が出ても皇室の威厳に傷がつくことはないと思うのだけど >>125
仮に天皇家が万世一系でないと判明したところで何が問題だ? >>71
ここ調べられると皇統が否定されるようだな
よくわからない神武以来何代かの謎がわかるらしい だいぶん飽きて来たみたいだな
邪馬台国論争
山ほど遺跡が出てくる畿内は邪馬台国なんてどうでもいいし
九州説を力説しても九州には目新しい遺跡は何も出てこない
これじゃぁな >>127
私はタリバンを悪く言ってませんね。あたなはタリバンを悪く言ってるのですか?
あなたはタリバンより下賤なことしようとしてるのに。 ヒミコの墓は箸墓古墳よりも古いホケノ山古墳とみる。するとまさに邪馬台国=ヤマト王権となる。
ヒミコはヤマト王権の初代の王となって、誠にすっきりする。箸墓古墳はトヨの墓とみる。
天皇としては崇神が最初にしても、「天皇」表記がつけられたのは律令時代だし大王(オオキミ)
表記がつけられたのは5世紀だ。崇神の時代でもまだ単なる王だった。つまり、
初代:ヒミコ、2代:トヨ、3代:崇神となる。
ただ崇神期になると、四道将軍の派遣の記述が示すようにより武力を背景に全国制覇を進める姿勢
が顕著になる。王権もより強力になったことが伺える。実在した最初の天皇となったのはそうした
背景があろう。 祭祀は徳仁陛下ではなく佳子様に
巫女装束で行ってほしいな >>131
ここ以外も全部禁止。
今城塚も継体天皇陵の可能性があっても、
立ち入り可能で大規模調査も行い、
未だにあれこれやってる。
魂胆がそこにあれば、すべての古墳の
発掘前に、宮内庁が入る。 箸墓古墳なんて今でもヤンキーが肝だめしで自由に出入りしてるじゃん。
石室内には「喧嘩上等」の落書きが。 以前、3のくせに「2get」と書き込んでしまい、
「2000万年ROMってろ!」と言われてしまった者です。
言われた通り2000万年間、沢山沢山ROMりました。
猿から人類への進化…
途中、「ガットハブグフーン?」と書き込んだジャワ原人に反論しそうになったりもしましたが、 言いつけを固く守り、唇を咬んでROMに徹しました。
そして現れては消えていく文明。数え切れないほどの戦争…生と死、生と死。
2000万年経った今、晴れて縛め(いましめ)を解かれた私(わたくし)が、
2get出来るチャンスに今っ!恵まれました。
感動で…私の胸は張り裂けんばかりです。
卑弥呼女王、見てますか?
義経様、清盛様見てますか?
信長様、秀吉様、家康様 見てますか?
それでは、2000万年の歴史の重みと共に、
キーボードを叩き壊すほどの情熱をもって打ち込ませていただきます。
2get Xは1978年から1億円を超える資金を投資していた山一証券の元顧客であったが、株の運用で損害を被ったことを理由に山一証券に苦情を申し入れたり不当な金銭の要求を繰り返していた人物であり、事件2か月前の1997年8月に発生した山一証券顧客相談室長殺人事件で重要参考人として浮上し、警察がマークをしていた人物であった(相談室長殺人事件では逮捕・立件されず)。
Xは否認してアリバイを主張していたが、アリバイ工作対象の女性がXから口裏合わせを頼まれたことを供述。アリバイ工作が露見してしまったXは殺害を認めた。Xは「動機は山一証券に株取引で損をさせられたために山一の代理である岡村弁護士に自分と同じ苦しみを味わわせたかった。犯行に使われたナイフは犯行後に海中に捨てた。」 >>1
以前「池の水抜きます」という企画のテレビ番組で箸墓古墳に隣接する池の
水を抜こうとした時に、待ったが掛かって中止になったのは宮内庁の横やり
が入ったから? >>131
こういう適当なこと言われるのが嫌だからやろ
考古学なんて「思われる」の積み重ねなのに、一部分だけが都合よく解釈されることが多すぎる 暴論だが、宮内庁の考古担当って存在意義あんの?
天皇陵の比定に何ら疑問を持たずに研究してる訳? >>120
明治になるまで陵墓があまり重要じゃなかったのは面白いよな。
天皇の権威がそこまで高くなかったということだと思うけど。 >>121
元々大陸の表記である漢字で発音を
便宜上近似させただけだから
今の読み方に意味はない >>156
むしろ盗掘されまくって鎌倉時代までにはほとんど何もないという古墳ばかりやな >>153
一番具合が悪いのが継体天皇が朝鮮渡来系だとバレたらいかんという前提で全部動いとるんやと思っとる >>1
畿内説の人たちが「箸墓は間違いなく卑弥呼の古墳と立証されている」
と言い張ってたのはなんだったの? 卑弥呼の墓は糸島市の平原王墓だが壹與の墓が奈良にあると言う事は
壹與の時代に東征をして壹與は奈良に行ったと言う理屈になるが
それは考えられん、神武東征は卑弥呼の死後、最低でも50年以上のち
の事だから、つまり壹與の墓も九州にあるそれがどこにあるかを捜すのが
重要 邪馬台国は神奈川県じゃないかな
遺跡や貝塚めちゃくちゃ見つかってるし 台は旧字体の臺なのに与は旧字体の與じゃないのはどうして? 過去にキトラ古墳のやらかしとかあるのにそう簡単に調査させないだろ。
完全な保全が本当に約束される探索なんて今世代じゃ無理。 掘りたい気持ちもすごく分かる
でも掘っちゃダメなのも分かる >邪馬台国の首都ともいわれる纒向(まきむく)遺跡
いや、言われていないだろ
居處宮室、樓觀、城柵嚴設、常有人持兵守衞
そもそも「邪馬台国の首都」ってなんだよ
南至邪馬壹國、女王之所都 邪馬台国畿内説はもう駄目だよ
どう考えても九州でしかない
佐賀なのか大分なのかは難しい所だが >>160
福井出身って、どう考えてもツヌガアラシトだよな >>175
九州説書く奴はなんでいつも具体的に書かずにどう考えてもとか書くの?
それなら九州のどの古墳が卑弥呼や臺与に当たるんだ?
具体的に書いてくれ 俺は虎の威を借りる狐の説
九州の田舎酋長が奈良の大和王朝のふりして魏に使者だしてふかしまくっていただけ
だから本物の卑弥呼は奈良にいた
中国に使者だして箔をつけるのが九州の豪族たちで流行っていたんだから他と差をつけるためそれくらいやるところも出てくる
だから、物証と中国の伝聞記録が矛盾するのは当たり前 >>171
もうキトラ古墳が卑弥呼の墓でいいよ。
副葬品もあったし。 つくったのが中国人か朝鮮人かもしれんから
発掘調査かたくなにさせないんだろうな 馬具が出て来た5世紀以降の古墳を必死で捏造
利権誘導優先の関西学会 >>175
魏志倭人伝に東側が海と書いてあるから宇佐だな 隋書では邪馬台国=大和として書かれてるよね
でも日本書紀と全く違うから
昔の日本人は絶対認めたくなかったんだろうけど
そもそも隋が日本について嘘を書く動機がないし
かなり正確に描写してるから隋書の方が正しいと思うけど 魏志倭人伝を素直に読めば九州北部までしか行けないんだから邪馬台国は九州北部だよ
その時代に畿内に大規模な国があったかどうかは解らない 遺跡があれば「邪馬台国か!?」
古墳があれば「卑弥呼の墓か!?」
畿内説ってこんなんばっか 居島一平が古代政権は大和と北九州に二つあった
北九州の卑弥呼政権は白村江の戦いで負けて滅びたと
言うとったな 九州説って
九州のどこどこが邪馬台国に違いない!とか
九州のどこどこ辺りだと思う!とか
畿内説は無い!畿内説は終わった!とか
有りもしない思い込みで断定する人しかいないよね
少しでも九州にあったと信じる気持ちがあるのなら
先ずは穴でも掘って遺跡なり何なり探してみるべきじゃないのかね?
まぁ当時の首都圏と呼べるような遺跡なんて
ただの通り道だった九州からは絶対に出てこないけど
それを薄ら自覚してるから九州の◯◯が邪馬台国だー!
って大声で叫んでるんでしょ?
まぁいいから早くそこに行って穴掘ってきなってw
畿内説さんに遠慮せずにw イエスの墓が青森県にあっても
エルサレムは青森県にはないんだなあ 遺跡や貝塚すら無いのにアホや
邪馬台国は遺跡が多数ある神奈川県にあった イナカモンは何もない
だから滅びた集落を探す
バカ 魏志倭人伝に郭がなく棺のみと書かれているから箸墓の可能性はゼロ
箸墓は時代ロンダしてるだけで畿内の他の古墳の状況と照合すると5世紀が妥当 大陸に近い九州の勢力が、強大になりつつある近畿を中心にした勢力に恐れをなし
大陸に支援を求めていたというのが真相な気がするなあ >>27
邪魔大王国?
北九州?
つっこみどころだらけやねw 「九アノン」の皆さま、おはようございます
今日も面白いトンデモをいっぱい喚いてください 九州アノンが好んで使うフレーズ
「どう考えても九州」「魏志倭人伝を素直に読めば九州」 生後10日で面倒見てくれるのは宮廷の使用人くらいだろ。
しかも産まれたのは80年戦争の休戦期間中で最初から状況が良くない。 支倉が帰国して半年でフェリペ3世は暗殺だしな。
雰囲気悪くて限界だったんだろ。
とりあえず公然としても誰も得しないし。
穏便に暗殺でしょ?お疲れ様です。 >>194
隋書にはちゃんと書いてるけど?
桓霊之間其國大亂遞相攻伐歴年無主
有女子名卑彌呼能以鬼道惑衆
於是國人共立為王 有男弟佐卑彌理國
其王有侍婢千人 罕有見其面
唯有男子二人給王飲食通傳言語
其王有宮室樓觀城柵 皆持兵守衛
為法甚嚴 自魏至于齊梁代與中国相通
>其王有宮室樓觀城柵 皆持兵守衛って
これ九州では絶対不可能な規模の遺跡だよね 九アノンの情報ソース
安本や古田みたいなド素人が集まった同好会のホームページ
どこの馬の骨とも分からん個人の胡散臭いブログ
しかし学者の論文なんかはガン無視 高句麗の北に住んでいたのが穢族
穢族の北に住んでいたのがアイヌ人
東夷伝しか資料がない、しかもその精度は不明
すでに江戸時代から邪馬台国論争はにぎやかだけど
具体的な場所を示す距離は九州で途絶え
その後は陸行水行・・そのあたりから怪しくなる
おそらく伝聞噂話と似たようなもの
博多弁って○○タイって訛りだけどヤマト国所属ハカタ人に
Where are you from?・・と外人が尋ねるときっとこう言った
「ヤマトッタイ」 宮内庁は日本書紀とか古事記との整合性がないから発掘は禁止するんだよね >>193 > 眞■子の先祖//
怪しからんことを言っては遺憾でしょ。
それについては異存はないのだが、誰が直系の先祖にあたるの?
魏志倭人伝登場人物の誰が? 記紀登場人物の誰が?
ヤマトトトヒモモソヒメに関しては、第7代・孝霊天皇の娘なんだから、直系先祖じゃないし、
卑弥呼については、子供はいなかったっぽいから、直系子孫もいないという事になる。
トヨたんについては、子供のあるなしは不明なのだが。歳13で記述が終わってるし。
266年女王については、トヨたんとは別人だと思うけどね。 「雅馬図」→「邪馬台」→「大和」→「日本」
これが歴史の流れ。異論を言ってもムダだと思われ!w >>209 >「邪馬台」→「大和」//
箸墓が卑弥呼墓である事を含め、それについては異存はない。
魏の時点では邪馬台だったが、三国志の書かれた晋の時代では、
邪馬台だと知ったうえで、敢えて邪馬壱と記載したことになる。 >>210
「雅馬図」(図は国がまえの中は冬)を無視してる?それとも知らないの?
「雅馬図」は現在の新興ウイグル自治区のイリ川のほとりにある。
後は自分で調べるんだな
多分「はっ?何なの、こいつは?」で終わるんだろけど・・・ >>212 > 間違い はい、論破w//
御八゛力さんの口出しは無用だよ。 浪漫溢れる(そして真実がどうでも全く影響がない)話でさえマウント取りたがる奴らって何なの…絶対日頃から周りに煙たがられてるよね >>214 > 祇園山古墳だよ//
破壊された後に集団墓が作られただけ。 >>185
3世紀だと関西に大きな国は未だ無いね
九州北部全体を邪馬台国と呼んでたみたいだな >>220 > 3世紀だと関西に大きな国は未だ無いね//
が、突如として邪馬台国という大きな国ができちゃった、
というのが魏志倭人伝の謂うところなんですよ。 >>174
女王之所都
これ「女王の都する所」との訳は誤訳だからな
「都する」の訳が眉唾
「みやこ」は名詞だから「する」付けても動詞にするのは強引過ぎ
「都」は動詞だから「統べる」と訳すべきなんだ
なので「邪馬台国は女王の統べる所」
邪馬台国は女王の治めている範囲のことを指しているな >>221
畿内には弥生時代最大級規模の
唐古鍵遺跡があるよ そうだったとして、金印一緒に埋葬するかなぁ。
後継者に受け継いで、そのうち金印をめぐる争いが起こるまで発展するような気がする。 唐古は工業団地よ。
>>222
卑弥呼の時代も直轄地と統轄地があって、倭人伝は統轄地としての邪馬台国を記述してる。
「都」は現代中国語でも「全て」allの意味。即ち日本国に訳すれば「統べる」で正解。 >>224
確かに、金印を埋葬したらその一代で王権は終わりと言うことになるよね 九州には金印、銀印、銅印が発見されていて、もちろん宗主国の中国から贈られたもの。
これらは畿内にはないよね? 倭国の意味を知って埋めたんじゃね?
チビの国って意味だしw まあ天皇陛下も神武天皇が自分の先祖だとは思っていないだろうなあ >>226
金印は個人に与えられたものではなく国王の証だからね
代々引き継がれる物だね
与えた中国の王朝が存続してる間は埋めたりしないよね 邪馬台国は北九州でも同時期にヤマト王権は成立していた? 古代の崇神天皇とかの時代は拠点は三輪山の麓だったから
邪馬台国が纏向あたりならそのまま王権が崇神王朝へと繋がったとすればつじつまがあう
しかし初代神武天皇の拠点と古墳はなぜか飛鳥のすぐ隣町の橿原
神武天皇は飛鳥時代に創作された天皇と考えるべきか >>231
ヤマトでもクニやムラはあったでしょ。
ヤマトに乗り込んだ神武の血筋がちゃんと残っていたかは定かではないが、、、w
しかし当時の畿内勢力は、中国に使節を遣るほどではなかった。中国とやりとりしていたのは邪馬台国で、邪馬台国が周辺のクニの人たちを連れて朝見している。 畿内からは景初三年や正始元年など
魏の年号の入った三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡が見つかってる
景初三年や正始元年は
魏志倭人伝によると卑弥呼が魏に使いを送ったあたりの年
畿内のこれらの鏡は卑弥呼が魏の皇帝から貰った銅鏡とされてる 壱与がいつ死んだのか、どこにどういう墓で埋葬されたのか、文献にもないのにわかるわけ無いだろ よく名前を目にする寺澤は畿内説の中では主流派ではありません。
ヤマト王権は地場の勢力で形成されたものじゃないとする点では東遷説と親和性が高く、九州説論者からもよく引用されています。
前方後円墳を構成する主要な要素が前段階までの北部九州や瀬戸内中・東部(いわゆる 広義のキビ)、あるいはイヅモの地域勢力に辿れる点は 重要である。ヤマト王権の主要な権力系譜はおそらく北部九州勢力(イト倭国)や瀬戸内中・東部の部族的国家(吉備・播磨・讃岐・阿波など)、イヅモなどにあったの であろう。わけても、最初の前方後円墳である纒向型前 方後円墳じたいが、キビの楯築墳丘墓の突出部の一方を 切除した形態と規格を有していることは、連合(王国) 成立時のキャスティングボードを握ったのはキビではな かったのかという重大な歴史的真実を伝えているように 思える。 銅鏡を複数枚も副葬品にするって言う意識感覚が理解できないんだよね。
宗主国様から贈られた大事なものを埋めてしまったら、王権の威儀を示すものがなくなるってことでしょ?それは代々受け継ぐものだと思うけどね。
畿内の人にとって銅鏡っていうのは財力を示す調度品にすぎなかったのかも? 畿内から見つかる景初三年や正始元年と魏の年号が入った
三角縁神獣鏡などの銅鏡
フリマに流されていた盗品の可能性と
卑弥呼が魏の皇帝からもらった銅鏡の可能性
どっちが高いか >>235
1000枚くらい有りそう安物だな
日本国内で記念に大量生産された記念メダルみたいなものかな 例えば、隋が滅びて唐には帰順しませんっていう立場の王が死んだ時に、隋から贈られた鏡を一緒に埋葬するなら道理にかなう。 >>242
安物でも魏の年号が入ってるから
卑弥呼の時代のころに畿内と魏は交流していた証拠 なんで「ヤ」マタイ国じゃなくて
🇭🇺ハンガリー読みの「ギャ」なの? >>241
中国で見つかったのは最近作られた偽物だろうな
日本の学者が高額で買ってくれるからな。 >>246
中国で見つかった三角縁神獣鏡は
長年土中に埋まっていた事を示す赤サビが生じてる >>244
卑弥呼の時代に作られたとも分からない
後の時代に卑弥呼を尊敬する人が作ったかもしれん >>249
卑弥呼の時代に作られてないともわからない 銅鏡制作の技術が日本に入ってきていたし、三角縁神獣鏡は、、、フリマかな >>248
2〜3年くらい埋めてから掘り起こしたか
化学薬品を使用したかだな 畿内からは魏の年号が入った三角縁神獣鏡だけじゃなくて
画文帯神獣鏡も見つかってる 三角縁神獣鏡は景初当時の発掘品が中国には無い。とどこかの記事で見た 邪馬台国崩壊で畿内へ流れてきた人が持ち込んだ可能性もある >>253
中国で見つかった三角縁神獣鏡には
長年土の中に埋まっていた事を示す赤サビは
2・3年土の中に埋まっていたくらいじゃできないそうだ
それに偽物ならもっと大量に作られてないと不自然 畿内からは三角縁神獣鏡だけじゃなくて
中国でよく見つかる画文帯神獣鏡も見つかってる
畿内と中国には交流があった証拠 蘇我氏の古文書さえ残っていればすべて判ることなのに、、、
鎌足はしんでわびろ 大和朝廷の成立については、大きな隠蔽と捏造が行われている。
持統と不比等が実行者だ。
それらが今も信じられてるという日本のいい加減さ危うさ。 >>259
古事記日本書紀があからさまに卑弥呼の存在を抹消してるのは明らかだから
蘇我氏文書が残っててもやっぱり抹消されたやろ >>258
日本で見つかる画文帯神獣鏡は中国で見つかる画文帯神獣鏡とは別ものだよ
名前が同じだけ >>261
かつての畿内を象徴していた銅鐸も一切出てこない
ヤスマロよ、懺悔するなら今のうちだぞ? >>257
化学薬品を使用したんだろうな
大量に作ると値崩れするし足が付く可能性が高くなるからな ヒミコミコミコ ヒミコミコ
ヒミコ 一番 ヒミコ えらい
ヒミコミコミコ ヒミコミコ
ヒミコ 頭いい ヒミコ えらい 後にたたら製鉄で盛える出雲には天叢雲剣などの神話が残る
倭は紀元前頃から朝鮮半島南部で鉄資源の交易に参加してる
利権関係で揉めて都合が悪かったから大本営発表したとしか思えん 昔は斎王の方が力持ってたとか都合が悪かったから記録が曖昧なのかもな
知らんけど >>263
中国と日本で見つかってる画文帯神獣鏡は名前どころか文様も全く一緒
見分けもつかないくらい同じ >>265
見つかってる1枚きりなら偽物を作る手間代の方が高くつくだろ
偽物なら大量に作られてなきゃ >>271
それ日本で発掘されたのを模造したと言う説が 九州説はあい変わらず言ってる事の論理が破綻してるな これもだが阿武山古墳をちゃんと調べ直せよ
藤原不比等かもしれない遺体と副葬品がゴロゴロ出てきたところ >>273
いう説がないよ
あるというならソースは >>276
訂正。鎌足だったっけ。ミイラが出てきたけど埋め戻されたやつ >>202
吉野ケ里が邪馬台国だとは思わないけど、その記述に最も近いのは吉野ケ里遺跡だと思うけど?
>其王有宮室樓觀城柵 皆持兵守衛
古墳と何の関係が? >>281
阿武山古墳か。
落馬の際の骨折箇所が一致したらしいな。 >>277
誰の記事が覚えてないが三角縁神獣鏡樋口隆康関連で検索してたらでてきた。中国の考古研究員の発言だった。 >>206
魏略や翰苑は?
まあ親魏倭王の金印でも出土しない限り論争は続くだろうね イヨなのかトヨなのか
昔、漫画で見たのはイヨだった 天皇に神秘性もありがたみももう皆無なんだから、発掘許可出せば良いんだよ >>278
スレ違いになるけど中臣鎌足の遺跡はすごくもったいないな そもそもとして箸墓が卑弥呼の墓ではあり得ないだろ
馬が存在しなかった邪馬台国の女王の墓になんで馬具が納められてるんだよ 鏡の話こう言うの詳しく知らない素人だけど全て本物だとしたら日本に沢山あって中国に一枚なら日本から中国に送った様に感じちゃう
送る側が沢山持って無いと不自然じゃないのかな >>292
馬具が納められていたなら卑弥呼じゃなく蘇我だな。
蘇我は騎馬民族の末裔だからな。 >>250 > 年号が四年の鏡は//
景初は4年まであった、と考えるのが順当だね。日本の建武と似たようなものだ。
西暦1336−1338には、建武(北朝)と延元(南朝)が併存していた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E6%AD%A6_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)
> 建武(けんむ)は、日本の元号の一つ。
大覚寺統・南朝方では元弘の後、延元の前で1334年から1336年までの期間を指す。
持明院統・北朝方では正慶の後、暦応の前で、1334年から1338年までの期間を指す。
この時代の天皇は南朝方後醍醐天皇、北朝方光明天皇//
まぁ、皇帝が二人いた訳ではなさそうだが、少帝曹芳を擁立した勢力と、
それを認めない勢力が、ある程度の期間、併存してたんだろうね。
>>255 > 三角縁神獣鏡は景初当時の発掘品が中国には無い//
>>290 > 全て本物だとしたら日本に沢山あって中国に一枚なら//
三角縁神獣鏡って、魔鏡なんて技巧がなされてる様だ。
こういう効果を出すためには、従来の製法、デザインでは無理だったんだと思う。
つまり、汝の好む特注品だったということ。
>>283 > まあ親魏倭王の金印でも出土しない限り論争は続くだろうね//
ん〜、それは藤原不比等が鋳つぶしちゃった気がするな。
>>276 > 阿武山古墳をちゃんと調べ直せよ 藤原不比等かも//
彼は証拠をキチンと隠滅したと思う。 >>276 > 阿武山古墳をちゃんと調べ直せよ 藤原不比等かも//
彼は証拠をキチンと隠滅したと思う。
>>278 > 訂正。鎌足だったっけ//
いや、不比等でいいと思うよ。
彼だって、木の股から生まれた訳じゃないんだろうから、父親も祖父もいたのだろうが、
中臣鎌足とか御食子に関する説話って、100%創作だと思う。
おそらく、後世に残る様な墳墓は存在しないんじゃないかな。
>>284 > イヨなのかトヨなのか//
晋代には、邪馬台国が、まぁ、貶められて邪馬壱国と記載されたのだから、
壱与だって実際は、台与タソだったんだと思うな。 遠く(先史前史を編纂する時期の)中国にまで名が伝わっているほどの権力者(もしくは宗教指導者)が遺した遺構はある、きっとある、
時期的に符合する最大の事業の跡がきっとそれに違いないー、
をやめろ言うのが先であって、 >>278
壁面みたいに風化が促進されるから埋め戻したんかの? >>2
他所の先住民の異物と違って先祖の墓なんだが >>299
5世紀頃に日本へ伝来したベニバナの花粉も出土してるね バジルの種とか
>>300
見たことあるよ。下ツ道をチャリで通る時に全貌がよく見える。
つまり山の下なんだよ。三輪様より遥か下。相撲神社よりも劣る。下の下の下 女王の陵墓を海柘榴市のために川を上ってくる船曳たちを出迎えるようにして俗な土地に造るわけないでしょw >>12
いまはもう「九州説」なんてもんは専門家のあいだでは
存在しないのに、こういうデマを平気で書くやつがたくさんいるんだな。 >>308
中国人かもね
卑弥呼は鬼道で人を惑わすと書かれてる
当時の鬼道教団は離散してた時期なので、その中で日本に渡った人物がいてもおかしくはない >>309
考古学とか日本史のプロ!とか専門家!とか称する者ほど
学問史史上疑わしいものはない!と断言出来る! 三輪のある桜井市は奈良盆地の収束帯で局地的大雨が起こりやすく、箸墓が避難場所になっていたのは想像に難くない。 >>88
すごく意図的に改変だな。
その先進的な「百済の文化」とやらがどこに残ってるのか。
どこにもないのに先進的とか。
前記百済は北朝鮮エリアになる。
発掘調査もしていない。
扶余の百済のお寺は復元したもの。
秦氏が京都を作った?
いやいや、賀茂神社がありますがな。 卑弥呼の子孫でもあるまいし、そもそも今の天皇家のルーツが不明?
こいつらこそ元祖在日では? 大和で姫子(ヒメコ)と呼んでいたのを、魏の使者が当て字して卑弥呼になったのか >>290
三角縁神獣鏡は中国の技法で作られてる
倭への贈り物だから中国ではあまり見つからない
同じカテゴリーの斜縁神獣鏡は中国ではよく見つかってる鏡 >>131
残念ながらそんなもは掘っても出てこないよw >>12 > 学者の間では北部九州説が濃厚らしいの//
アンタのその妄想が事実であったとしても、箸墓が卑弥呼墓なんだよ。
張政が邪馬台国に来た時点で、径100歩の墳墓は、箸墓しかなかった。
つまり、径100歩の記載は、卑弥呼墓を特定するID情報だったんだよ。 >>288
壱与とも台与とも言われてる
それよりうろ覚えな 司馬遼太郎
「飛鳥文化は百済文化をぬきにして語れない。王朝文化は百済と同じ。ほとんど百済ぐるみが日本にひっこしたのではないかという想像が『日本書紀』の記述によって可能だ。白鳳期といわれる芸術時代が花をひらくのも、亡命百済人たちが日本の宮廷に収容されたことをはずしては考えられない。」 卑弥呼の墓ってのは眉唾だな。
巻向に都があった時代ならばなおさらのこと、
そんな近くに墓を作るとは思えん。 あ、弥生時代の価値観なら近くていいのか。
環濠集落の中に作ってるのがあるからな。 あのいっとくけど桜井地元民は誰も卑弥呼がここにいたとは信じてないよ。そもそもそんな伝承は語り継がれてないから >>326
邪馬台国の中心が環濠集落って笑うんだけど >>279
吉野ケ里の復元の楼観は奈良の唐古鍵遺跡の土器片を参考に作られた。 >>323
今さら司馬ってw
色々オワッタ過去の人だけどw 巻向邪馬台国説を主張して国から予算をもらって生きている人がまだいるってことやね >>38 > お前ら、中国人が名乗った卑弥呼は卑字だぞ//
単なる表音文字でしょ、当時では。
伊都って別段、今でも卑字じゃないんだし。
邪とか卑が卑字になっちゃったのは、まぁ、後世の、といっても、
倭の5王時代、てか雄略朝とか、天智朝時代の、対日感情の結果なんでしょうよ。 >>323こっちにも書いとくか
後漢書韓伝
韓は三種がある。一は馬韓といい、二は辰韓といい、三は弁辰という。馬韓は西にあり、五十四国がある。その北は楽浪と接し、南は倭と接す。辰韓は東にあり、十二国。その北は濊貊と接す。弁辰は辰韓の南にあり、また、十二国。その南はまた倭と接している。すべてで七十八国。百済はその一国である。
即ち、馬韓か辰韓に属した、
一村落国家が百済。おそらく馬韓。
のちに村落国家連合の
中心的な国家になる
それを持って、百済百済と
言うのはどうかと思う。 畿内とか九州とか関係なく、邪馬台国ありきで研究が行われるのっておかしくないの?
邪馬台国以外の強国の可能性もあるんじゃないの? >>314
そもそも卑弥呼の時代の朝鮮半島は楽浪郡健在で百済なんて形になってない
百済の出現よりも日本での古墳の出現の方が先なんだよな >>325
纏向は邪馬台国の時代より後だし
箸墓も卑弥呼より後の時代だろ >>325 > そんな近くに墓を作るとは思えん//
張政が邪馬台国に来た時点では、径100歩の墳墓って箸墓しかなかったのだから、
箸墓が卑弥呼墓なのは確定で、そんな近くに墓を作ったと考えるしかないだろ。
キミはね、マルで発想が逆なんだよ。 >>333
古代中国の中華思想で中華民族の四方位に住んでいるのは全て知能の低い蛮族と断定してた >>339 > 纏向は邪馬台国の時代より後だし 箸墓も卑弥呼より後の時代だろ//
邪馬台国は非畿内、なんて結論ありきの妄想にしか過ぎないね。 径100歩って板付遺跡の環濠程度だね
築山にするのは一年でできるかどうか >>335
研究費調達するの名目必要だからね
そのため決め付けからの調査研究なるからこうなる
お互い不利な出土とかスルーする輩もいそうだし >>341 > 古代中国の中華思想で中華民族の四方位に住んでいるのは
全て知能の低い蛮族と断定してた//
後世の付会だね、元レスで書いた通りでさ。
別段意図した訳じゃないんだが、>>333 ゲッチュ〜だった罠。 副葬品と同じくらい重要なのは石室の石をどこから持ってきたのか?だね
葛城山ならヤマトの人だし、どこか遠戚が持ち込んだ石もあるかも知れない いろいろあるかもしれんけどとりあえず宮内庁は発掘させてくれよ 日田からひと山越えて山国川を下って耶馬渓を抜けた下流域近くに卑弥呼の墓はあるよ
岩木山古墳群の築山丘陵そのものがたぶん卑弥呼の墓、グーグルマップで確認すると
全長100m強のキレイな円墳だよ
筑後山門(卑弥呼幼少時代の都)→甘木朝倉(卑弥呼遷都)→日田(卑弥呼遷都)→上毛(卑弥呼終焉地)→宇佐(台与時代) >>335 > 邪馬台国以外の強国の可能性もあるんじゃないの?//
それは卑弥呼が魏に遣使する以前のハナシだよ。
北九州の強国が奴国で、山陰の強国が投馬国で、畿内の強国が邪馬台国だった。
張政が来た時点では、径100歩の墳墓は箸墓しかなかったのだから、
箸墓が、魏に遣使した卑弥呼墓であることは、確定事項だ。 >>348 > 全長100m強のキレイな円墳だよ//
張政が来た時点での径100歩の墳墓は箸墓のみだ。
箸墓が卑弥呼墓であることは、確定事項だ。 >>116
確かに素直に倭人のところを読めば、海洋の民だな。奈良は海ナシだからイメージが異なる。 >>129
そんなん公然の秘密なんだから今更バレてどうなるもんでもないしな >>351 > 確かに素直に倭人のところを読めば、海洋の民だな
そりゃ、マツロ国あたりの記載だけ見ればね。
あと、華南に風俗が似てるなんて記載があるのは、全く別の理由による付会だよ。
> 奈良は海ナシだからイメージが異なる//
ちなみに、奈良県と大阪府が同じ府県だった時代もあるでしょ。 宮内庁もさ。天皇家の墓に比定してるなら年代が数百年おかしいとか思わんのかな。 >>350
免田式土器の分布範囲が粗方狗奴の勢力圏なんだろう、九州山地の免田式土器空白地帯の殆どが人の居ない場所だから(阿蘇、上高千穂除く)
それを差し引けば九州島の約6~7割は狗奴の勢力圏だね
これほどの勢力なら狗奴国の男王は九州の覇者に相応しけど、それを不服とする北部九州空白地帯の国々から相当な抵抗があったんだろうな
武力で抑え込もうとするも大小環濠集落だらけで、両者の被害も甚大で死傷者続出、しかも長期にわたる戦乱で田畑は荒れまともな働き手もいなくなる有様で
劣勢な北部九州勢としては仲介者を立てるなり早急に休戦したいところ・・・そこで目を付けたのが卑弥呼さん
狗奴国を守護する斎王でありながら卑弥弓呼の姉君でもあった日巫女さん、このお方に懇願して穴ぐらから表に出てきてもらい皆で戴くことにした
一方の卑弥弓呼はというとノリ気のお姉ちゃんに面食らって戦意喪失、ついに休戦の運びとなる。
復興だ遷都だ朝貢だしてるうちに時は流れ卑弥呼お婆ちゃん老衰のため上毛にて死去。・・・
からの卑弥弓呼爺ちゃん悲願の倭王になる、からの破壊神復活で1000人死亡、からの「やっぱ隠居するから台与お前がやれ」からの
卑弥弓呼後継のタケルどんらが先代を反面教師にしながら北部九州の抵抗勢力を融和策をもって懐柔し終えると、事実上の九州再平定!
(九州内の東征ルートが多分これ、裏九州は建日別の神タケル、表九州は建日向日豊久士比泥別本軍が担当)
からの卑弥弓呼後継の1人でもあった建日別の神タケルが東方黒幕の饒速日を討つべく台与より征東大将軍に任命される、からの神武(たぶん崇神)東征。
からのそのまま帰って来なかった(というか葦原中国平定にてこずり帰らぬ人となっていた)
からの時は流れその孫が突然大軍を引き連れ九州へと戻って来る。
からの驚いた天照は、もとい神夏磯姫は三種の神器を掲げスサノオに、もとい大足彦尊に「高天原を奪いに来たのか!?」と問いただすと
「私に邪な心はありません!ただ姉君に挨拶をしにやってきたのです・・」と返答、その後は適当に暴れ回りヒメさん〆たり孕ませたりしてやると
満足して葦原中国へと去っていった。・・・からのその息子が突然・・・
これはどうでしょう? >>356 > それ推測ですよね//
推測に矛盾があるってならば、書いてみればどうかね。
推測であるってのは、矛盾でも何でもないだろ。 明日香とか桜井とか歩いてみたらわかるけど、大昔は基本的に徒歩だったわけで、今の感覚よりクニって遥かに狭いエリアだった思うよ。魏志倭人伝で出てきてる国々もかなり近い範囲内だと思うわ。 邪馬壹国
原文では、壹なのになんで台に改変したんだろ?
どう見ても、ヤマイツコクだよな >>359
ただ単に旧字体から変わっただけじゃないの? >>357
推測だから確定事項でもないですよね。
結局、邪馬台国ありきで金儲けしたいだけで、真面目な研究とはほど遠い。
アホくさ。 現在の大和朝廷による日本建国には大いなる虚構がある。
天皇一派は今もそれを隠蔽している。
日本の建国は汚れている。 >>355 > 免田式土器の分布範囲が粗方狗奴の勢力圏なんだろう//
知らんがな。張政が邪馬台国に来た時点での、径100歩の墳墓って、
箸墓だけだよ。箸墓が卑弥呼墓ってのは、確定事項だ。
> 満足して葦原中国へと去っていった。・・・からのその息子が突然・・・これはどうでしょう?//
ハナシにならんね。神武の東征説話って、過去のいかなる事実も反映してないんだよ。 >>1
卑弥呼は魏志倭人伝の中だけの人間だよな
記紀にも時代は神功皇后の時の人間と暗に記されているが存在は無視されている
そもそも卑弥呼が魏に支援を要請した次の年くらいに死んでいるし
女王のはずなのに狗奴国の男子王の卑弥弓呼にいじめられているし
どう見ても本居宣長が主張するような偽女王だよな
墓にも同じ反乱者100人と共に埋められたと書いてあるから
そんな御大層な墓ではないと思うんだが 宮内庁は神話が崩れるから嫌なんだろうなあ。いちおう人物を比定してるけど確証も無いから。 今は宮内庁が管理してるけど、地元の墓守の人たちはほんとのこと知ってんだろうね。
アホくさ 神武天皇陵なんか、強制的に被差別部落の村ごと移して明治時代に新造してるからな。 >>363 > 推測だから確定事項でもないですよね//
張政が邪馬台国に来た時点で、径100歩の墳墓が箸墓のみって、確定事項だよ。
なお、確定事項でもないってのは、矛盾でも何でもないだろ。
言葉を置き換えたって、何の論にもなってないのは変わらんだろ、八゛力だな。
> 金儲けしたいだけで//
アホ臭いのは、アンタのその貧弱な発想だろ。
なお、巻向発掘してる連中のアホ臭いところは、結論ありきでものを言ってるところだよ。
これでは、地域で特徴のある遺物を邪馬台国に付会してる、非畿内説と何も変わらない。
クイズ番組じゃないんだから、当たってりゃエエというモノではないんだし。 国譲りだの鬼退治だの製鉄を巡る権利政争を抽象表現でぼかしたりしてるけども、対外的に認められた証明である倭王って称号は国内の領土拡大する上でぼかす手間なんて要らんくらいの手っ取り早い大義名分じゃない
大和王権の前身が邪馬台国ならなぜ金印はないのか
逆に敵対勢力なら朝鮮半島南部の鉄資源の元締めである幽州支配者に朝貢出来るほどの国力のある国の討伐史をなぜスルーしてるのか >>1
戦後の日本で神武天皇と神功皇后が無理やり教科書から消されただけで
戦前まではずっと神武天皇と神功皇后は実在の人物だった
お祭りの山車でも神武天皇や神功皇后の山車はあっても
卑弥呼の山車なんてなかったから
魏志倭人伝も邪馬台国の方向や距離がデタラメで半分が嘘の記述だとバレバレなのに
それを未だにそのまま正しいと考えるGHQに洗脳された人間の方がおかしいよな 卑弥呼は孝霊天皇の百襲姫という説もあるで宮内庁がしゃしゃりでてくるのも仕方あるまい
ちなみにこの百襲姫は桃太郎のモデルとなった吉備津彦の姉である
卑弥呼と桃太郎は姉弟の可能性がある、これ豆知識 >>369 > 宮内庁は神話が崩れるから嫌なんだろうなあ//
藤原不比等の時代では、隠蔽すべき真実が分かってたから、
確定的な意図を以て出鱈目な説話を作ったのだろうが、
現在の諸団体なんかは、隠蔽すべき真実なんて知らないんでしょうよ。 >>1
魏志倭人伝の中身は半分は偽りだから
それは張政への待遇でもわかる
嘘情報を織り込んで騙して日本の地図を作らせなかった
逆に今は神話と呼ばれている神武天皇と神功皇后の方が真実で実在だった
これは戦後にGHQにより日本の歴史が勝手に書き換えられただけ 古墳って死んでから作るの?
それとも生きている内に作り始める? ひとんちの墓を勝手に暴かれたら誰だって怒るぞ
天皇家だって同じこと
それを好き勝手に暴こうなんて共産党か赤匪の学者だな 正直、九州から奈良はちょっと遠い感じするけどな。戦国時代でも京都から九州を勢力圏にするのは末期だし。当時の兵力や武力では、戦や政争に明け暮れないとなかなか難しいよ。 今の所、邪馬台国は畿内説と九州説どっちが有力なのよ? >>1
記紀の中身もすべてが正しいというわけでもないが
少なくとも魏志倭人伝よりかは正しい
魏志倭人伝の場合には中国側に日本の地図を作らせないために神功皇后と武内宿禰がありとあらゆる手を行使した
そのために方位も距離も都市名もほぼすべてがデタラメで魏志倭人伝で日本の地図を作る事はほぼ不可能になった
逆に正しいのは記紀の記述の方
日本の歴史がおかしくなったのは太平洋戦争に敗北したから
そのために元々実在するはずの神武天皇と神功皇后を架空のものとして取り扱うようになった
大学の教授連中は全員GHQの指示に従い反論を出すものを馬鹿扱いして大学から追い出した
教科書も全部書き換えた
そして欠史8代の津田左右吉を持ち上げて今の歴史の風潮を築き上げた
ただそれだけの事だ 時期的に箸墓の被葬者を大神として
祭る為の施設が伊勢神宮だろう
家康が東照大権現となったように
残した功績も同様に凄まじい物なはず >>383
記紀に神武天皇の東征が詳しく書かれている
それによると船で移動して少しづつ進んでいった
移動途中では大規模な戦闘はあまりない いまさらながらの人だけど
推理小説のプロの松本清張は九州説だけど、
やっぱ、九州出身の人は九州を取りたいんだろう、
近畿出身の人は近畿を取りたいんだろう、と思う 九州説って地元贔屓の九州人がローカリズムで強弁してるだけの印象 >>374 > 魏志倭人伝も邪馬台国の方向や距離がデタラメで//
そりゃ、張政がデタラメ書いたんだから仕方ないでしょ。
そもそも、魏志倭人伝って、張政(てか、それを命じた者)、出鱈目書くなよ藁、という史書なんだよ。
張政の言い草によれば、会稽東冶の東になるな、なんて書いてある訳じゃない。
> GHQに洗脳された人間の方がおかしいよな //
GHQなんか関係ないし、自分は洗脳なんかされてないぞエッヘンてなら、それも違うでしょ。 >>388
別に隠していないだろうよ
それに陵墓選定も絶対正しいというわけではない
しかも今の大学教授はGHQの歴史観に犯されて妙な歴史観を持っている者が多いから
卑弥呼をまるで日本初代の女王のように扱う連中ばかりだし
記紀みればそれはないという事がわかりそうなものなのだが 有力候補の墳墓を掘らないと、分からないから、ずっと不確定な論争だけが続く。量子力学のなんとかの猫のような思考実験みたいなもんや。 >>379 > それは張政への待遇でもわかる
嘘情報を織り込んで騙して日本の地図を作らせなかった//
何で、嘘情報を織り込んだのは張政の方だ、とは考えないんだ?
> これは戦後にGHQにより日本の歴史が勝手に書き換えられただけ//
なんだか知らんが、アンタって、洗脳とかに弱そうだね。 古代史スレでも陰謀論とか
脳みそが腐ってるとしか思えない >>392
いいや十分にGHQは日本の歴史に関係しているよ
神武天皇や神功皇后が非実在の人間になったのは戦後のGHQ統治後だし
そのために命令も出している
GHQは日本に対して「宣伝用刊行物没収」なる指令で「焚書」を行っているからね
そんな甘いもんじゃないんだよ >>391 > 最新の説は、邪馬台国は平塚か沼津//
何ぞ、フィクションとして面白ゲなネタでもあるのかね。 >>395
そりゃあ君の事だろうよ
山カンでしかものが言えない君な
よく知られた神道指令(しんとうしれい)は、1945年(昭和20年)12月15日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が政府に対して発した覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(SCAPIN-448)[1]の通称である。
覚書は信教の自由の確立と軍国主義の排除、国家神道を廃止、神祇院を解体し政教分離を果たすために出されたものである。当初は政教完全分離を目指し、神道行事を一切排除する内容となっていた
これは日本の大学でも徹底されて異を唱える者は徹底的にバカにされて排除されたのだよ >>398 > そんな甘いもんじゃないんだよ//
随分と甘そうな脳味噌だね。洗脳とかに弱そうだし、
最近はなんて言うのかは知らんが、オレオレ詐欺のタグイには気お付けろ。 >>260
イエス「捏造とかあり得ないよな」
ブッダ「だよな」 >>395
どうして張政が嘘を言う必要がある
まあ武内宿禰らに騙されていた時点で現代人からすれば嘘つきなのかもしれんが
GHQにより日本の歴史が書き換えられたのは事実だぞ
それを洗脳どうのこうの言う時点で君が何も知らない輩と言うのは確定だよな
そういう前の時代のGHQの洗脳に影響を受けているのは大学教授らも変わりがないけどな
だが、そういうものからそろそろ脱却しないとな 卑弥弓呼て何や?と思って調べたら、卑弥弓呼素て説があって九州の熊襲の族長説があるんだな
少なくとも狗奴国は九州だろ >>402
だからな、お前は洗脳とか言う安っぽい言葉を吐く前にまずは日本の歴史からちゃんと調べろよ
よく知られた神道指令(しんとうしれい)は、1945年(昭和20年)12月15日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が政府に対して発した覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(SCAPIN-448)[1]の通称である。
覚書は信教の自由の確立と軍国主義の排除、国家神道を廃止、神祇院を解体し政教分離を果たすために出されたものである。当初は政教完全分離を目指し、神道行事を一切排除する内容となっていた
これは日本の大学でも徹底されて異を唱える者は徹底的にバカにされて排除されたのだよ
「大東亜戦争」や「八紘一宇」の語の使用禁止や、国家神道、軍国主義、過激なる国家主義を連想するとされる用語の使用もこれによって禁止された。
個人の信仰としての神道は干渉せず「上からの強制」である神道は廃止せよ、との国務長官ジェームズ・F・バーンズの命に基き、GHQのウィリアム・バンスが草案作成を担った[2]。バンスは日本国内の神道学者・仏教学者の教示を受けつつ、D. C. ホルトム(英語版)の著作を深く参考にした[2]。
神道指令立案に関わったウィリアム・ウッダードは国家による強制性のあった神道(国家神道)を廃止することで日本国民の信教の自由を守ることができると考え、これは「民主化の重要な第一歩」であったとした[3]。 >>58
奈良の大仏な、あれあの時代の理想のお姿らしいぜ >>400 > よく知られた神道指令(しんとうしれい)は//
なんだ、要するに、八゛力うよサンでしたか。
現在の皇室って、卑弥呼やトヨたんの宗家の末裔だよ。まぁ、女系なんだろうけどね。
畿内在中の家柄なんだろうから、心配せんでもエエけどな。 >>393
広陵選定なんて明らかに辻褄合わせだろ だから、事実は知られたくないから隠してんだよ >>330
物見櫓やその他についても、他の遺跡を参考にして復元する事には何も問題は無い
魏志倭人伝に描かれた情景を思わせる、一致する遺構があることが本質
別に吉野ヶ里遺跡が邪馬台国だと主張するつもりは無いけれど、倭国大乱を思わせる戦傷がある遺体、大規模な環壕や物見櫓、当時の海に近い立地等、吉野ケ里以上に女王国の描写に近い遺跡ってあるかな? 戦争に負けてアメリカに無条件降伏した時点で、日本という国家はいったんリセットされてるから仕方ない。大昔も何回かこういうことがあったのだろう。日本書紀も強引に整合させたような痕跡があるんだろ。 >>406 > 日本の歴史からちゃんと調べろよ//
アンタみたいな八゛力うよサンはさ、
朝晩歴代の丸暗記でもしてるのが、分相応なんですよ。 >>347
邪馬台国云々は置いておいて、日本の歴史/成り立ちを知る為に発掘させて欲しいよね >>385
当時の中国には見栄で戦後の報告やらを盛る文化があって、朝鮮総括してた遼東公孫氏を滅した司馬氏を持ち上げるために中国側が盛ったって聞いたことがあるな
要するに距離関係を盛ることでこんな大国と繋がってた幽州を下した司馬炎の家系は偉大であるっていう喧伝だったとか何とか >>412
バカはお前だよ
アメリカの言う事は何もかもが正しいというわけではないんだぞ
日本も数多くの過ちを犯したがアメリカも過ちを犯しているんだぞ 日本で前方後円墳がある府県は下記の通り
奈良県
大阪府
京都府
兵庫県
埼玉県
意外にもたった5府県しか無いのである >>347
今のインチキ考古学者に発掘なんてさせた日にゃ、自分の都合の良いように平気で捏造しかねんからな >>415
三国志を書いた人は、蜀の人だが、司馬懿が簒奪した国で自分の故国のことを良く書かせてもらう代わりに、司馬家の功績は偉大であると盛って書いてるとかな。 掘ろうよさっさと。
何か面白いものが出てくるかもしれないじゃん?
昔のこと知りたいじゃん…知る権利知る権利 >>408
ないわ
卑弥呼ってただの反逆者だぞ
それこそお前が信じる魏志倭人伝をもう一読み返してみろよ
張政が来た時には既に死んでいて奴隷100人ともに埋められているし
狗奴国の男子王卑弥弓呼にはいじめられているし
卑弥呼のどこが宗家なんだよ >>417
日本列島に広く分布し、その数は約4,800基、あるいは約5,200基ともいわれる。
前方後円墳の存在が明確でないのは、北方では北海道・青森県・秋田県、南方では沖縄県の計4道県にすぎない。 >>422
30か国を治める盟主で反逆者はないわw
お前魏志倭人伝をどう斜め読みしてんの >>416 > 日本も数多くの過ちを犯したがアメリカも過ちを犯しているんだぞ//
アンタは過ちだけしか犯してなさげだね。
歴代の丸暗記でもしてればいいんだよ。記紀にそう書いてあるのは事実なんだろうしね。 >>358
>魏志倭人伝で出てきてる国々もかなり近い範囲内だと思うわ。
その通り! 大河大吉野川流域に広がる国々など 「阿波」にある国々だ。 @阿波 魏志倭人伝当時は水行1日を千里ってアバウトに表現してるのよ
で邪馬台国まで万二千だから水行10日は出発点からの日数にしかならない訳 >>1
卑弥呼の墓は百歩くらいの円墳で前方後円墳じゃない
っぽいとかそんな説をどっかで聞いた >>424
だからな
卑弥呼は女王を騙った偽女王なんだよ
本居宣長が言っているようにな
だから張政が来る前に処刑されてんだよ
身内の奴婢100人と共にな >>429
まあ魏に援軍を頼み込んだ反乱者だからね
ただの大きな穴に卑弥呼は奴婢100人と共に埋められただけ >>58 > 卑弥呼って美人だったんかな・・・//
聡明そうな顔立ちだったとは思うな。
就任に際して、何らかのセレクションは経たっぽいし。
トヨたんの方は、ガチの美少女だったと思う。
魏志倭人伝の末尾の方、壱与壱与壱与って3編も繰返してるし、
張政はきっと、見惚れたんだと思う。 大和朝廷の後ろ暗さ、嘘と捏造にまみれた記紀、これを明らかにせねば
本当の愛国心など生まれない。 >>420
司馬昭の蜀軍制研究も「こいつらやべーよな!でも結局勝ってんののうちな?」をやりたかっただけとかw
邪馬台は後ろ盾が欲しかったってのもあるだろうし虚義報告はないと思うな
中国式(笑)に振り回される我々 >>429 > 卑弥呼の墓は百歩くらいの円墳で前方後円墳じゃない//
卑弥呼って急死だったんだから、突貫工事で円墳作って、
その後に周溝作って、前方部も継ぎ足したんでしょうよ。
それゆえ張政は、径100歩としか書けなかった。
その時点で前方後円墳なら、彼は大喜びで、基壇あり、と付け加えた事だろうさ。 >>387
なぜ中国との交流上不利な畿内に向かったのか
それがわからん >>80
雷火好きだぜ
唯一捨てられなくて所持してる単行本だ 倭国大乱。血を血で洗う、権謀術数うごめく時代があった!その時、歴史は大きく動いた! 宮内庁には皇室の系譜を決定づけるような文献を隠し持ってたりするん?
隠そうとするのは何かしらある程度わかってるからと違うん?
記紀以外にも皇族内でのみ継承されている書物があったりするの? >>437
高句麗の南下が関係してて日本の第一次鎖国状態でない??
軍拡して防備固め >>434
> 大和朝廷の後ろ暗さ、嘘と捏造にまみれた記紀、これを明らかにせねば//
嘘ってのはマルマル嘘ではどうしようもない。嘘とマコトを仕分けしなけりゃね。
> 本当の愛国心など生まれない//
その弁えがないアンタでは、歪んだ愛国心しか馬れんだろ。
珍棒を膨らませてるだけではどうしようもないんだよ。
>>426 >「阿波」にある//
水銀なんて何処にでもあるだろ。金鉱の副産物みたいなモンだ。 >>47
共に豪族の1つ
戦国時代の武将が天下統一を目指して
対立したのと同じ >>440
いや、無いと思うよ。でも、今の日本国は明治政府が一新した国家を引き継いでおり、大日本帝国を作る上で必要だった要素や意向を受けて宮内庁も踏襲している。もともと帝国なのでミカド中心の国作りだから。 >>430
> 卑弥呼は女王を騙った偽女王なんだよ 本居宣長が言っているようにな//
ウヨっぽい人には好評だったんだと思う。
いわゆる、皇国史観、てか、尊王思想には好都合だったんじゃないかな。
国学の祖なんて評価は、的外れ。
なお、トヨたんは結局、魏とは手を切ったと思うんだけれどもね。 >>434
建国神話は世界中、どこの国も脚色がある
大和だけどうこう言う必要はない
淡々と事実解明すればよいだけ >>448
ギリシャとかローマもめちゃくちゃだしな >>413
宮城県から南に広くあるよ
関東なら、埼玉以外では千葉、茨城、群馬も多い >>450
千葉は何気に古墳がむちゃくちゃ多いな。数だけなら日本でも有数。 >>430
> だから張政が来る前に処刑されてんだよ 身内の奴婢100人と共にな//
松本清張なんかマに受けるなよ。ありゃ、一種のお戯びだ。
以タヒ って、既に物故していたで、何の齟齬もない。 >>48
素人は九州説が好きっぽい
まともな学者は畿内説でかたまってるのに >>302
その割に日本人は、人々の生活の痕跡を大事にしないな...
大事にしないどころか、50年で痕跡すら完全に消し去る なぜ邪馬台はヤマタイと読んで台与はタイヨと読まないのか GHQガーとかクソ電波を流せるのも底辺の匿名掲示板だけで現実社会で披露しようものなら完全にキチガイ扱いなんだよな
まあ本人もそれは充分分かってるだろうけど
基本的に九州論者ってこういうのしかいない >>382
ワシらのほとんどがどれかの天皇の子孫ですがな >>47 > 出雲と大和って仲悪かったの?//
いわゆる、神宝検校事件って、軍事的な紛争ではなかったと思う。
邪馬台国から大和への、権限移動と無関係ではなさそうだけどもね。
なにしろ、実質的な初代天皇とも云われる、崇神の時代のハナシなんだし。
> この辺の古代史をわかりやすく理解できる本ってある?//
まぁ、自分で考えるしかないと思うよ。 >>455 > 倭は晋の属国だけどな//
とりあえず、266年に挨拶しに行っただけでしょ。
アンタは挨拶されると、家来ができたとでも思ってるのかい。 なんで頑なに宮内庁は発掘調査に反対するの?
宮内庁と言っても長官は代々変わるわけだから中にはひとりくらい
前向きに検討する人はいなかったの? >>384
専門家、特に考古学者はほぼ畿内説一色
アマチュア史家および無関心層は九州説が多い ゲーセンの三国志大戦の見る専門プレイ動画勢だから
知ってる名前
じゃなきゃまず知らん名前だよな >>12
学問的には集合国家的な3世紀前後の遺跡が纒向とかの近畿には出てくるけど九州には少なくてほぼ近畿説が定説化しつつあるって話だが… オモシロ九州説
Q:九州のどこに邪馬台国がありましたか?
A:そんなの知らねぇ!!
Q:九州のどこから邪馬台国を示唆する遺跡がでましたか?
A:そんなの知らねぇ!!
Q:九州のどこから魏との外交を示唆する物証がでましたか?
A:そんなの知らねぇ!!
Q:水行十日陸行一月だと九州からはみでませんか?
A:そんなの知らねぇ!!
Q:九州のどこに7万戸の大国が存在できるんですか?
A:そんなの知らねぇ!!
Q:九州のどこに30国連合を示唆する物証があるんですか?
A:そんなの知らねぇ!!
Q:九州のどこに径百余歩の墓があるんですか?
A:そんなの知らねぇ!!
Q:本当に九州に邪馬台国があったんですか?
A:ありました(ドヤッ
Q:ではその証拠は?
A:そんなの知らねぇ!! ねーねー、九州説の根拠ってなーに?
南ってだけ?
他に何もないの? >>464 > 無理矢理奈良に持っていくなよw//
どこが無理やりなのかね。
張政が来た時点では、径100歩の墳墓って、箸墓だけだろ。
箸墓が卑弥呼墓というのは確定事項だよ。 畿内説 学者の多数派の説
九州説 素人の魏志倭人伝の読み解きを競い合うおもしろい遊び 男系なんて中国の孔子から伝わったイデオロギーだからな
そもそもそんなイデオロギーなど、日本にはなかった >>468
(1)
魏志倭人伝に、
「倭国の東に海があってその向こうに別に倭種の国がある」とある
倭国→瀬戸内海→別の倭種(纏向遺跡)
つまり纒向から何が出土しても「別の倭種の国から何かが出た」ということ >>431
>ただの大きな穴に卑弥呼は奴婢100人と共に埋められただけ
お前さ、同じ事何回も書くなよ。
お前の知識ではこのスレは無理。
黙ってROMッとけ。 >>468
(2)
卑弥呼は絹。ついでに天照大神も絹。
弥生時代に絹が出土するのは九州のみ。畿内からは出ない。
古墳時代になると畿内からも出るのでこれを「絹の東伝」という >>468
(3)
弥生時代の畿内からは勾玉も出ない。九州からは出る。勾玉は天皇の三種の神器
弥生時代に三種の神器が揃って出土するのは博多湾沿岸中心 >>472
大和だって紀伊半島全部なら当てはまる
なんで今の行政区分の奈良を大和国家に当てはめる? >>474
天皇家の蚕の儀式とかみても侵略によって伝わった文化だわな >>468
倭国大乱期なので勢力が大きいから邪馬台国とは限らないが、しかし
古墳時代を前期、中期、後期と分けると、
古墳時代になってもまだ前期は九州の方が規模が大きい
というか、
前方後円墳の規模で言うと、関東の方が畿内より大きい。征服されたから急に墓が急増したのだろう >>476
倭人伝の原資料には「邪馬台国は伊都国のすぐ南」とある
紀伊半島は当てはまらない 理系の研究家は全て九州説
プロの古代学者は全て文系。このスレでも理系なら全員、九州説のはず
逆に何で畿内と思うのかが意味不明 九州は大概熊襲だね、2世紀初め2万余戸の金印奴国を滅ぼして以降は
伊都国に出先機関と王族を置いて北部九州を監視していたんだろう
倭国大乱は狗奴の傍系王族を担いで起こしたそれら負け組による反乱だよ 箸墓古墳は一度は見てもらいたいなー
見事な前方後円墳だよ
あれほど見事なのは日本でもなかなかないわ仁徳天皇陵くらい >>454
基本的に木造建築文化と平地が少ないのでスクラップ&ビルドしないと開発出来ない。
旧市街と新市街の併存が無理なんだよ >>309
掘れば掘るほど考古学的に纒向じゃない証拠が出てきてる >>481
そもそも論理的に考えれば、魏史倭人伝の真意自体が怪しい。
邪馬台国自体が日本に存在しない説が有れば俺はそれを信じるよw 場所の問題なら別にどっちでもいいんだよ
でも普段は別の政治論争してるわけじゃん? 「さすが5chには畿内論者がいないな」ってのが理想
>>488
それはあり 「いよ」って女の名前って古代からあるんだな。
今でも松本伊代とか名前が使われてる。 >>481
>逆に何で畿内と思うのかが意味不明
邪馬台国=大和だから奈良ってことだろ。 もしこれが卑弥呼やとよの墓だと困るのは天皇家じゃね? 立派な前方後円墳だし、いわゆるなりすまししたのが大和朝廷てバレる >>482 > 墓が全部見つかってるわけねえだろ//
ン? 今から吉野ケ里の近在に墓でも作るかね。
現在に蘇える大作冢かよ藁 なんて名前の村おこしかね。
因みに、こんなんあるから、参考にしてちょ。
https://tatsunoko-action.jp/37/
> 「たつのこやま」は、市内で最も見晴しの良い、標高41メートル(地上23メートル)の人工の山// 前方後円墳は倭人勢力に与する豪族の分布域を示すだけであって権力の中心地としての意味はないからな
半島にもあるものを全て天皇に繋げること自体ナンセンス。
天皇も一系支配が紀元前から続いたというのも無理がある。 >>493
「大和」を「ヤマト」と読むのは比較的新しい読み方
「山門」を「ヤマト」と読むのが本来の読み方だろうと言われている
そういう理由だったら北九州の山門郡の方が邪馬台国であったろうと思われる >>436
所在が分かる大王墓だと論証された、近世の天皇陵で、
平地のくそ最悪最底辺地ズボズボ沼地に盛り土した古墳など一切存在しない。
よって、平地のくそ最悪最底辺地ズボズボ沼地に盛り土した「前方後円墳」は、大王の陵墓では有り得ない。 @阿波 滋賀ででっかい宮殿跡が出てるから壱与が九州から纏向に来たってのは考え難い >>497
当時文字ないからどってもヤマトと言ってたら同じでしょ >>442
>水銀なんて何処にでもあるだろ。金鉱の副産物みたいなモンだ。
「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」 @阿波 >>444
「前方後円墳」の発祥地「阿波」を、わざと外したのか? @阿波 なあ土人ども
過去にすがりつくな
だからイナカモンなんだよお前らわ 投馬国五万と邪馬台国七万戸
邪馬台国まで水行陸行合わせて二ヶ月
どう考えても北部九州に収まるわけないのに >>488 > 邪馬台国自体が日本に存在しない説が有れば俺はそれを信じるよw//
>>490 > それはあり//
特段の異説はない奴国まではどうするんだよ。
多少ともネタとして読むに堪えるシロモノを持って来いよ。
> 場所の問題なら別にどっちでもいいんだよ//
ンなわけないだろ。
北九州の奴国、山陰の投馬・出雲、畿内の邪馬台国といった、
並列してた倭の地域に、一回り大きい国が発生したんだからさ。
これは基本だろ。
奴国は、漢の倭(委)の奴国王、つまり地方政権だが、卑弥呼は倭王だろ。
>>491 > 今でも松本伊代とか名前が使われてる//
本来は台与タンだったのが、壱与と記載されちゃったのだが、
これがなければ、彼女は別の名前になってた可能性が高いね。
>>21 > 伊予はまだ、17だから・・・//
おばさん呼ばわりされても仕方がない。
まぁ、就任時年齢13のトヨたんではあるが、そんなに性格悪くはなさそうだけどもね。
ただ、壱与壱与壱与と3編も叫んだっぽい張政は、どうかは分からんが。 発掘しないで中を調べればいい
いちいち開けなきゃいけない土人のうちは手をつけては駄目 >>495 > 単純な歴史観に罪はないから許します//
単純そのものにしか思えないご自身の膿味噌をさ、
許容してる限りは、タヒ沼で八゛力は治らんと思うぞ。
>>498 > くそ最悪最底辺地ズボズボ沼地//
そりゃ、低性能なオ〆の膿味噌に他ならない。
>>502
大和水銀が有名。何処にでもあるんだから、何処でも採掘できるんだよ。
地域の遺物を何でも邪馬台国に付会する、諸雑説と、何ら選ぶところはない。 隋書に魏志倭人伝の邪馬臺国は奈良大和のことだと書いている
学術的にも纒向の調査が進んで畿内説でほぼ大勢は決した状況 >>473
つうかお前こそつまらんレスするなよ
大作冢 徑百餘歩 殉葬者奴婢百餘人
だから100人を埋葬できるだけのただの塚
お前こそまともなレスができないなら黙っておけ
くだらん奴 >>515
単に遣隋使が「邪馬台国ってワイの国のことやで」って言ったんだろ >>512
一度発掘したら5世紀以降の証拠ばかり出て来たから慌てて中止したんだけどね >>509 > 卑弥呼って鮮卑みたいな名前なのはなぜ?//
単純に表音文字だったんだと思う。伊都って、別段卑字じゃないでしょ。
まぁ、単純な表音文字じゃまずいと思ったのか、本記の方では、
人偏のついた、イ卑弥呼なんて表記になってるみたいだけどもね。 >>472
これが九州説の思考回路
普通は物証と矛盾した文献解釈は間違いだと考える
しかし九州説は自分の曲解が正しく、物証は間違いと考える 隋書に書かれている使者は正式な遣隋使ではなく
かなり怪しい輩だったから随も怪しいと思って質問責め
使者はデタラメだらけの受け答えをしていて昔の邪馬台国から来ただの、大和から来ただの話がめちゃくちゃで随の要人からバカにされてるのが真相 そもそもが魏書の卑弥呼が複数人書かれてることに気づかぬうちは掘らない方が良いな
結婚してない卑弥呼と、宋女トヨの母親の卑弥呼は別人だろ >>506
投馬国五万は朝鮮半島南部地域
邪馬台国七万戸は北部九州地域
帯方郡から投馬国まで水行20日
投馬国から邪馬台国まで水行10日陸行1日 >>518 > 一度発掘したら5世紀以降の証拠ばかり出て来たから//
箸墓外部の堀と思われる位置から出た馬具状のものって、
後世に堆積した腐葉土層の遺物だったんだろ。 >>521
>隋書に書かれている使者は正式な遣隋使ではなく
日本書紀にも詳細な記録が残されている正式な遣隋使です。
小野妹子もメンバーの一員でした。 >>519
コメントさんくす
蛮族として見下すというよりも
漢化してない異民族ぐらいの扱いなのかもね
本記の件は知らなかったので調べてみます >>509
当時の日本には文字がなかったから、音に魏の人が漢字を当てた。
遠方の国には、悪い字を使うのが当時の習慣だったから、その字だったんだろう。
倭も邪馬台国の邪馬も悪い字だよ。 足元にお宝が埋まっているというデマを信じて貴重な巨大建造物の像を破壊してしまい、再建することもできず永遠に失われて
その詳細すらわからなくなってしまった例って過去にありませんでしたっけ?
勝手にでっち上げた根拠の欠片もない説を振りかざして墓荒らしするなど許されることじゃありませんよね。
わからないものは自然とわかるときまでわからないままにしておけばいいんだよ。 >>520
物証から見ると、文化的に近畿のほうが進んでたと思われるが、
邪馬台国が近畿にあったかどうかは、別では? >>522 > そもそもが魏書の卑弥呼が複数人書かれてる//
卑弥呼っていうのが個人名ではなく称号のタグイってのは異存ないけど、
倭国大乱を経て就任した卑弥呼と、親魏倭王に叙された卑弥呼は同一人物と思うんだがね。
> 結婚してない卑弥呼と、宋女トヨの母親の卑弥呼は別人だろ//
それは別段、問題ないでしょ。トヨたんが親魏倭王卑弥呼の娘だなんて、どこにも書いてないし。
宗女と書いてあるんだから、宗家のお嬢という事なんだろうから、遠縁くらいなんでしょうね。 邪馬台国がどこにあるのかという議論の中で地理情報はとても重要だよな
・南、邪馬壱国に至る。女王の都とする所
・女王国より以北、その戸数、道里は略載を得べきも、、
・その南、狗奴国有り。
・女王国より以北は、特に一大率を置き検察し、、
・女王国の東、海を渡ること千余里。また国有りて、皆、倭種。 近年の纒向等の考古学的成果から専門家はもはやほとんど畿内説一色。
古くからの歴史ファンのアマチュアが魏志等を恣意的に解釈したり
学者は捏造しているなどと信じ込んで九州説を固辞している状況 >>523
惜しい
投馬国五万は妻国で西都原の妻のこと
邪馬台国七万戸は北部九州地域と山陰
帯方郡から投馬国まで水行20日
投馬国から邪馬台国まで水行10日陸行1日
これが正解 >>528 > はい、論破w//
八゛力は纏わり付かんで呉れ給へ。伝染ったら困るんだシネ。 近年の纒向等の考古学的成果から専門家はもはやほとんど九州説一色。
古くからの歴史ファンのアマチュアが魏志等を恣意的に解釈したり
学者は捏造しているなどと信じ込んで畿内説を固辞している状況 >>538
お前の妄想だバカの猿
糞食って死んどけ認知症w
はい、論破w >>516
何それ捨て台詞?
くっさいなお前。
中学生の歴史からやり直してこい馬鹿タレ >>466
>学問的には集合国家的な3世紀前後の遺跡が纒向とかの近畿には出てくるけど九州には少なくてほぼ近畿説が定説化しつつあるって話だが…
碌な弥生集落遺跡や鍛冶炉遺構そして資源の無い、くそ田舎の九州・畿内に、「邪馬臺国」など興る訳がない。 @阿波 >>475
>弥生時代の畿内からは勾玉も出ない。九州からは出る。勾玉は天皇の三種の神器
その勾玉も、「阿波」が発祥地。 @阿波 >>493
NHKで元々博多だったのが黒田長政が岡山県の地名である福岡をつけてそう変わったとやってたな
さて奈良はいつから大和だったのかな 3世紀の奈良は鉄も発掘されていない沼地のど田舎
箸墓は奈良に鉄が入った5世紀以降が正しい >>516
あ、言い忘れ。
魏志倭人伝なんか信用してたら恥をかくぞお前。
だからもうROMっとけ。
話題に入るなボンクラ ヒミコの墓は征服戦争を引き起こした結果、
ボナパルトみたいに流されて、厄嶋の厄杉の下に埋まってるんやぞ。
3000年たっても墓標は生きているんやで >>540 > はい、論破w//
工〒公は炒ってよし。 >>478
>前方後円墳の規模で言うと、関東の方が畿内より大きい。征服されたから急に墓が急増したのだろう
海に面さない山奥盆地で、ジメジメした湿地帯だから、「忌部一族(阿波勢力)」の開拓が他所より遅れた結果だ。 @阿波 ギリシャローマ神話は初めから作り話で多少実際に起こった出来事を絡めたり比喩的にしてるぐらいだからいい
日本は明治政府が神話の話を実在する天皇家や歴史的事象に関与させ過ぎたからややこしくなってる
昭和帝が人間宣言して考古学者に調査解禁させた時点で神話とは無関係、作り話ですよって言っておけばよかった
別にそれで天皇の求心力が落ちるなんて今更思わないのに >>549
糞食って死んどけバカの糞食い猿
はい、論破w >>496
>半島にもあるものを全て天皇に繋げること自体ナンセンス。
そもそも、「前方後円墳」は、天皇の臣下のお墓。 半島しかり。 @阿波 >>544 > はい、論破w//
脳味噌が沸いてる煮たモン同士で殴鮫あっても虚しいだけだろ。 >>559
糞食って死んどけバカの糞食い猿
はい、論破w 未来人とかなんで俺らの時代にしか来ないんだろう?
「卑弥呼?ああ会うたで、場所?ここや」
「戦国時代にな裏切ったやろ明智光秀。本人いうとったわ『もうやっとれん!ブラック大名みんな滅べ』って」
とかいろいろ教えてくれてもいいのに。 >>36
あーこいつもゴッドハンドして、適当な遺物発見したから本格発掘させろ!ってやりかねなかったのか >>545
>さて奈良はいつから大和だったのかな
倭国(阿波)から8世紀に遷都してから。 @阿波 >>516
>大作冢 徑百餘歩 殉葬者奴婢百餘人 !
失笑 >>558 > 祇園山古墳だな//
区画整理で取壊された挙句に、集団墓地になっただけの小規模古墳。
張政が来た時点での径100歩の墳墓って、箸墓だけだったのだから、
箸墓が卑弥呼墓というのは、確定事項なんだよ。 >>560 > はい、論破w//
鳴くなよ工〒公。
マスクしろよな、伝染っても困るんだからさ。 >>567
>太平洋側にも前方後円墳があるのがよう分からん
「前方後円墳」は、「阿波」が発祥地なんだから当たり前。 @阿波 >>563 > 倭国(阿波)から8世紀に遷都//
オ〆の膿味噌が水銀鉱山だな。 >>571
>日本海側はもとも四隅突出墓だぞ
四隅突出墓も、「阿波」が発祥。 @阿波 >>570
お前はマスクしないでいいから
デタラメ垂れ流さないで糞食って死んどけバカの糞食い猿
はい、論破w >>568
許さん
糞食って五万年ROMってろ
はい、論破w >>572 >「前方後円墳」は、「阿波」が発祥//
オ〆の膿味噌は、発症してから随分なんだろ。 「前方後円墳の成立に阿波地域が大きな影響を与えたことを示す貴重な資料」
徳島県鳴門市大麻町萩原の「萩原2号墓」で、板材でつくった墓室・木槨(もっかく)を
積石(つみいし)で囲んだ三重構造の埋葬施設が確認された。
県教委と県埋蔵文化財センターによると、築造は弥生時代終末期の2世紀末〜3世紀初頭で、
邪馬台国の女王、卑弥呼が活躍した時期に一致する。
石で木槨を囲う例は、他には弥生墳丘墓と前方後円墳の過渡期的存在とされるホケノ山古墳(奈良県桜井市、3世紀前半)だけで、
ホケノ山古墳の構造に影響を与えたのは確実。
前方後円墳の成立に阿波地域が大きな影響を与えたことを示す貴重な資料となる。 @阿波
http://www2.odn.ne.jp/kofun/hagiwara.htm 「四隅突出墓」も倭国(阿波)発祥!
萩原1号墳・萩原2号墳・足代東原1号墳・奥谷2号墳・寺山3号墳 @阿波 稲持遺跡(徳島県三好郡東みよし町稲持)は、弥生時代後期の玉作遺跡として代表的である。
斉一性の強い小型勾玉の一群が阿波地域を中心に 讃岐地域・吉備地域と西縁・伊予地域・豊前、筑前、肥前地域 に点在しており、
石材・色調・形状から特定の場所で作られたと考えられる。
蛇紋岩の製作遺跡 : 東みよし町稲持遺跡・徳島市矢野遺跡・上板町七条経塚遺跡
原石産出地 : 徳島県吉野川加茂谷川水系蛇紋岩
徳島県で勾玉が出土された遺跡 : 稲持遺跡、矢野遺跡、黒谷川郡頭遺跡、井出上遺跡など。
井手上遺跡(徳島県三好市井川町西井川)(弥生時代後期終末〜古墳時代前期初頭の集落)出土の翡翠製勾玉は、
新潟県糸魚川で産出する翡翠を使用し北陸周辺で加工されたものであることがわかっている。
出土した遺物は、吉野川下流域、讃岐、吉備等の搬入土器が含まれており、
当時の交易の範囲を知る上で貴重な発見となっている。 @阿波
「稲持遺跡」
https://www.pref.tokushima.lg.jp/rekishiru/remains/5023036/ 阿波國鮎喰川下流集落群では、弥生終末期には軽量薄型の土器が生み出される。
中・東部瀬戸内から大阪湾岸地域、淀川地域・山城地域に搬出された阿波を代表する土器であり、「東阿波型土器」と呼んでいる。
企画性が強く、器壁内面にヘラケズリと指頭圧痕を残す製作技法に特徴がある。土器製作専業集団によるものだろう。
類似技法による土器は讃岐・吉備に拡がり、薄型土器の南北軸を形成している。 @阿波 >>575 > はい、論破w//
工〒公は纏わり付くなよ。
>>574 > 四隅突出墓も、「阿波」が発祥//
スダチくらいだろ、八゛力。 >>582
まとわりつくな糞食い猿
デタラメ垂れ流さないで糞食って死んどけバカの糞食い猿
はい、論破w 100年後くらいに技術が進化していたら「宮内庁GJ。当時の稚拙な技術で荒らされなくて良かった。」となるかも。 クソ宮内庁は古墳を調査させないということに関しては異常なほど熱心なのに
なんで小室との第三種接近遭遇を阻止できなかったんだ? 発掘って遺跡の破壊行為だからな。
遺跡が壊されるような工事が
行われる場合じゃないと発掘はしない。 >>547
お前の大好きな魏志倭人伝をお前が信用しなくてどうする?
卑弥呼信者のお前がよ 卑弥呼って実はいなかったんだろうな
弟が詐欺師だったのだろう 臺与の墓はあれじゃないの?
平原1号墓っていうのかな。
でっかい鏡や大量の鏡が出てきた女性の墓。
場所も豊(臺与)の国だし。 倭人伝を読んでいたはずの
記紀編纂者はなぜ親魏倭王の
卑弥呼について触れなかったのだろうか?
やはり大和朝廷とは何も関係なかったのか、
それとも中国の属国だったことを
隠したかったのか。 >>587
で?何?もういい?スッとした?
涙拭いて鼻かめよ。
取り敢えず夕飯食ってこい。
母ちゃん待ってるぞ。 >>590
天照大神が中華皇帝の臣下では様にならないからね。
苦し紛れに神宮皇后を卑弥呼扱いしているけどさ。 なぜ司馬懿が卑弥呼に金印をやったのかという理由を考えれば
九州以外にはありえないんだがな >>578 > 石で木槨を囲う例は//
積石塚、墓ってけっこうどこにでもあるだろ。
似てるってだけで付会するなよ。水銀鉱山だって、どこにでもある。
>>580 > 稲持遺跡(徳島県三好郡東みよし町稲持)は、弥生時代後期の玉作遺跡//
>>581 > 阿波國鮎喰川下流集落群では、弥生終末期には軽量薄型の土器//
どこにでもある。単なる工〒公だな。
>>583 > はい、論破w//
纏わり付くなよ、工〒公。 >>22
倭国と日本は同じだが、日本は反主流派
豊臣から徳川に変わったような関係 >>597
>どこにでもある。
お前んとこには、無い! @阿波 >>596 > なぜ司馬懿が卑弥呼に金印をやったのか//
金印をやったのは、政敵の方だ。
> 理由を考えれば 九州以外にはありえないんだがな//
なぜ司馬懿が最後は認知症になったのか(アレって演技じゃなかろう)、
その理由を考えれば 九州以外にはありえなさそうだな。 >>590
南北朝が終わった後は特に卑弥呼にこだわる理由はなかったんだよ >>597
まとわりつくな糞食い猿
デタラメ垂れ流さないで糞食って死んどけバカの糞食い猿
はい、また論破w >>600
九州説は素人爺さんが大半だから、
あと十年二十年もしたらその声も聞けなくなってしまう。
学術的には畿内説がほぼ定説化しつつあるし、
教科書にも畿内説が有力と書かれている。
最後の絶滅危惧種として温かい目で見守ってあげましょう >>604
お前がニセモノだよウソつきの猿
はい、また論破w >>598
お前くだらないよな猿
はい、また論破w >>606
畿内説は素人猿が大半だから、
あと十年二十年もしたらその声も聞けなくなってしまう。
学術的には九州説がほぼ定説化しつつあるし、
教科書にも九州説が有力と書かれている。
最後の絶滅危惧種としてうんちを見るような目で見守ってあげましょう 第7代孝霊天皇って古代に 100歳以上まで生きたことになっているけど
もちろん嘘だろうな 存在すら怪しい 当時の九州じゃ女王国の人口を養うだけの食糧生産できる土地がないしな
普通に考えて畿内でほぼ確定 もう畿内説はただの普通のウソつきでしかない
認知症のジジイみたいなもん
いずれガチで認知症を患うだろう
サハフタンのようにウソをついて勝ち誇ってオナニー
これだけw >>604 > 金印が偽物と判明した時点で//
未出土で、おそらく永遠に出土せんものについてどうこう云っても仕方ないでしょ。
なお、志賀の島の金印はホンモノだよ。漢の委(倭)の奴国王、と彫ってあるんだからさ。
倭でなくて委と彫ってあるのが、ホンモノの証だ。 総括して任那というが、分けると加羅国(からのくに)、安羅国(あらのくに)、斯二岐国(しにきのくに)、多羅国(たらのくに)、率麻国(そつまのくに)、古嵯国(こさのくに)、子他国(したのくに)、散半下国(さんはんげのくに)、乞滄国(こっさんのくに)稔礼国(にむれのくに)
合わせて十国である。
狭すぎだろwこの中のどれか 昔の天皇のDNAと、現代の天皇のDNAが托卵とか、すり替わりとかで
一致しない可能性があるから天皇制が続く限り、宮内庁は古墳発掘の妨害を続けるだろうな >>611
一年二季説なら50歳?
二毛作の九州由来ならあり得る
奈良も二毛作やってたけど、水不足で干上がることしばしば
これ昭和時代まであった実話です 卑弥呼といえばAV史上トップクラスの女優さんだったな >>597
>どこにでもある。
お前んとこには、なに一つ無い! @阿波 >>611 > 第7代孝霊天皇って古代に
100歳以上まで生きたことになっているけど もちろん嘘だろうな//
それって、治世102年とされる、第6代孝安天皇のことでしょ。新唐書では、
神武立 更以 天皇 爲號 徙治大和州 次曰綏靖 次安寧 次懿コ 次孝昭 次天安 次孝靈・・・
なんて書いてある。
孝安が天安に置き換わってるが、これってまさに、治世102年藁、
もちろん嘘だろうな、オメデタイ、って事なんでしょう。
序に云えば、推古については、雄古なんて書いてある。
隋書では、607年遣隋使の時には、アメタリシヒコは男であるやに書いてある。
むろん、日本側の申立をそのまま引き写したんだろうね。
実際は、この時の天皇は推古なのであって、女性天皇だ。
つまり、雄古という置き換えは、アンタは男だったんじゃないのかよ藁、
といった揶揄になってるんだね。
>>620 > 一年二季説なら50歳?//
そんなモンは無いよ。
植え付けと収穫という二季会計を、年四季会計に改めたという意味だ。 お前ら近畿パーってガチで認知症にいずれなると思うよ
とても正気じゃない
脳がもたないよそんなの 宮内庁はなぜ墳墓の発掘調査を
認めたがらないの?
邪馬台国畿内説か九州説か、明らかに
なるどころか新しい発見があるかもしれんだろ >>622 > お前んとこには、なに一つ無い//
当たり前だろ、私はオ〆みたいに、脳味噌が水銀鉱山になってる訳じゃないんでね。
>>624 > お前ら近畿パーって//
>>625 > 最後の畿内説か//
もう諦めな。
張政が来た時点での径100歩の墳墓って、箸墓だけだ。
箸墓が卑弥呼墓ってのは、確定事項なんだよ。 曹操も曹叡の墓も20メートル四方くらいだからね。
箸墓古墳はそのあと、4世紀後半くらいの墓だよ。 >>52
日本国≒天皇がその名の通り大和、奈良県でおこる
それ以前にバラバラ各地に王的に仕切っている小国はあったろうね >>627
>当たり前だろ、私はオ〆みたいに、脳味噌がになってる訳じゃないんでね。
お前んとこには、水銀鉱山はおろか、なに一つ無い。 脳味噌もないヘタレ。 @阿波 >>1
まーた畿内バカがファンタジー語ってるのか?ww だから桜井にはヒミコイヨ伝説はおろか鬼道の伝承すら無いって言ってるのに >>633
当時の五斗米道の鬼道教団が日本に伝わった形跡はないんだけどなぁ >>628 > 箸墓古墳はそのあと、4世紀後半くらいの墓だよ//
いい加減な事を書くなよ。
> 曹操も曹叡の墓も20メートル四方くらいだからね//
箸墓の年代とは、何の関係もないハナシだろ。
>>633
> だから桜井にはヒミコイヨ伝説はおろか鬼道の伝承すら無いって言ってるのに//
張政が来た時点で径100歩の墳墓は箸墓だけだ。
箸墓が卑弥呼墓であるのは確定事項だよ。
魏志倭人伝という、伝承以上の記載があり、箸墓自体が物証だ。 時期が近い!規模が大きい!
卑弥呼だー
幼稚園かよ >>630 > 脳味噌もないヘタレ@阿波//
うむ、その通りだ。ただし、オ〆の自供には関係なく、
オ〆は脳無しのヘタレの工〒公にしか過ぎない。 >>590 倭人伝を読んでいたはずの記紀編纂者はなぜ
親魏倭王の卑弥呼について触れなかったのだろうか?
マトモには触れたくなかったからさw でもちゃんと記紀に出てくるよw
倭人伝をよく読むと、教科書に書いてる事と全然違う真実に気付く。
漢の時代に倭国代表として朝貢した奴国は、実は邪馬台の配下だった!
つまり、邪馬台こそが漢の時代の真の列島覇権国だったと分かる。
だが、その邪馬台が、今度は魏に自ら朝貢してる!?!
ここから、倭国大乱(2世紀末?)は、教科書に書いてある様な
邪馬台内の三十数ヶ国の内乱ではなく、列島の大乱だと分かる。
邪馬台は大乱に負けてて、覇権放棄の証として女王(剣を持たぬ王)
卑彌呼を即位させ、新覇権国の「大倭」(←後の大和!)に大事な港
を押さえられ、魏に朝貢に出されてる。倭国代表としてw(3世紀)
※覇権国が自ら朝貢しないのは、大陸の臣下に成らない為だ。
配下の国を朝貢させ大陸の臣下にさせると、列島覇権国は、朝貢国
の支配者であるので、大陸の皇帝と並びの地位と言うことに成る。
国内政治的にはw
次の4世紀、華北が崩壊した隙に大倭は邪馬台(やまと)を滅ぼし
その歴史的権威を継いだ(てか奪った)訳で、記紀には、その邪馬台
の権威を象徴する神「天照」を作り天皇の祖先と位置付けてる。
「天照」を作るに際してモチーフにしたのが、卑彌呼(と臺與)だわ。
ちゃんと出てきたでしょ?w >>590
一応神功皇后のところで軽く触れているだけ
日本にとっては重要な存在ではなかったのな
代わりに神功皇后の業績について詳しく触れている
実際に卑弥呼は狗奴国の男子王の卑弥弓呼にすら対応できない軍事力しか持ち合わせておらず
張政が日本に来た時には奴婢百人と共に大きな穴に埋められていた >>637 > 時期が近い!規模が大きい! 卑弥呼だー//
時期が合わん!規模も合わん! だけど卑弥呼だー、って、
幼稚園にも行けない工〒公かよ。 歴史学者は頭の中でストーリーをつなげるけど、考古学者は実際出てきた物しか見ない
これ、樋口先生の言葉です 奴婢100人とともに大きな穴に埋められていたのが、いつの間に径100歩の墳丘になったの?
墳墓は遺体を穴に埋めませんからね。石室に収めるんですよ。
それとも張政がきた時はモガリの最中だったの? >>1
魏志倭人伝を見てわかるけど卑弥呼はなぜか軍事力がないんだよな
塚と言うが高さは示しておらずに径が100歩の横から見た大きな塚だからな
新井白石や本居宣長の言う説もまんざらはずれじゃないよな >>642
みなと = 博多港(とその旧支配者 "みなかた(港の傍)"(=宗像))
やまと = 日田に起こった山手のクニ。(魏誌では邪馬台と書かれる)
※ と=戸=クニの入口の木戸(訛ってカド/門)=クニの婉曲表現
邪馬台(やまと)は、日田に起こり、筑紫平野を支配して強国に。
最後、博多港を手に入れ、地域覇権のみならず列島覇権をも握る。 >>647
ちなみに張政に大きな塚を見せてこれが卑弥呼の墓だと説明されたのかもしれないな
当時の朝廷は卑弥呼に恩義を示す義理もないからね
取り合えずわかっているのは卑弥呼の墓は径が100歩の大きな塚だという事
その中には奴婢100人が一緒に埋葬されている
つまり骨が一体分しかなかったらそれは卑弥呼の墓ではないという事 >>649
大きな塚と言っても高さは書いていないから
今となっては墓の場所を特定するのは難しい
記紀にだいたいの位置を書かれている陵墓とは異なり >>639
> ここから、倭国大乱(2世紀末?)は、教科書に書いてある様な
邪馬台内の三十数ヶ国の内乱ではなく、列島の大乱だと分かる//
畿内地域の争乱ですよ。
> 新覇権国の「大倭」(←後の大和!)に//
大倭については、何らかの監察機関だった、としか言いようがない。
收租賦有邸閣 國國有市 交易有無 使大倭監之
自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國
王遣使詣京都 帶方郡 諸韓國 及郡使倭國 皆臨津捜露 傳送文書 賜遣之物詣女王 不得差錯
伊都国というのが、北九州在地勢力でありながら、優位な地位を保っていた様だ。
しかしながら、規模的には奴国の方が中心っぽく思える。
伊都国というのは、奴国にも邪馬台国にも、あるいは帯方郡や諸韓国にも気を配る立場に見える。
伊都国に目を配る様な監察機関も必要に思われる。それが「大倭」かな、なんて気もするんだが。
>>650 > 大きな塚と言っても高さは書いていないから
今となっては墓の場所を特定するのは難しい//
張政が来た時点で径100歩の墳墓は箸墓だけだ。
高さなんて無関係に、箸墓が卑弥呼墓というのは確定事項だよ。
もう諦めな。 >>641 > 奴婢百人と共に大きな穴に埋められていた//
奴婢百人って、生贄といったもんではないよ。
魏志倭人伝をよく読めば、その出所は明確だと思うんだがね。 >>1
箸墓古墳で奴婢100名の遺体が見つからない限り
それは卑弥呼の墓なんかじゃないという事だよな
つまり箸墓古墳は卑弥呼ではない日本古来の皇族の墓という事 >>629
天皇という称号はやっぱり中国からのお下がりで
日本が天皇という称号を拝借しだしたのは600年代後半
それまで奈良県にあった大和という国名の名の下で
日本列島を支配してた統率者は自ら 大王 という名を名乗り列島を支配してた >>645
> 奴婢100人とともに大きな穴に埋められていたのが、いつの間に径100歩の墳丘になったの?//
大作冢 徑百餘歩 なんだからさ、径100歩の墳丘だろ。
勝手に101人の共同墓地にするなよな。 >>654 > 箸墓古墳で奴婢100名の遺体が見つからない限り
それは卑弥呼の墓なんかじゃないという事だよな//
流石に奴婢100名なんかは、骨も残ってないだろ。
箸墓の墓室部が発掘されたとしても、被葬者のそれすら確認できるかは分からんのだし。
人の遺体って、剣や鏡じゃないんだしさ。 そもそも卑弥呼って
実在した可能性は何%くらいなの? >>655 > 天皇という称号はやっぱり中国からのお下がりで//
まぁ、漢字で表記するには、ある程度仕方がないでしょ。
天上皇帝、くらいの感覚だったんじゃないかな。
中国では、天を祀る、天より認められた天子、なんて感覚だったみたいだから、
その天に斉しい天上皇帝、くらいの意気込みだったんじゃないかしらん。
まぁ、夜郎自大呼ばわりされても仕方がないにしてもさ。 >>39
まともに文献批判できない連中だから追放したいよな >>661
臺與を「とよ」と読むのが通説となっているが、「いよ」と読むという学説も散見される。 >>157
一方で当時の漢字の読みを気にせずに勝手に音を当てる日本の学者達w
三流過ぎるだろ >>658 > そもそも卑弥呼って 実在した可能性は何%くらいなの?//
親魏倭王卑弥呼が文献上存在している可能性は100%でしょ。
実際に実在してる可能性は、その文献の他の記載人物、
曹操、司馬仲達、孫権、陸遜、劉備、諸葛孔明なんかと同程度、と見積もっても構わない。
彼らほど事績は多くはなくとも、実在を疑う必要はない。
当時は唯一だった、実在する径百歩の墳墓に眠る、実在人物だよ。
日本側資料だって、存在を誤魔化さねばならない程度には、気を遣ってるんだしね。 >>657
100名全員の遺体が消え去るのか
さすが卑弥呼信者だな
弥生時代の土井ヶ浜遺跡では300名もの遺体が発見されているのな 大体、多くの前方後円墳は天皇家に無関係なのに何故宮内庁は調査阻止する権利だあるんだよ 全て明治に作った創作を隠す為だろ 明治以前1000年くらい京都の貧乏貴族だったからな >>664
漢字が伝来した時期が違うから、九州での漢字のあて字と畿内の漢字のあて字の読みが違うはなし >>666
土葬のままだと骨はほとんど分解されてしまうのよ 魏志倭人伝では邪馬台国の南側に邪馬台国よりずっと強い狗奴国がある
畿内説は無視するべき >>662 > まともに文献批判できない連中だから//
駄々を捏ねるなよ。
張政が来た時点では、径百歩の墳墓は箸墓だけだ。
箸墓が卑弥呼墓なのは確定なんだよ。
むろん、張政だって、その目的で態々卑弥呼墓のID情報を残したんだからさ。
まぁ後は、なんで出鱈目な道程記載なんか書いたのかとか、
卑弥呼・トヨたんと、崇神はどう繋がるのか、とかでも考えてみる事だね。
記紀だって、そんな目で見れば、ヒントは山ほど埋まってるんだよ。 愛媛、愛おしい媛が伊予ってめちゃくちゃ意味深だよな >>663
文献の同じ葉に臺と壹が書き分けられているのになぜトヨになるんだよ。 >>670
「狗奴国」は邪馬台国に勝るとも劣らない超強大国。 その国力の源泉が、「辰砂鉱山」と「温暖な海の恵み」と「海洋航行技術」。
これらが無いところに、超強大国「狗奴国」など勃興するわけがない。 @阿波 >>627
お前ら近畿パーってガチで認知症にいずれなると思うよ
とても正気じゃない
脳がもたないよそんなの 近畿パーは三島由紀夫コースだな
バカは救う方法が無い >>668
文献が書かれた時、どこの地域の発音で割り当てたのかと言う話。
洛陽で書かれたなら漢音の系統になる。 >>666 > 100名全員の遺体が消え去るのか//
38世紀くらいのオ〆の骨でも想像してみなよ。 >>675 > お前ら近畿パーってガチで認知症//
オ〆が認知症同然なのは、畿内説だからではなかろうが。 >>674 >「狗奴国」は邪馬台国に勝るとも劣らない超強大国//
筑紫国造磐井、といったところだよ。
ある程度の勢力家ではあっても、超強大国という程ではない。 「狗奴国」は邪馬台国に勝るとも劣らない超強大国。 その国力の源泉が、「辰砂鉱山」と「温暖な海の恵み」と「海洋航行技術」。
これらが無いところに、超強大国「狗奴国」など勃興するわけがない。 @阿波 >>680
イミフだよ猿
お前らはことごとくイミフ
猿の寝言 >>669
卑弥呼って女王だよな?
奴婢の殉死の遺体がそのまま土に埋める土葬なのかよ
石棺と言わないまでも少なくとも木棺じゃないのか? >>684 > イミフだよ//
鳴かんでもエエだろ、工〒公。 >>681
お前ら近畿パーは認知症コースか三島由紀夫コースしか無いよ
そのキチガイじみたウソつきぶりからはそんな結末しかない 学会は、邪馬台国をどうしてヤマトと読まないのだろう。 少なくとも、平地のくそ最悪最底辺地ズボズボ沼地に盛り土した天皇陵は一つもなく、奈良盆地の「前方後円墳」が、天皇陵でないことは一目瞭然。
所在が分かる大王墓だと論証された、近世の天皇陵はすべて、「卑彌呼」と同じ「冢」だな。 @阿波 どうせ眞子の件で皇室の権威も失墜しまくりなんだから
古墳くらい調査させてやればいいのに >>686 > 石棺と言わないまでも少なくとも木棺じゃないのか?//
38世紀ころには、残ってるのは石棺だけだろ。
奴婢100人については、そのまま土葬でも構わないよ。 所在が分かる大王墓だと論証された、近世の天皇陵はすべて、「卑彌呼」と同じ「冢」だな。 @阿波
少なくとも、平地のくそ最悪最底辺地ズボズボ沼地に盛り土した天皇陵は一つもなく、奈良盆地の「前方後円墳」が、天皇陵でないことは一目瞭然。 >>656
大作冢・・・大いに冢を作る
徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人・・・径百余歩に徇葬者の奴婢百余人 >>692 > そもそもヤマトでは無いし//
あちらさんの表音文字に従って、邪馬都国とでも自己紹介したら、
親魏倭王の邪馬台国にして貰えたけど、晋の時代には、
ありゃ邪馬壱国だったんですわ、なんて流れだと思うんだけどもね。
親魏倭王の叙任って、晋王朝の始祖の政敵がやった事だったんだしね。 >>695 > 大作冢・・・大いに冢を作る//
勝手にさ、塚を沢山作ったことにするなよな。
> 径百余歩に徇葬者の奴婢百余人//
そんなんだったらさ、張政は態々と卑弥呼墓の記載なんか残さないよ。 >>698
畿内説派は箸墓を暴けば出てくると言い張ってるんだよな。 邪馬台国は1回目の朝貢の時で結構ギリギリだろうなー
張政いつまでも応援してっから!とよちゃんネバーギブアップな!辺りもダメだこりゃ感出てるし 邪馬台国よりもあのあたりにある橿原神宮って紀元2600年に大土木工事をして小さい祠を強引に大神社にしたって本当の話なの?
そっちの噂の方が気になるわ。
その時付属して造ったテニスコートで後の住銀頭取が汗を流していたのかな?と考えたら感銘深いものがあるね。 >>703
その為に大規模な区画整理もして、鉄道も付け替えてるよ。 >>698 > 魏からもらった大量の鏡はなぜ出てこないの?//
国内からは山ほど出てる。100枚以上なのは、
好評につき、追加発注したから。まぁ、下賜じゃなくて有料だったんだろうけどね。
中国で出ないのは、>>292 で書いた次第で、
魔鏡なんて技巧がなされた、汝の好む特注品だったから。
追加発注で在庫が払拭した、なんてのもあるの鴨試練し。
>>291 > 馬具が納められていたなら//
それはどこ宛てなのか? アンカーは>>292になってるんだが。 >>699
「大作冢」でもこれ「大きな冢を作った」じゃなくて「大いに冢を作った」の意味だからな >>696 > 38世紀??? わけわからん//
そりゃ普通に、アンタのオツムが悪いだけでしょ。 >>705
そういう話があるから、戦前の宮内省って天皇家の神格性を傷つけまいと平気で捏造とかやってそうな気がするんだよね。
例えば、天皇家=半島人とかの証拠が出てきたらまずいでしょ。だいたいあの辺りの山並みとか誰が見ても慶州だし。 >>708
>「大作冢」でもこれ「大きな冢を作った」じゃなくて「大いに冢を作った」の意味だからな//
そんなんじゃさ、張政は態々と卑弥呼墓の記載なんかしないんだよ。
まぁ、より多くの大規模墳墓が作られる事はある鴨試練が(実際そうなったが)、
彼の見た時点で径100歩の墳墓は箸墓だけだったので、
卑弥呼墓のID情報として十分だろうと考えたんだよ(これも実際そうなった)。
底の浅い思い付きをダラダラと書くなよ八゛力。 紀元3世紀になっても漢字を操れないなんて相当低レベルの国だったな。弥生時代に来た渡来人も文字が読み書きできない末端だということがよくわかる。 >>711
邪馬台国の位置さえ特定できないのに?
バカはお前だよ 卑弥呼や臺与って沖縄のノロみたいな能力者だったのか? >>715
『名曰卑彌呼事鬼道能惑衆』 『名を「卑弥呼」といい、「鬼道」に仕えて人心を惑わしている』
大麻(麻)の繊維は、日本では古くからしめ縄、祓い具(おはらい)としての神事の大麻(おおぬさ)などに用いられてきた。
また、麻から作った大麻(マリファナ)は薬理作用があり、紀元前から古代人が嗜好品、また医薬品として用いてきた。
大麻(マリファナ)は喫煙、気化、飲食により成分を摂取する。
大麻といえば、阿波忌部。
卑弥呼は大麻(マリファナ)を利用して「鬼道」を操ったのだろう。 @阿波 九アノンの皆さま、こんばんは
今日も1日中、訳の分からんことを書いてたんですね まぁ俺も記紀が日本史上1度目の大本営発表だと思ってるけど、「レベル低すぎて話になんねえよ、今度政治教えたろか?」って門前払いされてた(しかもそれも隠した)国が今日まで発展出来たんだから古代史の流れは正解だったよね >>710
まあ10中8、9半島人だろうね
あんな顔した縄文系はいないと
いまの知見ではっきりわかる >>713 > 邪馬台国の位置さえ特定できないのに?//
箸墓が卑弥呼墓で確定だろ、八゛力だな。
>>714 > カはお前だよ//
いや、鳴くだけのオ〆が八゛力なだけ。
>>717
訳の分からんことを書いてるアンタはね、態々挨拶なぞするには及ばない。 古代ハンガリーなら、
ハンガリー女性名で読めるんじゃね?
シャロルタとか。社崙?! >>715 > 能力者だったのか?//
政治やってたに決まってると思うが。
役に立つならさ、宗教的な装いだって利用するでしょ。 >>34
帥升だっけ?
中国の歴史書で、初めて登場する日本人 『名曰卑彌呼事鬼道能惑衆』 『名を「卑弥呼」といい、「鬼道」に仕えて人心を惑わしている』
大麻(麻)の繊維は、日本では古くからしめ縄、祓い具(おはらい)としての神事の大麻(おおぬさ)などに用いられてきた。
また、麻から作った大麻(マリファナ)は薬理作用があり、紀元前から古代人が嗜好品、また医薬品として用いてきた。
大麻(マリファナ)は喫煙、気化、飲食により成分を摂取する。
大麻といえば、阿波忌部。
卑弥呼は大麻(マリファナ)を利用して「鬼道」を操ったのだろう。 @阿波 >>727 > 金印は九州からしか見つかってません ハイ終了//
畿内から金印が出たから畿内だ、なんて誰も云ってないだろ、
終了した脳味噌で糞投稿に及ぶなよ、八゛力。 少なくとも、平地のくそ最悪最底辺地ズボズボ沼地に盛り土した天皇陵は一つもなく、奈良盆地の「前方後円墳」が、天皇陵でないことは一目瞭然。
所在が分かる大王墓だと論証された、近世の天皇陵はすべて、「卑彌呼」と同じ「冢」だな。 @阿波 >>727
だから、それは箸墓古墳を発掘調査しないと分からんだろうと・・・ >>716 > 大麻(マリファナ)を利用して「鬼道」を操ったのだ//
アタマ悪い癖して、無理して書かんでもエエんだよ。 薹与は 13歳で女王に指名された
さぞ美少女かつキリっとした少女だったことだろう >>733
>だから、それは箸墓古墳を発掘調査しないと分からんだろうと・・・
箸墓古墳を発掘調査したら、まず間違いなく「若杉山辰砂採掘遺跡」産の水銀朱が出る。 @阿波 >>733 > だから、それは箸墓古墳を発掘調査しないと//
金印については、あまり期待するな。
箸墓に埋まってるものならば、藤原不比等が処分しちゃってるよ。 >>736 > 水銀朱が出る//
そんなもん、何処にでもあるんだよ、工〒公。 箸墓古墳が最初の大型前方後円墳。つまり大王と呼べるレベルの最初の人間の墳墓。
そうするとミマキイリヒコ(崇神)という推理が素直。
一方、記紀の箸墓古墳は高貴な姫(倭迹迹日百襲姫)の墓という伝説からは、トヨの墓という推理が出てくる。
ヒミコはもう少し古いし円墳という記録だから、箸墓古墳は崇神かトヨの墓、というのが現在有力な推理。 >>738
お前んとこには、なんにも無いがな。 わははははは @阿波 伊都国が糸島であることはほぼ間違いないし、異論を唱える奴はいないだろう
ならば同じ魏志倭人伝に書いてある邪馬台国が何百キロも離れた奈良辺りにあるはずがない
普通に考えれば伊都国の近傍、北部九州の福岡辺りに邪馬台国があっただろうことが分かる >>735 > さぞ美少女かつキリっとした少女だったことだろう//
それもあるとは思うが、宗女とあるから、宗家の娘、
つまり、家柄もあったんだと思う。 >>741
>伊都国が糸島であることはほぼ間違いないし、
なら、伊都国にふさわしい弥生後期集落遺跡を挙げてみろ。 話はそれからだ。 @阿波 >>712
漢字の文化ないのに、文字がすでにあった魏と交渉してた
多数の渡来人の通訳がすでにいたのだろう 結構日本って土人国家だよな
研究活動を国が規制するって何だよ
宗教国家か >>740 > わははははは//
コミュニケ障碍の癖して、無理して書く必要はないんですよ。 >>712
デタラメだらけの魏志倭人伝の記述を鵜呑みにするなよ >>1
邪馬台国は畿内には無かったことはほぼ確実
なぜなら日本書記にも古事記にもヤマト王権が
魏に使者を送ったことが書かれていないから
畿内のヤマト王権=邪馬台国ならば
こんな重要なイベントを記述していないはずがない
つまり畿内のヤマト王権とは無関係のクニが魏に使いを出した邪馬台国ということになる
こんな簡単な推理もできないバカが畿内論者たち
コナン君に馬鹿にされるよ、畿内論者たちはw >>743 > ふさわしい弥生後期集落遺跡を挙げてみろ//
徳島市は日本の首都相応しいから東京だ、
なんて言ってるのと何も変わらんのだよ。
アタマ悪い癖して、無理して書くには及ばない。 >>746
お前んとこには、なんにも無いがな。 わははははは @阿波 >>749
お前んとこには、なんにも無いがな。 わははははは @阿波 >>748 > 日本書記にも古事記にもヤマト王権が
魏に使者を送ったことが書かれていないから//
はァ? 日本書紀には唐突だが普通に、
ヤマト王権が魏に使者を送ったと書いてありますが? >>741
>ならば同じ魏志倭人伝に書いてある邪馬台国が何百キロも離れた奈良辺りにあるはずがない
論理の欠片もない決め付けが九アノンの特徴
>普通に考えれば
出ました、九アノンの得意フレーズ
正しくは「知識のないオレ様が先入観丸出しで考えれば」だろが >>750 > わははははは//
>>751 > わははははは//
八゛力でコミュニケ障碍の工〒公の癖して、無理に書かんでもエエんだよ。 >>752
>ヤマト王権が魏に使者を送ったと
はァ? 「ヤマト王権が」だと? うそこくでね〜 @阿波 >>755
>ヤマト王権が魏に使者を送ったと
はァ? 「ヤマト王権が」だと? うそこくでね〜 @阿波 安物でも国産で魏の年号入り鏡なんて作れるような場所なら、そこは邪馬台国だよ。 >>753 > どこに? ソースは?//
はァ? 神功紀39年、40年、43年ですが?
何ぞオチでもあるのか? >>760
>ヤマト王権が魏に使者を送ったと
はァ? 「ヤマト王権が」だと? うそこくでね〜 @阿波 鏡作神社は奈良の田原本にあるからな。
それに阿波に七万戸の国は不可能だよw >>760
バカなのか?魏志倭人伝の書き写しているだけで
何代天皇が魏に使いを送ったという記述が書いていないだろ
って言ってんだよ
ヤマト王権が送ったのなら何代天皇が使いを出したと記述しているだろうが?
後から知った魏志倭人伝をそのまま書き写すなんてことをするのは大和王権の歴史ではないからと
なぜ理解できないんだ?このボンクラはw >>756
日本書紀の神功皇后紀には魏志や普起居注からの引用文が記載されてる
たとえば神功皇后摂政39年の項に魏志倭人伝の卑弥呼朝貢の記事が引用されている
これがあるために江戸時代までは卑弥呼=神功皇后が定説だった まあ記録が無いのは欠史八代の時代と考えればいいからな。
七万戸の邪馬台国なんて存在できるのは紀伊半島、河内から奈良盆地辺りしかない。邪馬台とはヤマトの事を指す。何の問題があるんだよw >>762
>それに阿波に七万戸の国は不可能だよw
碌な弥生集落遺跡もないくせに、「阿波」をとやかく言う資格なし! 下がれ、下郎! @阿波 箸墓は邪馬台国とは関係ない
大物主の三輪山に近過ぎる >>765
>七万戸の邪馬台国なんて存在できるのは紀伊半島、河内から奈良盆地辺りしかない。
河内から奈良盆地辺りに、碌な弥生集落遺跡もないくせに、下がれ、下郎! @阿波 >>764
しかし高麗の広開土王碑に刻まれた
日本軍が攻めてきた年号から計算すると
神功皇后は卑弥呼の時代よりも100年も後の時代と判明している
つまり
魏志倭人伝を読んで、邪馬台国の女王ならば
神功皇后だろうとあたりをつけて適当に年号を神功の年代にしたことで
魏志倭人伝とは年代は合わずに邪馬台国はヤマト王権とは別のクニだったという
傍証になってしまっている >>763
>ヤマト王権が送ったのなら何代天皇が使いを出したと記述しているだろうが?
こういう根拠のない先入観で凝り固まった決め付けも九アノンの典型 >>767
何の理屈になってないぞw
阿波は奈良盆地の水田跡に遠く及ばないからな、七万戸を比定するにはあまりに狭い、勿論北部九州なんて場所的には半島から近すぎて話にもならないが。 >>771
>阿波は奈良盆地の水田跡に遠く及ばないからな
碌な弥生集落遺跡もないくせに、「阿波」をとやかく言う資格なし! 下がれ、下郎! @阿波 >>763
> ヤマト王権が送ったのなら何代天皇が使いを出したと記述しているだろうが?//
摂政だったんだから、応神の時の架空説話、という事になるでしょ。
> 後から知った魏志倭人伝をそのまま書き写すなんてことをするのは//
そのまま書き写したのは何故か、という事を考えなさい。 >>769
そりゃ江戸時代の話だからしょうがないだろ
もちろん今は卑弥呼は13代仲哀天皇の皇后と同時代ではなく
11代崇神天皇より前の時代の人物だとされている
そのことより重要なのは
我々よりずっと卑弥呼の年代に近い日本書紀の編纂者が
卑弥呼の朝貢はヤマト王権とは別の九州の勢力によるものだと
考えていなかった点にある >>770
だから日本書紀には神功皇后の時代=卑弥呼の時代って書いているんだろw
だけど周辺国の記述か神功皇后は卑弥呼よりも100年もあとの時代の人間なんだよ
広開土王碑より
百殘新羅舊是屬民由來朝貢而倭以耒卯年來渡海破百殘加羅新羅以為臣民 〈そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。しかし、倭が辛卯年(391年)に海を渡り百残・加羅・新羅を破り、臣民となしてしまった。〉
この記述が仲哀天皇9年に神功皇后が朝鮮半島を攻めた三韓征伐のことだとすると
仲哀9年=391年 >>771
>阿波は奈良盆地の水田跡に遠く及ばないからな
弥生集落遺跡をまず見つけてこい! 話はそれからだ。 ヘタレよ @阿波 そもそも畿内には奈良時代頃まで二上山周辺にヤマダイ郷が存在した事も確認済み、そこの近所周辺は神功皇后の母親もいる竹内宿禰の集落だ。
もう現在の考古学、文献資料だけでも邪馬台国なんて畿内しかあり得ないんだよな。 >>774
あとから邪馬台国という国があって
魏と外交していたと知ったので
それを大和王権の歴史としてとらえたほうが
ヤマト王権の歴史に箔がつくと思ったから
無理やり突っ込んだとしか思えないが? >>767
> 箸墓は邪馬台国とは関係ない 大物主の三輪山に近過ぎる//
張政が来た時の径100歩の墳墓は箸墓だけだった。
箸墓が卑弥呼墓なのは確定事項だよ。近過ぎる場所に作ったと考えるしかないだろ。
まぁ、アンタならどこら辺に作るのが適切だったか、なんてハナシをするのは勝手だが、
そりゃ、歴史とは何のかかわりもないハナシだろ。 >>771
碌な弥生集落遺跡や鍛冶炉遺構の無い奈良盆地に、七万戸の邪馬台国など興る訳がない。 @阿波 >>772
弥生時代の集落規模なら阿波なんて全然下っ端だぞw
複数の巨大弥生集落を持つ畿内には及ばないよ。 >>781
>複数の巨大弥生集落を持つ畿内には及ばないよ。
「複数の巨大弥生集落」? そりゃたのしみだ。 さあ、挙げてみろ! @阿波 >>779
どうだ?
日本書記にはヤマト王権が
魏に使いを送ったと書いていないだろ?
ただ魏志倭人伝を書き写して、魏志倭人伝に
女王って書いているから、たぶん神功皇后のことだよなと
年号を神功皇后の時代にして書いているだけ
こんな書き方(後の調査で時代が全然違うことが判明)しているのに
ヤマト王権の歴史に実際に魏に使いを送ったと思っているバカなのか?お前は >>780
畿内説は奈良盆地説ではないよ、日本語わかりませんか?
七万戸規模なんて県レベルでは不可能というだけの事。徳島にいた石野館長も言ってたなw >>775
おまえは、記紀に自分たちの伝承として書かれていることは史実で
書かれていないことは史実でないと決め付けてるわけだ
ということは、神武天皇は実在で、倭の五王は実在しないと言ってるのと同じだ
ただのトンデモ論者だと自覚しなさい >>784
>畿内説は奈良盆地説ではないよ
「複数の巨大弥生集落」? そりゃたのしみだ。 さあ、挙げてみろ! @阿波 >>774 > 卑弥呼の朝貢はヤマト王権とは別の九州の勢力によるものだ//
全然違うよ。
卑弥呼の朝貢はヤマト王権とは別の畿内の勢力によるものだったから、
そうじゃなくて、ヤマト王権がやった事だと嘘を書いて、
別の畿内の勢力、つまり、邪馬台国なんか無かったし、
卑弥呼なんかいなかったんだよ、という欺瞞の物語を書いたんだよ、日本書紀はね。
未だに、本居宣長なんかのヨタ話を妄信するとは、信じられないな。 >>778
そもそも書紀の編年で言えば
神功皇后は169年に生まれて269年に死んだことになってる
この編年に従えば、書紀の編纂者が神功皇后=卑弥呼と考えても
何もおかしくないだろう >>785
日本の歴史を調べるんだから
まずは先人たちが残した史書を解読するのが当たり前だろ
でも日本書紀に出てくる魏に使いを送ったという記述は
ただ魏志倭人伝を書き写しただけ
しかも時代が100年もズレている
これは大和王権の歴史にあったことじゃないってことくらいは
誰でも理解できるはずだろ? >>782
鍵唐古、池上曽根だけでも阿波以上だね。
勿論北摂から湖東にかけても複数存在する。
七万戸規模ならそれくらいの広さは必要だね。 これヤマト国の巫女さんが来た人の相手したっていう向こうの記録で邪馬台国の卑弥呼ってなってるだけだろ
向こうとは発音が違うから、こっちの記録にはヤマトしかないから >>790
根拠のない先入観を連呼するだけか?
で、おまえは神武天皇は実在で、倭の五王は実在しないと思い込んでるトンデモ論者だと認めるのか? >>72
天照が天岩戸に籠もっていたのは鉱脈さがしのため
卑弥呼が甲羅を焼いたのは、新で使われたという亀貨の熱耐性を確かめていたため
スサノオ一族を出雲に送ったのも鉱山のため
天照の家系は別天津神の娘との結婚で裕福だったが
スサノオたちは丹生神社建てるのにコキ使われた感じ? >>765
欠史八代なんて単に加上した名残でしかない。
ハツクニシラススメラノミコトはただ一人、崇神だ。 >>774 > 11代崇神天皇より//
まぁ、丸暗記する必要はないけどさ、
崇神って実在の初代天皇と見做される重要人物なんだからさ、
第10代ってのはキチンと覚えとかなきゃね。
邪馬台国の次代の権力者なんだしさ、日本側の資料から邪馬台国を探るには、
外せない人物なんですよ。 >>791
>七万戸規模ならそれくらいの広さは必要だね。
碌な弥生集落遺跡や鍛冶炉遺構の無い畿内が、「広さ」をいくら言ったところで屁のツッパリにもならない!
まず、「邪馬臺国」にふさわしい弥生集落遺跡を見つけてこい! 話はそれからだ。 @阿波 >>790
> 日本の歴史を調べるんだからまずは先人たちが残した史書を解読するのが当たり前
二人に指摘されるまで書紀の記述も知らなかったくせによく言うよ
邪馬台国の論争するんだったら常識じゃないかと思うんだが >卑弥呼の箸墓
箸のお墓かと思った。
なんだ地名か
書き方が悪い。卑弥呼=箸墓は決定事項じゃない
「の」って書き方が悪い。
ぷんぷん 古事記は法隆寺が焼け落ちたことを書いてない
なーんーでーかーなー?
だから日本書紀がでたんだろ >>2
ウィキで古墳に関する記述で宮内庁批判した箇所を
宮内庁IPが書き直したのがバレてて記事になってたしなあ
男系男子のみの継承で来てるわけないどころか
DNA鑑定したら赤の他人だったということもありえるので
必死に隠ぺいしてんだろうね
英国王室ですら王族はDNA鑑定してるってのに >>789
その編年計算が間違っている
魏志倭人伝に倭人は年数の数え方を知らず1年に春と秋で2歳年をとると数えていたと記述
その俗は、正歳四節を知らない。ただ春耕秋収を記して年紀としているだけ
古代の天皇の在位期間が異常に長いのもこの時代のこの年数の数え方をしていたと解釈すると理解できる
もともとの編年年数はい1年2歳法だったことを知らずに
日本書記に書かれている年数をそのまま足して計算していっていたので
そのような年代になってしまったんだよ
1年で1歳年を取ると計算していた大陸王朝や朝鮮半島王朝とは
そのままの記述で考えると時代にズレがでる
つまり公開土王碑の記述を信じて
神功皇后は卑弥呼よりも100年以上後に活躍した人物と解釈するのが妥当 >>791
>鍵唐古、池上曽根だけでも阿波以上だね。
お前は消滅遺跡しか挙げられないようだな。 「阿波」の爪の垢でも煎じて飲んどけ、どカス! @阿波 >>802
どっかの駐車場から出てきた遺体も鑑定して国王のものだとわかり改葬したんだっけか >>793
意味不明だな
お前こそ根拠のない決めつけを連呼しているだけの馬鹿に見えるが? >>803
>春と秋で2歳年をとると数えていたと記述
糞ワロタ
超トンデモも持ち出してきやがった きてはぁ!がここまで無いのか?
>>80
犬狼伝説 >>765
当時の天皇は再婚する度に名前を変えていたのかも知れん
そうすれば子供の母親が分かりやすくなるだろ >>806
>ヤマト王権が送ったのなら何代天皇が使いを出したと記述しているだろうが?
これと同じ、根拠のない決め付けを繰り返してるだけだから、こっちも同じ指摘をしてるだけだ >>803
一年ニ歳説は書紀の不自然な編年を正当化するための説の一つにすぎない
それに後世の人が一年二歳説を知らずに誤って勘違いしたならともかく
書紀の編纂者がそういうミスをするわけがないだろう
なんとなれば一年二歳説に従って編年を作った当事者なんだから 何で調べちゃいけないのかね
歴史に興味があるだけの素人としては、本来分からないはずの昔のことを知るのは面白いのだけども >>796
さすがに崇神を間違えて11代と書くようじゃ、邪馬台国の話をするまでにまず普通の日本史を勉強しなさい、となるようなあw
「闕史八代」すら知らないことがもろバレwww 神武から応神までが実は同一人物だったらわかりやすいのにな >>813
崇神10代、仲哀14代だ。素直に謝っとく >>807
今や常識だぞ
古代の日本人は春で1年秋で1年と数えていたからこそ
天皇の在位期間がこのように長くなったことの説明もつく
崇神天皇 在位期間 68年
崇仁天皇 在位期間 99年
景行天皇 在位期間 60年
成務天皇 在位期間 60年
仲哀天皇 在位期間 9年
生きた年数じゃないぞw
在位期間がこれだぞ?
お前はこんな長い期間在位していたと本気で信じていて
その年数を明らかになっている年号から引き算して
編年年数を割り出したほうが正確だと本気で思っているバカなのか? >>711
「大きな冢を作った」なら「作大冢」なんだ
「径」も三国志の中では直径の意味で使われてる例がない
経路や距離の意味でしか使われてないんだよな >>816
君の書いた5人の系譜上の大王が全て実在したなどとそもそも考えている学者は今どきいないよwww >>812
天皇家には明かにしちゃまずい秘密があるんじゃないか? >>818
このように思考停止して
日本書記を否定しないとはじまらないのが
畿内説の脆弱なところなんだよなw
それでいて都合よく神功皇后は卑弥呼だったと言い張る
このご都合主義wwww >>816
常識?
九アノンたちの間で常識なのか?
世間一般では、非常識のトンデモだけどな
倭人は正月も四季も知らないと書かれているのに
アクロバティックな曲解で、月日も知ってたという意味のことを言い張ってるんだから >>797
七万戸を無視するからそんなトンデモ理論しか出来ないんだよ、阿波くんw
規模だけは阿波説は全く成立しないよ、せめて四国が邪馬台国だというならまだわからないでもないけどね。
まあ四国に統一的な文化様式や積極的交流が現状認められないのが致命的だが。
少なくとも畿内説は巻向だけでも東国から畿内は勿論、瀬戸内海周辺までそれは認められるからな。鉄に関しては淡路島や近江にあるんだから何の問題ないぞw >>811
古事記も日本書記も8世紀に編纂されたんだろ?
3世紀や4世紀くらいまで1年2歳法を使っていたことなんて
300年以上も後の時代の人は知らんかったと思うぞ >>820
神功皇后が卑弥呼だと考えていたのは書紀の編纂者であって現代の我々ではない
>>811について意見を述べてくれないか >>821
ん?正月も知らんが
収穫の時期は知っている
種まきの時期は知っている
種まきで1年、収穫で1年の数えていた
正月を知らないことと矛盾していない、というか
却って1年2歳説を補強していないか?w 宮内庁は目障りなんだよ
古墳の管轄は、文科省にしろ >>825
記紀には月日まで書かれている
おまえはそれを二倍年暦の月日だと言ってるんだよな? >>826
そうすると3世紀に書かれた魏志よりも
8世紀に編纂された記紀のほうが信用できないということになってしまうのではないか
君にとっては本末顛倒かもしれないが >>829
?
暦と年齢は同期してないよって言われているのに、何言ってんの? >>830
魏志倭人伝は倭人の使っていた
1年で2歳年を数える方法など使っていなかった
記紀を編纂した人は400年前の日本は1年で2歳年を数える方法だったことは知らなかった
これを考えると魏志倭人伝の年号のほうが当たり前だけど信じられるだろ? 古代の歴史が一番明らかになったのは古代エジプトの歴史だよね
理由は2つあって、1つは発掘しまくってること
2つ目は当時の文字が大量に残っており、それが解読された
ということ
一方、日本は発掘は許可されず、当時まだ文字が無かった・・・ >>831
割り込んでくるなら、他人に意味が通じる日本語で書いてくれ >>829
お前の言いたいことはわかる
例えば
崇仁天皇2年が秋から春までで
崇仁天皇3年が春から秋までだとすると
崇仁天皇3年冬とか出てくると矛盾すると言いたいんだろ?
だったら自分でそれを調べてみればいい
矛盾するところがあるかどうか >>790
お前バカだろう
普通に記紀の神功皇后の統治の年代は200年頃から300年頃なんだけどな
つまり卑弥呼の時期にモロにかぶっている
外国人が考え出したあの二倍暦だっけ?
あれは無視していいだろうな >>836
だから公開土王碑に刻まれている
広開土王碑より
百殘新羅舊是屬民由來朝貢而倭以耒卯年來渡海破百殘加羅新羅以為臣民 〈そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。しかし、倭が辛卯年(391年)に海を渡り百残・加羅・新羅を破り、臣民となしてしまった。〉
この記述が仲哀天皇9年に神功皇后が朝鮮半島を攻めた三韓征伐のことだとすると
仲哀9年=391年
今時、お前のような神功皇后が卑弥呼の時代と被ると主張している
時代遅れの馬鹿はいないぞw >>824
記紀の編纂者は神功皇后の時期に卑弥呼がいたと言っているだけで
神功皇后=卑弥呼なんて一言も言っておらんぞ
>>816
だからな、昔の系図には欠損があるのだよ
つまり長い時期の在位には欠損があったと考えるのが普通
この傾向は世界全土でみられる傾向なんだが
この程度の間違いは古代史ではどこにでも見られる
聖書や史記含めてな >>837
最初に言ってたこととずいぶん違ってきてる気がするんだが
まず日本の歴史書を紐解けと言っておきながら
結局のところ君が信頼してる史料は
魏志東夷伝倭人条と広開土王碑であってどちらの日本のものじゃないよね >>838
ヤマト王権と無関係な九州の権力の女王が遣使したのを書紀の編纂者が認識していたのだとしたら
わざわざそのことを本紀に記さないだろ。国辱ものだぞ >>839
当たり前だけれど比較しながら検証するんだよ
畿内説論者のように日本書記の記述は信用ならんから
参考外とか言い出して投げ出さずに
矛盾があればなぜかを考える
その際には外国の史書を参考に比較する
この当たり前の作業をせずに
○○だから信用できると一方的に信用したり
○○だから信用できないと投げ捨てるような
幼稚な行動をしているのがお前ら畿内論者ってところだなw >>777
俺も大和政権と古墳を造った政権は別の王朝だと思う。
葛城襲津彦が歴史からバッサリ切り落とされ過ぎ。それだけ新羅、環日本海文明は消したかった歴史なんだろうな。
新羅と今朝鮮半島に住んでる民族とは、全く関係ないけどなと付け加えとく >>822
どうして鉄器鉄工所が淡路島の五斗長垣内遺跡に作られたかって
大阪平野には別の部族がいたから淡路島を基地にしたんだろ
近畿は四隅突出型墳丘墓もなさそうだ
突然、巨大古墳を作ったちいうのは侵略されたんだよ ID:0ohvf/dG0
こいつは論理的に物事を考えることができないやつだとはっきりした
・記紀に自分たちの伝承として書かれていることは史実で、書かれていないことは史実でないと決め付けてる
・記紀の編纂者が認識していた年代と現代の知見で判明した年代をごちゃ混ぜにして畿内説にイチャモン
・畿内説論者が神功皇后を卑弥呼だと主張してると架空の畿内説を勝手に作り、藁人形論法で批判
九アノンはこんなやつばっかりだけど >>1
ここの県立橿原考古学研究所って、
どうしてこんなにも無理矢理「邪馬台国は畿内説」と持ち込もうと必死になってるの?
古墳という宮内庁管理の「墓荒し」という、新しい同和利権なん?
バックに近鉄も噛んどるの? >>844
たぶんオレも含めて
このスレを読んでいる全員が
論理的思考できていないのはお前だろ!と心の中でつぶやいたと思うぞ >>845
畿内以外のどこだと?
京大憎しで九州説を唱えた東大は九州の熊襲を見捨ててあっさり畿内説に鞍替えしたぞw >>843
大阪には、当時は平野はないぞ。
五十瓊敷命が菟砥河上で鉄の武器を作ってたろ。
ただし、菟砥川は貴志(紀氏)の支配下 >>846
一年ニ歳説の矛盾点を挙げてみろとか言ってたようなので
俺が代わりにちょっと書紀を見てみた
たとえば神功皇后摂政前紀 仲哀天皇9年の項
同年の記事は2月、3月、10月、12月にある >>849
ちょっと訂正 2、3、4、9、10、12月だ >>850
じゃあ仲哀天皇には
1年1歳計上法になったってことだろうな
仲哀天皇の即位期間は9年しかないから不自然な長期政権ではないからな 日本には四季がある(笑)んだから暦を持たなくても一年のサイクルぐらい把握してるにきまってるだろw
現代人よりも自然と共に生きてきたんだから当たり前 逆に昔の日本人をバカにしてんのか? >>813 > 「闕史八代」//
そっち、及び神武は、邪馬台国とはあんまり関係ありません。
>>739
> 箸墓古墳が最初の大型前方後円墳。つまり大王と呼べるレベルの最初の人間の墳墓。
そうするとミマキイリヒコ(崇神)という推理が素直//
張政が来た時点での径100歩の墳墓は箸墓だけだったのだから、
箸墓が卑弥呼墓だったのは確定事項です。つまり、
大王と呼べるレベルの最初の人間は卑弥呼だった、という事になります。
なお私は、崇神の実在、及び彼が卑弥呼後に重要な役割を果たした事は疑いませんが、
その即位は疑問と考えています。
何故だかかけ離れてワケなんて名前の、オシロワケなる12代の景行が、初代なんだと思う。
>>814 > 神武から応神までが実は同一人物だったら//
ヤマトタケルと仲哀から仁徳までが同一人物なのでわ?
辺境進出はヤマトタケルに振り分けられ、半島政策は神功に振り分けられ、
それなりに行ったであろう内政については仁徳に振り分けら、
名前(誉田ワケ)は応神に振り分けられた。
で、彼に残されたのは、帯中日子という実体のない名前と、何だかマヌケな説話だけになった。
好太王碑文によれば、404年に日本は半島で惨敗を喫した様です。
この時の大王が仲哀だったのでは。一種のトラウマな大王だった事になる。
倭王武(雄略)の上表に出てくる「祖禰」って、
躬擐甲冑,跋涉山川,不遑寧處。東征毛人五十五國,西服眾夷六十六國,渡平海北九十五國
なんて書かれてますが、これって仲哀の事なんだと思う。
まぁ、「渡平海北九十五國」は、話を盛り過ぎですけどね。
倭五王だって、「祖禰」が仲哀で、応神と仁徳を無視すれば、
讃/履中 ・ 珍/反正 ・ 済/允恭 ・ 興/安康 ・ 武/雄略 と、スッキリするし。
景行(忍代別)、仲哀/応神/仁徳(誉田別)、履中(去来穂別)、反正(瑞歯別)のワケ系統も、
何だかスッキリだし。まぁ、成務(稚足彦)は行き場にチト困るけどね。
>>820 > 日本書記を否定しないとはじまらないのが//
妄信する訳には遺憾だろ。 >>851
そこまでいいくとご都合主義と言われても仕方ないな
そのあとの神功皇后は数えで101歳まで生きたからそこは一年二歳だと言われてもね 倭国大乱などの倭国は九州勢力
近畿の方の勢力が後の大和政権=日本
その大和政権が九州の倭国なども支配し
国家的規模になってそこから日本がスタート
だから邪馬台国も倭国も現在の日本にあったが
日本の源流ではない 皇室がなくならない限り永遠に日本の古代史は謎のまま
発掘調査したら一発で全部つながるだろうに
しかし日本には皇室は必要です
現天皇に苗字があるとすれば息長さんです >>837
仁徳天皇の頃にも朝鮮出兵しているからな
お前は記紀を読まないから日本側の動きも知らないだけだろうよ
知っているのは三韓征伐だけのバカ 巫女が王になれるなんて火山で不安煽ることの出来る九州は阿蘇か鹿児島しかありえない。常識的にモノを考えろ。 >>856 > 倭国大乱などの倭国は九州勢力
近畿の方の勢力が後の大和政権=日本//
卑弥呼以前の大乱には、九州は無関係だよ。
> だから邪馬台国も倭国も現在の日本にあったが 日本の源流ではない//
要するに、邪馬台国は何処にあったんだよ。
>>857 > しかし日本には皇室は必要です//
無けりゃ無いで、別に困らないよ。
> 現天皇に苗字があるとすれば息長さんです//
継体以降はな。 宮内庁があれこれ禁止するから却って箸墓に対する期待が高まるんじゃね
実際宮内庁の連中は箸墓に何があるのかほとんどのやつは知らんだろ >>859 > 巫女が王になれるなんて//
単なる巫女ではなかったんでしょうよ。
崇神紀じゃ、単なる巫女って事にしちゃってるけどな。 栄養学的に言って稲作が発達した北部九州の方が、当時木の実などを主食にしていた奈良辺りより知能的に発達している
魏志倭人伝に記されていることは、北部九州圏内のことで間違いないだろう
当時の航海技術や道路などのインフラなどをかんがえても、九州から数百キロ離れた近畿圏との交流はしない
当時の1キロメートルは現在の100キロメートルに相当するだろう(移動で考えて)
でもバカはすべてを現在の技術に当てはめて言う
水行1か月では九州から若狭湾まで進めるとか、陸行1か月では九州から近畿圏まで行けるとか
例えば当時の福岡は現在の地理とは異なり、かなり入り組んだ湾となっていた
陸行ならば現在で1日で行けるところが、当時は10日ぐらいかかっただろう
現在の事情に合わせたバカが言う〇まるの距離がおかしい! というのは考え方がおかしいだけ
邪馬台国は北部九州、おそらく現在の大宰府辺りにあったはず
そうでなければ後の世に大宰府を庁舎とはしない >>817 >「大きな冢を作った」なら「作大冢」なんだ//
大きいと多いの区別がないなんて、寡聞にして知らんの。
> 「径」も三国志の中では直径の意味で使われてる例がない
経路や距離の意味でしか使われてないんだよな//
はァ? 帯方郡から邪馬台国って、径万二千里なのかね。
四角ければ方百歩、丸けりゃ径百歩だろ。
いい加減な事八゛力り書いてるんじゃないよ。
底の浅い思い付きをダラダラと書くなよノー夕リソ。 >>863
> 魏志倭人伝に記されていることは、北部九州圏内のことで間違いないだろう//
張政の来た時点で、径100歩の墳墓は箸墓のみだ。
箸墓が卑弥呼墓なのは確定事項だよ。
> 当時の航海技術や道路などのインフラなどをかんがえても、
九州から数百キロ離れた近畿圏との交流はしない
当時の1キロメートルは現在の100キロメートルに相当するだろう(移動で考えて)//
道程記事はデタラメ、ってのにサッサと気付く事だね。魏志だってそれを指摘してるんだしさ。
会稽(紹興)東冶(福州)の間ってさ、緯度から考えると、
九州最南端の佐田岬の少し南から、台湾最北端の少し北の間ってことで、
目ぼしい陸地の絶えてる海洋域だろ。つまり魏志倭人伝は、
そんな所に邪馬台国がある訳ないだろ、と云ってるんだよ。
むろん、北極星の仰角を測定すれば、それが緯度になると分かっていて、
佐田岬と台湾最北端でそれを実測したデータがあったという事だ。 >>816 > 古代の日本人は春で1年秋で1年と数えていたからこそ//
四季を知らずって、年4会計じゃなくて、種まきと収穫の年2会計だった、という意味だよ。
八゛力みたいな事を書いてるんじゃないよ。
> 今や常識だぞ//
非常識に常識なんて名前を付けるなよ。
> 天皇の在位期間がこのように長くなったことの説明もつく//
神武即位を安直に、BC660に持っていっただけだ。
千人も天皇を作る気力が無かったんだろうさ。
>>825 > 種まきで1年、収穫で1年の数えていた//
ホントにノー夕リソなんだな、オ〆はさ。 >>837
21代の雄略が471年でほぼ確定してるよな?
で、14代神功がいたとして仮に391年とした場合
雄略までの80年間に6代の大王をどうやって収まるんだ?
仁徳という有名なのがいるんだぞ?
算数できるのかお前? >>847
謎めいたクマソの秘密の解き明かすヒントとなるレスがあるよ
514日本@名無史さん2021/09/13(月) 21:11:36.13>>515>>516
ヤマトタケルこと小碓尊って九州熊曾国の行縢山に住むカワカミタケルに勝負を挑み
闇討ちに近い(女装して刃物でブスリ)暗殺作戦に成功した後
死ぬ直前カワカミタケルにその強さ??を称えてヤマトタケルの称号を与えられ
小碓尊はそれからヤマトタケルと名乗り始めたって日本書記に記述されてるけど
それが本当ならヤマトタケルってどうだけレベルが低いキャラなんだよってなるよね
515日本@名無史さん2021/09/13(月) 21:19:35.50
>>514
その辺りの古代史物語は創作に跳んだ童話だから眉唾もの
俺は倭国連合最強だった邪馬台国と絡ませて比喩的に
大和朝廷が九州を意識しまくって捏造物語を創作したと見てる 516日本@名無史さん2021/09/13(月) 22:41:04.91
>>514
カワカミタケル率いる熊曾国の行縢山は
九州の日本最古最大規模を誇る西都原古墳群に近辺なんだよな
魏誌倭人伝に記される邪馬台国や卑弥呼など古代倭国の秘密が握られてそう
517日本@名無史さん2021/09/13(月) 23:14:04.79>>518
三国志東夷伝倭人の条の記述によれば3世紀の倭人は顔中体中真っ赤な入れ墨だらけ
ところが記紀では入れ墨族は
「天孫族」とやらにひたすら殺戮されていくウホウホ蛮族扱い
「天孫族」と入れ墨族のハーフのイワレヒコが
入れ墨族の小邑を配下にしたという記述はあるが
イワレヒコの配下の入れ墨族もやっぱり他の入れ墨族を殺戮していく
518日本@名無史さん2021/09/13(月) 23:24:40.97
>>517
古代中国の漢民族は自分達以外の東西南北四方に居住する
異なる民族は劣った文化しか持たない四夷蛮族と見なしていたし
中華民族が東方西方南方北方の未開で未発達の蛮族を
文化的に教化しなければならないとう思想を持っていた >>1
トヨのほうが年代は近いんだが、
そうなると卑弥呼から30年間、男子の王で争いが起きてる
それが奈良であれば、天皇の元での戦争に当たるわけ 事実と創作に何の違いがあるのか。とあえて言ってみる。
年寄りなら分かる・自分たちが習った歴史、報道されてきた内容と、今がどれだけ違うのか。
墨塗り教科書バリのことが行われて来たのが中国の歴史書。 昔のことなんて分かりゃしないよ
そもそも魏志倭人伝自体、どんだけ信憑性があるもんなのか?
半世紀前のことも、今になると捏造されてる
戦争とか重大なことじゃなく、ちょっとした事件事案の小ネタでも、昭和の出来事は歪曲されとるよ 邪馬台国…ロマンはあるけどね
仮に実在したとして、何処に遭ったかさえ、未だ分からず >>873
九州ファンタジー論者は卑弥呼の墓見つけてから出直してこい 魏志倭人伝の邪馬台国がどこかはともかく、この時代あたりからヤマト王権が始まるという認識で良いのかね >>874
国防に関わるので他国の史書のほうが信憑性は高い >>873 > 畿内はぜってーないから//
そうだね、BC660まで男系で繋ぐためにはね。
>>872 > 事実と創作に何の違いがあるのか。とあえて言ってみる//
単に名前をBC660まで繋ぎました、なんてのは、創作って程のモンではない。
>>874 > そもそも魏志倭人伝自体、どんだけ信憑性があるもんなのか?//
ぶん投げて誤魔化すんじゃないよ。
>>875 > 仮に実在したとして、何処に遭ったかさえ、未だ分からず//
分かるように書いてあるよ、魏志倭人伝にはさ。
> 邪馬台国…ロマンはあるけどね//
読み取れない癖して、ロマンもなかろう。 ネトウヨが昔からブサヨの間違った歴史史観云々言うけど
大日本帝国当時は卑弥呼の話題はタブーだったことは知らないんだよなw >>878 > この時代あたりからヤマト王権が始まるという認識で良いのかね//
そうなんだけどもさ、
> 魏志倭人伝の邪馬台国がどこかはともかく//
邪馬台国が九州とかでは、この時代あたりからヤマト王権が始まってる事にはならないでしょ。 刺青いれてた邪馬台国の倭人は、ヤマトから土蜘蛛扱いされてた辺境民だと思うぞ 大陸には科挙があったから
大陸の文献のほうが信頼性あるな >>879
何いってんだコイツ藁
間違いだらけの書だから現在でも混乱してんだろ
そこそこ信用しても良いのは国力と文化レベルが伺い知れる部分くらいか
晋(魏)にとって知りたい情報はそこな訳だし後は使者が適当に盛って報告してもバレる事は無いからな >>881
> 大日本帝国当時は卑弥呼の話題はタブーだったことは知らないんだよなw//
あんまり軍部軍部と云うてやるなよ。
治安維持法にしろ何にしろ、連中に法律なんか作れないんだしさ。 >>885 > 間違いだらけの書だから現在でも混乱してんだろ//
別段、魏志倭人伝が間違いを犯してる訳ではない。
むしろ、魏志倭人伝は張政の(てか、その立案企画者の)間違いを糺している。 >>881
正確には日本と大陸との外交の歴史を知りたきゃ馭戎概言読めで異を唱えるのは憚れる状態だったって感じだな 地方政権の独自外交、そういうものがあったとしても
中央政府の編纂した史書はそのことを細かく書き記したりはしない
司馬懿に征服される以前に公孫氏の遼東政権が独自に倭国と通交していたのは確かだが
それについては三国志にも後漢書にも記述は残っていない 笑えるのが九州邪馬台国から分派した大和政権が
神代から日本の歴史を網羅したする古事記や日本書記に
邪馬台国の存在を抹殺した妄想ファンタジーの神話を展開するのに
魏志倭人伝には神経質なほどこだわり 倭 という名に異常など執着してるとこw まあ近畿パーは認知症コースか三島由紀夫コースかどっちかだよ
この極端なウソつきぶりには脳みそがついて行かない
いずれ破滅する >>1
卑弥呼は韓国からの渡来人
韓国や大陸の優れた知識で日本を導いた ところでさ、奈良県出身の高市早苗は
高市皇子、高市県主、三輪高市麻呂とかと関係ありそう? >>890 > 魏志倭人伝とか言ってる時点で論外//
はァ? いちいちタイトルが振ってある訳でなし、
どう称したって、論内も論外もないだろ、論無し爺さんよ。 >>895
ないやろう
奈良は上古から市場(市)が多いから市の付く姓が多い 想起メモ)
伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓へ給ひし時に生り坐せる
筑紫(九州)の日向の
橘の小戸の阿波岐原(海岸線?)
これを日向伊弉諾家と仮定する
祭神は、生坐した天照坐皇大御神
日向伊弉諾家直系の親族
卑弥呼=巫女名は天照大神
壹与=巫女名は天照大神だが、結婚後、豊玉毘賣
=ウガヤフキアエズの母にして神武天皇の祖母
後に神武東征へつながる。
この神武天皇が現人神系の天照皇大神となる
よって、卑弥呼の墓は、故郷の日向国にある。
円墳でさほどおおきくはない。
このように関係付けできる。 そもそも古墳ってのは水田作る際に出る残土の盛り土であってだな墓じゃないと思うぞ
日本人なら解るだろ
生け贄埋めたんだよ
人柱だろ >>1
>しかし、宮内庁が第7代・孝霊天皇の娘の墓として立ち入りを禁じ、発掘もできない。
>築造時期を特定する決め手となったのが、周濠部分などで見つかった大量の土器。考古学では年代を決める最も重要な「物差し」で、木製品の鋤(すき)=スコップ=とともに出土。
いずれも古墳築造にあたった作業員が捨てたものと推定され、土器の型式から箸墓古墳の築造は3世紀後半から末頃と分かった。
孝霊天皇は紀元前215年に死んだことになってる
別人確定 「邪馬台国」の時代は九州北部や近畿大規模環壕集落が沢山あった >>859
古墳時代以前の奈良盆地は巫女だらけ。
唐古・鍵遺跡には巫女が儀式を執っている姿が描かれた土甕が出ている。
そこでは銅鐸が作られていたが、末裔の集落にある鐘作神社の祭神に女性がいる
さらに近隣ある後発の鏡作神社の祭神にも女性がいる。
その名は石凝姥命(いしこりどめのみこと)。製銅部族の始祖か。ならば首長権は巫女に代々受け継がれているのが自然。巫女制度といえる。
縄文時代から栄えた平群。そこから竜田川を遡ると女性の修験者の拠点がある。
平群よりその南、銅鐸圏の上牧をさらに南下して葛城山。葛城の神は夜しか姿を見せない。これはマツリゴトを夜に執り行う卑弥呼と同じ。つまり巫女の可能性が高い。
古代ヤマト王権の時代まで、祭祀権は女性にあった。もちろん実務では邪馬台国と同じく男性の長と共同だったかもしれない。 >>864
大作だから「おおいに」だよ
「多いに」とか言ってないよ
冢作りの作業が盛大に行われた
奴婢100人の殉葬も盛大な冢作りの一環
径は近い距離のことだから万二千里とか長距離には使わないよ
ちゃんと勉強しろよw
三國志には丸形を径〇〇歩の使用例が無いんだよな
径の使用例を調べてみろよ >>878
大和朝廷が政権を取ったのは701年から
成立直後に自己の正当性を高める為に記紀を編纂したんだよ。 「大」はbig
「太」はmuch
「多」はmany
コレ、中文アルヨ 卑弥呼は死んだ 大きく作られた塚 100歩余りに及ぶ 殉死者奴婢100人
ドコニ問題アルカ? >>908
作る作業が「大」bigだったんだ
冢が「大」bigだったとは書かれていないな ハリマサ計測してないあるよ
ざっと見て100歩くらいあるかなぁと言う感じあるよ
ちゃんと測ってたら単位使って表記するあるよ
中国なめるなあるよ big making mound
big build mound
意味はわからないでもないあるね @大作冢・・・大いに冢を作る
A徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人・・・径百余歩に徇葬者の奴婢百余人
Aは@の説明なんだ
@冢作りの作業が盛大に行われた
Aその様子
張政は卑弥呼の墓の建設現場を見たんだ それは卑弥呼の墓ではないかもしれない
卑弥呼が死んだと言うのは張政が聞いた話であって、事実かどうかはわからない >>906
それは古田武彦の九州王朝説だろ
そんなの頭のイカれた邪馬台国九州論者ぐらいしか支持してないよ >>909
一説によれば日蝕が原因で卑弥呼は殺されたそうだ
日蝕が起きた→卑弥呼の霊力が衰えたので神が怒って太陽を隠した→卑弥呼を殺せ
で当時皆既日食が見られたのが九州だけだったと計算されている >>919
卑弥呼は既に「年已長大」だから老衰かもしれんし
或いは貰った「真珠鉛丹各五十斤(水銀朱、鉛丹各50斤)」を「以朱丹塗其身體」とある様に体に塗り中毒死したのかもしれない 茶臼山とか大阪城とか
昔は古墳と知らずに掘り返して崩して壊してしまってたんだよな >>919
日蝕を予言できたから君臨したんではなかったのか? 卑弥呼って本当に女だったの?
そもそも卑弥呼って本当に実在したの?
ます、そこから疑ってる >>921
巨大古墳は皇室の先祖の墓ではないな
神武東征以前に居た関西の豪族の墓だ
だから誰の墓か分からないんだ >>922
日蝕が起きたのは247年3月と計算されている
卑弥呼が亡くなった年も247年
つまり日蝕が原因で卑弥呼が君臨したのではなくて
日蝕が原因で卑弥呼は殺された説は有力 >>922
237年に魏で採用された景初暦の頃から確度の高い日食、月食の予測ができるようになったから
卑弥呼はその技術を手に入れた可能性はある
これは国家機密であるから容易に入手できないとしても
それ以前から中国で使われた確度の低い予測技術なら知っていたかもしれない >>926
日本と中国では日蝕の起こる日は違うよ
場所が離れているからな >>926
日は違わないよ。太陽は日周運動してるから
同じ日食が見えるのは同じ日の日の出から日の入りまでの間だ >>916
張政は卑弥呼が死んだ後も暫く伊都国に滞在してイヨが即位するのを見届けてから帰国したんだよ >>928
地球上で日食の起きる場所は違うですよ
帯状の長ひょろい場所に限られる
日本と中国では日食の起こる日が違い
中国の暦だと日食が予測できないから
江戸時代に和暦の作成が行われたんだよ >>930
そもそも古代中国のカレンダーには
この日に日蝕が起きると書いてあったのか?
現在のカレンダーよりも高機能だなw
やっぱり古代中国王朝半端ないなw 卑弥呼、卑弥呼と言われているが本名ではなく、尊称だろう。
古来から天皇の事をお上、将軍の事を上様と言って、本名で呼ぶことは臣下たちは
しなかったが、卑弥呼は姫皇女(ヒメミコ)とでも呼ばれていたんだろう。
ヤマトトヒモモソヒメのヒメミコなんて呼ばれる事はなく、ヒメミコ、ヒメミコと
呼ばれていたのを、魏の使者は卑弥呼と転記したのだろう。 >>930
当然ながら中国の予測技術を使いたければ中国の暦を使う必要がある
しかし技術そのものはなくても洛陽で何年後の何月何日に起こるという情報だけ得たとしても
あとは経度の違いを推測しておおよその予言は可能 >>933
でも日蝕は卑弥呼にとって利益をもたしたわけじゃないと思えるな
日蝕が起きた年と卑弥呼が没した年は同じ
つまり日蝕を予言できなかった卑弥呼は
逆に日蝕で不安に駆られた人たちによって殺された説のほうが
有力だと思う >>935
それは宣明歴の改訂のことを言ってるのだろうが
中国から直輸入した暦を823年も使い続けた日本の問題だろ
中国では宣明歴は71年しか使われてない つまり日蝕の恐怖にかられた人たちによって卑弥呼が殺さたのなら
卑弥呼がいたのは当時皆既日食が見られた九州ということになるんだよな >>892
別に記紀は卑弥呼を抹殺していないだろう
抹殺したのは神功皇后だろうな
そもそも卑弥呼は狗奴国の男子王にいじめられて援軍を魏に求めているからな
それがバレてすぐに処刑された
国内の政治に魏を割り込ましているからな
卑弥呼の上奏に応えて魏はすぐに張政を日本に遣わしたが
その時には卑弥呼は処刑され奴婢100人共に塚に埋められていた
それだけの事
一応張政は魏の使者だし丁寧な対応の元で騙された >>904 > 大作だから「おおいに」だよ 「多いに」とか言ってないよ//
大と多の区別がやっとついたのかいノー夕リソ。
> 冢作りの作業が//
普通に、頭痛が痛いだけだろ。
> 盛大に行われた 奴婢100人の殉葬も盛大な冢作りの一環//
勝手に盛大にするなよな。で、今度は大という字を含む熟語さがしかよ。
卑弥呼急死を受けて、突貫工事で大きな塚を作ったんだよ。
これは、魏志倭人伝の記載だけで十分わかる事だが、日本書紀の記載にも一致している。
箸墓については、昼は人が作り、夜は神が作ったなんて書かれているが、
これは、大きな塚が、昼夜を問わない突貫工事で、みるみる出来上がる様を描いてるんだよ。
> 径は近い距離のことだから万二千里とか長距離には使わないよ//
遠近に係わらず、径は距離なんかを示さない。勝手に径を距離にするな。
> 三國志には丸形を径〇〇歩の使用例が無いんだよな//
円の直径は径だよ。普通に径100歩が使用例だ。
> ちゃんと勉強しろよw 径の使用例を調べてみろよ//
普通に御前がな。
底の浅い思い付きをダラダラと書くなよ八゛力な工〒公だな。
>>911 > 作る作業が「大」bigだったんだ//
頭痛が痛いだけだろ了ホウ。
>>915 > 大作冢・・・作業が盛大に//
だからさ、業だの盛だのを勝手にくっつけるなよ。 >>1
魏志倭人伝見ればわかるけど卑弥呼は狗奴国の卑弥弓呼には全く敵わない
多くの国を支配しているにも関わらずに
それで魏に支援要請を出している
だから新井白石や本居宣長は偽女王を出してそこから地名の山門を導き出している
あながちこの説も間違いとは言い切れないんだよな
魏志倭人伝の方位や距離や都市名も半分は滅茶苦茶で未だに九州説と近畿説で言い合う始末
箸墓古墳も奴婢100人の痕跡がない事から卑弥呼の墓ではないよな
反乱ではない限り最低でも木棺に入れられたことだろうよ
一応女王の墓らしいからな >>940
だから新井白石や本居宣長は偽女王説を出してそこから地名の山門(ヤマト)を導き出している
あながちこの説も間違いとは言い切れないんだよな
卑弥呼の墓は確かに大きいがそこには奴婢100名が存在しなければならない >>906 > 大和朝廷が政権を取ったのは701年から
成立直後に自己の正当性を高める為に記紀を編纂したんだよ//
政権とったのは邪馬台国後なのに、BC660から、なんてのが、記紀の言い草だ。
つまり、ありもしない政権が、BC660から邪馬台国時代まで政権を取ってたと捏造した訳だ。
アンタの言い草は、ありもしない政権が、AD701まで政権を取ってたと捏造してるにしか過ぎない。
九州王朝国なんて、何処にもないんだよ。フリーメースンの焼き直しにしか過ぎない。
云ってるアンタには、そんな自覚すら無いんだろうがね。 >>925
> 日蝕が起きたのは247年3月と計算されている 卑弥呼が亡くなった年も247年//
日蝕の予測なんかはさ、過去にしろ未来にしろ、
時期が長けりゃ不確定要素が多すぎて無理。だが、そんな事以前にさ、
> 日蝕が原因で卑弥呼は殺された説は有力//
支離滅裂なだけ。言い出しっぺはいわば商売で書いてるんだからさ、
そんなシロモノをマに受けてるんじゃないよ。 >>942
むしろ九州にいた王こそヤマト王権に土蜘蛛扱いされていた
丙申、轉至山門縣、則誅土蜘蛛田油津媛。時田油津媛之兄夏羽、興軍而迎來。然聞其妹被誅而逃之。
現在の福岡県みやま市にある蜘蛛塚古墳に埋葬されている
土蜘蛛の女王とされて大和王権に征伐された田油津媛こそ
卑弥呼から続いていた邪馬台国の最後の女王だったのだろうと思う 日蝕が起きたら人々は卑弥呼の神託を求めるだろうが、そうならなかった。自らが生け贄となったか。 どうやらヤマトって地形由来の地名であって、固有名詞ではないね。
却って、みやま町とは宮山で王権の所在を示している >>946 > 日蝕が//
だからさ、ヨタ話をマに受けるなよ。
少しはモノを考えなよ、ノー夕リソ。 >>916
> 卑弥呼が死んだと言うのは張政が聞いた話であって、事実かどうかはわからない//
死んだふりをした女王様なんて御伽噺とかさ、
間に合った田道間守、今日のデザートは非時香菓、なんて童話くらい考えた上で書けよな。
> それは卑弥呼の墓ではないかもしれない//
日本書紀は箸墓について、昼は人が作り夜は神が作った、なんて書いている。
卑弥呼急死を受けて、昼夜を問わない突貫工事がなされた様を記載したものだ。
卑弥呼の急死と墳墓の急造は(卑彌呼以死 大作冢)、日中の史料で一致している。 >>1
記紀には欠史8代で書かれていないけど
九州と関西に移った神武天皇ら皇族は初めのうちはそれなりに有効な関係にあった
そのために神功皇后の夫の仲哀天皇までは九州巡幸があった
崇神天皇のころまでは良好な関係にあった
それが飢餓と疫病で九州巡幸は中止でそれどころではなくなった
九州巡幸が再開された景行天皇の頃には仲違いする熊襲が台頭し始めてきた
垂仁天皇の頃は逆に中国まで使者を遣わした
景行天皇の頃にまた九州巡幸が復活してゆっくり九州巡幸を実施した
というか西日本巡幸
景行天皇は東日本巡幸もやった
子のヤマトタケルもまた九州巡幸をして熊襲を打ち東は仙台まで足を運んだ >>946
卑弥呼=日巫女
巫女の仕事は神の信託を得て、いつ種まきをすれば
収穫が多く得られるか、といった生活に直結するアドバイスを神から教えてもらうことなんだよな
それなのに日蝕という人々が今まで目にしたことがない
天変地異が起きてしまった
神のご神託を得る卑弥呼のもとに民衆は押し寄せただろうことは想像に難くない
その時にうまくごまかせなかったので
民衆から不信感を抱かれた可能性が高い
だから卑弥呼の死んだ年と日蝕が起きた年は一致してしまう
つまり暴動によって卑弥呼は女王の座から引きずり降ろされて
殺された
こう考えると日蝕の年に卑弥呼が死んだことの説明がつく >>1
中国側の資料にある倭国大乱とは崇神天皇の時期の大混乱から仲哀天皇と熊襲との大規模な内戦の事を指す
特に仲哀天皇と熊襲との大規模な戦闘はすさまじく数年の間交戦した
記紀に書かれている通りで仲哀天皇の死を通してからの反撃は激しかった
ここで神功皇后と武内宿禰は日本各地の皇軍に援軍を呼び掛けた
そして熊襲と山門の田油津媛を打ち取った
その勢いで三韓征伐を成した
ここで東アジアで神功皇后の名声が広まった 宮内庁が邪魔すんのは、皇族の出自をはっきりさせたくないからかねえ
天皇制が続くにしても、源平藤橘や足利や織田等の王朝に交代してたら、
ここまで面倒じゃなかったろうなあ 偉そうなコテがいるな。
もし邪馬台国があったと仮定したら、その場所は九州あたりだろう
何故いちいち畿内まで引っ張ってくるのか >>1
既に盗掘済みで、宮内庁は内部確認してんじゃ? まあ貴重な壁画とかちゃんと保存してほしいよな >>955
誰かが言ってたな
「開かれた○室」といってもあまり開かないほうがいい、開いてしまったら何にもなかった…ということになるかも…と。 >>954
山門(ヤマト)の田油津媛は新井白石が言うように邪馬台国の元になったかもしれない
元々九州は神武天皇の故郷であるし、その親族の子孫だとしたら田油津媛もまた元は皇族を名乗っていたのかもしれない 卑弥呼は火の国の巫女でしょ。
妙な解釈するより、旧肥前国、旧肥後国を
調査すべきではないかな。 >>919
それは井沢元彦の創作で、卑弥呼=天照大神という仮定の上での話でしょ? >>960
山門(ヤマト)の田油津媛の塚の名称は明治時代までの旧称は女王塚だった。
しかし大正2年の頃、神社南の田の中まであった古墳を分断する形で新道建設がなされたとき、皇室への忖度で蜘蛛塚へと改称された。 もともと漢書では
倭国は100以上の国に別れて
それぞれが貢物をもってやってきた
と書かれていたからこの時代にはまだ統一王朝なんてほど遠い
100以上の独立国家の集まりだったのが倭国
で、卑弥呼の時代になると昔は100以上あった倭国のクニグニは30カ国になっていると記述されている
この時代でも倭国は30カ国の独立国家の集まりにすぎなかった
帯方郡を支配したばかりの魏にタイミングよく卑弥呼の使いがやってきて朝貢を求めたので
魏は遠い倭国からこんなに早い段階で朝貢を求めてくれた邪馬台国に大喜びして
親魏倭王の金印を授ける
だけど実際には邪馬台国の力って、卑弥呼を倭王に任じるほどの抜きんでた力は無かったことは確実
邪馬台国が使者を送ったタイミングが早急だったので魏は喜んで過剰な待遇で迎えただけと感じる
卑弥呼は鬼道をもってよく倭国を治めているというのもひいき目での評価だろう
卑弥呼の地位はけっこう危ういものだったと推測できる
だから日蝕の年に亡くなるんだよな >>963
ただ山門(ヤマト)の田油津媛は200年頃に神功皇后に成敗されている
この場合の神功皇后を騙った偽女王は山門(ヤマト)の田油津媛の娘や関係者になるのではないのだろうか? もったいぶらないで掘らせてやればいいじゃん。そんなの不敬でもなかろうに >>967
天皇家には知られちゃいけない秘密があるんだろ 畿内説に弾みをつけるために卑弥呼の墓だと言い張ってるだけだろ 所在が分かる大王墓だと論証された、近世の天皇陵で、
平地のくそ最悪最底辺地ズボズボ沼地に盛り土した古墳など一切存在しない。
よって、平地のくそ最悪最底辺地ズボズボ沼地に盛り土した「前方後円墳」は、大王の陵墓では有り得ない。 @阿波 まあ日蝕なんて数分の出来事だしそれが卑弥呼の直接的な死因になるはずもなく
現代人が小説で書いた空想物語だろうね
それならまだ魏志倭人伝に書かれているように卑弥呼が魏に援軍を求めた行為=反逆罪みたいなのが直接の死因だろう >>956 > 偉そうなコテがいるな//
オ〆は随分とアタマ割るそうなのに、エロそうなんだな。
> もし邪馬台国があったと仮定したら、その場所は九州あたりだろう//
根拠なしかよ。見込んだ通りの八゛力ですな。
オノレが八゛力だと仮定しなよ、もしは要らんからさ。
> 何故いちいち畿内まで引っ張ってくるのか//
何故いちいち畿内以外まで引っ張ってくるのかねノー夕リソ。 >>970 > くそ最悪最底辺地ズボズボ沼地//
それは水銀中毒のオ〆の膿味噌だろ、工〒公。 国て言われると国家みたいなもの想像するけど
村みたいなものなんでしょ? 成果が出なかったら殺されるって
外れてしれっとしている気象予報士にも聞かせてやりたい >>956
九州だと卑弥呼は熊襲の女王に過ぎず、したがってヤマト王権と関係はなく
(同様に倭の五王も熊襲の王ということにすれば)日本は有史以来
中華冊封であったことはないとする説がより有力となる >>975
気象予報士の誰だったかも
天気予報が外れたことで
先物取り引きだったか株取引だったかで
大損させられたと言われて殺されかけたと言っていたから
現代でもあり得る
ましてや古代なら殺されても全然不思議はない 卑弥呼の失脚原因は日蝕だけではないだろう。
トビイロウンカとか稲熱病とかで米の不作続きに見舞われて戦乱になっていたなかでの陰謀があったと見るべき
やはり水銀中毒かとw 本当に畿内を治めていた統一国家なら、もっと九州までの間に、邪馬台国の遺跡や出土品が出ると思うけどな 卑弥呼なんて捏造・架空の人物だろ
檀君(即位2333BC)を擁する国の史書に書かれてないし >>974
> 国て言われると国家みたいなもの想像するけど 村みたいなものなんでしょ?//
その状態を脱したのが、卑弥呼の遣使だよ、村みたいなものに共立されてさ。
>>977 > 九州だと卑弥呼は熊襲の女王に過ぎず//
本居はもういいよ。
> したがってヤマト王権と関係はなく//
それは、記紀の段階での周知事項な。
> 日本は有史以来 中華冊封であったことはないとする説がより有力となる//
少しはモノを考えなよ。八゛力うよには無理か、ン? >>980
邪馬台国が畿内にあったと仮定すると
いろいろ矛盾するおかしな点が出てくる
例えば最大のものは南に接する邪馬台国と敵対していた
狗奴国はどこよ?w
畿内ヤマト王権の南にそんな大国あるか?
しかもその国との戦に苦戦して魏に助けを求めて
魏から軍師が来日するんだぞw
どう考えてもあり得ない地理的な位置関係になるだろw >>980
少なくとも北路の朝鮮交易路から畿内まで安全に案内出来るレベルの勢力圏抱えとるよな
幽州の役人が政治干渉する必要ないほどにさ 神功皇后の三韓征伐は、広開土王碑や史書による裏付けがあるから恐らく史実 卑弥呼の墓は戦後の宅地造成で破壊されました。以上
そんなオチかな >>965
根拠も示さず妄想を断言してるけど説得力は皆無 >>981 > 擁する国の史書に書かれてないし//
オ〆はオツムに植え付けられた蛆虫を駆除するヨロシ。
>>983 > どう考えてもあり得ない地理的な位置関係になるだろw//
禿害だよ。計其道里 當在會稽東冶之東
會稽(紹興)東冶(福州)の東の緯度範囲って、九州最南端の佐田岬の少し南と、
台湾最北端の少し北の間の、目ぼしい島の絶えてる海域だ。
そんな場所に邪馬台国がある訳ないだろ藁、って魏志倭人伝は嘲ってるんだよ。
張政を、というより、そういう企画を目論んだ、司馬仲達の政敵をね。 >>980
九州に邪馬台国を裏付ける遺跡や出土品はまったくないけどな >>986
> 卑弥呼の墓は戦後の宅地造成で破壊されました。以上 そんなオチかな//
卑弥呼墓である箸墓の記載については、
日中の史料で一致しているだろノー夕リソ。 >>985
> 神功皇后の三韓征伐は、広開土王碑や史書による裏付けがあるから恐らく史実//
はァ? 碑文で記録のある半島での惨敗は、神功紀ではスルーだろ。 >>989
志賀島の甚兵衛さんが金印を発見したという説がある 一緒に埋められたはずの奴婢100人が消える不思議
まさか裸にされて埋められたのかよ 魏志倭人伝と東方見聞録(マルコポーロの口述を、別の人間が筆記したと言われてる)どっちが信憑性あんのかね? 大江健三郎の「個人的な体験」に出てくるのは、火見子だったな なんだかんだ言って
魏志倭人伝は半分は嘘だからな
邪馬台国は未だに特定できないし >>983
自己レス
オレは邪馬台国論争では畿内説論者は
ファンタジー脳としか思えないんだよな
女王国の南と接している狗奴国と苦戦する邪馬台国
畿内に邪馬台国があったとするとその狗奴国って今で言えば和歌山県みたいなもの
あんなに平地が少ない地域にそんな大国存在できたの?
しかも紀伊半島内ですらそんな苦戦している邪馬台国が
畿内から九州に至る領域国家を形成する中核を担っていたと想像するのが畿内説w
あり得ない空想だろ?こんなのw
紀伊半島で苦戦している邪馬台国になぜか九州北部までの諸国は従っているという空想w
ご都合主義にもほどがあるだろw
まるで小学生の空想した世界だよな、畿内説ってw
しかもこの広大な領域の連合国家を治める源泉は
女王の鬼道、つまりご神託だよ
そんなものが通用するのは直接女王と対面して女王のお言葉を聞けるごく狭い地域だけの話だろ
畿内から九州に至る広域連合国家が何か月もかからないと女王に対面できないような
地域にいる国まで女王の鬼道とやらで治まるわけがない
それが治まると考えているのが畿内説の世間知らずの坊ちゃんたちwww
ほんま畿内説論者って常識知らんアホぞろいやでw 日蝕云々もあっただろうけど雲が出ていればそれが日蝕とはわからないからな
数分の出来事だし 結論
魏志倭人伝も記紀にもデタラメな部分はあるけど
よりデタラメなのは魏志倭人伝 このスレッドは1000を超えました。
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