2022年06月17日 公開

繁延あづさ(写真家)

写真家・繁延あづささんは、3人のお子さんと家族5人で長崎に暮らしています。ある日、小6の長男が、ずっと欲しがっていたゲームの代わりに「ニワトリを飼う」と宣言。長男の目的は卵を売りお金を得ること。地域の人たちに助けられながら、養鶏生活がまわり始めます。
ニワトリが次々と卵を産むようになると、長男は今度は地域の住民に向けて「卵のサブスク」ビジネスを始めたいと言い出します。そんな息子の行動に、繁延さんが抱いた葛藤とは。
※本稿は、繁延あづさ著『ニワトリと卵と、息子の思春期』(婦人之友社)より内容を一部抜粋・編集したものです。






つぎつぎと産み落とされる卵

長男が養鶏をスタートさせてから半年。初めての春がやってきた。年明けに卵を産みはじめたニワトリたち。産卵率は気温の上昇とともにぐんぐん上がっていく。
ニワトリは冬に産卵が少なく、春になるとたくさん産む。そんなことスーパーの卵ばかりを買っていたときは知らなかった。室内の養鶏とは違い、平飼いは気温や日照時間がダイレクトに影響するからだろう。生産という意味では不安定だが、生き物としてのリズムを目の当たりにできることは嬉しかった。
たまに産卵する烏骨鶏とは違って、赤鶏たちは毎日ノンストップで産んでいく。まさに毎日生産されている印象。近所におすそ分けしつつ、私は毎日贅沢に卵を使って料理した。
オムライス、親子丼、卵スープ、やたらとケーキも焼いた。休日の朝は自家製猪ベーコンと目玉焼きだったりしてなんだか優雅だ。が、べつにそんなつもりはないし、それを望んでやってるわけじゃない。
これまでは買わなければ食べるとなくなっていた卵が、いまでは食べ続けないと増えていく。だからおのずと積極的に使ってしまうだけ。でもなんか違う。次男と娘が嬉しそうに卵を採ってくるのはいい風景だったけれど、追い立てられるように料理するのは嫌だ。





卵からお金へ

そんな中、夕飯のオムライスをつくっている傍らで長男が言った。
「そろそろ、卵売ろうかな」
ハッとした。そういえば、息子がニワトリを飼いたいと言い出したとき、「ねえお母さん、育てたニワトリの卵って売れっと? 」とたずねてきたことがあった。
私が「そんなの知らない。食品だし、ダメなんじゃないの? 」と返したら、彼は翌日市役所にメールで問い合わせをし、2日後には「調理したものはダメだけど、そのままならいいんだって! 直売所にあるみたいに」と市役所からの返信内容を教えてくれた。
その後すっかり忘れていたが、あれはただの思いつきではなかったのか。生後3カ月のニワトリを飼うことからはじめ、4カ月間世話してようやく産卵スタート。さらに2カ月後に最盛期――。
息子は私が思っているよりも大掛かりな計画を遂行していることに、このときようやく気づいた。〈にわとり飼育計画〉ならぬ〈小遣い稼ぎ計画〉だったのか! なんだかまた胸がざわざわしてきた。
息子が卵を売ろうと思っている相手は当然大人。いま在籍している学校や家庭以外の大人となると、それは彼が個人として社会と関わるということになる。胸がざわざわしたのはこれだろう。個人でなにかしようとしても、社会的に彼は未成年であり、私は保護者なのだ。
子どもを養い育てる人を"保護者"と呼ぶのはいいが、この言葉と表裏一体である"責任者"という言葉にネガティブな感情を抱かずにはいられない。いや、確かに子どもに多くの影響を与えるのは親で、責任は十分にあるだろう。
ただ、産んだら一切の責任が課せられる空気には抗いたい。予防接種でも学校のプリントでも必ず親の署名欄があり、まるで"責任"が実在する物質、たとえばボールのように受け渡しされ"いまはここですよ!"と所在を明らかにしているよう。
目に見えない責任をでっち上げて1カ所に集約しているような。責任ってそんな単純なものにしていいのか? と、文句言ってもしょうがない。
とにかく長男の卵売りは親の責任の範疇で、それを負わされることに怯える私がいる。正直やめてほしい。でも、そう言って素直にやめるような長男ではない。その瞬間からまた口論になるのは目に見えている。どうしよう、困ったな。
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