栄養学的に言って稲作が発達した北部九州の方が、当時木の実などを主食にしていた奈良辺りより知能的に発達している

魏志倭人伝に記されていることは、北部九州圏内のことで間違いないだろう
当時の航海技術や道路などのインフラなどをかんがえても、九州から数百キロ離れた近畿圏との交流はしない
当時の1キロメートルは現在の100キロメートルに相当するだろう(移動で考えて)
でもバカはすべてを現在の技術に当てはめて言う
水行1か月では九州から若狭湾まで進めるとか、陸行1か月では九州から近畿圏まで行けるとか

例えば当時の福岡は現在の地理とは異なり、かなり入り組んだ湾となっていた
陸行ならば現在で1日で行けるところが、当時は10日ぐらいかかっただろう

現在の事情に合わせたバカが言う〇まるの距離がおかしい! というのは考え方がおかしいだけ

邪馬台国は北部九州、おそらく現在の大宰府辺りにあったはず
そうでなければ後の世に大宰府を庁舎とはしない