ナショナル ジオグラフィック2021.10.08
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/21/100400481/
1869年から1914年の間に収集された60以上のハシジロキツツキの標本。米ハーバード大学が所蔵する世界最大のアーカイブだ。ハシジロキツツキは、主に無秩序な伐採によって絶滅した。(PHOTOGRAPH BY JOEL SARTORE)

 かつて米国やキューバの森に生息していたハシジロキツツキ。「神のみぞ知る鳥」と呼ばれ、十数年前には米国で大論争を引き起こした幻の鳥だが、このほどついに絶滅との判断が下された。

 この鳥が米国内で確実に目撃されたのは、1944年のルイジアナ州の事例が最後。以降、確実な目撃情報がないまま数十年が経過し、ほとんどの鳥類学者はこの鳥が絶滅したと考えてきた。9月29日、米国魚類野生生物局は、ハシジロキツツキを含む22種の動物と1種の植物を絶滅したとみなし、絶滅危惧種法の対象リストから削除する意向を発表した。

 今回リストから外れた生物には、オハイオ州の小川だけに生息していた小さな魚や、ハワイの熱帯雨林の鳥なども含まれている。いずれも生物多様性の重大な喪失にちがいないが、これまで最も大きな注目を集めてきた種は、まぎれもなくハシジロキツツキだ。

 1944年以降、まともな目撃情報がなかったにもかかわらず、熱烈なバードウォッチャーたちはこの鳥がまだいるとの希望を捨てることなく、テキサス州からフロリダ州まで、南部の低地をひたすら探してきた。目撃情報は頻繁に寄せられていたが、どれも確定的なものではなかった(エボシクマゲラというよく似た鳥がいるため、探索は困難を極めた)。

 大きな転機が訪れたのは2005年のこと。アーカンソー州の国立野生生物保護区が報告した7件の目撃情報と、ある不鮮明な4秒間の目撃映像に基づき、権威ある米コーネル大学鳥類学研究所の研究者チームが、ハシジロキツツキは絶滅していないという見解を科学的事実として認めたのだ。この驚くべき再発見は、すぐに「今世紀を代表する自然保護の物語」と呼ばれるようになった。

 知らせを聞いて、多くの人が涙を流した。この奇跡のような出来事を、人類による破壊から回復できるという希望の物語として受け止めたのだ。

 とはいえ、この発表の当初から、懐疑的な意見は少なくなかった。ハシジロキツツキが生息するには、大きな木(特に大きな枯れ木)が豊富にある広大な原生林が必要であることを、歴史的な記録は示している。ところが、アーカンソー州で最初に目撃があったのは、マクドナルドやガソリンスタンド、モーテルなどがひしめく高速道路のジャンクションからほんの5キロほどの、周囲を農地に囲まれた小さな湿地沿いの、比較的狭い森の中だった。

 そもそも、ハシジロキツツキはそれまで60年間どこにいたのだろうか? なぜ、この鳥の確実な目撃情報や写真、映像は一度も出てこなかったのか? 復活を信じる人々の中から、信じるに値する答えが出てくることはなかった。

ハシジロキツツキ狂騒曲
 2005年、ナショナル ジオグラフィック誌の編集者から私(著者のメル・ホワイト氏)の元にメールが届いた。私の自宅から約100キロのところで「失われた種」が見つかったことを喜んでいるかとの問いに、私はこう答えた。「なあ。ここにハシジロキツツキはいないよ。全て大きな間違いだ」

 ハシジロキツツキ狂騒曲真っ只中でのこの発言は、編集者を驚かせた。間もなく、私はナショナル ジオグラフィック誌にハシジロキツツキについての記事を書くことになった。

 私は、アーカンソー州在住の長年の鳥類愛好家であり、ハシジロキツツキを捜索するチームの一員でもあった。2004年には、リトルロックで開催された秘密の会議に招待された。そこでは、コーネル大学やネイチャー・コンサーバンシーなどの代表者が、ハシジロキツツキを探す計画や、目撃情報が発表された際に避けられない世間からの注目、熱狂的なバードウォッチャーが殺到した場合の対応策などを検討していた。

 ナショナル ジオグラフィック誌の仕事が決まると、科学者、政府関係者、ボランティアの捜索者、鳥類同定の専門家など、議論の両サイドにいる何十人もの人にインタビューを行った。ハシジロキツツキの生存について、最初から懐疑的だった私だが、証拠とされるものについて話を聞いた後は、無神論者のごとく全く信じなくなった。

 生存を信じている人と懐疑論者の対立は激化していった。米国で最も尊敬されている野鳥観察者の一人、ケン・カウフマン氏は、ハシジロキツツキが映っているとされる例の4秒間の映像を見て、上向きの角度で飛び去るエボシクマゲラに見えると判断した(以下リンク先で)。