【インカ帝国】マチュピチュは、実はマチュピチュではなかった…ワイナピチュが正しい名前と米研究 [ごまカンパチ★]
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https://news.yahoo.co.jp/articles/8418229636f603d654e6c75d42e727f4c23001d6
<1911年に世界に紹介された遺跡は、今ではマチュピチュの名で誰もが知るペルーの名所となっているが、実は違う名前だった可能性が高いとする研究結果が>
私たちは今まで、マチュピチュ(Machu Picchu)を間違った名前で呼んでいたのだろうか?
2人の研究者によれば、正しい名前はワイナピチュ(Huayna Picchu)かもしれない。
ペルーのマチュピチュは、世界で最も知名度の高い遺跡の一つだ。
1911年、アメリカの探検家ハイラム・ビンガムによって初めて世界に紹介され、2007年には「新・世界七不思議」に選ばれた。
しかし、米イリノイ大学シカゴ校(UIC)のニュースリリースには、1911年当時、マチュピチュについてわかっていることはあまり多くなかったと書かれている。
学術誌「ニャウパ・パチャ:アンデス考古学ジャーナル(Nawpa Pacha: Journal of Andean Archaeology)」に論文を発表した2人の研究者によれば、
長年にわたって知られてきた有名な名前は、もともとの呼び名ですらなかった可能性があるという。
研究チームは、3つの重要な情報源に注目した。
ビンガムの調査記録、17世紀の文献、19世紀の地図に記された地名だ。
研究に参加したUICの人類学教授ブライアン・S・バウアーはニュースリリースの中で、
「まず、ビンガムが初めて訪れたとき、遺跡の名前は不確かだった。そのため私たちは、ビンガムの訪問前に印刷された地図をいくつか調査した」と説明している。
■1904年の地図に記されていた名前
実際、この遺跡をワイナピチュと呼ぶ多くの資料が見つかった。
例えば、ビンガムがまだペルーに到着していなかった1904年の地図帳には、ワイナピチュというインカの町がすでに記載されていた。
そしてビンガムも、遺跡調査に出発する前から、すでにワイナピチュという場所について聞かされていた。
さらに1912年、ビンガムは地主の息子から、この遺跡がワイナピチュと呼ばれていることを伝えられたとニュースリリースには書かれている。
「極め付けが、16世紀後半の驚くべき記録だ。この地域の先住民が、ワイナピチュと呼んでいた遺跡を取り戻そうとしているという内容だった」とバウアーは続ける。
「これらの結果は一様に、このインカの都市はもともとピチュ、あるいはワイナピチュと呼ばれていた可能性が高いこと、
マチュピチュという名前が遺跡と関連づけられたのは、1911年のビンガムによる発表以降であることを示唆している」
しかし、たとえこのような新事実が明らかになったとしても、今や有名なこの名前の変更が優先事項になることはないかもしれない。
ガーディアンによれば、英ケント大学の教授で中南米の歴史を研究するナタリア・ソブレビラは、
「すべての名前はつくられたもので、変更可能であり、大きな違いはない。しかし、マチュピチュは今や、ペルーのアイデンティティーと強く結び付いたブランドとして確立されている。
それを変更する意味があるだろうか?」と述べている。
「シェークスピアが言う通り、『バラは、どのような名前で呼んでも甘い香りがする』のだ」と、ソブレビラは述べている。 標高の高い辺鄙な場所が集落があると日本のマチュピチュ お前さ、ちょっと空気読もうぜ
マチュピュチュとかさ
どんだけチュッチュッしてるのさ(^з^)
今はウクライナ戦よ >>6
同意
「西インド諸島」とか名称変えるべきだよな 白豚
「ワイナピチュ、カワイイw」
黄色メスのお股パッカーン 激しく攻(責)められたマンコ〜マンコカパックゥ〜♪ マチュピチュの谷を挟んだ向かいの山の遺跡をワイナピチュと言ってたような >>18
正確にはオマンコパックリとなります
なんて日が来るかもしれないね でも、日本人が研究さて有名にするまで何もする気がなかったんでしょ? 向かい側の山がワイナピチュじゃないの?
登るの大変だった エベレストはチョモランマ、サガルマタというと
何言ってんだこいつ・・といわれる マチュピチュで有名になっちまったんだから今更どうでもいいじゃねえか
西郷隆盛だって本当は西郷隆永だし真田幸村だって本当は真田信繁なんだろ >>31
自分もそれで記憶してた
若い山、みたいな意味だったっけか? >>34
× エリーゼのために
〇 テレーゼのために
本日はLVBの命日。 江戸と東京みたいなもんだったりして
インカ人が住んでた頃の名前と廃墟になった後での名前が変わったとか 好き勝手言う欧米人考古学者がいるもんだな
日本の古墳を調べてる欧米人考古学者とかいんのか?
まー発掘禁止で触れさせないわけだが ウクライナの都市名なんて知らなかったから、最初からウクライナ風にしててくれれば混乱しないのにね >>1
だからどうだってんだ?バカ野郎
ウクライナの人の身にもなってみろ! アメリカのインディアンも無くした方がいいじゃん
ネイティブアメリカンとかでもなく
もっと適した現地語あんだろ 日本人ならマチュピチュを使い続けますね
テレビのテロップなどでワイナピチュ(マチュピカチュ)ってかんじで >「すべての名前はつくられたもので、変更可能であり、大きな違いはない。しかし、マチュピチュは今や、ペルーのアイデンティティーと強く結び付いたブランドとして確立されている。
>それを変更する意味があるだろうか?」と述べている。
だったらなんでマッキンリーはデナリになっちまったんだよ つーか、てふてふをチョウチョウって読むのも本当なんかわからんよな
当時の人もテフテフって言ってたかもしれんしな >>66
山
ワイナピチュ=若い山
マチュピチュ=老いた山
だってさ >>69
(´・ω・`)なるほど〜山か、高尾ピチュ、富士ピチュってことか。 この国だって「にほん」なのか「にっぽん」
なのかはっきりしないし、細けえことは
どうでもええんじゃないの。 >>74
学校の遠足で登ったのが高尾山か富士山かって、すごく違うじゃんw 源頼朝の画と思ってたら足利尊氏かもしれんとか、足利尊氏だと思ってたザンバラ髪の騎馬武者は高師直かもしれない、みたいなヤツか。 それよりオマイラ
オランダって国は存在しねえんだが
どうするよ? 本当はやたら長い名前のタイの首都がバンコクと呼ばれる理由
ポルトガル人「現地人さん、ここの地名は何と言うんですか?」
村人「ここ?ここはバーンマコークという村です」
ポルトガル人「なるほど、この地域全体の地名はバンコクか」 >>82
それどころかイギリスもエゲレスもだいふれつてんも存在してないぞ 5年くらい前に行ったことがあるけど、世界中の観光客が
自分を含めて訪れて、麓の町の喫茶店にはフリーWi-Fiの
看板が掲げられ、遺跡までのバスはメルセデス製と、
秘境感はゼロだったなあ。遺跡自体は一生に一度は見る
価値のあるものだったけど >>92
【イギリス】より
…イギリスは,江戸時代に始まる日本との交渉の初期から〈ぶりたにあ〉〈あんぐりあ〉と呼ばれ,〈貌利太尼亜〉〈諳厄利亜〉など種々の漢字があてられた。その後しだいにポルトガル語のイングレスInglesおよびオランダ語のエンゲルスEngelsからなまって〈エゲレス〉〈イギリス〉という呼称が広く用いられるようになり,〈英吉利〉の漢字があてられ,そこから〈英国〉という通称が生まれた。
ポルトガル、オランダ語の訛りみたいだが・・・そうなんか? 名前が変わるのなんてよくあることや
昔はワイナピチュとよんでましたでええんや マチュピチュね。
4年前の夏、団体の観光旅行で行った。
前日→麓のマチュピチュ村のホテル宿泊
当日朝→シャトル・バスで遺跡へ→午前中は遺跡を観光。
昼→一旦、遺跡の外へ出て→レストランでバイキングの昼食
午後→再入場(入場券は1回だけ再入場OK)→遺跡内で二手に分かれる。
「ワイナピチュ登山」「インカ道〜太陽の門」
俺は「インカ道〜太陽の門」グループに参加して「太陽の門」まで炎天下の道を往復した。 >>1
ワイナピチュだったらここまで人気の遺産になってなかったと思う
名前の力って想像以上に凄いからね
マチュピチュのままで改名せん方がいいよ >>4
古代コリアン文明を知らんとは無知だな
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