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■味気ないコンクリートから木造へ天下普請の名古屋城が華麗に復活

「尾張名古屋は城で持つ」
伊勢音頭の文句そのまま、
お城は今も名古屋繁栄のシンボルだ
城の復元に伴って周囲商業施設も新設、活況
昭和の城復元を平成~新元号下で完成度高く

戦後、消失してしまった日本各地の城郭跡で復元作業が行なわれ、どこもかしこも外観だけは立派なコンクリートやセメント造りの城になってしまった。
戦争でボロボロに傷んだ国じゅうを復興しなければならなかったこと、復元目的が外観に限られていたこと、建築基準法により大規模な木造建築が規制されていたこと、
さらにはわが町のお城を二度と焼失させたくないという人々の強い思いが重なって、当時としては精一杯の、しかし少々味気のないハリボテ式天守閣が乱立したのだ。
だが、平成に入ってからは木造でのお城再建が増加。戦後の建て替えラッシュから半世紀を経た鉄筋コンクリートが耐用年数を迎え、
相次ぐ大地震で建築物の耐震性に注目が集まったこともあって、城の復元、修復計画が増え、また内側やディテールにまでこだわっての作業が各地城址で進められている。

■豊富な資料によって再建される名古屋城

なかでも、名古屋城の修復は全国屈指の規模と再現性を誇る。火事や落雷などによって江戸時代初期に失われた江戸城や大阪城と異なり、
家康公の命によって創建されてから第二次世界大戦の爆撃によって失われるまで300年以上もの月日があったため、
たくさんの絵図や文献、さらには実測図や写真に至るまで有益な資料が数多く残っていることも、再現性の高さに大きく寄与している。