東電原発事故、トリチウム処理水、新型コロナウイルス、HPVワクチン……事実に基づかない「不安と怒り」が社会を扇動する。
恐ろしいのは危機の本体だけではない。不安と怒りを煽る「情報」が巻き起こす「情報災害」、そしてそれを広げていく「風評加害」だ。

「3.11後の福島」で被災と「風評」の地獄を見た福島在住ジャーナリストが生々しい実体験と共にこの国に蔓延する「正しさ」の嘘を斬る初の著書
『「正しさ」の商人 情報災害を広める風評加害者は誰か』(徳間書店)より、導入部分を抜粋してお届けするーー。


たとえば近年起こった「反HPVワクチン」キャンペーンもその一つだ。

HPVとはヒトパピローマウイルス(Human papilloma virus:HPV)の略で、一部の型において子宮頸がんの原因になることが判っている。
日本では若い女性を中心に毎年1万人以上が子宮頸がんに罹っている上、毎年3000人程度の人が亡くなっている。

2006年に開発されたHPVワクチンには、子宮頸がんの多くを予防する効果が実証されてきた。
当然、日本を含む多くの先進国においてこのワクチン接種が導入された。ところが2013年、世界の潮流に反する形で、日本では積極的接種勧奨が差し控えられてしまったのだ。

2016年12月に発表された論文『Trends of Media Coverage on Human Papillomavirus Vaccination in Japanese Newspapers』によれば、
2013年に日本でHPVワクチンの定期接種が始まった直後、同ワクチンに対する副作用の可能性に関したセンセーショナルな問題提起が朝日新聞によって行われ、
他の新聞も追随したことが示されている。

日本政府は因果関係の証拠がないにもかかわらず、これらの「反ワクチン」報道によって高まった不安の声に抗いきれず、
定期接種が始まった2013年4月から僅か2ヶ月後に「積極的勧奨の中止」を決定した。

もちろん、リスクがある可能性がわかった薬剤の使用に対し、一時的に勧奨を中止した対応自体は合理的と言えた。
ただし深刻な問題は、その後の調査でHPVワクチンにリスクが認められないことがわかった後になっても、合理的な理由がないまま勧奨中止を継続したことである。

さらに同論文では、当時の日本におけるメディア記事を分析した結果、2013年3月以前に発表されたものと比較して、
それ以降のHPVワクチン接種に関する記事には副作用に関連したキーワードが含まれる頻度が高かったと指摘している。

ワクチンの有効性に関連した記述は大幅に減少し、科学的声明に反したネガティブでセンセーショナルな症例の報道ばかりが続いていたというのだ。

これらの報道が社会に不安を拡散・温存させてHPVワクチンの接種を中止させたのみならず、
積極的勧奨の再開を長期にわたって阻み続けてきた重大な要因であったと言えるだろう。それらの報道は極めて偏ったものであり、一部には明らかな誤報もあった。

結局、日本でのHPVワクチンの積極的勧奨が再開されることになったのは2021年も末になってようやくのことだ。
ここに至るまで、専門家や産婦人科医師を中心とした現場から「多くの再検証によって、安全であることが明らかになったワクチン」の
積極的勧奨の再開を求める声が何年にもわたって多数寄せられてきたにもかかわらず、実現までに8年以上も要した。

それ程までに、一度社会に広まった誤解と不安の払拭は困難であったのだ。

その間、偏向した報道が原因で「若い女性を中心に毎年1万人以上が罹患して3000人程度が亡くなる、
ワクチンで防げたはずの病気が8年以上放置された」ことが何を意味するかは、言うまでもないだろう。

ワクチンはこの「災害」本体から多くの命を護るはずだったにもかかわらず、その前提が破壊されてしまった。

現在の新型コロナウイルス禍でも同様の「反ワクチン」キャンペーンが一部で繰り返され、本来避けられるはずだった被害や犠牲者を増やしている。
これは一つの「災害」と捉えることもできるだろう。

その原因は何か。個人が、メディアが、あるいは様々な意図をもった集団が流布した情報だ。情報が人の命を奪ったのだ。

このようなケースを本書では「情報災害」と呼ぶ。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/93542

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