あぶくま抄
無名の警察官の死(2月26日)
2022/02/26 09:05

 「村上嘉茂左衛門[かもざえもん]」の名を知っているだろうか。警視庁の巡査部長で、一九三六(昭和十一)年、「二・二六事件」の現場に居合わせ、悲劇的な死を遂げた。木幡村(現・二本松市)出身と伝わる。四十六歳だった
▼この日未明、陸軍の青年将校が率いる約千五百人の下士官と兵が、東京の政府施設や要人の私邸などを襲撃した。蔵相・高橋是清、内大臣・斎藤実、教育総監・渡辺錠太郎らが凶弾に倒れた。首相の岡田啓介は奇跡的に難を逃れたが、官邸では、村上ら無名の警察官四人も殺害された
▼「岡田啓介回顧録」(中公文庫)には「大きな椅子を持ちだして、これをたてに(略)ピストルで応射したが、たちまち撃ち殺されてしまった」とある。重武装の兵士との果敢な戦いぶりがうかがえるものの、あまりのいたましさに言葉を失う。岡田はその死を惜しみ、位牌[いはい]を自宅に祭り続けたという
▼当時の本紙は「どんなことになるか分からないから覚悟しておれ」と、日頃から家族を戒めていたと報じている。事件を振り返る季節が巡ってきたのに、彼の覚悟と行動が注目されることはまずない。せめて、古里の記憶の中にだけでも、とどめられたらと願う。

https://www.minpo.jp/news/moredetail/2022022694751