【佐賀】「邪馬台国」ひも解く手掛かり!? 吉野ヶ里遺跡で新発見の石棺話題に――関連株探る ★10 [樽悶★]
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佐賀県の国指定特別史跡「吉野ヶ里遺跡(吉野ケ里町、神埼市)」で新たに出土した石棺が、5日に開けられる。弥生時代の日本列島に存在したとされる邪馬台国の謎が解き明かされるきっかけになる可能性があるとして・・・
2023/6/1 12:38
https://kabushiki.jp/news/589754
★1:2023/06/03(土) 12:10:06.13
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1686041980/
関連スレ
【佐賀】世紀の大発見!?「邪馬台国時代の墓」を発掘、有力者の墓の可能性も…吉野ヶ里遺跡の「謎エリア」で発見された石棺墓 ★10
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1685697010/ ここまでの集計結果
■邪馬台国は何処?
九州説:54.4%
近畿説:35.7%
その他:9.9%
https://i.imgur.com/L5Nc9eR.png
半島系固有DNAの分布図
https://i.imgur.com/lD1J7Fg.png オモシロ畿内説まとめ
Q:奴国から南に向かって畿内に着くのは無理でしょう?
A:そんなん知らへん!!
Q:東の海の先に倭種の国があるそうですね?
A:知らんのや!!
Q:三角縁神獣鏡ってシナでは1枚しかでないのに、どうしてザクザク畿内から見つかるのですか?
A:知ったこっちゃおまへん!!
Q:畿内のどこに倭国大乱の跡があるのですか?
A:知らんがな!!
Q:纒向遺跡から馬具が出ましたよね?
A:知らんちゅうとんねん!!
Q:吉備国や出雲国を通らずどうやって畿内に入るのですか?
A:知らへんのや!!
Q:帯方郡から12000里だと畿内に届かないのでは?
A:知らへんゆうとるやろが!シバくぞ!
Q:本当に畿内に邪馬台国があったんですか?
A:あったで(ドヤッ
Q:ではその証拠は?
A:知らへん!!知らんがな!!知ったことかいな!! 縄文弥生時代の歴史なんか捏造まみれで全く信用できんわw 学会はすでに決している( ー`дー´)キリッ
単に研究内容を畿内説にこじつけてるだけだった もうむちゃくちゃ
対馬と壱岐島までで1000里の距離は分かってるのだから、70kmがだいたい1000里と解釈していいだろう
何が12000里が5200キロだよ
本当に酷い。1里70メートルで、12000里は840キロ。畿内には到底届かない
帯方郡から12,000里 魏晋里は約435mですので、12,000里は5,200kmになり、帯方郡から直線距離だと赤道付近に達してしまいます。
https://note.com/duke315/n/n85bc7a63aea7 和種の国が伊豆諸島wwwww
対馬まで1000里、壱岐島まで1000里の距離感と全く違いませんかね
やっぱ駄目だわ畿内派は
東に海があり、渡海1000里で倭種の国
https://note.com/duke315/n/n85bc7a63aea7 中華の距離単位なんか信用できんわ。白髪三千丈とかいう国だからな。 >>3
丹が出て、とりあえずB級以上が確定
S級 親魏倭王印
A級 銅鏡、埋葬者が女性
B級 剣、勾玉、丹、卜骨
C級 三角縁神獣鏡(景初四年以外)
D級 三角縁神獣鏡景初四年、馬具 >>10
いや、びっくりするけど、畿内派ってだいたいそれなんだよね
当時の最大勢力が魏と外交してたに違いないなんてなんでそんな妄想を前提にしているのかマジで意味不明
魏志倭人伝にも「倭人在帶方東南大海之中 依山?為國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國」とあり、その30国がどういう統治状態なのかなんて把握してもないだろうに
誰か納得行く解説をしてほしい >>12
災いとか、もっと知性のあるレスをしたらどうだ? 三国志には朝鮮半島の幅が4000里と書かれているので、2000里は150キロだと言う事がわかる。つまり末盧国から150キロの場所に邪馬台国はある
https://i.imgur.com/mFUAucA.jpg 九州説が畿内説に言ってくる事はすでに解決済みがほとんど
それを見なかった事にして悪意を持って初歩的な話を延々くり返して
まるでいまだに論争が続いてるかのように周りに印象付けようというのを何十年もやってるのが九州説の手口
正体はカルトやVankの工作員と言われてるからね
史学や考古学ではとっくに邪馬台国は大和国で確定済み >>23
今まで箸墓や纏向を邪馬台国の根拠にしてた畿内説にとって、邪馬台国ではなかった証拠になってしまう盛大なブーメランw 本当に距離を記したければ図を描くと思う
そうしないのはざっくりこんな感じと言いたいからで、内容は適当だと思う
だからどこどこから何里とか何日とか正確だと思い込んで熱くなってる人可哀想 >>25
よくよく読んでみたら、全部畿内説のこじつけだったよな もしここが邪馬台国だとしたら、魏志倭人伝に書いたヤツはゴッドハンドレベルの戦犯になるな。 関西コンプの東夷が参戦してて草生えるわ
ネットのマナーって関東土人が最悪だよな 考古学者 高島忠平さん
「想像していたよりかなりの土砂が流入している。骨は無くなっていると思うが青銅の鏡、鉄の刀か剣、玉は残りやすいので副葬されている場合がある。(鏡が出土した場合は)どういう種類の鏡か、鏡が中国でも優品なのか、あるいは一般的なのかをみる必要がある」
「吉野ヶ里の巨大な環ごう集落が形成された弥生後期とリンクする。今回の有力者の墓の調査は、邪馬台国論争にインパクトを与える発掘につながると期待している」 >>21
対馬、壱岐島の1000里と全く整合性がない1里440メートルを採用するのはいくらなんでも馬鹿すぎる 殆どの関東人には朝鮮の血が入ってるwwww
奈良時代の畿内で日本という国号は生まれています
東日本は全く関係ない
そもそも、東日本ですらなかったからなwwwwwwwwwwwww 土器コネコネしてる一方ローマには水道があったって考えると日本滅ぼされなかったの奇跡だな >>28
よくよく詠んだら短里というのは九州説のこじつけだったよ >>25
それは2020年以前にはそうだったということじゃないの?
2020年からはこう状況が変わった>>23 >>25
1里440メートルなどと、対馬、壱岐島まで1000里という記述との全く整合性が取れない解釈をして導いたのが畿内説という話なら理解するが >>35
韓伝と倭人伝はセットだから韓伝がどうなっているか見なきゃダメだよ >>23
みんな言ってたよな
奈良だけ100年古く編年してるって >>27
1800年前に正確な測量図があるはずもないから、古文書に書かれた旅程は真相解明に役立たない。
私個人としては、邪馬台国は九州にあったと見ている。近畿より九州の方が、朝鮮半島や中国に近く、行き来がしやすいと考えられるからだ。 >>23
まあこれは一人の説ということで、そういう考えもあるよ程度かな
俺は九州派なので本当に箸墓の年代が後ろになるなら、アホな畿内派も少なくなるだろうから良いだろうが >>32
その通り
しかも、海を渡ったら1000里のテキトー法則がある
・狗邪韓国→対馬1000里
・対馬→壱岐1000里
・壱岐→末盧1000里
・東に海を渡ったらまた倭種1000里 >>32
魏で使われてた1尺24cmの正始弩尺などのモノサシから換算して
1里は約430mだったと判明してるわけね
それと全く整合性のない1里78mの短里を採用する九州説は
いくら何でも馬鹿げてる 吉野ヶ里が邪馬台国だった場合の工程を魏志倭人伝と整合するようにたどって見た。青色は水行の行程
https://i.imgur.com/A9yWDZ5.jpg >>42
対馬まで1000里、壱岐島まで1000里で同程度の距離というのは実際の距離感に近い
当然この1000里70km程度がベースにすべきだろう またもや捏造するか 国立歴史民俗博物館
https://daishi.at.webry.info/200910/article_34.html
>最近の歴博は、もと館長の白石太一郎以降、こういうマスコミ操作に長けた学者が多くなっています。そしてそれは近畿圏の学者にほぼ共通した性行なのです。同志社の森浩一名誉教授などは、こういう傾向を「学者として全く恥ずべき姿勢だ」と非難しています。 >>45
つまり70キロしか無い対馬までの距離を430キロと思っていた魏の人間の旅程は全く参考にならないと畿内派は言いたいわけね
まあ主張するのは勝手だが、俺はそういう人間とは話をするきはないのでこの辺で終わりにさせていただく 九州の邪馬台国は4世紀以降に奈良の大和朝廷の侵攻によって滅亡した
これが事実
神武が崇神とかとんでも馬鹿なこと言わなければいいだけ
神武は紀元前後の人 魏志倭人伝て著者が直接日本で見た訳じゃなく噂話程度を書き記したと聞いたことがある まあ狂ったように「魏の1里は440メートル」などと主張するアホの畿内派が大量にいるんだろうな
まじで論理的じゃないわこいつら 4世紀に奈良から高塚古墳が拡散、北九州~南東北まで和人化
現代日本人の内なる二重構造では畿内から離れる周縁部程半島大陸の影響が薄くなる
倭王武「使持節 都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事 安東大将軍 倭国王」
上表文「東征毛人五十五國,西服眾夷六十六國,渡平海北九十五國」 大陸からの渡来の波は、古墳時代を通じて断続的に押し寄せたが、それは中央政権の支配が拡大するにつれて、農耕が全国的に普及したためである。
このように渡来形質をもつ農民集団が本土の広い範囲に進出したからといって、古墳人の地域差が縮まったわけではない。
大陸要素の濃度という点からみれば、古墳人の地域差はむしろ拡大している。したがって、古墳人の特徴も、地域を無視して一概には論じられないが、
大ざっぱにいうと、大半の古墳人は現代日本人に類似する特徴を多かれ少なかれもっている。
百々幸雄らは、頭蓋小変異の出現頻度によって、縄文人・渡来系弥生人・古墳人・歴史時代日本人に分割され、現代人の特徴は古墳時代まで遡れると結論している。これらの特徴はすべて大陸に由来するものである。
各地の古墳時代男性頭骨の弥生・縄文判別関数値
(池田次郎・京都大学名誉教授による)
+2.12…畿内
+1.47…南近畿
+1.08…四国
+0.76…東中国・西近畿
+0.70…西中国・北東九州
+0.51…関東・南東北
+0.40…北陸
-0.87…南九州・西九州
※+は弥生(朝鮮)側、-は縄文(アイヌ)側 >>45
千里刻みの水路や、百里刻みの陸路が、メートル単位で正確な縮尺になってるという畿内説の、なんと馬鹿げた思い込みなことよ 日本人の「完成」は古墳時代だった?
https://www.asahi.com/sp/articles/ASP9K55ZJP9JULBJ00Z.html
金沢大や鳥取大などの国際研究チームが18日、米科学誌サイエンス・アドバンシズに発表 >>52
著者の陳寿はそもそも日本に来たことないよ 帯方郡から邪馬台国まで12000里
これを1里70メートルで計算してしまうと840キロとなり、とても畿内に届かないことから、対馬までの距離すら魏の人間は把握してなかったなどというこじつけをしてしまう畿内派
話できる相手じゃないでしょこれまじで 中国人に読ませたら九州説になる
結局大和の邪馬台を紐付けしたい奴らの認知バイアスの問題よ >>52
史書は基本的に前代の史書を書き写し当時の朝貢の記録を添える
前代の史書からの変更点があれば修正される >>46
水行は船行と違って
海岸線に沿った移動、川を使った移動でも使う。
船で遡れない川沿いを歩いて移動するのは
陸行じゃなくて水行。 だいたい畿内派の根拠を把握したつもりだが、これでますます一層俺の九州説が確固たるものになってしまったわ
なんで畿内なんて思えるのか本当に不思議 関係ないけど福岡の行橋の実家あたり自宅建て替えようとしたら地面から遺跡出てきて中断になること多いわ
近所もまた?みたいに売約中止になったりね
掘り返したくないから実家どうしようとか思う >>64
そんな都合よくあちこちに船を放置したり拾ったりできるかよ 日本書紀、古事記を編纂した大和政権は
西暦248年頃の日本の記録を持っていなかった。
つまり卑弥呼の時代には皇室は日本の統治者なんかじゃない。
畿内か、下手したらまだ四国にいたと思われる 狂ったように魏には存在しなかった1里78mの短里を主張する九州説の方が非論理的
魏で使われてた1尺24cmの正始弩尺などのモノサシから換算して
魏の1里は約430mだったと判明してる
魏志倭人伝の里数は全体で行程が1万2千里になるように
おのおのの行程が水増しされたもの
帯方より1万2千里というのは当時の概念でものすごく遠いこの世の果てを漠然とあらわす数字
邪馬台国をとても遠い国とした比喩的表現で実際に測った距離ではないよ 畿内説は皇室が邪馬台国から始まっているとしたい勢力だろ
あそこは滅ぼされた土蜘蛛国達の国
皇室とは全く関係ない
邪馬台国が九州にあった時すでに大和王朝は数代目の天皇がいたし卑弥呼は子供いないし大和王朝に入った形跡もなし
箸墓は出雲信仰である大物主三輪山信仰の為の象徴的古墳 北九は磐井の乱の頃にはとっくにヤマト朝廷配下だよ。この間何があったかだな。 >>37
まず1000里というのが適当すぎん?
AD2世紀や3世紀の距離の記述がそこまで正確とはとても思えん
せいぜい「とても遠い」という意味では >>67
は?
普段から国の行き来に使ってるルートを使うだろ?
魏の使者を案内するんやぞ? >>58
魏志倭人伝の1里を換算したら1里78mの短里になったと言ってるのは九州説だろ
畿内説では魏志倭人伝の里は実際に測定されたものではないと言ってる >>75
まだ2ちゃんねるすらなくてあめぞうだった >>71
だよな
後世に残ってる地名は壱岐対馬松浦伊都ナぐらいだからなあ >>46
関門海峡は海の民にとって重要な航路だから見張りが厳しい
諸星大二郎の海神紀おすすめ、安曇族土蜘蛛熊襲隼人てんこ盛り 卑弥呼の後を継いで統治したのは岱与
その後行方知らず
途中で誅殺されたが後を継ぐ者おらず内乱をまた始めているうちに大和勢力が侵入してきたのだろう たかだか500年前の本能寺の変ですら何が何だか分かってないのに邪馬台国の真相なんて分かるのかよ 以前、3のくせに「2get」と書き込んでしまい、
「2000万年ROMってろ!」と言われてしまった者です。
言われた通り2000万年間、沢山沢山ROMりました。
猿から人類への進化…
途中、「ガットハブグフーン?」と書き込んだジャワ原人に反論しそうになったりもしましたが、
言いつけを固く守り、唇を咬んでROMに徹しました。
そして現れては消えていく文明。数え切れないほどの戦争…生と死、生と死。
2000万年経った今、晴れて縛め(いましめ)を解かれた私(わたくし)が、
2get出来るチャンスに今っ!恵まれました。
感動で…私の胸は張り裂けんばかりです。
卑弥呼女王、見てますか?
義経様、清盛様見てますか?
信長様、秀吉様、家康様 見てますか?
それでは、2000万年の歴史の重みと共に、
キーボードを叩き壊すほどの情熱をもって打ち込ませていただきます。
2grt! >>81
少なくとも大和朝廷と無関係なのは確定してる
日本書紀や古事記の記述からそれは明らか。 >>71
そこまで行かずとも、倭王武の頃413年には西日本から関東北陸まではヤマト王権の支配下だろう
考古学的にも記紀的にも整合する
問題は、3世紀前半以前に九州北部が畿内勢力の支配下にあったかどうかのみ 勝った方が負けた方の国名名乗るとかwww
逆に考えるんだ >>81
おれは昨日隣で起こった夫婦喧嘩の理由すら知らないからなあ 12000里は女王国までの距離であって邪馬台国までの距離ではない
対馬と壱岐の島内の距離も勘案すれば女王国の玄関口である伊都までの距離が12000里と言いたいだけ
それ以上の意味はない
12000という数字になっている理由は>>69に同意 わからないことはわからないでいいのに
妄想を断言して垂れ流す奴は本当に頭がおかしい 現存する魏志は写本が新しく中国の学者は改竄、挿入があると言っている
後の大和朝廷が奈良であるという新情報のせいでそうなったんだろう
>>69
>>85
じゃあ魏志韓伝は? 短里で書かれているぞ
学者は「韓伝と倭人伝はセットだから通して読め」と言っている。韓伝で説明していることは倭人伝では省略されているので >>73
そう、そして船は港につなぐんだよ
船で出かけたら、次の港までは船で移動する
これが水行 >>87
現代でもある
新興企業が大きくなって企業合併で
古くからある老舗を併合してその老舗の名前を名乗り
老舗のネームバリューを宣伝に生かす >>79
案内係は安曇族か宗像族なので問題ないかと >>87
シャープ
日産
ThinkPad
モトローラ ここ数日で「邪馬台国は筑紫平野一帯」という結論に達しました。
卑弥呼がいた場所が筑紫平野のどこかは分かりませんが。 >>87
>>95
古代においては世界的にも負けた側の国名を残す統治法が多い
古代じゃなくてもカーネギーなどは常に買収された側の社名を残すようにしていた
統治が上手いならそうする
もちろん倭国もそうだったとは断言できないがそういう統治法がある 帯方より南1万2千里は魏の尺度だとオーストラリアやパプアニューギニア
実際に測った距離ではないのは明らか
というのはもう何十年も前から言われてる
九州説は短里短里で聞かないけど
まさに>>25
短里があった事を示すモノサシなど見つかってないし
見つかってる魏のモノサシは1尺が24cm
これから換算して魏の1里は440mと判明してる >>89
伊都国までは1万五百里じゃね?
伊都国は邪馬台国で女王国も邪馬台国の方がしっくりくるな 帯方郡の使者と道案内人や通訳が使用している里が65〜70mなだけでしょ NGにしてるから番号飛びまくってるけど、ひたすら一里440メートル主張してる畿内派・・・
哀れになってくるわ >>104
日本書記に筑紫から任那まで2000里と書いてある 辰砂=硫化水銀
大和鉱床群 伊勢 紀ノ川河口の間
阿波鉱床群 阿波吉野川沿い
九州鉱床群 大分市坂ノ市姶良郡溝辺町丹生附
九州西部鉱床群 佐賀県多良岳嬉野町松浦市 田油津媛(タブラツヒメ)山門郡瀬高大草・神功紀
宇津羅姫(ウヅラヒメ)山門郡長島宇津・景行紀
八女津姫(ヤメツヒメ)八女郡北矢部・景行紀
神夏磯媛(カムナツソヒメ)田川郡佐波・景行紀
速来津姫(ハヤキツヒメ)海部郡宮浦・豊後国風土記
比佐津媛(ヒサツヒメ)日田郡會所・豊後国風土記
五馬媛(イツマヒメ)日田郡五馬・豊後国風土記
大山田女(オオヤマダメ)佐嘉郡川上・肥前国風土記
狭山田女(サヤマダメ)佐嘉郡川上・肥前国風土記
八十女(ヤソヲミナ)杵嶋郡嬢子・肥前国風土記
海松橿媛(ミルカシヒメ)松浦郡賀周里・肥前国風土記
浮穴沫媛(ウキアワナヒメ)彼杵郡浮穴郷・肥前国風土記
征伐された土蜘蛛女は津と川上に住む、肥前は土蜘蛛に有利な地形に割拠していたと見る
呼子~松浦一帯
https://i.imgur.com/gs0d5Uf.png
大村湾一帯
https://i.imgur.com/nwHDHYn.png 大和朝廷には神武の天照と出雲の大国主と二つの神がいたんだろ
そして崇神に神託したのは天照ではなく大国主御魂である大物主
その神託によって大和を強大化した >>101
統治法の話
>>104
韓伝が短里なのでしょうがないじゃないか>>92
学者は韓伝と倭人伝はセットだと言っている >>103
個人的に安曇族と同族じゃないのかなと思っています >>89
いや、伊都国までの距離は10500里と書いてるわけよ
その程度の計算すら陳寿ができないと思ってる畿内派酷すぎないかいくらなんでも
魏の人間は、対馬までの距離すら全く把握してない、伊都国までの距離すら積算できないと馬鹿にしてるのが畿内派 魏志倭人伝の記述からだいたい60~70mでしょ1里は >>115
短里のモノサシが見つかってないからしょうがない
韓伝も倭人伝も実際に距離を測ってないんだろ まあ俺も短里という単位があったとは思わない
隋の時代でも倭人は里を知らないと書いてあるし
<魏志倭人伝には陳寿の誤解が多く含まれています。>
中国史書は先代の史書と当時の記録をもとに後世の文書屋が編纂したものです。
「里数」表記の行程は中国側に残っていた記録であり、
「日数」表記の行程は朝貢に来た倭人からの伝聞記録です。
それぞれ表現方法が違うだけであり帯方郡から北部九州までの道のりです。
卑弥呼の使者が魏に来たので改めて女王国までの行程を確認したところ倭人は次のよう答えた
・帯方郡から南に船で20日行けば半島南部の投馬国
・更に南に10日進み北部九州=邪馬台国に上陸します
・上陸後、女王の都までは徒歩です
・合計三十日の道のりです。
この朝貢記録を陳寿は誤解し、南に水行三十日,陸行一月と記した。
卑弥呼時代の倭国たち:https://i.imgur.com/41Q7Kwe.png
・女王国の東には海が有り、それを渡るとまた倭種の国々があった。
・南に敵対する狗奴国があり、卑弥呼時代に戦争が勃発した。
・後漢時代の倭は100国あったが女王国は30国である。(馬韓が50国なので割と小規模)
倭人伝において女王国の西側の国については一切触れられていないことから、
おのずと女王国は倭の西部に位置することがわかる。
<その他の文献記録>
・韓国は東西が海に面し、南は倭と接する4千里四方の国である(魏志韓伝)
・倭人が鉄をとりに半島まで来ていた(魏志韓伝)
・倭人は「里」を知らず「日」を使って距離を表現していた(隋書)
・伊都国の又南、至る邪馬薹国(翰苑 広志逸文)
・日本書紀 崇神記65年「任那者去筑紫国二千余里北阻海以在鶏林之西南」
半島南部の任那から北部九州の筑紫までの距離が約2000里と記されている
魏志倭人伝と同様に短い里が使用されている
安倍さんが卑弥呼で山上みたいなのが暗殺して
当時のマスコミ野党朝鮮人がこいつこそ神だと崇めて嘘を吹聴しまくって支配した
まあこれが歴史なんだろう 昔も今も九州の人間なんて蛮族扱いされてたんだろ
じゃああのステレオタイプな連中との交流避けて、大陸の人間と交流しようぜって考えるのが自然だと思うよ
吉野ケ里近辺育ちの俺としての想像 対馬が方可400里、壱岐が方可300里
まず正しくない 海路の距離なんて古代では測れないんだから「うーん、千里ってことで」って
感じにしたのでは。陸路も藪漕ぎするような場所じゃ歩測も厳しいので
「最大で一日十里くらいで」ってことにして、さらに日数も日によって距離が
変わることもあって切りの良い10日単位にしたと。つまり実際には100kmを
5日かけて歩いたとしても「百里」「十日」になる。 D1a2aがアイヌや沖縄
O1b2が倭人だけどOが中国だから日本人は南方と古代中国とすれば宮崎の山の中に居たなら南方系の隼人
鬼神信仰の鬼道をするなら天照大神は半島から来た弥生人の勢力でスサノオは縄文人の隼人の可能性が高い マキムクは戦闘の跡と中国への朝貢の形跡がないそうだから
吉野ヶ里の方がヤマタイコクには近そうだ。 >>119
対馬が400里四方で壱岐が300里四方と書いてある
マンハッタン距離で考えれば島内の移動距離は合計で1400里になる
伊都を通過して奴国まで100里だからちょうど12000
奴国が境界なのは文中にも明記してある
算数できないのはどっち? >>128
そのころ倭人には距離を数値で表すことができなかった
よって使者による目分量
対馬は縦に長いから、見る角度によって変わる >>86
城の山古墳、副葬品は中国製「盤竜鏡」 大和政権からか
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1501D_V10C13A1CR0000/
新潟県胎内市にある日本海側最北の前期古墳「城の山古墳」(4世紀前半)で
昨年見つかった副葬品の銅鏡が、1~3世紀に中国で作られたとみられる「盤竜鏡」と分かり、
同市教育委員会が15日、発表した。 >>133
もうそんなこじつけは聞く気しないので終わりにさせていただく 「島を歩いた距離も含める」なんて言い出すのはいい加減呆れるわな畿内派
もう何でもありだわ 邪馬台国まで行く使者が、対馬や壱岐島を隅々歩いて、その距離も含めて「帯方郡から女王国まで12000里」などと主張する畿内派
一方で、対馬から1000里、壱岐島まで1000里などの距離には含めてないなどと都合のいい解釈
話できる相手じゃないわな >>86
越後は8世紀に性的将軍派遣してるけど支配下だったのか? 統治の話だけど
日本が韓国を併合して韓国と名乗っとけばその後の展開は違ったはず
首都を半島に移す案は明治政府内にもあった あと伊都国はやっぱり糸島市付近で、あの狭い地域に一大卒を置いて
魏の使者を留めておくんですね。ちなみにその東側の奴国(福岡平野)の
入り口に後年の「山門庄」があるのも興味深い。 >>140
よく見なよ
対馬や壱岐の歩いた距離を含めれば九州北部で1万2千里と書いてるのは九州派 >>142
その場合でも国名は大日本帝国なんじゃないの? >>143
玄界灘から博多湾まで見通せるから、警戒に都合がいい >>144
この辺は共通認識としてもらわないと話にならんわなまじで
整合性の取れないことが出ても考えを変えないんだからまじで話にならない >>145
都合が悪いことは九州派の所業にしてしまうな >>151
無駄だと思うな
魏志倭人伝の都合の悪い記述は誤りか改ざんだと言い出すのが畿内説 >>152
何で畿内説が対馬や壱岐を歩いた距離を含めれば
女王国のあった1万2千里は九州北部と主張しなきゃいかんの? いやまさか、対馬まで1000里から1里70m程度すら共通認識とできないんだから、無理でしょ
畿内派とは絶対に話にならないと断言する 対馬や壱岐を歩いた距離を含めれば
女王国のあった帯方より南1万2千里は九州北部と畿内説が主張してるという
九州説はついに狂ったのか 畿内説は日本書紀ありきだから
弥生時代から北部九州にいた秦や波多の名前の人々←中央アジアの血も入ってる を
6〜7世紀に朝鮮から来た設定で突き通そうとするのが嫌だね
秦や波多は弥生時代には織物技術や鉱石の採掘技術を持ってきてたのに >>153
いや俺も相当盛ってるしでたらめも多いと思ってるよ
しかし帯方郡から、任那までの距離、対馬まで1000里、壱岐島まで1000里というのは距離感的に正しく思える
そこから1里どの程度かは分かるわけで、そこすら一致できないんだから話なんて不可能でしょ
畿内派は勝手に妄想語ってれば良い 東夷独自の短い里があったとすれば流石に史書に書かれてるはずだよ >>154
最近の畿内説の手口だよ
1万2千里は女王国までの距離で、邪馬台国はもっと先にあると言いたいらしい
だから、伊都国までで10500里だと釘を刺してる
伊都国は確実に女王国だからな >>162
まあそう言ってる人が居るかも知れんね
オレは違うけど 最初の方の天皇はどうせ適当なんだから神武東征をトヨの没後にすればスッキリする
日向を出立した神武は宇佐にて邪馬台国(ヤマト)の王になった
ヤマトの錦の下で勝ち進んだ苦労したけど
纏向かどっかまで平定した後
「我こそはヤマトの大王、神武である!」
これで奈良はヤマトになったわけよ
うん、完璧 >>163
末盧国までで1万里
そう書いてあるんだから縮尺を気にしてもしかたない
測量しながら歩いてるわけじゃなし 戸数と里数は大月氏国との釣り合い(司馬懿と曹真の功績の釣り合い)のための観念上の数値だからあまり考えても仕方ないよ
三国志研究の専門家の意見も参考になる 邪馬台国の遺跡であれば
・たびたびの戦で厳重に警備された集落、戦死者の墓、鉄鏃などの鉄製武器が出てくる
・大陸と交流した形跡、大陸で生産された品々が出てくる
・南に狗奴国らしいクニ、邪馬台国と対等に戦える鉄武装したクニがある
この3つは外せないでしょ
吉野ヶ里遺跡はこれらと矛盾はしないけど証拠不十分
比定するのはまだ早い まあ別に1里440メートルだったとしてもいいのよ
陳寿は距離を盛りたかったと解釈できるから
相対距離は割と正確だから邪馬台国までの位置も自ずと把握できる
畿内派にはできない合理的思考ですわな >>86
そういえばワカタケル雄略天皇の頃には埼玉まで支配してたか。 >>150
文中に出てくる数字を素直に足したら12000になると言っているだけ
残り1500しかないから北九州だ、と盲信的にいうのは根本的にやばいひとたち
しかも移動手段については何も言及してないのに脳内補間する人たちとは議論が成立しない
現実的なのは海岸線に沿って船で移動するんじゃないの?知らんけど
あと、邪馬台国がどこにあったかという話とは独立に、12000里の説明は着くとしか言ってない >>166
帯方より南1万2千里が示すのは沖縄台湾辺りの会稽東冶の東
陳寿も今までの道里を計算すれば女王国はまさに会稽東冶の東に当たると魏志倭人伝に書いてある
要するに女王国は魏ではとても遠い南にあるとされてたんだよ >>171
どうして島のサイズを路程に加えなきゃならんのだ? 対馬壱岐島内の距離を加えて計算するなんて説を言ってる奴なんて今日まで見たことなかったな >>172
またシナがメルカトル図法の世界地図を持っていた伝説か
当時のシナの認識では、会計当地の東には九州がある
https://i.imgur.com/h1jMHKh.png >>174
畿内派の矛盾を指摘するとこうなるという好例だな
哀れだわ、馬鹿すぎて >>174
島内の距離でさえない
海から眺めた島のサイズだ >>176
いちいち変換するのが面倒なだけだよ
ニスイとサンズイの違いも意味がない
シナはまだ地球が丸いことを知らない時代 畿内説は結論ありきなんだからなにをどう説明したところで主張は覆らない >>178
じゃあ距離の話に戻ろうか
末盧国までで1万里 吉野ヶ里は邪馬台国の時代にはかなり衰退してたってのを覆さないとどうにもならんだろ >>173
??
海を渡るのは大変リスクが大きいのだから最短距離にするよね?
最短距離になるまでは島づたいに移動する
その移動距離を考えなくても良い理由は逆になに? ツクヨミは男か女か分からないからLGBTだったかもしれない
で潰して統一勢力でどんどん東進して難波に大和朝廷
欠史8代どころか崇神天皇まで存在しない
崇神天皇がスサノオで神武天皇で倭の五王になるかな
邪馬台国連合がまた争い始めた4世紀に現れた
三韓討伐とか新羅討伐とかしながら継体天皇だろうね >>183
そこから南に20日水行で投馬国
さらに南に水行10日陸行1月で女王国ね
場所は沖縄や台湾あたりに相当する会稽東冶の東
魏志倭人伝に書いてるのはこういうこと 日本書紀「唐と戦争したのは倭国。我々は日本。百済、新羅、高句麗は倭国」 >>190
そこから、というのはどこからだ?
末盧国から残り2千里だが >>186
とんでもない馬鹿だな
船はどうするんだかアホが
畿内派ってアホしかいないのかな >>194
魏志倭人伝によれば不弥国から南に水行して投馬国にまず行く事になってるよ なんで高千穂かだよな
高千穂に鬼道をする巫女の誰かを閉じ込めてたかも 吉野ヶ里が巨大とか言うけど
ほとんどの遺跡は発掘されてないんだから
比較して巨大かどうかわからんだろ >>196
不弥国からとは書いてない
魏志倭人伝によれば伊都国から残り1500里 >>188
横軸に天皇の代数をとって縦軸に即位年をとってみると、履中天皇以降は直線的になるのだが、以前は急激に直滑降する
つまり、寿命が突然伸びだす
これを履中天皇以降の即位期間で計算すると、神武天皇は西暦200年前後になる
邪馬台国時代に日本の大きな転換点があったと強く推測させる推論ではあるな 弥生時代の石棺墓に丹ならほぼ邪馬台国で決定的なんだけど、これを阻止するには畿内説側がこの石棺墓にケチをつけるしかないわけ。
予防線を張り、あれは古墳時代の石棺墓と言い出す始末、呆れる♪ 邪馬台国が北九州なら遺跡も所在地も明確になりそうなもんだけどねえ
伊都国、奴国は争いなし、
なのにその何倍も大きい投馬国や邪馬台国が人によって所在地バラバラなのは不思議だ >>66
九州人は一度収容施設に放り込んで九州を軒並み発掘したらいいと思う
日本の歴史の解明のためだ
我慢してくれ 全く忖度しない
中国人学者の見解
中国魏晋南北朝史学会 副会長 陳長崎教授
纏向遺跡に桃の種が2000個出た事や、水銀が南で採れることが根拠として挙げられていました。 桃は南でも採れるし、水銀も四国や佐賀で採れているので、根拠にはならないですね(笑) 3世紀前半にヤマト王権が北九州までその勢力下に置いていたという説にも違和感はなくはない
感覚的なもんだが 邪馬台国がたとえ九州にあったとしても
日本の統一政権ではなく北九州の一地方政権で
しかなかった事よ
畿内まで支配が及んでなく
纏向遺跡は別の国があった証拠よ
北九州の邪馬台国はただの田舎政権よ >>197
前方後円墳も多いし、北から九州を制圧できなかった畿内勢力が、四国から宮崎に渡って九州制圧の足がかりにしたのでは
まあどうとでも解釈できる
景行天皇の熊襲征伐も東廻りで宮崎から >>199
魏志倭人伝によれば不弥国の次に
南に20日水行で投馬国
さらに南に水行10日陸行1月で女王国
場所は沖縄や台湾あたりに相当する中国の会稽郡東冶県の東 あの旅程は方角も距離も全部デタラメ
遠く海を隔てたちっぽけな島国なんて眼中にないので対馬壱岐までは来て九州には上陸さえしてない
つまり倭人伝は世界最古のカラ出張の報告書である >>207
わかってねーな、それでいいんだよ。倭人伝の邪馬台国や卑弥呼を知りたいだけ。大和朝廷なんてお呼びじゃないんだよ♪ >>209
不弥国の次に投馬国のことを書いてる、それだけのこと
これまでのように前に書いた国からの距離は書いてない
起点は不弥国じゃないんだよ
なんせ、伊都国から1500里なんだからな >>195
船で海岸線沿いに移動すると書いたが?
現代日本語文も読めないひと?
>>189
狗邪韓国までは海岸線を水行している
そこから対馬までで「初めて」海を渡るとしている
海を渡る距離が1000里と書いてある
海岸線沿いに移動するのと海を渡るのは別の概念なので1000里には含まれていない >>207
まあ纏向遺跡は
畿内にすらヤマト王権の支配が及んでいなかった証拠でもあるけどなw
あれだけの規模の聖地が記紀に一切記されてないわけで 弥生時代後期に博多から大量の播磨の土器
そこから話を進めないとね >>213
であれば距離は1000里で変わらないだろ
なんか本当に馬鹿なんだな >>213
帯方郡から狗邪韓国までは海沿いに移動してる
7千里だ
何も区別してない
水行は水行だな >>212
1500里は魏の1里430mで換算すれば600kmくらいの距離
九州北部は通り過ぎるね
畿内に到達するかも >>193
なるほど
やっぱり邪馬台国は九州にあった可能性大だな 纒向遺跡は古墳造営キャンプ場だね
出土品は土木用の道具ばかり >>219
そんな縮尺は無意味なんだよ
末盧国まで1万里と明記してるんだからな >>222
そういうもんだけど?
【参考】
福岡県北九州 城野遺跡発掘調査のもよう
https://youtu.be/QxvY4FBnXq0?t=288
石棺を開けるシーン なんか、九州から畿内に遷都した説あったな。
元いた場所の地名とか踏襲する慣習があって、それでその痕跡が両方にあるから混乱を招いてる、と。 >>223
末盧国は南に水行する場所がないよ
南は山地だからな
投馬国の次に南に水行10日陸行1月で女王国と書いてる >>226
東遷が本当にあったなら、記紀とも整合しおもしろい話だが、そういう考古学事実がないのが残念 邪馬台国が九州なら場所はどこになると九州説の人は考えてるの? >>229
北部九州まとめて邪馬台国
探してるのは女王のいた場所 >>1
田中英道 #44 邪馬台国は存在しなかった!神社を辿れば日本がわかる
未来ネット / 2021/04/07
https://youtu.be/U6FUG-LB4iQ
田中英道・東北大学名誉教授
要約「邪馬台国や卑弥呼などは、日本の何処にも、物証どころか民間伝承の一つすら存在しない。従って、魏志倭人伝自体が中国人特有の"捏造"である。」 >>1
田中英道「漢委奴国印(金印)は偽造であった」日本国史学会 令和3年7月10日 日本経済大学(2021/7/10)
Hidemichi Tanaka
https://youtu.be/zoHCHJC11YM
「所謂『金印』は、発見された江戸時代当時の製法そのものであり、明白に『偽造品』である。」
つまり、古代日本が中国に朝貢していたとされる唯一の根拠である『金印』が偽造品だと判明した事により、日本が中国の属国で有ったと言う歴史的事実は一切無く成った。
書籍紹介:
・鈴木勉『「漢委奴国王」金印・誕生時空論』(雄山閣 / 2010年)
・三浦佑之『金印偽造事件—「漢委奴國王」のまぼろし』(幻冬舎 / 2006年) >>227
壱岐から南に水行で末盧国
そこから東南に陸行で伊都国
なんの不思議もない
だが、投馬国から、とはどこにも書いてない >>1
田中英道「『倭の五王』は捏造(?)である」日本国史学会 連続講義 令和3年6月14日自宅代講(2021/06/14)
Hidemichi Tanaka
https://youtu.be/jRktdf9K_PA
田中英道「『こじつけ』で考えて見ても、何とか一致性が見られるのは一人だけである。つまり捏造である。」 >>1
田中英道「秦の始皇帝はユダヤ人であった」日本国史学会 第69回連続講演会(2019/9/14)
Hidemichi Tanaka
https://youtu.be/EV9w3zQCWg0 >>1
黄河文明はコーカソイド、つまり白人の文明だった。
夏王朝は「西方の牧畜民=コーカソイド」が築いた? - るいネット
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=243011
龍信仰を体系付けた紅山文化は五千七百年年前の寒冷化で崩壊して新たに小河文化が誕生します。
この小河文化それを担っていた人々は西方の要素が濃いとされおり、実際に発掘調査の結果、旧満州や黄河流域にはコーカソイドが住んでいたことが確認されています。
つまり現在中国と自称する国が有る地域は、白人に征服された歴史を持つ間抜けな地域であり、
間抜けな黄色い雑種のコーカソイド、それが中国人である。 >>228
神武東征の痕跡ならルート沿いに必ず神社あるけどw >>1
【世界最古の縄文文明】
1998年に世界最古となる1万6千500年前の土器が日本(青森)で発見された。
(その数ヶ月後に中国で1万7千年前の土器が発見された!と報じられたが、国際的な学術検証が為される前に「アイヤー、何者かに盗まれたアルヨ!」)
世界最古の文明は日本から? 【CGS 日本の歴史 1-2】
https://youtu.be/7DK8zIy2Fzg?t=1m56s
大平山元I遺跡(おおだいやまもといちいせき)
://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B9%B3%E5%B1%B1%E5%85%83I%E9%81%BA%E8%B7%A1
因みに、世界最古の磨製石器(3万5千年前)も日本(群馬県・岩宿遺跡)で発見されている。
更にその後の全国的な発掘調査で、日本の磨製石器は3万8千年前の物まで遡る事が判明した。
これらは勿論、断トツで日本が世界最古である。
https://youtu.be/GyLwODomZmY >>234
壱岐から南に水行陸行で女王国とは書いてないね 九州スタートで四国と出雲の二手に分かれて近畿ゴールでいいや、もう 一方アフリカでは人類最古の墓が
【ホモ・ナレディ】「最古」の墓を発見 初期ヒト属のものか 南ア[6/6] [すりみ★]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/news5plus/1686038523/ >>237
新羅語と上海語を見比べる事は出来ないか?
中央平野は荒地? 帯方郡から水行二十日で投馬国(狗邪韓国内の多分釜山付近)で、
投馬国から水行十日で末盧国、そこから陸行二十日で女王国。
日数については前述の通りで、水行十日には天候待ちも入っている 元々は海の底だから、
どんなに頑張っても砂漠になる >>244
今の日本語は上海語や新羅語の影響を受けているのではないのか?
(韓国語じゃないぞw) >>230
当時の「国」はかなり広域を意味する言葉になっていたということか
それとも魏志の指す奴国や伊都国や他30カ国の「国」と邪馬台「国」は別の概念ということか? >>233
ユダヤ人埴輪とか言ってる超オカルトな人だな
月刊ムーなんかには合いそう 帥升と卑弥呼
須佐之男と天照で
仲良く2つに分けろよ、九州と畿内ども
どうせ、どっちがどっちでまた醜く争うんだろうが
関係ないところから令和倭国大乱を眺める >>250
集落のある土地の広さではないか
呼子(末盧国)とか糸島市(伊都国)とかは狭くて戸数が少ないけど、福岡平野(奴国)や
邪馬台国(筑紫平野)はそれなり広くて戸数も多い 話しが噛み合わないと思ったら畿内派は女王国の勢力圏に入ったところで一万二千里って言ってるのか >>256
そして女王国である伊都国まで10500里と書いてあるが?と矛盾をつくとぐだぐだと屁理屈垂れ流す始末 >>217
>>218
ここまで説明してもわからないの?www
本当に馬鹿なんだな
昔読んだ本に書いてあった話であって、俺のオリジナルってわけじゃない >>257
女王国ではないとも書いてない
てか、その言い訳は無意味
確実に女王国である伊都国までで10500里 宗像氏も出雲勢力
大国主は宗像三姉妹を娶って事代主を得た >>259
で、どうして島のサイズを加算しなきゃならんのだ?
水行千里は増えも減りもせんぞ 伊都国やら奴国やらが女王を共立してまとめて邪馬台国と呼ぶことにした
だから女王国=邪馬台国=北部九州一円の共和国 九州すら統一できなかった邪馬台国みたいな小国が後の日本の歴史に関係あるわけないだろ
すぐ滅びてるよ 人は記憶型と思考型に大別できる
大弓の始まりが台湾???
fieldnote.info/wp-content/uploads/2019/08/8531d7c31a8f7a57c59b264762429719-768x380.png >>261
三女神のうちイチキシマヒメは独身、つまり卑弥呼だろう >>264
そうだよ
南の狗奴国に攻められてピンチになるくらい弱いクニ
平和でのんびり巨大古墳を作れる最強の大和とは違う >>262
狗邪韓国から渡海して対馬の北端にいたる(1000里)
対馬の南端まで移動する(800里)
対馬の南端から壱岐まで渡海する(1000里)
対馬は南北にまっすぐ伸びている訳じゃないけどだいたいこんな感じ
無視してよいレベルの移動距離じゃないからわざわざ書いてあるんじゃないの? 3世紀~4世紀のC14年代は解が二つあるから使えないというのが普通の結論だろ
年輪年代法も他人が追試できないというゴッドハンド状態だし >>271
石棺内部が明らかになるまでは頑張ろっと テレビだと学会では畿内が圧倒的だからここで吉野ヶ里(というか九州が)が邪馬台国の跡だと言えないけど、大発見だと騒いでいるのでこの盛り上がりに水を差すことも言えないし、専門家として呼ばれて困ってる
みたいな感じだったね
畿内説が有力なんだけど、その根拠はとにかく出土が圧倒的過ぎると言ってた
このスレみたら九州が有力だからちょっとビックリした >>273
科学は誰がやっても同じ解に辿り着けるもの
その前提が崩れてんなら捏造扱いされても仕方ないな 今が一番楽しい時でしょ笑
どこかに特定されたら全国的には盛り上がらないと思うぞ >>275
纒向遺跡を目の当たりに見てきた人の見解
坂靖・著『ヤマト王権の古代学―「おおやまと」の王から倭国の王へ』(2020/2/5)
著者の坂氏は奈良県立橿原考古学研究所付属博物館の学芸課長を経て、現在、奈良県地域振興部文化財保存課の主幹という、
現役の奈良県の考古学者でありながら、邪馬台国北部九州説の立場をとっています。
(中略)
「ヤマト王権は、布留式期に日本列島各地に強い影響力を行使することをはじめたのであって、
初期のヤマト王権の版図は、きわめて限定されていたとみるべきである。
・・・弥生時代中期から後期の近畿地方においては、中国との直接交渉を示す資料がほとんど知られていない。
楽浪形土器は北部九州に集中し、松江市以東にはまったく認められない。
邪馬台国の時代、すなわち庄内式期においても、魏と交渉し、西日本一帯に影響力をおよぼしたような存在が、奈良盆地にはみあたらない。
邪馬台国の所在地の第一候補とされる纏向遺跡の庄内式期の遺跡の規模は貧弱であり、魏との交渉にかかわる遺物がない。
さらに女王卑弥呼の居所は、出入りするものは男子が一人いただけであり、そこに宮室・楼観・城柵が厳かに設けられ、
常に人がいて、兵が守衛するような場所であったと記されるが、纏向遺跡にはそのような場所を認めることはできない。」 畿内から北九州まで支配する女王国が末盧なんて小国従わせてないってのは無理がない? 邪馬台国が九州にあったか謎だけど
どこの豪族にも巫女さん女王様がいたんだろ >>280
なんで陸行?
確かに対馬の道の情報も書いてあるけど
船で海岸線づたいに移動しちゃダメなの?
島のサイズがわざわざ書いてあるのに無視する理由ある? 大化の改新645年以降の天皇の平均寿命は48歳
大化の改新以前の天皇の平均寿命は83歳
大化の改新以降、90歳を越える天皇は0
(今上陛下が大化の改新以降初の90歳越え予定)
大化の改新以前の90歳越え天皇は11人
没年不明の仁徳天皇以前の天皇から明らかにおかしくなってる。
ただ継体天皇の前の天皇で初めて没年不明の天皇が出てくるので
西暦507年が大和朝廷成立と考えるのが自然
結論
邪馬台国と大和朝廷は完全に無関係 >>278
なるほどねえ
九州説の人は基本「畿内ではないから九州」と畿内説の否定が多くて、根拠がこれで九州!この遺跡が邪馬台国の本拠地!みたいな肯定する意見が少ないと思ったよ。
極論「畿内でないから九州です」みたいなのが根拠
何よりの弱点が、じゃあ九州ならどこに卑弥呼がいたのって場所が漠然としてること 大和にも国があって北九州にもそれぞれ国があった、邪馬台国は言われてるほど大層な国じゃなくて、ただの地方部族だったんだろな。 >>278
関川尚功も一緒だな
考古学から見た邪馬台国大和説で、邪馬台国は畿内ではありえないと結論づけている
関川 尚功(せきがわ ひさよし)は、日本の考古学者。橿原考古学研究所の所員として纒向遺跡の発掘調査に携わり、石野博信とともに報告書『纒向』を著した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%B7%9D%E5%B0%9A%E5%8A%9F >>285
船で移動したなら水行千里に含まれる
帯方郡からの移動も半島のサイズなんて問題にしてない
水行7千里だ >>287
>畿内ではないから九州
こんな奴は見たことない >>275
畿内説は、当時日本最大の勢力が魏と外交していたに違いないという前提で、こんなに立派な遺跡が出たんだから大和が邪馬台国という論理に飛躍がある主張
まったく畿内に確定してないと言うか、むしろ畿内説の根拠はすべて反論できる内容
鏡の出土にしても、古墳から出る伝世鏡で、邪馬台国が実在した時期に鏡を埋葬する習慣は畿内には無い 邪馬台国が九州にあったとしても
位置からして関東まで支配してたとは
たとえ思えないし畿内もそう
もし九州だったら邪馬台国は
ただの北九州の地方政権だったことになる >>287
ここが邪馬台国に違いないと決めつけから裏づけを探すのが畿内説
裏づけを集めてから場所を比定するのが九州説 >>290
何を言っても理解できない人のようだからこれで最後にするけど狗邪韓国から対馬で初めて海を渡ると書いてある
狗邪韓国までの海岸沿いの水行は水行であって渡海ではないと読める
1000里は渡海の距離であって水行ではない
対馬や壱岐を伝った移動手段は書いてないたぶん水行で矛盾しない 日向(ヒムカ)って未だにヒミコの名前が残る土地があるんだから
女王国自体は宮崎でしょ
佐賀は日本海に近くて倭人伝に伝聞する内容であっても
足を伸ばした人間も多いだろうしもっと正確に統治者の名前などが描写される地域
ただし、邪馬台国自体は筑紫洲だけじゃなく近畿まで含め
記紀に名のある大八洲という地名のあるクニの連合国
八洲の大きな國ヤシマタイコクの当て字だから何処ということはない
筑紫洲も畿内も大和が制覇する前は宮崎のヒミコ(日向)を中心にする邪馬台国だった
倭国は邪馬台国の情勢がしっかり伝わる前に倭人(ちっさい奴ら)という
あちらが名付けた人種、民族名からそれありきで呼ばれていた地域名
ニホンに対するジャパンのような外語呼び
倭人が居るから自分達が倭国と呼んでる国は現地人は八洲大国(ヤマタイコク)と言ってる
という説明をすっ飛ばした結果できた風土像 こりゃ日本発祥の地である佐賀を首都にするしかないなw >>287
一大率が伊都国にあったんだから、その近くに邪馬台国があったって考えじゃね?
難波と奈良・京都の都と同じ関係 >>296
つうか魏志倭人伝には邪馬台国が統一国だったなんてどこにも書いてない
南にある狗奴国とは対立してるし、東にも別の国があったことが示唆されてる
つうか地方政権だからこそ、中国の後ろ盾が必要だったんだよ >>296
天皇家は遥か昔、卑弥呼の時代から続いてる由緒ある政権である
故に魏と交渉し、鏡を貰った邪馬台国とは我々のことである。
だから名前を邪馬台に寄せて大和と名乗り、国産の鏡を魏から貰った鏡と言い張って配った。 >>301
だから、時代がずっと下って推古天皇の時代ですら、小野妹子を派遣したのが「タリシヒコ」なのに、そんな名前に拘る必要あるかって話
アホみたいでしょ >>301
宮崎の「日向」は後世の景行天皇が名付けたということに
なっているし、それ以外の「日向」は福岡近郊に多い >>298
魏志倭人伝は「渡海」「水行」「船行」を区別しています。
「裸国・黒歯国 ・・・・・ 船行一年」
「船行」=「渡海+水行」と理解できます。
「渡海」= 海を渡ること。
「水行」= 海を渡らずに海や川を行くこと。 >>300
バカバカしい
なんで対馬を縦断しなきゃならんのだよ
次の壱岐に上陸するには郷ノ浦港に上陸しなきゃならん
壱岐の東に回らなきゃならんのに、対馬の南端は逆方向だ /⌒ヽ
く/・* ⌒ヽ
| 3 (∪ ̄]
く、・ (∩ ̄] マダカナ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ >>305
神武天皇のモデルとなった人物は
卑弥呼の時代前後に九州から逃げ出して畿内に上陸した
地方豪族だわな。そこからニ百年以上かけて5世紀ごろに
西日本までをようやく征服した部族がヤマト王権 狗邪韓国は女王国ではないから詳しい情報がない
対馬からはあり、ここから女王国
ただ倭人伝であって、倭国伝でも邪馬台国伝でもない >>308
だからなに
壱岐からも渡海して末盧国に着いてるが、九州のサイズを加えてるのか? >>304
だから大層な国じゃなかったんだよ
ただの地方部族 >>303
南至投馬國水行二十日
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
結構離れてるみたいだけど?
特に陸地を一月も歩かなきゃいけないって、かなりの内陸部だろうしね >>311
九州つくまでに対馬と壱岐の周遊をしたという珍説 >>289
その人の本も読んだことある
内容はおもしろいのに文才がなさすぎて残念だったなぁ
ライターが推敲したらバカ売れする予感 >>315
それは当時のヤマト王権も同じ
記紀なんて数百年後に編纂された資料を妄信するから
畿内説なんてトンチンカンな発想が出てくるんだよね 九州で対立してたら外に結論求めて和解
辺鄙な四国にお祈り国作って一旦纏まろう >>316
書き間違えじゃね?
全日程が1月とあったのを読み間違えたなら北部九州にすっぽりじゃん
あ、畿内説も「東」を「南」と書き間違えないと成立しないんだっけ? 当時の奈良もそれなりに大きな集落だったんだろうし、
出雲や吉備、越なんかと取引こそあっただろうけど
広域連合国みたいな強い結びつきはまだなかったと思うね 卑弥呼の死後に大いに塚を作る、径百余歩、殉葬百余人
中国人がわざわざ書くなら、百余歩の信憑性はともかく印象に残る大きな墓なんだろう
この辺りは手がかりになりそうだが >>326
ただ堀を備えたいわゆる古墳とはどこにも書いてなんだよな
箸塚古墳を規模だけで卑弥呼の墓にするのは
流石に無理がある 畿内説って畿内にデカい勢力がいたしか言わないから世間の反応が「だから何?」なんだな……
そりゃ奈良の学者さんも金印か卑弥呼の文字でも出ない限り終わらないってコメントするはずだわ >>326
戦乱と混乱の真っ只中だからたいして大きな墳墓ではないと思うわ >>327
でもここが卑弥呼の墓だったとすると、魏志倭人伝は何だったんだって話になるなw >>332
吉野ヶ里は魏志倭人伝の記述に限りなく近い遺跡なんだから
むしろビンゴだろ。
纏向とかデカイすごいしか言ってないからなw 最初九州にあって遷都して畿内に移った説が色々と辻褄が合う。
古事記や日本書紀の流れとも合致するし。 >>326
1里70メートル前後とすると100歩は20数m程度か >>324
畿内説では東と南を読み替えないといけないだろうね
それは畿内説論者に聞けばいい話しであって、九州説論者に聞いてもしゃーない
九州説論者には
南至投馬國水行二十日
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
これをどうするのか?
海の上を30日南下した後、さらに陸地を一月歩くとなると、なかなかの距離になる これ見たら期待出来そうな気がしてきた
吉野ヶ里遺跡と石棺墓埋葬地の地政学|そこからは佐賀平野から有明海まですべてが見えた!!
https://m.youtube.com/watch?v=ilih9o8v4rg >>337
太陽見れば分かる南を、強引に北東にねじ曲げないといけないな、畿内説は >>326
殉葬百余人、本当に殉葬亡のだろうか、戦乱の最中なら卑弥呼の墓を守るために戦死で死んだ100人余りを一緒に埋葬したと言うことはないだろうか
100人余りを殉葬するとは今考えるとあまりに残酷すぎる行いだな 倭国と日出ずる国(斑鳩、飛鳥王国)は、別じゃないかと、この頃は思う様になった。 >>341
大航海時代の経度問題見りゃ分かるが
古代から方位は間違えないよね
反対に移動距離や時間の測定は非常に難しいし
誤差も大きい >>342
当時は古今東西当たり前の風習
兵馬俑で有名な始皇帝陵からも
大量の殉葬者が見つかってるよ >>342
卑弥呼はもともと民衆に大人気だった巫女
卑弥呼の後を追って死んだ者が多数居た
それを中国は殉葬と解釈したんだろう >>345
この時代にはまだ方位磁針が使われていないだろ 大航海時代とは違うんだよ >>337
素直に読んだら沖縄に着きそうだな
陳寿が複数の文献をまとめるときに書き間違えや勘違いがあったんだろう
原作が残ってない以上、そこから場所を特定するのは不可能じゃないかな >>348
そもそも陳寿は家から一歩も出てなくね? >>345
つまり南に一月海を進んで、さらに南を一月進むんでしょ?
伊都国からかなり離れてる事になると思うけど >>348
陳寿は来たわけではないw
陳寿は中国に残る倭の記録を集めて倭人伝を作った人 645年から2023年まで1378年で94代
平均1代辺り15年とする。
645年以前の32代が平均15年だとすると
480年ということになる。
645引く480で165年。
仮に皇室の系図通りの先祖がいたとして
(天皇として君臨していなくても有力な氏族として続いていたとして)
神武天皇のモデルとなった皇室の先祖がいたとしても西暦165年前後だったのではなかろうか。 >>334
あの行程が宙に浮くのにどこが備後なんだか >>350
星を読むんだよ
数千年前から人類は海洋航海してたわけで
日本人なんてその民族の末裔やん >>351
沖縄もしくは九州南部には届くんじゃないかな
少なくとも伊都国の近くではないはず 陳寿は倭国や倭人についての情報を場所や時代を無視して集めまくって全部盛りにしてお出ししてきた人
東夷伝序文に「公孫氏が倒されたお陰で東夷のことがわかるようになったので判明したことを書く」と暗に司馬懿の功績を自慢するようなことを書いてあるからなるべくたくさん文字数を稼いで盛り盛りにしたかったのだろう >>356
記紀は各地に残る伝承を全て直列に繋いだだけ 陳寿自信も書きながらなんやこれ?と思ってた可能性高いな
なんで距離の記述と日数の記述が別々にあるんや?とか
なんも分からんけど全部載せとこの精神を感じる 戸数と距離は適当だろう。あちらの学者は数字は盛りまくるから根拠にならんと言っている。 >>353
洛陽と成都を往復してるのは間違いない🥺 >>356
古代だともっと在位年数が短くて10年くらいって説もあるね
それだと神武天皇は280年頃か
まぁ、165年から280年くらいなら、邪馬台国や北部九州と多少の関わりがあったことだろう
邪馬台国の一大率だった伊都国の平原遺跡から三種の神器や世界最大の八咫鏡が出てきて、そこの日の出る方向に「日向」峠があるのも気になる >>367
陳寿はわけわからんくなって一度破り捨てたという逸話がある >>367
西の大月氏
東の邪馬台国
で距離合わせただけよ🥺 学会は近内
5ch歴史マニアは九州って感じだなぁ
俺自身は畿内説よりだけどなぜかといえばもし北部九州にあったならここまで発見できないのがおかしい
普通に文献にも○○国から何里で済む話だし北部九州以外じゃないのって思ってしまう >>374
ねらーたちは学会の縛りがないからね
表現の自由がある >>368
魏志倭人伝のどこに書いてありますか?
南至投馬國水行二十日
例えばこの文の前に「自郡」がついてたら、まあそう読むのが自然ですよね。ってなるけど、なってないよ >>374
思うのは自由
低能の寄せ集め学会を基準にするなという話 >>374
学会がなぜか畿内説推しなのはなんで?
全く信じてないような教授も取り敢えず畿内って言っとくみたいな異様さ\(^o^)/ >>307
奈良で王権基盤を築いた皇族が西の筑紫洲に来てて
ワザワザ「日出方」と呼んだから日向という縁起が
風土記や地元の伝説じゃなく日本書紀に残ってる事が既に特殊なんだよ
しかも景行天皇は筑紫洲に入ると
神夏磯媛女酋長からの要請を受けを味方に着けることで
物事を成功させている事をワザワザ残している
後の天皇の絶対権威から立場こそ天皇の方が上の様な印象になっているが
日向に外交的には天皇に対等、或いは上から天皇に協力させられる
強力な女王権威が存在した事が描かれていると言ってもいい
そもそも皇祖や先の神武天皇からして日向が地盤であるのに
後に景行天皇の気分で名付けられた日向の出身と語られるのもおかしい
それほど重要な由来縁起を持つ土地がずっと名無しの土地であったのは無理がある
ヒムカの名は元々あったヒミコを由来とする地名それを女王権威の衰退
ヤマト王権の絶対化で上塗りされた結果 >>376
どの史書もそういう脱字誤字はある
陳寿が勘違いして省いた可能性もある
そもそも陳寿は里数表記の行程を急に日数表記に変えるような人ではない
文書化の職人のような人だから >>378
学会の優秀な頭を使っても使っても使い続けても今だに蛮国邪馬台国ごときを見つけられないのは少し面白いな >>371
天照大神とスサノウの神話は
卑弥呼と卑弥呼に使えた弟の関係が元ネタなんじゃないかな
と個人的には思ってる。
もしそうなら天皇家が天照大神の血を引いている
というのは嘘じゃなくなるから。
邪馬台国を追い出された神武天皇は四国経由で畿内入りして国を作る。
四国は渡来系のDNAが最も濃いから渡来系の氏族に婿入りくらいはしたかも。
んで継体天皇の時にやってきたとされる遠縁の皇統が実は神武天皇の血統とかね。 >>374
その学会の根拠が>>292なんだから話にならないわけ >>380
> ヤマト王権の絶対化で上塗りされた結果
伊都国の命名も仲哀天皇がつけたことになってるんだよな
いくらなんでも時代が違いすぎるだろと後付け創作も甚だしいのが記紀 ヤマトタケルが女装して怪物を倒した
という神話は婿入りの暗示かも 2~3世紀の弥生時代のお墓が見つかって
それがなんで邪馬台国なの? 具体的なエピソードは創作でも元ネタになる出来事はあったという解釈であれば
伊都国が畿内ヤマトの軍門に降ったのは仲哀の時代という見方はできるかもしれない >>383
そもそも賢い人が考古学を専攻するわけない
自然と馬鹿の寄せ集めになってしまう
さらに邪馬台国なんかにのめり込んだら池沼になる事間違いなし >>390
「邪馬台国と関係あるかもしれない」のでそれを今から調査すんの
別にこの墓があるからここが邪馬台国とか言ってる訳じゃない でも、古墳人の子孫である俺らには直接関係ないだろ?
本土人がアイヌの歴史研究しているようなもの >>395
古墳人ってなんなんだw
ちなみに俺はハプログループD
調べたらわかった 三重構造モデルなんて俺はずっと前にたどり着いたぞ
外野のほうが景色はよく見える >>391
景行から仲哀、神功だろうな
履中天皇以前の寿命を以後の寿命に修正すれば、4世紀なかば
考古学的にも矛盾するところはない >>396
直系純粋縄文人残ってたぁ
研究機関はすぐに捕獲しろ! 天孫降臨が糸島説なら福岡人ならピンと来るんじゃね
卑弥呼の前の男王が奴国王で卑弥呼国と連合関係になり福岡平野と筑紫平野が邪馬台国領域
卑弥呼死後に分裂内乱
卑弥呼血縁のトヨを立てて政争に負けた奴国出身の神武氏族は奈良に移動し交易のノウハウで大陸から職人を連れてきて戦力増強
のちに筑紫平野の本家邪馬台国を倒し吸収 現実は九州北部の豪族連合でしかない邪馬台国に対して統一王権レベルの幻影を追ってしまったからややこしくなっているだけだろ >>398
その辺の歴代天皇も
実際にはちょっと勢いのあった地方豪族の類だからな
しかも人数盛ってるだろうしw
神武から21代雄略天皇ぐらいまでの創作ストーリーは
モデルとなる史実があったんだろけど
学術研究に使える代物なのかいつも疑問 というか不思議か?
縄文から弥生、そして、古墳人への移り変わりが?
血縁関係もあるし、親○しみたいなこともしてるってことだろ? >>401
同じく金印をもらった九州北部の奴国も、別に日本全域を支配していたわけでもないしな
邪馬台国の時代にも小国として元気に残っている 昔は国の人口が少なかったから、今の基準で小競り合いくらいで勝敗が付いたかもね >>401
むしろ当時のヤマト王権に
日本統一レベルの幻影見ちゃってる連中が
畿内説を喚いてるんだよ。考古学的根拠も何も無いのにね。 仮に九州説が確定したとして
日本の歴史って何か変わるの? むしろ常に存亡の危機だったかも
あっという間に国ごと絶滅しそう 邪馬台国が奈良の山ン中?w
ネーヨwww
畿内説厨はアタマがオカシイw >>407
変わらないよ、歴史マニアと学者が歓喜し、観光地が喜ぶだけだよ(笑) >>402
物部氏や中臣氏、大伴氏などの系譜も西暦500年頃から1代20年ほどで遡ると、神武天皇との関わりが記紀に書かれている人間に当たることになる
人数は意外と正確に感じている 一歩は人間の歩く一歩だろjk
伊能忠敬も最初は歩数で距離を測った
一歩の距離が一定になるように特訓したらしいがw ハプロ構成から
最初は優勢だった九州、邪馬台国(大和)、弥生、卑弥呼勢力が畿内、日本、古墳人勢力に下剋上されたってだけだろ? 群雄割拠で戦乱が続く当時の九州から
こっそり逃げ出して畿内で一旗あげたのが
今の皇室のご先祖様ですよ
だから九州でその名を轟かせた邪馬台国の権威を
後の時代の畿内統治に利用した。
卑弥呼由来と称する銅鏡を大量に複製してばら撒いたりねw >>407
纏向遺跡のゆるキャラ「ひみこちやん」が
可哀想なことになる >>407
これからの首都が佐賀になるw
想像するんだ
大都会佐賀を!w >>414
図書館などにおいてある学習歴史コミック第一巻旧石器時代から古墳時代の内容がかわるくらいだろ(笑) >>418
まあ古代日本史の学術的な前提となる
日本書紀や古事記の記述が嘘だと判明しちゃうわけで
そんなもんでは済まないと思うわ てっきり戦後に記紀ってデタラメ扱いになったのだと思ってた >>419
ウソ?擬人化や比喩、隠喩でわりと正しいと思うが?
むしろ、魏書東夷伝が偽書と言えるのに振り回されすぎ
記紀や風土記の方が価値がある 記紀なんてデタラメってちゃんと教えないとな
ファンタジー小説なんだから >>422
邪馬台国畿内説は
今でも必死に卑弥呼を記紀の人物に比定しようとしてるのでw
ヤマトタケルとか神功皇后とか、話盛りすぎてリアリティ無さすぎるわ
モデルとなった人物は当時活躍したヤマト族の誰かなんだろけど。 >>419
学術ってのは検証していく事だから
前提が嘘でもなぜそういう事になったのかを研究するだけだから
困るのは学術じゃなく変な思想の人達だけ >>423
擬人化や比喩はいいけど
少なくとも年代は直して欲しいよね
まさか皇紀2600年とか今更信じてる人いないと思うけどw
神武のモデルが3世紀後半ごろの人物とすれば
比喩や隠喩にも一定の意味が出てくるわけで 3重構造で全く関係ないとも直接関係ないとも言えないだろ
純粋純血な2部族を争ってたとでも思ってんのか? >>430
年代はやってるな
まぁ、それが本人達か藤原とかかは分からんが >>428
アマテラスやスサノオは実在するのですか?w >>429
なぜそう言うことになったのかを研究しないから
畿内説なんてトンチンカンな物が出てくるんじゃん
記紀の記述と齟齬が無いように
遺跡や古墳を全て3世紀前半のものと決めつけるところから研究始めてるわけで。 高句麗との戦いで初めて騎馬兵を見たヤマト王権が渡来人の開拓した毛野国に目をつけて牧の設置を急いだんだが
まさかヤマトと別勢力がいたとでも思ってるのか?
4世紀山形県戸塚山古墳の埋葬者女性をDNA解析してCGで復元
https://www.asahi.com/sp/articles/ASQC86441QC4UZHB001.html
腫れぼったい一重まぶた、たれ目で鼻は低く、髪は黒の直毛――。
1600年前の女性の生前の姿
https://i.imgur.com/U8bzVhR.jpg
古墳時代前期から中期に該当する4~6世紀には、前方後円墳・箱式石棺や横穴式石室・横穴墓が東北南部にも数多く造営され、北限は岩手県奥州市にまで分布域を広げるようになる。
しかしこれとは別に、東北北部では、土坑墓と考えられる独自の遺構群の存在が確認されている。さらに7~10世紀には高塚古墳に似て非なる「終末期古墳」が築かれ、北上川流域を主たる分布域とするようになる。 しかし東北北部の土坑墓や終末期古墳では、断片的な骨格の部位が確認されればまだましな方で、土壌中における腐食や盗掘による撹乱あるいは風化によって、人骨が完全に消失しているケースがほとんどである。
実際に保存状態の良好な古人骨が出土するのは、もっぱら東北南部における横穴墓、洞窟遺跡に限られているのが実態である。
顔面平坦度に関する項目を含めた頭蓋計測値18項目に基づいて集団間でペンローズの形態距離を求めると、
宮城県塩竈市清水洞窟や仙台平野熊野堂横穴墓集団などは西日本弥生人・東日本古墳人に類似するが、東日本縄文・北海道アイヌとはまるで正反対の領域に位置づけられる。
東北南部には開拓を期して特に関東を中心とした各地から数多くの移民が入ってきたことが、この墓制が彼らによって導入されたとみてよい。
ミトコンドリアDNA分析の結果
https://blog-imgs-144-origin.fc2.com/g/e/n/genomuseum/emishi.jpg
核ゲノム分析の結果
https://blog-imgs-144-origin.fc2.com/g/e/n/genomuseum/emishi2.jpg
参考文献
JSPS 科研費 26440257 基盤研究 (C)エミシとは誰だったのか―学際的研究で探る東北古代人の人類学的・考古学的実像―(代表:安達登)
JSPS 科研費 16K18631 若手研究 (B)古代ゲノム分析による関東古墳時代人の親族関係と遺伝的構造の解明(代表:神澤秀明) >>13
1000里は40~50kmだよ
帯方郡から釜山まで直線距離、朝鮮半島から対馬北部、対馬南部から壱岐島北部、壱岐島北部から唐津の遺跡があるところ
唐津の遺跡があるところから糸島の遺跡があるところまでの直線距離は40~50km計算でいけるから
あと壱岐島の面積なんかも1000里40~50km計算だから
地図で測ってみ 桜井市の子供に大人気のひみっこぱーく閉館までのカウントダウンが始まったなw ひみっこパーク閉園で子供が泣きわめく姿が見ものだなwww楽しみだwww まあ、公孫氏からもらった玉璽が出てきて、吉野ケ里は魏の朝敵だったって結論になるぐらいだな というかこの人物は自分をこう称した、こう名乗った
ってのも歴史で史実なので皇紀もその内にあるだけだよ
例えばかなり決定的な証拠が発掘されて
女王国の場所が高確率で推定出来たとして
女王卑弥呼の鬼道が本物のまじないだったのか
みたいなオカルト検証までする必要はないわけで 卑弥呼時代が北部九州だった
なんて確定したら畿内説はたぶん
台与時代は畿内だったとか言い出すぞ >>433
アマテラスは最高神だからアレだが、須佐之男には何か意味があるんじゃないのか?
ヤマト政権の実力者から嫌われて出雲遠征を命じられたけど、みごとヤマタノオロチ(9国連合?)を打ち破り、出雲攻略に成功した、とかな ゴッドハンド()事件があってから日本の考古学は地に堕ちたわ。
海外の研究者とも見解が合致しない限り、信用ならない。 >>433
役職や部族の代表とかんがえれば居るんじゃない?
スサノオ、帥升、隼人族、出雲系、縄文を残す一族
アマテラス、天照、邪馬台国、大和、弥生系
でも、現代日本人の形成は日向、古墳人、神武天皇ぐらいまで待たなきゃならんのじゃ?
だから、関係あるとも関係ないとも言える >>131
信仰の側から見るとスサノオは渡来系
隼人が熱心に祀っていたのはツクヨミだね
隼人の神様だから朝廷側は記録も適当 今回は地中で石のフタされてたし、ゴッドハンドもできんだろ
成分分析もコンピュータによる解析も、昭和とは比較にならんだろうし つうか祖先の墓暴くのにウッキウキの市長に引いた
せめて慎重にお願いしたいとかの一言もないっつう >>430
>神武のモデルが3世紀後半ごろの人物とすれば
https://ja.wikipedia.org/wiki/海部氏系図 の勘注系図は相当古い時代まで、誰々の嫁(后/妃)はどこどこからが、各地の神社に記載が残る他の古豪族の伝承と一致するらしいので、神武ぐらいまではだいたいの歴史として再構成できそうだけどね >>434
それは完全に記紀の多くが嘘だねって前提がまだないから
学術として必要な視点
倭人伝の方にも多くの間違いがあるであろうってのも前提というか事実だし
まず仁徳陵とか発掘できないのは宮内庁だとか天皇家への権威、思想であって
学術ではないし >>445
いやゴッドハンドなんて古今東西どこの国もやってるからw
ピルトダウン人とか有名 >>449
邪馬台国がヤマト政権に滅ぼされていたら、支配者は殺されてるし、子孫なんていないと思うが >>444
元になったエピソードを推察するのは良いがそれが正史扱いはどうかと思うわ 神武のモデルは早くとも5世紀、ひょっとしたら7世紀くらいじゃないのかなと言ってみるテスト 神社や寺が忘れられた古墳の上に建ってるのはよくあること
日本中あちこち調査したらもっと色々出てきそうなもんだが >>443
ならないから安心しろ
卑弥呼や邪馬台国が存在した2世紀から4世紀にかけて、農民がいた痕跡が全く無い纒向遺跡は圧倒的だから 例えは悪いが結局金印クラスが出てこないと大当たり確定にならないんだろ。文字がないんだから。その他の物が出てきても激アツリーチアクションのみで残念みたいな。 大和を中心とした連合国家になったのは四道将軍を派遣してから >>433
天照大神は卑弥呼のことだろうね
卑弥呼の時代にいつ皆既日食が生じたか
247年3月24日と、248年の9月5日にあったことがわかります。
247年3月24日に日食が起こった時刻は、北九州では日の入りの頃でした。
太陽は日没までにほぼ皆既日食となって真っ暗になり、そのまま日が没したと考えられます。
一方、近畿では、その時刻にはまだ太陽は半分くらいしか隠れていないまま、日の入りとなります。
日没後も真っ暗にはならず、徐々に暗くなってゆきます。
この見え方の違いから、皆既日食によって世界が真っ暗になるという恐怖を体験したのは
九州の人たちであると斉藤は結論し、247年に福岡市で見えた日の入り時の皆既日食を
岩戸日食と断定すれば、議論は明快に片付く。そして卑弥呼の死亡年は247年となり、
邪馬台国も九州と言うのが有力となる そもそも天皇陵を調査しない時点で宮内庁もファンタジーって思ってるってことだからねw >>451
その通り
宮内庁が発掘させないのがそもそもの元凶だよね
いまさら記紀の内容が否定されたところで
皇室の権威なんて揺らぐ訳ないと思うんだが >>454
それは貴方の妄想なので参考になりませんね のちの時代の宋書倭国伝では邪馬台を奈良に比定している
中国からして、いにしえの万二千里という記述は重要視しておらず近畿まで入るってことだ 北海道のアイヌの遺跡にも、農民がいた痕跡はないんだろうな >>458
戦争してた痕跡も無いんだわw
纏向は魏志倭人伝の記述には驚くほど適合しない >>371
その辺ってあやしいんよね
西には金印とられたって騒いだ細石神社があって北には伊弉諾が三貴神を産んだ小戸があって
近くに山門って地名があったり
淤能碁呂島説もある能古島もすぐ北にあって
なんか日本神話の原型はここからなんじゃないかって気がする >>450
海部氏の系図は面白いよな
日本国内の海運ルートは早い時期に確立してたからあとは祭祀の中心がどこにあったのかということだけ >>461
連合とはいってもヤマト政権の場合は基本トップは大王で、ピラミッド型の中央集権
女王国のように対等ではない >>465
まさか、まだ邪馬台国がヤマト政権の母体だと妄想してるのか? >>468
王都に戦争の痕跡なんかあるわけねーじゃん >>447
スサノオは渡来系
なんかミスリードがある気がする
3重構造から
縄文系に黄河系混じってる気がする
隼人が熱心に祀っていたのはツクヨミ
スサノオとツクヨミ、同一説を忘れてる
九州の長江と縄文混血勢力と出雲の黄河と縄文混血勢力の対立が陰陽マークみたいになり、最終的に長江、黄河、縄文混血勢力で畿内に落ち着いたんだと思うわ >>475
一番護衛するところじゃん
大量の武具とか普通は出土するよ 邪馬台国は卑弥呼の次で連合崩れたんでしょ
元々女酋の集合体だっただけだから >>450
そうそう、各氏族の系譜も1代20年程度の現実的な年数で遡ると、西暦200年前後で神武とかかわりのあった記述がある人間に突き当たるんだよ
天皇の人数は割と正確に思える 大和王朝は婚姻によって結びついた家臣団的な連合だから >>480
次の男王と、さらに次の壱与までは続いてる >>455
そういう神話信仰縁起を持ってる国家の歴史なだけで
神秘的な神々や高天原の存在を検証した歴史家なんておらんよ
なんで検証しないっていうとまず歴史、史実として扱ってないから
まぁその為に神道の修行とかする奴は史学家とは見られないだろうし
ヤマト含めて大八州の民族史を推定する上で
神話になって伝説に残る人物"らしき人"が居たんではって類推に名前が出るだけで
それこそ倭人伝に卑弥呼が居るって一方の記述があって
記紀側に天照だとか神功皇后だとか女権力者が見られるから
擦り合わせて考えてみるのと一緒 >>462
ほお~っ それは極めて数理科学的に納得しうる説明だな 邪馬台国・・・北九州のやや小さめの王朝 (戦闘
ヤマト・・・・・・奈良の大きな王朝 (平和)
ほぼ同時代に2つの王朝が並立
↓
邪馬台国衰退)、ヤマト王権巨大化
↓
竹原あたりから渡来人ヤマトへ。そこで鏡製造=三角縁
私個人は、竹原出土の、内行花紋鏡が見方を変えると太陽の輝きを模したと見ています。
つまり、それこそが魏からの100枚の一部ではないかと。(個人の妄想) 畿内説が魏志倭人伝で拠り所にしているのは径百歩のみw >>474
畿内説だとそうならざるを得ないんじゃ?
卑弥呼時代の邪馬台国は3世紀半ばに中国に朝貢してる
大和朝廷は3世紀半ばか後半に成立している
畿内に邪馬台国と大和朝廷の二つの大きな連合国が並存できたとは考えられない >>456
纒向遺跡は
卑弥呼や邪馬台国が存在した2世紀から4世紀にかけて、農民がいた痕跡が全く無い
つまり、100年以上、周辺各国からの税で反映してた都市
神武東征があったとしたら、その前、1世紀ごろ >>476
でも隼人の故地にスサノオ系の神社はないよ
最初はアマテラスとツクヨミしかいなかったというなら分かる >>480
倭国大乱で仲間割れ
卑弥呼死亡で仲間割れ
まあいつ瓦解してもおかしくないほどの不仲連合ではある
どうせ狗奴国の卑弥弓呼ももとは王権を争う仲間だったのが卑弥呼が気に入らなくて連合に参加しなかったんだろうし
東から畿内ヤマトが攻めてきたら裏切りが続出したと思うわ >>491
日向から新天地求めて北上→宇佐→瀬戸内海(吉備)→大阪(ヤマト)・・・・
九州で居場所がなくなったと考えるのはどうですか、→神武東征 >>489
魏志倭人伝に記載されている墓は棺を土で封じて冢を造る
と書いてあるので前方後円墳は論外
つまり畿内説が論争に参加するとすれば、女王に使われていた「大倭」という市の監視役しかない >>454
滅亡させた相手を神として奉って権威だけは頂戴するってよくあることじゃない? 大国主伝説の出雲という国が先にあってそれが分裂したんじゃないの
出雲って九州の辺りまであった気がする
国譲りの場所も九州な気がする >>496
オオクニヌシがそのままだからな
ヤマト王権のやり口だろう >>480
名草戸畔とか戸畔伝承ってその名残りって感じがするわ >>476
>スサノオは渡来系
それは古事記には一切書いてない
スサノオは高天原でお仕置きを受けて、出雲に直接降りてる
日本書紀の本文も同様
何を見てそう言ってる? >>491
そら住居跡なんて柱や朽ちた柱跡しかほぼ残ってねーんだからでるわけねえ
権力者の墓である古墳から鍬や鋤が出てるけどな >>494
北部九州は、後漢から金印を貰ってから180年間ぐらい、代々倭国王だった、漢委奴国王の倭奴國
唐書によれば
九州 海神(ワダツミ)国 筑紫城に代々
天之御中主神
高御産巣日神
神産巣日神
宇摩志阿斯訶備比古遅神
天之常立神
国之常立神
豊雲野神
宇比邇神・須比智邇神
角杙神・活杙神
意富斗能地神・ 大斗乃弁神
淤母陀琉神 ・阿夜訶志古泥神
伊邪那岐神・伊邪那美神
大綿津見神(豊玉彦)
天津彦火火出見尊(山幸彦)
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)
と漢委奴国王を引き継いで、神武はその
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)の4男坊だからねぇ 東 日向し ヒムカシ ヒンガシ
西 去にし イニシ
北 汚し >>509
東征と書くと勇ましいけど
記紀読む限り、九州ヤバいから畿内に逃げたようにしか見えないw >>509
ルートが極めてリアルなんだが
それに、こんなことでウソつく理由がない >>503
それはオレが言ったんじゃねぇwwwだから、ミスリードって言ってんだろ
2重構造じゃなくて複雑な3重構造なんだよ >>494
北部九州は、後漢から金印を貰ってから180年間ぐらい、代々倭国王だった、漢委奴国王の倭奴國
唐書によれば
九州 海神(ワダツミ)国 筑紫城に代々
天之御中主神
高御産巣日神
神産巣日神
宇摩志阿斯訶備比古遅神
天之常立神
国之常立神
豊雲野神
宇比邇神・須比智邇神
角杙神・活杙神
意富斗能地神・ 大斗乃弁神
淤母陀琉神 ・阿夜訶志古泥神
伊邪那岐神・伊邪那美神
大綿津見神(豊玉彦)
天津彦火火出見尊(山幸彦)
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)
と漢委奴国王を引き継いで、神武はその
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)の4男坊だからねぇ
つまり天皇、大和政権の前身は、
親魏倭王の邪馬台国ではなく
漢委奴国王の倭奴國なんだわ >>507
歴代天皇平均在位11年くらいとしたら合うな
倭国大乱で神武が敗戦して東に逃げ出したときに金印隠して逃げ出したとかか >>505
日本書紀の本文にも書いてないよ?
>>513
失礼しました
もしくは仕分けないです >>514
純金ならね、金メッキなら川に投げ捨てるけどな(笑) ちなみに
神武の兄の三毛入野命は北九州に戻って
父の天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)の跡を継ぎ「漢委奴国王」になってる >>517
一書いわくとして朝鮮ルーツについてわざわざ書いてあるじゃん
あの挿入はかなり意図的だよ
渡来系の政治的圧力を疑うね >>511
まあやばい地理だわな
南に隼人やら熊襲やら、北には北部九州
居場所がない
逃げるのも分かる スサノオやオオクニヌシもヤマトから移植された神話だよ
そのモデルも神武神話
出雲併合は崇神天皇が裏切り者を作って神宝を略奪して
四道将軍を差し向けた出雲振根を殺す戦争までされてない
当然それ以前の天孫権威との繋がりはあと付け
中国地方の田舎者達がおらが土地の神話だって喜んで
未だに擦るくらい上手くできたレトリックであったのは間違いないが >>521
スサノオが追放されるところには、複数の一書ががあってその中のたったひとつに書かれた、諸説ありの一つってだけだよ 1)東遷は紀元前、理由はわからない
2)何かの事情で九州捨てて引っ越し→空いた王位をめぐって大乱勃発
3)倭国大乱勃発→王位争いに負けて東に逃亡
どれかな? 「漢委奴国王」の金印に真贋(しんがん)論争があることは前に触れたが、金印の由来や年代を確かめることの難しさについて付け加えたい。この金印は、すでに蛍光X線分析という非破壊検査が試みられ、金の含有率が95.1%だと分かっている。
宝探しにでも金印探しはいいな、まぁ国に渡さなきゃ逮捕だろうけど 東征でも東遷でも無い感じなんだよなあ
いちばん近い表現は元邪馬台国の豪族による「背乗り」かな
だって継承する王権なら大物主と天照を同時に祀るなんてできるはずかない 邪馬台国は九州だと思うけど吉野ヶ里よりもうちょい南やろ >>525
明治政府以前に牛頭天王と習合されていった経緯はどう考える? 金印が山でたまたま見つかったらどうにかして溶かして売りたいな >>526
九州では邪馬台国と狗奴国に阻まれてにっちもさっちもいかなくなったから、本州で立て直しを図ったんだろ >>530
「ぼくのかんがえた最強の邪馬台国」みたいなレスが大半で価値のあるカキコはごく一部だぞ。毎度のことだがw しかし蓋開けた石棺墓の周りの警備は万全にしてるのか?
歴史より思想を優先する右翼活動化に荒らされるぞ >>526
ヤマト王権は倭国大乱の原因になるほどの勢力じゃ無いと思うよ
だから畿内なんて遠く離れたところで
こっそり旗上げしたわけで >>523
別に東征が神話でも創作でも構わないんだよ
なぜわざわざ九州から来たことにしたのかを問題にしてる 文言通りに旅程を組んでも、全身鯨面の記述からも邪馬台国は南西諸島で確定 >>533
歴史的価値のが高いやろ
家の庭に埋めてから掘り出す >>533
溶かしたら価値は激減する
純金だとしてもサイズは知れてる >>521
朝鮮「ルート」かもしれないが朝鮮「ルーツ」ではない
ソシモシリだっけ?に降りたってココには居たくないので出雲にやって来た
スサノオが渡来だとしても、朝鮮半島はただの通り道 なんだ九州やったのか
だいぶ前にたかじんの委員会でパネラー全員
畿内で確定みたいに言ってたような
完全に騙された >>531
南に行くと狗奴国になってしまうから八女が南限かな >>541
わかんねーよ?
前に出た金印のサイズだって思い込んでるけど
両手で持つくらいのクソデカ玉璽かもしれん 神武に話を持ちかけ導き事大主と縁を結んだ娘の子を嫁がせて初代皇后にしたのが出雲系賀茂氏
大和王朝はある意味賀茂王朝 >>545
そこまで魏が金かけるほどの貢献はしてない
あくまで朝貢の返礼品 どうせ金印なんか価値が高いんだから盗掘されて、溶かして違うものに変わってはるやろ
こんな不景気な時代は日本の歴史に何度もあったわけだし、自分なら金印集めて全部溶かして売りたいな、ゲヘヘ >>532
江戸時代の民間信仰の中で出てきた話しではなかった? 邪馬台国よりもちょっと前の伊勢遺跡がポイントなんだろう
出雲の神有月は史実が基になってるのかもな >>545
中国では当時の金印が他にも出土してて
そのサイズは志賀島のものとほぼ同じ
逆に言えば、志賀島の金印が本物という証明でもある
日本で発掘当時には、そのサイズや組成は知り得ない情報だから >>542
古代伽耶にはソシモリ山というのがあったそうな
牛の頭の山という意味らしい
適当にググっただけなので真偽はわからん…… >>549
京都八坂神社の記した起源によると7世紀に渡来人が高麗の牛頭山からスサノオをうつしたのが始まりとしている 邪馬台国論争でたくさんの人が飯を食っているんだから「邪馬台国はみんなの心の中にある」が正解だと思うのw >>551
あれ実は中国で調べてちょっと怪しげって
代物なんだがな
もとになったものはあるだろうが
志賀島の金印はほぼ偽物
なにより彫り方の技術が違うのが致命的 金印のサイズがだいたい108gで溶かさなかった場合だいたい80万かぁ、まぁまぁ、小遣い稼ぎにはなるな やっぱり最初、優勢だった縄文に長江系混血の九州大和が徐々に年代を追うごとに強力になっていった中国地方の縄文に黄河系混血に下剋上されたとしか思えねぇわ >>538
単に大和朝廷が九州に侵攻する理由を正当化するために「九州はもともと大和朝廷の先祖が治めてた場所だ」ということをでっち上げるためってことではダメ? >>554
つまり犯人は7世紀の高麗人って事だね
どんな意図でそんなことをやったのかは、やっぱりわからん! アポロ11は月に着陸してないみたいな話になってきたな…… 邪馬台国論争はそれで食ってるって言うだけでなく
色んな所から日本の文化水準が
思ったより高い証拠がそこらから出てきて
なんでも中国や半島から伝わった説の
学者がそれ認められなくて混乱してるところにも
一因がある >>556
入手ルートには疑問符があるとしても
江戸時代の人間に中国で発掘してもないものをあの精度のレベルで作り込むことは不可能やろ
他にもレプリカがあるならともかく >>556
偽物なら親漢奴国王とか漢倭奴国王と彫るだろ
なかなか漢委奴国王とは彫れん あと何個金印が眠ってはるんやろうか7個で集めたら560万かぁ、雀の涙だな売ったら逮捕されるよな 金印は発見した経緯も全部が嘘くさい
他に遺跡がないのにある時突然金印だけが出土
ゴッドハンドだろ >>538
>>560に加えてもう一つ
百済の建国神話が「夫余国の2人の王子が国をつくる場所を探して南下し、兄より弟がいい場所で建国した」
って話だから百済の建国神話の影響があるのかもしれん >>565
中国の王朝交代でお召し上げになるからレプリカ作ったんやろ知らんけど w >>560
それなら最も厄介な蝦夷の方が適任かも?
北海道と沖縄を除く、日本の統一が鎌倉時代まで長引いたのは、東北が従わなかったから 金印の本物ってどこに展示してあるんだろうか?博物館とか? >>560
それでも天皇は征服欲以上に筑紫のヒムカに対して特別な思いがあったと思う
皇族が隼人を近習としたのは古事記成立よりかなり早く4世紀からなんだよね
蝦夷に対してそんな態度は見られない >>568
遺跡がないと言うか
江戸時代なのでまともに発掘とかしてないし
その後海岸線が変わったりして、どこから出土したのかもよく分からない状態
まあ伝えられる発見時の状態見る限り
誰かが奴国から持ち出してわざわざ島に隠したんだろなとしか >>570
だから模倣する元も無いのにレプリカできないから 都合の悪い物証はニセモノ扱いする畿内説
さすがパチモン鏡が大量に出回る土地柄だ >>578
農工具とかも落として逃げていったんだろ?
ちょーウケる🤣 畿内と違って、佐賀県なんか福岡県の隣ということ以外は何の取り柄もないのだから邪馬台国くらい譲ってあげればいいのに >>568
遺跡から金印みたいな重要なものが出るのも怪しいけどな
普通に考えて
滅ぼされたなら盗まれるし
引っ越したなら持っていくだろ >>287
普通に邪馬台国なんて魏志倭人伝くらいしか手がかりがなくて、魏志倭人伝の内容見るに九州までしか行ってないから、相当脳みそに問題ある人以外は九州だと思ってる
関係ない後世の歴史と無理やりリンクさせようとする答えありきで畿内説が生まれた >>568
敵に急襲されたとき慌てて隠すのにうってつけな小島だろ >>572
福岡市博物館に普通に展示されてる
とても小さい 疑問:
初代オオキミのヒコホホデミ(神武)は、九州の日向からやってきたと、なぜ日本書紀は書いたのか。
オオキミの系統の正当性と権威を高めたいなら、最初から大和盆地に神の子として降臨すればよかった。
しかし、日本書紀では、高天原のアマテラスがオオクニヌシに大和盆地を譲らせたにもかかわらず、孫のニニギをまず遠方の九州に降臨させて、
さらにそのひ孫のヒコホホデミ(神武)が大和盆地に移動して、三輪山のオオモノヌシ(≒オオクニヌシ)の娘と結婚してオオキミの座につく、という、何世代もかかるややこしいことをしている。
なぜ?
伝承がそうだったからでは?
ややこしく正当性の傷がつくストーリーは、語り継がれたことをありのままを書いたために起きたのでは? >>524
それ全く違う
唐書に書かれているように
九州 海神(ワダツミ)国 筑紫城の漢委奴国王は
天之御中主神
高御産巣日神
神産巣日神
宇摩志阿斯訶備比古遅神
天之常立神
国之常立神
豊雲野神
宇比邇神・須比智邇神
角杙神・活杙神
意富斗能地神・ 大斗乃弁神
淤母陀琉神 ・阿夜訶志古泥神
伊邪那岐神・伊邪那美神
九州 海神(ワダツミ)国 筑紫城の漢委奴国王の最盛期は
伊邪那岐神の時代で、
淡路島をはじめ大八洲(本州・四国・九州等)の島々を征服した
伊邪那美神は、その時に征服した出雲の女性で
大綿津見神(豊玉彦)の母は伊邪那美神
天照大神、月読、建速須佐之男命は
伊邪那美神が死んでから、筑紫城の女性との間に出来た子で
天照大神は、奈良に
月読は、伊邪那美神の墓守りとして出雲に
建速須佐之男命は、大綿津見神(豊玉彦)のかわりに漢委奴国王にしようとした
のよ
でも、伊邪那岐神・伊邪那美神の間に産まれ、ずっと「次の筑紫城の王」だと言われて人生を送ってきた大綿津見神(豊玉彦)にとっちゃ、当然面白くないわけで
身分が低い女性を母とする建速須佐之男命を虐め倒して、
建速須佐之男命は耐えきれずに逃げ出したのよ
で、
伊邪那岐神の次の「筑紫城の王」漢委奴国王は
大綿津見神(豊玉彦)になって
伊邪那岐神は天照大神を頼って淡路島に隠居したのさ
でも、大綿津見神(豊玉彦)の次の「筑紫城の王」漢委奴国王は天津彦火火出見尊(山幸彦)で
建速須佐之男命の曾孫なのが面白い >>556
形状の詳細まで分かるわけねえじゃん
現代になってやっと同工房だと思われる金印が出土したもんで
そんなものを江戸時代の情報でサイズから形状まで真似できるわきゃー無い >>584
土蜘蛛は三種の神器を差し出して畿内ヤマトに降伏しまくってるな
崇神も出雲のオタカラを略奪しまくってるそうだし
九州から見つかるとしたら隠されてた金印とか山の中でみつかった鉄鏡とかくらいか >>538
まあ天皇の先祖が宮崎出身だったとしても全く不思議はないからな
源頼朝だって尾張生まれだが鎌倉に幕府を置いたわけで 漢の委の奴国王だと文法おかしくね?
日本語の文法w >>592
それを学者さんから素人までわくわくしてる >>596
大陸で日本語使われてた??
→それは無い!!だろ?w🇹🇷yabancıヤバンチン あれれ?
なんで🇹🇷トルコが🇯🇵日本語から借用してんだw 紐解く手がかり!?って
これが近畿だったら卑弥呼の墓か!?とか報じるんだろうなw
日本のメディアも韓国メディアも同類だな >>596
倭奴国で1つの国の名前じゃなかったっけ? >>556
金印のデザインが、当時の知識では作れないデザインで作られてるからほぼ本物 九州説のやつって日本書紀を目の敵にしてるやつが多いなw半島支配がよほど不都合な真実らしい。
民族的妄想w http://ryuchan60.up.seesaa.net/image/ryuchan56-2013-07-14T11:29:39-1.jpg
ハプロタイプB44ーDR13は、とくに北陸地方から秋田にかけて多いことが知られており、近畿・東海地方でも、頻度が高くなっている。
このハプロタイプは「韓国人では最も頻度が高い」という。
このハプロタイプB44ーDR13は、弥生時代中期から古墳時代前期にかけて、
朝鮮半島東南部から山陰・北陸両地方に渡来した集団がもたらしたものとみられる。 >>592
180年間ぐらい、代々倭国王だった漢委奴国王の倭奴國
45年間しか倭国王でいられなかった親魏倭王の邪馬台国
確率的には
180年間ぐらい、代々倭国王だった漢委奴国王の倭奴國の手がかりが出る確率のほうがたかいだろうねぇ
45年間しか倭国王でいられなかった親魏倭王の邪馬台国なんて一瞬倭国王だっただけだからね >>604
当時物のレプリカって可能性はあるよね? >>607
卑弥呼は倭王だが、奴国にいたたのは奴国王
どう見ても倭王が上 金印の銘文は、ホントは倭奴だけどイデオロギーにかぶれた右左の面倒臭い連中が寄ってくるから、
わざと変な読み方にしてるんだろうな >>608
オリジナルがないのに、どうやってレプリカ作るんだ? >>605
客観的なだけ
偉大なる天皇家が3世紀の時点で日本を支配して統治していた筈だ
という願望や偏見やイデオロギーに染まってないだけの話 石棺開けて、長頭で指が3本で2メートルくらいの骨が出てきたら、
SSS級になりますか? >>613
間違いなく世界的な大ニュースになるね。
人類に似た人類ではない何者かが出てきたら。 >>605
半島支配は中国や朝鮮の資料からも史実だよ
でもそれを行ったのがヤマト王権では無い可能性があると言うこと
つうか紀元前から日本の勢力が南部に入植していた痕跡もあるからな
むしろそれを認めないのは現在のチョン 九州説だと古代多元王朝説が現実味を帯びてしまうから万世一系好きの人には耐えられないかもしれない >>607
親魏倭王になる前から卑弥呼は女王なんだけど?w >>617
まあ王朝の定義が意味不明だけどなw
邪馬台国もヤマトも当時は地方勢力に過ぎず
結果として勝ち残った部族が、後世に王朝として
それまでの歴史を改竄して正当化するのは
古今東西よくある話 >>616
紀元前に「日本の勢力」なんてないよ。
水路移動の方が陸路移動よりずっと容易だった時代で、半島にも列島にも古代国家はまだ出現していない。
国家も国籍も国境もない。
半島から列島への入植もあったろうし、逆もあった。 >>611
いや、本物は現在行方不明だけど、邪馬台国時代にレプリカ作られたなら 本物 ではないって可能性の事
出土したのが後漢から送られた本物とは限らないって事 >>500
滅ぼされた出雲、、、銅鐸銅矛を放棄した?
荒神谷遺跡 >>606
日本海側の粛慎=蝦夷?を阿倍比羅夫が交戦、服属させた >>605
逆だろ
伝聞を元にして何百年も後にできた神話を頼りにしないと成り立たない畿内説なんて、もはや説とすら言えない ちなみに福岡県看護協会の会長さんは
大和日美子(やまと ひみこ)さん
これ豆知識な >>612
九州説のスタートは本居宣長とかの江戸時代の国学者が
「偉大なる大和朝廷が中国に朝貢なぞするわけがない!だから中国に朝貢してた邪馬台国は九州の小国でしかない!」と
イデオロギー満載のネトウヨみたいな発想から言い出したんじゃなかったっけ >>511
同意。鉄器→殺傷力高い武器で殺し合っていた。一方の奈良、当時は平和。つまり邪馬台国ではない 邪馬台国関連で日本書記を持ち出すやつは偏差値40未満 >>622
レプリカ作るから貸してくれと申し出るのか?
そして、純金でコピー作るのか?
誰がなんのために >>621
その通りだな
しかし壱岐対馬は倭人が支配してたことをを考えると半島からは思ったより少ないだろうね
倭人が朝鮮半島に向かう方が圧倒的に多かった 壺は日本書紀を目の敵にしてるからなw
有名な安本さんもなぁ。想像に難くない。 >>514
金銀サクガンの大分県日田市あたりから出ると思うよ。
「日」だからね。ひみこ 畿内説なんて万世一系をゴリ押ししたいだけのカルト宗教だからな
発掘調査を素直に見れば畿内説なんて「そういう考え方も完全否定はできないよねー」レベル >>629
倭の五王も朝貢してるし、遣隋使や遣唐使もいるのに、江戸時代の学者は馬鹿だったといいたいのか? >>629
ソイツを根拠に九州説唱えてる人間なんかいないぞ
大抵は魏志倭人伝の記述や出土品や遺跡を根拠にしてる >>627
すごい名前だw
親御さんが狙って付けた名なのか、結婚によって偶然そうなってしまったのか。 >>636
万世一系と言いつつ独身の卑弥呼を系図に入れる意味がわからんw
切れとるやんw >>519
今の地形図よりも当時は内陸に海が入り込んでいた。
つまり、吉野ヶ里遺跡は海岸線に近かった。
久留米あたりが邪馬台国のあった地域と思われる。 >>621
国家というか部族勢力な
紀元前の弥生式土器は半島南部からたくさん出てるし
紀元前後の倭国の北限が朝鮮半島に入り込んでるのは
当時の中国側の古文書もあちこちで書いてるよ >>627
これで下山門か上山門にすんでおられたら完璧だなw >>523
東に落ち延びたのを、、、東征と言っているだけだよね >>629
そもそも魏志倭人伝が九州までしか書いてないから、邪馬台国があるとしたら九州しかありえないという当たり前の結論が出てるだけ
当時の発音すらわからんのに邪馬臺国はヤマトと読める!
後の大和政権だ!っていう意味不明のスタートが畿内説 昔のワイ(邪馬台国に観光に行って 卑弥呼と握手した記念にレプリカ金印買ってきた
お宝だから庭に埋めとこ ちなみに隋書では畿内ヤマトのことをヤミェツァイと書いているのだった…… >>613
長頭ならトンカラリンの近くから出てきてますねw >>641
だから差し障りのない神宮皇后やモモソヒメが卑弥呼と畿内説はでっち上げる >>568
とある古墳盗掘からだったかもね。犯罪になるから隠した、と >>645
そのグローバル常識が日本の学者には無い
学者面した思想家だよ 岸田の「岸」の読みは「き」+「し」。これは「木」+「子」。縦に並べると「李」。
安倍もそうだが、、、、そういうことらしいよ。
↑いきなりのぶっこみ >>633
時系列が大事だと思うよ。
半島から列島に人々が入植したのはいつか。
倭人という概念が生まれたのはいつか。
倭国という国家概念が生まれたのはいつか。
壱岐対馬が倭人支配となったのはいつか。
半島南部が倭人支配となったのはいつか。
半島や列島に水稲が開始されたと同時に、倭人と半島人という概念が発生したわけではないと思うから。 >>655
トンカラリンはなんか怖い
あれ旧支配者とかそれ系の不気味さ >>588
鹿児島の薩摩半島にはニニギは海岸に流れ着いたという言い伝えがある
それなら地元豪族のコノハナサクヤとくっつくのも自然だしここは史実っぽい >>637
横からだが、宣長はバカだったと思うよ。
論文を書くときに、事実と思想を分離できてない。 >>633
狗邪韓国は恐らく後の伽耶なんだろう
後の時代にも朝鮮南部には倭館という日本人の根拠地がある >>634
安本美典は在位年数以外はほぼ記紀に沿った考え方と思うけど >>640
意味が分からんな。
邪馬台国が大和朝廷と同じなら天皇家の先祖が中国に朝貢していたことなるし
邪馬台国が九州にあって大和朝廷とは別の政権だったなら大和朝廷は中国に朝貢していないことになる。
筋としては畿内説の方が中国人や朝鮮人は嬉しいのか? 勾玉はでてくるだろうか
翡翠かガラスか瑪瑙か楽しみだなw >>662
稲作の伝播は
遺伝学的にも日本→半島ルートなんだよな
南方植物の稲が、北から南に伝播すると言う非常識を
チョンは理解しないけどw ⚪︎水行は一日千里とし、日程は天候待ち等もあるので十日単位で表記
⚪︎陸行は一日百里とし、日程は道路状況等もあるので十日単位で表記
この条件だと
帯方郡から狗邪韓国までは日程水行二十日で六千里
狗邪韓国から末盧国までは日程水行十日で三千里
末盧国から邪馬台国までは日程陸行一月で三千里
ということで合計一万二千里で、記述のある里程とも「だいたい合ってる」 >>665
半島からの入植???白村江以降だろう。しかも倭人の支配地域から。 そもそも距離の大きさは体感的な距離を示していて数字にほぼ意味がない可能性はあるの? >>662
倭人はそこそこ古いのでは日本国ができたのは白村江以降 >>664
倭人が隼人と混血していったエピソードかな? 金印は学者の優秀さだけで決めてはいけないが
かの宮崎市定ですら疑問視してたものだから
一からって言うより多分金印でなく存在してたものを
金印として複数作ったがいい線じゃないかと思う 中国人「この国の名前は何ですか?」
九州人「ああ?せからしか仕事の邪魔たい!」
中国人「じゃまたい国と」 亀塚古墳の資料館には翡翠の小さな勾玉がたくさんと、偉い人がつけてたであろう、大きな瑪瑙の勾玉が展示されていたが今回は何がでてくるだろうか(^q^) 万世一系に一番都合が悪いのは畿内説なんだよな
だから「あんな女酋長の土人国が日本国のルーツなはずがない」って国学カルトがでっち上げたのが九州説だしw >>671
そういうイデオロギーで科学を語るのはおかしくない?
証拠のみで判断すべきでは? >>672
翡翠かガラスだったらふーんで終わる
メノウだったらかなりザワザワする
皇室の三種の神器の玉は赤い勾玉という伝承があり、メノウ製だと推定されている
翡翠だったらちょっと残念 八女が候補に上がってくると、お茶を飲んでくつろいでる卑弥呼様が御当地キャラになる >>670
邪馬台国 大野説だっけ?
確定したら、ぼろくそに言われそう 古事記は学術的洗脳書だな!
日本書紀は日本乗っ取り記紀! >>670
神武を2〜3世紀ごろの人物に比定すると、辻褄合うからね
皇紀2600年!!とかやり始めると、卑弥呼は神功皇后ダーとか
纏向遺跡は邪馬台国ダーみたいな珍妙なこじつけになる >>616
対馬だって、朝鮮と倭で、とったりとられたりを繰り返して
倭の漢委奴国王が安定的に利用できるようになったのは
204年に父の後を継いで、後漢の遼東太守となった公孫康が帯方郡を設置して、韓や倭を統治してからだからねぇ
それも、後漢から皇帝の座を強奪した魏が、
帯方郡を設置して、韓や倭を統治してた後漢の遼東太守の公孫氏を滅亡させる戦争で、
公孫氏に統治されていた漢委奴国王は安定利用できなくなっちゃったけどね
そのときに、公孫氏の支配を受けていない邪馬台国の卑弥呼の使者が、一大国・対海国と、対馬を使わずに帯方郡に来るのよね >>686
八女でも弥生後期の集落が発見されてたぞ
名乗りをあげてもいいんじゃない? >>678
平安時代の文献に「姫氏国」と対外的に名乗っていたという記述がある
奈良時代はわざわざ宇佐まで御神託確認しに行ってるしあの時代には常識だったことが色々忘れ去られてるな >>671
日本書紀に朝貢なんて書いてませんが。卑弥呼って神宮皇后のこと言ってるんですかねーwと書いてるだけw 隋書によれば魏書でいうところの邪馬台は大和だという認識は明らか >>685
現代では瑪瑙は一番安価な石だけど昔は偉い人が身に着けていたとは意外だよな
逆に翡翠のほうを民に分け与えてるあたり、翡翠は多く出回ってたんだろう
翡翠の勾玉は小指サイズで本当に小さかった 大和は九州
日本は神武天皇の成立まで待って畿内
何が問題なの? >>696
隋書によれば東に海を渡った先に畿内ヤマトがあったことが明らかになるのだ >>692
いろいろ誤解があるかも
奴国はかなり前からあるよ >>696
遣隋使(ヤマト政権)がそう説明したんだろ >>696
ヤマト的にはそういう嘘をつくわなw
正統性が欲しいわけで。
でも旧唐書で、中国側から倭国(邪馬台国)とあんたらは違うよね?
と突っ込まれてて笑う >>652
お土産はないにしても
当時レプリカ作られて各地に広まった可能性はあるよな まあ確定したら正しかった方が真ひみこちゃん
違ってた方が人々の想像から産まれたひみこオルタちゃんとしてそのままご当地キャラやれば良い >>696
隋もわかってないよ
行ってみたら道のりがまるで違うから倭人は里を知らないと書かれている
魏志の里数行程は倭人からの伝聞だと思ってだんだろう
一応魏志を尊重しながらこれが邪馬台だろうと言ってるだけ >>695
神功皇后が摂政になってから卅九年、是年也太歲己未・・に
魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也。」(西暦239年)
をやりました
神功皇后が摂政になってから卌年・・に
魏志云「正始元年、遣建忠校尉梯携等、奉詔書印綬、詣倭國也。」(西暦240年)
をやりました
神功皇后が摂政になってから卌三年・・に
魏志云「正始四年、倭王復遣使大夫伊聲者掖耶約等八人上獻。」 (西暦266年)
をやりました
と、ハッキリ書かれている やはり弥生時代の九州地方は外国勢力に乗っ取られまくられていたんじゃん!w
もしかして倭国は日本乗っ取り外国勢力か?www >>694
姫氏は周の名前じゃん
なぜ姫氏を名乗ったんやろ >>690
欠史八代説と神武=崇神説で卑弥呼の頃を崇神にすればだいたい合ってる
倭国大乱で先に饒速日が奈良に逃げ出したとかもいけるかなあ? >>696
隋使裴世清は九州の宇佐神宮辺りをヤマトの都だと誤認してる可能性が高い >>704
三角縁神獣鏡と一緒で
後世に権威づけのために複製された可能性はあるよね
まあ鏡の方はそもそも日本オリジナルのようだけどw 風の神さまシナツ彦シナツ姫
猪名の枕詞がシナガ鳥
シナ照は片岡やにほ鳥の枕詞
にほ鳥は邇本鳥とか表記するね
日本ニホンの元ネタは邇本にほかもな >>694
今の常識は捨てないといかんよね
出てきた証拠を自分の常識に当てはめて都合の良いように解釈する
人というのはかくも客観性を持てないものなのかと実感出来るスレだよ此処は
そういう意味じゃAIとかに任せたほうが正しい推測をだせそうな気がする
利害関係の絡まない外国人の研究者に資料提示して判断してもらうのも有りかも >>674
中国は北方が小麦圏南方が米圏
なぜか北方と地続きの朝鮮半島で米を作り
それが日本に伝わったとする説に
未だ賛同示す奴がいるのが日本の考古学者 >>707
並べて書いて魏志倭人伝と違う内容が書かれてるんですがw
摂政ですよ。行間読めない人ですか? >>707
史実の卑弥呼を
無理矢理皇統に押し込めようとした記紀編纂者の苦労が忍ばれるよね
巫女だとか一生独身とか言う中国側の記録は
一切切り捨ててるけどw >>704
金印のレプリカ作らせるとか頭わいてるとしか思えないんだが…
なんのためのハンコだよw >>709
呉の太伯は周の始祖(古公亶父)の長男なのですよ >>684
まあ歴史ってそもそもイデオロギーなので >>707
神功皇后なんていなかったよ
明らかに捏造
>>462の一大イベントを日本書紀古事記編纂した連中は史実として書いていない。
神話だと思い込んでいる。
つまりその時代に大和朝廷は九州には存在していない。 >>708
乗っ取られたならこんなハプロ構成してない
長江系と黄河系に影響受けて、最終的に縄文、長江、黄河が混ざり合って落ち着いたとしか見えない >>722
なるほど!
だから姫氏を名乗ったのか
スッキリした >>711
纏向遺跡もヤマト王権と関係無さそうだからなあ
最近の研究で、あれは4世紀ごろのものと推定されてるけど
その当時ですらヤマト王権は畿内でゴニョゴニョやってた一部族に過ぎない可能性
前方後円墳ビジネスで一気に勢力広げてからが
ヤマト王権の本番だよね。 >>696
裴世清が卑弥呼に金印を授けたわけではないので根拠にはならない 邪馬台国とかその種の国らしきものが
あっただろうというのは正しいが
距離方向大きさ等は一切信用できない
それを信用して日本の考古学者が
議論してるうちはダメ
あれが信用できるというのは日本の古代天皇の
数百年も正しいと言ってるのと
一緒なんだということがわからないのが日本の考古学者 >>721
文字もない当時、ハンコの意味理解できてたのだろうか
ただの装飾品と考えていたとか? >>699
後漢書によればその位置は狗奴国があった 読み方が似てるからという理由で現代人が思いつきで言ってるわけではないということ
真相は分からないけど中国側にも昔からそのような認識はあった
高句麗遠征している隋代になっても倭国の地理が全く分からないなんてことはないだろうとは思う >>731
> 邪馬台国とかその種の国らしきものが
> あっただろうというのは正しいが
> 距離方向大きさ等は一切信用できない
魏晋南北朝史学会の教授が「陳寿が集めた情報を全て盛り込んだせいで矛盾だらけ」と指摘してるのが示唆に富んでるわな 古事記は神社の教典、日本書紀は中国に対する日本の説明本
その辺は多少は考慮しないとなかなか議論は難しいよな >>731
ああ、それがいいたくて金印はニセモノとぶちまけてたのか >>731
飯のタネだろ
生活の為だよ
話題にしておけば本も売れる、メディアの出演料も入る >>734
周辺諸国の地理や勢力の把握は
国防に関わる話だからね
単なる聞き語りの記録では無い >>732
弥生後期から硯はあるから文字もあったでしょ。現物が残って無いだけで。 >>665
今の学者もそんなのばっかだろ
客観的に見たら九州しかありえない邪馬台国の場所を思想で無理やり他にあることにしたがってるんだから 邪馬台国が連合国であるように大和も地方豪族の寄合で
内部で権力の中心が移動してたんだと思うわ 畿内説の学者が箸墓開けるの阻止ひてるんだろうな
箸墓は卑弥呼の墓ではないのだから大和は邪馬台国ではないんだよ 邪馬台国語るのに日本書紀だの古事記だの言い出す頭おかしい奴らには関わる意味がない >>716
日本は異説も残しながら統合していくので
ある程度根拠があり正しいことが書かれてるのが歴史書
異説は消すがおおむね正しいはヨーロッパも一緒
中国のは自分たちがいかに偉大かを
示すために書くのが歴史書なので
事実真実でないことだらけ
それをまず吟味しなきゃいけないのに
日本の考古学者はそれをしないというより
やる能力がない >>733
魏志倭人伝
其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王
女王国東渡海千餘里 復有國 皆倭種
後漢書
自女王國東度海千餘里至拘奴國 雖皆倭種而不屬女王
まとめて文字数節約するにしてもデタラメまとめすぎだろ……これだから中国の史書は…… >>743
まあ箸塚に限らず
皇室由来の墓は宮内庁が全面発掘させないからな
それを逆に利用してるのが畿内説ともいえる >>743
ミューオン使った箸墓の透視調査をやってたけど結果報告なし 神功皇后は応神天皇の母
応神天皇は実在するとしたら4世紀後半~5世紀初頭
だから神功皇后が実在するとしても卑弥呼ではない
もう全然別人 対馬って当時の名前も対馬国なの?
何気にすごくね? 九州人
あの宇佐神宮に祀られてる女神様がこの地を治めてた時にこんなことがあってなぁ(天の岩戸伝説)
日本書紀古事記編纂者
神様がこの地を治めていた時?
んなことあるわけないだろ、ハイ神話神話。
結論
大和朝廷は卑弥呼の時代の当事者ではなかった。
大和朝廷の成立は卑弥呼の時代より遥かに後。 >>743
流石に学者に宮内庁をどうこうできるような力はないだろう? >>743
名草戸畔みたいにバラバラにされて祀られてる可能性すらあるのにそんなこと言えん
現代の常識なんか通用しない >>751
すごいよ
ツシマのツという発音は朝鮮には発音出来ない
つまり古来からずっと日本の島 宇佐神宮の真下掘ったら絶対なんかデカい墓出てくるよな >>756
纏向が、邪馬台国ではない勢力の遺跡でおることは、もはや確定してる 箸墓はお茶屋もあったくらいだしとっくに盗掘はされたかもな >>758
箸塚古墳はモデルルーム説が面白かった
纏向遺跡はそのための展示場兼スタッフ養成所w
だから農耕具は一切出ないのに、土木用具は出てくる >>751
地名、特に島なんかは名前残りやすいだろうね >>751
たぶんそう
支配してたのは卑狗(ひこ)と副は卑奴母離(ひなもり)。聞いたことのある日本語だ >>758
いや逆
石室があったんだと思う
倭人の墓は槨無し(石室無し)と書いてあるから 卑弥呼だろ?
べつに呪術的な意味で九州、四国、中国地方、畿内から体の一部ずつ全部バラバラに出てきたって驚きゃしない >>762
出たと言う記録だけで
誰も検証出来てないのよ 九州もシャーマン男王がいれば滅ぶことはなかったかも >>760
たしか改修の際、目撃されている
蓋の合わせ目に真っ赤な丹が塗られた石の棺
しかし宇佐神宮は卑弥呼であることを否定して開けさせないようだ >>772
朱が蓋の間から滲み出た石棺が目撃されている >>703
それは、大和朝廷は
「隋」や「唐」には、黙っていても、何度も挨拶に来たけれど
「後晋」には、皇帝になったから挨拶に来いと言っても挨拶に来なかったから
「後晋」が、大和朝廷なんか倭じゃねーよって唐書を書いただけ
まあ大和朝廷にしてみれば、唐の滅亡後に中原を支配した
5つの王朝(五代)と、華中、華南と華北の一部を支配した諸地方政権(十国)なんて、誰が統一するかわからんから、下手に挨拶には行けないわな
でも、そのあと中国を統一した北宋には、ちゃんと挨拶に行って、新唐書を書いてもらってる 本当は北陸で九州も畿内も全員騙されてただの詐欺師で赤っ恥の方が面白い >>724
全部「倭」とあるね。
「日本」じゃないだろw >>652
当時の日本は金の産地としては有名じゃないからねぇ材料としても簡単には手に入らないだろう
ヒスイや水銀では大陸からの需要はあったんだろうけど 宇佐が卑弥呼の墓
今回のは台与の墓
こんな感じ
そして箸墓は百襲姫の墓 >>749
山門(やまと)にはいたぞ
それどころか古墳時代の北部九州は巫女女王が何人もいた
中には八咫鏡を持っていたことも
ヤマト政権から滅ぼされたけどな >>707
その倭女王が誰なのかを断言する記載がない
神功皇后との関係性を誤読させようとはしているけど1世紀も違うから中国相手に関係性を断言する勇気はなかった 佐賀は四国に見習い、勾玉アクセサリーを早急に作るべきだ
四国の勾玉はガラス製だったが、佐賀は特産品の唐津焼で勾玉をつくれ、売れるに違いないな >>778
第二のゴットハンドが現れて、
卑弥呼って書いた石が発見されれば、あるいは・・・w
卑弥呼の時代、日本人が文字を書けたか謎すぎるがw 今日の分の調査結果発表は午後3時以降に現地で報告! 佐賀の唐津焼の青みは日本人うけする青だ、早急に唐津焼勾玉の制作に力を注ぐべきだ 自分対馬出身で対馬の方言だと畑を掘ったり耕すことを張る(パル)っていうんやけど
北部九州の地名で◯◯原をバル(春日原、前原、屋形原など)というのと何かつながりある気がして色々調べたら韓国語の掘るって意味だった
あと対馬から韓国に逆輸入で伝わった言葉に
サツマイモ(孝行芋/こうこも) = コグマとか
身近にそういう言葉割とあって発見するの楽しい
スレチだったわスマン 徐福も結局は日本に向けて
中国から出立はしなかった模様
しかしその伝説は残ってたみたいで
そいつらの子孫が増えてるはずだから
人手が足りないから攫いに行こうかって
意見が出たのが呉の国
揚子江超えたら米圏で食うものなくて
苦労したのが魏の国
中国進んでるって言ってもその程度 >>790
グーグル先生が言ってるもん
唐津(からつやき)は、近世初期以来、現在の佐賀県東部・長崎県北部造された陶器の総称。 日常雑器から茶器までさまざまな器種があり、作風・技法も多岐にわたる。 ニュースで見たが、発掘の経緯が面白いな。
神社が引っ越しして、学術調査可能になったらしいな。
この際、怪しそうな場所は、片っ端から神社に引っ越しして貰って(ry
やっぱ後の政権は、後ろめたさから神社を建立して、
「呪わないでね。」と封印したんだろうか? >>777
倭国と日本は別だと言い訳してるのは
大和朝廷側なんだが >>786
ゴッドハンドが現れるなら親魏倭王の金印を発見するだろ
これの本物が出て来たらほぼ決定的な証拠になる 金印?出てくる訳がない。神功皇后がポイ捨てしたからw >>793
戦国時代は砦でしたなんてのも多いから昔から見晴らしの良い高台で好立地なんだろなw >>790
じゃあ有田焼だ、有田焼で陶器勾玉を作ろう 今日は非公開で作業らしいな
15時くらいからメディアに報告会あるらしい >>779
倭国が日本を統治していて
継体天皇辺りで皇室が倭国を乗っ取って
倭国の歴史を皇室の、大和朝廷の歴史にすり替えたんじゃなかろうか。
歴史から消し去りたい人物や氏族の功績を聖徳太子に付け替えたように
倭国の軍事的な実績を神功皇后という存在をでっち上げて付け替えたんじゃないかと。 >>799
週末は台風が来るらしいから忙しないな
台風対策はしっかりして欲しい まだ独身の卑弥呼を神功皇后だったことに捏造してるのか
これだから畿内説は >>801
統一教会なら右寄りなんだからマンセー一系史実なのでは? >>750
15代の応神天皇はもう少し前かも?
21代の雄略天皇が470年代に奈良県の斯鬼宮にいた事が金錯銘鉄剣に書かれている
案外記紀の年号はあってるのかも知れないよ?
記録に残ってない天皇がいるのか、空位期間があったのか >>805
統一教会は天皇は悪魔。
つまり、もともと大陸から来た朝鮮系の支配していた土地を姑息な手段で奪った悪魔という考え方。GHQ作成のシナリオにのってるだけだがw
いわゆる保守系にもビジネス右翼はGHQのサポーター。東大まで完全に毒されて、聖徳太子はいなかったとか言い出す始末。 万世一系というのはある程度正しいが
そりゃ古代は色々あったろう
それが歴史学にも共産主義の影響受けて
0%か100%で論じるやつがいるからおかしくなる
天皇家皇室が上にいるのを否定したいために
古代を研究したって意味がない 邪馬台国のスレまで来て自民ガー壺ガー
これがカルト畿内説 >>807
聖徳太子に関してはイデオロギーじゃなくて純粋に学術的な分析の結果だろう。
215 ウィズコロナの名無しさん 2023/06/01(木) 03:12:48.77 ID:nU9wtKNd0
>>209
日本には世界最古の会社金剛組があってその会社を設立したのが金剛重光という人物なんだけど
その人物を百済から呼び寄せたのが聖徳太子でそれが記録では578年
これをまともに信じるなら聖徳太子は4歳の時から政治に携わっていたことになる
聖徳太子ってのは複数の人物が成した功績をつなぎ合わせて作られた人物、ってのが今の定説じゃね まあ、ほんと何が出てくるか楽しみだな。
墓内は土砂に埋もれていたそうだが、骨が溶けずに残ってる事を期待したい。
ゲノム解析から土着なのか、渡来なのか解りそうだ。
副葬品も土に還っていない事を祈るw >>809
自民がーと言い出したのはおまえwそして畿内説を壺がーと言い出したのもお前。完全に論破されて馬糞の流れになるw >>806
4世紀初頭以前の年号は大嘘だろうけどね
おそらく神武天皇のモデルとなった人物が
九州や畿内の大勢力の陰でチョロチョロしてたのが
3世紀ごろかと >>810
それを信じるバカはいないw金剛組は四天王寺建設を請け負っただけ。 佐賀よ
今こそ
陶器勾玉をつくるべきだ
有田陶器市と邪馬台国を紐づけしてひと儲けしよう >>812
ほれ、壺ガーだ
801 新規スレ立て人募集 社説+の募集スレまで 2023/06/07(水) 13:09:15.64 ID:FRtEc0tP0
>>800
壺史観w 奈良には邪馬台国はないんだからアベベの慰霊碑で盛り上がるしかないよな >>811
まあ城野遺跡の例もあるし
骨はほとんど溶けてるだろな
でも未盗掘なら副葬品が凄そう >>814
それらしき物は出てないからな。大型建造物跡と桃の種では説得力ないやろw >>819
発表記者会見の第一声が、「長年の邪馬台国北九州・畿内論争に、
終止符が打たれました。」だったら、
日本史の21世紀最大の大発見になるなww >>811
鏡や鉾が出たとしてもボロボロだろうな…
あの土の質じゃ骨も土に帰ってると思うわ
勾玉と金くらいじゃないかね
貝の腕輪が出れば上等くらいに思ってる >>789
原をばると読むのは南九州も同じだから語源が違うと思う とにかく箸墓古墳とかの陵墓を全部開けて、宇佐八幡宮の地下の棺も開けてみる
その他のあやしいとこも御神体でも何でも構わず全オープン
…てなことができない以上、どこまで行っても硬直状態かな 箸墓開けるならこっちだって宇佐神宮開けますから!みたいなオープン合戦になってほしい 吉野ヶ里遺跡等の本当の価値は
邪馬台国論争じゃなくて
何でもかんでも中国がー半島がー
特に半島がーがウソ八百ってことを
示してることなんだがな >>821
今までの発掘成果通り吉野ヶ里ヤマタイ詐欺終わり >>830
八幡神は比較的新しいというか外国からきた神様だっけ
謎が多い >>824
弥生時代の吉野ヶ里あたりの海岸線は今のJR長崎本線の線路のところ
46は多分ギリセーフ >>830
キリスト教とかだと割と平気でやるよね
教会の床剥がしたり、聖人の遺体を掘り起こしたりw
日本はそれをやらないのが美徳ではあるけど
そこに甘えた学者が蔓延るのも考えものだな もう親魏倭王印出てきて良いよ
戦いは終わりにしよう… >>834
畿内説詐欺にとっても
状況はなんも変わらんけどね >>789
連レスで申し訳ないけどこのサイトの邪馬台国女王連合の国に~バルの地名が分布してるんじゃないか説が面白かった
確かに狗奴国エリアが空白になってる
https://www.shochian.com/harubaru.htm >>275
三角縁神獣鏡とかいう国産の偽鏡を根拠にする様な畿内説w >>828
やっぱ高温多湿の日本の風土は、
日本の考古学最大の障壁か・・・
なんか出て来てくれと祈ってるw >>810
聖徳太子は、没後一族皆殺しみたいな悲惨な事になっている為、
殊更立派な贈り号を与えられていると考えられますね。 >>783
違うよ
>>695
神功皇后が摂政になってから卅九年、是年也太歲己未・・に
魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也。」(西暦239年)
をやりました
神功皇后が摂政になってから卌年・・に
魏志云「正始元年、遣建忠校尉梯携等、奉詔書印綬、詣倭國也。」(西暦240年)
をやりました
神功皇后が摂政になってから卌三年・・に
魏志云「正始四年、倭王復遣使大夫伊聲者掖耶約等八人上獻。」 (西暦266年)
をやりました
と、ハッキリ書いたのは
大和政権が招聘した
唐(618年 - 907年)の第2代皇帝「太宗」の命令で
『北斉書』・『梁書』・『陳書』・『隋書』・『周書』と『晋書』を編纂した唐の学者たち
つまり、卑弥呼=神功皇后は、中国の伝承 佐賀県だから、韓国で発掘した何かをまぜくる可能性がある
発掘にかかわってる人の歴史認識や帰属意識調べたほうがいいよ
あの県はすでに乗っ取られてる >>830
どこそこの陵墓はウリの縄張りで
ウリの許可がなければ発掘させないニダよってこと。
でも全部税金だろ。
宮内庁だけどね。 >>835
>>507にある資料が本当なら
漢委奴国王の四男坊の神武天皇(皇室の初代)の血筋を天皇家に押し上げたのが
渡来系の氏族なんじゃないかと思うわ >>783
違うよ
神功皇后が摂政になってから卅九年、是年也太歲己未・・に
魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也。」(西暦239年)
をやりました
神功皇后が摂政になってから卌年・・に
魏志云「正始元年、遣建忠校尉梯携等、奉詔書印綬、詣倭國也。」(西暦240年)
をやりました
神功皇后が摂政になってから卌三年・・に
魏志云「正始四年、倭王復遣使大夫伊聲者掖耶約等八人上獻。」 (西暦266年)
をやりました
と、ハッキリ書いたのは
大和政権が日本書記を編纂するために招聘した
唐(618年 - 907年)の第2代皇帝「太宗」の命令で
『北斉書』・『梁書』・『陳書』・『隋書』・『周書』と『晋書』を編纂した唐の学者たち
つまり、卑弥呼=神功皇后は、中国の伝承 >>828
まぁ神社があったから大丈夫かと思うけど盗掘されてないといいね、亀塚古墳は盗掘によって石棺が破壊され、大半の副葬品も持ち去られてしまっていたらしいからなぁ >>843
鹿児島の霧島市あたりまですっぽりだね
この狗奴国のでかさなら邪馬台国が手を焼くのも頷ける >>846
纒向遺跡の想像図見てみ
3棟構成の建物以外は全部誇大妄想
縮尺比率もおかしい >>852
平和ボケやめる事実がたくさんある佐賀県に関しては
一応未来予測として残しとくだけ >>853
日本に限らず、持ち去られた副葬品ってその後どうなってんのかね
金なら溶かして売られちゃいそうだけどさ >>856
あなたの内に住む韓国勢力と戦い続けてください。 >>857
自分ならメルカリに出すかな( • ̀ω•́ )✧ >>856
佐賀の在留外国人はベトナム人が大多数で時点が中国人でさらに次に多いのがフィリピン人 >>857
メルカリかヤフオクに出品するよ!(๑•̀ㅁ•́๑)✧ >>789
めっちゃ面白いよ
ブログでまとめて発表したら読む読む そういえば日吉神社がまだ建ってた際に
参道に石棺(石室?)の平石みたいなのが3枚放置されてたけどあれはどこの石なの?
神社内にすでに発見されてる遺跡があったの?
盗掘か解体されてるとかではなくて? >>837
玄関入り口に、エジプトのミイラ飾っていたりと、
西洋人は探求心が冒涜意識を上回っちゃうんだろうな。
まあ、インディ・ジョーンズ博士みたいに、「職業?墓泥棒さw」
ってくらいじゃないと、真実は解明されないのかもなw >>862
人畜無害とは言わんが、日本乗っ取りを掲げてる民族とそうでないニューカマーとの違いがある
警戒しないと火消しとなって対処できんようになるぞ
結局壺も陰謀論じゃなかった
タイムリーな話題だとレーダー照射はいくらなんでも不問にされない前提も、結局妥協が決まった
それらは全て甘い未来予測をしつづけた結果だよ
陰謀論と言われるものの扱いは、白黒確定するまで「黒よりのグレー前提」で予防しつづけること
そして、白黒ついて白だったときにはじめて「杞憂だった」ですむ
もし黒なのに白扱いして陰謀論扱いしたら、黒だったとわかっても、時すでにお寿司ってやつだよ >>857
どうなってんだろうな。
妄想するに、
各時代のプロの盗掘人は、闇ルートもっていて、その時代の骨董マニアに売りつけている。
それとは別に、各時代の土木工事事業者が、発見したものは、記念品として家に持ち帰っている。 青銅や鉄は、鋳つぶして別のものをつくることができるが、骨董の青銅器を鋳つぶすって相当切羽詰まった状況だよな。 >>13
12000里は女王国までの距離だ
>自郡至女王國、萬二千餘里。
だから近畿に届かなくても問題ないんだよ
12000里を邪馬台国までの距離に読み替えたら陸行1月と整合性が取れなくなるだろ もう遺跡は無いって
戦後開発のDQN建設会社が遺跡あったけど面倒だから更地にしちゃいましたテヘ☆でもう消えてるし まだやってるのか?
九州にいて日本全体を支配することはできないよ
邪馬台国は畿内に決まってるわ、いい加減うざい >>874
邪馬台国が日本全国支配した
なんて誰も主張してないだろw >>857
ホモ・サピエンスのやることだから、
市場で売っちゃうとか、兎に角日々の飯に変えちゃってるだろうな。
泥棒にコレクター気質があったのなら、自分で所蔵しちゃうだろうけれど、
基本は売り払って、その時代で価値あるものと交換しちゃうだろう。 大和政権が日本書記を編纂するために招聘した
唐(618年 - 907年)の第2代皇帝「太宗」の命令で
『北斉書』・『梁書』・『陳書』・『隋書』・『周書』と『晋書』を編纂した唐の学者たち
にしてみれば、中国の正史である『魏志』(倭人伝を含む)に記載されている卑弥呼と邪馬台国の出来事を
日本書記に記載しないのは考えられないわけで
大和政権とのすり合わせの末に「神功皇后の時」にしたのだろう 糸島の前原あたりは畑潰して家建てようとするたびに土器やら貝やらジャンジャン出てくるけど報告が面倒だからそのまま家建てるって聞く >>874
逆になんで機内なら日本全体支配できるの?
そもそも日本全体ってどこからどこまで? >>874
邪馬台国の傘下も北部九州だけなんじゃね?
当時のクニなんて郡レベルじゃん
九州だけで100くらいあっただろうし、本州四国はもっとあたったはず
北部九州だけの範囲なら、そら狗奴国から滅ぼされかけるだろうし、畿内のヤマト政権にあっさり負けたんだろう 奈良県民も気が気じゃないだろうな
「ひみこちゃん」とかいうゆるキャラまで作ってるしw >>872
女王国に属する伊都国までが10500里>>119
もうその主張は飽きたわ >>878
金印が出てきても知らん顔した奴いそうだよね
親魏倭王?知らんわって >>878
文化財包蔵地は文化財保護法で届出が義務付けられていたはず
公務員が無料で発掘してくれる >>874
邪馬台国の時代にゃ国内統一政権とかまだまだ無くて地方政権乱立時代よ? >>882
それが不思議な事に奈良の人は割と九州説なんだよ なんで大和=勝ち、偉いみたいになってんの?
大和なんて日本に下剋上されて滅亡した負け犬だろ? >>374
学会は畿内説ってどこの話よ?
纏向遺跡の発掘を主導した関川尚功氏からして大陸や九州との交流を示す出土品が乏しい纏向遺跡が邪馬台国だったのはありえないと主張しとるで >>888
意外
町おこしのために頑張ってんだと思ってた >>870
>>876
どっかの家に盗掘品が受け継がれてんのかな
でも代替わりの時に表に出てきそうなもんなんだけどな >>884
金は錆びないし変化しない物質なのに、気づかないものかな? >>883
>>443を見てもわかるように>>883は島の距離を計算に入れていない >>893
気づいてて知らん顔ってことよ
だって、自分の家を建て替えたいのに住めなくなるじゃん >>883
>>438を見てもわかるように>>883は島の距離を計算に入れていない いい加減うざい
九州の北半分だけ支配しているようなヤツをシナも珍重するわけはない
日本の支配者だから特別視して歴史にも書いてあるの
卑弥呼は畿内、九州にいて国全体を支配できるわけはない >>886
義務付けられてるけど従ってたら家建たないから業者と相談して無かったことにするらしい
発掘してもらっても住人からしたら迷惑なだけだし >>886
発掘してる間土地使えないからね
工事始めてから見つかると本当に面倒なんだよね
せめて土地の借用料払うとか最低限ほど保証をしないと貴重な資料が葬られる
悲しい 奈良は邪馬台国じゃなくても、大和政権という蛮国邪馬台国より誇らしい歴史があるからな。邪馬台国は奈良にとってオマケみたいなものだろ
ただ現代の観光地となれば、どちらが人気かはわからないけど >>882
何事もなかったように、「モモソヒメちゃん」と改名するから大丈夫だ。
桜井市の堺の大看板「ヒミコの里にようこそ!」も同様。 >>897
「卑弥呼の九州邪馬臺国が東征してヤマト朝廷になった」とかいう九州説が無いとは言わないけど最近のねらー見てると滅多にいない極少数派かな…… >>897
お前がイデオロギー的に受け入れられないだけだろw >>886
大阪堺市のクズ達は世界遺産を破壊しても平気
既に半分世界遺産を破壊した
古墳内部のお宝全部ゴミ捨て
大阪堺市は人間のクズ
逮捕して刑務所へ入れろ! 親魏倭王の印もすでにどこかの畑で見つかってて神棚か倉の中にでも仕舞い込んであったりするのかもなw >>908
先祖代々のガラクタの価値って意外と気づかないものだしw >>897
交易品による。
中国で高値で売れるものが安く買えるなら
充分に価値がある。
或いは日本上陸の橋頭堡になりそうなら友好関係を維持するのは国益に叶う。 >>888
まあ、北九州・畿内と両方に張ってた方が、
外れた時、ダメージは少ないさw >>896
>>438見て何が分かるのか全くの意味不明 >>912
伊都国まで12000里だぞ
対馬の北端周辺から南端周辺までの里数と壱岐島の北端辺りから南端辺りの里数‘を足してみろ’ こんなところに「ぼくのかんがえるやまたいこく」書いてないで論文にしろwww 畿内説派は焦ってるね。弥生時代の石棺墓に丹が確定すると考えたら怖いよね。 >>915
ん?あれ普通に丹だと思ったけど
何か困るんだっけ? 魏志倭人伝の行程の解釈なら
中国史を専門とする中国人が魏志倭人伝を読んで
三人とも九州北部で意見が一致したから
日本人同士の議論は無意味。
完全に時間の無駄。
九州北部でファイナルアンサー >>902
邪馬台国は提携出張所
はむかったり言うこと聞かなかったら大和王権に潰される出張所 近畿「近馬台国と近弥呼って名前にしてない?九州さん」 九州に丹が無いから九州はあり得ないってのが
近畿説の主張にあった気がする >>895
なるほどな
つまりは真相は闇の中
何十年か何百年かしたら見つかることもあるかもな >>913
対馬は北端から南端までは必要ないかも
多分巨済島から久原か木坂あたりに渡って南下し、船越から東に抜けて厳原から壱岐へ渡るルート
対馬は山ガチすぎて戦後までの交通網は殆ど櫓漕ぎ舟だったみたいだし
当時も歩かずほぼ船で移動したはず >>866
あそこ戦国時代は城だった様だから、
手頃だと思って石棺墓ぶっ壊した跡かもな。
大和郡山城とか忍城も周辺の古墳壊しまくった城だし >>914
このスレは9割がた「ぼくのかんがえたさいきょうのやまたいこく」だからなw
実際のところは当時祭祀の中心がどこにあったかなんて物証がないことにはわからんのよな
それこそ神功皇后の伝承通り筑紫橿日宮に一時的にあった可能性もあるし >>882
ももそちゃんみたいな名前に改名すればいい 出張旅費ピンハネする為に確認できないだろうと、
ヤサイマシマシチョモランマレベルで距離も日数も盛ってるんだから近場の九州なんだよ 宮内庁から俺様ちゃんの元に続報が来てないわけだが
朱塗り粘土の下から何か出たのかね? >>913
お前本当にアホだな
九州上陸からは国の端からの距離なんて計算してないだろうに、都合が悪くなったらそんな屁理屈言い出すのがマジでゴミクズ
全く聞くに値しない >>874
もう畿内説は死んだんだよ。
邪馬壹國は倭の連合国であって、日本の統一王朝じゃ無い。 女王国は帯方郡から女王国まで1万2千里の距離
邪馬台国は通説の連続読みなら投馬国から邪馬台国まで水行十日陸行一月の距離
榎一雄の放射読みなら伊都国から邪馬台国まで水行十日陸行一月の距離 >>908
宗像大社か宇佐神宮の宝物になってるのが最善だな。 >>916
マジか!?知らないなら黙って畿内説のフィクションを涙目で信じなさい そもそも女王国が邪馬台国を意味せず、連合の領域を示すなら、
「自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳」以下の文章のようには書かないだろう
明らかに女王国の領域と、都の邪馬台国は書き分けている
つまり、12000里が邪馬台国の場所 >>936
そもそも当時の中国人はちゃんと正確な数字を書いてたんか
こんだけ遠くのとこから朝貢しに来たんだて雰囲気さえ伝わればOKて感じの
適当さとかないか >>935
同時代の城野遺跡と同じだとすれば
水銀朱で中国からの輸入品 畿内派はヤマタイコクゥー、ヒミコォーって響きが好きなんだろうけど地理的どう考えても無理
そもそもそんな時代に畿内から九州にかけて、あるいは九州から畿内にかけて日本に統一国家があるわけがない
そして魏国の特使がわざわざ畿内まで行くかよw常識で考えろw >>944
確かに島の距離を計算に入れなければ書いてある距離と合うな
陸路は直線距離で距離が合うし 宗像大社の宝物展見に行ったけど沖ノ島の宝物が鼻血出るくらい凄かったな
金の指輪や土器や鉄器があんなにザクザク露天に置いてあったとか信じられん
やっぱり強い信仰で守られるのが一番安全なんだなって思った >>556
当時発見されてない字体が一致したのがわかったから
ほぼ百本物 >>947
漢委奴國王印は沖ノ島に有ったのを黒田が盗んだ物と見てる。 >>941
そうだよ
女王国と邪馬台国は使い分けられている
自郡至女王國萬二千余里
女王国まで12000里だろw
自己矛盾に気付いてないのか? >>924
畿内説は日本書紀基準だから丹の採掘技術を持った秦や波多が弥生時代からいたら困る >>941
1か月あれば余裕でそんな距離は通り過ぎてしまうw >>947
宗像もすごいが大三島の大山祇神社も国宝だらけですごいぞ
瀬戸内海の海運の要衝だったからな 記述によると海洋民族とのことだけど弥生時代の奈良や橿原の海岸線はどの辺だったの? >>942
当時の中国人の1里は400mだった説とか、
色んな魔改造ネタが出て来てるな。辻褄合わせる為なのか、
ガチなのか解らないが。
ここは当時の一日は地球の自転が10倍早く2.4時間だった説を(ry >>943
ベンガラも赤いし、ベンガラなら山で取れたりするよな普通に >>942
概数なのは当然だろ。2桁の精度も無いんじゃねーの >>956
大阪の南河内や和泉、摂津から山の間を抜ける道を通って抜ける >>942
でも島同士の距離や壱岐島の面積とかだいたいあってんだぜ >>952
論理破綻してるのはお前だよ
女王国とは邪馬台国のことを意味し、伊都国などは女王国に属するとし、連合の領域も女王国とは言ってない
一貫して邪馬台国のことを意味している 神主だったじーちゃんのハンコ入れ探した時はお札用のゴム印しか無かったな 邪馬台国はほぼ九州で確定。畿内説は終わり。次は卑弥呼の墓で九州説派の間で論争が始まる。
卑弥呼ちゃんは日田付近だと思うね。曹操の皇帝級の鏡はかなりのもんだよ。
しかし、吉野ヶ里の石棺墓が卑弥呼ちゃんだと完全決着になるのもOK >>960
ベンガラはもう少し後の装飾古墳で大量に使われてる
とくに熊本に多い。
水銀朱は貴重なので、今回の石棺がそれを用いているなら
埋葬者は相当に高位と言うこと。 >>954
水行20日だの陸行1ヶ月なんてまともに受け取ったらどこも該当しないよ >>840
へー
九州以外じゃ原をバルって呼ばないんだな
知らんかった >>956
あと東の海をこえると別の倭の国があるってのも付け加えといて
これで畿内とか言ってる人の脳に異常があることがよくわかるだろう >>975
佐賀昔からだよw何もないと自分たちで自虐してるしな(笑)(笑)(笑) >>973
常にバルと読むわけじゃ無いし
原田 ハラダ
草原 ソウバル 哀れな佐賀に邪馬台国、大和、卑弥呼、天照ぐらい全部くれてやる
どうせ、大した話じゃない >>955
宗像は不弥国説があるな
魏志倭人伝は何度か方角を間違えて書いているから
奴国の東の位置というのは奴国より北から北東の位置と読み取れる 佐賀と奈良はよく似てるよ
ひたすら田んぼ
金に汚い
被差別多い 邪馬台国を九州にしたいヤツってなんあんだろ?
もし邪馬台国が九州なら古墳時代の日本を支配していた王権・政権と邪馬台国は無関係ってことになる
魏志倭人伝が単に中国が日本の田舎の地方豪族と交流してた、ってだけになるんだが
それでいいの? >>970
まあ、考古学はロマンだよなぁ・・・w
男はそれでどんぶり飯三杯いけるから、厄介だw >>990
いいんじゃね
その代わりに日本書紀や古事記の技術も
大嘘ってことになるし >>989
吉野ヶ里のあたりの佐賀県南部は北部九州にあって被差別地域がほぼ無いんじゃなかったかな? >>991
それ富山に2個だけって書いてあったけど 九州の邪馬台国は畿内ヤマトに土蜘蛛として討伐された説を推すよ このスレッドは1000を超えました。
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