https://www.gqjapan.jp/article/20230621-toshihiko-matsumoto-interview-1
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■若者と依存症
──この数年、患者さんの相談内容や症状などに変化を感じましたか。
この約3年間のコロナ禍で特に深刻に感じたのは、10代の若者による市販薬の過剰摂取(オーバードーズ、OD)が急増したことです。
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思いかえせば、緊急事態宣言で多くの商店が休業する中、ドラッグストアだけは元気に営業していました。
そこで購入した咳止め薬や風邪薬を乱用することで、彼らは誰にも言えない生きづらさを紛らわせていました。
しかも、この流れは現在も続いていて、10代の薬物依存症者を対象に行った調査では、ついに市販薬の依存症者の割合が違法薬物を上回ったことがわかっています。
この問題は、彼らに薬をやめさせても解決しません。搬送されてきて初めて、支援が必要だと判明し、解決の第一歩にたどり着ける子どもたちがたくさんいます。

また、自殺との関連も無視できません。10代の自殺者総数は現在も増え続けていますが、コロナ禍では特に高校生を中心に数が増えました。
生きるためにODをしていた子が、ある日ふと「もう死んでも構わない」という気持ちになって一線を超えてしまう、ということが増えています。

■「悪い」依存症
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──カフェインやタバコへの依存、ゲームや自動車改造に“ハマった”体験から臨床の考察へとアプローチする展開には、
松本さんが依存症をただ診るべき病としてではなく、身体で理解しながらわかりやすく伝えようとしている姿勢が表れているように思います。
そしてあらためて、私たちの暮らしの中には、さまざまな“依存”が存在することを再認識しました。

何にも依存することなく生きているなんて、反対に不気味な感じがしますよね。私たちは、日々たくさんの人に助けられながら生きています。
それに人じゃなくても、仕事の合間のお菓子や帰宅後の晩酌など、いわゆる“ご褒美”だって、場合によっては依存だと捉えられます。
僕は、依存自体が問題だとは考えていません。しかし、依存のなかには「悪い依存」もあります。
たとえば、晩酌のおかげで日々仕事を頑張れていた人が、次第に翌朝起きて会社に行けなくなる、パフォーマンスが極端に落ちてしまう、
酩酊して人を言葉や暴力で傷つけるようになってしまう場合がある。さらには、そんな行為を繰り返しているにもかかわらず、飲酒をやめられなくなってしまう。
これは明らかに「悪い依存」です。デメリットがメリットを上回ったのに、それを手放すことができない状態ですね。

■薬は使い方次第
薬物だって、メディアや薬物乱用防止教育では、悪で恐ろしいものだと喧伝されていますが、決してそれ自体が問題なのではありません。
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著者のフィッシャーは精神科医ですが、強制入院させられた経験を持つ元アルコール依存症者で、自らの回復プロセスや治療体験も織り込まれています。
本書には「よい薬物、悪い薬物」という章がありますが、薬物自体に「よい/悪い」はないのです。
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つまりどんな薬物だって、使い方次第でよい薬にも悪い薬にもなるのです。
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アメリカではこのオピオイドの乱用や依存で毎年数万人が死亡しており、深刻な社会問題となっています。
日本でも、若年層に限らず、市販薬の依存症患者が年々増加しています。
市販薬も、適切に使用すれば問題はほとんどありませんが、医療現場では危険なために使用しなくなった成分が含まれることも多く、安全だとは言いきれません。

■依存症への偏見や自己責任論
──依存症患者への偏見に対して、長年松本さんは著書や取材などさまざまな場所で「“困った人”は困っている人」なのだと、
厳罰ではなく支援の必要性を強調してこられました。

薬物の所持や使用で逮捕されたタレントへの執拗なバッシングを見ていても、依然として依存症者に対する偏見が根強いと感じます。
日本では、薬物依存は「病気」ではなく「犯罪」として扱われていますが、じつは国際保健法の観点では、日本の薬物政策や厳罰は
依存症者への人権侵害だという批判も起きています。

そもそも、薬物乱用防止教育に問題がある。
「ダメ。ゼッタイ。」という耳に残るキャッチコピーで、一度でも薬物を使用すれば人生は破滅すると、幼い頃から偏見の種が植えつけられています。
しかし、人は薬物を使用したって破滅はしません。厳しい差別や偏見、社会からの孤立によって、破滅させられるのです。
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