【日帝史】太平洋戦争の緒戦において日本軍はなぜビルマを攻略したのか? [上級国民★]
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ビルマ中部のエナンジョンで、油田を占拠中の第33師団の兵士。日本が戦争に踏み切った最大の理由は、石油輸入相手のアメリカが、日本向けの石油輸出をストップしたから。そのため油田確保は、至上命令だった。
太平洋戦争の緒戦において日本軍はなぜビルマを攻略したのか?
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20220315-00018599-rekishin-life
「牟田口廉也(むたぐちれんや)だけは許せない!」
普段はとても温厚な祖父だったが、話がビルマ(現ミャンマー)戦線やインパール作戦のことに及ぶと、驚くほど語気を強め、こう語ったことを思い出す。
中略
すでに故人となってしまったが、陽一さんの祖父・正一郎(仮名)さんは、戦時中にビルマ方面に出征していたのだという。
正一郎さんは昭和16年(1941)12月3日、近衛輜重兵(しちょうへい)連隊補充隊に応召された。同日付で独立自動車第101大隊第3中隊に編入される。
間もなく日本はアメリカ、イギリスと戦闘状態に入った(オランダに対する宣戦布告は少し後であった)。正一郎さんは12月23日、広島の宇品港を出港。同日、部隊は第15軍隷下(れいか)となった。そして昭和17年(1942)1月13日にバンコクの港に入港する。
正一郎さんが乗った船がバンコクに到着する前、飯田祥二郎(いいだしょうじろう)中将に率いられた第15軍主力(基幹は第33師団と第55師団)は、開戦後すぐにタイ王国に平和進駐していた。
この地域での日本軍は、まさに破竹の勢いだった。山下奉文(やましたともゆき)中将が率いる第25軍(基幹は近衛・第5・第18師団)が、アジアにおけるイギリスの牙城であるシンガポールを目指し、マレー半島を南下。各地で戦闘を重ねつつ1000kmの道のりを踏破し、昭和17年1月31日にはマレー半島最南端のジョホール水道に到達する。そして2月15日には、シンガポールも攻略し、マレー半島を支配下に置いた。
一方、当初の大本営の作戦構想では、ビルマへの侵攻は大きなウエイトを占めていなかった。ビルマ作戦は第15軍が担当することになっていたので、昭和16年12月14日に隷下の第55師団がビルマ最南端のヴィクトリアポイント(現コートーン)を攻略。そして1月20日になると、第15軍主力がタイ・ビルマの国共を越える。1月末には第三の都市モールメン(現モーラミャイン)を占領。2月初旬には第33師団がパアーンを陥落した。
こうして1月上旬に策定した計画通り、第15軍は順調に南部ビルマへ進撃。その先、首都ラングーンへ進むには、兵力や補給の問題があるので、さすがに時間がかかると思われた。ところがマレー方面の戦況が順調に推移したため、戦力に余裕が生まれた。それにより、上部組織である南方軍の姿勢が積極的なものに変化したのである。
タイとビルマの国境付近には、標高2000m級の山脈が約100kmにわたり行く手を遮っている。まともな道もない山岳地帯を、日本の設営隊は自動車が通れる道を建設しながら、約1カ月かけて進んだ。正一郎さんはトラックの運転と整備が主な任務であったので、細心の注意を払いつつ、出来たばかりの道にトラックを走らせて北上したと思われる。
日本軍を迎え撃つビルマのイギリス軍は約3万。そこへ新たに第17師団を編成し、シッタン川の防衛に当たらせていた。加えて約10万の中国軍が援軍として布陣。日本軍は最初に第17師団と遭遇するが、英軍は橋を破壊して後退してしまう。川を渡ると英戦車部隊との交戦に突入。日本軍の戦車や山砲は英軍戦車には歯が立たないため、夜襲と肉弾戦法でこれを退けてしまう。
そして3月8日にはラングーン市を陥落させてしまい、飯田司令官が入城する。英国のビルマ総督レジナルド・ドーマン=スミスが、すぐに中部の避暑地であるメイミョー(現ピンウールイン)に逃れてしまったのも、ラングーンが簡単に陥落した要因となった。
一方、日本軍側はマレー作戦が早々に終了したため、シンガポールから第18師団と第56師団が第15軍の戦闘序列に加わった。第18師団は、もともとは中国戦線に派遣されていた精鋭だが、昭和16年11月に第25軍に編入され、マレー作戦に従事していたのである。この師団の師団長は、後にインパール作戦を強行する牟田口廉也中将であった。
こうして勢力を増した日本軍は、4月17日に中部油田地帯のエナンジョンを占領。5月1日にはマンダレーも陥落させる。そして中国国境に近いミートキーナ(現ミッチーナ)やバーモといった辺境の拠点も抑えたため、ビルマにあった中国の蒋介石に対する補給路「援蒋ルート」の遮断に成功。日本軍は当初の予定を遥かに上回る、華々しい戦果を挙げたのであった。
野田 伊豆守 じゃあなぜナチスドイツはポーランドを攻略したんだよ ヘ
ッ
ド
ラ
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ガ
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ね
ボ
ケ
クソヤロウ>>1 でも戦前にアメリカ、中国、ソ連、イギリス、フランスと同時に争ってでもほしかった東南アジアやASEANのブロック経済圏
TPPであっさり手に入れたぞ、おまけに反米の中南米までセットなうえ、イギリスの参謀までついてきている 戦前と比べると、没落日本もまだまだ当時よりかなりいい状況にあることがわかる
ようは今からすぐにでも
〇首都機能移転
〇出生率対策
〇移民政策
これをうてば、まだなんとかなるということ
過去米中ソ連と同時に争ってでもほしかたTPPのブロック経済圏を、今回の日本は持ってるんだから >>10
戦前と比べるとマシやろ(´・ω・`)
バブル崩壊のショックで少子化して中高年がしょげて節約ばかりしているクソな状態になってるだけだ 凄いよな
橋を作ったり、滑走路を作ったり、山道作ったりとか本当に異常な精神力だと思う
自分かこんな人達の子孫なのかと日々疑う
祖父は樺太にいたみたいだな 油田もとったし援蒋ルートも遮断したし
インド国民軍も発足させたし
戦略としてはいいじゃんか
戦術は馬鹿だったみたいだが 八紘一宇 知らんの? アジアは欧米の植民地だったのだよ ▼人肉で商売をする京都兵
弓(宇都宮33師団)の小倉軍曹と安(京都53師団)の兵隊の会話(シンゲルにて)
弓・小倉「いくらだ」
安・兵隊「百円でどうだす」
弓・小倉「百円だと」
安・兵隊「本物のぎゅうでっせ(←本当は日本兵の死体から切り取った人肉)、高うはおまへんやろ」
弓・小倉「ばかやろう!こんな臭い、腐った肉(←人肉)を持ってきやがって。それを百円で売る。貴様それでも兵隊か」
安・兵隊「そらあんた、ただあげるいうわけにはいかん。あてらも何とかして米も買わんならん、金持っていかにゃ売ってくれんさかい」
弓・小倉「何を言いやがる、これだけの肉を百円だ。兵隊に売つけてどうすっか」
安・兵隊「いらにゃ売らん。あんたかてのうて困るやろ思うたんや」
弓・小倉「このやろう」
小倉軍曹はいきなり殴りつけた。兵隊は悲鳴をあげて逃げ去った
弓・小倉「とんでもない兵隊だ。戦をさせりゃあ、すぐ逃げるくせに、戦線にいても金儲けだけは忘れん奴だからな」
文春文庫『インパール』404頁 対中国の戦線を畳みきれなかったのと、インド洋を睨む上でのインドシナ半島の要衝があるからだろ?
地図見りゃわかることをわざわざ… いま中国は援プ・ルートを構築しようかどうか迷っている。。 >>21
みずしまー いっしょに にっぽんへ かえろーー イギリスの植民地を手に入れようとしたんだろ。
イギリスの運命はドイツの猛攻の前に風前の灯。バスに乗り遅れるな あちこちで有事が起こっているのに刺激したらダメだろ >>1
ビルマやインドでは日本に協力する勢力もいたから
インドが独立すればイギリスの影響をアジアから廃すことができ、中国への支援ルートを絶てる
できた時のメリットが大きいから賭ける価値はあったってことだろ ●京都兵 vs グルカ兵○
一個小隊が全滅したと思えないほどの、あっけない戦闘だった。
爆撃に怯えた安(京都53師団)の全員は、壕に隠れたまま出なかった。グルカ兵は手榴弾と自動小銃で攻撃し、壕の上から銃剣をふるって突き刺した。
逃れたのは少尉ひとりだった。戦場では戦わなければ死ぬだけであった。
(文春文庫『全滅』243~244頁) 大阪、京都出身の兵士たちで編成されたM兵団(祭)とY兵団(安)の両師団は、北ビルマの戦線で弱兵の見本のようにいわれていた。
所属する部隊名を訊かれて、「Yです」「Mです」といおうものなら、「なあんだYか」「なあんだMか」とその言葉の中に、一種の侮蔑の響きがあった。
(光人社『死守命令』より、著者:田中稔元陸軍中尉、福岡県出身) 全く知識ないから簡単に教えてほしいんだけど
何で牟田口だけは絶対に許さないの? 東南アジアに旅行する度に80年前にこんな遠くまでよく来たなって思うわ 対米英戦というのは、本来は日中戦争の泥沼を打開するためのもの。
中国を援助するルートはビルマ方面からのものが中心だったんだから、
ビルマを制圧せんと目的が達成できん。 >>4
ポーランドを攻めても英仏は何もしないだろうと思ったから。(実際しばらく何もしなかった。) >「牟田口廉也(むたぐちれんや)だけは許せない!」
ビルマだったら花谷正も忘れないでください。 中将への補給を断とうしたらどんどん戦線が間伸びしていった >>29
お前らが帰るか帰らんかはこっちが決めるんじゃいボケェ! ビルマ総督レジナルド・ドーマン=スミスが、すぐに中部の避暑地であるメイミョー(現ピンウールイン)に逃れてしまった
アフガニスタンもだけど
トップが真っ先に逃げ出すとこは弱いな
ウクライナと大違い >>33
どんな敵軍の将よりも多くの味方を殺したからだよ
一人で長崎の原爆に匹敵するくらいの被害を出している >>33 本文を読んでも、なんで牟田口批判になるのかわからんな。
ヤフーの記事は全体ではなくて、より長い記事の一部なのかもしれんが。 ヒトラーとスターリンがポーランド分けようということでなにしたから
簡単に侵攻できた
日本も満鉄をアメリカのユダヤ人と共同経営すればその後の歴史は
違っていたかも・・ 東南アジアとか鬼畜日本兵にどれだけやられたんだろうな >>33
インパール作戦だろ
馬鹿なのに経営陣からの信望が厚い部長の典型って事だよ >>38 >>41
1.資源不足を打開するには、南に進出するしかなかったから。
2.ドイツが欧州を制覇しそうになっていた状況なので、
日本が先に南進しておかないと、東南アジアが全てドイツの支配下になる危険性があったから。 >>38
石油ほしさだよ。
もっと言えば関東軍特別演習のせい。
独ソ戦の緒戦でドイツに惨敗して滅亡の危機にあったソ連のスターリンは、チャーチルとルーズベルトに泣きついた。
日本軍に挟撃されるとマズイ、何としてでも関東軍特別演習を止めさせねば
ということで泣きつかれたルーズベルトは、石油を禁輸した。
こうして
日本軍は関東軍特別演習を解除して、南方資源地帯に向かわざるを得なくなった。 >>44
今村均は30万人をニューギニアやソロモンで餓死させ
山下奉之は43万人をフィリピンで餓死させたんだが
なぜか批判されないね
ふしきだなあ まぁ牟田口はスケープゴートにされた面もあるわな
インパール作戦もこいつの腹ひとつで決まっ訳でも無いんだし >>52 石油禁輸と南部仏印進駐の順序が反対やろ…
禁油されたから南進したのではなく、南進したから禁油されたんや。 >>50
「国家総動員体制と資源自給自足を確立すれば、日本軍は不敗だ」
という永田鉄山の妄想に、東条英機や武藤章が凝り固まった結果だよなこれは
資源さえとれば不敗なんだから、卑怯なだまし討ちをしようがバターンで捕虜虐待しまくろうが平気だってな
そして南方資源地帯を抑えて、不敗体制を気付いた、今度の戦争は百年戦争だ!、と豪語していた。
現実はたった3年で無条件降伏だった。
資源あっても、補給線を絶たれたら終わり。
ニューギニアからフィリピン制圧されて、補給線を分断されりゃ
南方資源地帯を抑えてても、無条件降伏以外にはなくなる。 >>57
海軍があっという間にコテンパンにされて、海上輸送が断絶しちゃったからな ビルマから圧迫して英軍を追い出し、インド政変を起こすためだろ >>53
状況の差だろうな
フィリピンやニューギニアは単純に劣勢で、誰が指揮をとっても破滅は不可避
しかしビルマに関しては、さほど劣勢でもないところで無理な攻勢作戦に出て壊滅しちゃった
守っていてもジリ貧という牟田口の認識自体は正しいが、だからといって無理攻めをしたらジリ貧どころじゃ済まない >>47
ヒトラーの目的は初めからソ連打破であり、
間にあるポーランドをまず手にする必要があったというだけ
ポーランド分割なんて何の意味も持たない、そっからがスタートでしかなかった
しかし背後から英仏が参戦してきたので計算が狂った >>64
ヒトラーの大きな目的の一つはソ連の打倒だけど、目先の目的として「旧領奪還」もあった
第一次大戦の結果として失った東部の領土を回復することは、ヒトラーのみならず当時のドイツ人の悲願
ポーランドによってドイツの領土が分断されてる状態は耐え難いものがあったのだろう イギリス領だったから地政学上シンガポール要塞が陥落したし侵攻するだろ
その分兵站線が伸びて統治するのは無理だからビルマを独立させた >>66
ビルマの大部分の制圧は緒戦の段階で終わってる
「インパール」はビルマではなくインド最東部(アッサム)の地名
1944年頃には英国のビルマ奪還作戦が始まってたが、それへのカウンターとして牟田口が考えたのがインパールへの攻撃
ビルマを守ってるだけだとジリ貧になるから、むしろインドに入ることで戦況を変えようとした >>37
これは重要だわな
香港だからウクライナだから台湾だからと見過し続ければ二の舞や >>37
やらなかったのではなく大ダメージ受けて反撃できなかったんだよ。 山本五十六はアメリカのスパイで日本海軍全滅させたので
マスコミは英雄扱い >>76
スパイだったらある意味マシ
実際は単に無能という悲劇 山本五十六は利用価値無くなったので
アメリカに亡命するはずが撃墜された 「猿以下 #村山稔
姫路市北条宮の町213番地 #長谷川村山法律事務所 真生 #ヤクザ #詐欺師 加古川市尾上町今福2-18番地 #漆原真史 #訴訟代理人 の #悪事 #不法行為 纏め #準備書面提出 網羅不能 #裁判長 追求しないのはなぜ?
⇒ ameblo.jp/mitsuidirect/e… #カークリエイトヒロ #平賀紀洋
https://twitter.com/fcwuqrnnivuywxw/status/1503681936463896587?s=21
https://ameblo.jp/mitsuidirect/entry-12731907833.html
猿以下村山稔 真生ヤクザ詐欺師 漆原真史の訴訟代理人の悪事についてのまとめ(あまりに悪事がありすぎて抜け落ちてるのが多数かと思いますけど)提出しました。村山稔って他の法廷でどんな対応してるんだろうか?勝てるものも勝たれてへんで、マジで、こんなアホに頼んだら。こんなアホが働けるのもこんな田舎だから?ところで15日付で本日提出しちゃった。いつもの受付印がないのはなぜだろう?明日訊いてみよう。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 牟田口中将といえば、シンガポール攻略の兵団長で、前線に指揮所を構え、
自らも負傷し幕僚を失いながらも兵を激励し続け、一気呵成に渡河を果たした猛将だよ。 英米軍を攻めまくった陸軍をイメージダウンさせる
のが英米のイメージ戦略で実は犯人はヒロヒト 大本営 悪は滅びるこれに尽きる
日本が戦争で勝っていたら現在のアジアは地獄だろうな アメリカからの補給ルートやんけ
黙ってたらアメリカ式武装の国民党軍ができあがる ドイツがソ連に侵攻したときに日本もソ連に侵攻しとけばよかったよな >>82 日中戦争の発端となった盧溝橋事件で、発砲に対する反撃命令を出した連隊長でもあったね。
牟田口は、最前線に立たせると勇猛な軍人だったんだろうが、それ故に冒険主義にも陥りやすい。
兵站の重要度が高まる大規模作戦を指揮する人間には向いていなかった気がするね。 北進しとけばアメリカと開戦を避けられて負けはなかった
関特演でソ連極東軍を縛り付けておきながら南進とか
ナチスも裏切られた感しかないだろあんなの
じゃソ連の
極東軍も西部戦線行きまーすなるわなそりゃ
そして結果は皆の知る通りだよ >>1
元々中国狙う英国が蒋介石がしたがっていた日本と講和をさせずに
消耗戦させて米国に日本攻めさせたのが大東亜戦争だろ ビルマ南部を占領しておかなければ、そこからマレーやインドシナを爆撃されるから
あと、シナ輸送路の遮断
1943年時点では何も問題なかったが、その後インドへ攻めようと超絶馬鹿なことを考えた超絶無能が居て、全てパー
ただし、イギリスからブラックジョークで褒められてこの超絶無能はピノキオとして死んだ >>92 北進したらアメリカとの開戦が避けられたなんてことはない。
関特演を察知したルーズベルト大統領は近衛首相に、対ソ攻撃すれば日米も戦争になる可能性を示唆するメッセージを送ってるくらいだからな。 >>64
当時ポーランドと英仏は安全保障条約結んでたからそりゃ参戦するやろ >>34
あちこちに日本兵慰霊碑があるのな
マンダレーヒルを訪問した際には現地の人が教えてくれた 太平洋の覇権を獲りたいなら
インドは獲りたいよね、あと豪も
ハワイはその後でもいい どう考えてもおかしいのは
中国本土で100万が戦闘中、満洲に70万が展開中
それなのに南方作戦を10個師団(40万)を使いまわしながら
戦争を始める。
対米戦を決意するなら、もう少し戦線を整理するべき
整理すれば、戦争の理由も無くなるんだけどね 俺の爺ちゃんは
インパール作戦の佐藤中将の
師団にいた。
「あの牟田口たちの意向を無視した撤退が
あったから
俺たちは日本に帰ってこれた」
ってよく言ってたし
佐藤中将の墓参りも
毎年、戦友たちと行っていたよ
川辺や牟田口たちが
太って腹が出てたのが
いちばん腹たったらしいw >>41
蘭領インドシナには油田があったから。
日本は資源がないと交戦継続が不可能となるので。
満州の大慶油田が見つかるまでは戦後を待たなければならなかった。
もし、日米開戦前に大慶油田が発見されていたら日本は真珠湾攻撃などしなかったと思う。 1941年12月に真珠湾攻撃して対米宣戦布告したとき
モスクワ前面のドイツ軍は大寒波と極東ソ連軍の参戦で初めての大敗北を喫した
たぶん、日本とドイツが負ける世界線に生きているんだと思う。
こんな偶然あるのかっていうくらいタイミングが悪すぎる 陸軍や海軍と大本営がバラバラだったからでしょ
石原莞爾の誇大妄想で占領したとしても何の価値もない大陸に侵攻してしまった ワールドアドバンスド大戦略のインパールマップはつらい
弱々陸軍で英軍戦車と戦わないといけないからな >>1
日独伊三国同盟作ったからオランダに制裁食らったとはなぜ書かないの?
アメリカからの禁輸措置の前にそっちがあるじゃない
それで南仏印に進駐したら初めてハルノート出てきたんだよ
自分から箱に入るなんて >>105
リアルは敵戦闘機が飛んでくる上、こっちの補給ユニットは牛で
耐久値1だから戦闘機に隣接されると即ユニット消滅 今も同じ。一度戦争が始まってしまうと理由だの戦術だのうやむやになる。
平たく言えば指揮官どうしのイキリあい。俺はこれだけ進軍したとか子供みたいなもの。
インドまで戦線広げて補給できるわけない。南洋も同じ。当時人口3500万人の国が
地球の何分の一を制圧しようとした。指揮官はホテルで豪華な飯を食って、兵隊は餓死
してたんだよ。 >>111 オレンジ計画は、ただの机上のものだからねぇ… >>102
欧州系の外交官はドイツの苦戦を報告したけどね。あとフィンランドのマンネンヘイムはドイツは負けると確信していたらしい。 補給が途絶えたため、現地調達という名の略奪をやるしかなかった >>17
一、予後備兵のだらしなさ
1、敬礼せず
2、服装 指輪、首巻、脚袢に異様のものを巻く
3、武器被服手入れ実施せず赤錆、泥まみれ
4、行軍 勝手に離れ民家に入る、背嚢を支那人に持たす、牛を曳く、車を出す、坐り寝る(叉銃などする者なし)、銃は天秤
5、不軍紀 放火、強姦、鳥獣を勝手に撃つ、掠奪
○徴発の不士鱈は、結局与ふべきのもを与へざりし悪習慣なり
○徴発に依りて、自前なる故、或る所は大いに御馳走にありつき、或る所は食ふに食なしの状を呈す
先に処女地に行く隊のみ、うまきことをすることとなる
○兵の機敏なる、皆泥棒の寄集りとも評すべきか
師団司令部にてもぼやぼやし居れば何んでも無くなる、持つて行かる、馬まで奪られたり
1、連日の放火について注意を与うるも、更に改まらず、四日目頃よりやや効果表れたる如きも、単独にて徴発に行き、火を放ち来るもの依然たり、放火狂に等しきものあり。
2、鉄砲横に、勝手に人夫を探しロバを求め、休憩にて皆仰向けにひっくりかえり、上官を見ても多くは敬礼せず、呼べど返事もせず。
3、キョロキョロと物欲しげに到る所に家探しをし、部落に入れば机の引出しまで皆ひっくりかえす。
4、物を取りて不要のものは皆投げ捨て、利用し得る粉、其の他食糧品、自分が取りて不要のものは皆ひっくりかえして踏みにじる。
5、中隊には十五、六頭のロバを持ちあり。私の所は十二、三頭しかありません、と中隊長得意気なり。
而かも管理者もなく出発も行く先も知らぬ者あり。
幹部の統御力の衰弱による所甚だ大なるを認 哀れなビルマ土人どもを、イギリスの苛政から解放してやって、大東亜共栄圏の恩寵に浴することを特別の慈悲で許してやったのだ。
ビルマ土人どもはこの御恩に感謝しなければならない。 陸軍の快進撃に焦りを感じた海軍幹部が五十六に真珠湾でも南方でもどこでもいいからヤレ!と檄を飛ばした
結果が無条件降伏 >>117
利に飛びつくというよりは、出来事に受け身で対応しているうちに引きずり込まれてしまったというのが実情に近いだろうと推察する。
その中で、日本が敗戦した為に掻き消されてしまっている現場での最善の努力というものに、子孫としての我々現在の日本人はスポットを当てる必要があると思う。
支那事変当時、やはり日本軍進駐の町村では治安が回復し、略奪や強◯ンなどが減り、疎開していた人々が戻ってきたと言う話が事実として存在した、という事がわかって来ている。
それが事実なら中国共産党が抗日8年戦争で日本軍に何千万人も殺されたと言うのは嘘だと言う事になる。こうした真実は日本が敗戦した為に、一時的にではあっても完全に歴史からかき消されて来た訳だ。中国だけでなく米国もその事に大きく加担している。 松井石根大将の功績はもっと讃えられていいと思う。
彼は不当に蔑まれている。
中国共産党も松井石根の爪の垢でも煎じて飲むと良い。
彼ほど偉大なシナ文明の信奉者は居ない。 ( ゚∀゚)
( ∩ミ ほーら、ビルマの勃て矛だよ
| ω |
し ⌒J >>121
.
_, ,_ .・(U) ボ
( ゚Д゚).;;.;∵ヽ('∀' ) ン
( .;..;’' ヂ
| ★";'. /
し ⌒J ッ
(U)
( '∀')ノ 日本に帰ろう! >>1
>一方、当初の大本営の作戦構想では、ビルマへの侵攻は大きなウエイトを占めていなかった。
そんなことは無い
インド、ビルマの独立支援と英軍をアジアから追い出す事こそが
東亜戦争の目的の大きな柱である
開戦前に政府と陸海軍の同意で作成された「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」
と言うのがあるが、そこでもそのようになっている。
この戦争は英国とオランダとの戦争であり、対米戦争が目的ではない。
しかし開戦と同時に海軍独断による真珠湾奇襲が強行され
当初の日本政府の想定外の戦争になってしまった
大東亜戦争ではなく、アメリカとの太平洋戦争になってしまった。
東條首相は開戦の直前まで、海軍がハワイを攻撃するとは知らず
それを知った時には衝撃を受けたと言う。 太平洋戦争の緒戦において日本軍はなぜビルマを攻略したのか?
歴史人
意味不明なニュースだが、
政府筋のプロパガンダで間違いないだろ
権力者による陸軍悪玉論・東京裁判史観の宣伝工作
だまされてはいけない こんな僅かな量の石油何の役にも立たへんだった。
わが国は専守防衛を決め込み、迷い込んで来た所属不詳機を撃墜することだけが仕事だ 石油は降って来る。
しかし貴重ではある。
そこで、我々は戦艦など作らへん。V2改を戦艦に当てられるようにしろ 南側諸国は諦めるように。
どうせワケ判らへんことになって行くから 面田紋次(おもた もんじ)”めんだ”だと思ってたけどスーチーパパ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています