東京新聞 2022年2月17日 06時00分

 東京都渋谷区幡ケ谷のバス停で路上生活者の大林三佐子さん=当時(64)=が頭を殴られて亡くなった事件から16日で1年3カ月。暗い路上で最期を迎えた大林さんは、学生時代には広島市の劇団に所属し、明るく太陽のような存在だった。当時を知る劇団主宰者の光藤博明さん(71)は「彼女はただの『ホームレス』ではなく、周囲に愛され夢を持った人生を送っていた」と死を悼む。
 東京・幡ケ谷の路上生活者傷害致死事件 2020年11月16日午前4時ごろ、東京都渋谷区幡ケ谷のバス停のベンチに座っていた路上生活者の大林三佐子さんが頭を殴られ、外傷性くも膜下出血で死亡した。ペットボトルと石が入ったポリ袋で大林さんを殴って死亡させたとして、近所の男が傷害致死容疑で逮捕、同罪で起訴された。
 「まあ、お嬢さま。どうなさいましたの。とんだ事件に巻き込まれましたのねえ。おかわいそうに…」
 MDに残る甲高く透き通った声。40年ほど前の大林さんの肉声だ。広島市で上演され、光藤さんが演出を手掛けた喜劇の一場面。大林さんは脇役の乳母役で出演し、舞台監督や振り付けも担当した。「意思が強く、独特な存在感があった」。劇の演出を2人で議論したこともあったという。
 広島市出身の大林さんは市内の女子短大に在学中の1977年春、劇団に入った。アナウンサーになる夢があり、養成教室にも通っていた。愛称は「ミッキー」「サンサコ」。ミッキーマウスがプリントされたTシャツをよく着ていた。
 週3回の練習のほか合宿にも参加し、就職後も稽古に足を運んだ。劇団のパンフレットには「自分の経験しない人生を送った人物になりきることは非常に困難であるけれど、少しでもその役に近づくことがひとつの大きな課題でもあり、新しい自分の糸口であると思います」とつづっていた。
 80年ごろに「東京に行く準備をする」と申し出た後、連絡が途絶えた。40年後の2020年11月、バス停で命を落とした。光藤さんは「笑顔のすてきな彼女がこんな亡くなり方をしたというギャップが衝撃で、ただ悲しかった」。結婚を機に上京していたことを最近になって聞いた。
 捜査関係者によると、大林さんは埼玉に弟がいるがほとんど付き合いはなく、5年前に電話したのが最後。東京で人材派遣会社に登録し、スーパーで試食販売などの仕事をしていた。16年ごろから杉並区のアパートの家賃を滞納し、翌年強制退去させられた。
 仕事を辞めた20年春ごろから、バス停のベンチで寝ている姿が目撃されていた。食料を提供されても受け取らなかったという。当時は独身で、親族の連絡先が書かれたメモを持っていたが、連絡した形跡はなかった。亡くなった時の所持金は8円。事件後、市民団体が「彼女は私だ」と貧困や差別に抗議するデモを行っている。
 「青い空と白い雲と赤いさくらんぼが大好き!いつもフレッシュでいたい今です。ミッキー」。大林さんの劇団パンフレットのメッセージはこうしめくくられている。光藤さんは「弱音を吐かず、気遣いができる人だから迷惑を掛けたくなかったのかもしれない。誰か頼れる人がいなかったのか」とつぶやいた。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/160595
40年ほど前、劇団の仲間と笑顔で写真に収まる大林三佐子さん=写真はすべて光藤博明さん提供
https://i.imgur.com/YRQjInj.jpg