【グアム】伝説の残留日本兵・横井庄一さんが暮らした「洞穴」がグアム島のジャングルに残っていた [七波羅探題★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
「横井ケーブのいまを撮影」グアム在住の日本人”探検家”が確認
横井さんが太平洋戦争後もグアム島のジャングルで身を隠しながら暮らしたその手掘りの「穴」は、現地では「YOKOI CAVE(横井ケーブ)」と呼ばれていた。
横井さん帰国後は、「穴」は商魂たくましい人に観光目的に利用されることに。ところが、グアム島には“偽物”の「横井ケーブ」も存在し、何も知らない観光客がそれが「横井ケーブ」だと騙され案内されていたこともあったと安部さんは伝える。
“本物”の「横井ケーブ」の場所は、グアム島タロフォフォ村のジャングルの奥地。
安部さんは、1972年1月24日に横井さんを発見した島民の一人、マニュエル・デグラシアさん(故人)に連れられ、その「穴」を確認しているという。
しかし、横井さん帰国からは半世紀。「横井ケーブ」は風雨にさらされ、どんどん痛んでいく。そして、人々の記憶から薄れていく「太平洋戦争」の教訓。
安部さんは、平和の尊さを伝えるためにもこの「横井ケーブ」をしっかりと保存すべきだとこれまでも訴えてきたという。
ところが、横井さんが暮らしていた当時のままの状態で保存することは極めて厳しく、「せめて横井さんがいたことを示す看板をしっかりと設置したい」というのが今回、改めて一行が現地を目指した理由だった。
届いたグアム島からの画像には、青い空と緑がひろがっていた。
ジャングルの奥地にある「横井ケーブ」は、今はどうなっているのか?一行はいざ、出発。
「穴」はどんどん小さく…風化する戦争「残さねばならない」
「横井ケーブ」の深さは、横井さん本人の証言から、3mほど。横穴の居住スペースは、最大で約4m。井戸、トイレ、換気口、排水溝も備えており、横穴の中から外に排水できるようになっていた。それは近くの谷川に通じ、排水の出口は草木で見えにくくなるよう工夫していたとのこと。
また、横井さんが考える「穴」を掘るための最低条件は3つあったという。
1・不便だが近くに食料のないところ。2・水と薪に不自由しないところ。3・人が通らない、通りにくいところ。
1973年に、この「穴」の映像を撮ったCBCカメラマンは、いま80代。横井さんがジャングルから帰国した翌年に、「穴」を確認するために横井さんとともに名古屋から現地入りした。
ジャングルの中を進む際の横井さんの身のこなし、木登りの際の身軽さなどに驚愕したという。
「横井さんは人間離れした能力を持っていたと、つくづくあの時、ジャングルで思った」と語ってくれている。
さて、“探検家”の安部さん一行。ジャングルのヤブをかき分けかき分け進んでいく。
しかし、今まで何度もその「穴」に行ったことがあるという安部さんでも今回は、途中の川にかけられていたはずの丸太がなくなっていたことで、見覚えある景色が変化し、約2時間にわたって道に迷ったという。
そして…ようやく到着。
安部さん「『穴』を保護するために以前、私が入口にかけていた緑のタープ(=シート)はなくなっていました。
しかし、『穴』の周辺を見て回ると、そのタープの一部は、そばに積もっていた笹の葉の下から出てきました。それを私は回収し、今回は、新しい青いタープをかけました。
『穴』の中を確認しようとしましたが、入口部分の幅60センチ、深さは60センチほどが残るのみで、中にひろがっていたはずの空間はすっかり埋まっていました」
当時の「穴」1973年撮影
https://newsdig.ismcdn.jp/mwimgs/e/9/680mw/img_e9eec07c08da103d50cb4d98fe2ca5c5211615.jpg
現在の「横井ケーブ」
https://newsdig.ismcdn.jp/mwimgs/8/a/680mw/img_8a6a6dec852ff029243f1e8fb91be18e6764827.jpg
安部さん一行は、この5月、青いタープをかけ『横井ケーブ』を説明する案内看板を改めて立てた。日本語と英語で案内するものだ。
https://newsdig.ismcdn.jp/mwimgs/9/4/680mw/img_9439d5008bfaf3d219dca81df5d493331091430.jpg
https://newsdig.ismcdn.jp/mwimgs/2/5/-/img_25ef9c7fb3360931e678f247fe031ffe126134.jpg
CBC2022年6月11日(土) 13:30
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/cbc/58321
※長文の為一部略 もともと洋服屋で召集された兵隊の横井さんより職業軍人で将校の小野田さんはビシッとしてかっこよかった記憶 NHKの朝ドラでも使われてしまう
ああいうのは少し疑問だが >>10
小野田さんは銃で狙われていることを直感で察知するニュータイプ 小野田少尉に限らず、残留兵って終戦後も遭遇した現地民殺しまくってたんだよねw 恥ずかしながら帰って参りましたって言ってたよ、恥ずかしかったんだ。 >>16
お国のために死ぬのが当然だったから生きて帰って来たことに恥を感じたんだろ バナナの繊維で作った服凄かった
昔の職人て繊維から作り上げる事が出来るのか
横井さんの手仕事を見たかったな 今の新兵によっこいしょういちって言っても分かんねーんだわ。
自衛隊入るなら少しは戦史を勉強してこいっての(笑) >>16
勝ってくるぞと勇ましく誓ってクニを出たからは手柄立てずに死なりょうか
本当にこういう精神を叩き込まれてたからね >>10
小野田さんはエスパー養成施設の中野学校出身 本土決戦やってれば全国に同じような人が続出したんだろうな >>10
マスコミは立派な方の小野田少尉を取り上げない。 横井さんと同年代というか、同じく召集兵士だったひとたちはこのニュースどういう気持ちで聞いたんだろうか。 >>22
この写真小野田さんはまだ出頭してすぐなのにマスコミから「小野田さーん、こっち向いて敬礼お願いしますう、」とか軽々しい声がかかってサービスでやってあげたのかな。横のおじさんの笑いながらの敬礼と、同じく笑いながら軍刀をさわるフィリピンのおっさんとか、なんかすでにグダグダな雰囲気になってる。 NHKの朝ドラで「よっこいしょういち」と言ったな
らき☆すた以来のメディア露出w あ、こちらの方ねw
当時の映像見ると疲れきって何をしたくて帰国したのか疑問
死ぬタイミング間違えるとこうなるのかと考えさせられた印象 >>33
現地で終戦以前から誰とも接触なかったのかな。そんなことあり得ないよね。 小野田についてwiki見たらゴーストライターにただの人殺しって言われてるじゃん >>39
現地で島民と戦ってたから横井も捕まった時殺されそうになった >>33
日本兵のやらかしが酷すぎて現地民に恨みをかってた。
終戦後も日本兵を見つけ次第殺してたから出るに出られなかった。
生き残りは横井さん以外もいたが死んでいった。 >>32
この絵をどこか見覚え有るなと思った
トイレを覗こうとして便器の下で死んでた人のを思い出したw
あれどうやって入ったか謎なんだよな 横井は
「出ていけば殺される。
なにせ敗軍の兵隊、殺される」
と思って潜伏してた。
小野田は本気で戦い続けてた。 >>42
ん??おかしいな
日本軍は欧米の植民地を解放するために戦ったんでしょ?
現地では英雄視されたんでないの? >>41
継続して戦闘してたのは小野田さんじゃない?小野田さんは終戦を前提に軍から送り込まれた人だったし。横井さんは同年兵たくさんいたろうになんで一人だけ籠ったんだろう。 戦後の日本に馴染めるのかも
含めて、凄く対称的なお二人。 >>22
ハイセン知ってたくせに、わざとらしい尊皇アピール 小野田は軍からの降伏命令が無かったから、ずっと戦い続けていた 小野田さんの方が立派だけど横井さんの方が愛されるタイプよね。この前奥様も亡くなってしまったね。
横井さんの手作りの服はヤバい。ホントすごいよ >>56
小野田さんは終戦は知ってて、日本が再度戦うための情報収集目的で現地にいたと聞いた。ラジオで高校野球聞いてたらしいし当然政治・経済はリアルタイムで理解してたはず。本人はまだ戦争中モード。 >>64
そういう体にしていただけ。
ただただ殺戮を楽しんでいた。 >>47
横井さんは当初3人で隠れてたけど喧嘩して1人になったって
でしばらくして2人の隠れてる所に行ったら死んでたとか 日本敗戦
1945年8月を過ぎても任務解除の命令が届かなかったため、終戦後も一等兵赤津勇一(49年9月逃亡、50年6月投降)、伍長島田庄一(54年5月7日没)、上等兵小塚金七(72年10月19日没[4])らと共にルバング島に取り残された[1]。4人は作戦を継続し、ルバング島が再び日本軍の制圧下に戻った時のために密林に篭り、情報収集や諜報活動を続ける決意をする。日本では1945年9月に戦死公報が出されたが、1950年に赤津が投降し、保護された地元警察でこれまでの島での生活を証言したことで、小野田ら3人の残留日本兵が存在することが判明する[1]。 >>47
戦争は終わったって何度か聞いたけど、どこの誰だかわからないやつの言葉を信じる訳にはいかなかった、とか言ってなかったっけ? >>61
まだ出てこなかった頃、すでに、小野田はまだ戦闘中だから上官が直接命令しないと出てこないよ、という話があったらしい。それで元上官が現地に行き命令書を読んだ。 帰国後、皆に「よっこいしょういち」と言われ続けたのが我慢出来ず妻の名字を名乗ることになったのはあまり知られていない話 >>66
ありがとう。もしかして当時のグアムサイパンにはそんな人と穴がたくさんあったのかも >>52
横井さんの服、繊維から自分で作ったんだよ
すげえ… 小野田は兄弟もみな東大卒で
本人もスパイ養成校出身の軍人
横井さんは徴兵された平民やしな
(´・ω・`) エビを取るために川に来たところを現地人に発見されたのは
横井さんが愛知出身のエビ愛ゆえという説が大好きだわw >>25
民間人連続強盗殺人魔だから
「国の為!!大義の為!!」とか言えば、個人都合の殺戮も許されるという理屈は戦後の日本では認められない
オウムなんかもインド宗教の皮を被ってたが言ってることはネトウヨと酷似してたし >>59
いや横井の方
3ヶ月くらい前だっけ。NHKBSで特集してた。
日本兵は現地民に爆弾とか運ばせてたけど
隠し場所を知ってる現地民を運んだ後皆殺しにしてたんだと 小野田さんは職業軍人で横井さんはその辺のおやじなんだから、
消防士と消防団の関係だろ。 >>10
お前だって召集されれば同じ立場のくせに何えらそうにしてんの? >>26
復員兵だったウチの爺さんはTVで見て激昂したらしい
ま、戦争関連話には何にでも怒る人だったそうだが
昭和天皇から恩給と共に下賜されたタバコも「こんなもので、こんなもので!」とか喚いていたそうな 40年ぐらい前にグアム旅行にいった時に
ここだって紹介されたよ >>99
凄いな
この人は結果的には生きて帰ってこれたけど
同じように器用で優秀な人も沢山戦地で死んだんだろうね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています