【佐賀】「邪馬台国」ひも解く手掛かり!? 吉野ヶ里遺跡で新発見の石棺話題に――関連株探る ★10 [樽悶★]
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佐賀県の国指定特別史跡「吉野ヶ里遺跡(吉野ケ里町、神埼市)」で新たに出土した石棺が、5日に開けられる。弥生時代の日本列島に存在したとされる邪馬台国の謎が解き明かされるきっかけになる可能性があるとして・・・
2023/6/1 12:38
https://kabushiki.jp/news/589754
★1:2023/06/03(土) 12:10:06.13
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1686041980/
関連スレ
【佐賀】世紀の大発見!?「邪馬台国時代の墓」を発掘、有力者の墓の可能性も…吉野ヶ里遺跡の「謎エリア」で発見された石棺墓 ★10
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1685697010/ 八女が候補に上がってくると、お茶を飲んでくつろいでる卑弥呼様が御当地キャラになる >>670
邪馬台国 大野説だっけ?
確定したら、ぼろくそに言われそう 古事記は学術的洗脳書だな!
日本書紀は日本乗っ取り記紀! >>670
神武を2〜3世紀ごろの人物に比定すると、辻褄合うからね
皇紀2600年!!とかやり始めると、卑弥呼は神功皇后ダーとか
纏向遺跡は邪馬台国ダーみたいな珍妙なこじつけになる >>616
対馬だって、朝鮮と倭で、とったりとられたりを繰り返して
倭の漢委奴国王が安定的に利用できるようになったのは
204年に父の後を継いで、後漢の遼東太守となった公孫康が帯方郡を設置して、韓や倭を統治してからだからねぇ
それも、後漢から皇帝の座を強奪した魏が、
帯方郡を設置して、韓や倭を統治してた後漢の遼東太守の公孫氏を滅亡させる戦争で、
公孫氏に統治されていた漢委奴国王は安定利用できなくなっちゃったけどね
そのときに、公孫氏の支配を受けていない邪馬台国の卑弥呼の使者が、一大国・対海国と、対馬を使わずに帯方郡に来るのよね >>686
八女でも弥生後期の集落が発見されてたぞ
名乗りをあげてもいいんじゃない? >>678
平安時代の文献に「姫氏国」と対外的に名乗っていたという記述がある
奈良時代はわざわざ宇佐まで御神託確認しに行ってるしあの時代には常識だったことが色々忘れ去られてるな >>671
日本書紀に朝貢なんて書いてませんが。卑弥呼って神宮皇后のこと言ってるんですかねーwと書いてるだけw 隋書によれば魏書でいうところの邪馬台は大和だという認識は明らか >>685
現代では瑪瑙は一番安価な石だけど昔は偉い人が身に着けていたとは意外だよな
逆に翡翠のほうを民に分け与えてるあたり、翡翠は多く出回ってたんだろう
翡翠の勾玉は小指サイズで本当に小さかった 大和は九州
日本は神武天皇の成立まで待って畿内
何が問題なの? >>696
隋書によれば東に海を渡った先に畿内ヤマトがあったことが明らかになるのだ >>692
いろいろ誤解があるかも
奴国はかなり前からあるよ >>696
遣隋使(ヤマト政権)がそう説明したんだろ >>696
ヤマト的にはそういう嘘をつくわなw
正統性が欲しいわけで。
でも旧唐書で、中国側から倭国(邪馬台国)とあんたらは違うよね?
と突っ込まれてて笑う >>652
お土産はないにしても
当時レプリカ作られて各地に広まった可能性はあるよな まあ確定したら正しかった方が真ひみこちゃん
違ってた方が人々の想像から産まれたひみこオルタちゃんとしてそのままご当地キャラやれば良い >>696
隋もわかってないよ
行ってみたら道のりがまるで違うから倭人は里を知らないと書かれている
魏志の里数行程は倭人からの伝聞だと思ってだんだろう
一応魏志を尊重しながらこれが邪馬台だろうと言ってるだけ >>695
神功皇后が摂政になってから卅九年、是年也太歲己未・・に
魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也。」(西暦239年)
をやりました
神功皇后が摂政になってから卌年・・に
魏志云「正始元年、遣建忠校尉梯携等、奉詔書印綬、詣倭國也。」(西暦240年)
をやりました
神功皇后が摂政になってから卌三年・・に
魏志云「正始四年、倭王復遣使大夫伊聲者掖耶約等八人上獻。」 (西暦266年)
をやりました
と、ハッキリ書かれている やはり弥生時代の九州地方は外国勢力に乗っ取られまくられていたんじゃん!w
もしかして倭国は日本乗っ取り外国勢力か?www >>694
姫氏は周の名前じゃん
なぜ姫氏を名乗ったんやろ >>690
欠史八代説と神武=崇神説で卑弥呼の頃を崇神にすればだいたい合ってる
倭国大乱で先に饒速日が奈良に逃げ出したとかもいけるかなあ? >>696
隋使裴世清は九州の宇佐神宮辺りをヤマトの都だと誤認してる可能性が高い >>704
三角縁神獣鏡と一緒で
後世に権威づけのために複製された可能性はあるよね
まあ鏡の方はそもそも日本オリジナルのようだけどw 風の神さまシナツ彦シナツ姫
猪名の枕詞がシナガ鳥
シナ照は片岡やにほ鳥の枕詞
にほ鳥は邇本鳥とか表記するね
日本ニホンの元ネタは邇本にほかもな >>694
今の常識は捨てないといかんよね
出てきた証拠を自分の常識に当てはめて都合の良いように解釈する
人というのはかくも客観性を持てないものなのかと実感出来るスレだよ此処は
そういう意味じゃAIとかに任せたほうが正しい推測をだせそうな気がする
利害関係の絡まない外国人の研究者に資料提示して判断してもらうのも有りかも >>674
中国は北方が小麦圏南方が米圏
なぜか北方と地続きの朝鮮半島で米を作り
それが日本に伝わったとする説に
未だ賛同示す奴がいるのが日本の考古学者 >>707
並べて書いて魏志倭人伝と違う内容が書かれてるんですがw
摂政ですよ。行間読めない人ですか? >>707
史実の卑弥呼を
無理矢理皇統に押し込めようとした記紀編纂者の苦労が忍ばれるよね
巫女だとか一生独身とか言う中国側の記録は
一切切り捨ててるけどw >>704
金印のレプリカ作らせるとか頭わいてるとしか思えないんだが…
なんのためのハンコだよw >>709
呉の太伯は周の始祖(古公亶父)の長男なのですよ >>684
まあ歴史ってそもそもイデオロギーなので >>707
神功皇后なんていなかったよ
明らかに捏造
>>462の一大イベントを日本書紀古事記編纂した連中は史実として書いていない。
神話だと思い込んでいる。
つまりその時代に大和朝廷は九州には存在していない。 >>708
乗っ取られたならこんなハプロ構成してない
長江系と黄河系に影響受けて、最終的に縄文、長江、黄河が混ざり合って落ち着いたとしか見えない >>722
なるほど!
だから姫氏を名乗ったのか
スッキリした >>711
纏向遺跡もヤマト王権と関係無さそうだからなあ
最近の研究で、あれは4世紀ごろのものと推定されてるけど
その当時ですらヤマト王権は畿内でゴニョゴニョやってた一部族に過ぎない可能性
前方後円墳ビジネスで一気に勢力広げてからが
ヤマト王権の本番だよね。 >>696
裴世清が卑弥呼に金印を授けたわけではないので根拠にはならない 邪馬台国とかその種の国らしきものが
あっただろうというのは正しいが
距離方向大きさ等は一切信用できない
それを信用して日本の考古学者が
議論してるうちはダメ
あれが信用できるというのは日本の古代天皇の
数百年も正しいと言ってるのと
一緒なんだということがわからないのが日本の考古学者 >>721
文字もない当時、ハンコの意味理解できてたのだろうか
ただの装飾品と考えていたとか? >>699
後漢書によればその位置は狗奴国があった 読み方が似てるからという理由で現代人が思いつきで言ってるわけではないということ
真相は分からないけど中国側にも昔からそのような認識はあった
高句麗遠征している隋代になっても倭国の地理が全く分からないなんてことはないだろうとは思う >>731
> 邪馬台国とかその種の国らしきものが
> あっただろうというのは正しいが
> 距離方向大きさ等は一切信用できない
魏晋南北朝史学会の教授が「陳寿が集めた情報を全て盛り込んだせいで矛盾だらけ」と指摘してるのが示唆に富んでるわな 古事記は神社の教典、日本書紀は中国に対する日本の説明本
その辺は多少は考慮しないとなかなか議論は難しいよな >>731
ああ、それがいいたくて金印はニセモノとぶちまけてたのか >>731
飯のタネだろ
生活の為だよ
話題にしておけば本も売れる、メディアの出演料も入る >>734
周辺諸国の地理や勢力の把握は
国防に関わる話だからね
単なる聞き語りの記録では無い >>732
弥生後期から硯はあるから文字もあったでしょ。現物が残って無いだけで。 >>665
今の学者もそんなのばっかだろ
客観的に見たら九州しかありえない邪馬台国の場所を思想で無理やり他にあることにしたがってるんだから 邪馬台国が連合国であるように大和も地方豪族の寄合で
内部で権力の中心が移動してたんだと思うわ 畿内説の学者が箸墓開けるの阻止ひてるんだろうな
箸墓は卑弥呼の墓ではないのだから大和は邪馬台国ではないんだよ 邪馬台国語るのに日本書紀だの古事記だの言い出す頭おかしい奴らには関わる意味がない >>716
日本は異説も残しながら統合していくので
ある程度根拠があり正しいことが書かれてるのが歴史書
異説は消すがおおむね正しいはヨーロッパも一緒
中国のは自分たちがいかに偉大かを
示すために書くのが歴史書なので
事実真実でないことだらけ
それをまず吟味しなきゃいけないのに
日本の考古学者はそれをしないというより
やる能力がない >>733
魏志倭人伝
其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王
女王国東渡海千餘里 復有國 皆倭種
後漢書
自女王國東度海千餘里至拘奴國 雖皆倭種而不屬女王
まとめて文字数節約するにしてもデタラメまとめすぎだろ……これだから中国の史書は…… >>743
まあ箸塚に限らず
皇室由来の墓は宮内庁が全面発掘させないからな
それを逆に利用してるのが畿内説ともいえる >>743
ミューオン使った箸墓の透視調査をやってたけど結果報告なし 神功皇后は応神天皇の母
応神天皇は実在するとしたら4世紀後半~5世紀初頭
だから神功皇后が実在するとしても卑弥呼ではない
もう全然別人 対馬って当時の名前も対馬国なの?
何気にすごくね? 九州人
あの宇佐神宮に祀られてる女神様がこの地を治めてた時にこんなことがあってなぁ(天の岩戸伝説)
日本書紀古事記編纂者
神様がこの地を治めていた時?
んなことあるわけないだろ、ハイ神話神話。
結論
大和朝廷は卑弥呼の時代の当事者ではなかった。
大和朝廷の成立は卑弥呼の時代より遥かに後。 >>743
流石に学者に宮内庁をどうこうできるような力はないだろう? >>743
名草戸畔みたいにバラバラにされて祀られてる可能性すらあるのにそんなこと言えん
現代の常識なんか通用しない >>751
すごいよ
ツシマのツという発音は朝鮮には発音出来ない
つまり古来からずっと日本の島 宇佐神宮の真下掘ったら絶対なんかデカい墓出てくるよな >>756
纏向が、邪馬台国ではない勢力の遺跡でおることは、もはや確定してる 箸墓はお茶屋もあったくらいだしとっくに盗掘はされたかもな >>758
箸塚古墳はモデルルーム説が面白かった
纏向遺跡はそのための展示場兼スタッフ養成所w
だから農耕具は一切出ないのに、土木用具は出てくる >>751
地名、特に島なんかは名前残りやすいだろうね >>751
たぶんそう
支配してたのは卑狗(ひこ)と副は卑奴母離(ひなもり)。聞いたことのある日本語だ >>758
いや逆
石室があったんだと思う
倭人の墓は槨無し(石室無し)と書いてあるから 卑弥呼だろ?
べつに呪術的な意味で九州、四国、中国地方、畿内から体の一部ずつ全部バラバラに出てきたって驚きゃしない >>762
出たと言う記録だけで
誰も検証出来てないのよ 九州もシャーマン男王がいれば滅ぶことはなかったかも >>760
たしか改修の際、目撃されている
蓋の合わせ目に真っ赤な丹が塗られた石の棺
しかし宇佐神宮は卑弥呼であることを否定して開けさせないようだ >>772
朱が蓋の間から滲み出た石棺が目撃されている >>703
それは、大和朝廷は
「隋」や「唐」には、黙っていても、何度も挨拶に来たけれど
「後晋」には、皇帝になったから挨拶に来いと言っても挨拶に来なかったから
「後晋」が、大和朝廷なんか倭じゃねーよって唐書を書いただけ
まあ大和朝廷にしてみれば、唐の滅亡後に中原を支配した
5つの王朝(五代)と、華中、華南と華北の一部を支配した諸地方政権(十国)なんて、誰が統一するかわからんから、下手に挨拶には行けないわな
でも、そのあと中国を統一した北宋には、ちゃんと挨拶に行って、新唐書を書いてもらってる 本当は北陸で九州も畿内も全員騙されてただの詐欺師で赤っ恥の方が面白い >>724
全部「倭」とあるね。
「日本」じゃないだろw >>652
当時の日本は金の産地としては有名じゃないからねぇ材料としても簡単には手に入らないだろう
ヒスイや水銀では大陸からの需要はあったんだろうけど 宇佐が卑弥呼の墓
今回のは台与の墓
こんな感じ
そして箸墓は百襲姫の墓 >>749
山門(やまと)にはいたぞ
それどころか古墳時代の北部九州は巫女女王が何人もいた
中には八咫鏡を持っていたことも
ヤマト政権から滅ぼされたけどな >>707
その倭女王が誰なのかを断言する記載がない
神功皇后との関係性を誤読させようとはしているけど1世紀も違うから中国相手に関係性を断言する勇気はなかった 佐賀は四国に見習い、勾玉アクセサリーを早急に作るべきだ
四国の勾玉はガラス製だったが、佐賀は特産品の唐津焼で勾玉をつくれ、売れるに違いないな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています