5月8日に新型コロナウイルス感染症が5類扱いになり1カ月ほどが過ぎたが、まだマスクを外さない日本人も少なくない。その原因についてフランス哲学者の福田肇氏は、「日本には、公共性がなく、公共性“もどき”しかないからだ」と喝破するーー。

「出過ぎたマネをしない」が絶対の日本人
 「面の皮が厚い」とか「厚顔無恥」という慣用表現が、日本にはある。「ずうずうしい」とか「あつかましい」という意味だ。日本では、「面の皮が厚い」のは敬遠される。逆にいえば、顔は「薄い」ほうが好まれるのである。

 「薄氷を踏む思い」という言い回しがある。薄氷のもろさ、あやうさによって、あぶなっかしい感じを譬えたものだ。「薄氷」の脆弱性は、その上にかかる重みにたいする感受性の強さに由来する。それと同じように、顔が「薄い」ということは、顔のセンシビリティが高いということである。

 つまり、日本では、「鉄面皮」はきらわれ、顔の「薄さ」ゆえの敏感な感受性、可傷性(傷つきやすさ)こそが尊ばれるということだ。他者たちのまなざしにたいして、すぐれて敏感な反応性をたもち、「雰囲気」に順応し、「出過ぎたマネ」を自省させる高度な〝センサー〟が顔なのだ。

伊達マスクすら流行る日本の不思議さ
 私は、過去に二度「マスク現象」に言及する記事を書いた。ひとつは、いわゆる「コロナ自粛」を強迫的に強制する集団の論理に関して、もうひとつは、マスク着用が集団の成員すべてに波及したのち、彼らが今度はその呪縛から離脱する際に経由する集団の論理に関して、である。

 しかし、私が触れていなかったことがあった。それは、日本人のマスクにたいする親和性の高さである。そもそも、コロナ禍以前から、日本人は、マスクを装着することに抵抗を感じなかったどころか、それは、飛沫感染の防止やエチケットといった「予防医学」的な観点から積極的に推奨された。のみならず、インフルエンザや風邪の流行期、あるいは花粉症対策とは無関係に、「伊達(だて)マスク」をしている者すらいた。

 なぜ、日本人は、マスクをすることに抵抗を感じないのか? それどころかある種の居心地のよさすら感じてしまうのか?

全文はソースで
https://news.yahoo.co.jp/articles/501ebfd3d84bf673a5288349e223f4c35a44dd90

★1 2023/06/12(月) 20:11:05.95
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