山口県光市出身の初代首相・伊藤博文(1841〜1909年)が明治政府で実権を握る契機となった明治十四年の政変をめぐり、伊藤が同じ長州出身の井上馨に宛てた書簡が、光市束荷の伊藤公資料館で初公開されている。政府内で対立していた肥前出身の参議・大隈重信の失脚に向け、策略をめぐらせていたことがうかがえる。(大野亮二)

 書簡は今年3月、兵庫県の史料収集家から同館に寄託された。1881年(明治14年)9月22日付で、「岩倉 具視ともみ 公は大隈翁の件で、時局収拾にあたることに問題ないようだ」といった趣旨のことが記されている。

 同館によると、参議だった伊藤が、明治天皇が巡幸している間に、京都で静養中の右大臣・岩倉具視を東京に呼び寄せ、大隈 罷免ひめん の同意を取り付けたうえで天皇に上奏する、という手順で秘策を練っていたことを示す史料という。

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https://www.yomiuri.co.jp/culture/20211122-OYT1T50112/
2021年11月22日 14時14分