【佐賀】「邪馬台国」ひも解く手掛かり!? 吉野ヶ里遺跡で新発見の石棺話題に――関連株探る ★10 [樽悶★]
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佐賀県の国指定特別史跡「吉野ヶ里遺跡(吉野ケ里町、神埼市)」で新たに出土した石棺が、5日に開けられる。弥生時代の日本列島に存在したとされる邪馬台国の謎が解き明かされるきっかけになる可能性があるとして・・・
2023/6/1 12:38
https://kabushiki.jp/news/589754
★1:2023/06/03(土) 12:10:06.13
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1686041980/
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https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1685697010/ 桜井市の子供に大人気のひみっこぱーく閉館までのカウントダウンが始まったなw ひみっこパーク閉園で子供が泣きわめく姿が見ものだなwww楽しみだwww まあ、公孫氏からもらった玉璽が出てきて、吉野ケ里は魏の朝敵だったって結論になるぐらいだな というかこの人物は自分をこう称した、こう名乗った
ってのも歴史で史実なので皇紀もその内にあるだけだよ
例えばかなり決定的な証拠が発掘されて
女王国の場所が高確率で推定出来たとして
女王卑弥呼の鬼道が本物のまじないだったのか
みたいなオカルト検証までする必要はないわけで 卑弥呼時代が北部九州だった
なんて確定したら畿内説はたぶん
台与時代は畿内だったとか言い出すぞ >>433
アマテラスは最高神だからアレだが、須佐之男には何か意味があるんじゃないのか?
ヤマト政権の実力者から嫌われて出雲遠征を命じられたけど、みごとヤマタノオロチ(9国連合?)を打ち破り、出雲攻略に成功した、とかな ゴッドハンド()事件があってから日本の考古学は地に堕ちたわ。
海外の研究者とも見解が合致しない限り、信用ならない。 >>433
役職や部族の代表とかんがえれば居るんじゃない?
スサノオ、帥升、隼人族、出雲系、縄文を残す一族
アマテラス、天照、邪馬台国、大和、弥生系
でも、現代日本人の形成は日向、古墳人、神武天皇ぐらいまで待たなきゃならんのじゃ?
だから、関係あるとも関係ないとも言える >>131
信仰の側から見るとスサノオは渡来系
隼人が熱心に祀っていたのはツクヨミだね
隼人の神様だから朝廷側は記録も適当 今回は地中で石のフタされてたし、ゴッドハンドもできんだろ
成分分析もコンピュータによる解析も、昭和とは比較にならんだろうし つうか祖先の墓暴くのにウッキウキの市長に引いた
せめて慎重にお願いしたいとかの一言もないっつう >>430
>神武のモデルが3世紀後半ごろの人物とすれば
https://ja.wikipedia.org/wiki/海部氏系図 の勘注系図は相当古い時代まで、誰々の嫁(后/妃)はどこどこからが、各地の神社に記載が残る他の古豪族の伝承と一致するらしいので、神武ぐらいまではだいたいの歴史として再構成できそうだけどね >>434
それは完全に記紀の多くが嘘だねって前提がまだないから
学術として必要な視点
倭人伝の方にも多くの間違いがあるであろうってのも前提というか事実だし
まず仁徳陵とか発掘できないのは宮内庁だとか天皇家への権威、思想であって
学術ではないし >>445
いやゴッドハンドなんて古今東西どこの国もやってるからw
ピルトダウン人とか有名 >>449
邪馬台国がヤマト政権に滅ぼされていたら、支配者は殺されてるし、子孫なんていないと思うが >>444
元になったエピソードを推察するのは良いがそれが正史扱いはどうかと思うわ 神武のモデルは早くとも5世紀、ひょっとしたら7世紀くらいじゃないのかなと言ってみるテスト 神社や寺が忘れられた古墳の上に建ってるのはよくあること
日本中あちこち調査したらもっと色々出てきそうなもんだが >>443
ならないから安心しろ
卑弥呼や邪馬台国が存在した2世紀から4世紀にかけて、農民がいた痕跡が全く無い纒向遺跡は圧倒的だから 例えは悪いが結局金印クラスが出てこないと大当たり確定にならないんだろ。文字がないんだから。その他の物が出てきても激アツリーチアクションのみで残念みたいな。 大和を中心とした連合国家になったのは四道将軍を派遣してから >>433
天照大神は卑弥呼のことだろうね
卑弥呼の時代にいつ皆既日食が生じたか
247年3月24日と、248年の9月5日にあったことがわかります。
247年3月24日に日食が起こった時刻は、北九州では日の入りの頃でした。
太陽は日没までにほぼ皆既日食となって真っ暗になり、そのまま日が没したと考えられます。
一方、近畿では、その時刻にはまだ太陽は半分くらいしか隠れていないまま、日の入りとなります。
日没後も真っ暗にはならず、徐々に暗くなってゆきます。
この見え方の違いから、皆既日食によって世界が真っ暗になるという恐怖を体験したのは
九州の人たちであると斉藤は結論し、247年に福岡市で見えた日の入り時の皆既日食を
岩戸日食と断定すれば、議論は明快に片付く。そして卑弥呼の死亡年は247年となり、
邪馬台国も九州と言うのが有力となる そもそも天皇陵を調査しない時点で宮内庁もファンタジーって思ってるってことだからねw >>451
その通り
宮内庁が発掘させないのがそもそもの元凶だよね
いまさら記紀の内容が否定されたところで
皇室の権威なんて揺らぐ訳ないと思うんだが >>454
それは貴方の妄想なので参考になりませんね のちの時代の宋書倭国伝では邪馬台を奈良に比定している
中国からして、いにしえの万二千里という記述は重要視しておらず近畿まで入るってことだ 北海道のアイヌの遺跡にも、農民がいた痕跡はないんだろうな >>458
戦争してた痕跡も無いんだわw
纏向は魏志倭人伝の記述には驚くほど適合しない >>371
その辺ってあやしいんよね
西には金印とられたって騒いだ細石神社があって北には伊弉諾が三貴神を産んだ小戸があって
近くに山門って地名があったり
淤能碁呂島説もある能古島もすぐ北にあって
なんか日本神話の原型はここからなんじゃないかって気がする >>450
海部氏の系図は面白いよな
日本国内の海運ルートは早い時期に確立してたからあとは祭祀の中心がどこにあったのかということだけ >>461
連合とはいってもヤマト政権の場合は基本トップは大王で、ピラミッド型の中央集権
女王国のように対等ではない >>465
まさか、まだ邪馬台国がヤマト政権の母体だと妄想してるのか? >>468
王都に戦争の痕跡なんかあるわけねーじゃん >>447
スサノオは渡来系
なんかミスリードがある気がする
3重構造から
縄文系に黄河系混じってる気がする
隼人が熱心に祀っていたのはツクヨミ
スサノオとツクヨミ、同一説を忘れてる
九州の長江と縄文混血勢力と出雲の黄河と縄文混血勢力の対立が陰陽マークみたいになり、最終的に長江、黄河、縄文混血勢力で畿内に落ち着いたんだと思うわ >>475
一番護衛するところじゃん
大量の武具とか普通は出土するよ 邪馬台国は卑弥呼の次で連合崩れたんでしょ
元々女酋の集合体だっただけだから >>450
そうそう、各氏族の系譜も1代20年程度の現実的な年数で遡ると、西暦200年前後で神武とかかわりのあった記述がある人間に突き当たるんだよ
天皇の人数は割と正確に思える 大和王朝は婚姻によって結びついた家臣団的な連合だから >>480
次の男王と、さらに次の壱与までは続いてる >>455
そういう神話信仰縁起を持ってる国家の歴史なだけで
神秘的な神々や高天原の存在を検証した歴史家なんておらんよ
なんで検証しないっていうとまず歴史、史実として扱ってないから
まぁその為に神道の修行とかする奴は史学家とは見られないだろうし
ヤマト含めて大八州の民族史を推定する上で
神話になって伝説に残る人物"らしき人"が居たんではって類推に名前が出るだけで
それこそ倭人伝に卑弥呼が居るって一方の記述があって
記紀側に天照だとか神功皇后だとか女権力者が見られるから
擦り合わせて考えてみるのと一緒 >>462
ほお~っ それは極めて数理科学的に納得しうる説明だな 邪馬台国・・・北九州のやや小さめの王朝 (戦闘
ヤマト・・・・・・奈良の大きな王朝 (平和)
ほぼ同時代に2つの王朝が並立
↓
邪馬台国衰退)、ヤマト王権巨大化
↓
竹原あたりから渡来人ヤマトへ。そこで鏡製造=三角縁
私個人は、竹原出土の、内行花紋鏡が見方を変えると太陽の輝きを模したと見ています。
つまり、それこそが魏からの100枚の一部ではないかと。(個人の妄想) 畿内説が魏志倭人伝で拠り所にしているのは径百歩のみw >>474
畿内説だとそうならざるを得ないんじゃ?
卑弥呼時代の邪馬台国は3世紀半ばに中国に朝貢してる
大和朝廷は3世紀半ばか後半に成立している
畿内に邪馬台国と大和朝廷の二つの大きな連合国が並存できたとは考えられない >>456
纒向遺跡は
卑弥呼や邪馬台国が存在した2世紀から4世紀にかけて、農民がいた痕跡が全く無い
つまり、100年以上、周辺各国からの税で反映してた都市
神武東征があったとしたら、その前、1世紀ごろ >>476
でも隼人の故地にスサノオ系の神社はないよ
最初はアマテラスとツクヨミしかいなかったというなら分かる >>480
倭国大乱で仲間割れ
卑弥呼死亡で仲間割れ
まあいつ瓦解してもおかしくないほどの不仲連合ではある
どうせ狗奴国の卑弥弓呼ももとは王権を争う仲間だったのが卑弥呼が気に入らなくて連合に参加しなかったんだろうし
東から畿内ヤマトが攻めてきたら裏切りが続出したと思うわ >>491
日向から新天地求めて北上→宇佐→瀬戸内海(吉備)→大阪(ヤマト)・・・・
九州で居場所がなくなったと考えるのはどうですか、→神武東征 >>489
魏志倭人伝に記載されている墓は棺を土で封じて冢を造る
と書いてあるので前方後円墳は論外
つまり畿内説が論争に参加するとすれば、女王に使われていた「大倭」という市の監視役しかない >>454
滅亡させた相手を神として奉って権威だけは頂戴するってよくあることじゃない? 大国主伝説の出雲という国が先にあってそれが分裂したんじゃないの
出雲って九州の辺りまであった気がする
国譲りの場所も九州な気がする >>496
オオクニヌシがそのままだからな
ヤマト王権のやり口だろう >>480
名草戸畔とか戸畔伝承ってその名残りって感じがするわ >>476
>スサノオは渡来系
それは古事記には一切書いてない
スサノオは高天原でお仕置きを受けて、出雲に直接降りてる
日本書紀の本文も同様
何を見てそう言ってる? >>491
そら住居跡なんて柱や朽ちた柱跡しかほぼ残ってねーんだからでるわけねえ
権力者の墓である古墳から鍬や鋤が出てるけどな >>494
北部九州は、後漢から金印を貰ってから180年間ぐらい、代々倭国王だった、漢委奴国王の倭奴國
唐書によれば
九州 海神(ワダツミ)国 筑紫城に代々
天之御中主神
高御産巣日神
神産巣日神
宇摩志阿斯訶備比古遅神
天之常立神
国之常立神
豊雲野神
宇比邇神・須比智邇神
角杙神・活杙神
意富斗能地神・ 大斗乃弁神
淤母陀琉神 ・阿夜訶志古泥神
伊邪那岐神・伊邪那美神
大綿津見神(豊玉彦)
天津彦火火出見尊(山幸彦)
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)
と漢委奴国王を引き継いで、神武はその
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)の4男坊だからねぇ 東 日向し ヒムカシ ヒンガシ
西 去にし イニシ
北 汚し >>509
東征と書くと勇ましいけど
記紀読む限り、九州ヤバいから畿内に逃げたようにしか見えないw >>509
ルートが極めてリアルなんだが
それに、こんなことでウソつく理由がない >>503
それはオレが言ったんじゃねぇwwwだから、ミスリードって言ってんだろ
2重構造じゃなくて複雑な3重構造なんだよ >>494
北部九州は、後漢から金印を貰ってから180年間ぐらい、代々倭国王だった、漢委奴国王の倭奴國
唐書によれば
九州 海神(ワダツミ)国 筑紫城に代々
天之御中主神
高御産巣日神
神産巣日神
宇摩志阿斯訶備比古遅神
天之常立神
国之常立神
豊雲野神
宇比邇神・須比智邇神
角杙神・活杙神
意富斗能地神・ 大斗乃弁神
淤母陀琉神 ・阿夜訶志古泥神
伊邪那岐神・伊邪那美神
大綿津見神(豊玉彦)
天津彦火火出見尊(山幸彦)
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)
と漢委奴国王を引き継いで、神武はその
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)の4男坊だからねぇ
つまり天皇、大和政権の前身は、
親魏倭王の邪馬台国ではなく
漢委奴国王の倭奴國なんだわ >>507
歴代天皇平均在位11年くらいとしたら合うな
倭国大乱で神武が敗戦して東に逃げ出したときに金印隠して逃げ出したとかか >>505
日本書紀の本文にも書いてないよ?
>>513
失礼しました
もしくは仕分けないです >>514
純金ならね、金メッキなら川に投げ捨てるけどな(笑) ちなみに
神武の兄の三毛入野命は北九州に戻って
父の天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)の跡を継ぎ「漢委奴国王」になってる >>517
一書いわくとして朝鮮ルーツについてわざわざ書いてあるじゃん
あの挿入はかなり意図的だよ
渡来系の政治的圧力を疑うね >>511
まあやばい地理だわな
南に隼人やら熊襲やら、北には北部九州
居場所がない
逃げるのも分かる スサノオやオオクニヌシもヤマトから移植された神話だよ
そのモデルも神武神話
出雲併合は崇神天皇が裏切り者を作って神宝を略奪して
四道将軍を差し向けた出雲振根を殺す戦争までされてない
当然それ以前の天孫権威との繋がりはあと付け
中国地方の田舎者達がおらが土地の神話だって喜んで
未だに擦るくらい上手くできたレトリックであったのは間違いないが >>521
スサノオが追放されるところには、複数の一書ががあってその中のたったひとつに書かれた、諸説ありの一つってだけだよ 1)東遷は紀元前、理由はわからない
2)何かの事情で九州捨てて引っ越し→空いた王位をめぐって大乱勃発
3)倭国大乱勃発→王位争いに負けて東に逃亡
どれかな? 「漢委奴国王」の金印に真贋(しんがん)論争があることは前に触れたが、金印の由来や年代を確かめることの難しさについて付け加えたい。この金印は、すでに蛍光X線分析という非破壊検査が試みられ、金の含有率が95.1%だと分かっている。
宝探しにでも金印探しはいいな、まぁ国に渡さなきゃ逮捕だろうけど 東征でも東遷でも無い感じなんだよなあ
いちばん近い表現は元邪馬台国の豪族による「背乗り」かな
だって継承する王権なら大物主と天照を同時に祀るなんてできるはずかない 邪馬台国は九州だと思うけど吉野ヶ里よりもうちょい南やろ >>525
明治政府以前に牛頭天王と習合されていった経緯はどう考える? 金印が山でたまたま見つかったらどうにかして溶かして売りたいな >>526
九州では邪馬台国と狗奴国に阻まれてにっちもさっちもいかなくなったから、本州で立て直しを図ったんだろ >>530
「ぼくのかんがえた最強の邪馬台国」みたいなレスが大半で価値のあるカキコはごく一部だぞ。毎度のことだがw しかし蓋開けた石棺墓の周りの警備は万全にしてるのか?
歴史より思想を優先する右翼活動化に荒らされるぞ >>526
ヤマト王権は倭国大乱の原因になるほどの勢力じゃ無いと思うよ
だから畿内なんて遠く離れたところで
こっそり旗上げしたわけで >>523
別に東征が神話でも創作でも構わないんだよ
なぜわざわざ九州から来たことにしたのかを問題にしてる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています