>>1
記紀には欠史8代で書かれていないけど
九州と関西に移った神武天皇ら皇族は初めのうちはそれなりに有効な関係にあった
そのために神功皇后の夫の仲哀天皇までは九州巡幸があった
崇神天皇のころまでは良好な関係にあった
それが飢餓と疫病で九州巡幸は中止でそれどころではなくなった
九州巡幸が再開された景行天皇の頃には仲違いする熊襲が台頭し始めてきた
垂仁天皇の頃は逆に中国まで使者を遣わした

景行天皇の頃にまた九州巡幸が復活してゆっくり九州巡幸を実施した
というか西日本巡幸
景行天皇は東日本巡幸もやった
子のヤマトタケルもまた九州巡幸をして熊襲を打ち東は仙台まで足を運んだ