古代ヒッタイト帝国が滅亡した理由は謎に包まれている。だが、同時期に起こったある気候の変化が、その滅亡に関係しているかもしれないとする研究が発表された。地球温暖化に人類はどう対処するかという課題にフォーカスし続ける記者が、その信ぴょう性に迫る。

古代ヒッタイト帝国に何が起こったのか、確かなことは誰も知らない。500年近くものあいだ、その支配は現在のトルコ、シリア、レバノン一帯に及んでいた。

その王たちは、城壁に囲まれた首都にある、巨大な石造りの宮殿に住んでいた。大規模な農業や高度なかんがいシステム、広大な貿易網により、帝国の金庫は満たされていた。

それから、紀元前1200年を過ぎてすぐ、帝国は消え失せる。考古学的な調査からは、王家が宮殿をあきらめ、都を逃れたらしいことがわかっている。都は捨て去られ、のちに焼かれた。いったいなぜそんなことになったのか、破壊された王国の遺跡からはほぼ何もわからない。

厳しい干ばつが3年も続いたから?
だが、はるか昔に枯れた木々の年輪に記録された気候データが、ひとつの手がかりを与えてくれる。帝国が崩壊したちょうどその頃、ヒッタイト人たちは3年連続で厳しい干ばつに苦しんでいたことが、科学誌『ネイチャー』に掲載された最新の分析から示されたのだ。

そうした深刻な水不足が、ヒッタイト経済の要である巨大な農地を破滅させ、それが飢饉や経済の混乱につながり、やがては政変に至ったかもしれないと研究者らは述べている。米コーネル大学の考古学者で、今回の研究論文の主執筆者であるスタート・マニングは言う。

「干ばつが1年続けば問題です。2年続けば危機です。3年続くとなれば実際、それは危機以上のものでしょう。そのように次から次へ、また次へと破綻に遭遇したことがおそらく、大国を転覆させたのです」

https://news.yahoo.co.jp/articles/809e9543f5c02bcd789821503d0f9bb593535c00/images/000
古代ヒッタイト帝国の首都ハットゥシャの遺跡にあるライオンの門

微妙に長いので続きはソースで
YAHOO(COURRIER) 3/8(水) 11:30
https://news.yahoo.co.jp/articles/809e9543f5c02bcd789821503d0f9bb593535c00