【気候変動】岸田首相、COP26首脳会合に出席へ 外務省「欠席すれば日本が温暖化対策を軽視していると思われる」 [ボラえもん★]
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岸田首相が、今月31日から英国北部グラスゴーで開催される国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)に出席する方向で調整していることがわかった。
実現すれば、首相就任後、初めての外遊となる。
首相は首脳級会合への参加やジョンソン英首相との会談を模索している。
31日の衆院選投開票直後の出発を検討しており、英国滞在は短時間となる見通しだ。衆院選の結果によっては、訪英を取りやめる可能性もある。
COP26は首脳級会合が1〜2日に行われ、オンラインでの出席や代理出席は認められないという。
外務省幹部は「欠席すれば、日本が温暖化対策を軽視していると見られかねない」と話している。
磯崎仁彦官房副長官は22日の記者会見で、「脱炭素社会の実現に向けて国際社会をリードしたい」と述べた。
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20211022-OYT1T50218/ オンラインで出席するとか言ってなかったか?
結局オンラインは認められなかったわけだ バイデン一人ぼっちにする訳にいかないからだろうなーw こんなのネット会議で十分だろジェット燃料使うな基地外 飼い主のバイデンが出席するのに行かないわけにはいかんだろ 阿蘇山大噴火のエネルギーをすべて電気に変換できないのかね。 リモートを認めないのはグローバルスタンダードであったか >>6
オンラインでもいいが軽視してると思われるから まだバラマキがやりたいんだね
さすが、マヌケ外交で定評ある自民党の首相だ、アベのマヌケをしっかり継承してる 立憲民主党が比例票1位なの草
タダッピ効きすぎやな ちゃんと仕事してれば今回は議席減らしても立憲の支持者が自然減少してるから安泰だろうな 出席するのはいいが
何話すのか
多分追求されるから
どう切り返すのかは考えてるんだろうな 「他人に悪く思われたくない」人は、自分の人生を生きていない。
かけがえの無い自分の人生なのに、自分のものになっていない。
「嫌われる勇気」が必要。 首相には角さんの様に時には決断と実行が必要なのさ 岸田鳩はひのき舞台でのチャンスは掴め
心配無用、支持率が上がっても下がることは絶対にない 温暖化詐欺と知りつつも同調しなくてはいけないマネー主義の悪夢。 温暖化なんて対策出来るものでは無いだろ
CO2減らしたところですずめの涙 >>18
オンライン参加自体、COPで認められてないのでは? 相手の顔色見るのが日本人だからなあ(国を動かすトップレベルは昔は違っていましたよw)
そして没落を加速する資質ですw 温暖化問題なんて、米中がいるんだから何の解決策もないね
なにかできると思ってる奴ってアホだろ 気候変動に右往左往する輩は
もし温暖化ではなく氷河期が
近づいてるとしたら何を言い出すんだろうか この会議のために市場の原油高を演出している可能性もあるけどなw >>1
経済や国民生活より””ガイジンのご機嫌””の方が大事なんだな 脱炭素はまやかしです 証拠も出てもうバレましたw
新しいテーマならまだいいですけど
もう数値的な検証やってもいいだろ?
あてつけノーベル賞がああったけど、その優れたシステムで検証しようよw
どこまでやればいいのかも含めてさw 数値が合わないからやらないんだろ
「検証しなければ、ごまかす必要もない」からな これは考えたなw 顔色伺うのもいいが
米中とEUが対立するのが見え見えの中
どういう立場を取るつもりなんだ
どちらにもいい顔はできない >>32
最初はオンラインか検討中と言ってたが
野党に「大事な会合に日本の代表は行かんのか」って煽られてた 温暖化のピークは超えて今は寒冷化に向かってるからな阿蘇山も噴火したし今年は寒くなるよ
温暖化対策なんて馬鹿馬鹿しい >>49
あ、ごめん訂正
文を呼んだらオンラインは拒否されたかもしれんな >>1
それはな野党の役目になりそうやな
お疲れ自民党さんw 高いエネルギーを強要するヨーロッパの姿勢には反対した方がいい
このままEV化や脱炭素してもエネルギー需給が逼迫するのは目に見えている
泥舟に皆んなで乗ろうとするのは愚かなこと
まずは次世代エネルギーの開発とリサイクル化や無駄を無くすエネルギー政策を奨励することで国際的な支持を取り付けることが重要だと思う 無脳の系譜
30年間の実績は大きい、沈むことはあれ浮かぶことはない、それが自民の実績 欧米のウソに付き合うなよ、碌なことにならない、ダイオキシン、オゾンホール、温暖化、毒注射 そう言えば選挙の開票に海外逃亡してたおばさん居たな アベ岸田だもんね
慰安婦や軍艦島、北方領土ぐらいの外交力はあるでしょ
TPPとかいっても、後でアメリカとFTAやってれは世話ないわけで、損するのは日本だけ 志位 正二(しい まさつぐ、1920年1月1日 - 1973年3月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。
終戦後シベリア抑留にあい、1948年4月にソ連諜報員となる誓約を行い[1]、モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」において
諜報員、共産主義革命のための特殊工作員としての訓練を受けたとされる[2]。
1948年11月、シベリアより復員[1]。
1951年10月以降、G2在職のままソ連国家保安委員会(KGB)にエージェントとして雇われる[3]。
1953年11月、外務省アジア局調査員となる[1] が、「二重スパイ」の活動は継続した[3]。
1954年2月5日、警視庁公安部に自首し、自身がソ連の工作員(スパイ)であったことを認めた[4]。
しかし罪には問われず、その後、1973年3月31日、シベリア上空を飛行中の日本航空のダグラス DC-8型機の機内で死去した[1]。
親族:
甥 志位和夫(現日本共産党中央委員会幹部会委員長) >>46
地球内部がどうなって燃えてるんだろうな
莫大なCO2排出してるんだろw >>1
え?
自公で過半数行くと思ってるの?
党も政府も危機感なさすぎw こうゆう提言を蹴って「選挙だから」と言えないのが岸田が無能と呼ばれる所以 石炭ガス発電で出たCO2は農業で利用出来るし国民生活にとっても大切な資源
排除の論理からは何も生まれない わざわざ31日に行かなくても挽回できる機会、いくらでもあるだろうに。。。
この判断が出来ないのが無能岸田 いや顔くらい出しておけよ
これに反対してるのはどこの反日企業なんだよ 欧米にケンカを売るのは得策でないから、出席することは仕方がないが
地球温暖化人為説に全面的に賛同しているわけでないことは、さりげなく
表明すべき。
日本のマスコミは欧米の市民団体の尻馬に乗った報道するだろうが、もう
そういう報道を国民も信用していない。 温暖化云々言うなら各国から1ヵ所に集まらずに最初からオンラインメインでやりゃ良いのに
軽視してると思われるってなんやねん 欠席しろよバカ。資源のない日本は石炭だろうが石油だろうが総合的にエネルギー確保するしかないだろ >>70
岸田が、最初は選挙があるからオンラインで出るとか言ってたんだよ 排出権取引なんてやってたら何も工業がない貧困国を工業化するだけのこと
結局儲かるのは金持ちや国際金融資本だけ 岸田、こいつバカか?
投開票日にいないなんて、帰ってきたら首相じゃなくなっとるぞ。 >>77
わざわざCOP26やG20の日程に投票日を設定したのは岸田だからなあ
選挙軽視だわな やってるふりだけしていれば実際にはやらなくてもいいよ COP欠席が温暖化対策軽視なら国会開かねーのは何軽視なの?国民軽視かただの給料泥棒か
どのみち帰ってきたら総理じゃなくなってるだろ 余計な事を。 ひとこと多い。 対策を重視しているからで良いものを・・・ CO2より酸素の供給量だろ
森林破壊を伴うナニは
本末転倒だなw 危機管理上問題があるとして泊りがけの選挙遊説をやめたこととどう整合性をつけるんだ岸田君 関東軍の専行
日本政府は、事件の翌19日に緊急閣議を開いた。南次郎陸軍大臣はこれを関東軍の自衛行為と強調したが、幣原喜重郎外務大臣(男爵)は関東軍の謀略との疑惑を表明、外交活動による解決を図ろうとした。
しかし、21日に林銑十郎中将の朝鮮軍が独断で越境し満洲に侵攻したため、現地における企業爆破事件であった柳条湖事件が国際的な事変に拡大した。
21日の閣議では「事変とみなす」ことに決し[注釈 13]、24日の閣議では「此上事変を拡大せしめざることに極力努むるの方針」を決した。林銑十郎は大命(宣戦の詔勅)を待たずに行動したことから「独断越境司令官」などと呼ばれた。
関東軍参謀は、関東軍司令官本庄繁を押し切り、政府の不拡大方針や、陸軍中央の局地解決方針を無視して、自衛のためと称して戦線を拡大する。
独断越境した朝鮮軍の増援を得て、管轄外の北部満洲に進出し、翌1932年(昭和7年)2月のハルビン占領によって、関東軍は中国東北部を制圧した[注釈 14]。
これ以降、関東軍は満洲問題について専行して国策を決定し実行するようになった
(陸軍戦闘教義における独断専行および文民統制問題)。
スティムソン談話
アメリカのスティムソン国務長官は幣原外務大臣に戦線不拡大を要求し、これを受けた幣原は、陸軍参謀総長金谷範三に電話で万里の長城や北京への侵攻を進めると英米との折衝が生じるため、戦線を奉天で止めるべきことを伝え、金谷陸軍総長はそれを承認した。
この電話会談での不拡大路線の意志決定を幣原は駐日大使フォーブスに伝え、錦州までは進出しない旨を伝え、フォーブスはそれを本国にいるスティムソン国務長官に伝え、スティムソンは戦線不拡大を記者会見で伝える(スティムソン談話)。
しかし、石原莞爾ら関東軍は錦州攻撃を開始してしまう。スティムソンはこれに激怒する一方、関東軍も、軍事作戦の漏洩に激怒する[注釈 15]。
錦州爆撃
1931年(昭和6年)10月8日、関東軍の爆撃機12機が、石原莞爾の作戦指導のもと、奉天を放棄した張学良が拠点を移していた遼寧省錦州を空襲した(錦州爆撃)。石原は偵察目的であったとしているが、各機に25kg爆弾を5,6個載せて出撃し計75個投下している。南次郎陸軍大臣は、若槻禮次郎首相に「中国軍の対空砲火を受けたため、止むを得ず取った自衛行為」と報告した。
関東軍は「張学良は錦州に多数の兵力を集結させており、放置すれば日本の権益が侵害される恐れが強い。満蒙問題を速やかに解決するため、錦州政権を駆逐する必要がある」と公式発表した。
国際法上は予防措置は自衛権の範囲であるが、のち国際連盟により派遣されたリットン調査団は自衛の範囲とは呼びがたいと結論した。
9月24日に日本政府は不拡大声明を出していたが、これによって、幣原の国際協調主義外交は国内外に指導力の欠如を露呈し大きなダメージを受けた。
中国の要請によって国際連盟理事会が1日早く10月13日から開催され、日本軍の鉄道付属地への撤兵に期限をつけた決議が提出されたが、日本一国の反対で否決された。
溥儀擁立
関東軍は、国際世論の批判を避けるため、あるいは陸軍中央からの支持を得るために、満洲全土の領土化ではなく、傀儡政権の樹立へと方針を早々に転換した。
事変勃発から4日目のことである。 飛行機飛ばすのは環境に悪影響だからってリモートで押し通せば良いのに 日独伊三国軍事同盟
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%8B%AC%E4%BC%8A%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%90%8C%E7%9B%9F
第一次交渉
1936年日独防共協定が締結された後、中華民国政府を援助する米英を牽制する目的で軍事同盟への発展を唱える動きがあった。
特に駐独大使大島浩、駐伊大使白鳥敏夫は熱心で、同盟案に参戦条項を盛り込むべきと主張し、独伊政府にも参戦の用意があると内談していた。
1938年7月に開催された五相会議(内閣総理大臣・陸軍大臣・海軍大臣・大蔵大臣・外務大臣の5閣僚) において同盟強化の方針が定まり、1939年3月の会議で決定された。
この時、平沼騏一郎首相が同盟強化案を昭和天皇に奏上しているが、参戦条項は盛り込まないこと、大島・白鳥両大使が暴走すれば解任することなどを確認している[10]。
しかしドイツは参戦条項を盛り込むべきと要求。
これに陸軍内部からも呼応する声が多く、陸軍大臣の板垣征四郎以下陸軍主流は同盟推進で動いた。
一方英米協調派が主流を占めた海軍には反対が多く、海軍大臣の米内光政以下、次官の山本五十六、軍務局長の井上成美は特に「条約反対三羽ガラス」と条約推進派(親独派)から呼ばれていた。
また軍令部総長として形の上では海軍の最高権威者だった伏見宮博恭王をはじめ、前海相の永野修身、元首相・海相の岡田啓介、さらに小沢治三郎、鈴木貫太郎など、
陸軍でも石原莞爾・辰巳栄一などが条約締結に反対していた。
その他内大臣の湯浅倉平、外相の有田八郎、蔵相の石渡荘太郎、元老の西園寺公望も反対派だった。
そもそも昭和天皇が参戦条項には反対しており、5月9日に参謀総長の閑院宮載仁親王が参戦条項を認めてもよいという進言を行った際には明確に拒否している[11]。 しかし5月に第一次ノモンハン事件が勃発し、その最中の8月27日に独ソ不可侵条約が締結されると平沼内閣は総辞職し、三国同盟論も一時頓挫した。平沼の後の阿部内閣と米内内閣では三国同盟案が重要な課題となることはなかった。
1940年になってフランスが敗北し、ドイツが俄然有利になると三国同盟の締結論が再び盛り上がってきた。陸軍では「バスに乗り遅れるな」という声が高まり、オランダ領インドネシアやマレー半島を確保しようする「南進論」の動きが高まった。
陸軍首脳は親英米派の米内内閣倒閣に動き、近衛文麿を首班とする第2次近衛内閣が成立した。
陸軍は独伊との政治的結束などを要求する「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」案を提出し、近衛もこれを承認した。
近衛内閣には外相として松岡洋右が入閣したが、松岡は日・独・ソ・伊4か国同盟を主張していた。
9月7日にはドイツから特使ハインリヒ・スターマーが来日し、松岡との交渉を始めた。スターマーはヨーロッパ戦線へのアメリカ参戦を阻止するためとして同盟締結を提案し、松岡も対米牽制のために同意した。
松岡は南進論を選んだ際にアメリカが対日戦を考える可能性は高く、同盟を結んでも阻止できる確率は「五分五分」と見ていたが、現在のままでは米英のいいなりになると主張、同盟締結を強硬に主張した。
近衛もほぼ同意見で、9月13日の四相会議、14日の大本営政府連絡会議、16日の閣議を経て同盟締結の方針が定まった[12]。
しかし一方で松岡は、条約が想定しているドイツ・アメリカ戦争について、日本が自動的に参戦することを避けようとしていた。松岡と自動参戦の明記を求めるスターマーの交渉の結果、条約本文ではなく交換公文において「第三条の対象となる攻撃かどうかは、三国で協議して決定する」こととなり、自動参戦条項は事実上空文化した[13]。及川海軍大臣も近衛・松岡・木戸らの説得により条約締結賛成にまわった。
及川が述べた賛成理由は「これ以上海軍が条約締結反対を唱え続けることは、もはや国内の情勢が許さない、ゆえに賛成する」という消極的なものだった。
また及川とともに松岡らの説得を受けた海軍次官の豊田貞次郎は、英独戦への参加義務や、米独戦への自動参戦義務もないことで、「平沼内閣時に海軍が反対した理由はことごとく解消したのであって、(三国同盟が)できたときの気持ちは、他に方法がないということだった」と回想している[14]。
9月15日に海軍首脳会議が開かれたが、阿部勝雄軍務局長が経過を報告し終わると、伏見宮軍令部総長が「ここまできたら仕方ないね」と発言、大角岑生軍事参議官が賛成を表明、それまで同盟に反対していた山本五十六連合艦隊司令長官は「条約が成立すれば米国と衝突するかも知れない。 現状では航空兵力が不足し、陸上攻撃機を二倍にしなければならない」と発言して会議は終わった[15]。
近衛首相から同盟締結の奏上を受けた昭和天皇は「今しばらく独ソの関係を見極めた上で締結しても遅くないのではないか」と危惧を表明したが、近衛は「(ドイツを)信頼致してしかるべし」と奉答した。
天皇は続いて「アメリカと事を構える場合に海軍はどうだろうか。 海軍大学の図上演習ではいつも対米戦争は負けると聞いた」と、戦争による敗北の懸念を伝えたが、近衛は日露戦争の際に伊藤博文首相が「万一敗北に至れば単身戦場に赴いて討ち死にする」と語ったことを引き合いに出し、及ばずながら誠心奉公すると回答した。
昭和天皇は調印三日前に木戸幸一内大臣に、三国同盟は「日英同盟の時のようにただ慶ぶというのでなく、万一情勢の推移によっては重大な危局に直面するのであるから、親しく賢所に参拝して報告するとともに、神様のご加護を祈りたい」と話したという[17]。 ※ 1940年(昭和15年)9月27日調印
9月19日の第三回御前会議で原嘉道枢密院議長は
「…本条約は米国を目標とする同盟条約で、これを公表することにより、米国の欧州戦線への参戦を阻止しようとする独伊の考えである。
米国は最近、英国に代り東亜の番人を以て任じ、日本に対し圧迫を加えているが、なお日本を独伊側に加入せしめないため、かなり手控えているだろう。
然るにこの条約発表により、日本の態度が明白となれば、日本に対する圧迫を強化し、極力蒋介石を援助して日本の事変遂行を妨ぐるだろうし、又、独伊に対し宣戦していない米国は、日本に対しても経済圧迫を加え、日本に対し石油、鉄を禁輸する共に、日本より物資を購入せず、長期にわたり日本を疲弊、戦争に堪えざるに至らしむる如く計るだろうと考える…」と質問した。
またヨーロッパ戦線にアメリカが参戦した際に日本が参戦しなければならないのかという議論もあったが、
松岡は手続き上の問題が残されていると言って押し切り、同盟締結は正式に決定された。
9月26日の枢密院では深井英五顧問官は「条約の前文には、万邦をしてその所を得しむとあるが、ヒットラーは嘗て『他の民族に対し弱肉強食は天地の公道なり』と揚言しており、思想観念が相反するではないか」と述べ、
石塚英蔵顧問官は「ドイツ国との条約は過去の経験上、十全を期し難し、政府は如何にして彼の誠意を期待し得るか」と警告し、
石井菊次郎は「由来、ドイツと結んで利益を受けた国はない。…ヒットラーも危険少なからぬ人物である。わが国と防共協定を結んでおきながら、それと明らかに矛盾する独ソ不可侵条約を結んだ…」と述べた。
しかし結果的には承認された。 ※ 1940年(昭和15年)9月27日 日独伊三国軍事同盟調印
1941年(昭和16年)12月8日 真珠湾攻撃
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%E6%94%BB%E6%92%83
日中戦争を戦っていた日本は米英など連合国との全面戦争に突入した。 集団スト-カ- gang stalkingを軽視してる時点で相手されないんじゃない?
いや世界は優しい >>2
そんなことはない
上級以外の日本国民の命も軽視してる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています