「焼骨したらホープレス」 DNA判明99%、驚愕の鑑定技術
國枝すみれ 毎日新聞 2023/2/27 07:00(最終更新 2/27 07:00)
https://mainichi.jp/articles/20230223/k00/00m/040/072000c
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真珠湾プロジェクトにより2018年に身元が判明した米ワシントン州の海軍兵士は23年1月、
ハワイの国立太平洋記念墓地に再び埋葬された=DPAAのウェブサイトより

 骨は語る。だが、目をこらし、発する声に耳を傾けようとする科学者はその場にいなかった。
赤道直下のタラワ環礁(キリバス)に赴いたジョン・バード博士(58)は、
日本の遺骨収集を目にして言葉を失った。【國枝すみれ】

 第二次世界大戦中、日本軍はタラワ環礁の島を要塞(ようさい)化した。
ここに米軍が上陸し、白兵戦となった。
日本軍は4000人以上、米軍は1000人以上が戦死し、遺骨が混在していた。

 日本の遺骨収集団は、
米国人かアジア人かを見分ける形質鑑定の専門家が点検することなく、
集めた遺骨をその場で焼いていた。
2014年8月、米兵の遺骨収集を担う国防総省の捕虜・行方不明者調査局(DPAA)に所属する
バード博士は強く抗議した。
米兵の骨が交じっているかもしれないからだ。

 「焼骨したらホープレス。希望はない。DNAは完全に破壊され、今の技術では修復できない」

 専門家に見せることなく、焼くな。日本は米国の要求を受け入れた。

■遅れたDNA鑑定の導入

 日本の遺骨収集事業はサンフランシスコ講和条約が結ばれた翌年の1952年から始まる。
食うや食わずの時代で、当初は生きている者が優先だった。
戦場から数十体を集めて、祈って、焼骨して終わり。
遺骨集めの中心を担ったのは、戦後の生活が落ち着いた帰還兵と遺族だった。

 これまで、回収された遺骨約128万柱のうち、
DNA鑑定に必要な検体が採取されたのは1万3178柱(2022年3月末時点)に過ぎない。
多くが現地で荼毘(だび)に付されてきたからだ。

 米国は1991年、DNA鑑定による戦死者の身元の割り出しに成功する。
日本がDNAの検体として歯の採取を始めたのはそれから8年後。
「身元特定につながる遺留品など手がかりがある場合」との条件付きで、事実上シベリア抑留者の遺骨に限られた。

 2003年になって、シベリア以外の南方地域にも対象を拡大。
だが、焼骨前に必ず専門家による形質鑑定と検体採取を行うようになったのは2019年になってからだ。

 私の祖母の弟にあたる新井進さん(当時27歳)は、パプアニューギニアで戦死した。
この地の戦没者は12万7600人。今年2月までに5万1443柱の遺骨が収集されたのに、DNAの検体が採取されたのは約300柱しかない。

■99%でDNA判明の衝撃

 なぜ、日本はDNA鑑定の導入が遅れたのか。

 「骨を日本に持って帰りたい。DNA鑑定は…
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 連載「進さんを捜して」第2部は全4回です。
 ラインアップは次の通りです。
第5回 焼骨すれば希望はない
第6回 進化続けるDNA鑑定の技術
第7回 遺骨収集に同行
第8回 影落とす戦後処理
第1部はこちら
https://mainichi.jp/susumusearch