重慶爆撃のまとめ

1.中国軍が対空砲台を市街地に設置していた。
2.1938年から始まり、当初は飛行場や軍事施設のみを攻撃していたが、
  相手の被害が少なく味方の被害が増大していった。
3.1940年後半からは、蒋介石政権の軍事政治経済の中枢機関、重要資源、
  主要交通線等を爆撃するようになった。(決して住民狙いではない)

4.したがって、証言には絨毯爆撃という言葉が使用されたりしているが、
  東京大空襲のような住宅地への焼夷弾のばら撒きとは違うので 犠牲者は少なかった。
5.爆撃の効果については疑問視する声もあったが、蒋介石の日記によれば、
  ほとんど戦争を単独で遂行する事ができないまでに追い込まれていた事が
  窺われ、蒋介石軍に与えた影響は大きかったといえる。