毎日新聞 2022/8/5 20:01(最終更新 8/5 20:02)

 3日夜以降に東北や北陸地方を襲った大雨で、危機一髪で生き延びた人たちがいる。新潟県北部にある村上市小岩内(こいわうち)地区の住民だ。
一度は地区の公会堂に避難したが、尋常ではない雨の勢いに危険を感じ、高台にある別の場所へ移った。公会堂はその後土砂崩れに巻き込まれた。ギリギリの判断の裏付けとなったのは、55年前に地域を襲った水害の記憶だった。

 「この流木が大きな被害を及ぼしたんです」。5日午後、大雨ですっかり変わり果てた地区を歩きながら、地区の区長を務める松本佐一さん(69)がつぶやいた。目の前にあるのは、数メートルの高さに積み重なった大量の流木だ。
周囲には押し潰された自動車やカーブミラー、エアコンの室外機などが散乱している。周辺に広がる田んぼの稲は、収穫の時期を迎えることなく、泥をかぶった状態でなぎ倒されている。

 1級河川の荒川と切り立った山との間に位置する小岩内地区には、36世帯114人(7月1日時点)が暮らす。荒川を挟んで南隣の関川村は4日未明、1時間の最大降水量149ミリを記録した。新潟県には4日午前2時前に大雨特別警報が発表された。

 3日から4日にかけて、小岩内地区で何が起こったのか。松本さんによると、周囲の山は複数の箇所で小規模の土石流が発生し、大量の木々がそばを流れる荒川へ注ぐ沢をせき止めた。沢の流路が変わり、濁流が地区の集落へと流れ込むことに。大規模な土石流で、住宅1棟が全壊し、4棟が損壊した。

 こうした中、地区の役員が3日午後9時ごろ、住宅を1軒ずつ回り、住民に避難を呼び掛けた。当初避難先として想定していたのは、避難所が開設されている学校だった。だが、すでに土砂崩れが発生して道が通れなくなっており、一部の住民は避難所に行くのを断念。地区の公会堂に避難することにした。松本さんもその一人だった。

 雨脚と雷はどんどんひどくなっていく。午後10時ごろには、もっと別の場所に避難した方がよいと判断。500メートルほど離れた、数十メートル高台に位置する住宅に向かった。
「再避難」から約2時間後の4日午前1時ごろには、大規模な土石流で流された住宅が公会堂を直撃した。松本さんたちは無事だった。一連の大雨で、地区では男性1人が重傷を負ったものの、死者と行方不明者はいなかった。

 「いち早く高台に再避難できたのは、55年前の大水害の経験が大きい」。松本さんは振り返る。大水害とは1967年に下越地方を中心に県内で死者・行方不明者が134人に及んだ「羽越水害」のことだ。県内で戦後最大の水害とされ、当時は長時間にわたる雨が災害につながったという。

https://mainichi.jp/articles/20220805/k00/00m/040/275000c