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【知床観光船事故】沈んだ船は「ひかり八号では」「外海で使われるとは」…穏やかな海を高速で走るための船だった [ぐれ★]
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2022/05/24(火) 10:24:12.63ID:RGk12UmO9
※2022/05/24 06:53

 「まさか、『ひかり八号』なんじゃないか」

 4月下旬、広島県に住む元船員の高齢男性は、北海道・知床の海で消息を絶った観光船「KAZU I(カズワン)」のニュース画像に、目がくぎ付けになった。

窓の位置、船首の下の特徴的な形……。穏やかな瀬戸内海でほぼ毎日、目にしていた高速船とそっくりだった。

「あの船が外海で使われていたなんて」と驚きを隠さない。

 小型船舶登録原簿や複数の関係者の証言などによると、カズワンは1985年2月に山口市の造船所で造られ、広島県の三原市と尾道市 生口島いくちじま を約30分で結ぶ定期高速船として使われていた。

 本四連絡橋「しまなみ海道」がまだ開通していない時代。「西の日光東照宮」とも呼ばれる同島の 耕三寺こうさんじ を訪れる観光客目当てに、同じ航路で3社がしのぎを削っていた。そのうちの1社がエンジン2機を備えた高速船を新造。「ひかり八号」と名付けられたその船が、後のカズワンだ。

 「ひかり八号」で船員を務めていた同県の男性は「スピードがよく出る立派な船だった」と懐かしむ。ただ、当時は景気が良く、客を獲得するため、就航する船は航行時間を短縮できる軽くて速い新造船に2年ほどで入れ替わっていた。

 船の更新に伴い、カズワンは90年代に岡山県の客船会社に売られていったが、同県内の定期航路はわずか数年で廃止された。大阪市の個人所有を経て、再び売りに出されたカズワンを2005年10月に買い取ったのが、知床遊覧船だった。

続きは↓
読売新聞オンライン: 沈んだ船は「ひかり八号では」「外海で使われるとは」…穏やかな海を高速で走るための船だった.
https://www.yomiuri.co.jp/national/20220524-OYT1T50064/
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