北村有樹子2022年6月17日 9時00分

古都ぶら


 地図を片手に、路地で目をこらす男性が一人。

 視線の先にあるのは縦長のプレート。旧字体で、こう書かれている。

 「下京區六條通室町西入西魚屋町」

 ほっとした様子で言う。

 「ありました!」

 確かにそこは京都市下京区六条通室町西入西魚屋町だった。だが、男性が安堵(あんど)したのは、道に迷っていたからではない。このプレートの存在を確認できたからだ。





ひげの男性のプレート

 「○○町」「△丁目」などと街角で所在地を示す町名表示板。ただし、街角のあちこちにある普通のものではない。

 町名の下には、立派な帽子をかぶったひげの男性の絵と、「仁丹」の2文字。いわゆる「仁丹の町名表示板」だ。

 「仁丹」は、1905(明治38)年に現在の森下仁丹(大阪市)が発売した懐中薬。当時は銀色の小さい粒ではなく、「赤大粒」だった。トレードマークの「ひげの男性」は「薬の外交官」で、仁丹を世界中の健康に役立てる願いが込められていると伝わる。






町名知らせて100年以上

 仁丹の町名表示板は、同社の100周年記念誌によると「1910年から大阪、東京、京都、名古屋といった都市から掲げ始めた」ものだ。

 当時は町名を示すものが街中になく、来訪者や郵便配達人が家を探すのに苦労していたため、創業者の故・森下博が「広く社会に役立つ『広告益世(こうこくえきせい)』」を重視して発案した。

 ただ、戦火などで多くが失われ、まとまって残るのは京都市のみという。

 その愛好者らが2010年に「京都仁丹樂會(がっかい)」をつくり、京都市内などで定期的に「ローラー作戦」を繰り広げては、仁丹の表示板の存在を確認している。

 冒頭の男性も樂會メンバー。元公務員の下嶋一浩さん(64)だ。

https://www.asahi.com/articles/ASQ685R5MQ4WPLZB00B.html