文春オンライン 8.16
https://bunshun.jp/articles/-/56400

■国葬は「弔意を国民に強制する」?
加えて7月に起きた安倍晋三元首相の暗殺事件が、もうひとつの暗い影を落としている。政府は早々に9月の国葬実施を決めたものの、「弔意を国民に強制する同調圧力を招かないか」との批判もあり、いまのところ民意は二分された状態だ。

意外に思われるかもしれないが、人によっては「過剰」なものに見えるコロナ対策と国葬の決定過程には、共通の力学が働いていたと私は考えている。

当時から何度も批判してきたが、安倍氏が首相だった2020年2月のコロナ禍初期、多くの識者は当初「政府が強権的に対策を進めるのは危険だ」と主張していた。しかし同年3月半ばにコロナに対しても緊急事態を宣言可能にする法改正がなされるや、同じ面々は「なぜ政府は宣言を出さない!」と叫び始める。

むろん同じ月に、欧州諸国がロックダウンに踏み切ったことの影響はあったろう。しかし冷静に感染者数を比較すれば、日本は本来焦る状況にはないとの指摘は当時、すでになされていた。

つまり防疫上の意味は皆無だったにもかかわらず、なぜあのとき日本人は、自らの自由や権利が制約される対策(緊急事態宣言)を望んだのだろう?

一言でいえば、それが取れるかぎりで「最大限の選択肢」だったという以外に、理由はないと思う。

緊急事態宣言を発令するオプションが法的に可能となったにもかかわらず、それが「使われていない」という状況が、多くの人を不安にした。とにかくそのカードを切り、「やれるかぎり最大限のことはやりました」という体裁をとってくれないと、気持ちが納得できない。

■“国葬”実施の理由は“特攻隊”と同じ
目下争点となっている安倍元首相の葬儀形式をめぐる論争にも、同じ構図がある。亡くなった政治家の弔い方としては、最上位のものとしての「国葬」の先例が、現憲法下でも一例のみだが存在する(吉田茂元首相、1967年)。

戦前も含めて憲政史上最長の政権を担い、しかも首相経験者として戦後初の暗殺という非業の死を遂げた安倍氏の葬儀に際して、国葬以外の選択肢を提示した場合、「なぜ最上位のオプションがあるのに、使わない!」と反発する層は確実にいる。

それを防ぐには最初から「国葬で」とオファーするしかなかったというのが、おそらくは政権の内情だと思う。まさに現職時代に安倍氏が「なぜ宣言を出すというオプションがあるのに、使わない!」として、民意に煽られたのと同じだ。

周知のとおり日本人にとっての8月は、いまや稀少な「戦争を振り返るシーズン」でもある。

その際メディアで繰り返される「特攻隊神話」もまた、同一の構造の上にあることにお気づきだろうか。特攻作戦に戦局を反転させる意義がまるでなかったことは、視聴者の誰もが知っている。

しかし、それでも自らの命を棄てての攻撃という「最大限の選択肢」を選ぶ姿が、今日もなお多くの日本人の琴線に触れる。ほとんどは別に好戦的な歴史観の持ち主ではなく、「あそこまでやっても敗けたのだから、もうしかたなかった」と敗戦を受け入れるためにこそ、実戦上は意味のなかった非道な作戦に共感しているのだ。

戦時中から今日に至るまで続く、そうした感受性の罠から外に出るような歴史の振り返り方は、ないだろうか。

手がかりになる人物の姿を、作家の中野重治が「吉野さん」という回想(1949年)に描いている。厳密には私小説であり脚色が入っているが、モデルとなった人物の英詩をそのまま引用していることからも、戦時下の実体験を踏まえた随想と位置づけてよい。

■「多数決は挙国一致でありますまい」
「吉野さん」のモデルとなったのは、戦前に青山学院や陸軍大学校で教えた岡田哲蔵(1869-1945)。キリスト教思想を研究すると同時に、海外では『万葉集』の英訳などの詩作で知られていた。生前最後の2年間、世田谷で戦時下の町会長を務める姿が、中野の脚色を経て記録されている。

中野が住む地区の町会長として描かれる「吉野さん」は、リベラリスト(自由主義者)を自任する老紳士だが、反軍的な人ではない。日清・日露戦争では通訳として軍に協力し、少佐相当だったと噂されることから、防空演習でも軍人に一目置かれている。

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與那覇 潤/文藝春秋