【社会】 ガダルカナル島の日章旗、80年ぶり故郷・郡山へ…遺族「お墓の家族に報告したい」 [朝一から閉店までφ★]
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2022/07/23 23:06
太平洋戦争の激戦地だったソロモン諸島のガダルカナル島で、1942年に戦死した郡山市出身の 宇南山(うなやま )民男さん(当時23歳)の所持品だった日章旗が22日、保管されていた米国から遺族に返還された。80年ぶりに古里に戻り、遺族も感慨深げだった。
郡山市遺族会や宇南山さんの遺族などによると、民男さんは1919年生まれ。42年1月、広島県の宇品港から戦地に向かい、同年11月、ガダルカナル島で腰と腕に砲弾の破片を受けて戦死したという。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20220723-OYT1T50130/ >>16
唯一じゃないよ
ペリリューの戦い
日本軍
戦死者10,022
戦傷者446
アメリカ軍
戦死者2,336
戦傷者8,450
戦病者2,500 >>95
会津若松の第29連隊だな。
うちの爺さんは第65連隊だから、餓島に行かず中国で終戦だった。 >>103
会津は朝敵だから最も激しい戦地に送り込まれた >>105
旭川も農業しか出来ない北海道の田舎もんだからって理由で激戦地ばかり送り込まれた
旭川は最強の精鋭だけど元々はそういう理由 海軍が戦艦で対地砲撃したけど全く無意味だったり
二回目は砲撃すらできずに戦艦二隻その他多数喪失とか馬鹿すぎる >>101
スレチになってすまんが、日本軍の戦死者と戦傷者の割合が異常だよね、ベリリューは。大本営も米軍が毒ガス等を使ったのではないかと疑ったとか。
英語が話せて情報を取れそうな将兵以外は全員殺害したのが真相らしいが……。 >>110
負傷して国に帰れる米軍人と違い、負傷者は後送できず、捕虜になる前に手榴弾を渡されて自決だからなあ。 >>112
反目も何も
海軍「陸軍の一木支隊が壊滅したのは支隊指揮官のミスがあったからだ」
陸軍「海軍の情報では米兵は二千人しか居ないと言っていたのに蓋を開けたら一万人で
戦車もいるでは無いか、話にならん」 ちゃんと保管してるのがアメリカ先進国凄いよな
口臭黄猿東アジア土人改竄島国なら年末の大掃除で棄てちゃう 一緒に盗った金歯は返してくれなかったのか?
大叔父はこの作戦の生き残りで金の亡者だった >>100
食糧不足で餓死者が出まくったガダルカナル島(餓島)
同じく補給線断絶とマラリア等により餓死者や病死者が多かったブーゲンビル(ボーゲンビル)島(墓島) >>112
ガ島の陸軍部隊とラバウルの陸軍司令部や本土の大本営との間の通信を中継するために海軍は潜水艦を派遣したが
まだガ島の戦いが継続しているのに勝手に引き上げさせた
理由は「海軍は敵の戦艦や空母を沈めてこその海軍である。敵の艦隊が来たと言うのでそっちにいっただけ」
こんな話もある ウクライナはこんだけ死に物狂いで努力してから他国に支援を要求しろよ >>112
予算の取り合いとか仲が悪かったみたいだな
日露戦争の頃は陸海軍は協力してたようだが
学校育ちの軍人が増えたからかな >>120
日露戦争が終わると桂・ハリマン協定破棄など日米関係が悪くなるような事態が起き
「次はアメリカと戦争になるんじゃないか?」という予想が政治家や軍部、世論の間に広がり
「アメリカに負けたら男は金玉抜かれて北米大陸の炭鉱へ送られ、女は女学生から人妻までアメ公の肉便器にされる!」と不安を煽るような国士様まで出てくるようになる
↓
日露戦争が終わって予算確保のお題目が無くなった海軍の一部の派閥(後の艦隊派)はこの対米戦争の不安に乗じて
「今のままではアメリカに負ける!もっと戦艦を作ろう!」と建艦競争を煽る
↓
しかし実態は対米戦争を想定とか国防のためではなく
「新しい艦艇が増えたら新造艦の艦長、航海長などの幹部職の椅子が増え、更に新しい艦隊や戦隊の司令部(司令官や幕僚の椅子)も増やせれば海軍内部の派閥争いで優位に立てる」
という省益や派閥の利権確保のためだった
↓
無制限の建艦競争による日米関係の悪化や日米の戦力差の拡大、国家財政の圧迫を憂慮した日米協調路線派、海軍条約賛成派も艦隊派に対抗して声を上げたが
東郷平八郎や伏見宮博恭王を味方に付けた艦隊派はこれらの意見を「帝国の軍備増強を妨害する米英の工作員」「米英に与する反日売国奴」と糾弾し
海軍大臣に直訴して粛清人事を敢行し、日米協調路線派や条約派の人間を予備役送り、閑職送りにする(大角人事)
↓
満州事変、日華事変、国際連盟脱退、日独伊同盟締結、ABCD包囲陣、対日経済制裁などで本当に日米関係が悪化してくるが
「予算確保、利権のためだけに戦艦を増やしましたwアメリカに勝てっこねーだろw」なんて口が裂けても言えないので
「個人的には反対だが海軍としてはやれと言われればやる」「戦はやってみないとわからない」「今ならワンチャン勝てるかも?」と曖昧な意見しか出さず
明確に開戦反対を唱えなかった(艦隊派の力が強すぎて海軍大臣や軍令部総長など海軍の幹部ですらハッキリと「対米戦は反対」とは言えなかった)
↓
戦後になると海軍OBが回顧録や証言集などで
「実は海軍は太平洋戦争に反対していたのです!しかし大陸で暴走した陸助のバカや戦争を煽ったマスゴミや馬鹿な国民ガー」という海軍善玉論を流すようになる
前に別のスレにも書いたが海軍さんは大体こんな感じだった 陸軍は総力戦の観点から国力や国家のあり方など過剰なくらい考えていた
一方海軍は海軍の事しか考えず国力に全く見合わない過大な戦力を要求し、戦争が始まればシーレーンなどほったらかしでひたすら決戦ごっこ 石油石油で戦争に踏み切ったくせにタンカー護衛さえろくにしなかった >>125
日本海軍がお手本にした英国海軍では「英国本土と植民地の防衛」と「英国本土と植民地の間のシーレーン防衛」を海軍の2大任務として掲げていたが
日本海軍は創設から太平洋戦争開戦までの間に日本本土と植民地、占領地のシーレーン防衛をほとんど経験しなかったので
いつの間にかシーレーン防衛の概念が希薄になっていたと言われている
特に日露戦争での「日本海海戦の艦隊決戦で勝利を収めた」という成功体験が忘れられず
漸減邀撃作戦のように「日本近海に敵艦隊主力をおびき寄せ、一大艦隊決戦を敢行し雌雄を決する」ことに固執してしまった
あと海軍内部で出世するには「一にも二にも敵主力艦撃沈」が必要だったので
人事査定でも戦艦や空母を1隻沈めると100点くらい加算されるが、輸送船だと30点くらいしか加算されないので
輸送船攻撃や輸送船護衛を嫌がる海軍将校も多かったとか お爺さんや曾祖父さん、あるいはその兄弟(大叔父さんとか)が従軍していたという人は、親が生きているうちに「従軍証明書」を取得しておいた方がいいぞ。
うちの場合、爺さんが中国で転戦したり、大叔父さんがガダルカナル島に行ってたり、別の親戚は香港やシンガポール攻略に関わったり、また別の海軍の人は高雄に最後まで乗ってたりとかいろいろ知ることができて面白い。 >>68
死傷者って言葉の意味を知らないのでは?
そっとしておいてあげようよ >>72
栗林は確かに凄いけど、栗林の作戦はペリュリューの中川中将が考案実践した作戦を
参考にして、地下壕を構築して徹底持久戦に持ち込んだので、中川が凄いんだと思う
まぁ、その作戦はベトナム戦争にも受け継がれ、米国を苦しめる訳だけどw ガ島は海軍の戦略ミスだよな。
陸軍の兵隊さん達もたくさん亡くなられたが。 >>131
ミカン狩りに行ってミカンの皮だけ取ってきた神重徳が悪いな ガ島の日章旗は2枚目だね。
一木支隊の将校さんの日章旗も昨年
戻ってきてたはず うちのジーちゃんは志願兵だったけと会計係だったから余裕で生きて帰ってきた >>112
帝国陸海軍相争い、余力をもって米英と戦う
などと言われたものだ 一木支隊はたしか旭川の第7師団だよね。
ゴールデンカムイで有名だけど >>46
近接航空支援はちゃんと攻撃命令が出てからやるの!!
会社でも勝手に他の部署の仕事やったらだめでしょうがw >>131
海軍は陸軍が海軍の手助けが無いと戦争ができないところを決戦に選ぶ必要があった
そもそも対英米戦自体が日中戦争が長引いて
その解決に「今度は対ソ連戦だ!」って言い出した陸軍を抑えるために始まった戦争
ヒトラーみたいに好きなところ攻められるわけじゃない
組織的にも海軍は陸軍の下位にあるのが列強では普通なのが
日本だけが陸海軍が両立していた
だから対立も起こったわけだ 補給無いとどうやっても勝てないという戦国自体なら当たり前の戦いの鉄則を無視した旧日本軍のぽんこつ無能上層部たち。
あれで上位大学出とかどんな裏口入学してたんだか。 >>141
大本営を何だと思ってるんだ。実質的にはただの広報機関だぞ
ガダルカナルに関しては無能は海軍の軍令部と連合艦隊司令部
陸軍にルンガ飛行場(ヘンダーソン飛行場)奪還を懇願しておきながら補給も支援もろくにやらなかったからな
ちなみに、実はアメリカ側もガダルカナル島を支援するはずの第61任務部隊(フランク・J・フレッチャー少将)が
めちゃくちゃ消極的で
水上偵察機見ただけで輸送船護衛放り出して逃げるを繰り返してたので海兵隊指揮官のヴァンデグリフト少将や
ヘンダーソン基地司令のマッケーン少将がキレ散らかしてたりする >>139
日露戦争の旅順で203高地東北部山頂を占領したのも同じ旭川第28連隊 >>4
ニューギニア戦線 戦死・行方不明 約18万名
フィリピン戦線 戦死・行方不明 約51万8000名
シナ大陸戦線 戦死・行方不明 約50万名。
いずれも戦争全期間における損害 >>15
USSダンカンは1942年、サボ島沖で日本艦隊と交戦し沈没。 >>139
一木支隊2500人は作戦前に事前に以下の敵情報受けていた
・敵は沿岸警備隊含めて歩兵2000人
・ガ島からの脱出を検討して逃げ足である
↓突撃してみると現実は
・米海兵隊第一師団の10000人
・鉄条網やトーチカを備えた防御陣地に生身で正面攻撃
・75ミリ榴弾砲とM2機関銃による十字砲火
・戦車や空から急降下爆撃機による攻撃
結果は一木支隊全滅 >>147
203高地の指揮官が乃木希典じゃなかったら、死傷者はもっと少なかったよね
乃木希典が無能だったばかりに乃木の息子2人とも死んじゃって、後に夫婦で自殺とか悲惨だよ
その乃木にそそのかされて軍隊に入っちゃって硫黄島で戦死した金メダリストのバロン西も可哀想
乃木はろくな事してねーわ >>31
一木支隊は1942年8月21日ガダルカナル島に上陸直後、待ち構えていた米
軍の圧倒的砲火によって全滅、一木支隊長も戦死した。
しかし一木支隊は同日深夜、旭川第七師団兵営に全員帰還している。 >>149
しかも同士討ちだから悲惨。水雷突撃して反転したところを重巡ボイシ、ソルトレークシティから日本艦と勘違いされて集中砲火を浴びて沈没 どうせアメ公が日本兵の頭蓋骨やら将校の日本刀やらと一緒に戦争土産として持ち帰ったものだろう。こっちも白豚だ黒豚だと言って米兵の人肉食ってる。 >>153
日本側は米艦を味方艦と勘違いしてたのに >>150
ガダルカナル島に米軍が上陸したときに偵察に飛んだ一式陸攻の機長(関根精次氏)は「輸送船80隻」と報告したのに、司令部の判断は「多くても40隻」「小部隊の偵察上陸だろう」……初動から敵を過小評価する海軍には呆れてしまう >>10
まあ沖縄にいたはずなのに転属したからな
第32軍の上級司令部が第10方面軍だったせいだが 似非ウヨクの朝鮮カルト売国奴が薄っぺらい涙流して背乗りする材料だなあwwwwwww
アイコック!しこしこしこおおおおおおおおおおおおおおおおwwwwwwwwwwwww
涙流してるウリは凄い!凄いウリ!アイコックしたぁwww >>151
あれ以上のことが当時の知識と技術でできたかというとかなり難しかったんじゃないかと >>151
乃木勝典は奥の第二軍所属で、勝典の戦死に乃木は全く関係していない >>151
それもろ司馬史観。近年は近代の塹壕戦の手本で評価されてる。五十六が有能説流したのは阿川佐和子の親父。作家の好き嫌いで有能無能が決まるのはなんだかなー。 クッ・・・!
陸海軍上層部が無能ばかりで構成されていなければ・・・ >>155
アメリカ側も指揮官は味方と勘違いしてたんだぞ
だが、絶望的に人望と統率力がなかったせいで部下の艦長達が勝手に戦端開いてしまった
そして後の第三次ソロモン海戦には副司令としてアトランタに乗艦し参加
旗艦サンフランシスコに艦橋誤射されて戦死。死んだ人間を悪く言いにくいのでエスペランス岬(サボ島沖)での騒動はあまり検証されてない >>166
青葉を救援しようと敵艦との間に割って入った古鷹爆死
反対側に転舵した衣笠だけ反撃できたんだっけ 子供の頃から思ってたけど、日本の夏ってなんか暗いよね
お盆は置いといても、原爆やら終戦記念日やらそこに至るまでの多くの犠牲者の方たち…
ほんとは夏休みで楽しいはずなのになんかじめっとした感じを祖父母から感じてた 南洋と大陸で亡くなった祖先の霊が還る
ご苦労様でした 一木大佐は偵察の段階で
攻撃は無謀と判断したらしいな
ただラバウルの17軍司令部との無線中継する
潜水艦がいなくなり交信不能
負けを知りつつ命令どうり凸撃した 話違うけど芸名で地名やら料理名はNGにしてほしい
別にガダルカナルタカが嫌いとかじゃないけど最初に顔が浮かんでしまうのが鬱陶しい ttps://www.c-span.org/video/?300576-1/battle-guadalcanal >>165
第三次ソロモン海戦ではスコット少将が指揮官でキャラハン少将が次席
指揮官では?キャラハンも敵味方を誤認していたし。 >>100
後の宇宙世紀0083 ガトー少佐の謂れである ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています