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当時のマスコミも、ともにチームの主軸である門田と野村の確執をこぞって取り上げた。
今、門田の口から明かされるエピソードを聞いても、まさに「確執」と呼ぶにふさわしい憎しみに似た感情が門田の中で渦巻いていても無理はない。
しかし、当の門田は「そんな単純なもんやない」と繰り返す。

78年、当時野村と愛人関係にあった“サッチー”こと沙知代の度重なるチームへの口出しが噂され、チーム内は野村派と反野村派の真っ二つに割れていた。
球団は、監督の野村を解任する動きを見せるが、投打の柱である江夏、柏原が野村の住居である刀根山マンションに籠城しながら徹底抗戦し、チーム内は泥沼状態となった。

そんななか、当の門田はあえて静観していた。結局、野村は球団を去ることになる。

「おっさん(野村)が辞めるというんで、恐る恐る電話したんですわ。『いろいろとお世話になりました。みんな(他のチームメイト)からも連絡きてますか?』と尋ねると、『いや……連絡してきたんはお前だけや』と言うんです」