【考古学】馬が日本列島に入ってくる前に伝来か、ミニチュア馬形青銅器が壱岐で見つかる 魏志倭人伝の一支国 [ごまカンパチ★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20211030-OYTNT50062/
魏志倭人伝が伝える 一支いき 国の中心集落跡、原の辻遺跡(長崎県壱岐市、国特別史跡)で、馬形の青銅製ミニチュアが見つかった。
弥生時代後期(1世紀頃)に朝鮮半島から持ち込まれたとみられ、国内初の発見。
日本列島に馬が入ってきた古墳時代中期(5世紀)以前に、一支国の人々が馬の存在を知っていた可能性を示す資料だ。
馬形青銅器は、市教育委員会の2019年の発掘調査で出土した。長さ3・7センチ、高さ3・5センチ。頭部は欠けているが、たてがみや胴、脚の形から馬と分かる。
前脚部分に穴が開いており、ひもを通して装飾品として使っていたようだ。
長崎県埋蔵文化財センターの白石 渓冴けいご ・主任文化財保護主事によれば、韓国東南部の遺跡で出土した1世紀頃の青銅器に類例があり、海上交易でもたらされたとみられる。
日本列島にはもともと馬は生息せず、5世紀頃に大陸から持ち込まれたと考えられている。
韓国では紀元前1世紀頃には馬の飼育がうかがわれ、武末純一・福岡大名誉教授(考古学)は
「朝鮮半島では、馬の文化が中国から入る過程で、独自にアクセサリー用の小型品が作られ、大陸に近い一支国にいち早く渡ってきたのだろう」と評価している。
原の辻遺跡は船着き場の跡や、中国の鏡や貨幣、半島系の土器など、対外交流を示す遺構や遺物が多く出土している。 >>263
漢字のウマがメソポタミアの言葉だと言ってるんだろ >>276
馬は中国と関係なく日本にあるだろ
漢字の由来と関係ない
漢字とともに来たのは呼び方だけ
お前が勝手に漢字の話を始めたんだよ
じゃあ英語でhorseの会話にすればいい
言葉と実態の違いがわからないのは精神障害? >>285
トラもいたって説はあるね
秋吉台とかいろんなとこでトラの化石はみつかってる
大体のものはあるんでは 木曽馬って2世紀ぐらいに入ってきたって話を聞いたけどなぁ
実際は知らんけど
北海道以外の在来種ってほぼ同じ種なんでしょ。本州は木曽馬しかないけど 虎の化石なんて初めて知った
よく考えれば恐竜がいるんだからいてもおかしくないよなw
魏志倭人伝や渡来人を利用してる連中だけがキチガイなんだな 一関ではバイソンの化石も見つかってる
岩手サファリパークじゃないぞ >>247
小学館の漫画だと魏使は倭人に神輿みたいに担がれて移動してたと描かれてたな まだあるだろ?
いなきとか、はだせとか。
日本語ってフォーリンカントリーからの
ワードをメニーメニーくっ付ける
言語だから。 >>282
百済は盟友では無いぞ、属国だよ、その証拠に百済王子を人質として
日本が持っていた。 虎も日本にいないよな。
あんなのいたら、夜中歩けんよ。 片岡愛之助の解明!歴史捜査
2015年06月18日
21:00-22:00
戦国頂上決戦!長篠の合戦の真実! ※アンコール放送
木曽馬に92キロの鎧武者(人間62キロ+甲冑・武器30キロ)を乗せ100m走のタイムを計った。
結果は12秒。かなり速い。
木曽馬とアメリカ馬との混血は11秒後半。それほど変わらない。
それとは別にアメリカ馬よりも小回りが利くという実験結果も得られました。
また『雑兵物語』などを例に東西における戦い方の違いについても指摘。
関東武士は馬上戦をよくし、関西武士は馬から降りて戦うそうな。 >>290
そんなのは今から45年前に初版が発行された小学館の学習百科図鑑「大むかしの生物」にも載っている古い情報だぞ
お前はマジで昭和時代の日本国内で生まれ育ったとは思えないほどの情報弱者だな
それともお前は平成時代以降の生まれなのか? 家畜は文化だからね
イノシシが日本にいても豚は外国から来た、こういう表現は確かに可能だ
産業のひとつだからな
でもそれでイヌやネコを中国製品とか朝鮮動物とか考えるのは
あまりにもイビツ過ぎる思考法
イヌもネコも太古から日本にいるし世界中にいる
イヌなどは猟犬目的だから多分中国や朝鮮などという存在の前から日本にあるはず
証拠などは何もないが"そんな考え方する方が変"としか言いようがない 倭と百済は言葉も通じたのだから
山海経に載ってる紀元前4世紀ごろは同じ民族だったのだろ
釜山・対馬・福岡を行ったり来たりする海賊同然の倭と
中国との関係を強化したい文明国を目指した百済に分かれた
百済が半島での立場が弱くなると倭に従属した
ってのが自然な流れ >>299
いや平成以降はいっぱいいると思うけど...
どうしたんだ急に
35歳以上がそんなに多いのか >>302
そもそも今や40代以上しかいないのに5ちゃんに何しに来たんだ?
それにその学習百科図鑑は今から20年前まで増版を重ねてきたベストセラーだったぞ
少なくとも平成時代初期まではそのまま発行されていたぞ 理科嫌いだし広辞苑は広げても図鑑なんて見た事も無い 日鮮同祖論は噴飯物だけど
"倭人"というのは連中から見て海の蛮族全般を表すから
中国沿岸も朝鮮沿岸も日本も含まれるんだと思うよ
そこに文化圏があったのも事実
では朝鮮人が日本人なのかといったらそれは嘘
朝鮮や中国といったアイデンティティはそれら沿岸の勢力を追放することで出来た国家だから
どう捉えても別物
定義そのものが海洋民に対するアンチズムから来ているのだから
細かいレベルで遺伝的関連があろうとなかろうと民族として別物
それが農耕民族という存在だから
狩猟漁撈採集に対するアンチズムで生まれた文化 チョーセンチョーセン言ってろよ
2000年前なんてもう関係ねーよ >>313
中華は農耕国家
狩猟採集民族・農耕・遊牧民族はそれぞれ違う
昭和は間違った使い方で使われたのが痛いだけ
朝鮮は農耕民族だな
なぜか大陸系右翼が朝鮮を非農耕民族扱いして叩いてるけど
それは大陸系だから
非農耕民族は日本だからな 氷河期に日本と大陸は地続きだったからその時に大型哺乳類は日本に渡ってきた。鹿や熊、猪など。
昔はマンモスもいた。
馬はおそらく、後に来た。アメリカ大陸にも馬はいなかったから。インディアンが馬に乗ってるのも、西部劇による刷り込み。 >>315
殷は農耕だったけど周に征服されて牧畜文化が混ざった
稲作は長江で牧畜は黄河以北って感じがするけど
周は西から殷を滅ぼした >>1
> 韓国では紀元前1世紀頃には馬の飼育がうかがわれ、武末純一・福岡大名誉教授(考古学)は
> 「朝鮮半島では、馬の文化が中国から入る過程で、独自にアクセサリー用の小型品が作られ、大陸に近い一支国にいち早く渡ってきたのだろう」と評価している。
その頃の半島の大部分は漢だからな
「漢四群」てやつ >>317
漢族というのが元は反遊牧民だから
遊牧民のことを後年では騎馬民族と呼んでいる
狩猟採集民はツングースとか縄文人、これには漁撈民も含まれる
人口多数の農耕民の中原に対して
遊牧民のモンゴル匈奴系と狩猟採集民のツングースが敵対関係にある
農耕民は人口も多いし文明の中心を自認することが多い
実際は記録文化によるもので自地域の技術とは限らないのだが
それで小狡いという評価もしばしばある >>4
ほんとこれ
このレス否定してるのは在日だろうな 朝鮮半島南部が倭の領土であった事を認めない武末純一はダメだ。
お話しにならない。 >>315
そもそもは気候による分類
モンスーン・砂漠・牧場と >>322
全然違う
遊牧民というのが最強だからだよ
だから農耕民は彼らを蛮族と扱って忌避した >>323
全然違うじゃなくて
農耕民族の元ネタをたどると
哲学者の和辻哲郎が「風土」という著作の比較文化論で
>>114
気候による分類だった 倭と百済は通訳を介して会話が出来ていたから直接会話した訳じゃ無い
百済は倭の属国だから同一民族と言う事では無い。
百済の先祖は満州平原で暮らしていた扶余と呼ばれていたツングース系民族
その百済人が白村江の戦いの後に畿内に大量に移住してきた
詳しい事は福岡市南区の曰佐住吉神社の由緒板に書かれている >>244
ヒラマキウマはノウマじゃねーよ
ロバよりも遠くウマ亜科ですらない >>285
ヒョウはいなかったかも。
一応和名もあるらしいが(´・ω・`) >>325
だが、百済の民のかなりの割合は倭人、
つまり日本語話者だよ。
支配層が百済語(=高句麗系の言語)だ。
百済は多言語国家。 >>327
平牧馬はメリキップスの仲間と言われるが
ノウマの祖先種なのだからよいだろう
ウマ亜科だが
アジアの馬の進化は元々よくわかっていなくて
新種の可能性もあるもの
祖先種が絶滅してるのはそもそも当たり前の話なのに
ネアンデルタール人が現在にいないと存在したことまで否定されるのか こういう所で、匿名で
定説や学術雑誌の査読付き論文と
エラい違う自説をトクトクと述べてる人って
アホや >>277
明治維新まで日本語には短い肯定文句が存在しなかった
陸海軍創設時に「左様にござります」に代えて中国語の「ハイ」を導入したんだよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています