【満州】岸信介とアヘン王の関係を追う…密売で儲けた「数兆円」はどこに消えた? [樽悶★]
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今から90年前の1931年(昭和6年)9月18日午後10時20分頃、中華民国奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖付近の南満洲鉄道線路上で爆発が起きた。これを端として関東軍は“満州”を占領――「満州事変」である。
※省略
■意外にも平凡な「アヘン王」の風貌
千葉県市川市の江戸川沿いにある里見公園は、戦国時代に里見一族が北条氏と戦って敗れた古戦場として知られている。
土曜の午後、その里見公園の隣にある総寧寺を訪ねた。上海の「阿片王」といわれた里見甫の墓があると聞いたからだ。
人気のない境内の奥の墓地に入って探したら、すぐ見つかった。こぢんまりした墓石に「里見家之霊位」と刻まれ、側面には「岸信介書」とあった。
たしかに岸の字だ。少し丸みを帯びていて優しげで、しかも繊細である。岸がその政治人生でしばしば見せる、激しさや冷酷さは少しも感じさせない。
「字は体を表す」とか「書は人なり」というけれど、岸にはその格言は当てはまらない。彼はつねに千変万化する。善人なのか、悪人なのか。鵺のようで捉えどころがない。
一方の里見はどうだったのだろう。彼は戦後の1965(昭和40)年、69歳で亡くなった。われらが先達、草柳大蔵は『実録・満鉄調査部』(朝日新聞社刊)で里見をこう描いている。
※省略
■里見と岸の関係
里見と岸の間にはいったいどんな交流があったのだろう。岸は戦後になって『岸信介の回想』(矢次一夫・伊藤隆との鼎談・文藝春秋刊)でアヘンについてこう語っている。
〈満州国ではアヘンの吸飲は厳重に禁止したけれど、陰で吸っているのはいたでしょう。(中略)いずれにせよ満州ではアヘンを禁止し、生産もさせないし、吸飲もさせなかった〉
読者はすでにおわかりと思うが、この発言は著しく事実に反する。満州国は表面上はアヘン根絶を目標に掲げたが、熱河地方ではケシの栽培を奨励した。それでも足りない分は華北などから輸入し、アヘンの専売で莫大な利益をあげていた。
岸がつづけて語る。
〈しかしアヘンを扱ったものとして里見という男のことは知っています。ただ私が満州にいた頃は里見は上海で相当アヘンの問題にタッチしていて、金も手に入れたのでしょうが、満州には来ていないから私は知らない。里見を知ったのは帰国後で、満映にいた茂木久平の紹介です。里見が死んで墓碑に字を書いたことがあるけれど、これも茂木に頼まれたからですね〉
茂木久平とは、満州の「夜の帝王」甘粕正彦が理事長をつとめる満州映画協会の東京支社長だった男である。どうやら岸は、里見とはそんなに深い関係ではなかったと言いたいらしい。
たしかに岸と里見の直接的な交流を示すデータはほとんどない。唯一、佐野眞一さんの『阿片王 満州の夜と霧』(新潮社刊)に、戦後、里見の秘書役をつとめた男の証言が出てくる。
岸は満州から帰国後の1942(昭和17)年、翼賛選挙に立候補して当選した。秘書役によれば、このとき里見は、岸に200万円(現在の約16億円相当)を提供した。「鉄道省から上海の華中鉄道に出向していた弟の佐藤栄作(後に首相)が運び屋になって岸に渡したんだ。これは里見自身から聞いた話だから間違いない」という。
しかし、これは残念ながらまた聞きである。真偽の判断はつかない。それより東京裁判に提出された里見の宣誓口述書を読んだほうが、戦時中の岸と里見の関係のバックグラウンドを知る手掛かりになりそうだ。(続きはソース)
9/21(火) 6:32配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210921-00087506-gendaibiz-bus_all
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20210921-00087506-gendaibiz-000-1-view.jpg 清らかな心の持ち主なのでネットショッピングでおすすめに上がってきたおしゃれな折り畳み傘が違うモノに見えて困ってる
http://twittephoto.ddo.jp/1632192584.html 天皇家や皇室を筆頭に、国会議員・官僚・芸能界は朝鮮人が仕切ってるから朝鮮人優遇
は仕方が無い。何時の間にか、YAP遺伝子を持った日本人は朝鮮人の奴隷ですわ。
嬉しかったな日本人を名乗ってる背乗り鮮人。 また詐欺に加担する記事かいてるのか
犯行グループからいくらもらってんの? >>1
夜の渋谷Part6■ラブホ前エロいカップル■4K■ステレオ高音質
■世界最大のクラブ街ラブホテル街探索徘徊円山町道玄坂東京
■ドキュメンタリー警察24時Tokyo Walk SHIBUYA
https://www.youtube.com/watch?v=4HgPuS4pKr4
ニュース報道【 Youtube 動画 】ニ ☆日中戦争は、岸信介のための第二次アヘン戦争
(ものしり博士) そうだ。戦前、関東軍は、謀略を使って満州国を作った訳だが、特務機関を操って、その満州国を支配したの が、岸信介と東条英機なんだよ。
当時ほとんど『独立国家』だった関東軍・満州国は、現在のCIA同様、多額の活動資金を賄うため大陸の阿片 を資金源にしたんだ。日本が、日中戦争の泥沼に陥ったのも、
岸や東条の麻薬利権のためだったとも言われてい るんだ。
闇社会が扱う最大の物品は阿片であり、この取引で得た莫大な上がりが岸・東条の手下の甘粕や里見ら特務機関 の財源であった。
内閣誕生のわずか5年前、2.26事件勃発時には、満州の憲兵隊司令官にすぎなかった東条が、戦時の絶大な 権力を手に入れ、総理大臣にまで上り詰めた原動力がこの金という訳だ。
阿片は、関東軍と満州国が押さえていた。しかも生産者との交換のための物資の調達や輸送は、関東軍御用達の 総合商社満鉄の仕事だった。
この満鉄、特務機関の残党が、戦後再結集して作り上げたのが、戦前の大本営発表機関、同盟通信の兄弟会社 「電通」だ。
(学生) じゃあ、岸や東条の麻薬利権のために、大勢の日本国民が死んだというんですか? それが本当なら、岸も東条も許せない売国奴じゃないですか。
一銭五厘の赤紙で徴兵され、戦地で死んだ英霊たちは浮かばれませんね。
(ものしり博士) そうだ。岸や笹川達が、自分の金儲けのために大勢の国民を死なせといて、その後継者の清和会の連中が、やれ 靖国参拝だ、愛国教育だなんてお笑いだ。
金の亡者が、愛国心や徴兵制を語る時点で終わっている。 (ものしり博士) ニューヨーク・タイムズ記者.ティム・ワイナーや公開された米国機密文書によれば、戦後、東条英機の処刑の 翌日釈放された、A級戦犯の岸信介、児玉誉士夫、笹川良一は、読売新聞社主の正力松太郎同様、
アメリカ(C IA)のエージェントだったとうのは最早常識だろう。
児玉や笹川が大陸で、大勢の中国人を虐殺して徴発した、ダイヤモンドやレアメタルが、自民党の結党資金とな り、その後、自民党総裁に収まった、岸が総理大臣となり、日本を支配したことはネット世界では常識な訳だ が、
岸、児玉、笹川の巣鴨プリゾン三人組は元々、特務機関の幹部として繋がっていたようなんだ。
CIAの手下である統一教会の文鮮明が、岸、児玉、笹川を支配した、戦後日本は、朝鮮人によってアメリカに 間接統治されたとネット上で言われているが、
日本間接統治の主体である朝鮮人と岸、児玉、笹川の関係は、実 はもっと腐れ縁のようだ。
朝鮮総連に詳しい朝鮮新報社元記者の河信基『証言「北」ビジネス裏外交』によれば、小泉時代、北朝鮮の拉致 家族帰国交渉を仲介した吉田猛の父吉田龍雄(金奉龍)は、北朝鮮の金日成と太いパイプを持っていた。
彼は戦 前、南京大虐殺で有名な松井陸軍大将に私淑し、日本軍相手の会社を経営していたそうだ。戦前上海には、日本 軍に物品を納入する○○機関という商社があり、特に児玉、阿片王里見が有名だが、
恐らく龍雄も特務機関のメ ンバーだったんだろう。
龍雄は、創成期の在日運動に尽力し、彼の下には、在日朝鮮人運動左派グループが集まった。その中には、朝鮮 総連を創設し、議長となる韓徳銖、日本共産党中央委員でもあった金天海らがいたんだ。
龍雄は、日本共産党の 野坂参三を支援して家屋敷まで譲り渡したそうだ。
戦後の共産党活動は、在日朝鮮人と一体不可分であり、共産党から在日朝鮮人が分かれて朝鮮総連を作ったと いっても過言ではないんだ。そしてその背後には、特務機関工作員残党の可能性が噂される吉田龍雄がいた訳 だ。
共産主義者だけじゃない。在日運動には、右派もいて、町井久之(鄭建永)は、朝鮮建国促進青年同盟東京本部 副部長として朝鮮総連に対抗し、反共的な東声会を結成、
母校専修大生を集めて愚連隊を組織した。東声会はや がて児玉誉士夫とつながりの深い暴力団に変質したんだ。
面白いことに龍雄と町井は同じソウル出身で、共に児玉と接点があり、当時としては珍しい高等教育を東京で受 けているから、お互い当然面識があったと思われるんだ。
(学生) 龍雄が、児玉と同じ戦前の特務機関のメンバーで、児玉の知遇を得ているとしたら、彼は在日が大半を占めると 言う暴力団とも繋がる訳ですね。
(ものしり博士) 暴力団、似非右翼ともバッチリ繋がる訳だ(笑) 阿片が儲かったからこそ関東軍が勘違いしたと思うよ
天皇も担がれてたけど 新興財閥と軍部がズブだったからねえ >>7
天皇や天皇家のY染色体は
朝鮮人韓国人シナ人は一切もってないD2だ >>1
・GHQ、マッカーサーに献上して戦犯免除
・統一教会設立資金
・自民党設立資金 安倍ちゃんが無能でアホなのは、この犯罪行為の因果なのです^^ 伍代財閥の芦田伸介に命令された三国連太郎がモーゼル片手に
シナ人や露助に盗まれたアヘンを取り返しに行くんだよな。 中国さん「アヘン吸って気持ちいい〜」
ネトさん「愛国オナニー気持ちいい〜」
( ^∀^) ゲラゲラ (^∀^ ) >>7
あちこちでこのコピペで書き込みしてるな
そんなに日本を支配していることにしたいのか
願望垂れ流すな
この朝鮮人が >>1
中国で児玉が作った金が保守合同による自民党結党の資金源になったんだっけ?
こんなの別に有名な話だし、今更としか思わないが つまんない結論かも知れないが、そういうのは”消えた”んじゃなくて"最初からなかった"というのがよくある話で >>1
>>2
また聞きの話をふくらませた、マスコミの誇大報道だよ。 >>39
満州国の重工業化に全部ぶっ込んだだと多分中共がいちばん困るのかな?。 >>13
長野県や宮城県の県民を満蒙開拓移民として送り出すために多くの国民を戦争へ巻き込んだ上に
開拓民の横暴により現地住民とも諍いを起こしたことを忘れないで
開拓民と現地住民との間に生じた摩擦については、移民政策の開始以来、政策当局の間で常に問題視されていたことであった
例えば「満農ノ繁忙期ニ移民自身、水田溝ヲ修築スルニ当リ賦役ニ服セシメ(第二次)、或ハ家屋ノ修築並除雪作業ニ従事セシメ、
甚シキハ子守又ハ風呂焚ニ至ルマデ既住民ヲ徴発スル等ハ摩擦ノ原因トシテ挙ゲラルル事実ナリ」
「各次共警備道路ノ修築、討伐隊ノ人夫又ハ馬車ノ徴発モ頻繁ニシテ、第一次ノ如キハ一度ニ三百名モ徴発シタル事例有リ」
(満洲国産業部開拓総局『移住地調査報告書』1939年498頁)
というように開拓民が現地住民に対して農民にとって死活問題となる「繁忙期」に「賦役」や「徴発」を行っていたことがわかる
また「奴婢的取扱ヲ以テスルモノガ極メテ僅少デアルガ存在スル(第二次)」といわれたように、その基底には開拓民の現地住民に対する
根強い蔑視が存在していたと考えられる。土地収奪に加えて蔑視を伴うこうした「徴発」が開拓民への強い反感を醸成することになった >>41
かもしれないねえ
俺は市川市生まれ育ち現在栃木県在住だからw 阿片は、中国人コミュニティーで扱われていた。映画イップマンのシリーズに出てくる。 >>40
岸家でもないのに相続したと言い張っている。 メタルギアソリッドの賢者の遺産みたいなやつ実在するんだな >>22
>>>1
>・GHQ、マッカーサーに献上して戦犯免除
>・統一教会設立資金
>・自民党設立資金
それが「満州資金」こと「M資金」
だから満州関東軍偽名参謀「宮田」こと竹田宮の孫ロリコンス竹田恒泰や岸信介の孫一味が
必死にM資金を都市伝説や詐欺師のネタに矮小化して火消ししてるwww 小池の父親・小池勇二郎は、満州閥カルト。安倍の同類。
岸と面識あっただろう。
海軍中尉、満鉄経理部、野球チーム「満鉄クラブ」でのポジションはショート。
小池勇二郎は日本人はシュメール人とするカルトのスメラ義塾に戦前は嵌り、
藤原肇著『さらば暴政』によると、小池百合子の父親・小池勇二郎は1969年に統一教会(勝共連合)の支援で衆院選に出たが落選した。
落選時には借金で心中を考えるほどだった。
落選後は、スメラ義塾の教えに基づき中東へ。
だれかがカネを外貨で出しているのは間違いない。
カイロで日本料理屋をやりながら石油利権を扱うようになる。
https://www.dailyshincho.jp/article/2016/12270810/?all=1 岸一族と韓国の繋がりの深さをしるべき。
満州国は、岸一族と朝鮮人が、支配階級になる予定の国だったからだ。
というか、満州こそ岸や朝鮮人の発祥地だったから、満州と半島と列島で岸一族支配の大高麗を再建するつもりだった。
岸が満州国の設計者の1人だったのは有名だ。
岸を含め満州の支配層とされた二キ三スケの三スケは長州出身だ。満州は長州支配なんだよ。
この時の満州にはクネの親父の朴 正煕が満州国の軍人としていた。また、大同学院という日本人と朝鮮人が一緒に学び満州国の官僚を育成する学校が新京あった。
これが、大日本帝國の大陸進出の真実だ。
朴 正煕の後を継いだ大統領の崔圭夏は大同学院の卒業生。大同学院出身の朝鮮人が韓国の政治、経済、軍の基盤を作った。
昭和49年に韓国で大同学院の同窓会を初めて開いた時には、大蔵、外務、司法の長官が同窓生だったという。
この満州人脈が集まるのが善隣協会という組織。善隣協会の会長が岸。
朴 正煕はクーデター成功後、訪日し善隣協会を訪問し、「維新の志士のつもりでやる気だ」と岸に報告したという。
だから、
韓国ではこのクーデター後
の新憲法は「維新憲法」と名付けられた。 電通は、プロパガンダと諜報で満州国を作った満州鉄道株式会社の国内版。
主だった満州帰りの人々は、以下の通り。
市川 敏:満州国国務院総務庁弘報処長から電通東京本社総務局長、専務取締役
松本豊三:神戸又新日報(こうべゆうしんにっぽう)編集局長、満鉄総裁室弘報課長、満州日日新聞社長、満州日報理事長、満州新聞協会理事長から電通秘書役、大阪支社ラジオテレビ局長、同企画調査局長、副社長
米野豊実:満州日日新聞編集総局長、取締役から電通東京本社企画調査局部長待遇
森崎 實:時事新報社会部、政治部、満州新聞新聞局長、満州日報編集局長から電通東京本社企画調査局出版部長、企画調査局長、開発局長、電通PRセンター会長、ビデオリサーチ社長
高橋 渡:満州日報業務局長から電通東京本社営業局中央部長、営業局長、大阪支社営業局長、副社長
高橋威夫:満鉄文書課長から電通東京本社総務局長、常務取締役
古賀 叶:満鉄錦州鉄道局長から電通東京本社ラジオテレビ局長、経理局長、常務取締役、副社長、JIMA(電通グループの外資系広告主扱い広告会社)社長
芝田研三:満鉄、満州日日新聞取締役から電通大阪支社ラジオテレビ局長、関西テレビ常務取締役
金澤覚太郎:満州放送総局副局長から電通東京本社東京放送創立委員、ラジオ東京編成局長、日本教育テレビ編成局次長、日本民間放送連盟放送研究所副所長
古瀬甲子郎:満州日報営業局次長から電通大阪支社営業局次長、日電広告(電通グループの案内広告専門会社)社長
小谷重一:満鉄旅客課長から電通東京本社営業局外国部長、PR部長、営業局次長、国際広告局長、米州総局長、JIMA専務取締役
市川雄次:満州製鉄から電通東京本社PR局長 松方三郎:満鉄、同盟通信、満州国通信社社長、共同通信専務理事、電通社外取締役
塚本義隆:同盟通信経済局長、総務局長、満州国通信社社長、電通社外取締役
電通銀座ビルを「第二満鉄ビル」と呼んでもあながち誇張ではないほど、錚々たる満州帰りの顔ぶれが揃っていた。 満州は政治も経済も岸一族の支配下にあった。
岸の野望だった満州のため日本は開戦し敗戦した。
特に鮎川義介・岸信介・松岡洋右の3人は満州三角同盟とも呼ばれ東條内閣を倒閣するなど、最終的には力があった。
3人共山口県周防地方の生まれ・
育ちであり、鮎川義介・岸信介・松岡洋右の間には姻戚関係もある。
松岡の妹の夫は、岸の母方の叔父である。岸の実弟である佐藤栄作は、叔父夫妻の長女で松岡の姪の寛子と結婚して婿養子となっている。
のちのことになるが、岸の長男の妻は、日産の鮎川の従兄の娘である。
東條は満州三角同盟が使った表向き用のコマでしかなかった。 蓮舫は一族代々清和会支援者。
蓮舫はアヘン満州閥で、野党をバカに見せる役の安倍のサポーターだ。
蓮舫の祖母である陳杏村は上海を拠点としていた特務機関ボスで自民党創設者の児玉誉士夫の配下で上海での直参の部下。
軍需物資の調達とアヘンで儲けた。
戦後は日台利権のバナナ貿易を開始。
昭和40(1965)年に設立されたのが「日本バナナ輸入組合」だ。
この組合の初代理事長には砂田産業の砂田勝次郎氏が就任したが、これは神戸市を地元とする自民党の代議士で文部大臣などを務めた砂田重民の兄弟だ。
[砂田重民は清和会所属、1977年11月、衆院当選4回ながら福田内閣の文部大臣として初入閣。自民党総務局長、予算委員長などを歴任後、
1990年2月第2次海部内閣の北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官に就任した 。]
この一連の動きに台湾側の窓口として暗躍したのが、台湾で日本への輸出枠の50%を握っていた陳杏村であり、その息子の謝哲信らだった。
そして、「黒い霧・台湾バナナ事件」が参議院農林水産委員会で昭和41年11月1日 に取り上げら、以下のような注目すべき言葉がある。
「かつて日本が台湾バナナ輸入を自由化した当時から、国民政府によって輸出総量の五〇%の割り当てを与えられて、わが国の国内バナナ輸入業者に対して絶大な支配力を持っておる、こういう人が陳杏村。
三つ目、陳杏村氏の令息に当たる人で謝哲義と謝哲信、こういう人がおります。今度はむすこさんのことですが、それぞれ砂田という日本人商社名をつけた多数のバナナ輸入会社を実質的に支配し、まかされております。(略)
この駐日弁事処は、日本の業者がかつて輸入バナナ一かごに何百円というリベートを持参しなければ台湾バナナを輸入しない、そういうようなことでリベートを取って、外為法違反容疑で警察から取り調べを受けた事件がある」
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/052/0408/05211010408004c.html
この1966年の国会答弁に見られるように、謝は母親の陳から譲り受けたバナナ利権のために、台湾と日本政界に金をばらまいたようだ、
ちなみにこの陳が作った会社は現存していて、今は蓮舫氏の母親が代表。
この時に日本政界台湾だけではなく、中国共産党筋にも
黒い金がばらまかれたという噂がありますが真偽は定かではない。
中国共産党との関わりで言えば、
蓮舫氏は成人した後に北京大学に留学。
つまり蓮舫はチャイナと自民党清和会の二重スパイなのだ。 明治維新で爆誕した大日本帝国は、松陰プランの通りやり敗戦した失敗国家。
明治維新の結論は敗戦。
松陰はこう書いている。
いま急いで軍備を固め、軍艦や大砲をほぼ備えたならば、蝦夷の地を開墾して諸大名を封じ、隙に乗じてはカムチャッカ、オホーツクを奪い取り、
琉球をも諭して内地の諸侯同様に参勤させ、会同させなければならない。
また、朝鮮をうながして昔同様貢納させ、北は満州の地を割き取り、南は台湾・ルソンの諸島をわが手に収め、漸次進取の勢いを示すべきである。
しかる後に、民を愛し士を養い、辺境の守りを十分固めれば、よく国を保持するといいうるのである。そうでなくて、諸外国競合の中に坐し、なんらなすところなければ、やがていくばくもなく国は衰亡していくだろう。」
(中公クラッシック「吉田松陰」より抜粋) 満州重工業開発株式会社(まんしゅうじゅうこうぎょうかいはつ)は、満州国の特殊法人で、
満州国内の鉱工業を一元的に統制することを目的に設立された持株会社。通称は満業(まんぎょう)。
日産コンツェルン総帥鮎川義介によって創設された。
満州国の経済運営で巨大な南満州鉄道が影響力を持つことを嫌った関東軍の求めに応じ、日本鉱業(現・JXホールディングス)や日立製作所、
日産重工業(現・日産自動車)を傘下に持つ日産コンツェルンの総帥・鮎川義介が、満州全土の鉱業から各種製造まで一貫した計画の元に生産することを目的に、
1937年にグループの持株会社である日本産業を満州に移転・改組させて設立した。
http://kaitaku.npo-index.net/満州の概要/満州の工業/満州重工業開発/ 実は二・二六事件の第一目的は、東北の飢饉と世界恐慌による身売りや家族心中が横行したこと、それと満州への戦線拡大、外地(朝鮮・台湾)等への過剰な国費投入
を推し進めた統制派の辻、東條、永田を更迭(又は暗殺)して戦争を回避することだった。
皇道派青年将校の目的は陸軍、海軍、憲兵にも共感するものが多くいたし近衛兵も 参加しているが、当初から軍事クーデターとして成立してない。
当事者である青年将校が政治機構を掌握する意志を放棄していたからだ。
武力で奪取した明治維新に倣い国家最高権威の奪取を軍事目標としてれば 軍事クーデターとして成立したが、本人達には全くクーデターの自覚がなかった。
(皇道派の意図は内政第一で戦争の回避)
「蹶起の第一の理由は、第一師団の満洲移駐、第二は当時陸軍の中央幕僚た ちが考えていた北支那への侵略だ。これは当然戦争になる。もとより生還は
期し難い。とりわけ彼らは勇敢かつ有能な第一線の指揮官なのだ。大部分は 戦死してしまうだろう。だから満洲移駐の前に元凶を斃す。そして北支那へ
は絶対手をつけさせない。今は外国と事を構える時期ではない。国政を改革 し、国民生活の安定を図る。これが彼らの蹶起の動機であった」と菅波三郎 は断定している。
「皇道派の中国での戦争反対姿勢」
1935年12月ごろ、ある青年将校は山口大尉に「我々第一師団は来年の三月
には北満へ派遣されるんです。防波堤の我々が東京を空にしたら、侵略派の
連中が何を仕出かすか知れたものじゃありません。内閣がこう弱体では統制
派の思う壷にまた戦争です。我々は今戦争しちゃ駄目だというんです」と述べている。 蓮舫は満州閥で安倍のサポーター。
蓮舫の祖母である陳杏村は上海を拠点としていた特務機関ボスで自民党創設者の児玉誉士夫の配下で上海での直参の部下。
軍需物資の調達とアヘンで儲けた。
戦後は日台利権のバナナ貿易に。
「黒い霧・台湾バナナ事件」が参議院農林水産委員会で昭和41年11月1日 に取り上げられている。
そこで、カルテルを結んで安定させようとして、 昭和40(1965)年に設立されたのが「日本バナナ輸入組合」だ。この組合の初代理事長には砂田産業の砂田勝次郎氏が就任したが、これは神戸市を地元とする自民党の代議士で文部大臣などを務めた砂田重民氏の兄弟だ。
砂田重民は1977年11月、衆院当選4回ながら福田内閣の文部大臣として初入閣。自民党総務局長、予算委員長などを歴任後、
1990年2月第2次海部内閣の北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官に就任した
この一連の動きに台湾側の窓口として暗躍したのが、台湾で日本への輸出枠の50%を握っていた陳杏村であり、その息子の謝哲信らだった。
そして、これは「黒い霧・台湾バナナ事件」が参議院農林水産委員会で昭和41年11月1日 に取り上げられているので、そのなかに以下のような注目すべき言葉がある。
「黒い霧・台湾バナナ事件」が取り上げられた農林水産委員会-4号昭和41年11月01日 にはこういう記載があります。
「かつて日本が台湾バナナ輸入を自由化した当時から、国民政府によって輸出総量の五〇%の割り当てを与えられて、わが国の国内バナナ輸入業者に対して絶大な支配力を持っておる、こういう人が陳杏村。
三つ目、陳杏村氏の令息に当たる人で謝哲義と謝哲信、こういう人がおります。今度はむすこさんのことですが、それぞれ砂田という日本人商社名をつけた多数のバナナ輸入会社を実質的に支配し、まかされております。(略)
この駐日弁事処は、日本の業者がかつて輸入バナナ一かごに何百円というリベートを持参しなければ台湾バナナを輸入しない、そういうようなことでリベートを取って、外為法違反容疑で警察から取り調べを受けた事件がある」
この1966年の国会答弁に見られるように、謝は母親の陳から譲り受けたバナナ利権のために、台湾と日本政界に金をばらまいたようです。
ちなみにこの陳が作った会社は現存していて、今は蓮舫氏の母親が代表を努めています。
これが「黒い霧・台湾バナナ事件」です。
この時に日本政界、台湾だけではなく、中国共産党筋にも黒い金がばらまかれたという噂がありますが、真偽は定かではありません。
中国共産党との関わりで言えば、蓮舫氏は成人した後に北京大学に留学しています。 満洲で活動してた日本人たちの話は面白そうだよな
日本では映画などにできないだろうけど >>34
『戦争と人間』が作られたのは半世紀前
あのころは日本が中国へ攻めて行って悪いことをしたのを誰でも知っていた
大東亜戦争はアジア解放の戦いとか言ってた人もさすがに中国侵略を否定するのは無理とわかっていた
しかしあれから50年の間にネトウヨの元祖みたいな人たちが頑張ったお陰で
日中戦争は中国が始めたとか日本軍は軍紀厳正で強姦も略奪もしたことがないと本気で信じている人が現れた >>54
そうだよ苗字研究家とか別に悪気もなくそう決めてる、吉士ってのが原点らしい。 実は、 満州国と大日本帝国は、
長州が廃帝を担ぐという同じパターンで作られた。
満州は、溥儀を傀儡にして政治も経済も
岸一族の支配下にあった。岸一族の野望だった満州のため日本は開戦し敗戦した。
今また、日本は天皇制下の
岸一族による国家私物化の道を歩もうとしている。
実は、実権を失った廃帝再利用という満州建国は明治維新による大日本帝国建国のコピーだった。
さらに朝鮮も含めれば、
大日本帝国とは、長州支配の多民族帝国の日朝満三重帝国だったのだ! 安倍一派の誰かが暗殺されたら話題にしてよ
もうたくさんだよ
聞きたくもないよ
北朝鮮かよこの国は 帰化人一族である岸家の真実とは?
岸家と佐藤家にまつわる余談の挿話だが、「郷里田布施の選挙戦のとき佐藤派はなんとかして岸信介にケチをつけたいと頭をひねった。
思いついたのが、土地に古くから言い伝えられていた“ガン”の故事である。もともと岸家は悪代官の家系ではないか、とだれかが言い始めた。
というのは、毛利元就が陶晴賢と厳島沖で戦って大勝を収めた際、寝返って毛利方についた船の調達人が“ガン”と称する帰化人であったという。
周防長門を手中におさめた毛利公は、その功績によって“ガン”を田布施周辺の代官に召し立てた。
ところがこれが悪代官で、年貢はきびしく取り立てるし、女を囲う、金を貯める。
このガンの子孫こそ、ほかならぬ“岸(がん)”ではないか、というのであった。選挙戦となると、佐藤陣営はこの昔話を“岸家”にこじつけて“岸信介は悪代官の子孫だ!”と、喚きたてた。
龍太郎も最初のうちは、そうだ、そうだ、と同調していたが、しだいに照れくさくなって言わなくなった。
…考えてみると信介が岸家に養子にいったのは事実だがそれ以前に信介栄作の父佐藤秀助は岸家から佐藤家へ養子に来た男である。
栄作にも、そして龍太郎にも岸家の血が流れている。悪代官の子孫だ、と佐藤派の者が叫ぶたびにヘンな気がしてきたという。天にツバするとはこのことか。
岸家と佐藤家は、異なるようで同じく、同じようで違う。両者“悪代官”の果てかどうかは定かでないが、この挿話は両家の関係をよくあらわしている」という。
引用岩川隆 1984, pp. 58-59.忍魁佐藤栄作研究 (徳間文庫) >>1
何割かアメリカに献上して
残りが自民党の資金やろ 佐藤元総理が告白
注)韓国メディアからの翻訳なので、韓国となっているのは朝鮮に読替を
対韓タカ派が韓国系だなんて…
2006年5月17日
この4月、日本の独島(竹島)周辺海底測量騷動を背後で指揮するなど、日本の対韓タカ派の代表走者として知られる
安倍晋三が壬辰の乱以後、朝鮮から日本に渡った韓国人の子孫であることが明らかになって注目されている。
このような事実は金忠植(キム・チュンシク)東亜日報論説委員が最近発刊した本『悲しい列島−永遠の異邦人400年の記録』(ヒョヒョン出版)で明かされたことで、
壬辰の乱直後の1598年日本に連行された陶工で日本の陶磁器宗家を成すまでになった沈壽官(シム・スグァン)家門の14代子孫をインタビューする過程で明らかになった。
この『悲しい列島』によれば、14代沈壽官は1964年から72年まで日本総理を務めた佐藤榮作(1901〜75)がなくなる1年前、
自分を訪ねて来て佐藤家も壬辰の乱以後日本に渡って来た韓国系であることを直接告白したと明らかにしたというのだ。
「佐藤さんの言うことは驚くべきことでした。私に『あなたは日本へ来てからどれくらいになりましたか』と問うので、
400年近くなったと言ったら、『私たちの家門はその後に渡って来た家』というのです。半島のどの故郷からいつ来たかは詳らかに分からないが、
自分の先祖が朝鮮から渡って来て山口に定着した、という話だったです。」
14代沈壽官は佐藤元総理が自分の家に密かに伝えられて来たこのような来歴を明らかにし、その席で書いてくれた揮毫を30年以上まさに彼と会った部屋に今でもかけている。
佐藤は彼に「言葉にせず黙々とあっていても、認めることはすべて認めて通じる」と言う意味の「黙而識之」
という言葉を書いて去った。論語の述而編に出る表現という。(中略)この揮毫から、佐藤元総理の心情を推し量ることができる。
このように見る時、岸総理と佐藤総理はもちろん安倍長官にも韓国人の血統が混じっているわけだ。これと共に安倍長官の父親で
同時に80年代4期連続日本外相を引き受けた安倍晋太郎にも韓国系が多い山口県出身という事実は、安倍に韓国人の血が濃く流れていることを傍証する。
「対韓半島タカ派の先頭走者が韓民族後裔だなんて…」 金委員は本で「日本総理の靖国神社参拜を積極支持する
ナショナリスト(国家主義者)に韓半島血統が伝えられているということはまことに皮肉だ」と言った。(後略) これは漫画の宣伝?あれ、面白いよね。
まじめな話
満洲国で辣腕をふるった岸信介とか、台湾の後藤新平とか、
日本の植民地統治の方法論は、これから再評価されてくると思う。
先進国共通の課題は移民・難民の流入をいかに阻止するかにある。
アメリカはバイデン政権になっても壁を維持せざるをえないような有様だし
EUもエーゲ海で難民の乗ったボートを追い返している。
どこに人権があるのか、なにが先進国かという状況がある。
いまこそ、大日本帝国がいかに植民地を経営したか
保健衛生の観念を植えつけ、学校を作り、産業を振興したか
再評価するときが来たと思う。
中東やアフリカや中南米に、難民を吸収できる国を早急に作る必要がある。
現地に任せれば、アフガンの二の舞になることは明らかだ。
最終的には独立させるにしても
新しい植民地支配の方式が求められる時代になったと思う。 これは「安倍家の生き字引」と呼ばれた養育係・久保ウメの言葉である。
ウメは安倍晋三首相が2歳5か月「おむつが取れるかどうかという頃」から、小泉政権で官房副長官、幹事長を務めた時代まで40年以上にわたって安倍家に仕え、独身を通した。
久保さんは「パパ(安倍元外相)は誰にも言えないことを私には言ってくれた」とし「(安倍元外相死去直後)入棺のとき、
この人の骨格を見ながら本当に日本人の物ではないと思った」
と説明した。
それとともに「頭からつま先までまっすぐに横になっていたが、完全に韓国人の体形だ。
(安倍元外相)自らも『私は朝鮮(人)だ。朝鮮』と言っていたが、この人は朝鮮人だと思った」と回顧した。 大戦中も安倍の祖父である岸はグルー米国大使とゴルフをし、戦後はCIAのエージェントになっていた。
下記は「CIA秘録」で公知だよ。
噂・伝聞一切なし。機密解除文書5万点を使って書かれた
諜報機関を20年以上にわたって取材した調査報道記者が、その誕生から今日までのCIAの姿を全て情報源を明らかにして描いた衝撃の書
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163708003
1 日米開戦後の1942年、岸は軟禁中の米国大使、ジョセフ・グルーをゴルフに招いた(聖戦中に岸はなんと、敵性スポーツのゴルフをしていた。それも鬼畜の大使と!)。
二人はそれ以来、友人になった。岸が戦後、巣鴨から釈放されたとき、
グルーはCIAのフロント組織、「自由ヨーロッバ国民委員会」の初代委員長だった。
2 岸は巣鴨から釈放されると、まっすぐ首相官邸に向かった。官房長官の弟、佐藤栄作がスーツを用意して待っていた。
「なんかヘンだね」と岸は佐藤に言った、「いまやわれわれは民主主義者だ」
3 岸は「ニューズウイーク」誌の東京支局長、ハリー・カーンから英語の手ほどきを受け、米国の政治家を紹介してもらった。
カーンはアレン・ダレスの親友で、CIAの対日パイプになった人物だ。
4 1954年5月、岸は東京の歌舞伎座で政治家として復活を果した。岸は歌舞伎座に、米国大使館でCIAの情報・宣伝担当をしていたビル・ハチンソンを招いた。
幕間、岸はハチンソンを連れ、日本の特権層の友人たちに彼を紹介して回った。それは岸の政治的な劇場となった。アメリカの後ろ盾があることを公的にアナウンスしたものだった。
5 その後、1年にわたって、岸はハチンソンの自宅の居間で、CIAや米国務省の担当者と秘密裏の会合を続けた。ハチンソンはこう証言している。
「彼(岸)は明に、アメリカの少なくとも暗黙の支持を欲しがっていた」。この会合で、その40年間の日米関係の土台が築かれた。
岸は支配政党の「自由党」を躓かせ、名前を変えて再建し、それを運営したいと言った。
彼はまた、日本の外交をアメリカの欲望とフィットするかたちに変更することを誓った。その代わり、米国の秘密の支援がほしいと岸は頼んだ。
6 ダレスが岸に会ったのは、1955年8月のことだった。ダレス国務長官は、一対一で岸に、支持を期待していると言った。日本の保守層が一体化し、共産主義と闘うアメリカを支持できるかどうか聞いた。
7 岸は米国大使館の高官であるサム・バーガーに言った。若くて地位の低い、日本で知られていない人間を、連絡役にするのがベストだと。
お鉢は、CIAのクライド・マカヴォイに回った。マカヴォイは沖縄戦の経験者で、フリーで新聞記者の仕事をしていた。クライドが来日してすぐ、バーガーは彼を岸に紹介した。
これによりCIAの外国政治指導者と
の関係のなかでより強固なもののひとつが生まれることになった。 こんなやり方は英国に教育された事だろ。
最初から欧州王族によるアジア戦略の駒だからCIA協力者としても利用した。 恥ずべき一族の歴史が、残念ながら日本国家の歴史と一部重なる
その事を知った人間から、やったっていいんだよ 敗戦してGHQが乗り込んだ時に政治家のメンツも全部入れ替えりゃよかったんだ
全員戦犯みたいなもんだろ
中途半端なんだよ改革が
中途半端だったから朝鮮戦争でGHQが引き上げたあとすぐ岸や昔の面々がまた悪巧みした
それが戦後延々と続いて今またその孫が今度はあの太平洋戦争を正当化しようとしてる
根絶やしにしないから70年もたってからまた悪の芽がしぶとく出てくる
中途半端だった
だから70年たっても何一つ変わらない
国民の命を虫けらとしか扱わない
ヤバいことはしらばっくれる
すきあらば明治の強権国家にしようと悪党どもが跋扈する >>53
そうそう!だから昭和天皇に名指しで嫌われてた長州田布施の松岡洋右が、戦死してないのに何故か靖国に神として祀り上げられ
天皇にすら頭を下げさせようとしたので、昭和天皇は参拝を拒否された
新興カルト「長州(朝鮮)招魂社」靖国を国教にまでしようとしてるのが長州山口田布施システムでウハウハな連中!
「A級岸信介の縁戚、A級戦犯松岡洋右らを長州田布施の人間だからと天皇陛下に頭下げさせる為の合祀を強行した不敬の極みカルト新興宗教施設が長州招魂社靖国!」
靖国は賊軍長州のカルト新興宗教、朝鮮由来の長州招魂社!
しかも昭和天皇が名指しで嫌った、ヒトラームッソリーニと日独伊三国同盟結んだ長州田布施の松岡洋右らA級戦犯まで神に祀り上げて天皇陛下に頭下げさせるわ
宮司が天皇陛下批判しまくりの不敬の極みカルトだからな!
東京大学4年生「靖国参拝は周辺国の反対以前に公人として参拝するのは政教分離の原則で認められない」
>靖国神社って長州神社やん
>招魂なんて文化はもともと日本に無い
新興宗教カルト靖国(長州招魂社)!
166:靖国神社は神社ではない
明治維新の戦没者追悼施設を薩摩が作ったら
それに対抗して長州も作ったんだが完成したのはなぜか朝鮮の招魂社だった
その東京招魂社が改名したものが靖国神社
4 :靖国神社がパチモン神社だってどんだけの奴が知ってる?
山口県の桜山招魂場の東京別院がルーツの長州神社で、ベースが朝鮮道教なのに
日本の神道では厳禁されてる死者の招魂をやる禍々しい存在
靖国神社の前身は「東京招魂場」で山口県の桜山招魂場の東京別院、所謂「長州神社」で朝鮮道教の影響を強く受けていて、日本の神道では厳禁されてる死者の招魂を行うエセ神社
天満宮、東照宮は鎮魂や家康を祀りあげてるだけで、靖国神社とは性格が全く違う
櫻井よしこがKCIAのスパイと発覚したように靖国神社の背景にも朝鮮が色濃くある。。。
606:招魂は朝鮮式葬礼儀礼。
韓国では「招魂」とは魂を呼ぶ民間意識のことを云うそうです。
418 :じつはな、「靖国は満州朝鮮つまり女真(女直)族カルトだ」 !
靖国神社の前身は長州の「招魂社」だ。
「招魂」とは神道ではなく、朝鮮朱子学の葬礼儀式だ。死人の魂をこの世に留めて守り神のような「鬼」として使役するための儀式だ。
「招魂 朱子学 朝鮮」で、ぐぐれ!
「死して護国の鬼になる」と言うだろ。
これが「招魂」の効果だよ。
因みに平安以降日本では死んだ人を招魂することは禁忌だった。
日本の陰陽道としての招魂は生者に対してのみ行う術であり、死者に対して行うことは 禁止されていた。禁を破った者は罰せられた
773 :戦犯の孫の安倍と岸は朝鮮式カルト招魂神社じゃなくてサイパンへ慰霊に行けよ >>66
スレ立てしたのとグルもしくは本人なんじゃまいか?
準備してなきゃ貼れんしな。
怪文書ウザい。
つかニュースじゃないじゃん、コレ。
それなりに面白いけど。 テロ起こせる人がいない
コピペで遊んでる人しかいない 戦前の罪を子供に背負わせようとするマスゴミと
戦後の罪を無視してのさばってる親子の河野一家については特集しないマスゴミ >>61
夏にチャンネルnecoで放送してて初めて観たんですよ。
太平洋戦争を描いた作品はよくあるけど、太平洋戦争以前を描いた作品はあまり記憶に無くて新鮮でした。
来週も放送予定。 町井久之(本名は鄭建永)は白河の次に六本木をてがけた。
六本木にあった複合ビル、TSK・CCCターミナルビルは暴力団「東声会」のトップとして知られ、レジャー開発などを手がける「東亜相互企業」を経営する在日韓国人の町井久之(本名は鄭建永)により、
1966年に完成し町井の自宅がおかれていた「東亜マンション」と同じ敷地内に「現代人の憩いと対話の場所を実現するため」として建設され、1973年7月11日にオープンした。
建設資金は、東亜相互企業が韓国外換銀行の支払い保証約60億円の信用保証を受け、
日本不動産銀行(後の日本債券信用銀行、現在のあおぞら銀行)より約54億の借款を受けることにより調達した(その内の21億円が建設関連費に回され、
33億円を那須高原・白河高原の総合開発事業につぎ込んだ)が、最終的に建設費は建設会社に払われないままであったと伝えられている。
なおTSK・CCCは、町井が自らの生業としていた「東声会」などの非合法活動から決別し、
「東亜相互企業会長」という「表の社会の成功者」として振る舞うことを演出することを主な目的として建設されたこともあり(フロント企業)、
東声会構成員は、TSK・CCCのオフィス棟に置かれていた東亜相互企業とそのグループ企業のオフィスに出入りすることが固く禁じられていた。
「Celebrity Choice Club」
元暴力団関係者が経営しているにもかかわらず、オープニングレセプションは読売新聞社の渡辺恒雄(その後同社会長)が
運営委員を務め、司会は後に参議院議員となる女優の山口淑子が務めた。
さらにゲストとして
町井の後見人の児玉誉士夫と親しい岸信介元首相や園田直衆議院議員などの政界人や、岡田茂三越会長などの財界人、
三田佳子などの芸能人から各国の特命全権大使までが駆けつけた。
また、デビ夫人が店をだしていたこともある。 >>80
ある程度まえから見る話なんだけどコピペ連投してからは無言で去るんじゃ
そりゃ怪文書よばわりされるよ >>56
そのとおり!
「吉田松陰が征韓論を松下村塾で若者らに洗脳したせいで塾生山縣有朋らが遺言としてその侵略構想朝鮮併合を決行し、そのせいで今やネトウヨが逆恨みする在日が日本に大勢存在する結果になった」 そのカネで広告会社作って自民党の派閥を一つ買った、ってのが「羊をめぐる冒険」の冒頭での岸相当の人物に対する説明だよな 虎ノ門事件
虎ノ門事件(とらのもんじけん)は、1923年(大正12年)12月27日、日本の東京市麹町区[1]虎ノ門外において、皇太子・摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)が無政府主義者の難波大助から狙撃を受けた暗殺未遂事件である
難波大助の父で衆議院議員の難波作之進(庚申倶楽部所属)は事件の報を受けるや直ちに辞表を提出し、
閉門の様式に従って自宅の門を青竹で結び家の一室に蟄居し、食事も充分に摂らなかった。
作之進は1925年(大正14年)5月に死亡した[8]。大助の長兄(正太郎)は勤めていた鉱業会社を退職し、
家族以下蟄居生活を続けた[8]。
難波作之進の死により、選挙地盤は松岡洋右が引き継ぐこととなり、さらに戦後は岸信介や佐藤栄作という大物保守系政治家に引き継がれ、昭和史を動かす遠因となった。 櫻井よしこの父親はベトナムで米やジュートの戦争特需で財を成した児玉機関エージェント。
戦時中に、日本はベトナムで大量のコメを買い上げ、ベトナムでは餓死者が200万人でた。
1945年ベトナム飢饉と呼ばれる。
櫻井の親も買付した可能性が高い。
参考
1945年ベトナム飢饉(せんきゅうひゃくよんじゅうごねんベトナムききん)は、1944年10月から1945年5月にかけて、ベトナム北部で発生した大規模な飢饉。40万人から200万人が餓死したといわれている。
櫻井は父親が愛人と経営するハワイの日本食レストランを手伝いながら、ハワイ大学卒業。
敗戦後にベトナムからハワイにでてレストランを構えた経緯は不明確だ。普通の日本人では外貨が手に入らず不可能だった。
1971年から1974年までカルト英字新聞『クリスチャン・サイエンス・モニター』東京支局勤務。
オーストラリア人と結婚するが、離婚。
経歴は本人著の「何があっても大丈夫」参照のこと。
クリスチャン・サイエンス・モニター(The Christian Science Monitor、略称:CSM)はアメリカ・ボストンを本拠とする国際的なオンライン新聞。
キリスト教系新宗教団体クリスチャン・サイエンスの創始者メリー・ベーカー・
エディ (Mary Baker Eddy) に
よって1908年に創刊された。世界基督教統一神霊協会系出版社である世界日報社と提携している。
クリスチャンサイエンスモニターのサイトには、
※世界日報社は
米紙クリスチャン・サイエンス・モニターと提携しています。
と大書してあり、さらに何故か「韓国速報」という謎のタブがある。 >>35
朝鮮人には何も誇る歴史や文化がないから日本を乗っ取ろうとしてるだけ。
排除しなくちゃね 実に信じ難いが、
日本の明治以降の支配層は、建州女直つまり満州族系朝鮮人の帰化人なんだよ。
彼らはモンゴルと女直の混血だ。だから背は高い。
高麗はモンゴルの属国で代々、王子はモンゴル宮廷に人質に出され、成人しても王妃はモンゴルからきている。
李氏朝鮮は、モンゴル名をもつ女直系の李成桂が建国。
李成桂の父子春は、高麗を東北方面からおさえるモンゴル勢力の拠点であった永興の双城総管府につかえ、千戸(千人隊長)だった。
つまり、高麗以降の朝鮮人は基本的には、モンゴルと女直系の混血。
そして、女直は17世紀に満州と改称した。
で、こいつら一部は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で捕虜になり、日本に来て医者や窯元になった。
その一部は薩摩長州で帰化し下級武士になって、子孫がイギリスの手先になり明治維新を起こした。
そして、維新後には、故地の半島を併合しすらに満州まで自分らの領土だと思って満州まで領土拡大した。これが大日本帝国。
清になっても八旗に入らなかった辺境に残った野人女直が今もロシアやモンゴルにいるエヴェンキ族。
モンゴル臣下になったのは建州女直・満州族でつまり李氏朝鮮。
これが事実だ。
安倍やら電通やら長州閥ひいては満州閥の使い魔のネトウヨが「朝鮮人エヴェンキ説」を執拗に唱えるのは真実を日本人から誤魔化すため。 専売制にして段階的に中毒者を減らす方針だったのだよ
台湾ではそれが成功したが、満州では時間が足りなかっただけ
利益は満州国政府に入り国家予算に編入された
私利私益に走っていたのは馬賊上がりの張作霖政府
岸信介がアヘンで私服を肥したかのような記事は、中共の工作活動を疑ったほうがいい 二・二六事件の第一目的は、東北の飢饉と世界恐慌による身売りや家族心中が横行したこと、それと満州への戦線拡大、外地(朝鮮・台湾)等への過剰な国費投入
を推し進めた統制派の辻、東條、永田を更迭(又は暗殺)して戦争を回避することだった。
皇道派青年将校の目的は陸軍、海軍、憲兵にも共感するものが多くいたし近衛兵も 参加しているが、当初から軍事クーデターとして成立してない。
当事者である青年将校が政治機構を掌握する意志を放棄していたからだ。
武力で奪取した明治維新に倣い国家最高権威の奪取を軍事目標としてれば 軍事クーデターとして成立したが、本人達には全くクーデターの自覚がなかった。
(皇道派の意図は内政第一で戦争の回避)
「蹶起の第一の理由は、第一師団の満洲移駐、第二は当時陸軍の中央幕僚た ちが考えていた北支那への侵略だ。これは当然戦争になる。もとより生還は
期し難い。とりわけ彼らは勇敢かつ有能な第一線の指揮官なのだ。大部分は 戦死してしまうだろう。だから満洲移駐の前に元凶を斃す。そして北支那へ
は絶対手をつけさせない。今は外国と事を構える時期ではない。国政を改革 し、国民生活の安定を図る。これが彼らの蹶起の動機であった」と菅波三郎 は断定している。
「皇道派の中国での戦争反対姿勢」
1935年12月ごろ、ある青年将校は山口大尉に「我々第一師団は来年の三月
には北満へ派遣されるんです。防波堤の我々が東京を空にしたら、侵略派の
連中が何を仕出かすか知れたものじゃありません。内閣がこう弱体では統制派の思う壷にまた戦争です。
我々は今戦争しちゃ駄目だというんです」と述べている。 >>92
脅迫して米買ったの?
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