読売新聞2022/08/28 12:44
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220828-OYT1T50091/

大津市の三井寺・護法善神堂で2019年9月、細長い木片1点(長さ約50センチ)が見つかった。堂内に 祀まつ る重要文化財「護法善神立像」(平安時代)が、肩から羽織る長い布・ 天衣てんね の先端部を造形した部材だった。像の左右両側に付いていたが、いつしか双方ともに亡失。ただ、左側だけは明治時代の古写真に写っていた。誰もが「明治以降に失われた左側だ」と思ったが、実は右側だと判明。関係者は数百年ぶりかもしれない右側の発見を喜びつつも「では、左側はどこへ?」と、謎めいた展開に頭をひねっている。(渡辺征庸)

像は、寺ゆかりの高僧・ 円珍えんちん (智証大師、814~891年)の守護神という等身大の女神像(高さ約1・6メートル)。腰の辺りに接着剤として使われた 麦漆むぎうるし や木材をつなぎとめる 釘くぎ ( 鎹かすがい )の跡が残り、元々は天衣の部材が付いていたことは想定されていた。

19年7月。明治30年代頃に写された像の古写真が東京芸術大にあることを知った福家俊彦・同寺長吏と寺島典人・大津市歴史博物館学芸員が調査。左の袖下に天衣の部材が写っていることを確認した。一方の右側は写っておらず、明治以前に失われたと考えられた。

後日、部材の形状などを聞いた小林慶吾・同寺執事は「似た物を堂内で見た記憶がある」とひらめいた。

お堂は毎年5月だけ開扉するが、この年は、像を金堂に移して特別公開(10~12月)を実施することになっており、9月に開扉して移送。その好機を逃すまいと移送作業中に<捜索>し、今は使っていない 厨子ずし 内で部材を見つけた。「お堂の部材だと思っていたが、まさか失われた天衣とは。驚いた」と振り返る。

誰もが左側だと疑わなかったが、さっそく像左側の腰回りにあてがったところ、形状が合わない。試しに右側に添えると、ぴったりはまった。本体と部材の双方に残る麦漆や鎹の跡も合致し、予想していなかった右側だったことが判明した。

美しい彩色が残る本体に比べ、部材の彩色は剥がれていた。それらの状態から、本体から離れて少なくとも100年以上は経過しており、寺島学芸員は「手がかりすらなかった右側が発見されたのは奇跡的。重文の像では聞いたことがなく、極めて珍しい事例」と驚く。

一方、左側の行方は知れない。像は1899年(明治32年)に修理されている。この際に外され、そのままになった可能性などが考えられるが、詳細は不明だ。

福家長吏は「明治にあった左側が行方不明になり、それ以前に失われたはずの右側が図らずも出てきた。思わず『古写真が(左右が反転する)裏焼きではないか』とも思ったが、そもそも形が違う。ありがたい話だが、なんとも不思議」と首をかしげる。

見つかった部材は9月4日まで、市歴史博物館の企画展「仏像をなおす」で展示している。