2022/9/14 12:10

「剣聖」と呼ばれ明治から昭和にかけて活躍した武道家、中山博道(1872~1958年)が戦前に試し斬りし、陸軍大将を務めた朝香宮鳩彦(やすひこ)王(1887~1981年)に献上したとされる日本刀が京都市内で見つかった。「五・一五事件」を機に生まれ、戦後の連合国軍総司令部(GHQ)による刀剣接収を逃れた名刀の一つ。100万振り以上が接収されたともいわれる中、当時の様子を伝える貴重な資料となりそうだ。

光を当てると、真っすぐに伸びた刃文(はもん)が浮かび上がる。刃渡り66・8センチの刀は制作から90年近い年月がたつとは思えないほど美しく保存されている。

入手した幕末歴史家で居合道範士八段の木村幸比古(さちひこ)さん(73)=京都市西京区=は「研がれた様子もほとんどなく、試し斬りの1回のみしか使われていないのではないか」と推測する。

刀の来歴によると、打たれたのは昭和9年ごろ。きっかけは7年に海軍将校が首相官邸に押し入り、当時の犬養毅首相を暗殺した「五・一五事件」だった。不安定な情勢下で皇族を守るために皇宮警察に切れ味のいい刀が求められた。初めに旧薩摩藩主の島津家が用意した約30本は、ほとんどがなまくらだった。

そこで当時皇宮警察の師範を務めていた中山が勧めたのが、大正から昭和の刀工、源良近だった。ただ良近は切れ味を追い求め、日本刀の伝統的な原料である玉鋼(たまはがね)ではなく洋鉄を使い、批判的な声が多かったという。それでも中山が試し斬りしたところ抜群の切れ味だったことから、良近の刀は皇宮警察公認の刀として使われるようになった。

武道家である中山が目指したのは美術品ではなく実戦で使う刀。そのため、良近が打った刀の多くは戦地へ持ち込まれたり、戦後はGHQに接収されたりし、見つかることはめったにないという。

今回の刀は昭和9年11月、宮中で朝香宮も臨席した上で試し斬りされ、献上されたものだ。

木村さんのもとに刀が届いたのは5月中旬。前の持ち主が身辺整理をする中で管理に困り、話が舞い込んだ。刀が残されていたのは「朝香宮に献上したからではないか」と木村さんは推測する。一般的には麻の刀袋が多い中で絹製の袋に収められて状態も良く、「一介の皇宮警察のものではないと感じた」。ただ、前の持ち主が入手した経緯など詳細な来歴は分かっていない。

それでも鍔(つば)には刀の歴史を物語る痕跡がある。旧日本軍の記章などに用いられた桜の装飾と「トクシマ」と彫られた文字。木村さんは「徳島連隊内に置かれた鍛錬場で鍔や刀の拵(こしらえ)がつくられたのではないか」と語る。

誕生から約90年。激動の時代をくぐり抜けた日本刀は木村さんが宮司を務める樫原三ノ宮神社(京都市西京区)に保管されている。木村さんは「保存状態もよく歴史的に貴重な一振り。大切に扱いたい」と話している。

ソース https://www.sankei.com/article/20220914-JLH3JF7PH5LRJAM3SOAJ7622R4/?outputType=amp