【佐賀】「邪馬台国」ひも解く手掛かり!? 吉野ヶ里遺跡で新発見の石棺話題に――関連株探る ★10 [樽悶★]
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佐賀県の国指定特別史跡「吉野ヶ里遺跡(吉野ケ里町、神埼市)」で新たに出土した石棺が、5日に開けられる。弥生時代の日本列島に存在したとされる邪馬台国の謎が解き明かされるきっかけになる可能性があるとして・・・
2023/6/1 12:38
https://kabushiki.jp/news/589754
★1:2023/06/03(土) 12:10:06.13
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1686041980/
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https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1685697010/ >>514
金銀サクガンの大分県日田市あたりから出ると思うよ。
「日」だからね。ひみこ 畿内説なんて万世一系をゴリ押ししたいだけのカルト宗教だからな
発掘調査を素直に見れば畿内説なんて「そういう考え方も完全否定はできないよねー」レベル >>629
倭の五王も朝貢してるし、遣隋使や遣唐使もいるのに、江戸時代の学者は馬鹿だったといいたいのか? >>629
ソイツを根拠に九州説唱えてる人間なんかいないぞ
大抵は魏志倭人伝の記述や出土品や遺跡を根拠にしてる >>627
すごい名前だw
親御さんが狙って付けた名なのか、結婚によって偶然そうなってしまったのか。 >>636
万世一系と言いつつ独身の卑弥呼を系図に入れる意味がわからんw
切れとるやんw >>519
今の地形図よりも当時は内陸に海が入り込んでいた。
つまり、吉野ヶ里遺跡は海岸線に近かった。
久留米あたりが邪馬台国のあった地域と思われる。 >>621
国家というか部族勢力な
紀元前の弥生式土器は半島南部からたくさん出てるし
紀元前後の倭国の北限が朝鮮半島に入り込んでるのは
当時の中国側の古文書もあちこちで書いてるよ >>627
これで下山門か上山門にすんでおられたら完璧だなw >>523
東に落ち延びたのを、、、東征と言っているだけだよね >>629
そもそも魏志倭人伝が九州までしか書いてないから、邪馬台国があるとしたら九州しかありえないという当たり前の結論が出てるだけ
当時の発音すらわからんのに邪馬臺国はヤマトと読める!
後の大和政権だ!っていう意味不明のスタートが畿内説 昔のワイ(邪馬台国に観光に行って 卑弥呼と握手した記念にレプリカ金印買ってきた
お宝だから庭に埋めとこ ちなみに隋書では畿内ヤマトのことをヤミェツァイと書いているのだった…… >>613
長頭ならトンカラリンの近くから出てきてますねw >>641
だから差し障りのない神宮皇后やモモソヒメが卑弥呼と畿内説はでっち上げる >>568
とある古墳盗掘からだったかもね。犯罪になるから隠した、と >>645
そのグローバル常識が日本の学者には無い
学者面した思想家だよ 岸田の「岸」の読みは「き」+「し」。これは「木」+「子」。縦に並べると「李」。
安倍もそうだが、、、、そういうことらしいよ。
↑いきなりのぶっこみ >>633
時系列が大事だと思うよ。
半島から列島に人々が入植したのはいつか。
倭人という概念が生まれたのはいつか。
倭国という国家概念が生まれたのはいつか。
壱岐対馬が倭人支配となったのはいつか。
半島南部が倭人支配となったのはいつか。
半島や列島に水稲が開始されたと同時に、倭人と半島人という概念が発生したわけではないと思うから。 >>655
トンカラリンはなんか怖い
あれ旧支配者とかそれ系の不気味さ >>588
鹿児島の薩摩半島にはニニギは海岸に流れ着いたという言い伝えがある
それなら地元豪族のコノハナサクヤとくっつくのも自然だしここは史実っぽい >>637
横からだが、宣長はバカだったと思うよ。
論文を書くときに、事実と思想を分離できてない。 >>633
狗邪韓国は恐らく後の伽耶なんだろう
後の時代にも朝鮮南部には倭館という日本人の根拠地がある >>634
安本美典は在位年数以外はほぼ記紀に沿った考え方と思うけど >>640
意味が分からんな。
邪馬台国が大和朝廷と同じなら天皇家の先祖が中国に朝貢していたことなるし
邪馬台国が九州にあって大和朝廷とは別の政権だったなら大和朝廷は中国に朝貢していないことになる。
筋としては畿内説の方が中国人や朝鮮人は嬉しいのか? 勾玉はでてくるだろうか
翡翠かガラスか瑪瑙か楽しみだなw >>662
稲作の伝播は
遺伝学的にも日本→半島ルートなんだよな
南方植物の稲が、北から南に伝播すると言う非常識を
チョンは理解しないけどw ⚪︎水行は一日千里とし、日程は天候待ち等もあるので十日単位で表記
⚪︎陸行は一日百里とし、日程は道路状況等もあるので十日単位で表記
この条件だと
帯方郡から狗邪韓国までは日程水行二十日で六千里
狗邪韓国から末盧国までは日程水行十日で三千里
末盧国から邪馬台国までは日程陸行一月で三千里
ということで合計一万二千里で、記述のある里程とも「だいたい合ってる」 >>665
半島からの入植???白村江以降だろう。しかも倭人の支配地域から。 そもそも距離の大きさは体感的な距離を示していて数字にほぼ意味がない可能性はあるの? >>662
倭人はそこそこ古いのでは日本国ができたのは白村江以降 >>664
倭人が隼人と混血していったエピソードかな? 金印は学者の優秀さだけで決めてはいけないが
かの宮崎市定ですら疑問視してたものだから
一からって言うより多分金印でなく存在してたものを
金印として複数作ったがいい線じゃないかと思う 中国人「この国の名前は何ですか?」
九州人「ああ?せからしか仕事の邪魔たい!」
中国人「じゃまたい国と」 亀塚古墳の資料館には翡翠の小さな勾玉がたくさんと、偉い人がつけてたであろう、大きな瑪瑙の勾玉が展示されていたが今回は何がでてくるだろうか(^q^) 万世一系に一番都合が悪いのは畿内説なんだよな
だから「あんな女酋長の土人国が日本国のルーツなはずがない」って国学カルトがでっち上げたのが九州説だしw >>671
そういうイデオロギーで科学を語るのはおかしくない?
証拠のみで判断すべきでは? >>672
翡翠かガラスだったらふーんで終わる
メノウだったらかなりザワザワする
皇室の三種の神器の玉は赤い勾玉という伝承があり、メノウ製だと推定されている
翡翠だったらちょっと残念 八女が候補に上がってくると、お茶を飲んでくつろいでる卑弥呼様が御当地キャラになる >>670
邪馬台国 大野説だっけ?
確定したら、ぼろくそに言われそう 古事記は学術的洗脳書だな!
日本書紀は日本乗っ取り記紀! >>670
神武を2〜3世紀ごろの人物に比定すると、辻褄合うからね
皇紀2600年!!とかやり始めると、卑弥呼は神功皇后ダーとか
纏向遺跡は邪馬台国ダーみたいな珍妙なこじつけになる >>616
対馬だって、朝鮮と倭で、とったりとられたりを繰り返して
倭の漢委奴国王が安定的に利用できるようになったのは
204年に父の後を継いで、後漢の遼東太守となった公孫康が帯方郡を設置して、韓や倭を統治してからだからねぇ
それも、後漢から皇帝の座を強奪した魏が、
帯方郡を設置して、韓や倭を統治してた後漢の遼東太守の公孫氏を滅亡させる戦争で、
公孫氏に統治されていた漢委奴国王は安定利用できなくなっちゃったけどね
そのときに、公孫氏の支配を受けていない邪馬台国の卑弥呼の使者が、一大国・対海国と、対馬を使わずに帯方郡に来るのよね >>686
八女でも弥生後期の集落が発見されてたぞ
名乗りをあげてもいいんじゃない? >>678
平安時代の文献に「姫氏国」と対外的に名乗っていたという記述がある
奈良時代はわざわざ宇佐まで御神託確認しに行ってるしあの時代には常識だったことが色々忘れ去られてるな >>671
日本書紀に朝貢なんて書いてませんが。卑弥呼って神宮皇后のこと言ってるんですかねーwと書いてるだけw 隋書によれば魏書でいうところの邪馬台は大和だという認識は明らか >>685
現代では瑪瑙は一番安価な石だけど昔は偉い人が身に着けていたとは意外だよな
逆に翡翠のほうを民に分け与えてるあたり、翡翠は多く出回ってたんだろう
翡翠の勾玉は小指サイズで本当に小さかった 大和は九州
日本は神武天皇の成立まで待って畿内
何が問題なの? >>696
隋書によれば東に海を渡った先に畿内ヤマトがあったことが明らかになるのだ >>692
いろいろ誤解があるかも
奴国はかなり前からあるよ >>696
遣隋使(ヤマト政権)がそう説明したんだろ >>696
ヤマト的にはそういう嘘をつくわなw
正統性が欲しいわけで。
でも旧唐書で、中国側から倭国(邪馬台国)とあんたらは違うよね?
と突っ込まれてて笑う >>652
お土産はないにしても
当時レプリカ作られて各地に広まった可能性はあるよな まあ確定したら正しかった方が真ひみこちゃん
違ってた方が人々の想像から産まれたひみこオルタちゃんとしてそのままご当地キャラやれば良い >>696
隋もわかってないよ
行ってみたら道のりがまるで違うから倭人は里を知らないと書かれている
魏志の里数行程は倭人からの伝聞だと思ってだんだろう
一応魏志を尊重しながらこれが邪馬台だろうと言ってるだけ >>695
神功皇后が摂政になってから卅九年、是年也太歲己未・・に
魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也。」(西暦239年)
をやりました
神功皇后が摂政になってから卌年・・に
魏志云「正始元年、遣建忠校尉梯携等、奉詔書印綬、詣倭國也。」(西暦240年)
をやりました
神功皇后が摂政になってから卌三年・・に
魏志云「正始四年、倭王復遣使大夫伊聲者掖耶約等八人上獻。」 (西暦266年)
をやりました
と、ハッキリ書かれている やはり弥生時代の九州地方は外国勢力に乗っ取られまくられていたんじゃん!w
もしかして倭国は日本乗っ取り外国勢力か?www >>694
姫氏は周の名前じゃん
なぜ姫氏を名乗ったんやろ >>690
欠史八代説と神武=崇神説で卑弥呼の頃を崇神にすればだいたい合ってる
倭国大乱で先に饒速日が奈良に逃げ出したとかもいけるかなあ? >>696
隋使裴世清は九州の宇佐神宮辺りをヤマトの都だと誤認してる可能性が高い >>704
三角縁神獣鏡と一緒で
後世に権威づけのために複製された可能性はあるよね
まあ鏡の方はそもそも日本オリジナルのようだけどw 風の神さまシナツ彦シナツ姫
猪名の枕詞がシナガ鳥
シナ照は片岡やにほ鳥の枕詞
にほ鳥は邇本鳥とか表記するね
日本ニホンの元ネタは邇本にほかもな >>694
今の常識は捨てないといかんよね
出てきた証拠を自分の常識に当てはめて都合の良いように解釈する
人というのはかくも客観性を持てないものなのかと実感出来るスレだよ此処は
そういう意味じゃAIとかに任せたほうが正しい推測をだせそうな気がする
利害関係の絡まない外国人の研究者に資料提示して判断してもらうのも有りかも >>674
中国は北方が小麦圏南方が米圏
なぜか北方と地続きの朝鮮半島で米を作り
それが日本に伝わったとする説に
未だ賛同示す奴がいるのが日本の考古学者 >>707
並べて書いて魏志倭人伝と違う内容が書かれてるんですがw
摂政ですよ。行間読めない人ですか? >>707
史実の卑弥呼を
無理矢理皇統に押し込めようとした記紀編纂者の苦労が忍ばれるよね
巫女だとか一生独身とか言う中国側の記録は
一切切り捨ててるけどw >>704
金印のレプリカ作らせるとか頭わいてるとしか思えないんだが…
なんのためのハンコだよw >>709
呉の太伯は周の始祖(古公亶父)の長男なのですよ >>684
まあ歴史ってそもそもイデオロギーなので >>707
神功皇后なんていなかったよ
明らかに捏造
>>462の一大イベントを日本書紀古事記編纂した連中は史実として書いていない。
神話だと思い込んでいる。
つまりその時代に大和朝廷は九州には存在していない。 >>708
乗っ取られたならこんなハプロ構成してない
長江系と黄河系に影響受けて、最終的に縄文、長江、黄河が混ざり合って落ち着いたとしか見えない >>722
なるほど!
だから姫氏を名乗ったのか
スッキリした >>711
纏向遺跡もヤマト王権と関係無さそうだからなあ
最近の研究で、あれは4世紀ごろのものと推定されてるけど
その当時ですらヤマト王権は畿内でゴニョゴニョやってた一部族に過ぎない可能性
前方後円墳ビジネスで一気に勢力広げてからが
ヤマト王権の本番だよね。 >>696
裴世清が卑弥呼に金印を授けたわけではないので根拠にはならない 邪馬台国とかその種の国らしきものが
あっただろうというのは正しいが
距離方向大きさ等は一切信用できない
それを信用して日本の考古学者が
議論してるうちはダメ
あれが信用できるというのは日本の古代天皇の
数百年も正しいと言ってるのと
一緒なんだということがわからないのが日本の考古学者 >>721
文字もない当時、ハンコの意味理解できてたのだろうか
ただの装飾品と考えていたとか? >>699
後漢書によればその位置は狗奴国があった 読み方が似てるからという理由で現代人が思いつきで言ってるわけではないということ
真相は分からないけど中国側にも昔からそのような認識はあった
高句麗遠征している隋代になっても倭国の地理が全く分からないなんてことはないだろうとは思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています