0001ボラえもん ★
2021/09/27(月) 18:30:52.33ID:Z2vnrSuz9それをゲームの「コンプガチャ」(ゲーム内で使用するアイテムをくじ引きのような仕組みで当てること)に唱えた言葉だが、
ワイドショーのコメンテーターらが「親になってから親のありがたみがわかった」などと、ありきたりな説教をする場面も見られる。
「親ガチャ」という言葉に秘められた個々人の悲哀は、成功した芸能人・知識人には届いていないようにもみえる。(フリーライター ヒオカ)
■「親ガチャ」を訴えるのは単なるわがままなのか?
ワイドショーやネットニュースで「親ガチャ」のニュースを見るたび、もどかしい思いに駆られる。
たとえば、9月9日放送の『バラいろダンディ』(TOKYO MX)では、タレントやアナウンサーらが
「嫌な言葉ですね。親ガチャってワードがまず嫌だな。親はショックだよね」
「親ガチャとか言っている学生たちは、自分が親になったときに後悔すると思う」などというようなコメントをしたという。
9月16日放送の『スッキリ』(日本テレビ系)では、こちらも司会やタレントが親がどうこうではなく「結局は自分次第」という論調でまとめた。
ワイドショーでこの問題は、前提が共有されておらず、議論が宙に浮いているように思えた。
そして、この議論の前提にされない、可視化されない人たちのことを、どうしても伝えたくなった。
(中略)
■「親ガチャ」は格差問題に対する若者からの訴え
人生の成果は、ベース×本人の努力だろう。
ベースを細分化すれば親の所得や生まれ育った環境、資質や文化的資本などがそれにあたる。
「親ガチャ」という言葉はベースだけで結果が決まるというニュアンスが強かったため、反感もあったのではないかと推察する。
たとえば若くして成功した実業家が、結果が出たのは実家が太かったからだろ、と言われたらムッとするだろう。
そこには本人の努力もあったはずだ。しかし、そこで本人の努力次第だと言い切ってしまえば、結局自己責任論や根性論になってしまう。
私が思うのは、自分の置かれた状況や抱えている問題が、個人の問題ではなく、社会的要因のある社会問題だ、と気づくことの方が難しくなおかつ重要である、ということだ。
(続きはソースにて)
https://diamond.jp/articles/-/282871