【侵略】「文禄・慶長の役」で書いた、秀吉の書状見つかる 正室宛てに「当年中に明を取り、向こうへ渡ったら迎えを遣わせる」 [樽悶★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
豊臣秀吉自筆の書状が加治木島津家資料の中に残されていたことが分かり、27日、寄託先の黎明館(鹿児島市)が発表した。自筆書状は100通余り見つかっているが、県内では初めて。明(みん)の征服を目指した「文禄(ぶんろく)・慶長の役」のさなかに正室の北政所(きたのまんどころ)へ宛てた1通で、同館は「外征に臨む中での心情が伝わる」と解説している。
1592(天正20)年の6月3日付と推定され、縦28.4センチ、横42.1センチ。前線基地の名護屋(佐賀県)から出された。「当年中に唐国(明)を取り、唐国に遷(うつ)ったら迎えを遣わせる」と書かれ、末尾に「太閤(たいこう)」とある。「からこく(唐国)」の途中とみられる「こく」から始まり、前段部分はなくなっている。
同館の小野恭一学芸員(37)は「妻に対して、自身の野望を強気につづっている」と指摘。一方、明征服の時期を「当年中」と記すが、1カ月ほど前に出した別の書状では「9月」と伝えていた。秀吉は6月2日、朝鮮水軍の反攻などで渡海の延期を決めており、戦況悪化を認識していたと考えられるという。
書状は2020年1月、館に寄託された。東京大学史料編纂所(へんさんじょ)と協力し、筆跡などから秀吉自筆と確認。加治木島津家に伝わった経緯は手掛かりがなく「同時代の島津義弘らが入手したか、または後世に購入されたのか、現時点では不明」としている。(以外ソース)
5/28(土) 8:17配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/6eb07152fc186dfce626bce2404925fea2d15c4b 補給はどうするつもりだったんだろ
中国大返しの立案者だったのに >>3
日本の猿には大陸の大きさは実感できんのやろな 西暦 1948 年建国の韓国に対して書くべきだ、べきだ、べきだ。 明を滅ぼして、ガチで中原の覇者になるつもりだったのかよ
皇帝目指してたん? とりあえず領地拡大しようとしてたんじゃね
明兵も蹴散らしてビビらせてたし >>10
信長は、天皇を長安に、皇太子を京都に
天子様の意向を知らしめる
と言う方針だったけど、秀吉はただ攻め込んだだけっぽいのがな・・・
「信長の後継者なんだから、明にいくよな」って突き上げもあったぽいけど >>14
誰がそんな突き上げを?
官兵衛ら重臣は辟易としてたようだが >>11
穢ねぇチョーセンのサルは、上位民族日本人様への礼節を学べ >>3
明軍も半島の燃料食料を根こそぎ徴発するぐらいだしな >>2
つまりアベちんが謝罪すれば韓国が赦してくれると Switchの太閤立志伝買った。なんか主命与える時の経費を3000から10000に出来なくなってたな。 まああのままやってたら明なんかあっさり潰せただろうな
なんせ直後に満州族が明滅ぼしたぐらいだし >>3
中国大返しなんて世界史レベルでは極小返しだからw >>22
朝鮮人に裏切られて自殺したんだよなw
現代になって、何故か中国人に憧れる >>3
残された資料を読む限り、それなりに補給の備えはしていたようだが、それ以上に初戦で勝てば「朝鮮国の大名」が大量に内応誘降に応じてスムーズに平定が進むと考えていたフシがある
朝鮮が日本とは異なる官僚統治の中央集権国家だという意識に乏しかったようだ >>5
日本の3分の1もない劣鮮蛮国の原住民の細い目からはそう見えるんだろうなw 属国の李氏朝鮮はともかく本気で明を落とせると思ってたのかね
秀吉は軍事に関してはほんとセンスない 明はその後すぐに滅亡したわけだから、秀吉軍との消耗が原因
武士は強かったが、補給もなく、朝鮮半島は貧乏すぎて掠奪するものもなかった 全国を統一してもいまだ血気盛んな大名ばかりだから、何か大事業やってやろって思ったんかね? 秀吉にしては認識が甘すぎるな
認知症が始まってたのか? >>30
補給なら釜山をがっちり抑えて盤石の体制だったが 自筆?
秀吉って字書けたんかね?
と思ったが、ほとんどひらがなの書が残ってんだなw
祐筆ならこんな書にはならんだろうから、逆に秀吉の自筆って事になるのかww >>27
ちゃう。
大陸のような虐殺文化がなかったからだよ。
モンゴル帝国みたいに女子供も虐殺
して生首でピラミッド作れば朝鮮人
も大人しくしたがったたろう。 明で農民反乱や北方民族の侵入のタイミングと合わせていれば勝てたかもしれないが
そんな情報が簡単に手に入る時代じゃないし仕方ないな >>35
李舜臣とやらも陸から根拠地を掃討されたり、海上護送が突くようになってからは何も出来なかったみたいだしな 戦国時代を戦い抜いてきたからクソ強くなってたんだよな。戦闘に明け暮れ下剋上でのし上がってきた戦国大名たち。それが明軍撃破していくわけだから。 >>5
お前らみたいな知能の低い奴隷民族が日本人にあこがれて掲示板に出没とか哀れを誘うから止めてくれw
背伸びして場違いな所に交わろうとせず分をわきまえてカス同士でやってろよゴミクズ >>32
そそ、国内で戦がなくなってしまい
そのままだと内乱がどこでおきるかわからないので、海外に討って出るしかなかった 嘘じゃない…??
私は雑賀です!って名乗ったの?
名乗るなら、私は田吾作だべさ!とかじゃ? >>41
名目上は明征服が目的だった文禄の役とは異なり、朝鮮南部を実力で切り取るために出兵した慶長の役段階では、現地農民を排除して日本の入植地を確保するために、モンゴル人も真っ青の残虐行為が頻発している 日本は戦国時代を経て、世界有数の軍事大国になったのをキリスト教宣教師たちが利用しようと、秀吉の野心を焚き付けたせい。
秀吉軍が中国・明を戦い弱体化したところで、中国を西洋の植民地にしようと・・・ >>50
って、明側の資料もあるんだけどね。
沙也可って名前が、なんだかわからない農民だからウソ記録した?
👇
翌年の1600年(万暦28年)に楊応龍が龍泉を占領すると、重慶に駐屯していた李化龍は8路より各3万の軍勢を率いて進撃を行ったが、この時の兵士は3割が官兵で7割が土兵であったという。これらの軍勢には朝鮮で戦った劉綎や陳璘が動員され、その家丁には朝鮮で投降した日本兵(降倭)が鉄砲兵力として編入されており仏郎機砲などの火器と共に、弓矢にて武装していた楊応龍軍を圧倒した。苗族は楊応龍と協働作戦をしていたが、明朝による包囲が狭められると共に離反していった。楊応龍は海龍にて包囲され、籠城戦となり6月に愛妾2人と共に自殺し、楊応龍の乱は収束した。 >>5
猿に侵略されて
「アイゴーアイゴー 明の天子様 どうかお助け下さい」
と、泣き付くってどんな気分なの?
糞食い人種ってww >>55
家康いたから子供いても残酷な結末になりそう >>50
沙也可が主人公の小説黒南風の海が面白かったわ 是非はともかく昔の日本人リーダーには進取の気性があった >>57
秀頼もそうだが秀吉が元服まで生きていれば関白が継げたろうし、そうなっていたら家康は手出しができなかったろうから大丈夫だろ。
関白とられたら幕府開けないし。 当時の日本人は、名前が無い人が沢山!
同和がらみで情報隠しちゃったけどね。
だから🇯🇵日本人の苗字は沢山ある。
先祖を嘘付かない。どんな変な先祖でも誇りに思い大切にする。 >>52
ほう。
モンゴルみたいに生首ピラミッド作ったのか?
手に穴開けて紐で通して何百人とぶら下げたのか?
ちなみにワールシュタットの戦いの
ワールシュタットは死体の山って意味な。 No1、No2、No3の豊臣秀吉、徳川家康、前田利家が出兵してない時点で負けだろ
最高の兵力を出してないってなるとなぁ あの時も5ちゃんは荒れたもんな。秀吉マジ自重みたいなレスも多かった 秀吉はこの時朝鮮から何を盗んで日本に持ち帰ったのかな? 日本の朝鮮出兵って、ウクライナがロシア征服する為にまずベラルーシに出兵したようなもんだよな あながち無謀じゃなかったんだよ
明は腐敗しまくってたから
この数十年後には、人口が漢民族の100分の一の満州族が征服し、300年近く支配した 馬鹿な猿だ
大権現様は国内統治だけで260年の太平の世を築いた
下品な猿は無謀な戦をして自滅だ 実際、朝鮮半島は占領してただろ
ただ、攻め取る意義が他の大名に全然伝わってなかったのが失敗
戦略ミスというより、事務方が根回ししてないことが失敗なんだよな 徳川家康
政治◎
軍事◎
経済◎
人望◎
健康◎
こいつに弱点あるの? >>72
朝鮮総督府が稲作を指導して開発するまでは魅力の無い痩せた土地だから現地に行けば意義は感じなかったろうな 目的地は明である事
朝鮮はただの通り道
抵抗しなけりゃ無問題 >>57
秀頼は秀吉晩年の子だから豊臣体制の崩壊因子にになったわけで
秀吉と寧々の間に若い内から子供いたら盤石な豊臣体制築けたかもな
あの秀吉の老いの狂気も無かったかもしれない そのまま明に渡る気だったんだ
もう10才若かったら成し遂げてたかもしれんな >>77
母系が信長の血統ではあるが、
当時から托卵疑惑が付き纏う
次代に一族の命運を託したいと思うか?ってなるよな >>80
つうか秀吉61で死んでるからな
苦労もあったんだろうがやっぱ早死が過ぎる
健康なら本人が全然渡航できた年齢なんだよな >>80
渡らなくて良かった
日本が中華圏に取り込まれてたし
実現していたら数の力で
支配層が漢族、
被支配層が大和族になっていた
そして華僑に支配層を乗っ取られた
タイベトナムインドネシアの様な途上国の状態だろうよ 朝鮮人がいつものようにボコられて逃げまくってた戦いだよな
負けっぱなしの奴隷の歴史
今も何も変わってないな >>67
チョンは逃げまくってたんだから放棄したんだろ
ケツはクソまみれのまま逃げ回ってたらしいぞ
弱すぎだろチョン >>77
秀次を粛清しなきゃよかっただけ
それだけで奥羽は西軍でまとまるから家康は動けない >>92
九州の朝鮮陶工も戦後パヨクが作った捏造なんか? >>94
朝鮮は職人を軽んじる社会やったから厚遇される日本に逃れたんじゃなかったかな >>29
多分いけたぞ
秀吉没後に20万規模の会戦、城攻めと20年内乱してる
世界史的にも日本が軍事大国だった時代 自筆とか言ってるが
農民出身の秀吉は字かけたのかよ >>98
書けたけど書きにくかったろうな
指6本あったし >>82
別に早死にじゃ無えだろ
あの時代なら普通
前田利家も60歳 加藤清正は50歳 黒田官兵衛は58歳 徳川秀忠は54歳
家康があの時代の大名にしてはかなりの長生きの部類ってだけの話
(まあ健康マニアだったからなw) >>75
強力な信頼関係があるわけでもない他国がそんな事言ってきても信じられるわけねーだろ
どこまでバカなんだ >>29
>秀吉は軍事に関してはほんとセンスない
↑
物凄い馬鹿発見ww >>98
商人の説もあるみたいね斎藤道三みたいな
知恵と学がありすぎるし >>3
石田三成をもっと評価するべき
北条戦にしろ九州討伐にしろ何万人もの軍の兵站を破綻させなかったんだから >>104
あのころ兵站なんて概念ないだろ
行った先で略奪 朝鮮出兵はキリスト教徒の意向だったんだよ。
ザビエルも中国布教を志したけど手前で病死しちゃったし。
秀吉の朝鮮出兵で中国もキリスト教を受け入れて研究した。
結局清が建国されてそれどころじゃなくなったけど。 朝鮮出兵はキリスト教徒の意向だったんだよ。
ザビエルも中国布教を志したけど手前で病死しちゃったし。
秀吉の朝鮮出兵で中国もキリスト教を受け入れて研究した。
結局清が建国されてそれどころじゃなくなったけど。 >>105
信長に兵站を教えて叩かれてた過去転生ものの漫画あったろ 結局秀吉は北政所を最も信頼してたな。子飼い家臣もそうだったしやっぱりな。家康も認めた知恵の人らしいけど、こりゃ本物だなと思った >>103
知恵はとこかく「学」と言われると…
自筆の書ってほとんどひらがなだぞw 秀吉の書はひらがなだけど、結構能筆なんだよ。
漢字は一切書けないから当て字も間違えてたりするんだけど、結構読みやすくて字がきれいなんだよな。
北政所に習ったんだろ。母親も学があったらしいからな。当時は女はひらがななんだ。
信長は文章はかなりヤバい。政治的なことはまともに学んでないってのがもろに出てる。 韓国人「文禄・慶長の役:火砲が多数搭載された朝鮮軍の主力艦船に倭軍の小舟は相手に成らなかった‥」日本水軍軍艦の構造的な問題がこちら‥ 韓国の反応
http://blog.livedoor.jp/sekaiminzoku/archives/56695903.html >>1
夫が妻に送った手紙を他人がもっていた事実に違和感。 島国とは戦い方がまるで違う
大陸の国はやばけりゃ逃げて機を見て攻め返す
まあ中国大陸諸王朝の戦記に詳しい日本の武将には
釈迦に説法みたいなもんだろうが 明治でも鴨緑江から遼東半島が限界だからなあ
ロシアが敷いた鉄道使ってやっと奉天 ちょんとか相手にしてないんだよな 家康も明と和平してるだけだし 事が成った後は島から指示を出すんじゃなく
自分達も大陸に住んじゃうつもりだったんだな 秀吉は本能寺の変後は周囲はほぼキリシタン大名で囲まれていて、
北政所もほぼ宣教師とツーカー。
本人はもともとのキャラがあるから自分の意志で動いてるつもりだったらしいが、
寝床から何から全部宣教師の意のままであったらしい。
朝鮮征伐も千利休切腹も秀次切腹も皆宣教師の意向のまんまらしい。 >>124
李舜臣なら海で日本に負けて逃げたのが史実だぞwww イエズス会がルソンや中国征服目指しているのを知って、先回りして唐入りを果たして日本とその通商圏を守ろうとしたのが大陸出兵の理由 太平洋戦争で焦土作戦をやられたわけだが
日本の戦国時代、農民が喋る家畜程度にしか
見られてないような時代とは言え
同じように焦土作戦をやられてたら対処できていたか
もっとも明軍をそこまで追い込めたかどうか >>7
秀吉自身は戦下手だよ
秀吉が成り上がったのは寄騎の蜂須賀正勝、黒田孝高をはじめとした配下が優秀だったから >>124
本当に海戦に強いなら九州と釜山の補給を断ててるはずなのにそれも出来てないし
ラストの露梁海戦でも大名全員逃した上に李舜臣が狙撃されてる 秀吉他界しなかったら
インド付近まで制圧してただろうな
当時の日本は戦国時代で鍛えられて敵なし
だったからな >>115
あれは供養塔や。
作ったのも日本国内。
モンゴルの生首ピラミッドは支配地域
に作って住民を恐怖でビビらせるため
に作ってた。 朝鮮って
貢物がみすぼらしい
って意味
関わらないのが吉 >>128
大嘘。
イスパニアのガレオン船借りて直で
大陸に大軍団送り込む予定だったん
だよ。
最初は。
バテレン追放令でイスパニアと決裂
したから半島経由での侵攻となった。 >>124
二度も上陸されてて、日本側の補給線を完全に断つことも、退路を断つこともできなかった
朝鮮海軍が優秀なら、そもそも上陸なんかされてないだろう 琉球から台湾そんで対面の福州と行けば
ある程度取れたように思うけどね 明は明で官吏、宦官、諸侯が腐敗、権力争いで衰退していて
あちこちで反乱が始まってたからなあ
皇帝の万暦帝も堕落して贅沢に溺れ、後宮に引きこもり
後の清代の歴史書に「明朝は万暦に滅ぶ」と言われる有り様だった
そこまで秀吉が明の内情を知っていたとは思えないけど
明を取りにいくには千載一遇の機会ではあったな ほんとに取れるつもりだったんかね、仮に首都落としても保持がむりじゃないか まあでも日本は朝鮮出兵成功してなくて良かったよな
もし成功してその後明まで攻略していたら今頃日本国は無かっただろうからね >>141
中華王朝は晋以降は殆どが異民族国家だからそこまで反発されなかったんじゃないかと スケールを全く理解してなかったんやろな
明の首都は洛陽だったかいな?
朝鮮からそこまでどれだけ遠いか
関東と関西くらいの距離感やったんやろ 秀吉の大陸進出は、スペインのアジア侵略から日本を守る意味が大きかった
シナ人はいずれスペイン人に侵略されアジア侵略の手引きをするだろうと言っている
その前に明を攻めると
ルソンのスペイン総督も軍事大国の秀吉の侵攻を恐れていた
大陸への進出は無駄に終わったが、スペインやポルトガルなどの植民地支配との競争であった >>127
小大名の名前ですら、よく分からない状態なのは
間違いなさそう 明の地理なんて外国人からいくらでも情報入って来てただろ
明の国内状況を理解して攻め込んでるわけだし つか、戦線が広がれば
日本国内にいる連中が大人しくしてたわけがない ヤケクソで小西加藤を家康の下に付けてたらどうなったんだろうね >>116
少年時代には、寺で坊さん見習いをしてたって言われてる。
いくら戦国時代でも、戦場で勇者だけでは大部隊の指揮官までは出世できなかったらしいから、それなりに学識はあったのでしょう。 >>143
いうても、さすがに本拠地が遠い日本にあってそこから一代で明征服はさすがに厳しいんじゃないかね。
一応モンゴルだって南宋下すの半世紀くらいたしか時間かかったはずだし。せいぜい朝鮮に領土を獲得して
将来の橋頭堡とするくらいだったらわかるんだけど >>107
ハァ?
フィリピンとマカオからスペインとポルトガルが日本を狙っていたので、武力を見せつけてコイツらをビビらせようとしたんだぜ 現在刊行中の豊臣秀吉文書集にも未収録の新発見文書か
前段部分が欠損してるのが惜しいな
翻刻はこんな感じかな
(から)こくもとうねん中ニハとり可申と極候あいた、からこくニうつり候て、むかいを可遣候、かしく、
六月三日
なこやより
まんところ殿 大かう >>126
バテレン追放も処刑も思惑通りだったしな。チョロいぜまったく。 若い時から戦に明け暮れた秀吉が朝鮮侵攻では寒さ対策すらしてなかったというのだから
もう完全に耄碌しとるわな >>145
これね
支那制覇のため日本上陸を伺っていた
西欧に対抗するため支那を落として
さらにスペインに攻め込もうと考えていただろうね
秀吉が日本で最初の世界大戦で
指揮を執った
しかしその後の豊臣家はグダグダだったな 明治の海軍大学校の教科書には李舜臣の活躍が詳細に記述されてて
東郷元帥を始め日本海軍軍人の多くが彼を尊敬してたのは事実 天皇も中国に移動になるかもしれなかったからな
秀吉は日本は家康に任せようとしたのかもな っていうか、この時にチョンコ土人を絶滅させりゃよかったんだよ >>62
『名取』とかも元々は名前無い身分の人だった筈だよ?
隠した方が良いのだろうか…?同和系じゃ無いだろうし。 まぁ秀吉じゃなくてヌルハチからの女真族が
秀吉の後に中国全土を征服するからな >>30
日本との戦争も遠因ではあるが主因はいつもの宦官腐敗政治と農民の反乱 >>151
坊さん見習いって普通の庶民じゃなれねえぞ
それにちゃんとお寺で読み書き習ってりゃ
(坊さんはお経〈漢字の固まり〉を読み書きできなきゃならん)
あんなひらがなだらけの書状にならんだろw 秀吉が死ななかったら翌年に大軍が追加派兵されて朝鮮全土が完全征服され、いよいよ北京を窺う展開になるところだった。
独ソ戦の時も、関東軍が北進していたらソ連には打つ手がない状況だった。もっともこの場合は石油がないから日本としては
その後の展望を考えると選択肢となりえなかったが。長期戦になり石油が底を突いたところに米軍がちょっかい出してきたら
ひとたまりもなかった。あの時、大慶油田を発見・開発して自給できていたら、確実に北進していた。 >>143
まぁ清は異民族だけど明王朝の正当な後継国家ってことで
漢民族もみんな従って辮髪になっていったりしたんだよな
中国は王朝が変わるのも当たり前だからな
日本は易姓革命で王朝が変わるのを恐れて
天皇には名字がないという説もあるみたいだけど >>162
日本のなまえ制度がしっかりしていた証拠だろうけど。
ウソついて『俺は源だ!!』とか言っても
通用しないw >>162
何か手柄をたてて、なまえを勝ちとったから『名取』 ねね宛だから自筆かと思ったらやっぱ自筆か
島津分家が何故持ってたかの方が気になるな >>105
少なくとも当時の武将はお前より頭良いよ その北政所が家康と組んで豊臣を滅ぼすとは
この時の秀吉は知る由もなかったのであった(完) 大砲の国産化に成功して大量に供給できた明に対して
国産できずスペインからの購入に頼ってた日本
これが敗北の最大原因 >>122
それは結果論だろ
再三降伏するように促したのに応じなかったから仕方なくやっただけ >>39
当時の慣習として身内や親しい家臣宛の書状だと仮名文で書かれることが多い
秀吉は約130通の自筆書状が確認されてるけど全て仮名文
筆まめとして有名な伊達政宗の自筆書状は、仮名文も漢文体の書状も両方あるが仮名文の方が圧倒的に多い
現存する秀吉自筆書状はほぼ北政所や淀殿を始めとする側室、秀頼らの身内に宛てられたものだし、秀吉が漢文体の書状が書けなかったと結論付けるのは難しい >>151
豪農や地侍の倅か縁者だったんじゃないのって説もあるしな 講和で引き上げる日本軍を追撃して反撃で戦死した李瞬臣 >>179
講和は明と日本の間だけで朝鮮は蚊帳の外どころか無視だからな 秀吉も存命中なら
うんこ である札幌五輪反対すると思うよ 秀吉は読み書きが苦手だったといまだにいわれてるけど
異様に大量に直筆の手紙が出てきてるよな
字が汚いとは言え秀吉程自分で読み書きしてた人ってそういなくね 当時の国力差なら、余裕で明には勝てただろうね。
その後の統治が大変なだけで。 その後ヌルハチが漁夫の利を得てるからね
明は次に侵攻があれば負けると書いてる
まあそもそも文禄・慶長の役でも勝ててないが 明をとったとしても後継者がいないからな
結局
三成が明を維持してる間に
家康が日本をとることになったのかね? >>182
家康の直筆見るとまともに漢字使ってるわ
やっぱ弱小とは言え生まれながらの戦国武将の子と藤吉郎じゃ
歴然とした差があるな >>160
文禄の役開始直後に秀次に宛てた秀吉書状に構想が詳しく述べられてるよ
この時点では家康の名前は全く出てこない
・関白秀次を中国の関白に据えて、北京の周囲100ヵ国を与える
・翌々年の1594年には後陽成天皇を北京に移して周囲10ヵ国を進上する
・後陽成天皇の後には、皇太子良仁親王か皇弟智仁親王のどちらかを天皇にする。日本の関白は豊臣秀保か宇喜多秀家にする
・朝鮮は織田秀信か宇喜多秀家を配置する。九州には小早川秀秋を置く でも中国とかロシアってこういうこと言ってるのよな。数百年前秀吉が朝鮮を取ったから、朝鮮は日本であるってw
岸田がそんなん言い出したら頭おかしいってなるのに、中露は大真面目w 家康は鎖国やってる場合じゃなかったろ
明に攻めろよ >>186
相手によるだろ
家康も身内宛の自筆書状には仮名文使ってるよ
徳川家康自筆書状 ちょぼ(千姫の侍女松坂局)宛
https://i.imgur.com/8xUfGZj.jpg
徳川家康自筆書状 おかめ・あちゃ(家康側室お亀の方・阿茶局)宛
https://i.imgur.com/2qljGPI.jpg >>183
確かに個々の戦闘には勝利した場合が多いけど、戦死者よりも餓死者逃亡者投降者が増えてる状況を観ると、時間が経つにつれて戦闘組織としては崩壊の一途を辿っていることが分かる
結局は磨り潰されて敗北
遥か後世のアジア太平洋戦争の先駆けともいえる戦争だな 秀頼の実父は大野治長で、大坂城から脱出して薩摩藩に逃れたのだぜ >>22
中国征服しなくてよかったね結果的に。
中国人は納得しないだろうが、日本が本気で明征服に何度も出兵してたら明が滅亡しだ可能性は大いにあるからな。
日本が変に中国化したまま帝国主義時代に突入したら明治維新もなく東アジア全体がアフリカみたいになってたかも。
おそろしい。 >>3
文禄の役の時の史料だけど慶尚道南部には名護屋から輸送された相当量の兵糧が集積されてた
ただ釜山到着後陸路では各々が手繰りで運べって命じた秀吉の書状があるが、間延びした前線の諸将には届いてなかったと思われる
秀吉も諸将に対して事あるごとに兵糧の蓄積を命じてるが、実際は欠乏してたのは明白だな >>197
小西行長も出任せ吹いて明と講和したり(当然、明側も出任せを北京に吹いている)するぐらいだから正確な情報なんて入るわけが無い >>193
凍傷で進行不能になった兵士が多いらしいが、国内の風土の感覚で進軍するのも、中国遠征が繰り返されるうちに日本軍の戦略も変わってくると思うんだ。
朝鮮に駐留したままだったら中国は金との争奪戦になってた可能性が高いっしょ。 秀吉の唐入りをテーマにしたドラマや映画みたいな、中国兵と武士が戦うって凄く熱いわ。
まぁ韓国人の国民感情刺激する事になるからむずかしいのはんかってるんだが。 信長が生きていれば
明どころか
ヨーロッパまで征服できた >>201
1592年 唐入りの章
明、朝鮮マップと文禄・慶長の役イベント追加で神ゲー間違い無し >>204
戦い方も日本国内の戦とは色々違ってたんだろうな
慶長の役の時の秀吉書状には、敵は半弓をよく使うからこちらは各々に小型の楯を持たせて戦うよう命じてる
足軽に持たせる盾にも言及してるのは、相手の得意な戦法に柔軟に対応してるのが見て取れて興味深い 加藤清正はウラジオストク近くまで攻め込み、食べるモノもなく、やっとのことで帰国したが、石田三成から茶の湯を接待しますといわれてブチ切れたそうです >>136
取られる前に取ってしまえって考えだっけ 加藤清正が当時何を考えていたのか知りたい
お前一体どこいくね-ん 「朝鮮出兵はヨーロッパによるアジア侵略阻止のためだった」
ぷっw >>177
いや秀吉は文盲 義務教育ない時代舐めるなよ
信長もほぼ文盲のたくったような仮名で書くのが精一杯 >>211
当時の清正の書状見ると何がなんでも明に一番乗りしたいと言う一心だけだな
明に攻め込むルートを探ってる内にあんなに深く進軍してしまった
名護屋に居た秀吉の馬廻衆木下吉隆に宛てた書状では、
・小西行長が攻略中の平安道では法度が徹底しておらず、治安が不安定である
・清正を除く主要な部将が軍議を開き、秀吉の明への出陣は困難であると報告しているが清正は承知していない
・秀吉の明への出陣は、清正が攻略する咸鏡道のように静謐になれば可能である
だが小西行長の攻略する平安道は治安が悪いので、そのルートからの明への出陣は受けかねる チンギス・ハーンの足元にも及ばない倭猿が何を夢見ているんだか >>183
無理。海を渡って軍団を送り込むとかかなり難易度高い。特に兵站維持が。現代でもそうなんだからあの時代にそんなことができるはずがない。
だからこそ朝鮮出兵は失敗したわけで。 ザマの戦いどころか第一次世界大戦のドイツまで補給は現地挑発頼みだからな。
現地が枯れ野原の℃貧乏国だと非常に難しい。
おまけになけなしの物資まで明軍に先に挑発されているからな。 朝鮮出兵や太平洋戦争で
侵略の二文字に異様に拒否反応示す人がいるけど
何でなのかさっぱり分からん
当時は侵略なんて当たり前だろ 朝鮮は京城落ちて王と兵士が逃げてからはすぐ民衆も戻って来ただろ
朝鮮併合の時と同じように両班政治なんだから上が変わろうが民衆は変わらん
虚偽の和平工作と明の援軍が問題だっただけで
そしてその明軍も壊滅的被害を受けた >>213
のたくったってw
くずし字って言うんだよ
信長の自筆書状なんてわずか数通しか確認されてないのによくそれで文盲だったなんて言い切れるな
秀吉にしても名護屋城で明国使節と講和交渉した際の様子を、前田玄以が秀次家臣に報告した書状があるけど、
「金之御座敷にてハ、ゆるゆると以筆談太唐之様躰申上、又日本之様子被仰聞候、
一段筆かろに申上候て、御意に入申候、勅使も致満足躰ニ御座候つる事、」
金のお座敷にてゆったりと筆談にて明の様子をお聞きになり、また日本の様子を言って聞かせた。
一段と筆もかろやかに申し上げられ秀吉様もご満足され、勅使も大変満足した様子であった。
秀吉自ら明国使節と筆談してるのに文盲なわけないやん 昔テレビでやってた戦国大名の達筆ランキングで秀吉が1位だったぞ 明を取るのが目的のシミュレーションゲームなんかあっても面白いんだろうが厳しいんだらうな
ガッツリ描いた大河とか映画とかあるのかね? >>198
ポルトガルスペインなにするものぞで中国を獲って肩を並べる国になっていたら、そのあと英仏あたりと勝負することになってたかも
このルートだと明治維新というイベントは発生しないし有象無象の品人を統治せにゃならんしキツいな チャンコロは数では敵わないが一人一人の士気は日本人より低く、己を捨てることはできないので弱い 侵略は相手の国民をどう手懐けさせるかが重要
前線の補給手段になるからね
あとやっぱり屯田とかそういうの無かったからイケイケドンドンでやったんだろうね この戦いで、前線で戦う加藤清正・福島正則ら武闘派と、
後方で物資の補給や戦況報告する石田三成ら文官派の間に埋めがたい対立出来た
この豊臣政権の仲間割れに乗じて、徳川が豊臣滅ぼした 秀吉や家康は信長と違って死んでちゃんと埋葬されてるから発掘すれば秀吉や家康の遺骨とかあるのかな?
あったら骨格から生前の姿の再現とか可能だろうから学術調査とかで掘り返してくれないかな。 >>234
京都の秀吉の墓からは人骨でたみたいね
また梅返したけど 秀吉が大陸出兵してなかったら何が起きてたかな
外様が疲弊せず、内戦勃発?
半島の焼き物文化が入り込まなくて、日本の焼き物文化が違っていた? AIに昔の字を覚えさせてガンガン読み取れるようになってきたから、これから解読が進むね 政権固めに入る時期にこんな外征やって、消耗したんだから豊臣政権崩壊の道筋を自ら招いた いったいどんな地図見ていたんだろ
絶対正確じゃ無く、中国の国力を見誤っていたよね
明の支援が無ければ半島は切り取れたかもしれないが、維持が難しかっただろう
貧困地帯で見入り無いし >>235
・講和交渉に同席していた前田玄以が交渉直後に秀吉は明国使節と筆談したと述べている
その旨が記載された前田玄以書状の原本も現存している
・史料には拠らず見た感じのたくったような文字(笑)だから文盲だったに違いない!
どっちが根拠薄いと思う?
と言うか文盲ならそもそも仮名文の書状すら書けないだろ
信長にしろ秀吉にしろ直筆書状が現存してることが既に文盲ではないことの証左になってる 秀吉は島津を屈服させた時に領地を奪わなかったので
恩顧の大名に恩賞を与えられなかった
だから豊臣政権存続のため海外の領土を奪って与えるしかなかった
結果、大失敗に終わって政権は崩壊した >>242
国力の差は絶対ではない。
国力の差が絶対なら女真が明を滅ぼすなんてできるはずがないし
明人から皇帝が万暦とかいう無能のデブだから勝てますぜとか聞いていたのかも知れん 中国に対して占領後、女真族は洗衣院、モンゴルは大虐殺、日本はどんな蛮行をするんだろう? >>173
やっぱり若い女の側室的な淀どのに生ませた子供に継がれるのも
女の嫉妬があったかもな
それにしても秀吉はかなりの女好きだったのになかなか子供はできなかったんだよな
秀吉は美女狩りとかもやってたみたいだけど >>244
秀吉が直接筆談?なわけねーだろ
あと文盲でもかんたんな言葉や文はかけるの
読めないんだよ漢字が
当時の人は特別な教育受けてなければ大概読めない書けない
教養という部分で信長秀吉にはそういうことがちゃんとできているか痕跡がない
守護大名家足利義昭徳川家康なんかの書状と比べてみろよ のたくったようなきったない字しかかけてないぞ 漫画の夢幻の如くでは、本能寺を生き延びた信長が世界を取りに海を渡る >>218
朝鮮侵略はともかく
WW2の時は侵略戦争は悪の時代だろ 武士の口減らしとか恩賞を与えるためじゃなくて、マジでやってたのかよ やっぱりこの頃から認知症になりかけてたのかな? >>254
WW2以降の認識だよ。
租界の権益守るために軍隊送り込むとか、どの列強もやってたし。 今のロシアみたいに側近が、上手くいってますとか順調ですとか進言してたのかね。 半年で明を落とすつもりだったのか
耄碌しすぎやろw 悪ではなく、良く無いよ程度。表向きと裏は違った。
言いかがりでもなんでも外交の延長でうまくいけばおkの時代。
侵略が明確に悪となったのはWW2以降。 >>255
明征服は信長の構想と1582年のイエズス会日本年報に書かれてる
秀吉の出兵の表明が1585年 秀吉の失敗だったように描かれることが多いが
このとき日本軍が大陸進出して強さを誇示したおかげで
日本は西洋の植民地にならずにすんだという見方もできるんだよね。 >>250
あんたがいくら違うと言ったところで史料に拠らなきゃただの妄想だな
現場にいた前田玄以が秀吉は筆談したと言ってる史料(文禄2年5月25日付駒井重勝宛前田玄以書状)があり、こっちはそれを根拠に文盲ではなかったと言ってる
それでも違うと強弁するなら確たる史料を提示して証明すればいい
足利義昭の自筆書状なんて一通もねーよ
義昭発給の御内書は全て右筆の手によるもの
家康にしても「当時の慣習」により女性宛や身内宛の自筆書状は仮名文で書いてる
>>192の画像見てみろ
当時の慣習や書札礼を調べてみたらいい
手紙を出す相手によって仮名文なのか漢文体なのか、または厚礼なのか薄礼なのかちゃんと書き分けてるから
学がないから仮名文しか書けないなんて言ってる研究者は一人もいない >>265
対する明や朝鮮も西洋の植民地になってない >>246
万暦帝の定陵を見学して、趣味が同じみたいだから秀吉とはプライベートでは良い友達になれたかもって印象を受けたw >>267
朝鮮はフランスの軍艦がウホウホ言ってる原始人の国とみて一隻で制圧しようと上陸したけど
対日本に備えて作られた城塞が堅固でしかも日本軍が残していった鉄砲を維持管理していてそれを使って撃退した
まあ相手は一隻なんだけど >>266
なんで筆談が根拠なのっ?(笑)
秀吉の言葉を中国語で書く人
↑↓
使者の中国語を日本語にする人
だよな秀吉と使者がお互い書き書きしあいっ子したーの?
足利義昭の直筆一つもない?サラッと嘘混ぜるなアホ
>>192
画像みた?仮名でもきれいだろ?のたくったのとは違うだろ
史料が大事なんだろ信長秀吉の達筆な直筆サイン入り史料だしんさいはやく! プーチンは国内では絶対的権力でも、対外的にはそうでは無いまま死にそうだったからヤケを起こしたんだろうな >>271
漢文で意思疎通できるだろ
豊臣秀吉文書集6には明の使節沈惟敬宛の秀吉書状写も収録されてる
当時日本で使われていた候文の漢文体とは少し違うが大きく異なるわけではない
前田玄以の書状には筆談したとしか書いてないからどういう状況だったかは断定できないが、
書状からは寛いだ様子で日本や明の様子を聞いたり話してることから、雑談での場のことを描写してると思われる
秀吉自ら筆談したからこそ前田玄以もわざわざ「一段筆もかろに申上候て」と表現して秀吉上げしてるんだろうし
右筆や通仕なら一段と筆もかろやかになんて言う必要はないからな
あと秀吉自ら使節と筆談して全ての交渉をまとめたなんて自分も思ってないぞ
ちゃんと通仕や右筆も同席してるし秀吉自らやるわけがない
あくまで雑談の中での余興のようなものだったと思われる
ただ雑談程度であっても筆談できる人が文盲はあり得ない >>271
足利義昭の自筆書状に関しては御内書は一通もないが、書状は改めて調べたらあったわ
小早川家文書に一通、吉川家文書に一通伝来してるようだ
どちらも文禄年間に出されたもので、小早川隆景宛の書状は隆景が朝鮮で病を患ったことを心配し、早々に帰国して養生するように言ってるもの
吉川広家宛の書状は朝鮮在陣の労をねぎらった内容
これに関しては適当なこと言って申し訳なかった
192は見たも何も俺が上げた画像だよ
達筆かどうかなんて個人の感じ方によるとしか言えない
北大路魯山人は日本の新三筆を良寛・一休宗純・秀吉として評価してるし
秀吉にしろ家康にしろ上手い下手はあっても同じ仮名文のくずし字であることには変わらん
字の巧拙が文盲かどうかの判断基準になるわけがない >>274
わかりましたいろいろな見方感じ方ありますが
文盲だという断定は乱暴過ぎたと反省します 秀吉の死に欲だわな
金持ちの死に際の誇大妄想は実現の可否や大小問わず昔からあるものだ >>263
秀吉の出兵表明は1585年と見る人もいるが、その根拠とされる(天正13年)1585年9月3日付一柳直末宛羽柴秀吉書状読むと微妙なんだよね
秀吉の蔵入地の管理を任されていた加藤光泰がそれを私物化したことに対して、
「20石取の者(加藤光泰)を500石、1000石取と度々加増して、今は要の城である
大垣城に2万貫を領地として与え、更に蔵入地7千石の代官を光泰に任せている。
このままでは秀吉は光泰のために日本全土は言うに及ばず、明国まで征服しなければならなくなるではないか。」
つまり秀吉は十分な恩賞を与えているのにもかかわらず、光泰はそれに満足せず蔵入地を私物化するという暴挙に及んだ
光泰が満足する恩賞を与えるためには日本全土はおろか、明まで征服しなきゃならんじゃないかという皮肉の中で唐入りに触れている
この頃には既に秀吉の心底に出兵計画があったとしても別におかしくはないが、
これを正式な出兵表明の初出史料として捉えていいものなのか正直微妙
正式に出兵表明してるのはもう少し後の天正15年(1587年)で、九州征伐が完了した直後 1990年代の秀吉のディスりは酷かったが最近は結構冷静に扱われるようになった方だな。 >>265
この戦争後にヨーロッパは日本を帝国と言うことに
なったからね
あの当時の西洋とは桁違いの軍事力を動員できる
東アジア諸国を植民地化できないと悟ることになった 戦術からして失敗してるもんなぁ。
なんで支配したらチョンをまず先兵で送り込まないんかって事になる。 小早川 加藤 小西が世にあらば 今宵の月を いかに見るらむ >>223
確かに、日本による朝鮮やシナ征伐のシミュレーションゲームないよな。
あれば一回クライやってやっても良い。 >>281
そんな事したら奴隷ニサレニダ!賠償シロシロニダ!うるせーだろ
秀吉は未来のビジョンが見えてたんだよ 明のトップがあのニート皇帝徽宗だったので秀吉がもう少し長生きしてれば可能性はあった 秀吉がアメリカ大陸を目指していたら日本は世界最強の国家になっていた >>281
センジンは使えないからだよ。
元寇は日本侵略のフネをセンジンに造らせたタメ、センジン得意のテヌキ工事でフネが水没して失敗に終わった(日本では神風と言われた)と言われておる。 朝鮮人民は出迎えてくれたらしーな
お人好しにもそいつらに米渡して物資不足になるっていう 実際この頃の日本陸軍は世界最強レベルだろ
日本製の鉄砲半端ねー 例え朝鮮抜けても、万里の長城の天険がある
清のヌルハチも万里の長城は越えられなかった
清の三代目の時に、明が農民反乱で滅んだドサクサ紛れに長城越えた
豊臣軍も、明が健在だった時に万里の長城越えるのは難しかっただろう >>293
だとしたら勝ってるよ。結局負けてんだから弱いんだよ。 確か、明の援軍が大砲持ってきててそれで負けたとかなんとか。
基本的に明の方が技術力が上だったからまともにやったら勝てないとかなんとか。 >>294
後金は北から来たから山海関を抜く必要があったが
ジャップは水軍があるから渤海こえて北京に直行よ
(´・ω・`) >>297
司馬遼太郎も似たようなこと言ってた
秀吉が本気で明を取りに行くなら、明国に直接上陸してたと
朝鮮経由にしたのは、本気で明を取る気じゃなかったからだと >>296
明は日本と違って自力で大砲を作れたからね
それと日本の貧弱な軍船は朝鮮軍の亀甲船には歯が立たなかった >>296
兵器の質とか戦術よりも大陸の強い寒波と半島内の補給線を維持出来なかったのが大きいかと >>3
>>5
大韓民国の抵抗により
日本軍の補給部隊は全滅してる
ジャップは弱すぎる >>299
笑かすなよ
漆川梁海戦が完膚無きまでに壊滅したくせにw 清正ツッコみすぎ
補給とかまったく考えていない
三成が頭抱えたのも分かる
進めばいいってわけじゃない
朝鮮ごときに負けたのが情けない あのあたりの時代の日本は世界最強クラスの軍事大国
さすがにオスマン帝国が一番抜けてるがその次あたり
一方明は楽しい馬賊の皆さんと日本に挟まれた苦しい時代 >>293
軍事力は最強だったか知らんけど、アタマは悪かったみたいだな。
補給路を断たれてあえなく撃沈だもん(笑) ちなみに中華王朝最高傑作は異民族に支配された清朝
日本を除く周辺国を圧倒 別に明征伐に行ってもいいんだけどさ
秀吉にしては計画がずさん
もっと明・朝鮮の内情を調べてから行くべきだった >>300
これが大きな要因だろうな
軍監として現地入りした石田三成の書状にも、
・名護屋で現地からの注進で聞いていた状況と異なり、朝鮮は全く静謐になっていない
・兵糧が欠乏している
・戦線が伸び切っていて敵城を奪っても城に入れる守備兵が足りない
・このままでは勝ち続けてもその内日本軍は無人となろう
と名護屋に居た同僚の長束正家らに宛てた書状で報告している
これは朝鮮上陸から3~4ヶ月後に書かれた書状で、日本軍の快進撃が続いていた時期だが現状は既にこの有様だからな >>306
撃沈されたのは李舜臣な
秀吉が死んだから皆日本に帰っただけ >>302
亀甲船は射程距離約500メートルの大砲を14門搭載してた
当時の日本では到底作れない代物 >>311
韓国人の妄想によってどんどん強化されていく亀甲船
離陸する日も近いぞw >>311
史料がほとんど無いんだよな
日本側に至っては全く出てこない >>313
李舜臣を高く評価してたのは痛い目に合わされた日本人の方だよ
明治時代には海軍大学の教科書でその活躍を学んだほど 朝鮮が弱すぎて
懐に入り込みすぎて戦線が伸び、補給が絶たれる
朝鮮半島の戦争はどこもこの轍を踏む 自筆って凄いな。
ヨーロッパのアジアへの脅威もあったから秀吉も警戒してた。
宣教師は侵略の為の偵察任務だから実質。
当時の日本を見て、良く切れるソード持ってるわ鉄砲も世界の半分ぐらい日本にある、独特の文化、戦闘民族ぶりに簡単には取れないと報告してる。 >>317
秀吉は自筆の書状がたくさん残ってるよ
天性の人たらしだから、「自筆」の意味が良くわかってる
他の大名みたいに代筆させたりとかしない >>315
亀甲船の設定にミサイルが追加されたところまでは知ってるんだけど
飛行能力はまだなの? >>305
オスマントルコなんてポーランド以下やで 割と知られてないのは信長と出会った頃に、まるで猿のような容姿だなwと信長に笑われてガチギレした秀吉が人に向かって猿とはなんじゃー!と信長を殴ってる
それから信長は秀吉には何も言わず、書面で禿鼠と嫌味を書いた
意外と短気な秀吉の一面で信長マジでビビっちゃった話w >>317
勿論右筆が書いたものもあるが、自筆書状に限って言えば多い順だと
伊達政宗→1300通
毛利元就→200通
豊臣秀吉→130通
参考までにこの二人も
織田信長→数通
徳川家康→30通
信長の自筆は数が少なく、自筆と言われてる書状も研究者によって見解が異なるので数通 >>320
フサリア騎兵が強すぎるからな三兵戦術のグスタフアドルフも重傷だし
長篠の武田とはレベルが違う 戦国時代の武将達の手紙は、各々の花押とか個性的で人柄が滲み出ていて面白い。
雄筆に書かせて花押で済ませる事がほぼだから、自筆は親しい身内が多い。
伊達政宗の鶺鴒の花押の優雅な事。漢詩も上手い。 信長の佐久間信盛親子に書いた折檻状は、パワハラの権化みたいな書状。
執念深く激烈な性格がとても出ている。 臨津江の戦いのちょっと後くらいの時期か
調子に乗るのもわかる >>300
海上交通よりもむしろ朝鮮半島の陸路が劣悪だったのが響いてるって言う >>309
こんな報告を告げ口扱いして逆恨みする加藤とか頭おかしいな 宣教師は日本を軍事力で征服するのは無理と報告してる。
一方、秀吉はマニラとゴア(インド)に使者を送ってスペインとポルトガルに
朝貢するよう要求。 >>328
半島西側から海沿いを伝って補給出来れば良かったけどそれをさせなかったのは李舜臣の手柄やと思う 信長の自筆の少なさは、せっかちだから、ちまちま筆と硯持って紙に向かうのが苦手だったんだろう。
口述筆記主義。 豊臣秀吉って架空の人物ってオチはないの?
農民でも頑張ればワンチャン成功するかもよ的な洗脳のための。 日本から攻めるには遠すぎるよ
挑戦だけなら分かるし、実際首都は取れたんでしょ?その先を直ぐに目指すとか無理だわぁ >>334
朝鮮だけ取ってもほとんど利益ないからなあ この流れ、間違いなく先制核攻撃国家ザパン誕生を示している
阿度部(神功)三韓成敗
筑紫薩(安倍)夜麻 白村江
松浦党(安倍)倭寇
太閤秀吉(高志国織田=安倍友)朝鮮成敗
大日本帝国
自民党清倭会 信長の一家は神官の出で、安倍一派に仕えた友達一族。その遺志を継いだ太閤。思想的に危ないやつら。 両班の暴政でクッソ貧しい朝鮮なんかに行くよりも
当時世界最大の穀倉地帯江南に攻め入ればいくらでも現地調達できた
おまけに揚子江流域のクリークを使えるから水軍も使い放題
最大の問題は人口多過ぎて10万程度の日本軍は直ぐ人民の海に飲み込まれる事
それでも温暖な気候と兵糧の心配ないのは大きい >>279
韓流ブームと結びついてたからね
結局そこ >>326
でもおねに書いた手紙はユーモラスで真逆
一筋縄ではいかない >>10
普通に貿易したかっただけやろ
やり方を間違えただけや >>198
大陸には金もモンゴル帝国もまだいるのに征服できるわけないじゃん
騎兵舐め過ぎ >>283
Europa Universalis Ⅳで15世紀から遊べるよー >>342
鉄砲が普及するようになって遊牧民族の騎兵は相対的に地位が低下している
都市経済に支えられた近代騎兵はまた別物 >>326
何度もチャンスを与えてたんだから逆に優しくないか
本当にパワハラなのだとしたら松永久秀みたいに謀反だってできただろうに佐久間親子はそんなことしなかったのだから本当に無気力だったんじゃないの 鉛筆も消しゴムも無いから、自筆の場合、多かれ少なかれ気合い入っただろうな。
内輪の書簡の場合は人柄が滲み出るの多いね。 >>9
関東平野を家康にやった後
東北平定に宇都宮まで秀吉出張ったけど
広大な関東平野を目の辺りして家康にやったこと
後悔していたしなwww
頭の切れる男だったが所詮 井の中の蛙大海を知らず であったようなw 成り上がりの誇大妄想が各方面にどれだけ迷惑をかけたことか >>12
日本国内の戦だと
支配者が交代しても
支配される農民は受け入れて年貢を収まるけど
朝鮮では庶民レベルで反抗されたからな
戦に勝てば即領民支配てわけにいかないのが
秀吉の誤算www 昔の日本人はスケールが世界史レベルだったな。
明治維新で薩長政府になってしょぼくなっちまった。 直筆なのか・・
太閤のくせに漢字を知らないから「大こう」としか書けない猿なんだなw >>352
単なる島国の世間知らずだっただけ。モンゴルとは違う(笑) 薩長の方が世界レベルだと思うが
日英同盟
日清日露戦争
日米英露仏協商 これを野望と記すとは世界史的な俯瞰のない従来の歴史観だからだな。
侵略を拡大する西のスペイン フェリペ二世に対抗して頼りない明にかわってアジアを守ろうとして立ち上がったことを野望w
実際朝鮮征伐では多くの朝鮮人が秀吉軍に加わって明と戦った。 >>353
この画像見ると「大かう」だな
まあ女性宛の書簡だし仮名が多いのはしゃーない
伊達政宗も母義姫の侍女宛の書簡には「大かうさま」と書いてる >>81
秀吉は托卵は認識していたようだがなw
秀頼が生まれた報告聞いて
最初の澱への手紙では懲罰するて書いてある
秀吉のアンアン記憶と妊娠してガキ出産日までが
当時の常識のトツキトオカの日数があわないからなw
それが心変わりしたのは天下様の面子だろw
自分に跡継ぎができてそれを受け継がせるてな
できの悪い甥に継がせるより自分の子と称するガキに継がせるほうが
自分の面子が保たれると思ったのだろwww ロスチャイルドやフリーメーソンかw
ロスチャイルドの野望なら世界の半分を中ソにやらんよ 秀吉が優秀な朝鮮民族を連れ帰り今の日本の繁栄があることを忘れてはならない
岸田首相もその大いなる民族の流れなのだ 北政所の本名を手紙の中に書いといてくれればよかったのに >>279
若い連中は大河の秀吉すら知らないでネトウヨの妄想をそのまま受け入れてるんだろうなw
頭悪すぎだろ そもそも明の征服はもともと信長の夢だろ。
秀吉は信長の夢を継承しただけ。 思いのほか朝鮮の抵抗が激しくて当てが外れたんだろう >>52
モンゴル人も真っ青なんて簡単に言ってくれるわ 秀吉って、ずっと日本にいたんじゃないの?
前線で指揮してたっけ?
どこから手紙書いたんだよ 昔の手紙って漢字の方がまだいくらか読めるがひらがなはただの波打った線にしかみえねー
この手紙だと「まんところ」だけは読めた >>366
朝鮮兵は大した事無い
明の援軍と大陸のきつい寒波、補給を阻む峻険な地形と悪路が要因やと思う はじめまして、豊臣秀吉の生まれ変わりの豊臣秀次です
質問ありますか? >>368
前線基地が九州の名護屋
そこから書いたんでしょ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています