【知ってる?】通説疑い実像に迫る 没後1400年迎えた聖徳太子を研究 石井公成さん(駒沢大名誉教授) [朝一から閉店までφ★]
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2022年5月7日 13時13分
没後千四百年の節目を迎えた聖徳太子。その実像を巡る議論がかまびすしい。<推古天皇の摂政として国造りを進めた><いや実際は平凡な皇子だった>−。
駒沢大名誉教授の石井公成さん(71)は、仏教学を代表する学者の一人。両極端の説とは距離を置き、地道に文献を分析してきた。「太子像の探究を通じ、現代に生きるわれわれの在り方を問いたい」と語る。
太子は、奈良時代の日本書紀などの書物であがめられてきた。功績として示されているのは、役人の道徳規範を示した十七条憲法のほか、冠位十二階の制定、遣隋使の派遣…。
大王(天皇)中心の政治制度を築き、仏教も深く理解して広めた人物とされる。「後世には観音菩薩(ぼさつ)の化身、浄土への導き手として、信仰の対象にもなってきました」。仏教の経典や事典が並ぶ駒沢大(東京都)の一室で、石井さんが力説する。
こうした聖人説を覆すのが、二十年ほど前から提唱されている「聖徳太子虚構説」だ。日本書紀にある業績を、奈良時代の為政者らによるでっち上げだと否定する。国家の理想の君主像を示す狙いがあったという主張で、歴史教科書の記述にも影響した。
一方、石井さんは、太子崇拝派も否定派も「当時の文献を熟読してこなかった」とみる。自身は十七条憲法ほか、太子の作とされる文献を、中国や朝鮮半島の同時代の文献と比べながら読み込んできた。
至った結論は、太子は虚構ではなく「仏教に精通した知識人だった。十七条憲法は、太子の作とみてよい」。語法や文章の特徴から、渡来人に深い教養を授けられた倭国人であったと考えられるという。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/175970 日本も日本人のものではなくなってきたから
歴史なんてもう意味をなさなくなってくるよ そう
聖徳太子の実在を否定する人には意図があるんだよ 遣随使&遣唐使が来た頃西暦600年代に漢字が伝わって、天皇が誕生して1年に2回ずつ年を数えて1300年間で皇歴2600年。
知っていますか?
「竹林はるか遠く」や朝鮮進駐軍の真実を...
朝鮮人のおじいさんたちは強姦殺人魔です。
終戦直後、朝鮮半島や満洲で朝鮮人が日本人女性を強姦し、殺すなどしました。
女性の約1割が被害にあいました。
身籠った女性の堕胎手術や性病治療のために二日市保養所などができました。
女児は強姦できるよう女性器と肛門を銃剣で切り裂かれました。
強姦後は女性器に手榴弾を入れ爆発させました。
残留孤児が朝鮮半島にいないのは、子供は殺されたからでした。
従軍慰安婦では朝鮮人業者が朝鮮人女性を騙してました。
むしろ日本の警察は業者を厳しく取り締まりました。
当時の新聞に沢山記事になってます。
慰安婦には多額の手当が支給されました。
強制連行とは戦時動員で、日本人後に朝鮮人が動員されました。
動員以前の工員は自分で応募しました。
朝鮮人工員は飯の量が日本人より多く、日本人には出なかった牛肉も出るなど、恵まれてました。
関東大震災虐殺も政府公式見解は「なかった」。
そもそも犠牲者が、日本人がやられたように女性子供でなく、大人の男だけで不自然です。
暴れた朝鮮人への正当防衛だったのです。
事実を朝鮮人に認めさせ謝罪させましょう。
>>11
君はイエス・キリストを知ってるのか!?じゃあ! 十七条憲法が聖徳太子の作だったとしてもパクリ作品なことは間違いなかろう。だって三経義疏はパクリが確定してるわけだし この人のブログは良く読んだな。ところで特に強い根拠もなく聖徳太子虚構説が大流行してそれが特に明確な議論がないままいつの間にか沈静化して、歴史学とは一体何なんざんしょ? 当時聖徳太子とは全く呼ばれていなくて、実際は馬宿の御子と呼ばれていたと歴史検証で判明した事実を基に教科書記述の変更をしようとしたら反対で大騒ぎになったよな
聖徳太子の方が出鱈目なのに
もう聖徳太子は触らない方がいいんじゃね?ww >>5
クソジャップ、な。
そういった言葉遣いのなってなさに我々はクソジャップの反省のなさ、被害者への申し訳ないという謙虚さの欠如を感じて不愉快になるのだ。
わかってるのかクソジャップ? >>1
素晴らしい。
聖徳太子は、日本の礎を築いた大人物。
聖徳太子がいなければ日本はないに
等しい。子孫だって存在している。
左翼学者の陰謀で、存在しない可能性が
言われていたが、所詮悪事は続かない。
真実は、反日的陰謀では覆らないのだ。
天網恢恢疎にして漏らさず。 >>22
沈静化して、じゃなくて単に定着しただけでは。実際に記紀の記述以外は聖徳太子の実績は物証に乏しいからな。ここでもよく話題になる坂本龍馬と同じよ 最高額紙幣の肖像は聖徳太子とする
という法律を作れよ 生まれた時に立ったという下半身太りのデンジャラスな体型 なつかしいなあ、十七条拳法。痛みが伝わってくる前に手を引くんだっけ そもそも真筆か疑わしいなら
ブッダ孔子キリストの真筆は存在しない
ゆえに全員不存在
こういうメチャクチャな理屈なんだよ
太子不存在説ってのは 弱肉強食みたいな世界で慈悲の心を説いたとして
その考え方が広まるっていうのがイメージしにくいね あいつ馬小屋で生まれたって完全にキリストパクってるだろ?
やっぱり誰かが作ったキャラなんだろうな… >>34
ねえ。仏舎利どれだけこの世にあるんだよて話 複数人物説なかったっけ?
今川義元+今川氏真≒バカ殿イメージみたいなの >>23
当時の呼び方にこだわる必要あるのかな
諱で呼ばれなくなる人多いし >>34
曲解はやめよう。聖徳太子不存在説というのは彼の多くの業績が後世の捏造だったという主張。その意味ではキリストやブッダと同じ扱いにしましょうってことだぜ。
仏典素直に信じたら釈迦が大乗仏典まで全部語ったことになってしまうが、それは嘘だって皆知ってるでしょう。 遣隋使のメンバーの一人がなんとか彦ってのは聖徳大使らしいよ。 >>29
そうだなあ、やっぱ聖徳太子虚構説は一部確実に定着化か。確かに残念ながら確実な物証に乏しい。斑鳩宮が小墾田宮の同時代の大規模な宮である事が確実ならば【摂政】聖徳太子の実在は確実、疑う余地無しと最近は思ってんだが。 >>8
既に1回滅んでいるよ
新羅百済高句麗という国をそれぞれ治めていた旧朝鮮人は朝鮮半島にはほとんど残っていない、その血は中国や渡来人として住み着いた日本に残っている
現在の韓国人の祖は中世頃にシベリアから移動してきて住み着いた種族である >>40
出鱈目よりは本当の名前の方が、故人にとっても、歴史を学ぶ人にとっても良いのは明白だろ
寧ろ事実を受け入れずに、あまつさえ出鱈目で叩くとか、どこの韓国人だって話だなwwwww >>25
クソチョン、そうキレるなよw
韓国人特有の遺伝病である火病の発作が薬では抑えられなくなってるのかな 結局あの人知ってたの?
図星で切れるやつおるやん
浮気中の女とか 593年 聖徳太子摂政となる
聖徳太子はコックさん たくさん話を聞けるがステータスになる時代だったら俺も耳動かしながら鼻膨らませられるから英雄になれたのに
令和生まれはつれえわ 聖武天皇が聖徳太子の伝説を作ったが
FAだろ。
聖武天皇すごすぎる。 こういうのって新しい資料とか見つからないともう分からないもんなんじゃないの
読み込みとかで変わるのか?w まあ、トルコ人はモンゴルにいたの間違いないだろ。
スラブ人も極東にいたのか? YouTubeが俺を聖徳太子に似てるって言うけど
大化の改新が始まる前に死ぬじゃんな >>13
いたのはいたみたいだけど、やった事の功績は滅ぼした蘇我家ってのがしっくり来るんだよね
蘇我家が良いことやったとは書けないから、別の人物がしたことにして功績だけ乗っ取る >>63
菅だけくわんじゃなくて『カン』と読むのは
🇹🇷トルコ読み? >>68
謎過ぎね?
官→くゎん
管→くゎん
菅→カン、あれ? 🤔 叡福寺に聖徳太子の御廟があって七不思議が伝わっている
御廟には笹や松は生えない
御廟には鳥が巣を作らない
御廟の土は大雨にも流されない
聖徳太子の母の棺の轅を植えたら楠が生えた
御廟は無数の結界石で守られている
聖徳太子は笹や松、鳥、アマではない
楠の母から生まれ石に守られているのが聖徳太子 実際にはどうだったのか知りたいけど結局分からないっていうのが丁度いい え、聖徳太子はいなかったってのが定説になったんとちゃうの?
その当時の支那に対して日本にもこんな凄い奴おるんやでっていろんな人の偉業を寄せ集めて一人でやったように見せかけたのが聖徳太子ってことで
もう厩戸皇子すら教えないんやろ? 早く夢殿の聖櫃を開けなさい
事実はそこに書かれている 太子町とかあるよね。
聖徳太子の直轄の地域だったして 聖徳太子『ハ行』が無い!
穂積押山👈『ハ行』がある! 安倍さんは歴代最高の首相
てか、また首相になれる
\(^o^)/ 明治政府は自身の正当性を主張するために数々の歴史改ざんを行った
例えばその一つが日本全国に植えられている桜
明治政府は廃仏毀釈で日本全国の寺社仏閣を破壊した
今でいうとタリバンやポルポトの様な事をした訳ですね
破壊したはいいが城の盛り土が崩れ土砂災害が発生して困ったので根を張る木を植えたらどうかという事になった
そこで全国の寺社仏閣に桜の木を植える様になった訳です
今日本中に植えられている桜は破壊と再生のシンボルなのですね >>77
🇯🇵日本の場合は
発音がバレバレだから
ウソつくとバレちゃうよ? >>57
無学だな、君は
日本の歴史は何の根拠も無く定められているわけじゃない
勿論過去が全て分かるわけでも無いし、当然過去を見ることもできない
よって物証に乏しい事柄は記録として残されている歴史書を基にしているわけ
日本最古の古事記と奈良時代に作られた日本書紀
これは日本政府が定める公式な日本の歴史書
8代辺りまでの天皇は実在が疑問視されているが、公式の歴史書に記載されているから日本の歴史として正式なものとされている
その正式な歴史書に聖徳太子と言う呼称が記されておらず馬宿の皇子と記述されている
そういう理由でそういう根拠なの
分かった?
勉強になったでしょ? >>45
10世紀、白頭山が巨大噴火している
富士山大噴火の100〜200倍の規模
朝鮮半島は、そのときにリセットされてる しょせん仮説 諸説ありで納めとけよ。資料自体が疑わしいのに。 池之原 原南有作石 形如屋 長二丈 廣一丈五尺 高亦如之 名號曰 大石 傳云 聖徳王御世 厩戸 弓削大連 守屋 所造之石也 >>61
日本国公式の歴史書たる古事記と日本書紀を基にしているから
そこに記されているのが古の日本の公式な歴史となっているわけ
新しい資料も何も古事記と日本書紀に書かれていることが日本史の基になっているという話で、そこに聖徳太子と言う敬称で呼ばれたと言う記述が無いってこと
馬宿の皇子を含め別の敬称の記載が有るから聖徳太子とは呼ばれていないとされている
聖徳太子の記載が有るのは後年の書物なので、真田幸村と同じようなもので後生の人が付けた呼び方と言う認識 >>76
完全にいなかった説はかなり下火
いなかった説の最大の根拠は記述が日本書紀が殆どでそれ以前のないじゃんてのが根拠
そしたら研究進んで日本書紀以前の建造物とかの史料から聖徳太子の名前がバンバン出てきた >>84
ボケっ
明治政府は、神仏分離令は出したが、
廃仏毀釈しろという命令は出していない。
むしろ、政府は廃仏毀釈を止めた側だ。
廃仏毀釈は、神仏分離令を拡大解釈した
地域の暴走。だから、地域差があった。
背景には、江戸時代の仏教の堕落も関係してる。 淑徳大学を
しょうとくだいがく
と読むのだと思っていた >>93
いつ定めたのかは知らん
鎌倉時代なのか安土桃山時代なのか江戸時代なのか、それとも近代の明治なのか大正なのか昭和なのか全く知らん
公式の日本の歴史書であることは政府が公言しているよ
公式の歴史書として国会図書館でも扱われている ワクチンに通ずるな
ワクチンを強制はしていないが
メディアで煽って同調圧力で同調圧力で半強制化したが
政府は強制していないという言い訳か
そういうことだよな
神仏分離令も
ただの言い訳だよな >>86
公式と正式がごちゃまぜになってるぞ
だいたいのっけから相手のことを無学などとマウント取ってくる奴は自信の無い低能
そして日本政府が決めたから云々とか、ほんとどうしようもない子供じみたロジックで飯噴くわ 優秀なブレーンの集団はいたとおもう
天皇候補の王子さまだし
馬子の娘が長男のお世継ぎ産んでるし 三経義疏
以下のように諸説はあるが決着を見ていない。
1.中国の書が600年乃至607年の隋との交流から日本にもたらされ、
これらを参考に聖徳太子が著作したとする学説。
2.そのころ朝鮮半島から来日した僧が聖徳太子の下で著作したとする説。
3.そのころ中国から入手した書の中から聖徳太子が選び出したとする説。
4.撰者不明のまま伝えられてきたものを、天平十九年(797年)、寺の
資財帳提出の際に上宮王撰という撰号を付した。[22]
5.天平勝宝4年(753年)までのいずれの時代かに中国から渡来した輸入品である。 1400年でこんなに進化するんだな
きっと人類は進化しては滅びを繰り返してるんだろうな >>103
悪い、公式な
それとマウントじゃないだろ
どこがマウントなんだよw
なんだ?最近は知らない奴に教えることをマウントと言うのか?
それでは物を教える人は全員マウンターだろww
それこそ頭おかしい考えだわな 母・間人皇女は西方の救世観音菩薩が皇女の口から胎内に入り、厩戸を身籠もった
西方??🤔 >>98
よくそんな嘘を吐けるな
流石安倍の一族だけある >>97
聖徳太子相当の人物を記した同時代遺物なんてない
決め打ちでそう解釈するといういつものやり口だけ
俺自身は虚構説に肩入れしてるわけじゃない為念 >>103
よくよく読んでみたら日本政府が定めていることがおかしいと言うのか?
日本国の政府が定めたものが公式や正式でなけれぱ、何をもって、誰が決めたことが日本の歴史に対する公式なものになんるだ?
日本政府は日本国の最高機関だぞ?
頭大丈夫か? 後世こう言われる事だろうな
当時政府は強制はしていなかった
あくまで希望者を募ってそれらに接種していたと
結果それらは死に絶えたが
政府は強制していない
あくまで民衆の拡大解釈による暴走による自滅行為だと
そういうことだよな?
そう後で仰る筋書きですよね?
彼らの手口は明治時代と変わらねえな
政府の権力でメディアを報道規制して言論統制しながら
政府のせいじゃないと
そういう言い訳ですよね?
糞悪魔どもが
廃仏毀釈も彼らの工作ですよ >>115
なら聖徳太子という呼称を政府が決めてたなら問題ないって話でいいか?
文徳天皇なんかは六国史では天皇じゃなかったはずだが 聖徳太子関連で残ってる文献なんて2次創作、3次創作の同人誌みたいなもんでしょ
そんなもん調べて実在を特定出来るの? っていうか、
人の国でなにしてはるんですか…w
君達 日本書紀「唐と戦争したのは倭国。我々は日本で邪馬台国だ。日本の聖徳太子は隋に手紙を送った。百済、新羅、高句麗は倭国で日本の属国」 >>119
結局そういうこと。だから教科書からもほぼ消えた >>113
「ハ行」無いなら日本人でしょ、
神代文字とか笑っちまうよなw
「ん」があって
大ウソだろ…と。 帝紀や旧辞が残ってたらもっと詳細が分かったんだろうか。
どこかから発見されないかな。 聖徳太子は物部守屋の奴婢を使い四天王寺を建てたという伝承がある
奴婢の身分から開放し石工や木工に取り立てたのかもしれない
聖徳太子は石に守られているという叡福寺の七不思議に関係するのかもしれないね
後世太子信仰が大工や石工、左官や桶職人、鍛冶職人など、様々な職種の職人集団により信仰されたのもこういうエピソードがあったからかもね >>8
> 韓国人は滅びるよ
> これは間違いない
核戦争で人類が滅亡してもゴキブリは生き残るぞ >>111
よくそんな嘘を吐けるな
流石安倍嫌いのパヨクだけある 浄土真宗開祖の親鸞の夢の中に聖徳太子出てきて、親鸞を導いたから浄土真宗的には聖徳太子は存在した >>3
何を!失礼な!ってなんかであったな。激怒するやつ。 つか、突厥の記録だと
拓跋→唐では無くて、
唐が滅びるまで拓跋なんだよなw
おかしいなー 四宮 正貴(しのみや まさき、1947年(昭和22年)3月17日[1] - 2021年(令和3年)4月4日[2])は、日本の右翼、作家、評論家。「四宮政治文化研究所」主宰。 スサノオの眉の毛から生まれたのが楠で船に使うと用途が定められた
枯野伝説によれば、楠の大木から軽船(風土記では速鳥という名の船)を作ったとある
楠は古代の西日本では丸木舟の材料として使われ、また、大阪湾沿岸からは、クスノキの大木を数本分連結し、舷側板を取り付けた古墳時代の舟が何艘も出土している
記紀には色々船が登場する
最初に生まれたのがヒルコが乗っていた楠の船、古事記では葦船である まあ井沢の説が一番自然だわね
実在だが聖でも徳でもない凡人
しかし怨霊だから聖徳と呼ばれた
怨霊封じのために >>118
日本史は日本政府公式の日本の歴史書が基になっているって話であって、日本政府政府が敬称を決めたならなんて話は一切していないんだが
公式の歴史書の記載だからってのが俺の立場で、そこにかかってくるのは政府公式の歴史書
主体は政府でなく政府公式の「歴史書」
誤解を伴うかも知れんけど政府はあくまで該当歴史書を公式だとしたに過ぎないってこと
それが政府主体で敬称云々の話にどうしてなるのか意味わからんよ 新しい文献が発見されない限り
結局は物語をつくってらっしゃる
だけなんじゃないかしら >>143
聖徳太子という呼称を日本政府が認定してるなら出鱈目でもなんでもないじゃん
六国史と相反することを史実としてることなんてたくさんあるし
大日本史の特筆なんかお前の中ではどういう扱いなん? 「『厩戸皇子伝説』に挑戦する次なる勇者よ! よく来られた!」
w ● 明治天皇すり替え説は極左のデマ
金門の変の時、長州がすり替えたという。
このとき、長州軍は御所の敷地には入ったが、
一番外の門を越えただけ。内裏には入っていない。
徳川慶喜が指揮した防衛隊が長州を押し返した。
明治天皇は当時11才。すり替えたら親族が気づく。
長州が朝敵でなくなるのは3年後なので、朝廷
内に長州関係者はおらず、外部の人間が皇族と
して生活するのは不可能。
金門の変の翌日、朝廷の味方の奈良の武士が
内裏に集まった。前日の変があったため、朝廷の
人に勘違いした者がいて、一時騒ぎが生じた。
この件と前日の変を混ぜた作り話がすり替え説。 聖徳太子の父→用明天皇
用明天皇の母→蘇我堅塩媛(馬子の姉妹)
聖徳太子の母→穴穂部皇女
穴穂部皇女の母→蘇我小姉君(馬子の姉妹)
父母いずれの血統にも蘇我の血が入ってるのが聖徳太子
その長男である山背大兄の母も蘇我刀自古郎女(馬子の娘、蝦夷の姉妹)
これだけ蘇我寄りの血筋なのに入鹿を中心とした勢力に一族郎党滅ぼされたんだなあ >>141
非業の死の貴人なら同時代に数十人は居そうだが
なぜ聖徳太子だけ崇拝されたのか
怨霊と言いたいだけちゃうんかと
井沢って何でも怨霊 眉マユなんだが和泉に摩湯という地名があり以下の伝承が残っている
摩湯の丘陵の下から温泉が湧き、摩湯千軒といわれて繁昌の地であった。だが、あるとき、馬子が馬をひいて来て、馬蹄を浸したので、湯が汚れて有馬へ飛び去ったと伝わる
摩湯の丘陵の海岸近くに池上曽根遺跡がある
楠の巨大な井戸、石器の祠、巨大神殿、鉄工房、銅鐸、巨大なヒスイの勾玉、蛸壺が出土した集落で弥生時代末期に営みを終焉している
有馬は摩耶マヤ山の麓。摩耶は空海が釈迦の母、摩耶夫人の像を作ったことに由来すると言われているがそれまで山に名前がなかったのかという疑問が残る
和泉の摩湯の伝承は実話を元にしているんじゃないだろうか?
ひょっとしたら聖徳太子の母は池上曽根遺跡にルーツがあるのかも
厩戸ウマヤトは本当はマヤト、摩耶ト、摩湯トかもねえ 一周まわるとこうなるわな
そもそもここまでの時代の特定の個人の事実認定なんて、さすがに無理となるのはしかたがない
だって資料が見つからないんだもの >>147
君言っていること分かる?
俺は主体は歴史書で、どんな歴史書かと問われたら日本政府公式の歴史書って話よ?
君が言っているのは政府が主体で政府が公式な敬称と認定したらって話でしょ?
もし無理くり同じにするなら、政府主体で政府が個人の敬称を決めると、政府が主体で政府が歴史書の呼称を決めるだよ
政府は古事記や日本書紀の呼称を決めていないだろ?
もし政府が該当歴史書の呼称を決めたとして、歴史書の呼称について何も言っていないよね?
俺が言っているのは歴史書に書かれた中身の話よ?
君の問いかけ自体がずれているのわからないかな?
実際問題、政府が個人の敬称を決めたとして、その人の本当の名前とは限らないよね?
政府公式の歴史書って言うのは、内容の真偽は別として、記載されている内容は公式なものですよって話よ
この違いが分からないと多分話は成立しないと思うよ >>156
懿徳、仁徳は検証できんくらい古いから別として
孝徳、称徳、文徳、崇徳、安徳、顕徳(後鳥羽)、順徳
みな非業の死と裏合わせなんや >>152
その入鹿も乙巳の変で中大兄皇子(後の天知天皇)らに殺害されちゃうのよね >>160
いつかわからない、どんな政府が認めたかわからないけど六国史だけをお前は正史だとしてるんだろ?
日本政府が公式にしてるからという理由で
なら同じ理由で日本政府が公式にしてるなら聖徳太子という呼称はデタラメでもなんでもないという話にしかならない >>154
後世に(多分懐風藻にて)つけたれた聖徳太子という非常に有り難そうでゴロの良さそうな名称と、日本書紀で上宮厩戸豊聡耳太子と記されているように10人くらいの話が同時に聞けるくらい人間離れした技をも持っていたからじゃね?
知らんけど 徳と言えば仁徳天皇だが
記紀で仁徳天皇の時代瑞祥として書かれているのは、雁が卵を生む話と楠から軽船が作られた枯野伝説
雁と楠が本当の仁徳天皇でしょうね
聖徳太子の時代、茅渟王の子、孝徳天皇が生まれる
孝徳天皇の諱は軽
孝徳天皇の本当の母は聖徳太子と同じ楠かもねえ
聖徳太子で興味深いのは片岡の飢人、聖伝説
しなてる 片岡山に 飯(いひ)に飢(ゑ)て 臥(こ)やせる その旅人(たびと)あはれ 親無しに 汝(なれ)生(な)りけめや さす竹の 君はや無き 飯に飢て臥せる その旅人あはれ
旅人の親は亡くなっていない
旅人の親のことを刺竹の君と言い直している
かなり興味深い歌
ちなみにしなてるは坂照るの字を当てられることもある、片岡やにほ鳥にかかる枕詞
片丘に埋葬されたのは孝徳天皇の父の茅渟王である
天皇の父なのにその事績は全く残っていない
記紀を編纂した勢力がとても書けない、嘘にもできない内容だったんだろうね >>163
やっぱり違いわからんかw
あの説明で理解できないなら俺には君が理解できるような説明の手段が無いよw
君が物理や論理が得意なら良かったんだろうけど
別に理系って訳じゃなくて文系でも論理とか歴史学が得意なら通じたんだろうけねどね
残念 徳川幕府は260年続いたぞ
非業の死はそうはなかった
徳は善き文字ぞ >>167
お前の話の中に聖徳太子という呼称がデタラメという根拠が全くないからな
後世、皇統から外されたり繰り入れたりもされてるのに六国史の中身を以てデタラメなんて話になるものかよ 聖徳太子の歌に出てくる刺竹のという言葉は、大宮や君にかかる枕詞
大宮地の霊言えば座摩神のことで、平安時代、神祇官西院において「御巫」称される女性神職、座摩巫により奉斎されていた神さま
上町台地の座摩神社に祀られている
「いかすり」は「居処領(いかしり)」、「居所知」の転と見られ、総じて宮所守護の神々とされる
生井神・福井神・綱長井神・波比祇神・阿須波神
波比祇神・阿須波神は大年神と天和迦流美豆比売の間に生まれた神
天和迦流美豆比売は地主の水神、山の神、里の神さまやね
孝徳天皇の諱は軽で和風諡号は天万
万は卍で、卍は和を意味する
天和迦流美豆比売と名前の構成がそっくり
話は変わるが、しなてる坂照の坂と軽を合わせた名前を持つ神さまがいる
イワナガヒメは須佐之男命の子の八島士奴美神と結婚する、木花知流比売と言われている
八島士奴美神又の名は、清之湯山主三名狹漏彦八嶋、篠清之繁名坂軽彦八嶋手命
湯、サル、坂軽彦、 聖観世音菩薩
聖ペトロ、聖ヨハネのように
聖という文字は敬意を表す接頭辞ではないのかね
それを鑑みると
聖徳太子は聖 徳太子
太子は皇位を継ぐものの尊称
つまり聖徳太子とは
徳という素晴らしい意味を持つ文字の
擬人化であるやもしれんな
存在自体で人のあるべき姿を教え示す
そういう存在であってもおかしくはない
和を持って尊しとなす
それが徳のある国の在り方やろ(´・ω・`) 聖徳太子知ってる?て、煽った方の人
人の話を、全然聞かない、聞く耳を持たない まぁ明治売国テロリスト政権の残党を一掃しないとこの国に真の民主主義も真の歴史も無いでしょうね
彼らこそがこの国のガンですから 本名厩戸皇子ですから
それが聖徳太子という尊称を与えられた意味を考えてみることだな
前述したように徳を持って国政に励んだ方への尊称が
聖 徳 太子であると思うが
尊称敬称を抜いたらそこには徳しかない
類稀なる徳のある御方であったという意味ではないのかね(´・ω・`) 旧辞帝記は蘇我氏が持ってたんだてねぇ~
なんでだろぉ~、なんでっかなぁ~
へんだなぁ
おっかしいなぁ~ 厩戸皇子なんて薩長売国奴政権のバックのユダヤの押し付けに決まっているじゃないですか
バカげてますよね 誰も知ってる人が居る訳ないし
実際は人の話に全く耳を傾けない人物かもしれないよ 推古天皇と聖徳太子
推古は古を推す
古代のありようを取り戻そう、守ろうとしたのが推古天皇と聖徳太子かもねえ
幼き軽、後の孝徳天皇を守り抜いたのかもねえ >>96
記紀が日本国公式のソースってなに?
閣議決定でもあったか? ● 田布施システムは極左のデマ
一時、田布施システムという説が盛んにネットに
書き込まれたが、嘘がバレて今は消えた。
その説が拠り所とした「フルベッキ写真」は
研究が進み、明治元年10月27日から明治元年
11月19日に、長崎で撮影されたことが明らかに
なっている。
その期間には、明治天皇は既に即位して東京に
おり、坂本龍馬は1年前に死亡しており、写真
に写るはずはないから、田布施システムは説明
が成り立たない。
というか、当時の他の写真や日記も見つかり、
写っている人が佐賀藩の学生で、長州は関係が
ないことも分かり、田布施システムの説明は
まったく成り立たないのである。 発案したのが本人ではなくても採用して実行させた責任者ポジションだったのなら充分だろ。
本人死後の出来事まで功績扱いしてるなら見直すべきだけど。 聖徳太子は文系も理系も政治交渉も長けてた有能な人物
当時の最先端理工系の大工の神様的存在
矩尺持っても像もある 古史古伝が認められないからな
ウエツフミ、ホツマツタエ、竹内文書あたりが認められたら
日本の歴史は大きく変わるんだがな
記紀しか認めないから
日本の古代の歴史は闇に隠されているんだよ
アノ明治帝のようなもんさ
世界の歴史も日本の歴史も同じく
勝者の歴史に書き換えられているということだけは憶えておきたまえ
人類は軒並み騙されているんだよ
彼らに(´・ω・`) 日本に伝わった仏教がどういう仏教か知らんが
仏教とは遠くね?むしろ景教とか大乗仏教
持ってる棒みたいなのも当時無かったんだろ? >>181
推古って名前ごついたのは約200年後だけどな。 >>153
聖徳太子が大工の始祖的存在だから
聖徳太子を祀る法隆寺でその教えが結実した 乙巳の変で蘇我氏が悪者になっちゃったから、
蘇我氏が遺した業績も、厩戸皇子というひとりの蘇我系皇子の生涯に重ね合わせたのが、
聖徳太子崇拝。
これが「聖徳太子はいなかった」という学説。 1815年に前文明であるタルタリア帝国が滅亡した
それすら歴史から消されている
たった200年前の超科学文明もなかったものにされている
マッドフラッドは間違いなく証拠が残っている
巨人たちの遺骨も多数見つかっている
前文明の痕跡は残っているが
世界中の政府がそれを隠蔽している
証拠は知ることが出来る
彼らに消される前にそれを調べよ
私も騙されていたのだよ
君らと同じように(´・ω・`) >>185
岸信介、安倍晋三を憎しの余り、無理繰りな
設定をしたため、田布施システムは嘘がバレた。
そもそも、田布施には幕末に有名人はなく、
岸信介が台頭するのは、満州事変後の戦前の
昭和である。 小学生娘にまえ聞いたらやっぱり習ったっていってた
習わないんじゃなかったんだな >>193
と、いうことだが、
では蘇我氏の業績をなぜ「厩戸王」の業績にしたのか
この点で厩戸王凡人説は破綻してるわね >>157
摩湯の古名は「馬湯」で、馬で湯が無くなったので、
代わりに湯が出てきた所が「有馬」になったとか?
聖徳太子は厩戸皇子を脚色したものってもいうし
馬は当時だとカイエンの超グレードアップ版の高級車的な扱いだったろうな >>170
徳川の名は、朝廷から賜ったという設定がある キリストの伝説が日本に伝わって
聖徳太子と呼ばれた
厩戸皇子とはそういうこと ちなみに聖徳太子の建立した
世界最古の木造建築である
法隆寺五重塔は
タルタリア帝国文明の遺物ですからね
フリーエネルギーに関係してます
法隆寺の伽藍は日本で唯一のエンタシス構法
パルテノン神殿と同じ造り
日本で唯一です
古代日本は世界の中心地であった、かもしれないし
少なくとも古代において、遠く離れた外国の建築様式と同じ様式であることから
長距離間の短時間移動が可能であったと考えるのが
妥当であると思います(´・ω・`) >>195
伊藤博文は光市だから田布施のすぐ隣だよ
こいつは長州忍者の世鬼一族の一門らしい
(´・ω・`) >>196
いや、聖徳太子の遺した業績や逸話とかを1人で成し遂げた個人は存在しなくても、
それぞれの業績や逸話を遺した個人はいただろう、
というのが定説になってる
「聖徳太子」は、そうした個人個人の業績とかを集めて一人称にした際のグループ名みたいなもの >>202
?
それと徳川に非業の死がないこととなんの関係が?
非業の死があったから「徳」の諡号をしたという話をしているんだが
徳川家に非業の死が無かったから「徳」に怨霊封じの意味はないなんて話にはならないが? 日本三大怨霊
菅原道真、崇徳天皇、平将門
だがその大怨霊を上回る超絶怨霊が二柱居る
一人は早良親王 日本最強最悪の超怨霊
そしてそれに比肩するもう一人が聖徳太子 >>211
まあ、法隆寺は、聖徳太子の霊魂を封じ込めておくための寺、と言われているしな
門の構造が違う >>22
声のでかい偉い先生の言ったことに同調する学問だよ、知らなかったの? >>214
韓国の声闘(ソント)みたいな学問なんだね
声がデカイほうが勝つという >>211
単に奈良時代平安時代は疫病が流行ってただけなのに、怨霊よばわりされている彼らが可哀想だわ。 >>215
日本の文系の学問なんてほとんどそんな感じだよ。 >>184
知らんがな
詳細な経緯は詳しくは知らんけど、元正天皇の命により作成された公式の歴史書故、国立公文書館に保管されているよ >>217
そうか?
この30年でそんな事例は聞いたことないけど。
むしろ科学化が進んで、
これまでは「可能性が否定できない」程度でも認められていた学説が悉く否定されてきている。
この問題や仁徳天皇陵問題とかね。
ようやく似非科学から脱却し始めているから、これまでの定説はどんどん変わってくると思うよ。 >>169
死後、懐風藻あたりで付けれた名称じゃん
どこが出鱈目なのかね? >>67
イルカとかウマコとか蝦夷とか
ぜったいに天智天皇から嘘の名前つけられたよな 蘇我善徳だろ
謎でも何でもないよ
源義経がチンギスみたいに後付けしただけじゃん 蘇我が当時絶対的な権力者だったのは間違いない
本当の天皇だった可能性すらある >>216
そのへんは少し違うかな
怨霊とされるのは無実の罪などの非業の死が条件
道真は太宰府へ流罪になったわけだが、あれはあれで大逆の罪を着せられてた
だからそのままだと道真は反逆者として歴史に名前を残すことになる
当時の朝廷の役人には菅家廊下と呼ばれた道真の教え子たちがいた
彼らは道真の無実を朝廷に認めさせるために様々な天災を道真の祟だと訴えた
それを祟だと認めることは朝廷が無実の罪を道真に着せたこと、冤罪を認めることになる
だから本当に認めるまでに30年以上かかってる
上御霊神社とか下御霊神社なんかもそう
怨霊というのは朝廷側に明らかに非があったと朝廷が認めて成立する >>219
国立公文書館に所蔵されているから公式の歴史書ってわけじゃないよ。
たしかあそこに所蔵されているのは写本だったはず。 一時期虚構説が出回ったあれか。名前はともかく、そのような人がいたらしいが。 >>229
キムチ猿は糞でも食って寝ろ 糞が足りないならコンビニの便所にでも行け 猿 >>221
23 ニューノーマルの名無しさん sage 2022/05/07(土) 20:19:18.64 ID:WHumDtQO0
当時聖徳太子とは全く呼ばれていなくて、実際は馬宿の御子と呼ばれていたと歴史検証で判明した事実を基に教科書記述の変更をしようとしたら反対で大騒ぎになったよな
聖徳太子の方が出鱈目なのに
もう聖徳太子は触らない方がいいんじゃね?ww
お前がレスしたのと違うんか? 今起こってる戦争ですらどっちが正しいかわからんのにそんな昔のことわかるかよ >>227
そもそもの公式な理由の根元は天皇の命によって作成させた歴史書だからですよ
戦後、政府も日本国公式の歴史書との見解を出していますよ
どの内閣だったか、それが閣議決定なのか総理や一大臣の言葉なのかは覚えていませんけれど
ほとんど覚えていない記憶が万が一ただしいのなら、踏襲だったと思います >>233
馬宿の皇子(本来の記述は厩戸豊聡耳)や更に別の呼称(上宮厩戸豊聡耳太子、他)等の記述は有るが、聖徳太子と記されたのは記憶違いでない限り、後年懐風藻においてが最初のはず
で、お前はなにが言いたいの?
取り敢えず上記をお前自身で確認して、有っているか間違っているか確認してこいよ
正しかったら二度とレスするな
間違えていたら好きなだけ絡んでいいよwww >>237
お前ごときが条件付けるなよ
聖徳太子の名前を使うことが出鱈目という根拠が全く無いんだよ
六国史にあるかどうかだけがお前の判断基準なんだろ?
そして六国史だけを正史としてるのは政府(笑)が公式としてるから
なら政府が公式としてる六国史にない史実出鱈目ということか? 松田聖子みたいなもんだろ、用法としては
松田聖子は虚構の存在であり実在でもある
本名は蒲池法子から神田法子になり今はナントカ法子さん >>238
聖徳太子の呼称に関する問題では、蘇我氏滅亡以降にしか登場していない時点で苦しいってことになっている。 >>238
お前何言っているの?
俺は条件なんかつけてないぞ
で
俺がそこに書いた内容が正しいか間違っているのか調べ終わったのか?
どうしてもレスしたいのなら、先ずは正誤を調べてこいよ
そんな当たり前の常識も無いのかお前は? >>238
あー、もしかしてアレか?
実はもう調べていて、俺の記述通りだったから何も言い返せなくて、全然関係の無い難癖付けてるの? 代わりに蘇我善徳が存在感がゼロになったな
虚構のキャラ設定のが一人立ちしたつうか
歴史的な人物を神聖化して習合するのはよくあるけど
逆に分割して神聖化した方が大きくなって残ってる >>241
で、お前はなにが言いたいの?
取り敢えず上記をお前自身で確認して、有っているか間違っているか確認してこいよ
正しかったら二度とレスするな
間違えていたら好きなだけ絡んでいいよwww
お前の記述が間違ってるかどうかの話なんかしてないのに調べてこいだの正しかったらレスするなだの言ってるのは条件付けじゃないのかwww
記紀や六国史の正史以外は出鱈目だと?
聖徳太子という呼称が後世に付けられてる訳だが出鱈目とは何をもって出鱈目とするのか? >>197
で、だ。
百濟語は何語だ?韓国語では無いな
上=ヲ、中=シソ、下=アルシ >>246
百濟語は、🇰🇬キルギス語や🇰🇿カザフ語に近かった?!
上
🇰🇬Өйдө[Öydö]
🇰🇿Жоғары[Joğarı]
下
🇰🇬астында[astında]
🇰🇿астында[astında] 🇯🇵日本の🍎りんごと🇰🇿カザフスタンの🍎りんご
🧬遺伝子に関連性はあるのか? >>239
全然違うだろw
松田聖子は現役存命中の芸名で、実際に直接本人が松田聖子と呼ばれている
明確に呼ばれた実績が存在する
聖徳太子は真田幸村と同じ
存命中はそうそばれることも呼ばれたことも無く、後世第三者によってつけられたもの
呼ばれた実績が全く無い だから用法としてと付け加えてる
キャラ設定のが生前生後の違いはあるけど >>206
光市は田布施ではない
光市には幕末と明治の有名人はいるが、
田布施には幕末と明治の有名人はいない
(´・ω・`) パヨク「聖徳太子なんていなかった!日本は土人の国!」 >>1
==ニュース速報+自治スレタイルール==
カテゴリ欄はその客観的な分類を旨とし、記者の主張・主観・解釈を交えてはいけません。 >>119
まあ実在しなければ2次創作や3次創作も作られないね >>139
法華経義疏は聖徳太子の直筆の書と伝わる >>166
刺竹の君は親じゃなくて仕える君の事で
親無しに 汝(なれ)生(な)りけめや さす竹の 君はや無き
のところは
親はないのだろうか仕える主君もないのだろうか
という訳になるらしいよ 聖徳太子はミトラ教の流れ
キリスト教もミトラ教の流れ
宗教的シンボル像なんよ >>264
ミトラ教は頭がライオンで体が人の像を祀って拝んだりしてた
キリスト教は偶像崇拝禁止 >>3
じゃあ君はイエス・キリスト知ってるのか!!! >>269
同母きょうだい間での婚姻はタブーではあったらしいな >>208
てことは昔の一万円札でお馴染みの
あの聖徳太子の肖像画は架空の人物ってこと? 厩戸皇子はキリストやった
尼崎や大阪や奈良、大和朝廷には確実に
アフガニスタンからギリシャ文明も伝わってる
後の平安京のオッサンらでも祗園祭りこと
シオニストのシオン祭りでギリシャのタペストリーを掲げてるから >>272
そもそもあの肖像画が中国風の衣装で
だれがいつ描いたか
そもそも聖徳太子を描いたものかすらわかっていない 歴史の研究者じゃなくて仏教の研究者なんだね
それで当時の中国や韓国の文献とコンピュータで
簡単に比較できるようになって
日本の文献が古い当時の日本人の手によって作られてる可能性が高い
って事がわかってきたと
(表現をどの文献から引用したのか、とか正式な文法から間違ってるか、
とかがわかる)
ただそれでもやっぱり十七条憲法が日本書紀編纂時に作成された文章である
(太子当時のものではない)んでしょ? 遣隋使で派遣された朝廷官僚の高レベルを見ればこの頃に相当高度な文化レベルが既に朝廷にあったのは明らか
それが気に入らない一部学者が太子の高度な業績は後世の捏造とねちねち批判してるんだろうな >>9
この当時は今の朝鮮人韓国人の先祖はシベリアでウホウホションベンとうんこを飲食してた。
半島にいたのは日本語がしゃべれるし日本人とDNAが同じ 蘇我蝦夷と聖徳太子は血縁関係。つまり蝦夷は聖徳太子と血縁関係。
つまり、蝦夷地は古来から蝦夷の血縁関係つまり天皇(大王)の土地である。 >>274
あの聖徳太子の絵は中国の唐の人間または朝鮮の阿佐太子の前に
霊のように出現した聖徳太子の姿を画いたものと伝わるね
唐風の服装なのは現地に合わせた姿で現れる応現という出現の仕方だったからと言われる >>279
織田信長が西洋画でスーツきて描いてあるようなもんだから
そういう理屈がないと成立しないわな >>280
織田信長が西洋人のところにスーツ着て現れたらそうやって絵に画かれるだろ パウロのキリストのでっち上げもそんな感じだな
だから実際に会ってるぺテロを叩いてたし
聖徳太子は実在モデルの蘇我氏を叩いてる構造と同じだな 山本勘助も実在したけど軍師的なポジションの人じゃなかったみたいだね >>1
> では、石井さんには、どんな太子像が見えるのか。「謙虚なようでかなりの自信家なんです」。太子が著したとされる法華経の注釈書では、経文の語順に「少し倒(とう)ぜり(文字の順序が間違っている)」とけちをつけている。
大丈夫かこの人
三経義疏みたいな疑惑の著作を根拠に人物像を推測するとか... 聖徳太子虚構説というのは
伝聖徳太子存在否定説ではなくて
伝聖徳太子業績捏造説のことである
勘違いしてる人がこのスレにもいるが >>282
でっち上げる理由もないと思うよ
当時キリスト教徒になるのは迫害や処刑の危機にあう事を意味していた
しかもパウロは元々はユダヤ教パリサイ派の有力者で
キリスト教徒を迫害して処刑人に引き渡す方だった 常識的に考えて日本人は大陸から来たんだろ
先に来たのが日本人になり後から来たのが帰化人になったのかな もう最近の歴史学は逆張りすればいいみたいな面あるから嫌
武田騎馬隊は存在してなかった
上杉謙信は女だった
信長は本能寺で死んではいない
明智光秀は大陸にわたりチンギスハーンになった
豊臣秀吉はどこの馬の骨とも知らぬ農民だった
伊達政宗は眼帯も着けていなければ目の病気ですらなかった
…面白いの? >>288
究極は記紀が編纂される前の史実はほぼ架空や捏造と言いたい学者なわけだろうね
厩戸皇子って推古天皇を補佐し創建法隆寺を作った偉人でも
ただの凡人で無能と決めつける学者がいるわけでビックリするわ >>288
それ歴史学じゃなくてトンデモ歴史学だからw
明智光秀が変身したのがチンギス・ハーンだったら歴史ですらなくなるわww
百歩譲ってヌルハチだろwww >>289
現代歴史学は一次資料を重要視するからね
確実な一次資料が存在しない7世紀初頭の実態に関して諸説紛々なのは仕方ないな だからでっち上げたんだろ
敵方に居て時代もあってないから復活したイエスにあった聖人然としたキリストを作り上げた
そんで信じるか信じないかでマウントを取り出した
内心はペトロが何か違うよと言わないかヒヤヒヤしてたから先取り攻撃したんじゃないかな
ペトロも何か弱味があったじゃないか?イエスの摘発を全部ユダのせいにしてるけど サヨクの嫌いな人物
聖徳太子
明治天皇
安倍一族
安倍の祖父が青春時代の思い出の安保闘争なんだろうけど
明治天皇と聖徳太子は関係ないのにえらい迷惑 >>293
聖徳太子と明治天皇は上からの文明化近代化という共通点がある
マルクスレーニン主義だとそういう視点が無いので、そんなわけがないと言いたくなるわけだ しかし安倍ってのはその聖徳太子の時代の阿倍氏(のち安倍氏)なのかね
だとしたらずいぶん由緒正しき
というか長続きしている一族だよなあ
だって蘇我物部はもちろん
藤原 平 源 北条 足利 織田 徳川
なんて首相クラスはいないもの
まあ藤原とか北条
徳川とかの地方有力者ぐらいはいるだろうが >>285
古代すぎて一次資料がほとんど無いし、信憑性とかでてくるからなぁ
業績といわれるモノですらどこからどこまでが実存したか不明瞭だし、
人間として存在の有無すら識別は怪しい。
今回のは実在したと仮定して、業績(功績)がどの程度信憑性があるか否かについての一仮説でしょう。
書き方からして推定できるのは
(存在していたか否かは別として)業績とされているモノは一定レベルの方向性(一貫性)が観られる。
という程度な気がする。
風土記とか現存していればなぁ
時期的にも100~150年くらい前になるからなにか痕跡くらいありそう。
播磨国風土記にはそれなりに推測できる記事はあるけど。
もう少し一次資料が欲しいな、切に望む。 法隆寺たててもただの凡人、無能野郎ってさすがにヒドいわー
じゃあどうやったら英明で有能になれるのか
もう言いがかりに近いのが今の学者だわな 期に何本とか論文あげないとならんのだろうし
珍説が出るのは仕方ない面もありはするのだろうけど
サヨクに利用されてんね パヨクにしたら居たほうが都合イイんでね?
「中国サマに張り合った無礼千万な倭奴め」
と吠えること出来るから。 >>288
なんで義経と明智を間違える?
これが「戦国脳」かwwww >>292
でっち上げでもキリスト教徒になったらユダヤ教徒による迫害と処刑の危険があった
ユダヤ教徒パリサイ派の重鎮だったパウロがそれを知らなかったわけがないね
パウロがユダヤ教からキリスト教に転向したのは
でっち上げ以外のわけがあったんだよ >>296
一次史料はあるよ
直筆の書と伝えられる法華経義疏
他には法隆寺三尊像や薬師如来像の後背文
それから元興寺の塔にあった露盤には
有麻移刀等刀〔与〕彌々乃彌己等(うまやどとよみみのみこと)と
聖徳太子の名が彫ってあった事が元興寺縁起という書に記録がある
他にも奈良時代の仏像や石碑や緞帳など色々なものに聖徳太子の名前があって
逆に実在してなければ辻褄が合わないくらい >>25
ジャップとかいつの時代だよ
もう21世紀も20年過ぎたってのに1世紀前のパラダイムに生きてるとか恥ずかしくないのかよ… 明治テロリスト政府の歴史捏造もいい加減改めないとな 十七条憲法は正格漢文どころか、倭習の山。
これ、森博達氏が正しく指摘した通り。
仮に渡来人から教養を授けられたとしたら、せいぜい百済人。
隋からの移民から教えを受けたにしては中国語の語学力が弱すぎる。 推古天皇の善の分身が聖徳太子で悪の部分が馬子だろ。
推古天皇が武則天みたいに独裁体制作ったけど推古天皇の血統は山背一族殺戮と蘇我氏滅亡って形で滅亡したから書き換えてるだけだろ そう言えば普段は高圧的なくせに(推定)、文部省がなぜだか聖徳太子について国民のご意見をうかがうとか超絶的に間抜けな事を言ったあげく国会で吊し上げをくったような事があった。あれは歴史的にはなかなか際どい事件だった。石井公成氏のブログでも聖徳太子像変遷史が触れられているし調べればすぐ分かる。
ここで厩戸皇子曰く「またまたまた俺なのか。んな殺生な」 聖徳太子厩戸皇子への否定説は
1 こんな素晴らしい業績の日本人が実際にいては中韓の面目が丸潰れ派
2 人間にこんな高度な能力があるはずがないという能力限界派
このニ派がある
面目丸潰れ派は学問のふりをした売国奴で論外である
能力限界派はただの世間知らずで、例えばフォンノイマンのように大著の本でも一字一句暗唱でき
7カ国語を自由自在に話せる人が実際にいる 実は聖徳太子はある種の組織や人々にとって
都合がよろしくない存在らしい >>269
親戚同士で結婚するってDNA保存のためでしょ。
エジプトも兄弟姉妹で結婚してたし、ヨーロッパも親戚同士で結婚。
他の人と結婚すると、能力が薄れるからね。 >>303
> 一次史料はあるよ
> 直筆の書と伝えられる法華経義疏
これは驚いた
かなり疑わしい書なのに
聖徳太子が仏教を広めたのは間違いないが
(蘇我氏とより影響が強かったのがどちらなのか議論が残るとしても)
広めたのだから他人に講釈したのも間違いないだろうけど
三経義疏を書いたというのはいろいろな証拠からかなり眉唾
直筆なんてない >>306
文章は推古紀と同時に書かれたもの
誤記が共通してるから、という論だよね
冠位十二階と同時期に制定されたものがあったとしても
同じ文章で推古紀に書かかれたかについては
つまり原文が(あったかどうかも含めて)どのくらい残っていたかは
相当の留保を置かないといけない >>316
なお上宮聖徳法王帝説でさえ
冠位十二階と十七条憲法は扱いが違う
冠位十二階の方は聖徳太子が制定した可能性が高い
十七条憲法はそうでもない >>315
それなら法華経義疏は誰が書いたかという話
当時は仏教が入って来たばかりで国内に僧もほとんど居ない状態
義疏とは解説書のことなのでやはり書いたのは仏教の講義をしたと記録にある
聖徳太子が第一候補になるんじゃないかな はっきりしない人物をお札の肖像画に使ってたのか、この国は。 >>318
> それなら法華経義疏は誰が書いたかという話
それは詭弁に過ぎない
作者不明書記不明だから聖徳太子にすべしなんて論は
日本産かどうかすら疑われてるのが実情 証拠というなら仏陀も弟子が説法を聞いたと書いただけで本人が言った証拠はない
結局聖徳太子(厩戸皇子)の偉業を歴史から何としても消し去りたい一部の運動なわけよ インドもキリスト教徒も釈迦やキリストの実在性はちゃんと分けて議論してるだろ 聖徳太子はいなかった
大化の改新は無かった
こうやって史実を否定しまくる人は、
「南京大虐殺は無かった」
「従軍慰安婦は居なかった」
などと歴史捏造したいのです。 歴史も科学的にってことで
第一次資料がなければならないとか
キジルシが出てその第一次資料が真偽や
盛り具合をどうするかって話が
その学者の能力では処理できてないからおかしなことになる
いわゆる聖徳太子の業績は多数の人の物を集めたものだからといって
いわゆる聖徳太子と目される人がいない証明にはならない
なぜなら目される人はいるから アーサー王のモデルは居たけどアーサー王がそのまんま居たとか強弁するのは居ないだろうな >>320
法華経義疏は作者不明だから聖徳太子が書いたとは言ってないよ
題名の所に「此れは是れ、大委国やまとのくにの上宮王かみつみやのおおきみの私の集にして、海の彼かなたの本にあらず」
「日本の聖徳太子の自著であって、海外の本ではない」という意味の事が書いてあって
外国産のものではないね よくわからんのだが、その時代の人間に言語が理解出来たのか疑問
着物みたいなの着てるけど、針や糸とかどうやって調達したのかね
学校は嘘の歴史を植え付けてるだろこれは
大化の改新とか後付だろ
当時の人はそんな言語知らん筈だ >>328
針の歴史とか糸の歴史を調べてみたらわかると思う
言語は文字があるから理解出来てたろうな
当時の文字は今でも読めて意味もわかるし >>222
天智天皇と天武天皇は兄弟でないと言うのは本当なの? >>1
隋書倭国伝に遣隋使が日本の事をどう語ったのか書いてある。
それによれば、推古天皇は(天皇としては)存在しない。
そもそも女性天皇は皇太子に政治能力が備わるまでの繋ぎのはずで、
女性天皇のもとで皇太子が政治を行うというのは矛盾だ。
定説では、反蘇我氏の勢力を刺激しないように、
蘇我氏の血縁である聖徳太子を直接天皇にしなかったというが、
そもそも推古天皇だって蘇我氏の血縁者だし、
聖徳太子を皇太子にして政治もしてたら刺激しないわけがない。
つまり、推古天皇は(天皇としては)存在する合理的理由が無い。
したがって、聖徳太子も(皇太子としては)存在しない。
合理的に考えて、蘇我氏が天皇になっていたとすると、
全てが納得できる。
蘇我氏の邸宅はミカドと呼ばれていたし、
天皇を暗殺しといてお咎め無しというのも異常過ぎる。
その時皇位を簒奪して自分が天皇になっていたなら納得だ。
聖徳太子の主な業績は「全て」蘇我氏のものだったんだろう。 >>331
蘇我氏が天皇だったらその後の顛末がおかしな事になる
蘇我入鹿は権力を握るために自分の言う事を聞く皇子を天皇位に押したり
聖徳太子の子の山背大兄王を襲撃して自害に追い込んだりしている
蘇我氏が天皇になって権力を握っていたならこんな色々やらなくてもいいではないか
そして蘇我入鹿は大化の改新で皇子を殺し皇位を狙う奸族として
中大兄皇子に誅殺されてる 歴史上の偉い人だって偉人だって誇張がいっぱい入ってるの当たり前なんだが >>275
中国と韓国の研究という時点で怪しいけどね
日本とは歴史研究のイデオロギーが全く違う
中国文献学研究ですら見解の相違がある
古典文学から思想書に至るまで認識が異なる
古代上古どころか近代史研究から歴史教育に至るまで齟齬があるんだから 一応当時の日本人の上層の平均レベルがかなり高かった可能性もあるけど
どうもそうは思えないんだよなぁ。
この後の天智天皇と鎌足のコンビですら白村江をやらかしてる。
歴史を見てると本当にオーパーツのような優れたリーダーがでることがある。
逆に平均が高くても船頭が多くして船が明後日に行ってしまう事例が多い。
全部じゃないにしろ太子の指導力は大きかったかと。 兄妹の間に生まれたとか嘘が多すぎる
そんなの半島だけだし >>339
古代中国語は解釈が困難だからね。
論語さえちゃんと読むことができない。 >>269
タブーを破るのが神であり王族なのさ
わりとマジで >>331
> そもそも女性天皇は皇太子に政治能力が備わるまでの繋ぎのはずで、
どうだろうか?
ヤマトもともと合議制で
王はお飾りが多かったんじゃないか
即位自体合議制と思われるフシが多い
柵を断ち切った奈良朝以前に政治能力が求められていたか疑問 >>332
蘇我氏が権力は掌握しても、元の天皇家が消えたわけではなく、
依然としてかなりの力を持っていたんだろう。
厩戸王は皇太子ではなくとも、
元の天皇家のリーダーとして存在していたとは思う。
厩戸王なら蘇我氏との関係も深いから、
元の天皇家を滅ぼさなかった説明もつく。
馬子や厩戸王が存命中は両者の関係も悪くなかったんだろう。
それが入鹿や山背の代になると関係が悪化し、
反蘇我氏の勢力が大きくなって、
いろいろやらないといけなくなったんじゃないかな。 >>347
有力者を天皇にさせないために、
お飾りの天皇を置いたという考え方でも、
有力者を皇太子にして政治をさせた事と矛盾する。 >>331
水戸藩の大日本史の特筆
それを受けて明治大正になって神功を天皇から外して皇后に列した
つまりその当時では初代女性天皇は神功だった
その女性天皇は皇太子云々というのが推古朝にあてはまるのだろうか? 新解釈日本史の聖徳太子の話が好きw
実在してなさそうだよね 第一回遣隋使
開皇二十年 俀王姓阿毎 字多利思北孤 號阿輩雞彌 遣使詣闕 上令所司訪其風俗 使者言俀王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺坐 日出便停理務 云委我弟 高祖曰 此太無義理 於是訓令改之
兄が西の国、弟が東の国という感じで分かれたのかもな 東西朝みたいなものか
東の国が朝の時は西の国はまだ日が登ってないからねえ
日が照っているのに雨が降る >>349
それは一つの氏が他の氏を従えているという考えが前提にあるからでは?
飛鳥朝まではかなり怪しい >>345
今のとこ法華経義疏の表題の聖徳太子の書いたものというのが唯一残された手がかり
これがどこの寺の何とかという僧が書いたものと確実な資料が出てきたなら聖徳太子が書いたものではないとは言えるけど
今のところそういったものは出てきてないね >>348
蘇我入鹿の頃の天皇は皇極天皇だった
そして蘇我入鹿が大化の改新で討たれた時には皇極天皇の御前で無実を訴えている
蘇我氏が天皇になっていたのなら自分に向かって自分の無実を訴えていたという事になるけれど それは蘇我氏が帝位についていないことを前提としている記紀の記述なんだから矛盾は発生するよね
後世で大化の改新を記してるわけだから、中大兄皇子一族のトップに天皇の号を付けるのはなんの不思議もないよね いわゆる未来記を遺したことが後世に向けては最大の功績だと思う >>354
そう信仰したい人はそうすればいい
実際は書かれてから100年以上後に発見され
表を置き換える形で著者が書き込まれた書物
表以外は中国産の可能性が高い >>358
制作されて100年以上経ってからわざわざ付記する辺りが怪しさプンプンw
贋作品によくある手口だ
太子信仰が確立した奈良時代以降に、中国由来の当時の骨董品を由来付けした代物だろうね >巻一の巻頭の表紙の裏の「此是大委国上宮王私集非海彼本」の書き込みについて、
魚住は本文とは明らかに別筆であるとしている。
また、この書き込みは「此是」の2字だけを大きく書いた上で、
以下を2行に分かち書きにしており、しかも「国」の字を書き落として、
後から補入しているなど、あまりにもぞんざいである点を指摘している
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a4/Lotus_Sutra_written_by_Prince_Sh%C5%8Dtoku.jpg/300px-Lotus_Sutra_written_by_Prince_Sh%C5%8Dtoku.jpg
↑つまり、「これは聖徳太子の自著!」って書いてある部分がぞんざいで
いかがわしいということか 日本書紀には聖徳太子が法華経と勝鬘経の講義を行ったとあるね
なので法華経の解説である法華経義疏は聖徳太子の書いたもので正しいのかも知れないよ >>6
日教組とか日本の歴史を改竄しようとしているよな。 >>331
>皇位を簒奪して自分が天皇になっていたなら納得だ。
それでは何で大化の改新後に
蘇我氏に近い勢力は戦わなかったのか?
記紀の記載の方が違和感がない。
「当時の日本人があんなことができるわけない!」という
考え方で聖徳太子否定説が
作られているから余計話が変になっている。 >>353
どんな考え方であれ、
「天皇にはしなかったのに皇太子にはして摂政にもなっている」
というのは矛盾が生じると思う。
>>355
それって、蘇我氏が天皇じゃなくてもおかしな話だ。
(詳細はWikipediaとかで見て)
後世の捏造と考えるのが合理的。
蘇我氏が天皇だったら、なおさら記紀は捏造しまくりなわけで。
>>367
蘇我氏も分裂していた。
(同じ氏族同士なのに仲が悪いというのは珍しい事ではない)
乙巳の変で入鹿を暗殺した人達の中に蘇我氏がいて、
その後は蘇我氏の勢力もそっちに移った。
天智天皇側についた勢力が戦う理由は無いだろう。
記紀の記述に対する違和感は>>331に書いてある。 >>361
法華経義疏の発見は記紀の成立より後なんだよ
ほぼ同時ぐらいには遡るのかもしれないが
聖徳太子伝説はその頃に成立したと見ていい。 法華義疏は隋からもたらされたか或いはそれ以前に渡日した大陸の解説書から推古朝で編纂されたものと見て良いだろう
同様の解説書は推古朝当時の大陸に既にあった
日本書紀で仏教を講じたとされる厩戸皇子がこれに何の関係も無いと見るほうが異常だね
あたおかな学者は無視でいいよ >>371
発見が記紀の成立より後だからってその時に書かれたものとは限らないね
義疏は法華義疏のほか勝鬘経義疏と維摩経義疏があって
それぞれの書き出しは
法華義疏
経義者、訓法訓常。聖人之教、雖復時移改俗、前主後賢不能改其是非。
勝鬘経義疏
経者、訓法訓常。聖人之教、雖復時移易俗、不能改其是非。
維摩経義疏
経者、訓法訓常。聖人之教、雖復時移易俗、先聖後賢不能改其是非。
(訓や法や聖人の教えは時代は変わっても不変という意味)
と少し違うけどほぼ同じ
これは同じ筆者によって書かれたものである事を示してるね
そして「雖復時移易俗(また時は移っても)」「不能改其是非(これを改める事はできない)」
という表現は中国にはないもので日本で書かれたものである事を示す
勝鬘経義疏や維摩経義疏も聖徳太子の作と伝えられているので
同じ表現で同じ筆者によって書かれてる法華義疏も聖徳太子の作という事になる 日本書紀はデタラメ→だからそこに出てくる聖徳太子も居なかった! キリスト教の本を読んだんだが誰も気付かない事実にオレは気付いたね
1度読んでみて欲しいんだけどキリストの生まれ方と聖徳太子の生まれ方が酷似してる!!
聖徳太子はキリストの生まれ変わりなんじゃないか? こういう分野の研究って通説に乗ると埋もれてしまう
研究者として目立つためにちょっと違う説を取るって欲が働いたりしないのかね >>6
聖徳太子こと厩戸皇子の実存については争いは特にないでしょ
その名や事績については争いがあるが
そこらで記紀の記述では聖徳太子という名は出なく、厩戸を用いた名称なので後者の厩戸皇子という名称が相応しいのではないか
ということで昨今は呼称について変遷があったという事 >>377
それは文部省のとってる穏当な見解な
一時学会を席巻したのは「厩戸皇子凡人説」である
つまり日本書紀の厩戸皇子の偉業は全て信用に値せず、只の凡人であった!という見方ね
これはさすがにトンデモ説だが一時はすごい勢いだった
だから教科書から消えそうになったわけ 世の中には歴史とくに聖人とされる人物を憎んでる思想の団体が居るらしくて
同じ思想団体がキリストやその他の非存在説も主張してるらしい ちなみに厩戸皇子凡人説は実は「日本書紀は全くの創作説」とも関係してる
その論によれば
1日本書紀の成立時の天皇には実権がない
2藤原家が実権を握ってた
3西暦600年代の日本書紀は藤原家の都合の良い記述が多く信用に値しない
4その一例が厩戸皇子の日本書紀の偉業が全て捏造で、厩戸皇子は実はただの凡人であった
概ねこういう考え方で
良くこんなトンデモ説が一時は学会を席巻したと呆れてしまわざるを得ない
2000年から2010年頃と言えばこういう日本って実は小国で大国から見て無価値って説が普通に流布しちゃうような読書界だった
スマホとネットで沢山の情報が検索できる2022年では想像もできない異常事態だわね >>373
> という表現は中国にはないもので日本で書かれたものである事を示す
根拠はCBETAでしょ?
二十七品時代の注釈書と比べないといけないんじゃないの?
大正新脩大藏經や卍続蔵経に大して入ってないでしょ?
当時日本にあったものしか入ってないんだから
何れにせよ光宅寺法雲の注釈書が元本の一つなんでしょ?
注釈本を「写経(意味は分からず書き写し)」はしたかもね
それも聖徳太子の筆とはまったく証明出来ないわけだけど 「日本書紀は藤原氏に都合よく書かれた!!」
それなら藤原と無縁のプリンスがああも活躍してる記述は不自然 通説なんか歴史では、当てにならんな。
史料一辺倒の歴史学者もバカというか シナチョンにとって都合の悪い日本の偉人は無かった事にされます。 ブッダ 「われら四聖人」
キリスト 「われら四聖人」
孔子 「われら四聖人」
ソクラテス「われら四聖人」
聖徳太子 「われら四聖人」 学校で習った年表で覚えてる知識だとなかなか気づかんけど、この時代勉強すると大化の改新まで結構繋がってて驚いたりする
そういう有機的な知識はあった方がいいと思うけど学校では時間ないのかな >>1
説というのは立証出来なければ説の域を出ない >>382
三経義疏は倭のオリジナルだよ
むろん中国にある経典の引用部分もあるけれど >>370
下に関してだが
反入鹿派の蘇我氏は
どこに消えたのかの説明がされていない。
むしろ、入鹿派の豪族が他にいなかったのか?の方が問題
聖徳太子が天皇からの遠縁で
それだと格好つかないからとか
婿にしたので皇族としての皇位継承権は低く
用明天皇の子供にした程度の方が違和感がない。 >>375
記紀にはギリシャ神話等の神話に
近い話が多いから
隋で聴いた神話、伝説などが織り込まれていても
不思議じゃないと感じている
あと、皇紀はローマ発祥の
50-100年後くらいに設定されている。 >>382
法華義疏はむしろ聖徳太子作じゃないという否定材料のほうが少ないね
他の注釈書である勝鬘経義疏や維摩経義疏も太子作で
それぞれの冒頭の書き出しもほぼ同一
書中に出てくる雖復時移易俗(また時移り俗を易[か]へると雖も)や
不能改其是(非其の是非を改むるあたはず)という表現は
これが中国での表現なら時移俗易(時移り、俗易わる)や
移風易俗(風を移し、俗を易へる)となる(これは中国の書中に出てくる)
なので中国にはない倭のオリジナル表現で倭製のものという事になる
そして法華義疏は文字を消して書き直したりの推敲のあとが割とあるので
草稿に当たるもので手本を書き写した写本ではないという事がわかってる
つまり太子自筆のものの可能性が高いんだよ >>107
宇宙に住むようになろうが愚かな殺戮を繰り返しているだろうよ >>391
(入鹿の暗殺に直接関わった)反入鹿派の蘇我氏は、
蘇我氏の宗家となり、臣下としては最高クラスの地位を維持した。
その後、藤原氏の台頭によって少しずつ勢力が削がれていくけど、
すぐに消えたわけではない。
入鹿にくっついて甘い汁を吸っていた豪族はいても、
入鹿に心からの忠誠を誓って仇を討とうという豪族は、
いなかったのかもしれないね。
甘い汁を吸うだけなら天皇側にくっついてもいいわけで。
聖徳太子は皇太子で、天皇になる事が確定してるわけだから、
天皇にしなかった理由をどんなに考えても矛盾が生じる。 聖徳太子の偉業はなんといっても
七回も日本銀行券になった事。 >>379
こりゃブッダも非存在になりかねないなー >>393
よくわからんがそれは日本の個人(僧?)の事績ってことで
イコール聖徳太子とは言えないのでは? >>398
推古天皇の時に色々な工夫して日本に仏教を広めた事実の証拠になる
厩戸皇子は仏教を日本人に教えた人
合わせると厩戸皇子が仏教を教えた時のテキストでほぼ間違い無さそう >>398
三経義疏はよくわからん僧が書いたもの
よりも聖徳太子が書いたものという証拠の方が多く揃ってるよ >>399
聖徳太子よりずっと前から仏教を推進していたのが蘇我氏。
僧を百済に留学させていた蘇我馬子の事績と考えるのが自然だろう。 >>374
そういう奴に限って、日本に来たこともない外国人が適当に書いた噂話レベルの日本社会の記述を
絶対的なものとして妄信してたりするんだよなw 日本はギリシア神話のようなトンデモキャラが少なすぎるから、この手の超人というかスーパーマンは必要やで。 >>360
書き込みと本文とが、別人の手によるもの
というだけのこと。 >>360
これはテキストの下書き(草稿)ではないかと言われる
理由はツギハギの紙や消して直した跡が多数で非常に苦労して付加や推敲した痕跡が多いからだ
もし下書きであれば自分の下書きに自分が書いたと書く人は普通居ないだろうから
厩戸皇子の作で貴重と考えた保管者があとからこれは上宮王(厩戸皇子)の作と書いた可能性があると思うよ >>405
実際に聖徳太子の書いたものだった可能性もある >>343
> 確か超能力みたいな不思議な力を持った人なんだよね
超能力はある!!
と言い張ってたパヨクどは、太子の超人ぶりを認めてろww >>405
だからあとからこれは聖徳太子の自筆って書いた部分が
ちっともそんな重要な書物に書き込むような丁寧さがないってのが
いかがわしいって事 いかがわしいというだけじゃ証拠にならないよ
法華義疏は証拠はないけど何となく怪しいという質の悪い情報に引っ掛かってないかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています