子育てに心配事は数えきれないほどありますが、とかく物議を醸しがちなのがワクチンです。

「ワクチンで自閉症(*1)になる」という話を聞いたことがあるでしょうか。これはワクチンの悪いうわさの中でも特に有名で、うわさの発端とされるアンドルー・ウェイクフィールドが医師登録から除名されても非難の声がやんでいません。それに対して、ウェイクフィールドは陥れられたと考える支持者もいます。なにが真実なのでしょうか。

麻疹(はしか)のワクチンは、日本では通常、風疹のワクチンと混合したMRワクチンとして使われています。外国では麻疹・風疹に加えてムンプス(おたふくかぜ)のワクチンを混合したMMRワクチンもよく使われていて、日本でも一時はMMRワクチンが予防接種制度に組み込まれていたのですが、国産のムンプスワクチンによる無菌性髄膜炎という副作用が多かったことから、ムンプスワクチンとMRワクチンは別々に打たれています(*2)。

アメリカで開発されたムンプスワクチンの「ジェリル・リン株」は無菌性髄膜炎を起こすことが少ないとされ、MMRワクチンも人気があるのですが、そこに異を唱えたのがウェイクフィールドでした。1998年に権威ある医学誌『ランセット』に載った論文(*3)で、ウェイクフィールドを筆頭著者とするロンドンのロイヤル・フリー病院のグループが、12人の小児患者の病気を報告しました。その子供たちは全員に腸の異常があったほか、9人が自閉症と診断され、8人は親の報告によればMMRワクチンを打ったあとに神経精神的症状が始まったとされています。

この論文がきっかけとなって、現代にも残る、MMRワクチンの悪いうわさが広まったと言われています(*4)。その後の調査でウェイクフィールドには深刻な利益相反があったことがわかりました。つまり、ウェイクフィールドはワクチン被害の訴訟に関わる弁護士から、40万ポンドを超えるとも言われる大金を受け取っていたのです(*5)。問題の論文は取り下げられ、ウェイクフィールドはイギリスの医師登録から除名されました(*6)。

じっさいには、MMRワクチンが自閉症を起こすという証拠は見つかっていません(*7)。しかしアメリカに渡ったウェイクフィールドは、MMRワクチンに反対する団体からヒーローとして扱われ、不当におとしめられていると説明されています(*4)。こうした関係から、ワクチンのうわさを理解するために、ウェイクフィールド事件は重要です。

第二・第三のウェイクフィールドはこれからも現れるでしょう。世界的な医学誌の編集者でもだまされることはあります。わたしたちができることはせいぜい、最新情報に飛び付かず、多数派を一歩あとから追いかけていって、万一多数派が目の前で転ぶことがあれば方向転換し、それも間に合わなければ多数派と一緒に転ぶのも仕方ないと考える、それくらいではないでしょうか?

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*1 「自閉症」という用語は診断基準の変更とともに「自閉症スペクトラム障害」などに置き換わり、その指し示す対象も変わってきましたが、ここでは取り上げる文献の表記に従って「自閉症」に統一しています。

*2 手塚洋輔『戦後行政の構造とディレンマ』(藤原書店)、pp. 237-245.

*3 Lancet. 1998 Feb 28;351(9103):637-641.

*4 Peter C. G●(oに/(スラッシュ)付き)tzsche. Vaccines: truth, lies and controversy. People’sPress, 2022. pp. 32-63.

*5 MMR doctor given legal aid thousands. The Sunday Times, December 31 2006. https://briandeer.com/mmr/st-dec-2006.htm別ウインドウで開きます

*6 BMJ. 2010;340:c2803.

*7 N Engl J Med 2002; 347:1477-1482.(大脇幸志郎)

朝日新聞2023年3月2日 8時00分
https://www.asahi.com/articles/ASR2W53V2R2WUTFL01F.html