【岐阜新聞】「板垣死すとも自由は死せず」の岐阜遭難事件 「血染めのシャツ」の血量少なく、実は軽傷 [みの★]
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切り裂かれた1枚の白いシャツ。染み付いた複数の血痕は、ちょうど140年前の岐阜での生々しい記憶を宿している。1882(明治15)年4月6日、金華山の麓で起きた「板垣退助岐阜遭難事件」。シャツは、自由民権運動を推進した板垣が暴漢に短刀で襲われた際に身に着けていたもの。事件直後に発せられたという「板垣死すとも自由は死せず」の名言が生まれた瞬間に立ち会った証人≠ヘ、愛知の民家にひっそりと残されてきた。
「板垣さん本人から祖父母が頂いたと聞いています」。所蔵者の村雨耕一さん(83)=愛知県安城市=が、箱にしまっていた「血染めのシャツ」を取り出した。縦約60センチ、横幅約45センチ、袖の長さ約50センチ。裏地がある厚手のシャツは、胸の部分が大きくえぐり取られ、右袖は胸から手首まで人為的に切ったように直線的に裂かれている。左胸や右脇の辺りには血だまりが2、3カ所。手首にも大きめの血痕が残り、胸部の裏地にも転々と血のようなものが付いている。
事件は、自由民権思想を広める板垣が、金華山の麓にあった中教院(現岐阜市・岐阜公園内)で演説をした後に起きた。短刀を持った相原尚?(なおぶみ)という男に切りかかられた板垣は、元武人らしい身のこなしで何とか命を守ったが、もみ合う中で刃(やいば)に傷付けられた。
…続きはソースで。
https://www.gifu-np.co.jp/articles/-/61684
2022年4月5日 21時12分 だってそもそもが「板垣死すとも自由は死せず」すら創作だからなコレ >>8 そうそう。事件が盛った形で広められて、自由民権運動のプロパガンダに利用された感がある。 そんなに瀕死の重傷だったら
名言のこしてるヒマなかったろ >>1
「板垣さん本人から祖父母が直接頂いた」って手当てのために切断した血染めのシャツなんか本人要らなかっただけだろうに 土佐閥の没落の象徴が板垣と後藤だな
新政府ではポンコツで使い物にならなかった >>27
板垣「でもウケてるから持ちネタとして使かったろ」 >>1
あのセリフは新聞記者の創作だという説があるらしいですけど実態はどうなんですかね? >>8
正しくは
「もうかんべんしてください」
だからな 爆弾投げた来島の命日に毎年花を贈った大隈と
えらい違い 板垣かよ
大久保かと思った
似すぎなんだよ何かこの2人 >>36
教科書に色々盛り捲った嘘書いてあるのが問題
板垣が刺された瞬間には名言は生まれてない
古い世代は知っているが若い世代は騙されるだろうし、なんならテストに「刺された時に板垣は何と言ったか?」と問題を出してしまうかも知れない
これは由々しき問題だ >>1
セリフもその場で叫んだのではなく、後日に病床で語ったとか色々説があるからな。 >>8
後日に言ったとか諸説あるからな。
犬養毅辺りとの混同とかもあるんだろう。 板垣自身は旧土佐藩の上士組の家柄で郷士組を散々虐げてきた側の人間 こうゆうのはロマンがあるねビリーが撃たれたときに着てたシャツとか残ってれば良かったのに 嘘だらけの伝説をでっち上げただけよ
戦後の司馬遼太郎の小説もでっち上げだらけ 絶対ウソだよね
「〜・・自由は・死・・せ・ず・・」ガクッ
ないないw 遭難っていう言葉は、現代では自然災害に巻き込まれた時にしかつかわれなくなったな
何故だろう? 実際は「痛くてたまらねぇ、早く医者を呼んでくれ」って言ったらしい こういう矮小化を狙った印象操作も立派なデマだよな
重要なのはもう少しで殺されそうになった事であって
傷の深さは関係ないだろ 刺されて何と言ったか、というテストの設問にうぎゃーと書いて×をもらった
というのを見たことがある >>66
死んでない
岐阜遭難事件 編集
明治15年(1882年)4月6日、岐阜で遊説中に暴漢・相原尚褧に襲われ負傷した(岐阜事件)。
その際、板垣は襲われたあとに竹内綱に抱きかかえられつつ起き上がり、出血しながら「吾死スルトモ自由ハ死セン」と言い [注釈 35]、これがやがて「板垣死すとも自由は死せず」という表現で広く伝わることになった。
この事件の際、板垣は当時医者だった後藤新平の診療を受けており、後藤は「閣下、御本懐でございましょう」と述べ、療養後に彼の政才を見抜いた板垣は「彼を政治家にできないのが残念だ」と語っている[86]。 >>67
もったのがバレると
ガッカリする
だから盛らない方が良い
歴史の修正は、よく無い 政治利用なんだから大袈裟にするだろ。
ドラマじゃないんだからそんな言葉は吐かない。
当時の記者らが捏造したんだろ。 命に別状無いって本人も言ってたのに新聞記者が勝手に死んだと勘違いしたんだろ だってこの時に板垣しんでないしこの言葉も新聞記者の捏造だろ? 岐阜で外国人参政権による在日票を集めようとして小学校教師に刺された
本心では岐阜を一切信用していなかったので医者は名古屋から呼んだ 板垣「痛い痛い医者を呼んでくれ」
弟子「板垣死すとも自由は死せずですね カッケー」 どうせ死因は病室で寿司と炭酸水飲んだからなんだろ? 土佐閥の板垣と後藤がポンコツだから高知県の青年有志が新たな幕末の英雄を求めて創造されたのが
既に死んでて都合の良い某(なにがし)でしたとさ
岩崎弥太郎みたいな傑物を出したのに同郷のよしみが得られなかった土佐の人達は無能なんだよな〜
大河ドラマで岩崎弥太郎をやればいいけど、三菱を嫌ってる支那政府三国人がいる限り無理だろうな 戊辰戦争の会津攻略で主力は板垣退助が率いる土佐軍だったが、自由民権運動の支持者が東北に多かった点は板垣退助の人徳を物語る。 いま「板垣」で検索したら違う人が出てきた。
おかしいよこの国 何だ板垣死んだんじゃねえのかよ
紛らわしい発言しやがって。 >>81
武市が生きてたら新政府の要職に付いてたのかなあ >>85
無理だろうな、西郷やら大久保や桂みたいな大局を見通す目が無さすぎる
暗殺は効果的だけど、暗殺を可能にする己に魅せられて暗殺乱発の小物の権力志向者だし 実際政権に入った隈板内閣は特に実績というか評判はよくないという
まあ政治活動と実際の政治は別物だということだな そらそーよ
本当に死にそうな人間が名ゼリフなど残せねー 軽症なのに死んじゃったの?と思ったら
長生きしてた! 刺されてビッグになった三人衆
板垣退助 棚橋弘至 川栄李奈 最低だな長州?
黙ってりゃ分からねえとでも思ってたか?(笑) 暴漢に襲われた後に「ぐふっ」なんて言ってなかったのか たとえ、この板垣退助が死すとも自由は死なず
と仮にこれで死んでもぐらいの表現にしないとな。
いまわの際みたいな台詞で臭い。
実際、かすり傷やんかw
土佐はなんでも大袈裟なんだよ。 板垣退助の幼名をおまえらは知ってるか?
「猪之助」だよ。
一瞬で心臓への打撃を回避できる猪之助だから、暴漢ごときのいきなりの攻撃はかすり傷程度ですませることができたのさ。 これ有名だろ、大げさ。大げさ、昔からバカにされてたようなw 言ったかどうかもわからんと、30年前の駿台の早慶文で習ったわ 自由党結党して明治政府と対立してんのに
明治政府からの出してもらった金で後藤と欧州旅行して、党員から激怒されてるからな
こいつのやってることに芯なんて最初からないよ
自由民権運動も征韓論で負けて、苦し紛れに打ち出してるもんで、最初から標榜してたわけでも何でもない 板垣姓自体が甲州攻めの前に、武田遺臣の姓への改名だし、すべてが胡散臭い コートの下に毛皮のチョッキか。
4月にしては厚着というか、防刃シャツみたいなものだろ。
普段から襲撃に備えて用心してたんじゃねえの
普通の衣類だったら胸を刺されて死んでるわ お前ら板垣は偉人だぞ
第一回総選挙で圧勝した自由党の党首なのに薩長閥の元老に阻まれて一度も首相にされなかった人だぞ 刺した犯人が板垣自らの助命嘆願で極刑を免れたこと
改心して板垣のとこに謝罪にきて板垣に許されたって話
その後、北海道へ開拓に向かう船上で行方不明になったこと
なんか、この事件変なんだよな >>1
日本は戦前までさ、民主主義禁止だっからね
板垣退助は本当に嫌がらせされてたんだよね 薩長に独占されて土佐藩は利権に与れなかったから
もっとエサ寄越せ
って喚いてただけなんよな板垣は
(´・ω・`) 民主主義は戦後にアメリカに依って植え付けられた政策だから、中国笑えんよ 子供のころに岐阜公園で撮ったという写真があるんだ。
ペンギンやライオンやフラミンゴみたいな鳥や、サンショウウオがたくさんいる池?とか、
ハトの大群に絡まれて泣いてる写真とか、赤いモウセン?お雛様の下に敷いてある絨毯みたいなのの上で豆腐田楽食べてる写真とか。
幼くて記憶がないんだが、今でもあるなら行ってみたい。 >>123
上士としてやりたい放題で、時流が倒幕に流れてから加担したけど
無能すぎて新政府に必要とはされなかった土佐閥の重鎮ですね
余りにも生きてる維新の英雄がいない高知県の地元青年団みたいなアホ団体がファンタジーに基づき維新の英雄の銅像を建てましたとさw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています