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安倍晋三元首相が銃で撃たれたことを知ったのは、お昼時のカフェ、友人からのLINEだった。スマホで情報を拾いながら、一緒にいた友人と第一報の限られた内容についてあれこれ話していたが、気づいたら、右隣も左隣も背後の席もみんなが安倍さんの話をしていた。受け止めきれない大事が起きたときに、私たちは饒舌(じょうぜつ)になるのだと思う。

 白昼堂々、背後からの銃による暗殺は、当然、義憤に駆られたテロ行為だと誰もが思っただろう。犯人は強い愛国心を持つ右翼の人ではないか。原発を再稼働し、国土を汚し、アメリカに追従してきた自民党政治に怒りを感じている人ではないか。そんな話を私は友人としていた。人の想像力には限界があるのだ。ネットでは、極左の仕業だ、いや外国人がやったのだ、という声が、人々の思い込みによって次々投稿されていた。自分の見えている世界は狭い。そういう自覚のない「私たち」による偏見で犯人を特定しようとする思考が、いかに危険で浅はかなことか。自分ごととして反省したい。

 少しずつ明らかになってくる情報は、想像を超えていた。「政治信条への恨みでやったことではない」という動機はすぐに報道され、「そんなばかな」とにわかには信じられなかったが、母親が宗教団体にのめり込み、そのために一家が破産し、家族が崩壊していったという背景が少しずつ報道されている。ネットや海外のメディアでは、母親が妄信したとされる宗教団体で安倍さんが演説する姿が報じられている。

 カルト宗教の被害相談を受ける弁護士たちが、昨年、安倍さんに抗議文を出していた。霊感商法により財産を根こそぎ奪われ、家族が離散するような被害の相談が弁護士団体には年間数百件ほど寄せられるという。弁護士団体の抗議文によれば、安倍さんをはじめ複数の国会議員が、被害が多発している宗教団体の集会で演説等を行い、賛同メッセージを送るなどしていた。議員らの意図は分からないが、「信じたい」と縋(すが)る人々にとって、国会議員の声が宗教団体に権威を与えていたことが長い間、懸念されていたという。今回の山上徹也容疑者も、壊された家庭の被害者として、怒りがゆがんだ形で安倍さんに向けら